とはいえ、わからないでもない

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これも弟に薦められた。
映画を十年単位で観ていないので、話題作かどうかも知らなかったのだけれど、これは始めから、映像・音楽ともによかった。心の動きとしては、いいねいいねいいねいいね、と順調に滑り出し、途中でうん?となったが、「でもま、いっか」と思い直し、再び、いいねいいねいいねいいね、とこんな感じでラストまでやってきて、「なんだかんだで、よかったなあ」と一息つくかつかない頃、何事かの箴言の下に「P・T・バーナム」と書いてあって、「え、なに? この人、実在の人?」と途端に考えが変った。
ずっとフィクションだと思っていたので、それならばと目をつむる場面がいくつかあった。けれども、実話を元にしたとなると、もやもやがすぐに口をついて出てくる。不満点を総括して言うならば、ファンタジーとリアリティとの按分が中途半端だということ。いっそファンタジー100%にすればよかったのに。ヒュー・ジャックマンがレベッカ・ファーガソン――歌もよかったし、とてもきれいだった――と出会う際に、その容貌(あるいはオーラ?)に一目惚れし、そこから興行を買って出たわけなのに、その関係がなんとなくプラトニックなままでツアーが進み、やっと彼女がアタックを仕掛けてくると「そういうつもりじゃないんだ」みたいな態度をとって、あのとんでもなくかわいい奥さんとふたりの娘たちへの操を立てる、っていうのは、ありゃあどう見ても視聴者向けのエクスキューズでしかなく、かなり苦しい。史実はどうだったか知らぬが、恋愛関係なのか、はたまたバーナムの金儲けの一環か、いづれにしても映画としてはやや生々しくなる。それを避けるために、淡い恋心と上流階級への小さな復讐心の発露としたのかもしれないが、そんならいっそ、歌声に心底惚れた、という設定にしたほうがよほど自然だし納得がいく形になったと思う。なぜそうしなかったのだろう。
それ以上に、バーナム(ヒュー・ジャックマン)の本業であるサーカスのメイン、いわゆるフリークスたちへの扱いが現代的すぎやしないか、という思いが強く残った。時代背景や彼のヤマ師根性から考えても、奇形を抱えた人たちをおそらく「見世物ショー」のダシにしたのであろうから、そうなると気分が悪くなってくる(ただし、見世物にされた人たちも、本意不本意にかかわらず、それによって金銭を稼ぎ自立できる、という意義を感じていたのかもしれないので、簡単に「かわいそう」と判断するのも却って失礼な場合がありうる)。たしかに、アンチというには過激な、いまで言うところのヘイトスピーカーたちが奇形の彼ら/彼女らに罵声を浴びせる描写は何度も何度も出てくるが、けれども、興行主のバーナムやサーカスの観客席を埋め尽くすオーディエンスたちにはまったく「差別的な意図」が見えず、そのような「ファンタジーエフェクト120%モード」――大河ドラマの戦国大名が己の権力欲・功名心から虐殺を繰り返すのを「みなが笑顔で暮らせる平和な世の中をつくるため」と言ってオブラートに包むのと同じくらいの欺瞞があるわな――であるのなら、前述の妙な生々しさみたいなものは完全に排除したってよかったはずだ。そこらへんが、不満に残ったのである。
しかし冒頭に翻って、映像も音楽もやはりすばらしいのである。それは間違いない。歌唱パートのダンスなども迫力十分だし、脚本の細部を無視してしまえば、あとはすてきなミュージカル体験ができると太鼓判を押せる。と思っていたら、こんな動画を見つけてしまった。
なんだこりゃ。上に書いたこと、ぜーんぶクソみたいなたわごと。すべて吹っ飛んだ。歌と言葉によって、鼓舞され奮い立たされていくのが、目に見えてわかる。心が震え、伝わっていく。これが音楽。これが人間だ。
さらに、もうひとつ動画を見つけてしまった。
すごいな、これも。動画越しなら「映画観てないからよくわかんない」という人もいるかもしれないが(※最大限に譲歩した言い方)、生でこの現場に立ち会ってもなにも心が動かないという人がいたら、人間じゃないと思う。あと、絶対ヒュー・ジャックマン好きになっちゃうよな、こんなの観たら。

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きょうは税務署に行って納税しなきゃいけなくて、その額がきりの悪い4,999円だった。いつもならぴったりの金額を用意していくんだけど、こっちが5,000円札一枚出しゃ相手が1円返しておしまいだろうと思って実際にカウンターへ行ったら、「すみません、9円ありますか?」って言われて、おまえ1円返すのと10円返すのとなにが違うのか言ってみろ、と言いたくなったけれど言わずに腹に納めた。税金も納めた。

