ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

とうとう始まった。雨はほとんどやんでいた。
劇場、というか舞台は、正方形の木製の小舞台(面積は六畳くらいだろうか)が均等に四×四の計十六台並べられていて、それを、劇場の左右にあるそれぞれ五つの入り口から伸びた通路が区切っている。それが格子の「横」の線だとすると、当然「縦」もあって、僕のすわった席からだと見渡しにくかったのだが、おそらく四本以上、数の理窟からいえばやはりこちらにも通路が五本走っていたんじゃないかと思う。
あとでわかるのだけれど、この木製の小舞台は大阪の川に浮かぶ島がモチーフとなっている(はず)。始まりはどうであったか。
まず音楽があったように思う。大音量のリズムに乗って白い帽子、白い服、白い短パン、白い運動靴を履いた白塗りの子どもたちが、前述の通路を駆ける。
横五列の通路を「白い子どもたち」が全力で走り、そのうち、縦側の通路からも「白い子どもたち」が今度は規則的な踊りをしながら、登場する。視線が定まらない。焦点をどこに置けばよいのか。音楽が鳴る。子どもたちのステップが、リズム・ビートを奏でる。さきほどまで降っていた雨のせいで、通路にわづかに溜まった水たまりが照明の光を反射する。そのうえに子どもたちが走り、水しぶきがあがる。なにかしゃべっている。子どもたちがなにかを唄いだす。正確には聴き取れない。歌というより、言葉だ。単語。文字の羅列だ。意味はなさそうだが、おそらく全体的に並べていけば意味が通じる言葉の群れ。音。ステップのリズム。刻まれるビート。照明の光。
いま、目に見えるもの、耳に聞えるものをすべて記憶したい。ひとりの子どもの動きを追っていけば、当然、他の存在は霞んでしまう。十数人が不規則に動けば、そのなかでも動きの規則性を探そうと俯瞰を心がけてしまい、そのために、個々の動きの把握が曖昧になってしまう。たとえば平田オリザや長谷川孝治の芝居のように、維新派の舞台上でも同時多発的にいろいろなものごとが発生している。平田はこの手法をリアリティのためと書いていた。もうちょっというと、世界ということなんだろう。
目の前にある世界で起こっていることを、すべて知覚することはできない。人間の知覚に限界があるからだ。「複製技術」を用いてストップ・リヴァース・リプレイ、をするのでなければ、目の前に起こりつつあるものは選択して知覚せざるを得ない。音を聴く。言葉を聞き取ろうとする。ステップを眺める。振り付けの意味を読み取ろうとする。そのあいだに時間は流れ、選択されなかったものについては、知覚の機会を永遠に失ってしまう。それにくわえて、記憶の能力にも限界がある。せめて目に映ったものを。せめて耳がとらえたものを。個人差はあるだろうが、僕はどんどんと忘れていってしまう。そしてこちらの忘却など知ったことないと、目の前の踊りや口誦はより複雑になっていく。たとえば、僕は、「誕生日」という言葉をとらえる。いま、そう言ったのか、本当に。誕生日と?
そして、日付が次々と無機質に読み上げられていく。ああ、そうだ。やはり誕生日と言ったのだった、と記憶を新たにする。現状の知覚への意識を弱めて記憶の整理をするあいだもなお、日付は唱えられる。「九月十一日……三月十一日……一月十七日……」、これらは僕が記憶できただけの数字。無機質な、本来、それじたいではなにも意味を持たないはずの数字が、聴いている僕にものすごい意味をもたらせる。それでは、他の日付にもなにか意味があるのでは? 僕の思い出せない、あるいは僕の知らない重要な日付を僕は捉えそこねたのではないか。そんなこととは関係なしに、時間はどんどんと進んでいく。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

聴いているうちに、十六人の床を踏みつけるビートで僕も思考するようになっているのかもしれない。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

次々と左右を駆け抜ける白い子どもたちが、キリコのあの絵(これくらいしか知らないのだが)を思い出させる。

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ジョルジョ・デ・キリコ『街の神秘と憂鬱』

たしかルパン三世の映画(といっても実写ではない)にこのイメージが用いられているシーンがあったと記憶しているのだが、実体を持っていないなにかの象徴として、子どもが物陰から物陰へと走り抜けていくのは、どこか夢のようでもあり、どこか死を匂わせもしている。やがて、「ひつじ」という名の女の子が登場し、「がたろ」という男の子が登場する。
大阪弁で「がたろ」といえば、これはもう枝雀ファンであれば『代書屋』を思い出すことだろう。主人公の松本留五郎の職業が「がたろ」。川底を「ごーそごーそ」漁る仕事。下の動画の20:00あたりで出てくる。


