ちょっと確認したら、やっぱりあいつは生きていた。どうであれ、生きていてよかったんじゃない? 語尾が疑問形なところに、僕の気持を読み取ってください。


それより、前のブログに、くだらないコメントを「匿名」と名乗って書いてきたやつがいて、たくさん言い返したいことがあったのだが、そもそもそういう便所の落書きコメントを残すやつって、だいたいがアホだから、アホでどうしようもないから、なにかを言い返したって無駄だし、そもそもそいつのような、センシティブなものを差し出さずになにかを言おうと思っているやつ*1には、徹底的にやり返してもいいというのがうちのムラの掟なので、削除してやった。
そうしたら、下のようなダイアログボックスがでてきた。

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もちろん、「今後、この抜作野郎からのアホみたいなコメントを拒否する」にもチェックを入れておいた。

ただ、文章としてコメントは消えたけれど、「書かれたこと」そのものが僕の中でけっこう残っている。そいつが匿名で偉そうに抜かしていたことは、ぜんぜん的外れだと僕は思っているんだけど、そのこととは別に、気が重くなってしまっている。

おそらく「読むだけ人間」っていうのは山ほどいて、別にそれじたいは悪いことじゃないのだが、ときどきそいつらが偉そうに意見を言い出すことがむかつくのであって、おいおい、おまえはおれと同じ土俵にすら立っていないんだよ、ということや、おまえが数分で数行だけ書いたコメントの本文に、少なくともおれは何時間か費やしたんだぜっていうことを言いたいのだけれど、言えないし、たぶん言ったって通じない。

こういうのを読むと、深夜、生ごみをきちんと処理していないシンクの三角コーナーにゴキブリが発生するように、「スルーできないなんて」とか「世界に向けて公開しているんだから当たり前」とか言い出すやつが出てくるんだけど、とりあえずそいつらには界面活性剤を原液でかけてやるから、安心して窒息し、七転八倒の苦しみを味わってくれ。

はっきり言って、価値観や育ってきた環境、それから体験してきたことがまったく違う人間にわかってもらおうと思って書いていないのだ。どちらが正しいとか誤っているとかではなくて、違うのだ。なぜそのことがわからないのだろうか。その便所の落書きコメント野郎は、それが「わからない」ということによって、その愚かさを証明してしまっているわけだけど、そういう愚かしい人間を拒否する機能は、いまだ発明されておらず、おそらく今後も発明できないだろう。
そして、意味のない疲弊した感情だけが残る。なんだこりゃ。

きょうはいろいろと書くことがあったのに、気力が奪われてしまった。

*1:つまり、ブログなりなんなりの、自分の意見を発信するプラットフォームを持っていないということ。