とはいえ、わからないでもない

2010年08月

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川上弘美の『センセイの鞄』を読了した。
いろいろな、そして多くの人がこの小説を好むというのは、わかる。しかし、私は楽しめなかった。

作者の他の作品は(あまり読んでいないから)よくわからないが、この作品について感じたのは、技術で書き上げた、という印象。あるいは、手先で書いた、とでも言えばいいのだろうか。
もちろん、小説は技術を用いて書かれるのだろうが、それ以上に、その背後になにかあるべきなのではないか
たとえば、荒木飛呂彦は『ジョジョ』の第六部の最後のシーン(下図)を描いたとき、自身も涙していたと言う。
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これに比して(比較するのも荒木飛呂彦に申し訳ないくらいだが)、川上弘美はどういう思いでこの小説を書いたのだろうか。

川上は、細部まで考え抜いてこの『センセイの鞄』を書いたように見える。おそらくそれは間違いのないことだろう。ところどころに文語を用いて、「美しい日本語小説」が目指されている。そして、その効果は意外に大きいようにも感じる。
また、この作品は読者の裏を掻く。ただ単に「美しい世界」が描かれるだけでなく、ときおり下品な人間がでてきたり、あるいはヘンに抽象的だと思ったらやけに具体的な部分があったり、と。いい意味で読者は右往左往させられ、みごと作者の手の内で踊らされているという風に楽しむこともできたであろう。
しかし、繰り返しになってしまうが私は楽しめなかった。
作者の技術以上に読むべきものを、私はこの小説のうちに見つけることができなかった。多分に好みもあろうが、その「小手先感」は読み進めていくにつれても、解消するどころか増していくばかりで、うんざりさせられた。
この小説をただの恋愛小説と読むのであれば、私の上の批評は的を射ていないことになろう。しかし、恋愛小説以上のものとして読むのであれば、確実になにかが足りない、と私には感じられた。

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ちょいと遠出をしたついでに大きなブックオフを見つけたので、中に入ってみた。
うわ。宝の山じゃん。

  • 『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク/光文社文庫)
  • 『浴室』(ジャン・フィリップ・トゥーサン/集英社文庫)
  • 『ムッシュー』(ジャン・フィリップ・トゥーサン/集英社文庫)
  • 『カメラ』(ジャン・フィリップ・トゥーサン/集英社文庫)
  • 『ためらい』(ジャン・フィリップ・トゥーサン/集英社文庫)
  • 『テレビジョン』(ジャン・フィリップ・トゥーサン/集英社文庫)
  • 『動物物語』(ジェイムズ・ヘリオット/集英社文庫)
  • 『犬物語』(ジェイムズ・ヘリオット/集英社文庫)
  • 『緋色の記憶』(トマス・H・クック/文春文庫)
  • 『夜の記憶』(トマス・H・クック/文春文庫)
  • 『二人がここにいる不思議』(レイ・ブラッドベリ/新潮文庫)
  • 『さようならコロンバス』(フィリップ・ロス/集英社文庫)
  • 『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ/新潮文庫)
  • 『宇宙戦争』(H・G・ウェルズ/角川文庫)
  • 『黒猫・黄金虫』(エドガー・A・ポー/新潮文庫)
  • 『イワンのばか』(トルストイ民話集/岩波文庫)
  • 『笑うな』(筒井康隆/新潮文庫)
  • 『幸福な家族』(武者小路実篤/新潮文庫)
  • 『注文の多い料理店』(宮沢賢治/新潮文庫)
  • 『地獄じゃどいつもタバコを喫う』(ジョン・リドリー/角川文庫)

『幼年期の終わり』は250円で、それ以外はみな100円。トゥーサンはおそらくすべて読んでいるのではないか。ヘリオットもどちらかはたぶん読んでいる。クックは『緋色の記憶』の方を既読。フィリップ・ロスと筒井、宮沢賢治も読んでいる。全く知らないのは一番最後のみ。タイトルが気に入ったので。
いやあ、最近は(今までにもまして)金がないので、ほんとに古本屋は助かる。月イチで通うようにしよう。

