冗談のつもりなんだかどうだか知らないけれど、タモリはミュージカルを嫌いだと公言し、その理由を「だって、いきなり歌い出すんだもん、おかしいでしょ?」としていた。ミュージカルに馴染みのない人であれば、「そうだよねえ」と思うのかもしれない。でも、僕はその批判の仕方をフェアに感じない。
単純に、性に合わないとか好きになれないというのならわかる。それなら「好き嫌い」という単純な話になってくるからだ。
ただ、ミュージカルを、「いきなり歌い出す」という点で批判するというのは、ミュージカルの、いうなれば「ミュージカル性」を批判するということだ。僕はミュージカルについてまったく詳しくないというのにこれを書いているのだが、ミュージカルとは、台詞部分を歌で代替し表現することがある、と定義することができると思う。その根本の部分について批判するというのは、かの音楽劇をよほど研究し、その結果、表現藝術のひとつとして認めることができないと結論づけた、ということを意味するはずだ。もし批判者にその意図はないというのであれば、批判態度を改めるべきだと思う。

人間個人について、先天的性質(背が低いとか肌の色が黒いとか)を取り上げて批判することが卑怯なように、ある表現藝術に対して、根本の部分を取り上げて批判するのは、非常に卑怯な態度である。
詩を「わけわかんない言葉を並べているだけ」とくさしたり、俳句を「十七文字でなにが言えるの?」と貶したり、絵画を「写真を撮ればいいじゃん」と茶化したり、小説を「中二病」とこきおろしたり、そういうことを言ったり書いたりするやつは、はっきり言ってクソだ。そう言って悪ければもうちょっと品よく言って排泄物だ。そいつの撒き散らす悪臭が世の中をどんどんと耐え難いものにしていく。僕は、そういうやつらにこそ言いたい。「おまえの存在じたいになんの意味がある?」と。そして同時に、かつて笙野頼子の評論集かのオビにあった文章を思い出す。「文学に意味はないというお前に意味はない」。この文章内の「文学」は、他の多くの概念に代替可能だ。

僕は後期村上春樹作品を好きではないが、それでも、彼の作品の「表現」のいちいちを取り上げてあげつらうのは、下の下の所業だと思っている。ところが、最新作『多崎なんじゃらほい』に対するアマゾンのある「下の下の所業」レビューが「好評」を博し、あろうことか、そのレビュアーの戯言集(ハルキ作品レビュー集)が今度出版されるというニュースを知った。
実は僕は、そのレビューを読んでいない。『多崎なんじゃらほい』が出版されたあとにちょっと話題になったので、ちらちらと読み始めてはみたものの、数行目で「愚の骨頂」と判断し、それ以降は読まなかったのだが、そこに感じられたのはワナビーの嫉妬・怨嗟・憎悪でしかなかった。それについてワイワイと盛り上がっていたのは、(喩えにもなっていないが)喩えるなら、ビートルズを前にして「こんなのだったら、ぼく/わたしにもできるよ!」と言って歌い出した子どもを、「そうだそうだ、この子の方がうまいぞ!」と囃し立てるのと変りない。
ちなみに、最近ハルキをネタにして記事を書いていた人がいて*1、この人がハルキファンだというのに、このレビュアーの文章を読んで笑えた、みたいなことを書いていて、ははーん、ここでファンなのに怒らない、というのが「見て見てブログ」の秘訣なんですな、と思ったのだが、いや待てよ、余裕こいて「ははーん」とか言っている場合じゃないぜ、この似非ファンの代わりになって、ハルキのために怒らにゃならんと思い、早朝、眠気と戦いながらキーボードをタイプしているのである。


ワタクシも、いろいろな記事にいろいろな意見を書いているので、矛盾なんてしょっちゅう、自家撞着なんて当たり前なのであるが、人の価値観は多種多様でありそれらは互いに認められなければならない、とは思っていつつも、真のファンであるならば、その作家の作品が貶されたら怒れよ、と思う。自分が好きなものを貶められて、そうですよね、そういう見方もありますよねとか言ってんじゃねえよ、と傍から見ていて、自分にはまったく関係がないのに腹が立ってしまう。
阪神ファンが、阪神ファン以外に阪神を貶されて、「ハッハッハッ、せやなぁ」と笑っているだろうか。
繰り返しになるが、他人は他人、自分は自分である。それが第一の基本原理である。しかし、口に出したり書いたりするのは別として、せめて、腹の底では「このクソガキゃ、なにぬかしやがる!」くらいの心意気は持っていてほしい。それが本当のファンというものだろう。「ファンである私も、思わず吹きました」って、勝手にオカリナでも吹いていろよ。それはファンじゃねえ、ただのミーハーだよ。

僕は村上春樹のために怒っているようだが、本当はもっと違うもののために怒っているようにも思う。
批判するだけなら中学生にもできる。彼らは失うものがないから、いつも好き放題言うことができる。人間が、場合によっては何百年という時間をかけて築き上げてきたものを、僕は、そういった中学生みたいな連中に易々と手渡したくない。べたべたと触りまくって手垢まみれになったもの指して「ほら、こんなに汚い」と嘲笑うのを、また拾い上げてきれいに磨き上げたい。彼らががやがやと騒々しく去っていくその後ろ姿に、いつまでもいつまでも呪いをかけつづけたい。

*1:こいつもすげー過剰なタイトルをつけていたことがあったから、それ以来嫌いで、その記事も最初のさわりの部分で脱落した。というか、プロフィールに書かれていることからして、かなり辛い感じ。