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昨年の見聞きしたなかで、もっとも吐き気を催す言葉が、「平成最後の」だった。
NHKみたいな提灯放送機関が使用するならわかるが――そして実際に使用しているが――なぜ官公庁勤務でもなく元号使用にそれほど馴染みのない人間たち(特に若い人間ならばそうだろう)までもがやたらと平成平成と口にするのか。それが、まことに気味悪く、いまだにその思いがつづいている。
バミューダ・トライアングルを本気で信じ込んでいるムー読者(僕も信じていたよ!)のごとく、天皇制=元号使用=括弧つきの「保守」、という三角形を堅く守っていこうと誓った日本会議およびそのシンパたち発信のプロパガンダであろうことは言うまでもないのだが、それにしてもみんな使いすぎで、そうなると、プロパガンダという陰謀論ひとつに任せておくこともやや心許なくなってくる。
ん? だがこれと似たようなことを最近どこかで見たような気が……。
と、例の安室ちゃん問題を思い出す。去年の9月半ばにそのことについて書いたが、人は最後になるとわかった途端にありがたがるというか惜しみだすというか、とにかく褒めちぎるのである。梅ジャムにしても関東のカールにしても、おまえらふだんからそんなに買っていたのかよってくらいに「青春の味」アピールするでしょ。そういう心理のおかげで「平成」の価値は現在インフレ真っ最中、というのが僕の見立て。そういう不自由な脳味噌の使い方から、そろそろ解放されようぜ。

余談だが、その平成最後の紅白が思いのほか好評だったようである。サザン・ユーミン・北島三郎の共演を手放しで奇跡とか伝説などと絶讃する声が少なくないらしいが、僕はただ「笑っていいとも」の最終回でロートルが大集合した映像を連想するばかり。いくら金を積んだか知らないが「大御所」なるものが共演するというだけですばらしいというのなら批評は必要なく、それはアイデアのないアヴェンジャーズみたいなもので、まさにそれこそが紅白という気がしないでもないけれどね。ちょっと引いて観てみりゃぬるい学芸会にしか見えないが、それのなにが腹立たしいかっていうと、受信料が使われているということ。朝もプライムタイムもただのバラエティショーにしか過ぎなくなってしまった感があるので、冗談抜きで受信料を支払う気がなくなってきた。天皇制の維持と一緒で、有志の寄付だけで賄えばいいのにって思ってる。そうなりゃ僕は、総合はドキュメンタリー枠と(いちおう)ドラマ枠だけにしかペイしないつもり。「ニュース」枠もスポーツ枠もバラエティ枠も全部カットしてもらって結構。なんで内村が紅白の司会しているのかと思ったらNHKでバラエティ番組を持っていたのね。でた、うちわむけー。NHKが大好きな、そしてNHK視聴者が大好きな、うちわむけー。おまえら自腹でやってみろってんだ。
NHKついでに書くと、このあいだ観たまんぷく(どうでもいいけど、まんぷく、一回の視聴でかなりいろいろなネタが掘れたな)で思ったもうひとつは、弁護士役の菅田将暉(他の役柄ではどうかわからない)が高畑充希化していることに誰も触れないわけ?ってことだった。

