歌丸が亡くなったというので、手持ちの音源でもさらってみようかと探してみると、1979年(昭和54年)の「国立演芸場開場三十周年記念 東西名人揃い踏み」というもののなかに収められたものしかなかった。
四十年近く前ということだから歌丸は四十とちょっと。非常に滑舌がよく、すぐれた口跡なのではあるが、心なしか客の笑いが少ないように思えた。

十数年前、歌丸の印象を僕の両親に尋ねると、「うーん、うまいんだけどねえ、おもしろいという印象がない」みたいなことを言っていた。彼らがすぐれた批評眼を持っているとは思わないのだが、あの圓生に対しても「面白くないよねえ」みたいなことを言っていて、そういうのがわりと世間一般の受けとられ方だったのかな、と思ったことがあった。
もうすこし詳しく書くと、圓生なんて人は僕からすると大圓生という感じでオールタイム・トップ5に入る大噺家なんだけれど、戦後直後の頃は「あの下手の圓生までもラジオに出てるんだから(※それくらい噺家は当時需要があったということ)」みたいな評価があった、とこれはたしか談志の言葉として記憶している。その談志以外にも、似たような評価を聞いたことがあったような……。
僕が知っている圓生の音源というのは晩年のものが多かったのか、たとえば上記1979年の「東西名人揃い踏み」には圓生も高座に上がっているのだが、その『鹿政談』のすばらしいことといったら。ちなみに、圓生はこの年に亡くなっているのだ。まさに最晩年そのもの。
そんな圓生がむかしは「下手」だったという。というより、「あの下手な圓生があれくらいの名人になったんだよな」みたいな評価がわりと玄人連中のあいだで共有されていた、ということだったのかもしれない。まあ談志という人は、圓生のことをものすごく褒めているときもあれば、めちゃくちゃくさしているところもあって(特に落語以外の点で)、その評価を頭っから信じていいものなのかどうかはわからない。

(※2018.07.04追記)
例の三遊亭一門のごたごたについて円丈の著書を読んだときには、圓生の人間としての魅力のなさは痛感させられたが、それとこれとは別の話、と思って彼の落語をたのしんでいる。

話を戻すと、僕の両親が「圓生は面白くない」と思っていたのは、それが当時の世間一般での評価であったためではないかと思っていて、それを信じれば、きっと歌丸も「うまいのはわかるけれど面白くない」と一般的に思われていたのではなかったか。あるいは「面白さでいうのなら、○○のほうが好き」と。そう思わせるような、客の反応だったのである。
(ちなみに、大圓生はめちゃくちゃうまいし、面白い。彼はライブ音源はもちろん、スタジオ録音のものでもじゅうぶん聴くに値するものを残している。談志でさえスタジオ録音ものなどは、ギャグがすべったり痛々しいところもあってなかなか聴きづらいほどなのだが、圓生は客が大勢入っている前で演っているような、風格と余裕を兼ね備えていて、これを名人と言わずして誰を名人と呼ぶのかというくらいの実力を見せつけてくれる)

歌丸が1979年の例の会の高座にかけた噺は『城木屋』というもので、この音源以外で聴いたことはなかった(ただし僕は初心者なので、実際は有名なのかもしれない)。
いろいろと聞き馴染みのある言葉が出てきて、たとえば、美人を表現するときの「古の美女に譬うるなれば、普賢菩薩の再来か常盤御前か袈裟御前、おひるの御膳はもう済んだ、というくらいの美人でございまして」。これはたしか『源平盛衰記』にも出てくるフレーズだったような。
あるいは、醜男の番頭、丈八という男が、店の一人娘の美人・お駒に恋をするというストーリーのなか、「むかしは主従の懸隔というのはたいそうやかましいものだったそうでして」なんていう言葉が出てくるが、この「主従の懸隔」という表現が実にいい。「しゅじゅう」じゃない。「しゅうじゅう」と読むのがこの場合は正統である。棟梁を「とうりゅう」と読むようなものだ。
前述したように、口調のよさを十二分に発揮できる噺でもあってたいへんよかったのだが、ただひとつだけ、噺の最中に鼻を啜る音だけがやけに耳についた。このときたまたま鼻の調子が悪かっただけなのであれば文句はないのだが……。
なんやかんやと書いたが、クライマックスの東海道尽くしはやっぱり見事だし、サゲも見事。他の噺家でも聴いてみたい噺だった。
そうだ、いま思い出したけれども、テレビで歌丸の『鰍沢』を観たことがあったのだ。それは最近の高座だったので歌丸自身いい年齢ではあったのだけれど、相変わらず流暢に話していたのに感心したことをなんとなく憶えている。いやあ、あの年であそこまでしゃべるってのは、よっぽど日頃の鍛錬を怠らなかったのだろう。たぶんEテレ『日本の話芸』あたりで、ちかぢか歌丸の高座を追悼再放送すると思う。ひさしぶりに、観てみようかな。