とはいえ、わからないでもない

2009年12月

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2009年も残り数日になった。
この一年を振り返り、読んだ本は八十五冊だった(おそらくいま併読している本を読み終えれば八十七冊にはなろう)。月平均で七冊ほどだが、これは少ない。読んだ多くは、読みやすい小説やエッセイ類ばかりだから、いずれ手をつけねばならない哲学・宗教関係の書物であればもっとペースは落ちることだろう。はたして一生にあと何冊読めるのか。
今年はなんといっても北方謙三の『水滸伝』の年であったというしかない。全十九冊をまさか一気に読めると思っていなかったが、読み出したら止まらなかった。北方『三國志』はあまり感動しなかった私も(王欣太の『蒼天航路』の方が雄大であって好みであった)、この水滸伝には大満足であり、まさに誰かが解説で書いてあったように、日本の歴史小説の金字塔であることは間違いない。
また、人に勧められて不承不承に読んだ角田光代の『対岸の彼女』が予想以上に良かったのも収穫だった。いわゆる女流作家の感じなんだろうと思い、その感想は読んでいる最中もかなりつづいたのだが、思わず「ずるいなあ」と唸ってしまう描写がいくつか出てきて、最後の最後で「おぉっ!」という仕掛けがあり、文学的昇華を見せる。このシーンがなければ単純な青春友情小説(それでも作者のプロフェッショナルな伎倆に感歎するが)と読めないこともないが、それにしたって作者は、「やっぱ女の友情っていいよねえ」という単純で手放しな感想を求めてはいないだろう。男の私はちょっと寒気がした。
年が明け、いま取り掛かり中の『坂の上の雲』を読み終えたら、途中になってしまっている『ローマ人の物語』を読み始めることにしよう。来年はもう少し読書時間が増えるだろうし。

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ある人のブログを読んでいたら面白いことが書いてあった。

NORAD (北米航空宇宙防衛司令部)という米・カナダによる軍事機関が毎年サンタクロースを追跡し、その状況を随時報告しているという。しかもちゃんとサイトまで用意してある。
サイトにも書いてあるが、NORAD がサンタクロースを追跡することになった原因は、1955年の「サンタクロースは今どこにいるの?」という子供からの一本の間違い電話だったという。当時の司令官のハリー・シャウプ大佐は、その電話に対し丁寧に答え、それがやがてNORAD の伝統になったという。

うーん、すごいユーモアだ。なによりも軍事機関が、この壮大で素晴らしいジョークを半世紀以上演じつづけているというのが、実にアメリカ的だ。


サンタクロースで有名な話をもうひとつ。
ヴァージニアという8歳の女の子がニューヨーク・サン紙に手紙を送った。その内容は「サンタ・クロースは本当にいるの?」というものだった。それに対し同紙はすぐに社説上で回答した。1897年9月21日のことだった。以下に青空文庫からの引用(大久保ゆう訳)を記す。


本誌は、以下に掲載される素晴らしい投書に対してお答え申し上げると同時に、読者にこのような素晴らしい方がおられることを、心から嬉しく思います。

「こんにちは、しんぶんのおじさん。
 わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
      ヴァージニア・オハンロン」


 ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩のたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。
 サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶに、人を見はらせて、サンタクロースが来るかどうかたしかめてごらん。サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いないってしょうこもない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、ほんとうのところは、だれにもわからないんだ。
 あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、ふしぎな世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。むじゃきな心とか、詩をたのしむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界を見たり、えがいたりすることができるんだ。うそじゃないかって? ヴァージニア、これだけはいえる、いつでも、どこでも、ほんとうのことだって。
 サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

1897年といえば明治三十年。正岡子規が俳句雑誌『ホトトギス』を創刊した年らしい。子規もすごいが、アメリカのジャーナリズムの歴史もすごい。

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#2の解答

6. 『吉里吉里人』(井上ひさし/新潮文庫)
7. 『グレート・ギャツビー』(S.フィツジェラルド著 野崎孝訳/新潮文庫)
8. 『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー著 野崎孝訳/白水uブックス)