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なにかについてすこしだけ詳しくなると、それにまつわるニュースに対するいわゆる世間の反応とかいうものが、いかにバカげていたり的外れだったりするかがわかるようになる。アイドル関連のニュースで、全然知りもしない人間がなにかをほざいているのを見たりすると、「なんでこいつ、わざわざ『自分はアホです』って言いたいんだろうな」なんて思ってしまうけれど、まあでも、人間ってそういうものかもしれないね。このあいだ話していた人が、神道のことを「しんどう」と言い、プロテスタントのことを「プレジデンス」と言い、「軽減税率」のことを「カイゲン税率」と言っていたけれど、そういうくらいの知識でも臆せずなにかを語るということはいいことだと思う。面と向かった会話に限るが。また率直に言って現在は、その言い間違いを言い間違いのまま済ませられる余裕のほうが好ましい。2019年に消費税増税した際に導入されるのであれば、ある意味「改元税率」かもしれないしさ。
なにかを言い間違ったり勘違いしたりしたのを、「え、ちょっと待ってください」とスマホを取り出してWikipediaをチェックして挙句の果てにゃあ修正したりするやつって、世の中にどれだけいるんだろうか。菅田将暉(すだ・まさき)、黒木華(くろき・はる)、米津玄師(よねづ・けんし)、を初見で読めた人は皆無だろうし、けれどもいつのまにか、「おれ/わたしは知ってるよ」みたいなツラして世の中をわたっているわけでしょ。そういう人の、流行り言葉(特にツイッターとかの)を初めて遣った瞬間を隠し撮りしたコンピ動画があったらずっと観つづけたいよ。あんがい平然としているものなのかな。あるいは、「おまえ遣い慣れてねーだろ!」ってツッコミに怯えていたりするのかな。話を戻すと、正確さに拘泥しつづけるコミュニケーションって、たのしいんですかね? 正確性や中立性に死ぬほど配慮した結果、クソの役にも立たない情報だけをやりとりして、たまった鬱憤をSNSで吐き出すんですかね。だからあそこはクソ溜めなんすかね。みんなクソ溜めのなかでよく溺れないんだな、とカナヅチの僕は感心するばかり。
排泄物で思い出したんだけど、来年はいよいよ東京で大きなスポーツ大会をやる。そのときになったら右も左も一丸となって反対派を非国民扱いしそうなんもんだから、いまのうちに水を差しておこう。あらかじめ断っておくと、選手のほうに故障があるわけではない。五輪のスポーツであるとないとにかかわらず、そりゃあアスリートたちはじゅうぶんにやっているのだということは、いかなスポーツ音痴の僕だとてわかっているつもりだ。男性アスリートにおいては、遠征の合間の買春、違法賭博、後輩への暴行、対戦相手への意図的な傷害等々に従事しつつもその間隙を縫って練習や稽古に励み、女性アスリートにおいては、セクハラやパワハラのジャングルをなんとかくぐり抜けながら、そのうえ生理不順に至るまでの猛練習の強制に耐えているのである。スポーツって、ほんとすばらしい。
『ブルータス(884)』で、ライターの武田砂鉄が東京五輪についてこう言っていた。
今までは頑張って批判してたけど、やるとなったからには楽しもうとか言い出すヤツをチェックするのが、2019年の仕事になると思います。
はじめはね、みんな批判するのよ。けれども、どこかの地点で分水嶺が発生し、そこからは「ま、いっか」みたいなノリを共有し始めるってのがこの国の人間の性質でしょ。2013年あたりにぶーぶー言っていたみなさん、いまだにぶーぶー言えてますか? それとも、選手に罪はない、とか、スポーツじたいを批判したいわけじゃない、みたいなとっても都合のいい言い訳を見つけたりしましたか? おれはあの日からずっとオリンピックをボイコットしているよ。おかげで読売の、「読者が選ぶ10大ニュース(2018)」のトップが羽生結弦がなんたらかんたらっていうのを見て、はじめて連覇なるものを知った次第。もともと世間のニュースに疎いけどさ。
ま、いいやって感じだよ。なんつうか、「世間」なんてものと隔絶して久しいし、その傾向はますます強くなっていくだろう。この国がどん詰まりに突き進んでいくのも、最近は見ていて楽しくなってきたしね。大勢のヨダレ垂れ流し無批判無脳人間たちがふらふらと歩いていって、レミングスみたいに地獄の淵に真っ逆さまに落っこちていくのを、後方から見物することにする。いや、僕だって落ちますよ。ただ、大勢の人間たちが「うわーこんなはずじゃなかったのにー」と後悔しながら落っこちていくのを見られるのであれば、落ちるのは構わないというだけ。