このふたりの登場から物語はゆっくりと始まりを見せるのだが、それでもあからさまな展開はない。
通奏低音としてミニマル・ミュージック風な音楽が流れつづけ、白い子どもたちが左右だけでなく、縦横にも、規則的に踊りながら移動し、あいかわらず視点を定められない。子どもたちの唄う言葉は増えていくので、そのイメージを観客は(たぶん)必死で紡いでいく。ここには、便利な「テロップ」も「まとめサイト」も「yahoo! 知恵袋」もない。わかりやすいガイドには頼れない。思えば、日常で周囲にあるのはわかりやすくパッケージされたものばかりである。斎藤環の解説にも「比較的読みやすい」とされていた中上健次『十九歳のジェイコブ』ですら相当手こずっていた僕は、わかりやすさに浸りすぎていたのかもしれない。自身の知覚を総動員し、しかも瞬間も休むことなく、世界に対峙していかなくてはならない。
もちろん「世界」とは大袈裟だが、眼前にある舞台は、少なくともこれまで僕が体験してこなかった世界であり、僕の予想もしなかった世界である。
僕は『透視図』という舞台を観ながら同時に、藝術というものの本来の性質を痛感していた。つまり、受け取る側の価値観の根底を揺さぶるというあの性質のことである。
ごくごく単純に言うと、僕は目の前で起こっているのがいったいなんなのか、わからなかった。ある知識ひとつをとって、これは知らなかった、ということは日常生活においていくつもある。しかしそれはほんとうの意味での「わからない」ということではない。現時点ではその知識体系についてなにも知らなくても、ひとつひとつの基礎的な知識を積み上げていった先にその解が得られるのなら、それはわからないということにはならないのではないか。
僕の感じた「わからない」というのは、いくら知識を積み上げていっても、現在自分の持ち合わせている価値観をどこかで変容させない限り、理解できない対象についての認識である。
「わからない」場合、「なんだこれは!」という一種の不快感が生じる。理解できないということは不安をもたらすからだ。
いわゆる「ウェルメイド」と呼ばれる作品であれば、こちらが期待してしまう一定の展開や一定の演出に沿うので、場面ごとのサスペンスについては不安にさせられるものの、鑑賞者は無意識に展開や演出の枠組みというものを頭のなかに想定しているので、根本的な不安に陥ることはない。
しかし、維新派の舞台を初めて観た僕は、枠組みを想定することもできないし、目の前にある細部についてさえ不正確に心もとなく把握しているだけである。
腹を立て、「なんだこれ、わかんねーよ!」と投げ出すのは簡単である。また、「わからないことは、わからないままに」と保留するのも簡単である。前者はたいていの場合、努力の放棄であるし(僕もよくやる)、後者はたいていの場合、その「保留」が解除される機会は永遠に来ない(これもよくやる)。僕は上で「世界に対峙していかなくてはならない」と書いた。「直面」ですむようなところだが、あえて「対峙」とした。対決するのである。目の前の表現に対して、立ち向かい、わからなければわからないなりに、理解しようと努力するのである。
いままで蓄積してきたつまらないカテゴリーになんとか当て嵌めるという単純作業を選ぶのではなく、価値観の変容を迫られ不安を感じながらも、新たな枠組みを自分の考えでゼロから構築するのである。五感をフル活用して!目の前にある舞台は、まさしく、きょうここにあるもの、として存在していた。何度も何度も稽古を重ねて「再現率」を高めた演技を見せるべく存在する閉鎖空間としてではなく、もっと開かれた、大仰に言えばたった一回しか存在しない場、固有の力を持った場として、それは僕たちの目の前にあった。
劇中、舞台の向こう側、つまり川の上を大きなカラスが左から右へと横切った。十分ほどして、おそらく同じカラスが右から左へと戻って行った。もちろんこれらは演出などではなく、自然の風景である。
一度だけ上空高くをジェット機が飛んで行った。バイクのけたたましいエンジン音が聞こえたことも二度ほどあった。雨は遅れに遅れた開場時間まで降っていたが、それ以降はほとんど止んでいて、観客の多くは、レインコートのフード部分を途中で脱いでいた。そういう偶然性に満ちた諸々を排除する閉鎖空間ではなく、反対に、偶然のために解放された開放空間のなかにわれわれはいた。演者も観客も。
といって、演技の方はアドリブなどはおそらくなく、完全にコントロールされていた。そういうアンバランスさも、僕たち観客の五感に影響を与えたに違いない。僕は、視覚聴覚のほかに、嗅覚や触覚も意識していた。右隣の女性からはスイカやメロン系統の芳香が、左側の男性からはアルコールの臭いがそれぞれ漂ってきて、僕の前で合わさっていた。もっともそんなことを言っている僕だって、パクチーとナンプラーの薫香を吐き出しているのかもしれなかった。おじさんのアルコール臭さはともかく、女性のつけた香水の香りをまた違う場所で嗅ぐことがあれば、僕はきっとこの公演を思い出すだろう、と思った。
また、何度も書いたが、演者たちの踏み鳴らすビートが、空間を伝わって鼓動として僕の身体に響いていた。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

