ちょっと前、数年ぶりに観た『相棒』がたまたまスペシャル回で、テロ対策防止法みたいなのをより強固にすべく、そのため平和ボケしとる日本国民にテロの恐ろしさを教えたる、というモチベーションで政治家とか官僚とかの有志がテロを起す、みたいなストーリーがあって、おいおい、『相棒』もしばらく観ないうちになかなかトンデモ系に行ってしまったんだね、と大笑いしたのだが、最近、うーん、なかなか示唆的だったのかもな、なんてことを考えている。

いろいろと書きたいことはあって、下書きを量産しているんだけど、書いている途中にくだらなくなって放り投げてしまう。政治の現状についてのことだが。
たった2年前の5月末、当時の都知事だった舛添についての世論調査(FNN・産経合同調べ)で、「辞めるべきだ」と答えたのは8割近くあったらしい。いや、わかるよ。なんかやってることが情けねーなと思った記憶はあるし(なお、上記リンクの産経記事で、こんな短い文章のなかでも民主党鳩山の普天間基地の県外移設案を「迷走」と評しているところに、忠臣ぶりを感じるよ)。
けれども、現政権の「やってること」のあまりにものひどさに対しては、ものすごい不感症なのね。NHKの最新(2018/5/15)の世論調査でも、内閣支持率38%不支持率44%という結果。僕の憶えているかぎり支持率は絶対に35%を割らないんだけど、これは、この世の終わりが来たってトランプを支持しつづけるアメリカ人たちと同種の人たちがいるのだろうと想像するしかない。それより、不支持率の低さよ。これまた毎回のことながら、すげーなと感嘆するよりない。舛添に対して持っていた峻烈さは、この2年のあいだにどうして失われてしまったのか。
ここ数ヶ月の国会のやりとりを、いくらかでも見聞きしたことがないのかな、と思う。生の動画や音声でなくても、適切なメディアのまとめた情報などに接したことがないのかな。
ある弁護士たちへ懲戒請求が大量に送られた問題で、あそこでもいわゆる「ネットDE真実」の人たちが言及されていたわけだけど、そういう人たちってほんとうにいる。僕もリアルで目撃したことがあるんだけど、ネトウヨだけかと思いきや、(比率はどうあれ)実は右も左もどっちともいるんだよねえ。
なお、件の事件は、最近の起こったことのなかでは快事・慶事に属するもので、当事者たる弁護士の方々の労力を考えると喜んでばかりはいられないのかもしれないが、下世話に言えば「釣られたバカども」に適正な罰が与えられるというのは、被告予定者たちがよく口にしているであろう自己責任論にもぴったり当てはまるので、やはり愉快。

政治ってのはリアルの日常会話の材料として採り上げられることは少ないはずだから、自然、ネットで情報や意見のやりとりを目にすることが多くなるのだろう。だからますます自分が望んだ情報ばかりを取りに行ってしまう。SNSなんかやっていたら独特の空気に当てられまくりになっちゃうんだろうな。
悪趣味なのだが、僕はあるグループのヲタクたち(数人程度)のツイッターアカウントを定期的に覗いている。そこでは、もちろんいろいろな価値観が存在しているのだが、なぜか民主党批判だけはコンセンサスになっていて、その流れなのかなんなのかはっきりとはわからないが、ふだん政治的なことに興味はなさそうだし実際にないのであろうアカウントたちが唐突に「現政権批判」批判をしたりするのにびっくりする。たとえば、産経新聞を朝日新聞の子会社かなにかだと勘違いしているようなアカウントが、である。
サンプルとしては誤差程度のものだろうからここからなにかを帰納することはできないだろうが、ただ、仕事もあって収入も一定以上あってネットリテラシーというものにそれほど欠如しているわけではなかろう三十代前後の人間の一部のあいだに流れる、けっこう偏った「空気感」みたいなものはなんとなく僕にも感じられる。彼らのなかでは、政権批判はダサいらしい。だから批判している連中を攻撃することになんの躊躇もない。
ツイッターのヘビーユーザーともなればネットに接している時間も長いはずで、そこで得られる情報が、最近よく耳にするエコーチェンバー現象だとかフィルターバブルの影響を受けないはずがないわけで、ゆっくりと、しかし着実に、ある何者かの予備軍になっているのかなという気はする。まあ知ったこっちゃないけれど。