6.
遅筆堂と称される井上ひさしだが、この文章の質(しかも、単純なレトリックで終わるわけではない)と量(約五百ページ全三巻)を考えれば仕方あるまい。方言をルビを使って見事に表現し尽くしている点といい、また少しネタバレになってしまうが、記録者(わたし)という表記の意味が一番最後になって「ああなるほど!」とわかる仕掛けといい、読む贅沢さを味わえる小説。

7.
「きわめて優れた」としか形容のしようがない小説。村上春樹のエッセンスがここに詰まっている。現在の村上はそのエッセンスを汲み尽くして絞り滓しか持っていない、というのは私の独断だが、この書き出しの美しさが、そのままこの小説の持つ美しさとはかなさを物語っている。それでも、一定の感性を持っていない人間には理解できないかもしれない。

8.
世界で一番有名な青春小説だろう。なんといってもタイトルが素晴らしい。7も8も村上春樹訳が出ているが、はたして新訳する必要があったのかどうかという疑問がある。出版社としては「あらたに甦った」というような表現を用いて売上を伸ばしたいところだろうが、1951年の作品に対する翻訳が多少古くさくてもいいのではないかと、私には感じられる。

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6.
この、奇妙な、しかし考えようによってはこの上もなく真面目な、だが照明の当て具合ひとつでは信じられないほど滑稽な、また見方を変えれば呆気ないぐらい他愛のない、それでいて心ある人びとにはすこぶる含蓄に富んだ、その半面この国の権力を握るお偉方やその取り巻き連中には無性に腹立たしい、一方常に材料(ねた)不足を託つテレビや新聞や週刊誌にとってははなはだお誂え向きの、したがって高みの見物席の野次馬諸公にははらはらどきどきわくわくの、にもかかわらず法律学者や言語学者にはいらいらくよくよストレスノイローゼの原因(もと)になったこの事件を語り起こすにあたって、いったいどこから書き始めたらよいのかと、記録係(わたし)はだいぶ迷い、かなり頭を痛め、ない知恵をずいぶん絞った。

7.
ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。
「ひとを批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」

8.
もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。第一、そういったことは僕には退屈だし、第二に、僕の両親てのは、自分たちの身辺のことを話そうものなら、めいめいが二回ぐらいずつ脳溢血を起こしかねない人間なんだ。そんなことでは、すぐ頭に来るほうなんだな、特におやじのほうがさ。いい人間ではあるんだぜ。だから、そういうことを言ってんじゃないんだ。けど、すごく頭に来るほうなんだな。それに、僕は何も、自叙伝とかなんとか、そんなことをやらかすつもりはないんだからな。ただ、去年のクリスマスの頃にへばっちゃってさ、そのためにこんな西部の町なんかに来て静養しなきゃならなくなったんだけど、そのときに、いろんなイカレタことを経験したからね、そのときの話をしようと思うだけなんだ。

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#1の解答。

1. 『漱石の夏やすみ』(夏目漱石『木屑錄』 高島俊男翻訳/朔北社)
2. 『メロウ』(田口賢司/新潮社)
3. 『予告された殺人の記録』(G・ガルシア=マルケス著 野谷文昭訳/新潮文庫 )
4. 『北回帰線』(ヘンリ・ミラー著 大久保康雄訳/新潮文庫)
5. 『ソドム百二十日』(マルキ・ド・サド著 澁澤龍彦譯/河出文庫)



1.
これは、もともと夏目漱石が房総紀行を漢文で書いたもの(『木屑錄』)を、中国文学者の高島俊男が翻訳したもの。そのため小説とは言い難いので少し意地悪問題。
「夏やすみ」という表記からもわかるように、訳者独特のこだわりから意図的に和語の漢字使用を回避している。昔からの、あるいはごく最近における漢字(知識?)崇拝主義を嘲笑う部分があり、漢字検定的知識を身につけようと努力する前にせめて一読はしておきたい。
文章のスタイルとして、江戸弁・落語・五七調をところどころに取り入れていて、これこそ『声に出して読みたいなんちゃらかんちゃら』などよりよっぽど音読して愉しい。

