ときにうんざりするほどの、また、ときにはうっとりするほどの饒舌で鳴らすTBSラジオ『菊地成孔の粋な夜電波』が今年の年末で最終回を迎えるというアナウンスがあり、今年何回目かわからない、けれども最大のものとなることだけは間違いない喪失感の強襲があった。以来、ドイツ製の鈍器でどたまをどつかれ、どす黒くどぶのような悪臭のする血を垂れ流しつづけているような気分。鈍感な独裁者の道義的感覚と貪婪な読書家の土俗的な毒舌との撞着にめくるめく思いを馳せ、ドミノ倒しになったドライフラワーの束を必死に掻き集めてはみるものの努力だけではどうにもならないようですぐに砕けて手からこぼれ落ちてしまい、けっきょく都々逸を口ずさみながらドラッグストア目指してドライブする。これすなわちドレミのド。度し難い現実とはいえ、どのみち唄いつづけていかねばならないのだ。土曜の深夜、午前4時。もちろんカーラジオのスイッチはONにしてダイヤルを954kHzに合わせる。

僕は、番組内でのテクニカル・タームでいえばライト級にしかすぎないリスナーだ。記録を見れば2015年の秋頃から聴き始め、そこから毎週録音・保存し、同時にアーカイヴを掘ることも始めた。はじめはYouTube上にあったものを、それから有志によるまとめサイトを発見しそこを掘った。それらをすべて聴けばヘビー級だ、などと主張するつもりはまったくなく、ただただ、自分ひとりの愉しみとしてそのコンプリートを静かに目指している。
いろいろと、ほんとうにいろいろと言いたいことがあるけれど、すでに菊地成孔本人が言っているような「野暮」になってしまうので、言わない。けれども、番組終わりの彼の「また来週」という言葉がいかに多くの人を救ってきたのかは想像に難くない。

ついこのあいだ、今年の9月29日の放送時に、マック・ミラーの追悼があった。この日はまた番組のシーズン15の最終回でもあり、そして来シーズンも続行することが「さらっと」アナウンスされていた。もともとはシーズン(半年のクールの意)の区切りごとに次はあるのか、それとも終わってしまうのかとヒヤヒヤしているリスナーが多かったのだが、最近は安泰も安泰ということで「心配もされなくなってきた」ということを菊地がげらげら笑いながら話していた。
ひとしきりの「バカ話」のあと、ある番組リスナーからのメールが読まれた。若くして、26歳(27クラブにも入れない!)にしてオーヴァードーズで死んでしまったマック・ミラーの死を悼むというその内容に対して菊地は、「相当不謹慎ですが」と前置きしたうえ、「(ヒップホップが)非常に優秀で若い才能が亡くならざるを得ないジャンルということに誇りを持つべき」で、マック・ミラーの死はしょうがないと諦めるしかないと言った。
そのときたまたま過去回(2011.7.31放送回)も聴いていたところで、そこでエイミー・ワインハウスの追悼がおこなわれ、やはり彼女の死は「しかたない」と見なされていた。これが突き放したような言い方だったらきっと多くの人間から反感を持たれるだろうが、聴いた人間ならそのほとんどが、そこに愛情を感じたはずだ。音楽があったために彼女が27歳まで生きることができたのだと思うことにする、と言っていたのだから。
その放送を聴いてから彼女のアルバム『Back To Black』に収められていた『Hey Little Rich Girl』(これが日本版のボーナストラックだったということはつい最近知ったことだ)をYouTube上で探してみた。
胸が締めつけられるような映像だ。中盤ハイライトの男性ファルセットがすばらしいのは当然なのだが、なにせ主役のエイミーがどろんどろんになってしまっていてピリッとしたところがまったくない。焦点の定まらない瞳、間奏部分でさえ口元に持っていってしまう、なにか。これが氷の溶けたネクターピーチだったりすりゃどんなによかったか。
ちょうどそのようなときだったので、マック・ミラーという人物をほとんど知らなかった僕も――死亡記事が出たときにはNPRの動画をひとつ観ていたけれど――、その死に痛ましさを感じていた。
2018.9.29放送回に話は戻る。マック・ミラーの死を「しょうがない」としたうえで菊地成孔は、ルイス・コール『Things』の歌詞を紹介し、この曲を彼に捧げた。

予想もつかず 知らないうちにすべてを失っている
だけど 危険水域に入る前に
最高のアイデアというものは思い浮かぶもの
愛する人たちきみを呼び戻す
常連たちはきみにひどい扱いをする
まさに晴天の霹靂
でも ようやくはっきりしたろう?

