とはいえ、わからないでもない

2010年09月

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1900-1940

さて、優しい私は2008年10月号の「エスクワイア」から大量の引用をしてあげますよ。特集のタイトルは「時代でたどるSF小説60冊」。今回は1900年代から1940年代まで。永瀬唯の選による。
  • 『火星のプリンセス』 / エドガー・ライス・バローズ(1917)
  • 『クトゥルー』シリーズ / H・P・ラヴクラフトほか(1920- )
  • 『われら』 / ザミャーチン(1921)
  • 『すばらしい新世界』 / オルダス・ハックスリー(1932)
  • 『金属モンスター』 / エイブラム・メリット(1932)
  • 『シャンブロウ』 / C・L・ムーア(1933)
  • 『スターメイカー』 / オラフ・ステープルドン(1935)
  • 『山椒魚戦争』 / カレル・チャペック(1936)
  • 『銀河パトロール隊』 / E・E・スミス(1937- )
  • 『ヴィーナスへの旅 ペレランドラ』 / C・S・ルイス(1938)
  • 『デリラと宇宙野郎たち』 / R・A・ハインライン(1939- )
  • 『われはロボット』 / アイザック・アシモフ(1942- )
  • 『超生命ヴァイトン』 / エリック・フランク・ラッセル(1943)
  • 『銀河帝国の崩壊』 / アーサー・C・クラーク(1948)
  • 『1984年』 / ジョージ・オーウェル(1949)

1950-1970

1950年代から1970年代まで。若島正の選による。
  • 『火星年代記』 / レイ・ブラッドベリ(1950)
  • 『人間以上』 / シオドア・スタージョン(1953)
  • 『虎よ、虎よ!』 / アルフレッド・ベスター(1956)
  • 『ソラリス』 / スタニスワフ・レム(1961)
  • 時計じかけのオレンジ』 / アントニイ・バージェス(1962)
  • 『結晶世界』 / J・G・バラード(1966)
  • 『バベル-17』 / サミュエル・R・ディレイニー(1966)
  • 『柔らかい月』 / イタロ・カルヴィーノ(1967)
  • 『危険なヴィジョン[1]』 / ハーラン・エリスン編(1967)
  • 『スローターハウス5』 / カート・ヴォネガット・ジュニア(1969)
  • 『ユービック』 / フィリップ・K・ディック(1969)
  • 『九百人のお祖母さん』 / R・A・ラファティ(1970)
  • 『ケルベロス第五の首』 / ジーン・ウルフ(1972)
  • 『所有せざる人々』 / アーシュラ・K・ル=グィン(1974)
  • 『エンジン・サマー』 / ジョン・クロウリー(1979)

1980-1990

1980年代から1990年代まで。巽孝之の選による。
  • 『ニューロマンサー』 / ウィリアム・ギブスン(1984)
  • 『幻詩狩り』 / 川又千秋(1984)
  • 『悪魔の機械』 / K・W・ジーター(1987)
  • 『黒い時計の旅』 / スティーヴ・エリクソン(1989)
  • 『ハイブリッド・チャイルド』 / 大原まり子(1990)
  • 『ディファレンス・エンジン<上・下>』 / ウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング(1990)
  • 『空洞地球』 / ルーディ・ラッカー(1990)
  • 『GOJIRO』 / マーク・ジェイコブスン(1991)
  • 『宇宙消失』 / グレッグ・イーガン(1992)
  • 『終わりなき索敵<上・下>』 / 谷 甲州(1993)
  • 『デッド・ガールズ』 / リチャード・コールダー(1994)
  • 『ムジカ・マキーナ』 / 高野史緒(1995)
  • 『奇術師』 / クリトファー・プリースト(1995)
  • 『BRAIN VALLEY<上・下>』 / 瀬名秀明(1997)
  • 『ノービットの冒険』/ パット・マーフィ(1999)

2000-

2000年代以降。小川隆の選による。
  • 『啓示空間』 / アレステア・レナルズ(2000)
  • 『天使と悪魔<上・中・下>』 / ダン・ブラウン(2000)
  • 『スペシャリストの帽子』 / ケリー・リンク(2001)
  • 『太陽の簒奪者』 / 野尻抱介(2002)
  • 『あなたの人生の物語』 / テッド・チャン(2002)
  • 『シンギュラリティ・スカイ』/ チャールズ・ストロス(2003)
  • 『きみがぼくを見つけた日<上・下>』 / オードリー・ニッフェネガー(2003)
  • 『くらやみの速さはどれくらい』/ エリザベス・ムーン(2003)
  • 『裸者と裸者<上・下>』 / 打海文三(2004)
  • 『象られた力』 / 飛 浩隆(2004)
  • 『復活の地<1 〜3>』 / 小川一水(2004)
  • 『バスジャック』 / 三崎亜記(2005)
  • 『エア』 / ジェフ・ライマン(2005)
  • 『わたしを離さないで』 / カズオ・イシグロ(2005)
  • 『終わりの街の終わり』 / ケヴィン・ブロックマイヤー(2006)