2.
いつだかのドゥマゴ文学賞を受賞。授賞者は浅田彰。その浅田の評が「J-POP ではない、POP なのである」だったはず。
間違いなく村上春樹 - 高橋源一郎ラインを意識している文体で、大きく言えばアメリカ現代小説の潮流か(アメリカ現代小説といっても広くあるのでその一部)。若い美術系の学生あるいは専門学生なんかが好んで読みそう。

3.
バッグブランドで「ガルシア・マルケス」という名前を見たときは驚いた。焼酎の『百年の孤独』を見たときも驚いた。その驚きは「よくもまあ」である。
本書は比較的読みやすい短篇で、なんといっても迫力がすごい。
ガルシア=マルケスの作品は、書き出しがたいてい印象的で、いきなり引きずり込まれる感触がある。この一文を読んだだけで、本書主人公のサンティアゴ・ナサールは殺されるということが既に決定づけられており、その運命をひたすらなぞるようにして物語は進んでいく。特にこの小説は手に汗を握るような異様な緊張感があったように記憶しているが、なにせ十年以上前の感想なので不確か。
とにかく、ガルシア=マルケスの小説はかけがえのないエピソードの連続で物語が構成されているといってよく、「なにも起こらない」日本の小説に慣れている人はすぐにノックダウンされてしまうことだろう。この一文だけで既にガルシア=マルケスの世界が構築されてしまっているところがすごい。

4.
翻訳もいいのだろうが、ミラーの文章はリズムを強く感じる。私がこの本を最後まで読んだのは一度きりなのだが、途中まで読み進めたことは五回を下らない。あるいはもっとか。
最後まで読もうと読むまいと、この小説の魅力は変わらないのではないか。文字通り、生きていること = 小説という価値観がこの小説を支配し、実際にそう意識してミラーは生きていたのだろう。
貧乏で(見ようによっては)惨めな生活をげらげらと笑いながら描写していくさまに、読者は勇気づけられ、憧れさえ覚える。とんでもない人生讃歌があったもんだ。

5.
SM のS 担当ということでのみサドは有名だが、澁澤の訳もあいまって怖ろしいほどの美文を書くということは、少なくとも若い世代にはあまり知られていないのではないか。
サドの世界は絶望に満ちていて、現代の豊かで平和で民主的な価値観からすれば決定的に受け容れがたい「不快」がある。
だが、この美文に彩られたサド独特の感覚が、理性的に判断すると実は正しいということがわかり、センセーショナルに映るすべての要素が、まさに「正しさとはなになのか」という一点に集約され、読者は愕然とする。
時と場所が異なれば、サド的感覚の支配者が独裁する世界があり得たのだし、これからも、そのような世界の出現可能性は0だとは言いきれない。ある人間がある人間を、その欲求を満たすだけのためにモノのように扱い、モノのように捨てることができる、ということは、現代日本人からすれば「不快」そのものであるが、世界はそう慈愛に満ちたものでもないという事実に少しでも目を向けられることができれば、それだけでもサドの小説の価値はまったく下落していないと言うことができる。これは私なりの読み方だが。

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昔のバイトの先輩で、小説の話をすると、その書き出しを暗誦する人がいた。
小説の書き出しは重要だ、と考えていた時期が私にはあって、今となってはそれも小説の魅力のひとつに過ぎないという認識に変わったが、それでも、忘れがたい印象的な書き出しに出逢うとやはり嬉しくなってしまい、もったいなくてなかなか先に読み進むことができない、という経験が今でもある。
というわけで、試みとしていくつかの小説の書き出しを掲載してみる。答えは次回。

