旦那「ええと、どこまで話したっけ?」

幇間小説の書き出しを書いたところまでです。それと、」

「それと?」

「あたしたちがふたりで話すことになったきっかけですね。もともとは上方落語の『東の旅、発端』のあの調子を真似たかったんだが、そうなると大阪弁を書かなくちゃならないってことで断念したってことを話していました」

「嘘つけ。そんなこたァ言ってねェよ。ともかく、ちょっと真面目に行く」

「はい」

「まず、前回の小説だが、あれは柴崎友香『きょうのできごと』(河出文庫)の書き出しだ」




きょうのできごと (河出文庫)

きょうのできごと (河出文庫)




「ほう」

「知ってるか、柴崎友香?」

「いいえ」

「実はおれもほとんど知らないんだ。なにかの雑誌だったか、この柴崎さんが『ジョジョ』のファンだということを知ってたが、その小説は読む気はしなかった。たぶん、せっかくのジョジョファンの小説を読んで失望するのがいやだったからだ」

「なぜ、がっかりすると思ったんです?」

「わからない。これはまた別のところで話すことになると思うが、女の人の小説を読んで完全に腑に落ちたためしがなかなかねェんだ」

「そりゃ男ですからねェ」

「そんな簡単な問題か? たぶん男でも女の人の小説に共感を持てるやつはいる。反対も然りだ。だが、おれはどうも女の人の心持ちに寄ったというのかなあ、女の人らしさが匂うような小説というものをうまく読めない。女の人がハードボイルドを苦手とするというのも一種の俗説かもしれねェが、でもそういうのとちょっと似ている気がする」

「ふうん。本は本で、作者の男女の別というのはあまり関係ない気がしますがねェ」

「よけりゃあ、笙野頼子の『水晶内制度』を読んでくれ」




水晶内制度

水晶内制度




「今度読んでみます」

「男と女というものをきちんと設定しない限り、進めない部分もたしかにあるんだと思う。きれいごとじゃなくて、男と女はやっぱりあるんだ。でもまあ、今回はそのこととはまた別だ」

「はいはい」

「その前に、もう一度、例の書き出しを引用してみる」




光で、目が覚めた。

右側から白い光が射していて、中沢が窓を開けて少し身を乗り出すのが黒い影で見えた。白くて強い光だったから、一瞬、朝になったのかと思ってしまった。たぶん、京都南インター・チェンジの入り口で、窓の外では、金属の四角い箱の縁に光が反射していた。中沢はその箱の中ほどから小さな紙を取り出し、少しも見ないままそれをズボンのポケットに入れた。わたしは座席に深くもたれたまま、その作業を眺めていた。いつ眠ったのか覚えてないけど、ずっと頭を垂れて寝ていたみたいで、首の左側にシートベルトが食い込んで、ちょっと痛かった。触ってみると耳の下から斜めに跡がついていた。その跡を撫でながら、小学校のときから知っている人が、こうしてお父さんがするような車の運転や高速道路の乗り降りをなんのためらいもなくしているのを見るのは、妙な感じがするもんやな、と思った。




「はい、これですな」

「この河出文庫版は、解説が保坂和志が書いている。そこにちょっと興味があった」

保坂和志はあたしも知ってます。いろいろと書かれてる方だ」

「大雑把な言いようだな。その解説では、『不思議な緻密さによって小説が運動している、その緻密ぶりが面白い』例としてこの書き出しの部分が挙げられている」

「『面白い』って言ってるのは、保坂さんですね?」

「そう。で、この書き出しを一行、一行取り上げて細かく分析しているのだが、それは煩瑣なんで割愛するぜ。その分析のあと、保坂和志はこう書いている」




私のこの説明を読んでも、たぶんほとんどの人は「だからどうしたの?」としか思わないだろう。

「だって、まんまじゃん」とか、「全然ふつうなんじゃないの?」と思った人もいるだろう。しかし、これが全然普通ではない。だから私はわざわざ太字にして要素を強調したのだが、ワンセンテンスごとに見たり感じたりする対象が代わり、自分の気持ちもそれにつられて変わっていく――という、このとても機敏な動きの連続は、一見日常そのままのようでいて、本当のところ現実の心や近くの動きよりはるかに活発に構成されている。この書き方ができる人は、ほんのひとにぎりの優れた小説家しかいない。