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ちょいとある本を読了して、この本に書かれているのはまさしく正義ってことだよなあと痛感した。「万人における真理がないように、万人における正義もないんすよ」みたいなことをほざくやつは、もう相手にせん。そういうバカどもに対してエクスキューズを残しておくような文章をひりだすことこそが時間と労力のムダ。
それはともかく、そこに書かれてあったような正義――厳密にいえば、正義の不在が謳われていたのだが――にまつわる怒りっていうものを、なかなか大衆は持たないもんですな、というのが今回の記事の主題。持ったとしても、短期間で燃え尽きてしまう。それに比べりゃですよ、世の中の炎上事件のほとんどが、クソどうでもいいことで、まあみんなよくそんな労力あるよねってことをきょうは考えていた。
このあいだ目の端に「そのようなこと」がチラと映ったので、「YouTuber 2018 炎上」と検索ボックスにぶちこんでググってみると、まあしょうもないサイトがずらーっと出てきた。で、そのしょうもないサイトのひとつにアクセスしてみると、見たことも聞いたこともないようなYouTuberたちの名前が出てきて、たぶん中高生(小学生も?)くらいなら、半笑いで「あー、しってるしってる」っていう人たちなんだろうけれど、そういう人たちがしでかした「事件」とやらの概略がもう意味不明で、別にどうでもいいじゃんみたいなものがほとんどだったけれど、まあどうでもよくないんでしょうな、観ている視聴者たちにとっては。YouTuberの〇〇と××が付き合っている疑惑、みたいなのもあって、そんなの若いもん同士すきにさせといたれよ!と思っちゃうんだけど、まあどうでもよくないんでしょうな、観ている視聴者たちにとっては。
世の中、ほんとうに怒るべきことは山ほどあるんだが、けれどもその怒りのポイントみたいなものはだいたいが複雑だったりするものだから、それを解きほぐして咀嚼することよりは、YouTuber同士の惚れた腫れたに一喜一憂しているほうがラクなのね。でもって、彼らに対しては、「おもしれー」とか「かわいー」とか「かっこいいー」とかの敬意はいちおうあっても、「おれら/わたしらとそんなに変わりないはず」みたいな意識も別個にあるものだから、人気者だったり、ときには大儲けしていたりすることに対して、静かな嫉妬心の炎も抱えているわけだ。ふだんはそれを隠しているけれど、なにかがあればそれが爆発してしまい、「前々から思っていたけどこいつ面白くない!」みたいなことになるのかな、とこれまた全然YouTuberの動画とかを観たことないくせに考えてみた。いや、ほんとは去年、海外のゲームYouTuberのリアクション動画をかなり漁っていたんだけどね。
このあいだ、たまたま観たゲーム実況YouTuber(女性)が生配信(?)で泣きながら話しているのがあって、それをチャット欄でファンたちが一所懸命に慰めていて、「いいもの観れたなあ」と、とても微笑ましい気持ちになれた。皮肉な意味ゼロで。ああいう原始宗教みたいな構図、好き。その規模が小さければ小さいほど、個々の感情の熱量は濃密になるから。
ところで、この年末年始、あなたはいったいなにに対して怒っていましたか? というアンケートを取ってみてほしい。たとえば、「ジュリーの公演ドタキャン」と「アベ政治を許さない」と「照射」はぜんぶ別グループのホットトピックってことになりそう。例の上沼恵美子についての記事に対するヤフコメは、思いのほか良識的なもので、かなりがっかりした。ヤフコメ民にはもっと民度の低さを保ってもらわないと、張り合いがないのである。

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でんぱ組からもがちゃんが卒業してちょっとしてから、彼女がテレビドラマに出演するということで『海月姫』の初回を観たのだが、なぜか録画がうまくいかず、3回目以降はフォローできなくなってしまった。そのときの感想は、やっぱり工藤阿須加って確実に昔の田辺誠一のポジションをトレースしているよな、ってことだった。
それからほぼ一年。たまたま観てしまった連ドラに瀬戸康史が出演(彼は『海月姫』にも女装家として出演)していて、彼がますます工藤公康化していることを確認。ということは、いまは似ていない工藤親子も年を経れば似てくることだろうから、瀬戸康史とのトライアングルが見られる日も遠くないということだ。これがロレックス。『菊地成孔の粋な夜電波』は終わってしまったけれど、番組名物コーナーの遺伝子はここにも生きていますよ。
ちなみに、まんぷくの主人公のひとりである長谷川博己は、その登場により、なんか似た感じでもうすこしで売れそうだった眞島秀和のポジションを、完全に奪い去ってしまった、というのがうちの家族での定説。つまりハセヒロがいなければ、眞島はもうすこしメインストリームにあったのではないかということ。ま、ハセヒロはその後コメディでも頑張っているので、彼のいまの立場はルックスによるものだけではないけれどね(個人的に好きだし)。