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東京へ行ったついでに『アリエッティ』を観てきた。別に東京じゃなきゃ観られないというものでもないが。
『アリエッティ』を観たという話をすると、決まって「あれ、あんまり評価されてないよね?」と言われる。それだけでも、ジブリの観客には固定的な映画の見方しかできない人が多いのだろうということがわかる。
言っておくけど、冒険活劇なんかじゃないから。わくわくするような冒険とかないから。宮さんの大好きな機械がガシャガシャ動くようなところもないから。
「それでなにが面白いの?」と思う人は観ない方がいい。でも、映画の面白さって本当にそれだけなのだろうか。
神は細部に宿り給う。私なら『アリエッティ』をそのように評価する。
手塚治虫も大友克洋も、そして宮崎駿も、細部に拘泥し、それを表現しつづけてきた。それを無意味だと思う人は(まさかいないとは思うが)、きっと豊饒さということの意味を知らないのだろう。
徹底した細部描写が生み出すのは、物語・世界・感情の厚みである。
たとえばアリエッティの家の廊下の壁に絵画の代わりとして切手が貼ってあることに、観客は「お」と思うべきだ。また、オブジェとしてボタンが飾ってある部分に「にやり」と笑ってあげるべきだ。もしかしたらこれは原作にある描写を忠実に再現しているだけなのかもしれないが、そういう部分が実に丁寧に描かれ、それだけで「贅沢な時間」が観客のうちに流れる。「ストーリーないじゃん」とぼやくだけの人は、その「贅沢な時間」を捉えていないだけなのではないか。
もちろん、ストーリーがないわけではない。ちゃんと主人公のアリエッティと翔の気持ちの通い合いが描かれ、ラストはちゃんとせつないようになっている。もしお望みとあれば、「泣くこと」だってできる。角砂糖ひとつであんな風に「想い」を伝えようとした演出にただただ感心する。
くわえて、声優が良かった。志田未来、神木隆之介、竹下景子にはヘンなクセがなく、素直に感動できた。樹木希林だけは違ったキャスティングもできたんじゃないかと思う。
いわゆるジブリ映画として観るのではなく、単純に映画として観てほしい。本当にいい映画。

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今日、数時間かけて仔猫たちのノミ取り薬をつけてやった。
フロントラインプラスという薬で、一本(三滴ほど)で1,200円程度。獣医で処方してもらった。
モモはおとなしいので、すぐに薬を投与させてくれた。投与といったって、首の後ろあたりに三滴ほど垂らすだけ。しかし、数時間ほどすると身体中にいたノミがパタパタと死んで畳に落ちていく。また、櫛を通しても何匹かは引っかかって落ちてくれる。元気なときは皮膚近くに逃げ込んでしまい、まったく捕まらなかったのだ。薬の効果として、二十四時間で身体についているノミ・ダニは死ぬと謳っているが、なるほど本当のようだ。
ノミでかゆそうにしていたのはモモの方だけだったので、これで一安心かと思いきや、モモのノミが死んでいくにつれ、ヒメがやけに身体を掻き出した。もしかして身体にノミがいる可能性が?
ノミというものはそもそも一匹だけに付着するものではなくて、家の中で産卵し、繁殖していくものらしい。ということは、モモの身体にノミがいれば、ヒメの身体にもノミがいるというのはごく当然の話。
ということで、未だ触らせてもくれないヒメを捕まえてその首元に薬を垂らすという作業を行ったわけだが、約三十分ほどかかり、両手は血だらけ。
それでも、なんとか投与することはできたので満足。いやあしかし、本当に疲れた。これでまたヒメに触る日が遠のいたことだろう。今日はめいっぱい怖がっていたからなあ。             

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AllAbout で「フレンチランキングBest 5」なんてやっているから、なにがランクインしているんだろうと思っていたら、3位にVIRON(渋谷)が入っていて、ちょっと嬉しい。
実は東京に戻っていたときに二回遊びに行ったのだが、とても満足できた。昔に較べて本当にいい店になっていた。私が知っていた当時のサービスはちょっとムラがありすぎたと思う。
今のマネージャーさんとはちょっとした知り合いで、お会いしたときにいささか隔世の感があったものの、少し話せば五年近く(あるいはもっと?)のブランクなんてあっという間に吹き飛んだ。
DRC のMarc de Bourgogne を飲みたい人はこちらでどうぞ。ちょっと高いけど、東京で一番DRC のMarc が売れているってマネージャーさんが言っていましたよ。もし本当だったらすげーな。私は(高くて)頼めませんでしたけど。