「すごい褒めようですね。絶讃ってやつだ」

「そうだな。でも、おれは最初に読んだときとおんなじで、この解説を読んでも、やっぱり『全然ふつう』と感じたんだ」

「まァそういう人もいるでしょう」

「なんだ、やな言い方だな。師匠はどう思ったんだ?」

「あたしはやっぱり、人の言うことに流されやすい質ですからね、しかも相手が立派な作家先生ともなれば、言うことを頭っから信じちゃいますね」

「信じる信じないじゃなくて、感じる感じないの話だぜ」

「だから、感じます感じます。小説が運動しているって感じがしますよ、たしかに」

「ほんとかい?」

「ほんとです。ありふれた、単純な風景描写じゃなく、風景の中にきちんと人間がそこにいて、なにかやってる、そういうような感じが、言われてみればたしかにします。なんと言いましょう、直線的じゃない、並列風に描かれているってんでしょうか」

「なんだ、師匠。言うときゃ言うね……ふうん、そうかい。おれは感じないんだなァ」

「と、言いますと?」

「小説の動きってやつがだよ。というより、それがどうしたって気がするんだ」

「お、ちょいと危険な匂いがしますね。あたしはね、こういう稼業でしょ。危なっかしいことにはすごく敏いんです。旦那、今からあんまり好ましくないことを言おうとしてんでしょ?」

「そうだよ。次の文章も引用しておく。保坂和志の解説のつづきだ」




この機敏な動きは導入部分だけでなく、この小説全体で止まることがない。だからそれに気がついた――つまり、それを楽しむことのできた――読者はきっと、一見簡単でするりとした外見(つまり「筋」)にもかかわらず、読むのに案外時間がかかっただろう。気がつかなかった読者は(だいたい感傷的な展開しか期待しないタイプの人たちだから)、「なに、これ」としか思わなかっただろう。

(太字強調は引用者による)




「なるほど、てことは、旦那は『感傷的な展開しか期待しないタイプ』てわけですね」

「はっきり言うね。まァ、保坂和志にかかればそういうことになる。でも、この文章を読んでも、それがどうしたという思いは消えない」

「いよいよ、危険だ」

「おれが感じたのはね、こういう『小説の運動』なんてェことにかまけているから、この『きょうのできごと』という作品が、もっと大きなものを見失っているという感じがしたんだと思ったんだ。いや、『小説の運動』とかなんとかてェのは、保坂和志の解説だから、肝心な柴崎友香がなにを考えてこの『きょうのできごと』を書いたのか、実際のところはわからねェけどさ」

「ちょ、ちょっと落ち着いて旦那。別に立ち上がらなくてもいいんだから」

「分けて考えてみると、まずおれはこの『きょうのできごと』というものを、まったく面白いと思えなかった。それには、ひとつは女の人の心理みたいなものをあまり理解できないからじゃないか、という譲歩もおれの中にはあるんだ。それはあくまでも譲歩であって、本当はそういうこととは無関係だと思ってるがね。で、もうひとつは、好き嫌いの話でもあって、単に好みに合わなかったんじゃないかという見方もできる」

「あたしは結局そっちの方だと思いますよ。旦那が単に、この人の作品を面白いと思わなかった、そんだけのことでしょう」

「そう。おれもそう思ってる。だから、この作品については、最後の章がちょっと面白い仕掛けになっているということを除けば、おれの好みに合わない、の一言で済んだ話なんだ」

「あ、ちょっと褒めどころはあるんですね、あァたの中にも」

「そうだよ。最後の仕掛けだけは、小説らしいというか、小説でしか表現できないような仕掛けがあるから、おれはそこだけは『お』と思ったんだ。そうそう、この作品、映画にもなってるぞ」

「そうなんですか?」



「おれはね、この予告篇を観ただけでもうおなかいっぱいになったよ」

「そうですか」

「辛いんだよ」

「そうですか」

「苦しいんだよ」

「そうですか……ってあァた泣いてるじゃないですか」

「もうね、これほど趣味に合わないだろうなってことがわかる予告篇もないなと思ったよ」

「そうですか。でも映画は映画ですからね」

「ううん、それがちょっと関係もあるっちゃあるんだ。でもこの話はここでやめとこう」

「ふうん、なんだかあるんですね」

「ちょっとな。で、話は戻るけど、柴崎友香のことは、まあ『好み』で片付けられたんだが、もうひとつの保坂和志の批評がおれにはちょっと気にかかった」

「はいはい。つまり、読み方が浅いと指摘された旦那としては、ってことですね」

「そう。この『感傷的な展開しか期待しない』っていうのが、引っかかる。おれ自身はそういうふうに考えてないけど、でも、『感傷的な展開』を期待しちゃいけないのか、っていうふうに反撥が起こる」