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最近『ブリーチ』を読んでいなかったので、今週いきなり藍染みたいなやつが「私はお前を蔑如する!!」と言っていたので驚いた。蔑如、と来ましたか。これ、以前から言っていたのかな。
普通の「軽蔑する」じゃいけなかった理由は、私ごときではとうてい理解できないが、おそらくは、「普通」が嫌いな『ゾンビパウダー』の久保帯人先生の中ではしっかりとした理由があってのことなんだろう。ブリーチファンのあいだで流行りそうですな。
さて。問題の「蔑如」ですよ。
そもそも「軽蔑」の類義語としては、私の手持ちの『角川類語新辞典』には「蔑如」は載っていない。
そもそも「軽蔑」の定義はどんなふうになっているのだろうか。みんなの大好きな『広辞苑第五版』にはこうある。
【軽蔑】かろんじあなどること。見下げること。「―の眼差し」「―すべき振舞い」
まあこれはわかります。じゃあ「蔑如」はどうだろうか。
【蔑如】1. 他人をさげすむさま。みさげるさま。2. 見劣りがするさま。
2. の意味ではないだろうから、1. だとして、様子を表す言葉だということくらいはわかるが、ちょっとこれ以上はわからない。しかしどうでもいいけど、「見下げる」の表記が一致していない。天下の『広辞苑』もこんなもんですか。
面白い解説で有名な『新明解国語辞典第四版』には「蔑如」の項は設けられていなかった。
つまり、これは一般的な語句ではないということがわかる。じゃあ、ついでだから漢和辞典を開いてみましょうか。
『全訳漢辞海』に「蔑如」はこうある。
【蔑如】1. 軽んじて、いいかげんに扱うさま。ないがしろにするさま。<漢・東方朔伝・賛>2. 及ばないさま。
また、『角川新字源改訂版』にはこうある。
【蔑如】1. いやしみかろんじるさま。2. ほろびるさま。なくなるさま。〔漢・東方朔伝〕「其流風遺書蔑如也」
お、こっちは用例が記載されているが、残念ながら解読できない。
しかしいづれにせよ、どの辞書をとっても「さま」とあり、つまり様子を表す言葉だとしている。

ちょっと素人考察を。
この蔑如の「如」って文字通り「ごとし」という意味で、形容詞を作っているのではないか。だとすると、「突如」や「欠如」と同じ用法なのかもしれない。「突如」については、なぜか『漢辞海』や『新字源』にはないが、一般的に言って「いきなり起こることを表すさま」と定義できるだろう。
「欠如」については以下の通り。
『漢辞海』
【欠(缺)如】=【欠然】必要なものが足りないさま。
注 「如」「然」は、形容詞・副詞の接尾語。

『新字源』
【欠(缺)如】欠けているさま。同 闕如
ここで若干の補足だが、「欠」という字を「ケツ」と読むのは元来は誤りである。「欠」にはもともと「ケン」という音しかなく、その意味は「あくび」である。
正しくは「缺」と書き、欠席やら欠陥は、それぞれ「缺席」、「缺陥」と書くのが本来。いわゆる「正字」にこだわる人はこう書いている。
このことについて『漢辞海』は触れていない。『新字源』の「欠」の項にはこういう説明がある。
形声。意符缶(かめ)と、音符夬ケツ(われる意→決ケツ)とから成り、かめがかける、ひいて「かける」意を表す。古くから、俗に誤って欠と混用されていた。教育漢字はこれによる。
しかし、「缺」の漢字を正しい漢字として立項したうえでのこの説明ならばおかしくはないが、「欠」の項にこの説明があるのは、そしてこの説明しかないのは不親切としか言いようがない。