その場にいること。これが舞台鑑賞では非常に重要なのである。
いままでコンテンポラリーダンスの舞台は、テレビで何度か観たことがある。深夜のBSだかをリアルタイムかあるいは録画で「ああ、なるほどぉ、こんな感じなのねえ」などという感想を漏らしながら、だらだらと集中せずに観ていた。
そんな気の抜けた体験しかできなかったのは、僕の理解がまだ浅く努力を放棄していたということもあったが、それ以上に、その場にいなかったからなのではないか、といまは思う。
僕をふくめた観客全体が、客席の構造上身動ぎすることも難しく、視点を前方にほぼ固定された状態でいたこともまた、鑑賞そのものに深く影響しているようにも思えたし、それにくわえてその日の雨降りや雨降りの予感などは、もしかしたらその回の演劇の成立に関わっているのではないかとさえ思った。音楽がほぼ間断なく流れている、と書いた。僕はそれを聴きながらBrandt Brauer Frickの『Bop』という曲を思い出していた。


僕のミニマル・ミュージックという言葉に対する認識が正確であるかは甚だ不安なのだが、テーマを単調に繰り返しつつも細かな差異をくわえて最終的にはゆるやかに大きく変化していく、というスタイルは、まさに『透視図』そのものだった。
偶然にSteve Reichという人の『Come Out』という動画をYouTube上で見つけたのだが、このダンスの持っているイメージは、維新派のイメージを喚起しやすいと思う。
ふたりのダンサーの動きは、同じようでいて、微妙な差異を生みつづけ、そして位置も少しづつずれつづける。ちょうど、テンポの異なるメトロノームが最小公倍数のタイミングで一致するように、このふたりの動きも、ときおり瞬間的な一致を見せる。


