うーん、めちゃくちゃつまらないというのが率直な感想。
いろいろなところで称讃されているのを目にしたような気がして、ついに購入し読んでみたのだけれど、いまの時代で金を払って読むようなものなのかは甚だ疑問。この手のものは(という言い方はひどいかもしれないけれど、実際そう感じた)ネットで探していけばいくつも辿りつけるようなものなのではないか、個人ブログ等で。

文章は平易であるが、その背景にある思考の骨格みたいなものも、また平易に感じられる。平易だから悪いということではなく、書かれていること以外に書かれていない、ということに不満を感じている。
書かれていること以外になにかを感じたり読み取ったりすることが文章のたのしみであるとするならば、ここにその余地や余白みたいなものは受け取れなかった(断っておくが、より複雑であればいいという難解至上主義ではけっしてない)。哲学や文学じゃないんだから、といわれればそれまでだけど、よろしい、それじゃあなに? エッセイ? 日記?

私小説のように、実在の人物が幾人も登場し、なかには悲惨な自殺の場面なども描かれてはいるので、簡単に切り捨てるのが忍ばれる気もするが、いちおう著作物だし、対価は払っているのだからあえて書くと、好みとして、まずここに描かれているような人たちが好きではないということに尽きるのかもしれない。
それは、僕がイヤな人間で、子どもじみていて、狭量だということに大きく起因するのだろうけれど、好きではない人たちの自己肯定観というものは、否定することはしないけれど、肯定も、また共感もできないので、「ふうん」で終わってしまう。
たとえば自分の両親が心中した女子高生がその遺体の前で笑っていた、という体験談が出てくるが、それについては、ああ、それってこれこれこういう理由があっての反応なのかな、ということくらいは考えたりするけれど、不謹慎だ、とは思わない。しかし不謹慎と思わないと同時に、肯定もできない。めんどくせえな、ってのが偽りない本音だ。僕は、そういう感じの言動を見聞きすると、「嫌い」とか「むかつく」などと思うのではなく、めんどくせえと思うのだ。排除するわけでもないから、否定しているわけではない。ただ、めんどくせえから好きになれないと思うだけで。

だから、価値観がまったく違うところで生きている人たちが、自殺せずに頑張って生きていこうとするのは、他人事として、いいんじゃないでしょうか、と思うだけ。また、「ほんとうに死ぬ!」となったって、それはそれで、ま、いいんじゃないでしょうか、と思うだけ(ただしこれは突き放しているわけではなく、自殺したいと思っている人が死ねたというのはある意味で希望を実現できたことなんだから、そこを否定したくないとは思っていて、その点だけは著者と意見が一致する)。
お互いがお互いに関心ないんですから、好き好きにやっていきましょうよ、というのが読後の感想かな。それが、「自殺」というタイトルの本を読んだ感想だとしたら、さみしいもんだよな。つまり、それくらい、得るものがなかったってことになるわけだけど。

【2018/2/2追記】
補足記事を書いた。