とはいえ、わからないでもない

2009年09月

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大学の近くの本屋には、狭いくせにちょっとトンガった本が置いてあった。さすがに古本は置いてなかったものの、それでも文庫の棚をよく見てみると、もう版が切れているものなんかが平気で並んでいたりした。哲学や宗教の本棚も充実してある一方、『薔薇族』や『バディ』が平積みされていた(さすがに店の奥ではあったけど)。『コミックキュー』があったのは、ちょうどその裏の棚ではなかったか。
『コミックキュー』の功績は、なんといっても黒田硫黄小田扉を世に知らしめたということだろう。少なくとも私は、二人の登場に興奮した。黒田硫黄は、はじめから天才だった。とにかく大器なのである。つかみ所がなく、天衣無縫な漫画を描く。漫画は起承転結でしか表現できないと思っている人、あるいは、起承転結で表現された漫画しか読んだことがない人からすると、「なんだこりゃ?」に違いない。そりゃそうだろう。たいていの漫画家は「マンガの世界」を描き、黒田硫黄は「世界」を描くのだから。
だからといって、黒田硫黄はリアルな世界を描くというのではない。むしろ、世界設定や状況についてはリアリティが稀薄なことが多い。だが、なんといってもその登場人物たち一人一人がちゃんと息づいている。私たちが頭をぼーっとさせてどうにかこうにか生きている日常を、彼らは「ぶははは」と高笑いしながらエネルギッシュに駆け抜けて行くのだ。
「天才」なんて言葉を使うのは本当は厭なのだが、黒田硫黄についてだけはこの讃辞を惜しむつもりはない。そして、天才の作品を評するのに一番いいのは、あまり多くを語らないことだ。本当に素晴らしいものは、実際に感受する以外に方法はない。語れるわけがないのだ。
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短編集『茄子』1巻より。男が13歳、女が18歳。13歳がある日電車の中で18歳に声を掛け、二人は「日常」からの脱出を試みる。それにしても、この台詞の迫力と言ったら。興味を持たれた方は、一番読みやすい『茄子』をどうぞ。新装版になっているようです。また、ちょいとミーハーな方への一言。この『茄子』、昔の単行本バージョンではあの宮崎駿がオビに推薦文を書いていましたよ。なんでも大ファンだとか。

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この本、思った通りというか、なんとも面倒な構成になっていて、「だからなんだってんだよ?」と呟いてしまうくらいに焦らしに焦らす。最初はロックフェラー大学で研究したという野口英世の話から、ディミトリ・イワノフスキー、オズワルド・エイブリー、アーウィン・シャルガフ、キャリー・マリス、ジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、ロザリンド・フランクリン、モーリス・ウィルキンズ、エルヴィン・シュレーディンガー、ルドルフ・シェーンハイマー、ジョージ・パラーディといったお歴々の研究者たちの研究がまず紹介される。「まず」と書いたが、本書285ページ中、上記研究者たちの紹介に200ぺージ割かれているという点だけで、もうこの本の性格はわかるに違いない。つまり、この著者自体の研究というのは、残り85ページしか記述されていない。素人目には特に重要性があるように感じられないそれにも、過去の偉人たちの「遺伝子」が脈々と流れているのだということを、つまり研究の正統性のようなものを、本書の七割を使って説明したかったのかもしれない。しかし、その研究の結果ですら、最後はどうなったかが明かされず(文章を見る限りは失敗に終わったように見えるのだが)、その結論が、

結局、私たちが明らかにできたことは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである(272ページ)

という、なんともおそ松くん。これじゃあ、わざわざ科学者が書く「科学の本」じゃないよねえ。科学ジャーナリストに書かせたっていいくらいなもんだ。
と思うと、本書のいやーに鼻についたところが次々と鮮やかに思い出され、なるほどと合点が行った。
この人の文章の特徴として、やたらと比喩が多いのだが、これが本当に気にくわない。
ある場面、タンパク質の相補性(あるタンパク質には必ずそれに対応するタンパク質があること)を説明するのに、ジグソーパズルを比喩として用いるのだが、その比喩と実際のタンパク質の性質との差異を長々と説明する。いわく、

ジグソーパズルモデルもしくはそのアナロジーは、生命のありようを記述するのにきわめて有効だと私は考える。しかしながら、実際の生命現象の「柔らかさ」と「複雑さ」とからはいささか離れるきらいもある。そこで、ここでは二、三の注意を喚起しておきたい(179ページ)

と言ったり、また、違うページでは

最後に、もうひとつだけジグソーパズルのアナロジーがもたらす齟齬を指摘しておきたい(184ページ)
と言う。ハッキリ言ってしまえば、そのアナロジーの設定自体が間違っているのだ。
これだけではない。著者たちの研究グループがあるタンパク質の働きを特定させようとやっきになっているとき、そのことを「新種の”蝶”を採集することに似てい」ると言う(207ページ)。私は昆虫採集などしたことがないからわからないが、きっと著者にはそういう趣味があって、なるほど似た部分があるのかもしれないな、とそこまでは納得できるのだが、その後、ほぼ2ページを費やして「トリバネアゲハ」なる「すばらしい」蝶の説明になり、挙げ句、

大げさないい方を許していただくとすれば、そして私たちが採集しようとした小さな小さな、そして色のないジグソーパズルのピースを、極彩色のアゲハチョウと比べる不遜を今だけ見過ごしていただくとすれば、新しい未知のタンパク質を捉えようとしていた当時の私たちの内部に沸き起こっていた感覚は、ボルネオやニューギニアの密林を踏破した採集者たちの興奮と同質のものだったのである。私たち分子生物学者もまた世界の構造を知りたかったのだ(214-215ページ)

と大見得を切る。著者が興奮して大袈裟に描写する分、どうしても冷ややかな気分に陥ってしまうのは私だけだろうか。 万事この調子なので、純粋な学術的知識を身につけたいだけの人は素直に回避した方が無難である。私は「たぶん科学エッセイだろう」と見当をつけていたが、そう思っていても読むのが辛かった。本編とは関係ないような感傷的な文章が各章のはじめに出てきて、それがいかにも「アメリカ的エッセンス」に溢れた文章で、却って時代遅れな感じがした。わたせせいぞうの漫画を見て、「まだこんな表現でやってるの?」と驚くのと少し似ているような気がした。日本人がこういうことを書いても、たいていの場合格好がつかないのだ。
まあ、公平な見方をするならば、紹介される他の研究者たちのエピソードはそれなりに面白いし、やはりスリリングに満ちている部分がある。DNA の螺旋構造は美しく、それでいて驚くほどの合理性を持っている。ああいう構造があのサイズで実現されていることを目の当たりにした研究者なら、素直に神の存在を信じてしまうだろう、と無神論者の私でも思う。著者が素直に紹介に徹していれば、この本の価値はもっと上がったであろう。科学者が書く文章にしては、彼は我を出しすぎている。

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