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ちょうど十年連載がつづいていた『ピューッと吹く! ジャガー』が今週号の「少年ジャンプ」で完結していた。
完結といってもうすたらしい終わり方で、つまりオチなし。最後の最後まで、ギャグ漫画界、少なくともジャンプ・ギャグ漫画界に悪影響を与えつづけた『ジャガー』らしい。
うすた京介は、良くも悪くも『マサルさん』が出世作であり代表作で、あの漫画が作り出した新しい価値観(=「なんだ、こういうのも笑いになるんだ」という驚きの創出)は認めざるを得ない。
ただ、『マサルさん』の連載中にも既にうすたは自家撞着に陥っていて、女子読者ファンが増えれば増えるほど、「これチョーおもしろいんだけど」的な声が大きくなればなるほど、うすたはなにが面白いかわからなくなっていったのではないか。その結果として、わづか二年間のうちに早くもセルフパロディに堕するようになった、それが私の当時の印象である。
それでも、当時のうすたにはまだナイーヴさがあったような気がする。定型化したギャグの破壊・破綻に与していたとはいえ、そこにはまだ一定のルールがあったように思う。
実際問題として、ほとんどのギャグ漫画には必ずといっていいほどルールがある。どんなに常識から外れたギャグ漫画であっても、物語世界の枠組みを作ってあげなければ、それがどれほど常識から逸脱しているかを測る基準がなくなってしまうから。上述した「ルール」は、そのような漫画の中のルールではなく、うすたが自身に定めた(であろう)ルールである。
言い換えるとするならば、それはギャグ漫画ひいては「少年ジャンプ」という漫画雑誌に対する敬意だったのかもしれない。たとえば、『マサルさん』の中ではどんなに手抜きに見えても、実際に手を抜いて描かれたことはなかったのではないかと思う。これは手元にコミックがあるわけではないので、完全に記憶と私感の領域になってしまうが。
ひるがえって『ジャガー』はどうだったのか。
ひどいものだった、とこの十年を振り返ってそう評さざるを得ない。セルフパロディはもとより多かったが、「このぐらいで笑うんだろ、きっと。え?」みたいなあえて詰めない(=練らない)ギャグを多用していた気がする。
うすたは本当にギャグ漫画が描きたいのか、それが私にはずっと疑問だった。
去年「ジャンプ」に掲載されたうすたの読み切り『ダブルマメダイチ』(当然タイトルなんて覚えていなかった。Wiki 参照)なんて、全然笑えないのだ。「つまんねー」というわけではなく、「これは……ギャグ漫画じゃないよな?」という印象。ギャグ漫画にしては恋愛モノの要素が強すぎるし、ひょっとしたらうすたは小田扉のようなギャグ漫画の形をした「ギャグ漫画以外のなにか」を描きたかったのではないか。
これらを併せて考えてみると、うすた自身が『ジャガー』に飽き飽きしていて、また、うすたワールドの閉塞感にも行き詰まっていて、だけれども厚顔無恥を貫き通して十年間をやってきた、というのが実状なのではないかと総括できる。
『ジャガー』のひどさは、うすたの厚かましさと同義であるが、今後は、『ダブルマメダイチ』に見られる作者のひとかけらの(なけなしの?)ナイーヴさに期待する。

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#6の答え。
16. 『パルプ』(チャールズ・ブコウスキー/新潮文庫)