「ま、当然そうなりますわな」

保坂和志自体、いろいろと理窟をこねているけど、その小説で本当に面白いと思ったのは『カンバセイション・ピース』で、その感傷的な部分でおれは感動したんだけどな」

「あたしはそれを知らないんで、なんとも言えませんが」

「小説を読んでいるとき、多くの読者は、『小説の運動』というものに着目して読んでいるわけじゃないと思うんだ。これもまあ『好み』で括れる問題じゃああるんだが、最終的には、保坂の言う『小説の運動』を引き起こすものが積み重なって表現された総体を、感得してるんじゃないかと思う」

「でも反対に、『多くの読者』のためだけじゃないですよね、小説は?」

「師匠の言いたいことはたぶんわかる」

「あたしは読んだわけじゃない。読んだわけじゃないが、この保坂和志の言いたいのは、すぐに感情を揺さぶるようなものの中にだけ、小説のすごさはあるんじゃない、とこういうことじゃないんですか?」

「ふむ」

「感傷的な展開というのは、言い換えりゃ『わかりやすさ』ってことかもしれない。ね? そういう『わかりやすさ』ばっかりに引っかかってちゃならないよ、とこういうふうに言いたいわけなんじゃないでしょうか」

「師匠は、ときどきまともなことを言うね。ううん、そういうことも一理あると思うんだが、おれはやっぱり『好み』というものを大前提にして、それでも、細部に拘泥しているのは、『文学の砂場遊び』にすぎないんじゃないかって思ってるんだ」

「あァたはときどきその言葉を持ち出すね」

「文学、特に純文学てェジャンルは、大衆のためにあるわけじゃない。大多数の欲求を満たすためにあるわけじゃない。それはおれにもわかっている。だけでも反対に、一部のマニアが喜んでいりゃいいってもんでもない、とおれは考えてるんだ」

「ふうん」

「そんなとき、『なに、これ?』としか思えないような小説を持って来て、この小説の良さはこれこれこういう部分にあって、と解説してくれるのはいい。でも、最終的に、その小説がどこへ連れて行ってくれるのかってことまでを、保坂和志が保証してくれるのかっていうと、これはしてくれねェと思うんだ」

「保証、ですか。これまたもっと難しい話だね」

「小説は、『ためになる』とか『役に立つ』とかいうものとまったく別次元にあるもんで、極論を言やあ、ためになんなくても、役に立たなくてもいい。そんなこたァどうでもいいんだ」

「なるほど、そこがハウツウ本とは違うよってことですな」

「小説の評価のポイントは、実用性にないってことだ。だから、小説は小説独自の進化の方向があるとおれは思ってる」

「ふんふん」

「その進化している小説の中には『進化の分岐を広げる』っていうのもあるんじゃないかと思う。それはふたつの意味であって、ひとつは、今まで『これしかない』と思っていた表現を拡張するもの。たとえば、村上春樹片岡義男なんかが、アメリカ文学の翻訳ものから影響を受けて新しい文体を作った。これは今までの日本文学にはおそらくなかったことで、大袈裟に言やあ、それによって『日本人が考えること』の幅も広がったんじゃないか、とおれは考えてる」

「よりクールに、よりドライに、って感じですかね」

「他にも細かいことを言えばいっぱいあるだろう。町田康が日本の小説に持ち込んだものも結構なものだと個人的には思ってる。落語や講談に影響を受けたようなあの文体もやっぱりすごい。ここから、舞城王太郎川上未映子が派生しているとおれは思ってる。舞城は舞城で、清涼院流水あたりとすごいことをやっている。おれは、そっちがやっている方をより評価する。『小説の運動』なんかという、おれにとっちゃ瑣末なことよりももっとダイレクトでダイナミックな広がりをやっているように思う」

