昨年の見聞きしたなかで、もっとも吐き気を催す言葉が、「平成最後の」だった。
NHKみたいな提灯放送機関が使用するならわかるが――そして実際に使用しているが――なぜ官公庁勤務でもなく元号使用にそれほど馴染みのない人間たち(特に若い人間ならばそうだろう)までもがやたらと平成平成と口にするのか。それが、まことに気味悪く、いまだにその思いがつづいている。
バミューダ・トライアングルを本気で信じ込んでいるムー読者(僕も信じていたよ!)のごとく、天皇制=元号使用=括弧つきの「保守」、という三角形を堅く守っていこうと誓った日本会議およびそのシンパたち発信のプロパガンダであろうことは言うまでもないのだが、それにしてもみんな使いすぎで、そうなると、プロパガンダという陰謀論ひとつに任せておくこともやや心許なくなってくる。
ん? だがこれと似たようなことを最近どこかで見たような気が……。
と、例の安室ちゃん問題を思い出す。去年の9月半ばにそのことについて書いたが、人は最後になるとわかった途端にありがたがるというか惜しみだすというか、とにかく褒めちぎるのである。梅ジャムにしても関東のカールにしても、おまえらふだんからそんなに買っていたのかよってくらいに「青春の味」アピールするでしょ。そういう心理のおかげで「平成」の価値は現在インフレ真っ最中、というのが僕の見立て。そういう不自由な脳味噌の使い方から、そろそろ解放されようぜ。

余談だが、その平成最後の紅白が思いのほか好評だったようである。サザン・ユーミン・北島三郎の共演を手放しで奇跡とか伝説などと絶讃する声が少なくないらしいが、僕はただ「笑っていいとも」の最終回でロートルが大集合した映像を連想するばかり。いくら金を積んだか知らないが「大御所」なるものが共演するというだけですばらしいというのなら批評は必要なく、それはアイデアのないアヴェンジャーズみたいなもので、まさにそれこそが紅白という気がしないでもないけれどね。ちょっと引いて観てみりゃぬるい学芸会にしか見えないが、それのなにが腹立たしいかっていうと、受信料が使われているということ。朝もプライムタイムもただのバラエティショーにしか過ぎなくなってしまった感があるので、冗談抜きで受信料を支払う気がなくなってきた。天皇制の維持と一緒で、有志の寄付だけで賄えばいいのにって思ってる。そうなりゃ僕は、総合はドキュメンタリー枠と(いちおう)ドラマ枠だけにしかペイしないつもり。「ニュース」枠もスポーツ枠もバラエティ枠も全部カットしてもらって結構。なんで内村が紅白の司会しているのかと思ったらNHKでバラエティ番組を持っていたのね。でた、うちわむけー。NHKが大好きな、そしてNHK視聴者が大好きな、うちわむけー。おまえら自腹でやってみろってんだ。
NHKついでに書くと、このあいだ観たまんぷく(どうでもいいけど、まんぷく、一回の視聴でかなりいろいろなネタが掘れたな)で思ったもうひとつは、弁護士役の菅田将暉(他の役柄ではどうかわからない)が高畑充希化していることに誰も触れないわけ?ってことだった。