だいじょうぶ、実際に大統領に就任したのちはまともになるでしょう、みたいなことを平然と言ってのける、括弧つきの「専門家」にはもううんざりだし、訳知り顔で消息通ぶるやつも信じられない。やつらは、例の勝利宣言のときにまっさきに「見直した」とかコメントしていたのだから。
つまりこれは、非常に大時代的で古典中の古典、不良が雨のなか捨て猫を拾うと「いいやつ」、あるいは、ちょっとだけいいことをしたヤクザをすぐさま「いい人」と認定してしまう心理と一緒で、さすがにこのインターネットの時代、つまり情報の選択肢がある程度拡張された現代において、そういう幼稚で単純な人間もだいぶ少なくなっただろうと思うのだが、しかし、楽観主義というものをなかなか手放さない人は多いらしく、意地悪な僕は、そういった人たちこそが、ギロチン台に自らの首を差し出しながらもなお「またなにかの冗談だろ」と笑っている様子を見たいとも思うのだが、しかしそれでは大きな不満を、的外れな場所で小さく爆発させようとしているだけで、本質的な解決を見ない。

なぜか知らないが、いろいろなものが同時発生的に壊れるってことはあるもので、ちょっと外出して帰ってきたら風呂場の給湯器と冷蔵庫が動かなくなって、おまけに車のワイパーのウォッシャー液も切れた。給湯器は裏庭にあるので、雪の降った翌日、表玄関を大回りして裏口の小さな門を開けようとしたら、錠の取っての部分が壊れて外れた。家の外壁もそっと指で押したらドリフの全員集合のオチのように壮大に崩れるんじゃないかと思ったがそういうことはなかった。そのかわり、落ち葉で詰まった雨樋から雪解け水が大量に溢れ滴り落ちて、僕の足元を濡らした。

地味であまり知られていないであろうアイドルグループがこの1月に終わりを告げ、そのメンバーのひとりが、お別れの挨拶の一環として他のあるメンバーに対し、「あの時私を引き止めてくれてありがとう!(ずっと言いたかった)」とツイートしていて、なにも知らない僕の胸にも迫るものがあった。このような無数の小さなきらめきが、僕たちを励ます。

なにも知らずにテレビをつけると日テレがまた安直に視聴率を稼ぐため『千と千尋の神隠し』を放送していて、仕方がないから、くされ神が湯屋にやってきて体内に抱えた大量のゴミの山を千たちに引き抜いてもらうところまで観て、スイッチを消した。何度観てもこの場面はすっきりする。また、釜じいのところの炭の精霊みたいなチビスケたちが飯として金平糖をもらう場面は、いつ観ても愛らしい。あの色のコントラストもよく考えられているし、ひとりひとり(一匹一匹?)が別々に動くため、それぞれがきちんと生きているという感じがする。
けれども総体としてこの映画の印象はいつも曖昧なままで、「……音楽がよかったなあ」という感想を抱くのみなのである。