閑話休題。
「如」を「ごとし」と考えるのであれば、「蔑如」にはこんな用法が本来的なのかもしれない。
彼の友人に対する態度は蔑如である。
ただし、「知識が欠如している」のように、前の漢字(欠)の意味(=かける)を持つ動詞になってしまった言葉もあるということを考えれば、蔑如が「さげすむ」ことを意味するのは理解できる。
現に、インターネットで検索をかければ、三省堂の『大辞林』を典拠としたこんな説明が見つかる。
さげすむこと。ないがしろにすること。蔑視。
ここでははっきりと「蔑視」と同義だと書いている。おそらく『ゾンビパウダー』の久保帯人先生は、電子辞書で「蔑」という文字で検索をかけて「蔑如」を発見し、それを編集者が上記ウェブ辞書で確認したという流れが見えた。
ま、全然間違っているとは思わないが(私は元来の「如」の意味にウェイトを置きたい)、なんかいまいちな言葉のチョイスだとは思う。「見損なったぞ!」とか「幻滅したぞ!」ではいけなかったのだろうか。

余談。
「『ゾンビパウダー』の久保帯人先生」ってのは、「アロンゾとおれだけにわかるジョーク」……ってのは冗談で、昔『ブリーチ』の連載が始まったばかりの頃、柱(って言ったっけ?)に「『ゾンビパウダー』の久保帯人先生にはげましのおたよりを!」とあったことをいまだに私が覚えていて、久保先生への激しいリスペクトを隠さない(隠せない)ためにも、先生のお名前には必ず『ゾンビパウダー』という枕詞を冠している。
え? 『ゾンビパウダー』ってなんだって? そこまでは面倒見きれねえよ、坊や。

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かなり昔に読んだことがあったが、今日ブックオフでまとめ買いして読んでみた。小林まことの『柔道部物語』(全七巻)。
まあ知ってはいたけど、やはりとびっきり面白く、私なんかの好みで言えば『スラムダンク』とかより全然いいんだよね。
ギャグが多くて、そういう意味では『ルーキーズ』にちょっと近いかも。その代わり、『ルーキーズ』が野球じゃなくても(別のスポーツでも)いいのに対して、この作品は柔道じゃなきゃダメという点がいいのだ。
作者の思い入れも強いようで、一本を決めるシーンなんかの迫力はすごい。その瞬間、まるで時間が止まっているようにうまく描写していて、読んでいるこっちも思わず息を呑む。
なんだかんだで、先輩の小柴たちが卒業するシーンや、三五が優勝したときの小柴の台詞なんかでじーんとしてしまい、「なんだ、これって青春スポーツ漫画なんだ」と気づかされる。傑作だな。
ちなみに、エンディングもちょっと力が抜けていていいです。昔の作品ってどれもこれも、上品な笑いでいいよなあ。翻って今のギャグ漫画のギャグといったら、お寒いことこのうえない。つまんね。
サ!

(追記)

私は原田君より平家君が好みでした。

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古本屋で手塚治虫の『W3』(全二巻)を購入し読了。
四十五年前の漫画だということをまず註記しておくが、しかし現代的な視点に立った批評にも充分耐えうると思う。
これはいろいろな点で面白いと言える漫画。最初は(今の感覚からすれば)結構退屈な導入なのだが、アクションシーンの描写がすごい。こんな丸いタッチのキャラクターたちが躍動感溢れた動きを表現していることに驚くはず。やっぱり「神様」の渾名は伊達じゃない。
意外なほどに暴力シーンが多いことに、私は素直に驚いた。冒頭のアクションシーンは主人公真一の兄(スパイ)のものだし、主人公も優等生ではなく、「札付きのワル」と言われても仕方のない問題児。
主人公の性格は複雑で、いつも苛々している若者の象徴と言えなくもない。自分は正しいことを信じているのに、それが世間では全然通用しないということにヤキモキし、それを暴力という形でしか発散できないのだ。
その主人公と兄の物語が交互に描かれるような形で、ストーリー進行も、子供向けとは言いがたい。あっちへ行ったりこっちへ行ったりで、単純ではない。
私の読み方だと、主人公はW3 側の隊長ボッコのような気がする。彼女が慈悲深く真一を見守り助けることで物語は動いていく。となると、これは変形西遊記なんだろうか? ボッコが三蔵、真一が悟空、プッコが猪八戒、ノッコが沙悟浄という配役。もしかしたら本当に手塚はそんなことを念頭に置いて描いていたのかもしれない。
とにかく、話は意外なほどに進展し、悪が悪でない場面もあったり、正義が(見方によっては)正義でなくなったりするところもあり、単純な手塚漫画を期待していると足を掬われる。現に私は、ちょっと流し読みしたところがある。
まあ、なんといってもこの作品のキモはエンディングだろう。このオチには「まいった」と言わざるを得ない。しかもこの最後のコマの爽快感はなんだろうか。こんなに長くつづいた漫画(一年ほどしか連載されなかったようだが、濃密なので長く感じる)を、こんなに全然恰好よくない終わり方にさせるなんて! でももちろん、それが恰好いいのである。すごいぜ、神様ってやつは。

