いろいろな病気や症状というものの名前が、おそらくはいろいろな理由(差別の解消や認識の一新など)から変わっていて、アル中っていう昔はよく聞かれた言葉も、いまはアルコール依存症と呼ぶことによってより病気という認識を強めることとなった……などという話ではない。

人の名前がいよいよ思い出せなくなってきた。
50代、あるいは60代に突入した人たちが、口を揃えて俳優や有名人の名前が思い出せなくなるということを話すが、たぶんそれが僕にも徐々にもやってきている。物忘れとか、シナプスが切れるとか、その現象をどう呼ぶにせよ、特に名前を思い出すのが(以前から得意ではなかったが)さらに苦手になりつつあるというのは事実だ。
このあいだは、香川照之の名前が思い出せなかった。あの顔は思い出す。亀治郎(と書いて、ここでタイプする指が止まる……いまは名前が変わったよなあ。ええとなんだっけ、いまの猿翁がむかし名乗っていたやつで……猿之助か! とGoogle日本語入力の予測変換でその答えを確認←この間、3分はかかった)に似ていてさ、そうそう、いまは中車(これはすぐにパッと浮かんだ)でもあって……だけど肝腎の名前が思い出せない……うーむ。
亀治郎がすぐに出てくるのに「猿之助」が思い出せないっていうのは、三遊亭圓歌を「歌奴」と言ったり、あるいは橘家圓蔵を「円鏡」と言ったり、林家こぶ平を「こぶ平」と言ったりするのとちょっと似ている気がするが、しかし香川そのものが出てこないっていうのは、ちょっと問題。若年性のアルツハイマーが発症したのかと疑ってしまう。

ツールを使えば、たしかにその名前なんていうのは簡単に思い出せる。Wikipediaで出演したドラマなんかから逆に引いたりして。でも、それだからいいって問題でもない気がする。いちばんいいのは、なにも利用せずにパッと思い出せることだからね。
先にちょっと触れたように、予測変換もそうだが、そのようなツールの発達が記憶の機能レベルを低下させているのかもしれないし、あるいは単純に香川照之の作品に最近はそれほど触れていないってだけの話なのかもしれないけれど、ちょっとショックだった。

作品に触れていない、で思い出したのだが、このまえは島崎藤村の名前が思い出せなかった。まあそもそもこの人は名前を知っているというだけで、その作品を読んだことがない。それだからか、「藤村(とうそん)」だけがパッと浮かんで、そのあと必死に名字を思い出すという作業をすることとなった。
で、「あれ……? トウソンの名字って、『ふじむら』だった気がする」と思って、それから頭のなかで漢字変換したら、それって藤村藤村じゃんってことに気づいて、またやり直し。島崎だということに気づいたのは、それから数日後、何気なく『破戒』って……と思い出したらポッと出てきた。
さまぁ~ずがやっているマイナスターズってバンドがあって、そのコミックソングのなかに「斉藤にしお」という名前が出てくるのがあるのだが、それに対して三村が「名字みたいな名前だな!」ってツッコミをするんだけど(←こういうのはやけに憶えている)、この島崎藤村にも同じことを感じる。似たようなところで言うと、三遊亭圓生の本名、山崎松尾ね(←これも憶えていた)。

で、最近もうひとつ「これを忘れるのかよ!」と大ショックを受けた事案があったのだが……いま、それがなんだったのか必死に思い出しているところだ。