1.
我輩ガキの時分より、唐宋二朝の傑作名篇、よみならつたる数千言、文章つくるをもつともこのんだ。精魂かたむけねりにねり、十日もかけたる苦心の作あり。時にまた、心にうかびし名文句、そのままほれぼれ瀟洒のできばえ。むかしの大家もおそるるにたらんや、お茶の子さいさいあさめしまへ、これはいつちょう文章で、身を立てるべしと心にきめた。

2.
死とは何か。
あるとき晩年のエルヴィス・プレスリーをファンの少女が訪れた。曖昧な絶望がもたらした過食のために醜く太ってしまったエルヴィスを前にして少女は大いにとまどった。
エルヴィスは食べ続けていた。
口がもぐもぐ動いていた。
「ねえ」
少女はその口もとをじっと見つめながらきいた。
「ねえ。エルヴィス。そのあごの下にあるものは何?」
するとエルヴィスはやさしく少女の頭をなで、
「あごだよ、ハニー」
と言った。
その二つ目のあごが死である。

3.
自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間幸せを味わったものの、目が覚めたときは、体中に鳥の糞を浴びた気がした。「あの子は、樹の夢ばかり見てましたよ」と、彼の母親、プラシダ・リネロは、二十七年後、あの忌まわしい月曜日のことをあれこれ想い出しながら、わたしに言った。「その前の週は、銀紙の飛行機にただひとり乗って、アーモンドの樹の間をすいすい飛ぶ夢を見たんですよ」彼女は、見た夢を必ず朝食の前に話すという条件で夢判断をし、それがよく当るので評判だった。しかし、自分の息子が見たこの二つの夢や、彼が死ぬ日の朝までに彼女に語った他の樹の夢については、何ひとつ不吉な前兆に気付かなかった。

4.
ぼくはヴィラ・ボルゲエゼに住んでいる。ここには塵っぱひとつなく、椅子の置場所ひとつまちがっていない。ここでは、ぼくたちはみな孤独であり、生気をうしなっている。
昨夜母リスは、からだに虱がたかっているのに気づいた。ぼくは彼の腋の下を剃ってやらなければならなかったが、それでもまだ痒みはとれなかった。こんなきれいなところにいて、どうして虱なんぞにたかられるのか。だが、そんなことはどうでもいい。ボリスとぼくとは、もし虱がいなかったら、これほど仲良くはならなかったかもしれないのだ。ボリスは、やっと一通り、彼の意見の概要をぼくに語ってくれたところだ。彼は天気予報の名人である。この悪天候はまだつづくだろう、と彼は言う。天災や、死や、絶望が、まだまだつづくだろう。どこにも毛筋ほども好転の兆は見られない。時間の癌腫が、おれたちを食いほろぼしつつある。おれたちの主人公たちはみな自殺してしまったか、または現に自殺しかけている。してみれば主人公は「時間」ではなくて「無時間」にほかならない。おれたちは目白押しにならんで死の牢獄に向って行進して行かねばならないのだ。逃げ路はどこにもない。天気は変るまい。

5.
ルイ十四世の治下に続けることを余儀なくされた数々の大戦争は、国家の財政と国民の資力とをはなはだしく疲弊せしめはしたものの、世の災害に乗じて一儲けしてやろうと待ちかまえている、あの蛭のような人物たちの、私腹を肥えしめるというふしぎな結果を生じた。こういう人物は、世の災害を鎮めようとするどころか、逆にこれを煽り立てて、そこから多大の利益をむさぼり取ろうとさえするのである。それでもこの崇高な治世の末期は、フランス王政の各時代を通じて、おそらくもっとも金持ちがひそかに富み栄え、表立たない奢侈放埒が幅をきかせた時代であった。作者がこれから語ろうとする四人の道楽者が、奇怪な遊蕩の計画を思い描いたのも、こうした治世の末期、すなわち摂政が司法庁と呼ばれるあの有名な裁判所を通じて、大勢の収税請負人の不正な所得を吐き出させようとしていた頃のことなのである。