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さいわいなことに、周囲で死んだ人間というのはごくわづか。祖父母くらいか。
それでも、やがて親しい人たちが死んでいなくなってしまうというのはおそろしく悲しいこと。その「やがて」というのが明日なのか何十年後なのかはわからないが、順当に行けば、少なくとも両親は私より早く死ぬだろう。
なんとか長生きしてもらいたいな。
母の日でも父の日でも誕生日でもなんでもないけれど、そういう風に思える日だってある。
一粒の種 / 砂川恵理歌

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いま話題となっているらしい動画。
Google Instant with Bob Dylan
つまりどういうことかというと、今までは、インクリメンタルサーチはあったけど、「検索結果」を表示させるためには、いちいちクリックしなければならなかったわけだ。
ところが、いまや入力していくたびに、検索結果もそのつど表示更新されるっていうのがこのGoogle Instatnt のウリみたい。間違っていたらごめんなさい。
ただこれ、まだGoogle.com だけのサービスみたいで、日本版には適用されていないみたい。

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これも懐かしい。音が悪いけど。
あ〜よかった / 花*花
知人の結婚式でこれ(の替え歌)を聴き、不覚にも感動した。
あーよかったな あなたがいて
という歌詞には、ありふれているけど普遍の感動がある。すなわち「ありがたい」。

以下、素人の考察になってしまうが、「ありがたい」というのは「あることが難しい」という原義から、珍しい、めったにない、という意味を持ち、そこから、もったいない、尊い、と派生し、そこに感謝の念が生じて「ありがとう」となった。
昨日話したことだが、ある人と出会い、その人のことを忘れられなくなり、離れがたくなり、なににつけてもその人のことを思い出すようになるということは、この人生には実によくあることだが、不思議なのは、その人に出会う瞬間以前にはそんなことになる(物狂おしい気持ちになる)だなんて思いも寄らなかったということだ。
そういう出会いは、まさにありがたいことであり、それは神仏の思し召しであるとかそういうこととは別に(私はそんな風には思えないし)、感謝の念が生じてしまう。
でも、出会ったことの苦しさもある、なんてことにもまた思いも寄らなかったのだ。

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原曲はそんなでもないと思っていたが、このカバーで好きになった。
そして僕は途方に暮れる / ハナレグミ
歌がいいと思ったら歌詞の良さにも気づいた。
ひとつ残らず君を
悲しませないものを
君の世界のすべてにすればいい
はじめは噴飯ものに感じられたこの部分も、聴けば聴くほどよく感じられるようになった。なんか銀色夏生の詩っぽいね。
あと、これは共感を得られないかもしれないが、
もうすぐ雨のハイウェイ
輝いた季節は
君の瞳に何をうつすのか
という部分もいい。こっちは佐野元春の詩っぽい。

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読了。
思いのほか勉強になった。最初はトンデモ本と思っていたから。
「うーん?」と思わずにはいられない部分もあって、「お、そうなんだ?」と驚く部分もあった。が、そこをいちいち取り上げない。面倒だから。
そもそも、農業なんてひとつの職業にすぎないと考えている私にとって、「日本の農業は実はすごいんだ」みたいに言われてもちょっとピンと来ない。「だからどうした?」でしかない。
まあ作者の真意は「それなのに、それを隠匿して予算をより多く取ろうとする農林省官僚を弾劾したい!」なんだろうけど。

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今日、はじめてヒメにタッチされた。ヒメというのはめちゃくちゃ臆病な猫。
わが家に来てひと月半が経とうとするが、これまでヒメに触れたのは一回だけで、ノミ取りをするのにむりやり薬を塗与しなければならなく、その際、引っ掻かれて嚙まれた。
今日、すっかり慣れてしまいちょっと触っただけでグルグル言うモモを傍に置いて横になって文庫本を読んでいたら、ふだんは近寄ることすらしないヒメがいつの間にか寄って来ていて、文庫本をちょこんと鼻で突いた。
慌てて声を出すと逃げてしまうので、気のない振りをして片手をそっと差し延べてやると、まさに「おそるおそる」といった様子で三分ほどもじもじしながらタッチし、すぐに距離を置く。また一分ほどかけてびくびくしながらタッチ&アウェイ。そのあいだ、緊張しながらもリラックスしているようにぐるぐる言っていたのが本当に嬉しかった。
うちの猫たちはちょっと病弱そうなので、早めに慣れさせておかないと、いざ病院へ行くとなったときに大変。なるべく「和解」する時期を早めておきたいのだが、焦ると元の木阿弥になってしまうので、ここは忍耐忍耐。

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