話を戻すと、現政権への信じられないほどの寛容さは、人をひとり殺すと殺人罪で、大勢殺せば英雄だ、みたいなアイロニーを容易に想起させる。
一例を挙げれば、安倍夫婦という頭の足りないふたりの軽はずみな行為や厚意(?)によって引き起こされた身贔屓が大事となり、その結果、謝罪したり辞任したりするかと思いきや、国家全体でそれを隠蔽する方向に持っていくという、フィクションとしても「いやーさすがにそんなリアリティのないものはダメでしょ」と言われるレベルの事態になっているわけだが、これ、当人たちは当初ほんとうに「だいじょうぶでしょ、いけるでしょ」程度の認識だったのではないかと僕は思っている。
政治家の縁故主義というか癒着みたいなものは大なり小なりあるとして、それがいいわけでは絶対にないが、それ以上に一連の事件でおそろしいのは、政治家がその気になれば官僚のやっていることが全部見えなくなってしまう、ということで、国会答弁でお手軽に発せられる「記録がないためわからない」という意見を聴くたびに、気が遠くなる思いがする。この状態をよしとできる有権者たちは、ふだんどういう仕事をしているのかと不思議になる。タイムカードを打刻したり、セキュリティカードをセンサーにかざしたりして、自分の労働時間を証明したことはないのだろうか。
それでも、ところどころで水漏れしたように、内部からの告発というか文書の「発掘」が起こり、なんとかここまで来たが、それでもこの一年間、支持率は上がることがあっても35%を下回ることはほぼなかった。「日本スゴイ」系の意見ってほとんど与する気にならないものだが、すくなくともこの点においてはスゴイというほかない。

もうひとつスゴイこと。最近、裁量労働制はあっけなく終わってしまったが、高度プロフェッショナル制度をやり抜こうと政府が頑張っている。「安倍首相ガンバレ」レベルの頑張りではあるが。
この制度の欠陥点が、僕のなかではさんざんに指摘されているという認識なのだが、それでも支持率は上に書いた通りなのである。
いやあね、この法案(一括だけど)、もう通ればいいんじゃないかと思っているのよ。このあまりにもめちゃくちゃな法案が通って、「これでみんなの働き方が改革される」とピュアな瞳で信じ切っている人たちの思い通りにさせてやろう(使用者側はもちろん口元が緩むだけだが)。そりゃすぐに結果は出ないけれど、いづれひとりふたりと人死にが出るでしょうよ。それを過労死と認定されないおそれがある、という過労死遺族の方々の会見もあった。
ね? もうここまで言われているのに、それを看過するわけなんだから、もう成立させてもらおう。で、経団連はホワイトカラー・エグゼンプション制度の提案時(2005年)に年収下限を400万としているから、ちょっとしてからこの高プロ制度も適用拡大を図ってもらおう。そうなれば、より多くの労働者がこの制度のもとで、文字通り死ぬほど苦しむことになる。そりゃあ何万何十万という数ではないのかもしれない。数百人、せいぜいが数千人というところかもしれない。じゃあ、誰がその数百人になる?って話。あそこで人が死んだのもそうだ、ここで亡くなったのもそうだ、というようにいくつかの事件が報道され、そこでやっとピュアな人たち、あるいは「消極的に支持する」という態度で罪悪感を払拭させようとしている人たちも「やっぱりおかしいかも」と思い直すのかもしれない。
ちなみに、前述したように過労死扱いではなくなるかもしれないので、報道されない可能性だって充分にある。現厚労相の加藤が野村不動産社員の過労死をぎりぎりまで隠蔽しようとしたことを見れば、その可能性を排除することはできない。やろうと思えばいくらでもやれるんだよ、ということを悪い意味で証明しつづけているのが現政権で、その政権を4割弱が支持しているのがこの国なのだ。スゴイでしょ。
でもまあ、「やっぱりおかしいかも」と思うことで、やっと世間が変わるのかもしれない。悪法ということで法改正がなされ、元の状態に戻る。当たり前だけど、「元の状態」っていま現在のことだけどね。さあ、いまからよりひどい状況に自分たちを追い込んで行くぞー、と認識しているならいざ知らず、そんなこともわからない蒙昧なままの国民を、いったん地獄に落としてそこで労働問題の重要性をひとりひとりに理解してもらうのだ。安倍・加藤ほかデータを捏造までした厚労省のみなさん方は、実はそのような正義の炎を心に燃やす憂国の士たちなんですかね? 『相棒』に出てきたテロリストたちみたいに?
「仕事が忙しいから」っていう中学生でも猿でも思いつくような言い訳でいまの政治状況を無視していれば、その仕事がさらに忙しくなってしかも補償なしってことになりかねない、っていうものすごくできのいいブラックジョークが、ほんのちょっと先の未来でわれわれを待ち受けている。

常日頃、「民主主義社会であるという条件において」という保留をつけるが、為政者というのは国民と同じ顔をしている、と思っている。もちろん造作のことではない。小心で、頭の回転が悪く、非論理的で、自分が追及されるとすぐになにかの権威に頼って逃げたりしどろもどろになったりして、褒められるとすぐにのぼせあがり、貶されると真っ赤になって怒る。アレはまさにわれわれの鏡なのだ。ぼく/おれ/わたしは入っていない、と思いたいかもしれないが、そういう人たちも含めて、アレはわれわれの姿そのものだと思ったほうがいいのだろう、彼らが否定されていない現状を見るからに。