きょう、東日本大震災のときに、都内でも真っ暗になったり、コンビニでもモノが消えたという情景のことを思い出していた。もちろん関西に住んでいる僕は実際に体験したわけではなく、それらを『あまちゃん』というドラマの描写を通じて「きっとこんな感じだったのだろうな」という半ば憶測の形で記憶している。


きょうの昼過ぎ、仕事から帰ってくると玄関にツバメの雛が仰向けに引っくり返って硬直していた。死んでいた。
今年二回目の巣には三羽の雛がいて、今朝も出かけるときに門灯の巣を仰ぎ見てさらに大きくなったことを確認したのだったが、その中の一羽がたった数時間後に死んでしまった。
落ちたときに身体を強く打って死んだのか、あるいは、まだ飛べないものだから右往左往しているうちに土用の陽射しに灼かれて死んだのかはわからない。ただ、この小さな口からはもう、ぴゃあぴゃあという親ツバメからやかましく餌をねだる鳴き声は出てこない。 

そのとき僕は、東日本大震災以後の都内でも真っ暗になったり、コンビニでもモノが消えたという情景をたまたま連想したのだった。あの現場にいた人たちには一生忘れないような体験を、僕はしていなかった。語弊のある言い方をあえてすれば、僕は、多くの人たちと同じ体験をすることができなかったのだ。
直接の被害はないものの、なにかの災厄の周縁にあった人たちは「知っている」という特権を振りかざすことができる。あの震災についていえば僕は、周縁ではなく、外部にいた。であるから、あのときさかんに口にされた「絆」とは異なる、たとえば『あまちゃん』のあの震災の東京でのシーンを見て「そうそう、こんな感じだったよね」と頷き合うというような「緩やかな紐帯」を共有しているサークルからも、僕は弾かれてしまっているのだ。
震災のことがもし話に出たとき、僕は、あのとき東日本に住んでいた人たちとは対等に話すことはできない。「そりゃあきみは、あのとき関西にいたわけだし?」という皮肉がいつ飛び出るかわからないから。
なお、関西には関西で阪神淡路大震災の経験があるので、ここでも僕は仲間外れだ。

間違っても、震災の経験が羨ましいという話ではない。そういうのとは別に、多くの人たちが体験した痛みを知らないという無力感や疎外感が厳然として僕にはあるということだ。
これはナイーヴさを見せつけたいがための言い訳ではない。被災した人たちの「あのとき」と僕の「あのとき」とのあいだには決して飛び越えられない深淵があって、その深淵をきちんと見つめてみたいという話である。
「なんのかのと言っても、そりゃ贅沢な悩みだよ」というツッコミや批難もまた、「知っている」の特権の余波であり、だからこそ僕は、この疎外感を公けにすることはほとんどない。

これらのことが一瞬にして頭に浮かんだのは、ツバメの雛の死が手で触れられるものとして目の前にあったからだろうと思う。
突然に目の前に転がってきた死。「知らない」と「知っている」の境目。他人が聞いたらわけがわからないとは思うが、この死んだ雛に触れて土に埋めてやることが、「知らない」の領域に一歩近づけるように感じられたのだ。たぶん、幸運にもこれまでは縁遠かった死や不幸と接する機会も、これからはだんだんと増えていくのだろうから。


午後。二時半を回っているというのにまだ陽射しは強く、風も熱を孕んでいた。日陰に置いておいた雛の死体を軽トラの荷台に積み、仕事場に向かった。
いろいろと検討した結果、貯水タンクの傍にスコップで深めの穴を掘った。土は掘っている途中で柔らかく崩れ、中に蛇穴が走っていることがわかった。それでも、そこに硬いままの雛を置き、また土をかけた。
墓標はない。やがてその上に雑草が生え、それを刈払い機で刈り、またしばらくしたら雑草が生え、それを刈り、と繰り返していくうちに、もしかしたらその場所も忘れてしまうかもしれない。
七月下旬。雨の一滴も降らないとても暑い日だった。日が沈む少し前、きらきらと陽射しを反射した飛行機が鮮やかな飛行機雲を曳いていくのが見えた。


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