「でも、派手さだけが小説の売りじゃありませんよね? 保坂和志が評論なんかで言っているのも含めて、それもやっぱり進化の方向を加速しているわけでして」

「そうそう。保坂和志はどちらかというと評論の方が素晴らしい。『カンバセイション・ピース』も傑作な反面、それこそ風景描写のところでぎこちなさを感じた。すごく意識して描かれているようで、そこにすごく妙な引っ掛かりを覚えた。保坂が言っているような意味で『読むのに案外時間がかかった』のではなく、単純な読みづらさだったように思う。しかしそこにも一種の譲歩みたいなのがおれの中であって、その読みづらさがやっぱり小説の根幹をなしているような気もする。大雑把な言い方をしてしまうけど、小説の評価のポイントとして再読可能性があって、『一度読んだらおしまい』じゃなくて、何度も読まなければならなくなるような作品こそ優れた小説なのかなとおれは思ってる。けれどもそれもちょっとここじゃあ脱線の話になる」

「ちょっと話を整理してください」

「師匠の『小説は派手さだけじゃない』というとこに話を戻すと、たしかに見た目の珍奇さ、目新しさってェものは長い目で見りゃたいしたことない。長い目で見るっていうのは、こと藝術に関しちゃ当たり前の話だからな。作者は数ヶ月で賞味期限が切れてしまうようなものを作ってるはずはないから。そこがエッセイやブログなんかと小説がまるっっきり異なる部分だとおれは思ってる」

「小説を長い目で見るとどうなります?」

「時代環境の影響をある程度差っ引いても残るものを考えるとするならばだよ、地味かもしれねェが、小説全体を進化させるような試みはあってしかるべきだたァ、おれも思ってる」

「ふむ」

「だけども、さきに言った『分岐を広げる小説にはふたつの意味がある』のもうひとつだが、それは、ただ『分岐を広げる』という目的にだけ特化したもので、これはまたこれで、短期的視点に立った取り組みだと思ってる」

「旦那旦那、どうでもいいけどあんまり東京言葉じゃなくなってますよ、ずいぶん書き言葉になってる」

「そうか、すまねェ。『いままでこれをやった人はいなかったろう、じゃあ、おれがやってみよう』という目的だけで取り組まれたもんとしては、たとえば猫田道子の『うわさのベーコン』なんかを思い出すけど、あの小説のことを取り上げる人はもうなかなかいないように思う。だいたい猫田って人はあのあと書いているのか? 高橋源一郎だかがすごい褒めようをしていたから読んでみたんだが、なんというか、『一発屋』の印象を拭えなかった」




うわさのベーコン

うわさのベーコン




「うわさのベーコン、ですか」

「もちろん、柴崎友香のものは『一発屋』の雰囲気は感じられねェが、かといって、保坂和志がふだん言及しているカフカベケットに近づくものかというと、そうじゃあないだろう」

「そうですか、きちんとしている雰囲気はあるように思いますがね」

「おれがきっとヘンに固執するのは、ストーリーに不満があるからで、文章だけを取ってみればおれがぎゃあぎゃあ言ってるほどのものはないんだと思うよ」

「あ。自分でぎゃあぎゃあ言ってるの自覚してるわけね」

「この『きょうのできごと』にあるのは、あまりにも当たり前の、しかもどちらかというと若い幸せな人たちの物語、とも言えねェような筋立てで、それのどこを取り上げれば小説の進化を推し進めるんだよ、という怒りが、おもに保坂に向けられたものとしてあるんだな、きっと」

「だから、引用したような、ええと、『不思議な緻密さによって小説が運動している、その緻密ぶりが面白い』ってことなんじゃないですか?」

「ううん、それが取りようによって変わってくるんだな。その『面白い』はただの『文学の砂場遊び』じゃねェのか、ってのがおれの意見。『砂場』で仲良しこよしで遊ぶのは構わねェけど、それがなにに発展するんだっていうのがおれの批判のポイントだな。『発展』っていうのは、言っておくけど実用性とはまったく違う意味だからな」

「それはわかってますけど」

「ただ、そういうおれみたいなツッコミに対して、『砂場遊び』だっていいだろう、という意見もあるだろう。よかねェとおれは思ってるんだが……ちょっと話が長くなりすぎた。この次は、『小説らしさを構成するもの』てェことで、少し実例を挙げようかと思う。批判してばかりじゃつまらねえから。ただ、今のところそんなに思いついていないけど」

「どうでもいいけど、旦那の話は長くてくどいね。こりゃあ、ご婦人方にモテねェわけだ」