このあいだラジオ番組で、元アメフトプレイヤーで元アナウンサーのスポーツ解説者という人が出演して、例の問題について解説していたのだが、そのなかで、やたらと加害選手を「すばらしい選手・優秀な選手」と評し、「ほんとうはすばらしい選手なのに、うんぬん」としていた。また、コーチの説明が右往左往していたことについて、「やっぱり長い時間接していた選手を嘘つき呼ばわりすることはできなかった」というような説明をし、暗に師弟の愛情はやはりあるのだ的なことを匂わせていたけれど、どちらも噴飯ものだった。
スポーツの世界では違うのかもしれないが、一般的・常識的見地に照らし合わせれば、そういうのを客観的解説とは言わない。浪花節なんていうふうに言うかもしれないけれど。

本人が元プレイヤーで、当該スポーツに対して非常な愛着を持っているのはわかるし、今回の件でアメフトに悪いイメージがつきまとうのを払拭したいという思いもわかる。
でも、「ほんとうは優秀な選手が、パワハラ的環境に置かれて悪質的行為に向かわざるを得なくなったという悲劇」や、「ほんとうは選手に対して愛情豊かなコーチが、勝利に徹する冷徹な監督の指導方針に従わざるを得なくなり自らの言動に正常な判断ができなくなった悲劇」みたいなことを、いま解説(?)する必要がどこにあるんだろう?
そういう物語、もっといえば「おはなし」は、すべて原因が究明され、ある程度の時間経過ののちに、やりたい人たちがそれぞれ自分の望むものをつくって、盛り上がればいいだけのもの。その程度のものでしかない。その真偽がどうこうということではなく、無関係な人間たちが各自勝手にやる程度の価値しかないということ。

トキオの山口の件でも似たようなことを思った。社会的に許されないことをした山口に、社会的立場からNOをつきつけたトキオと、しかし人間的立場から拒絶しきれないトキオ、みたいな構図が、誰が企図したかわからないがあのとき報道された。
そういう括弧つきの「美談」はさ、5年後、10年後に「じつはあのときこういうことがあったんです」的に扱えばいいんじゃないの?と思った。もっといえば、誰にも言わず、5人のなかだけで共有すればいいだけの話。それを、なぜ大々的に拡散しようとするのよ? 残った4人の「商品的価値」をこれ以上下げないための広報、と読み取ってもそれほど的外れでもないはずだ。

こういうことを喜ぶ思考法を、僕はエンタメ脳と呼んでいる。重度の再生産によって生まれた安直なエンターテインメントに接しすぎたがために、安っぽい予定調和にほいほいと飛びつく思考・嗜好のことだ。
エンタメ脳の好物は、上記のような美談。そういうのに触れて、ときに涙し、「いい話だ~」と拡散する。拡散することで自分が美談に直接関わっているような気分になれるから、SNSはエンタメ脳の増強装置という機能を果たしている。
僕も、アイドルに対してはエンタメ脳に徹してたのしむことがあるが、そういう画一的な視点が、ときに界隈の闇の部分――性暴力、パワハラ、労働搾取等――を、ほんとうはわかっているくせに看過してしまう原因となっていることは間違いない。よくないことだ。

なお、くだんのアメフト解説者はその番組出演の最後に、「今回の件ではじめてアメフトというスポーツを知り、その面白さに触れることができた」というファンの言葉を紹介していたが、なるほど、そういう人もいるのか。僕なんかはアメフトといえば、京大のアメフト部員が集団強姦したことをすぐに思い出しますけどね、そうですか。