きょう、火星が地球に大接近するのだとか。といわれても、天文ファンでない僕にはちょっとピンとこない。
ともあれ、ブラッドベリの『火星年代記』を読み直すにはふさわしい夜。このクソ暑い夏のクソ暑い夜を、想像力とロマンティシズムでやり抜けようじゃないか。

あらかじめ書いておくと、ハヤカワ文庫では2010年に刊行されたらしいこの「新版」を読むのは初めて。解説を読むと、旧版との相違は、収録作の変更と、年号が「1999年」から「2030年」になったこと。これはブラッドベリ本人による改訂とのことで、いささか驚いている。
全体の雰囲気としては20年前に読んだものと変わらなかったが、しかし1999年1月から始まるこの物語が、この版から2030年1月からの物語となっていて、その微妙な近未来感に違和感を覚える。
本書はもともと1950年(!)に書かれた。そこからほぼ半世紀後の1999年という年代設定をそのままスライドさせるのであれば、この原書での「改訂」がおこなわれた1997年から丸々50年をくわえた2047年くらいにでもしておけばまだよかったものを、なんで33年プラスという中途半端な数字を選んだのだろうか。しかもそこからほぼ20年を経た現在に読んだものだから、「未来」がただの「もうすこし先の話」に成り下がってしまった。もちろんそれはブラッドベリのせいではないが。

しかしながら、こんな些末なことは本書に収められている「荒野」を読めばすべて吹っ飛んでしまう。この一篇が今回あらたに加わったことのみをもってしても、この「新版」は手に入れて読む価値がある。わづか17ページの小品ではあるが、ここに「火星年代記」のエッセンスのすべてが詰まっている。
あまりやらないことだが、今回はこの作品の梗概と引用を記して感想に代える。
ときは2034年。まだ地球にいて、火星に先に行った男たちから連絡を待っているふたりの女、ジャニスとレオノーラ。ふたりは荷造りに勤しみ、あすには火星へと発つロケットに乗り込むことになっているのだが、とはいえ「別世界」に行くことへの躊躇がないわけではない。もう二度と地球に戻ってこれないかもしれないこと。これまでの生活をすべて後ろに残していかなければならないということ。
不安を振り払えないジャニスは、すでに火星に着いてふたりのための家を建て、その写真を送ってくれたウィルの手紙を読み、元気を出す。6千万マイルも離れたところにある、ふたりの家。
ジャニスとレオノーラは、地球での最後の夜をたのしみ、家へ帰ってくる。そこへ電話がかかってきた。「もしもし!」
星々と時間にあふれた永い間だった。過去三年間にどこか似たところのある待ち時間だった。やがてそのときが来た。初めはジャニスが喋る番だった。流星と箒星にあふれる数千万マイルの彼方へ、ことばを焼き、その意味を焦がすおそれのある黄色い太陽を避けて、うまく話を通じさせねばならない。だがジャニスの声は銀の針のようにすべてをつらぬき、巨大な夜を越えて、火星の月にぶつかった。そこから声は屈折して、新世界の街に住む一人の男に伝わった。その間、所要時間は五分。
「もしもし、ウィル。わたし、ジャニスよ!」

(234p)
同時にしゃべることができないので、まずジャニスが話す。彼女はそれまでの思いをウィルに伝える。彼女の決心と、そして彼女の愛を。
ジャニスの声は未知の世界へ飛んで行った。いったんことばを送り出してしまうと、ジャニスはそれらのことばを呼び戻し、検閲し、並べ直し、もっと美しい文章を作り、自分の精神状態をもっとみごとに説明したいという衝動に襲われるのだった。しかし、ことばはすでに惑星間の空間にあり、もしもなんらかの宇宙の光輝によって照らし出されたそれらのことばが、熱に耐えかねて発火したとするならば、ジャニスの愛はいくつかの惑星を照らし、地球の夜の側を時ならぬ夜明けの光でおどろかせるかもしれない。ジャニスは思った。もうあのことばはわたしのものではない。それらは宇宙のものなのであって、到着するまでは誰のものでもない。ことばは一秒間に十八万六千マイルの速さで目的地へ飛んで行く。
(235p)
そして彼女は、ウィルの返事を待つ。彼の答えられる時間は一分しかないという。
「返事はまだ?」と、レオノーラが囁いた。
「しいっ!」とジャニスは気分がわるいときのようにかがみこんだ。
すると男の声が空間の彼方からきこえた。
「きこえたわ!」とジャニスが叫んだ。
「なんて言ってる?」
その声は火星から発し、日の出も日没もない場所、常闇の中に太陽が輝いている場所を通過して、地球に届いたのである。そして火星と地球の中間のどこかに、何か電波を妨害するものがあるらしかった。それは流星雨のようなものかもしれない。いずれにせよ、些細なことばや、重要性をもたぬことばは洗い落とされてしまい、男の声はただ一つのことばを語った。
「……愛……」
そのあとは、ふたたび巨大な夜、回転する星々の音、独り言をいう無数の太陽、そしてジャニスの心臓の鼓動がまるで別世界の音のようにイヤホーンを満たすのだった。
「きこえたの?」と、レオノーラが訊ねた。
ジャニスは無言でうなずいた。
「なんて言った、なんて言ったの?」と、レオノーラが叫んだ。
だがジャニスはだれにも話したくなかった。あんまりすばらしくて話せない。記憶の録音テープを再生するように、ジャニスはその一つのことばに何度も耳を傾けた。レオノーラはジャニスの手から受話器を取り上げ、電話を切り、それでもジャニスは耳を傾けていた。

(236p~237p)
このあとにつづく最後の文章も実にまたすばらしいのだが、引用はここまでにしておく。

宇宙あるいは未知の世界への憧憬と、そこに触れ、侵し、穢してしまうことへの先取りした恐怖や失望、幻滅。地球、火星、そして宇宙。これらのあいだにあるちっぽけな人間。どこへ行こうと不変の部分を持つ人間。愛すべき人間。あわれむべき人間。
上記引用からわかるように、全篇が詩情でつらぬかれているために長大な詩篇を読んでいるようにすら思えるが、もちろんその美しさは破滅の予感を孕んでいる。
美しい世界――それは地球かもしれないし火星かもしれない――に住み、そして滅んでしまったもの。あるいは、いままさに滅び去っていこうとするもの。不思議なことに読者は、まだこの物語にあるようなできごとに直面したわけでもないのに、懐かしく、傷ついたような気分を味わう。その感情をわれわれは、郷愁と呼ぶ。本書は、とても感傷的な未来への郷愁の物語である。