もう四度ほど読み返しているが、見るたびに色褪せないことを痛感する。ブコウスキーの他の作品を読んだことがないのできちんとした評価をすることができないのだが、遺作ということを知っているせいかこの作品にはなにか特別なものを感じる(比較対照がないのに「特別」と評する矛盾は重々承知)。
主人公のニック・ビレーンはどうしようもないほどめちゃくちゃな探偵だが、読み進めていくうちに読者は、ニックだけがまとまな人間で、どうしようもないのは彼が生きている「世界」の方なんじゃないかと思い始める。
ニックが、依頼である「赤い雀」を探しながら入った<ブリンキーズ>という酒場での描写。
俺は空いているテーブルに席をとった。ウェートレスが来た。なんだか馬鹿みたいな格好をしている。ピンクのプレイスーツ。コットンが胸を押し上げている。ウェートレスはぞっとするような笑みを浮かべて、金歯を一本見せた。目にはカラッポさが読みとれた。
「なんにする、ハニー?」耳ざわりな声。
「ビール二本。グラスは要らん」
「二本なの、ハニー?」
「ああ」
「銘柄は?」
「なんか中国産のやつ」
「中国産?」
「中国産ビール二本。グラスは要らん」
「ひとつ訊いてもいい?」
「いいとも」
「そのビール、二本とも飲むのよね?」
「そうしたいと思ってる」
「じゃあまず一本飲んでから、もう一本注文したら? そうすればぬるくならないわ」
「二本いっぺんに頼みたいんだよ。たぶん何か理由があるんだろうけど」
「理由がわかったらあたしにも教えてね、ハニー……」
「なんであんたに教えなくちゃならん? 秘密にしときたいかもしれんじゃないか」
「お客さま、私どもはお客さまにお酒をお出しする義務はないんですよ。サービスをお断りする権利がこちらにはあるんです」
「つまり、中国産ビール二本注文してその理由を教えないから、酒は出せないってわけか?」
「出せないとは言ってませんわ。お断りする権利がこちらにはあるって申し上げただけです」
「あのな、理由はだな、安全を確保したいってことさ。安心を求める潜在的欲求だよ。俺はみじめな幼年時代を送ったんだ。いっぺんに二本確保することで、空虚が満たされるんだよ。てことじゃないかな。よくわからん」
「ハニー、ひとつ忠告させてね。あんたに必要なのは精神科医よ」
「わかったよ。でも精神科医に診てもらう前に、まずは中国産ビール二本もらえるかな?」
汚い白のエプロンをかけた大男が寄ってきた。
「ベティ、どうかしたのか?」
「この人、中国産ビール二本欲しいんだって。グラスはなしで」
「たぶん友だちでも待ってるんだろ」
「この人友だちなんかいないわよ、ブリンキー」
ブリンキーは俺の顔を見た。こいつもまたデブの大男だ。ていうか、デブの大男二人分。
「あんた、友だちいないの?」ブリンキーが俺に訊いた。
「いない」俺は答えた。
「じゃあ中国産ビール二本とってどうすんの?」
「飲むんだよ」
「じゃあ一本とって、飲み終えてからもう一本とったら?」
「二本いっぺんに頼みたいんだよ」
「聞いたことないぜ、そんなの」ブリンキーが言った。
「どうしてだめなんだ? 法律違反なのか?」
「いや、たださ、ちょっと不思議だから」
「あたし言ってやったのよ、精神科医に診てもらいなって」ベティが言った。
二人ともつっ立って俺を見ていた。俺は葉巻を出して火をつけた。
「臭い葉巻だな」ブリンキーが言った。
「あんたの排泄物もな」俺は言った。
「え?」
「中国産ビール三本持ってきてくれ。グラスは要らん」
「こいつ、頭のネジが外れてるぜ」ブリンキーが言った。
俺はブリンキーの顔を見て、笑った。
それから俺は言った。「もうこれ以上話しかけんでくれ。それと、俺をいらいらさせるような真似をちょっとでもしてみろ、その口をあんたの馬鹿面から吹っ飛ばしてやるぜ」
ブリンキーが凍りついた。いまにも排便しそうな顔だ。
ベティも相変わらずつっ立っている。
一分が過ぎた。やがてベティが言った。「どうする、ブリンキー?」
「中国産ビール三本持ってきてやりな。グラスは要らん」
ベティはビールを取りにいった。
「さて、お前だ」俺はブリンキーに言った。「そこの席に座んな。俺が中国産ビール三本飲むとこを見ててほしいんだ」
「ああ」ブリンキーは言って、俺と向かいあわせの席に太った体を滑りこませた。
ブリンキーは汗をかいていた。三重アゴが三つとも震えている。
「ブリンキー」俺は言った。「あんた、赤い雀って見たことないか?」
「赤い雀?」
「そう、赤い雀」
「見たことないね」ブリンキーは言った。
ベティが中国産ビールを持ってきた。
やっと。
このばかばかしくも、悲しいほどに緊迫した場面に、生涯最後の作品という雰囲気がいささかなりとも感じられるのではないか。

