虫の知らせか、もう2ヶ月以上聴いていなかった朝のラジオ番組をつけると、「訃報です。昨日、上方落語家の笑福亭松喬さんが亡くなられました」

笑福亭松喬については、1月に行った「上方落語をきく会」についての記事に書いた。



末期がんになり、そこから「奇蹟」といわれる復活を遂げ、みごと高座に復帰していた松喬だが、6月の高座を最後に体調を崩し、そのまま亡くなったという。

番組では、「笑福亭の真髄を伝える芸を一番有していた」と紹介されていたが、私は、6代目笑福亭松鶴をはじめ笑福亭の落語をあまり聴いたことがないので、その「笑福亭の真髄」が指しているものがどういうものかはわからないし、松喬じたいの噺もほんの数えるほどしか見聴きしていないのだが、その数少ない視聴においても、名人芸だなあと思わせるものを持っていた。

番組では、復帰してからゲストとしてやってきたときのトークが再放送されていたが、その中での言葉が(リアルタイムで聴いたときも同じように感じたが)印象的だった。

「奇蹟は起きやしまへん。これはもうハッキリと言うときます。けれども、奇蹟を起こすことはできるんです」

この言葉だけをとらえ、そして、その経緯を知らずにただただ結果だけを知った人のうちには、「なんや、奇蹟なんてやっぱり起こらへんのや」と思う人もあるかもしれない。たぶん、そういうことを簡単に思ってしまうのは、若く、まだ苦労をしたことがない人たちだろう。

しかし、私はそうは思わない。

医者に見せたときには、「早く会いたい人に会っておきなさい」と言われたほどの末期の肝臓がん。それを治療することを選択し、そして病床においても稽古を怠ることをしなかった松喬。彼が、前年に無念の休演を余儀なくされた「上方落語をきく会」に、その翌年に出演しただけでなく、そこで新ネタを披露し、それだけにとどまらず、その後、一門会や独演会を意欲的に開催したことは、じゅうぶんに奇蹟だと思う。

享年62。ほんとうに残念だ。



落語『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』では、地獄の目抜き通りに寄席があって、そこには歴代の名人たちが毎日高座に上がっている、というくすぐりがある。

米朝の噺では、新入りの亡者が出演者の札に「米朝」の文字を見つけ、「あれ? 桂米朝はまだ死んでないはずじゃ?」と訝ると、古株の亡者が、「よう見てみなはれ。下に小さく『近日来演』の文字があるやろ」と言う。それに新入りが納得し、「あ、なァるほど、もうすぐ死ぬというのを知らんと、今頃、落語してるんやろなあ」と笑う、というギャグが私は大好きなのだが、本当にそんな寄席があればいいと思う。

雑談に興じる寄席の楽屋では。

枝雀「それにしても、うちの師匠(米朝)はまだ来はらないのカナ? 『来る来る』言うてだいぶになるけど、来はって、『おお、枝雀、久しぶりやないかいな。元気しとったか?』言うたら、『おい、米朝。お前さん、なに言うてんねん。ここ地獄では、死んだ者順に序列が決まってんのや。あんさんは、わたしの弟子扱いになるんやで』と一発洒落をかましたろう思てますのや」

談志「おうおう、やってやれ。米朝さんも目ェ白黒させるぜ」

志ん朝「そうなると、談志兄さんも、あたしの弟子ってことになりますよ」

談志「そこはまあ、アレだ。いいってことにしといてくれよ」

枝雀「けれども、うちの師匠やったら、『おお、さよか』ってすぐに納得しそうや」

そんな冗談で興じる中を、新入りの松喬がおっかなびっくり楽屋を訪れます。入り口に立って、松喬、声をかける。「あのう、すんまへん」

そんとき楽屋の端の方にすわって圓生と話していた6代目松鶴が、声に気づいて、立ち上がって迎える。「おお、よう来たな、鶴三(かくざ: 松喬の前名)。待っとんたんや」

他の連中も、いったん話を止めます。談志が「なんだ、笑福亭か。うちの志らく談春も早く死ねばいいのに」と言いまして、8代目文楽の隣にいた志ん生が「冗談言っちゃいけねェ」と言い、馬生・志ん朝が笑い、まだまだ大勢の人間がいる楽屋では雑談が再開されます。わーわーわーわー、やかましゅう言うて盛り上がります、この連中の陽ォ気なこと。