無機質な単語の連なりは、ときおり、ユーモラスな言葉遊びにさえなった。
大阪の町の猥雑な部分を象徴する言葉――ただしこれは都会のどこにでもあるのだが――がリズムに乗って規則的に連呼されていく。「ファッションヘルス」「イメクラ」「ガールズバー」……「幸子」「誰やねん!」「麗華」「誰やねん!」
これらの名前は、スナックの名前としての「幸子」「麗華」なのであるが、名詞を連続させていくだけで、詳しい説明がなくてもその意味が成立していた。
この「誰やねん!」は僕の思ったほどは笑いは起こらなかったが、笑いたくても、笑ってしまえば次の言葉を聞き逃してしまうためだったかもしれない。イメージが拡大し、洗練し、また混乱していく。冗談のような言葉がときおり意味を持つ。眠れない夜、病院で数えていた羊のうちのはぐれ羊(stray sheep)が、女の子の「ひつじ」なのか。たぶん、がたろは本当は病院で寝ている男の子。おそらく重い病気に罹っている。ひつじはがたろの想像の産物に過ぎないのか。いや、そうとも思えない。ひつじには沖縄からやってきた祖母の記憶がある。南の島からやってきて、大阪の島から島へ移り住んだ、ということをがたろに伝える。
何回かテーマが繰り返されていく。唐突に1931年(たしかそのあたり)から年号のカウントアップが始まる。いま調べてみると、満州事変勃発の年。このとき舞台に出てくる紳士・淑女たちは、「どこかで逢いましたね」「いったいどこでしたか?」「またいつかお逢いしましょう」「またいつか」と約束をするだけですれ違ってばかりだ。
ある紳士のひとりが、自分には記憶がはっきりとしない、それは、自分が多くの死者たちの記憶もまた担っているからだ、というようなセリフを吐く。これが、大阪の歴史とどのように関わっているのか知らないが、やはりこちらの理解の追いつかぬまま、一年づつカウントアップを進めていく。重要な年数が近づくと無意識に緊張してしまった。1945年、1970年、1995年、2011年、そして、2014年。それらはただの数字ではなかった。オープニング近くの「誕生日」と一緒だ。記憶に刻まれ、歴史に刻まれた瞬間がある、ということをわれわれは知っている。実際に僕自身が体験している年もある。
となると、何度も何度も言及される川が死の象徴のように思えてくる。そうなれば、島――木製の小舞台――は、生の踏み石である。ひつじは、祖母と一緒に大阪を生き抜いてきた人たちの象徴なんだろうか。川は、浚渫船がなければ泥に埋もれてしまう。昭和初期のことか。たまたま「シュンセツ」という単語を僕は知っていたので、すぐにイメージすることができた。どこで知った言葉だったか。もちろん、記憶を掘り下げていく暇は与えられない。ひつじの祖父はその浚渫船の乗り手だったという。むかしの大阪の流通を支えた人。そして、「がたろ」という職業もまた、川底を浚う人だ。
ここらへんはほとんど説明するようなセリフがないので、なんとか自分のなかで繋げることしかできない。それがあっているのか間違っているのかもわからない。というか、正誤はない。正誤になにかを求めることに意味はないだろう。劇中、ものすごい、と思える演出がいくつもあった。そのなかでも大掛かりな仕掛けについては、ここに記さない。はじめて観る人が万が一これを読んでいたら、驚きがなくなってしまうからだ。
がたろのものと思われる心電図の音と時報の音(これが実際の時刻を告げている)との相似や、手術を受けたがたろ(の精神)が生を象徴する島と島とのあいだを飛び回る場面は、より理解しやすく感動的だった。
何度も変奏されたテーマは収斂され、はじめのフレーズに戻っていく。そのときになると、最初は無意味に聞こえていた言葉が有機的に繋がっていたことが確認できる。そして、文字通り様変わりした舞台のうえで、美しいエンディングへ。演者たちは舞台を去り、しかしなおも音楽は鳴りつづけていた。
雨や、開場前のサーカスのパフォーマンス、屋台村での飲食や、そこに群がる観客たちの雰囲気も含めた舞台だった。
単純に演劇と言ってしまうよりは、音楽とかダンスとか、あるいは建築という概念も含んだ「舞台」という言葉がふさわしいだろう。不安定な言葉に対して、視覚や聴覚や触覚に対して直接訴えるものを持っている「身体」というものをこれほど強く感じたことはなかった。
Eテレ『ニッポン戦後サブカルチャー史』で宮沢章夫がどこだかの年代の解説において「希薄化する身体」というキーワードを紹介していたが、僕自身は(それ以前にも見聞きしたことのある)その言葉に対してつねに胡散臭いものを感じていた。身体器官の機能である知覚に頼っている以上、いくら仮想空間に依存の度合いが高まっていようと、身体が希薄になるはずがない、と。
その流れで「身体」というキーワードじたいにも胡散臭さを感じていた(同時に、「皮膚感覚」とか「肌感覚」みたいな言葉も嫌いだった)のだが、この観劇でいっぺんにその考えが覆された。身体というより、僕の感じたのは「実体」というものに近いのかもしれない。
セリフや歌の言葉が聴き取れなかったり正確に認識できないことがあっても、ときには総勢で五十人近く登場する演者たちの存在は「ないこと」にはならない。実体は、そのものだけで十分な重さを持つものであり、そこに価値が生じてくる。
作者は作品をそんな単純な二元論に還元されるとは想定もしていないだろうし、もし「身体の意味」のようなものを訴える意図があったのだとしても、それはおそらくこの劇団の底にもともとあった思想であり、あえて本作で訴えたというようなものでもないのだろう。
単純に、最大五十人が一斉に動き出し、一斉にしゃべりだすのを見せつけられた僕は、その言葉をはっきりとは受け止められなくても、ただただ圧倒されてしまった。
これは、僕の「個人的な感想」である。多種多様で豊かな鑑賞体験を持った人間の客観的な「批評」ではなく、非常に個人的なフィルターを通して得られた体験をそのままに書いただけの「感想」にすぎない。
僕は一般的なことを書きたいのではなかった。誰が読んでも理解できるような、わかりやすい文章を書くつもりはまったくなかった。この作品が二時間かけて――最終的に観客のまえにあらわれている時間が二時間なだけで、そのまえの稽古や舞台の設置などを含めれば、時間はもっとかかっている――表現しようとしたものを、数分で読めてしまうような文章で「解説」したり「分析」したりできるなんて、そもそも思っていない。そんなことをできると思っている人がいれば、それは冒瀆だ。
だから、誰かが『透視図』のことについて知りたいと思って読んでも、役に立つようなことは書かなったし、書けなかった。また、作品の理解の一助になるようなことなども書かなかったし、そのことについては自信すらある。
たぶん僕は昂奮しているのだ。観たことのないものを観て、聴いたことのないものを聴いて。
知らない世界を見せつけられて不安になり、作品の内容についても、作品の外にあるものについても、その意味を必死で考えてみた。そして、そのうち半分も理解できなかったように思う。
けれども、僕の価値観は揺り動かされた。衝撃を受けた結果、新たな世界を知ることができたという確信だけは、ここにしっかりとある。