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今まで、『ハチワンダイバー』にすっかり心を奪われていたので、羽海野チカの『3月のライオン』を少し低く見ていたが、横浜の実家で、第四巻まで一気に読んでそれがどうやら見当はずれだったということがわかった。
作風は『ハチクロ』よりも少し少年漫画色が強くなったが(「ヤングアニマル」に掲載されているとういこともその理由のひとつだと思う)、それでも羽海野ワールドは健在。相変わらず動物がしゃべったり、ごはんがおいしそうだったり、女の子が女の子している。そしていつものように、ちょっとしたところがせつない。今後が楽しみな作品。
しかし、唯一気になったのが主人公たち棋士の「棋士業界人っぷり」で、作者としては綿密に取材を重ねたので自信を以て描いているのであろうが、もう少し違う描き方がありはしまいかと思った。
実は『ハチクロ』でも、主人公たちの「美大生っぷり」は少し鼻についていた。実際の美大生たちもあんな風に「ザ・美大生」を謳歌しているのかもしれないが、描き方としては、あえて淡々とした方が読者としては感情移入しやすいのではないか。
『のだめカンタービレ』や『バクマン』がつまらねーのも、上記理由が一役買っていて、前者は「音楽業界っぷり」を、後者は「漫画業界・編集業界っぷり」をこれまでかっていうくらいに描いているが、登場人物たちが得意気に業界の内幕をしゃべればしゃべるほど、真実味が減っていくように感じられるのはなぜだろうか。
作者が自分の知らないはずの世界をさも「業界風」に描いてしまう理由のひとつとして、物語に簡単に天才が登場するというのがあると思う。この天才の大安売りのおかげで、その業界が相対的に矮小化され、さらに作者自身が天才の視点でもってその業界を観察した結果、作者にとっては「すごくイカした」、けれどもきちんとした読みかたのできる読者、あるいは実際の業界人にとっては「すごく嘘くさい」世界が出現することになる。
それでは、それ(漫画上でその「世界」が矮小化すること)を回避するためにはいったいどうすればいいのか。
やはり、作者がその描こうとする対象に対してもっと敬意を払う必要があるだろうと思う。『3月のライオン』と同じく将棋漫画である『ハチワンダイバー』では、主人公のアマ棋士、菅田がこう言う場面がある。
「プロ(棋士)は神だからな」
将棋を知っている人であればあるほど(私もよく知らない)、こんな台詞はくだらないと感じるのだろうと思う。だが、この台詞から溢れ出てくる将棋に対する憧憬や敬意といったら。
ハッキリ言ってしまえば、『ライオン』も『ハチワン』も将棋漫画とはいうものの、将棋の世界を借りて「将棋とは違うなにか」を描こうとしている。
ただ、前者にとっての将棋が、つい「装置」(単なる設定上の問題=代替可能)に見えてしまいがちなのに対し、後者にとってのそれが「将棋以外ではありえないもの」として描かれていることが重要なのだと思う。

こうやって書くとすごく貶している風に読めてしまうかもしれないが、『ライオン』もすごくいい漫画。『ハチクロ』でヤラれた人なら是非おすすめします。

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忘れないうちに。今日飲んだものをメモしておく。
14:00〜
  • Vin Mousseux(銘柄わからず) × 1杯
  • Viognier(造り手わからず) × 1杯
  • Marc de Bourgogne (Domaine de la Pousse d'Or) 10 ans × 1杯
18:00〜
  • Vedett × 1杯
  • シャトーメルシャン メルロー&ベイリーA 2003 × 1/3本
20:30〜
  • Fixin 1er Cru Clos Napoleon × 1/3本
  • Calvados 15ans d'age (Château du Breuil) × 1杯
まあよく飲んだこと。1/3本なのは、三人で飲んだから。

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午前中、作業をしに少し外出していて、戻って来ると部屋が大変なことに。
ゴミ箱がひっくり返っており、その周りにはびりびりに引き裂かれ細かくなった洟紙(ティッシュ)が散らかっていた。そして、その近くには遊び疲れて満足気な猫たちが。
しまった。昨日からモモがゴミ箱に入れたビニール袋に興味津々で、朝も注意していたばかりだったのに。
汚い部屋をずっと眺めていてもしょうがないので、掃除機を掛けることに。古今東西(と大見得を切ってはみたものの確認したことはないが)猫は掃除機を苦手とする。たぶんあの吸引音が怪物のように感じるのだろう。慣れると(?)掃除機を持ってくるだけで逃げ出すようになる。
うちの二匹はまだ見慣れていないらしく、掃除機を見ても「なんだろう」と興味を寄せるようだったが、いったんスイッチをオンにしたら、たちまちテレビの裏に隠れ、びっくりしたような顔をして二匹一緒に身を寄せ合っていた。さんざんいたずらした罰だ、少しいい気味だと思う。けけけ。

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