例の、とか、件の、とか、いま話題の、などいろいろと形容詞はあるのだが、つまりはあの「候補作」についてなにかと言及されているようだ。
本編も、それから参照されたほうも読んでいないので内容についてはいかようにもコメントできない。
ただ、小説とか文学というものについて僕の持っている一般論を記録しておけば、文学とモラルとはそれぞれ独立しているということ。モラルを語ったり、あるいはモラルというものを強く意識させたり刺戟するような作品というものがある一方で、まったく非道徳的・非倫理的でありながら、かつ高い文学的価値を有しているものもある、ということ。
だから、ある文学作品に対して「これは非道徳的である」と批難するのは、批判ではなく、ただの好みでしかない。好みはとても重要だが、他人に対しての説得力は、あまりない。
しかし、上記は内容が道徳的であるかどうかについてのことであって、今回の件では、手法的な道徳性が問われているらしいから、ますますそこを混同しないようにしなければならない。

くわえて。
それ以上にもっと大事なのが、日本の若い小説家の小説において見られる「問題意識」が往々にして卑小であるということ。はっきり言って、読む気が起こらない。
たとえば「現代社会の生きづらさ」みたいなテーマは、もう何十年つかわれつづけているのだろうか。もし、なにかの救いや答えを模索するために読まれるのであれば、小説なんかより、いまはよっぽどすぐれた学術研究書がそれぞれの専門分野(福祉、貧困、病気 etc.)にあるように思う。
そういう「正道」に行かずに、あくまでも自慰行為のグッズとしてたのしむというのなら理解できないこともないが……。
その一方で、救いなりなんなりは必要ない、ただただ文学としてたのしみたいんだ、という人にとっては、外国文学と比較したりするとだいぶキツイように思う。文章のレベルは高いし(ただし「翻訳文は苦手」という人が多いのも事実)、取り扱われている内容が広汎にわたっているにもかかわらず、しっかりエンターテインメント性が確保されていたりもする。
ちょっと話題を変える。
昨今は日本のワインのレベルが上がっている、という言い方がされることが多いが、しかし同価格帯の世界中のワインと比較すると苦戦を強いられることのほうがほとんどだと思う。なんとなれば、日本のワインはまだまだ高いし、反対に、海外では高品質低価格のワインが少なくない。
「日本ワインラバー」たちは寛容で、金払いもよく、それぞれが独特な連帯感を持っているように見える。それに対して、「日本ワイン」とか「国産」ということに特にこだわらない人たちは、チリや南アフリカ産のワインなどを飲んでもっとラクに幸せになっている気がする。もちろん、どちらも幸せといえば幸せである(世の中には、ブルゴーニュ以外はワインとして認めない!というような求道の者たちもいるそうであるからして)。
どうか、いわゆる日本文学が、「日本文学ラバー」の好事(こうず)の対象で終わってしまわないように。