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UA の『情熱』の冒頭。

きっと涙は
音もなく流れるけれど
赤裸々に頬濡らし
心まで溶かしはじめる
UA はこの下線部を「ホーヌラシ」と歌っていた。「頬」を「ホオ」と読んでいるということだ。そこであれ? と思った。
頬の読みは「ホホ」と「ホオ」、どちらが正しいのか。

広辞苑第五版では「ほほ」を引くと、「ほお」の項を見るよう指示があり、「ほお」にその説明がある。
ところがそれよりはるかに小さい新明解国語辞典第四版で「ほほ」を引くと、「『ほお』の新しい言い方」とある。「ほお」には「頬」の説明があるので、やはり「ほお」が本則らしい。
『言海』明治二十二年版六百二十八刷(昭和六年)の復刻本を見ると、「ほお」はなく、「ほほ」しかない。

〔含ム處〕ツラ。顔ノ一部目ノ下、鼻口ノ傍。
大項目の「ほほ」のふたつめの「ほ」には「オ」のルビが振ってあるので、「ホオ」と読んでいたことがわかる。ちなみに、「含」にはホホとルビが振ってあり、念のため「ほほむ」を調べると、
ふふむ、ふくむニ同ジ。
とある。なるほど。

以上をまとめると、「頬」は元来「ほほ」と表記し「ホー」と読んでいた。それを戦後のかな表記変更に伴い、「ほお」が本則となった。
(戦前「ほ」あるいは「を」を遣ってオ音で読ませていた言葉は、戦後「お」と表記されるようになった。例: ほのほ(炎)→ ほのお、おほかみ(狼) → おおかみ)
ここからが素人考えなのだが、「ほお」に変更した後も、旧表記はまだまだ世の中に溢れていて、それを新表記しか知らない若者たちが「ほほ」という字を「ホホ」とそのまま読んだのが始まりではないか。
「てふてふ(蝶々)」を平安時代ならいさ知らず、明治大正昭和初期あたりまではみなが「チョウチョ」と読んでいたはずで、それを知らない子供が「ああ、昔はテフテフと言っていたんだなあ」と勘違いするのと同じ理窟で、「ほほ」とあるのを、そのまま「ホホ」と読んだのではないか。


ところで、「頬」を「ホホ」と読む代表例としてジェンカがすぐに浮かぶ。YouTube で坂本九の唄ったものを確認すると、「レッツ、キス、ホホヨセテー」と明確に「ホホ」と発声している。
この曲、おそらくなかにし礼(1938-)が訳詞をしているのだが、戦前生まれのなかにしが「ホホ」と読んだとは考えにくい。そうなると、坂本九(1941-1981)が間違えて「ホホ」と読んで唄ってしまったということになるが、誰も注意しなかったのだろうか。それとも、1966年当時では「ホホ」と読むのが既に普通になっていたのだろうか。なお、この曲は青山ミチという人のために訳されたのが元々らしいが、青山版の音源は確かめていない。


「頬」を「ホホ」と読んでしまう一番の原因は、「ほほえむ」という言葉のせいではないか。前述の『言海』によれば(ほほゑむ)、

含ミ笑ム意ナラム、或云、頬笑ムノ義、頬ニ其氣色ノ顯ハルル意ト
と解説があった。もちろん「含」にはホホとルビが振ってある。
つまり、「含み笑う」という意味から発生したという説と、「ほっぺたで笑う」という意味から発生したという説とが当時はあったらしい。ただし『言海』には「ほほゑむ」のふたつめの「ほ」の横に「オ」のルビがないことから、「ほほみわらう」という意味を採っていたのかもしれない。
なお、広辞苑には「ホオエムとも」とあり、これはおそらく「頬笑い」の可能性を捨てていないということだろう。

かく言う私は、と振り返ると、比較的「ほほ」の方を多く遣っていたような気がする。「ほお」は音が「ホー」になり、「方」の「ホー」と同音のために避けていたのかもしれない(法の「ホー」は後ろにアクセントがあるので少し発音が変わる)。また、「ほほえむ」という字を「微笑む」という字が普通だが、「頬笑む」という字をどこかで見たせいで、「頬」を「ほほ」と結びつけていたのかもしれない。
いずれにせよ、やっぱり「ホオ」は言いづらいし聞き取りづらい。