ものごとは思い描いたようにはならない
ものごとは思い描いたようにはならないんだ
それはいいことかもしれない 悪いことかもしれない
いずれにせよ ぼくらが知る真実はひとつ
ものごとは思い描いたようにはならないということ

コインをつかってスクラッチ
そうすると きみの絶望があらわになる
あらたな時代がやってくる
そして別の友だちが来ては去ってゆく
愛するひとは きみをひどく傷つける
だけど 見知らぬ人々がきみを連れ戻す
雪が舞い始めたのに 太陽が燦々と照りつける
まさにそのとき きみは知るのだ

ものごとは思い描いたようにはならない
ものごとは思い描いたようにはならないんだ
それはいいことかもしれない 悪いことかもしれない
いずれにせよ ぼくらが知る真実はひとつ
ものごとは思い描いたようにはならないってこと
ものごとは思い描いたようにはならない


そしてこの曲が流れるまま、番組はエンディングへ。
マック・ミラーを失ったすべての人々にとってこの曲がリアルでありますように。ジャズミュージシャンの菊地成孔がお送りしてまいりました『菊地成孔の粋な夜電波』、そろそろお別れのお時間です。来週からはシーズン16が同じ時間帯、同じ曜日でなにごともなかったようにつづきます。あらゆるおやすみなさいの方も。あらゆるいってらっしゃいの方も。トイレに起きた方はどうぞそのままで。明け方か夕方か一瞬迷った子には天使が鼻をかじりに来るぞ~。また来週、来シーズンでお会いしましょう。
これを聴いたとき――録音したものを仕事場でウォークマンで聴いていたのだが――不覚にも涙が出てきた。けっして思い描いたようにはならない現実のなか、けれども、番組は僕や他のリスナーたちが思い描いたとおりにまだまだつづいていく。それはほんとうに、ほんとうに幸福なことだなあ、と。
しかし、偶然なのか言霊なのか、現実はやはり思い描いたとおりにはならなかった。シーズン16はなにごともなかったように始まったが、満足に終えることもできず、年内で打ち切られてしまうのだ。いまから振り返ってみるに、それはごく当然のようにも感じる。いかにも菊地自身が喜びそうなシチュエーションだ。甘く苦い現実。優しく傷つける現実。ならばリスナーであるわれわれも、この皮肉な現実を泣きながらでも笑うほかないだろう。

番組終了のアナウンスがあり、フェイスブック上でも菊地成孔本人からの経緯説明があった。嫌いな人は大っ嫌いであろういつもの躁的おしゃべりそのままの文章で、これを、「ああ菊地さん、空元気しちゃているよ……ムリしてるんだろうなあ」なんて読んじゃあ菊地ファンとは言えない。むしろ、「ああ菊地さん、めちゃくちゃ状況をたのしんじゃっているよ……けれどもおれ/わたしはやっぱりまだそこに追いつけないよ……」というのが多くのリスナーたちの反応では?
ツイッターでも超例外的に本人からのツイートの連投があった。それの最後から2番目と3番目を引用しておく。
12)自由に生きましょう。我々には、その権利がある。楽しんで生きましょう。我々には、その自由がある。あなたを縛ってるのは上の方の偉いさんじゃない、あなた自身なんです。その縛りをほどくために、僕は音楽に忠誠を誓ったんです。 
13)だからあと9回、よろしくお願いします。人生は祭りなんですよ。艱難辛苦を飲み込んで、絶望とともに笑って楽しむしかないのよ。それが最強の状態なのよ。そのことを伝えるために8年も赤坂通ったんだからさあ。首切られることですら、それを伝える一環になるのだから(笑)。 
いろいろと、ほんとうにいろいろと言いたいことがあるけれど、すでに菊地成孔本人が言っているような「野暮」になってしまうので、言わない。けれども、番組終わりの彼の「また来週」という言葉がいかに多くの人を救ってきたのかは想像に難くないし、この僕もまたそうだった。
あと9回、たのしんでいこう。胸に苦しみを抱えながら。