ちょっと間が空いてしまった。#3の答え。
9.『坊っちゃん』(夏目漱石/岩波文庫)
10.『中二階』(ニコルソン・ベイカー著 岸本佐知子訳/白水uブックス)
11.『黒い時計の旅』(スティーヴ・エリクソン著 柴田元幸訳/福武文庫)


9.
『我が輩は猫である』とともに余りにも有名な書き出し。『猫』よりも読みやすいため中高生の夏休み向け読書本としてピックアップされることも多く、その際によく「痛快小説」という惹句を目にしたものだが、それを期待して読むととんだ肩透かしを食らうことになる。
主人公の「おれ」は旧時代の人間で、ぶつぶつと愛媛松山の子供たちと新時代のスタイルとに不平を漏らし、ときたま無茶をする。話の中身はそんなところである。これを中高生が読んではたして面白いと思うだろうか。素直な子は「面白くない」と言うだろうし、気弱な子は「難しい」と言うだろうし、ちょっと小賢しい子は「(「面白い」と言った方がウケがいいから)面白い」と言うだろう。つまり純粋に「面白い」と思えるのは、(たとえ思えたとしても)もっとずっと後のことに違いない。
文章を採り上げていえば私は漱石が大好きで(もちろん中身も)、この人は江戸落語がベースになっているところがあるから(特に『坊っちゃん』『猫』はそう)、馴染みやすいし気持ちがよい。漱石も自身の「江戸ッ子」の部分を強く意識して書いたのだろうと思う。
内容については、関口夏央・谷口ジローの『「坊っちゃん」の時代』(現在双葉文庫から出版されているらしい)を読んだ方がよくわかると思う。もちろんある程度はフィクションと思って読んだ方がいいのではあるが。

10.
採り上げた文章中で、エスカレーターに乗り中二階に行くことが示唆されている。本書は新書サイズで約190ページの小説だが、ストーリーは、「エスカレーターで地上から中二階まで昇るあいだに主人公がいろいろ考える」ということだけである。この小説がすごいのは、それだけのことをいかに膨らませていくかという作者の伎倆にある。
引用には棒線が一本引いてあるが、あれは主人公がリアルタイムで考えていることの註釈であり、これがこの小説の第二の主人公であるといって間違いない。ときおり、註釈が本文を無視して数ページにわたることもある。
ただ思いついたことをダラダラと書くのは、ブログや日記だってできる。よく、相手のブログを褒めて「うまくまとめれば小説になる」というようなお追従(コメント)を見かけるが、0をいくら積み上げても0にしかならないのと同じように、ブログはブログのままで、永遠に小説にはならない。
結構笑えるので、実験小説というものを読んでみたいという方にお奨め。

11.
日本の私小説に飽きて、「なんだよこんなもんかよ、いわゆる純文学系の小説って」と思っている人は、たまにはこういうアメリカ小説を読めばいい。頭をガツンとやられることになる。私小説にありがちな、読者へのわかりやすさがまったくないからだ。
かといって意味不明でもない。絶対にたどり着けない場所で確実にひとつの世界が構築されているのを眺めさせられている気分に陥るだろう。小説内においてその強固な世界は、われわれが住んでいる世界とは完全に別物だが、確実に存在している。これが世界小説の途方もないところなのだ。
と言いながら、十数年前に読んだためこの小説の細かいところは覚えていない。ただ、ふたつのアメリカが出てきたはず。アメリカA とアメリカB。そういう物語なのだ。
なお、本文庫は絶版だが、同じ訳者で白水uブックスから出版されているらしい。興味があれば。

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