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有る程の菊抛げ入れよ棺の中
これは漱石意中の人(という説がある)の大塚楠緒子(なおこ/くすおこ)が三十五歳で死んだときに詠んだ句らしい。

同時に、

棺には菊抛げ入れよ有らん程
ひたすらに石を除くれば春の水
の句も作った由。

これをなぜか私は、

百万の薔薇投げ入れよ海の底
という風に覚えていた。それはそれでかっこいいけど、壮大すぎて哀しみがない。

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もう三度目になるかもしれない『クリスマス・カロル』。だが読了後の幸福感はいよいよ強まって感じられたのはなぜだろうか。
スクルージのところで書記をしているボブ・クラチット家の足の不自由な子供、ティムについての描写。

幼いティムの魂よ、お前の子供としての本質は神から来たものである
(新潮文庫版 132P)
けれどもなんにしたってエンディングが素晴らしい。最近の「文学の砂場」で遊んでばかりの愚か者どもが「予定調和」だと批判をするかもしれないが、全然結構なのである。予定調和だと批判することがいまその砂場では流行っているのかもしれないが、長年人間を衝き動かしてきたのは流行なんかではなく、強い物語なのだ。
彼(改心したスクルージ)はこの善い、古い都にも、または他のいかなる善い、古い都にも、町にも村にも、この善い古い世界にもかつてなかったくらいの善い友となり、善い主人となり、善い人間となった。(中略)そしてもし生きている人間でクリスマスの祝い方を知っている者があるとすれば、彼こそその人だといつも言われていた。私たちについても同じことが言われますように私たちのすべての者がそうなりますように。それからティム坊が言った通り、『神よ、私たちをおめぐみください、みんな一人一人を!』
(新潮文庫版 149P: 下線部引用者)

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かなり短時間で回ったので、充分に言い尽くせないと思うが、だいいち私は美術館に長くいられるタイプではないし、そもそも写真を言葉で言い尽くせるはずもないし、単純な感想のみにとどめる。


内容はアフリカ。アフリカと言っても広うござんす。国名ではないし、大陸名であるからして。
時代もまちまちで、1970年代〜2000年代まである。主に難民を採り上げているといったらあまりにも簡単に過ぎるであろうか。いくつか子供たちの笑顔の写真もあったが、だいたいは悲痛な表情である。だが、こんなことを言ってしまえば絶対的に不謹慎であるが、サルガドの写真には美しさがあった。
骨と皮になるまで痩せてしまった瀕死の子供を抱きかかえる父親、ルワンダの大虐殺の一週間後になんとか逃げ延びてきた人たちの緊張に溢れた表情、食料の配給を受けるために数万人が隣町まで歩いていく光景。これらの被写体は圧倒的に悲惨である。
だが、その悲惨な被写体たちが単なる悲惨さ・単なる憐れみの対象に堕しないよう報道写真があるわけだし、そして、セバスティアン・サルガドの写真は、さらにそこに美しさを与える。
何百年かのちの人類がサルガドの写真を観たとき、その人たちは必ず讃嘆の声を上げるに違いない。悲惨さによってではなく、圧倒的な写真の美しさそのものによって。


サルガドが写している世界は、われわれが知らなくてはいけない世界だ。
平和な場所に育ち、平和な環境で暮らし、そしてときおり金を払って信じがたい現実の世界をほんの少しだけ覗く。そういう「私が暮らしている世界」のプロセスそのものを、サルガドの写真は問いかけている。少なくとも私には、「おまえの知っている世界は半分ですらない」と言われているように思えた。
苦痛に満ちた現実がある、ということだけではない。こんなに美しい現実もまた、お前はいまだ目にしていないのだ、と言われたように思えたのだった。

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