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とってもとってもいい映画。
あるところでこの映画の存在を知って、借りてみようとパッケージの写真を見たら、「あれ? ハルクの人じゃん!」と思わぬところで大昂奮。アヴェンジャーズではハルクは好きなほうなので(エドワード・ノートンの単品映画のほうはちょっと単調すぎてつまらなかったけど)、あの冴えないマーク・ラファロがちょっと落ちぶれてしまった音楽プロデューサーをやるという設定に、物語の始まる前から感情移入できてしまった。キーラ・ナイトレイも歌がとても魅力的で、この女優さん自身も好きになってしまった。
全体としてみれば、とても小さな映画。それもそのはずで、元はアメリカ国内で5館ほどでしか上映されていなかったのが、口コミで全米に広がっていって……というシンデレラ・ストーリー。映画の内容も、ちょっとそれにリンクするような、手づくりで音楽をつくっていって、それが多くの人に認められていくようになる、というシンプルといえばシンプルなあらすじ。でも、これがいいんだよねえ。主役のふたりがフィクションではなく実在の人物のようで、そこにキーラ・ナイトレイ(歌手役)の親友の男性や、マーク・ラファロ(プロデューサー役)の娘がうまい具合に絡んできて、軽くワインを飲みながら観ていたらすごく気持ちよくなってしまった。マルーン5のアダム・レヴィーンも俳優として登場するが、これもいい感じよ。もちろん、その歌もね。

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一般参賀って言葉はもちろん見たことがあったけれど、けれども実際になにをやるか知らなかったし、ましてや自分の知り合いがそこに並んでいてそこから暇潰しがてらに新年の挨拶メールを送ってくるとは思わなかったよ。四十年生きた甲斐があるってもんだ。
15万人もの暇な人が世の中にはいるもんだと思ったのだが、まあ暇ってことは幸せってことだ。だから「暇人だねえ」ってのは、「幸せだねえ」という褒め言葉なの。
その幸せな連中が大勢たかっているニュースをNHKで伝えていて、その最後のシーンで、天皇が手を振るのがスローモーションになり、そこに向けられたオーディエンスの声がたまたまふたつだけ明瞭に聞こえたのだが、それが「ありがとうー!」と「ご苦労様でしたー!」で、なるほどそこにいた人たちの程度というのをなかなかうまくあらわしているんじゃないかと、心が温まる思いだった。

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弟に薦められて年末に観た。
サイレント映画においてスターだったということをまさしく証明するジャン・デュジャルダンの雄弁な表情。ユーモラスでとても愛らしいベレニス・ベジョ(特にダンス!)。そして、全体を彩る行き届いたサイレント・ムービー的演出。作品中、たった2回だけ「音が出る」場面があるが、そのどちらもが拍手を送りたくなるすばらしい演出だった。
本作の特徴として、スターである/あった主人公が善良ということがある。なので、ヒロインの思慕、尊敬、憐憫の感情が100%正当に見える。2012年の映画だから、この点において一点の陰りもない描写が可能であったろうし、また、オスカーもすんなりと(?)獲得できたのかもしれない。なにが言いたいかというと、2017年のワインスタインへの告発から始まった映画業界における性的ハラスメントおよび性的暴力は、視聴者にとっての前提知識となってしまったということ。もし『アーティスト』が2018年の映画だったら、「ファンタジーにすぎる」とか「美化されすぎだ」みたいな批判が相対的に多くなったはずだ。しかし僕は、たとえ2018年の映画だったとしても、本作を高く評価したに違いない。きれいごと・理想論であるから批難するという論理は、ノンフィクションでない以上、ピントがずれているように感じるからだ。
作中でほかに印象に残ったのは、主人公が乾坤一擲の思いで撮影した映画の封切り日にガラガラだった館内。あそこは胸が締めつけられるような思いだった。ちょうど僕の好きなものや思い入れの深いものが昨年にいろいろとなくなったり終わったりしてしまっていたものだから、僕自身が時代から取り残されているという感覚と重なってしまったのだ。

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アイドル関連の情報がたぶん9月くらいでストップしているし、なにより年末までにやらなくちゃならないことが山程あるんで、今年は例年みたいにトップ20とかできなくて、簡単に言うと、でんぱ組.inc『ギラメタスでんぱスターズ』、虹のコンキスタドール『ずっとサマーで恋してる』、MAYUKAO『幻想シャーロット』がトップ3。年が明けたらいろいろと精査するかもしんないし、しないかもしんないけど、なんせBiSHの新曲とか、完全に知らなかったくらいだからな。というか、BiSHはもう遠いところに行っちゃったから、そのまま幸せになってほしい。虹コンベストの超豪華版を買ったくせにまだ開けてもいない。アイルネのラストアルバムも同じく。
近所のスーパーに行ったら、平積みになっていた鏡餅(たぶん越後製菓)のポップにNegiccoが写っていて、心がなごんだ。

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