なにかについてすこしだけ詳しくなると、それにまつわるニュースに対するいわゆる世間の反応とかいうものが、いかにバカげていたり的外れだったりするかがわかるようになる。アイドル関連のニュースで、全然知りもしない人間がなにかをほざいているのを見たりすると、「なんでこいつ、わざわざ『自分はアホです』って言いたいんだろうな」なんて思ってしまうけれど、まあでも、人間ってそういうものかもしれないね。このあいだ話していた人が、神道のことを「しんどう」と言い、プロテスタントのことを「プレジデンス」と言い、「軽減税率」のことを「カイゲン税率」と言っていたけれど、そういうくらいの知識でも臆せずなにかを語るということはいいことだと思う。面と向かった会話に限るが。また率直に言って現在は、その言い間違いを言い間違いのまま済ませられる余裕のほうが好ましい。2019年に消費税増税した際に導入されるのであれば、ある意味「改元税率」かもしれないしさ。
なにかを言い間違ったり勘違いしたりしたのを、「え、ちょっと待ってください」とスマホを取り出してWikipediaをチェックして挙句の果てにゃあ修正したりするやつって、世の中にどれだけいるんだろうか。菅田将暉(すだ・まさき)、黒木華(くろき・はる)、米津玄師(よねづ・けんし)、を初見で読めた人は皆無だろうし、けれどもいつのまにか、「おれ/わたしは知ってるよ」みたいなツラして世の中をわたっているわけでしょ。そういう人の、流行り言葉(特にツイッターとかの)を初めて遣った瞬間を隠し撮りしたコンピ動画があったらずっと観つづけたいよ。あんがい平然としているものなのかな。あるいは、「おまえ遣い慣れてねーだろ!」ってツッコミに怯えていたりするのかな。話を戻すと、正確さに拘泥しつづけるコミュニケーションって、たのしいんですかね? 正確性や中立性に死ぬほど配慮した結果、クソの役にも立たない情報だけをやりとりして、たまった鬱憤をSNSで吐き出すんですかね。だからあそこはクソ溜めなんすかね。みんなクソ溜めのなかでよく溺れないんだな、とカナヅチの僕は感心するばかり。
排泄物で思い出したんだけど、来年はいよいよ東京で大きなスポーツ大会をやる。そのときになったら右も左も一丸となって反対派を非国民扱いしそうなんもんだから、いまのうちに水を差しておこう。あらかじめ断っておくと、選手のほうに故障があるわけではない。五輪のスポーツであるとないとにかかわらず、そりゃあアスリートたちはじゅうぶんにやっているのだということは、いかなスポーツ音痴の僕だとてわかっているつもりだ。男性アスリートにおいては、遠征の合間の買春、違法賭博、後輩への暴行、対戦相手への意図的な傷害等々に従事しつつもその間隙を縫って練習や稽古に励み、女性アスリートにおいては、セクハラやパワハラのジャングルをなんとかくぐり抜けながら、そのうえ生理不順に至るまでの猛練習の強制に耐えているのである。スポーツって、ほんとすばらしい。
『ブルータス(884)』で、ライターの武田砂鉄が東京五輪についてこう言っていた。
今までは頑張って批判してたけど、やるとなったからには楽しもうとか言い出すヤツをチェックするのが、2019年の仕事になると思います。
はじめはね、みんな批判するのよ。けれども、どこかの地点で分水嶺が発生し、そこからは「ま、いっか」みたいなノリを共有し始めるってのがこの国の人間の性質でしょ。2013年あたりにぶーぶー言っていたみなさん、いまだにぶーぶー言えてますか? それとも、選手に罪はない、とか、スポーツじたいを批判したいわけじゃない、みたいなとっても都合のいい言い訳を見つけたりしましたか? おれはあの日からずっとオリンピックをボイコットしているよ。おかげで読売の、「読者が選ぶ10大ニュース(2018)」のトップが羽生結弦がなんたらかんたらっていうのを見て、はじめて連覇なるものを知った次第。もともと世間のニュースに疎いけどさ。
ま、いいやって感じだよ。なんつうか、「世間」なんてものと隔絶して久しいし、その傾向はますます強くなっていくだろう。この国がどん詰まりに突き進んでいくのも、最近は見ていて楽しくなってきたしね。大勢のヨダレ垂れ流し無批判無脳人間たちがふらふらと歩いていって、レミングスみたいに地獄の淵に真っ逆さまに落っこちていくのを、後方から見物することにする。いや、僕だって落ちますよ。ただ、大勢の人間たちが「うわーこんなはずじゃなかったのにー」と後悔しながら落っこちていくのを見られるのであれば、落ちるのは構わないというだけ。