とはいえ、わからないでもない

2010年11月

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龍馬伝」の最終回で気になったことがひとつ。

龍馬がおりょうに出した最後の手紙(という設定)の中で、「そうじゃ、おりょう、おまんに教えたいエゲレス語があるんじゃ。それはアイラヴユーじゃ。おまんを誰よりも愛しちゆうっちゅうことじゃ」みたいなことを福山が言っていて、それを真木よう子が手紙で読んでいる、というシーンがあったのだが、この真木が読んでいる手紙の中でも、かなりはっきりと「アイラヴユー」と書いてあった。



ヴ、ですか。ちょっと気になるね。

すぐにWikipedia を調べると、「ヴ」が独立して立項されていてこんなことが書いてある。




v音を表すのに「ヴ」を用いるのは、『福澤全集緒言』の証言によると福澤諭吉の発案である。1860年出版の『増訂華英通語』に用例が見える。




そして原典(前書)にはこう書いてあるという。




(ただ)原書のVの字を正音に近からしめんと欲し、試(こころみ)にウワの仮名に濁点を附けてヴワ゛と記したるは当時思付(おもいつき)の新案と云うべきのみ。






龍馬の手紙の設定は1867年(慶応三年)であろうから、たしかに福澤諭吉が上記の通り「ヴ」の表記を印刷物に載せてから都合7年経っている計算にはなるが、果たしてそれが一般的なレベルにまでなっていたかどうか。

まあその手紙の前のあたりで、「いま海援隊にエゲレス語の辞書を作らせとる」みたいなくだりがあるから、龍馬を「一般的なレベル」とするのは間違いであろうが、それにしても、手紙の中で「ヴ」と書いたとなると……少し違和感を覚える。なんというか、新しい言葉という感じがするんだよなあ。

と書いておきながら、Wikipedia に掲載されている昭和十三年の広告を引用しておく。




f:id:todotaro:20101130011913p:image






ちなみに、「ヴ」の発案は福澤のものではないという主張もあるよう。でも、Wikipedia に載っている以上、福澤説の方が(少なくともネットで検索する限り)まるで正しいかのような錯覚を覚えてしまう。おそるべし、Wikipedia




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おととい、大河ドラマの「龍馬伝」の最終回が放映された。

振り返ってみるとなんかヘンな演出に終始したドラマだったなあ、と思う。

色調だとか撮影方法は凝っているという指摘をネット上で見たことがあるし、私の弟たちもそれについては面白いと評価しているのを聞いた。それはそうなのかもしれない。

けれども、肝腎の龍馬の演技力があれでは、なんだかすべて台無しなようで、撮影方法にまで気が回らなかった。というか、ほとんど見なくなってしまっていた。

福山雅治の演技力ということを批難するのは少しかわいそうかもしれない。彼をうまいだなんてまったく思わないが、かといってあの脚本、あの龍馬の天然キャラクターでは、深みのある演技なんて必要ないだろう。だからこそ福山が抜擢されたと言えなくもないとは思うが。

最初は面白いと思っていた香川照之演じる岩崎弥太郎だったが、その演出もすぐにワンパターン化し、「また龍馬かー!」と怒鳴ってばかりで、「天然」の龍馬と「キレ芸」の弥太郎という「あまりにも」な演出・脚本がしつこくしつこく繰り返され、こりゃ視聴率もひどいだろと思いきや、全国的にヒットしたようだから不思議なものだ。*1



で、来年は……「江(ごう)」? 主演は……上野樹里? あ、もういいです。



*1:リンク先の記事中では「天地人」に視聴率で負けたことにスポットを当てているようだが、それでも高視聴率なのには変わりない。



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フェイスブックというモンスターサービスが最近流行っているというのがネットでの評判で、そういうニュースが流れるたびに「いやそうじゃない、日本で流行らないにはこれこれこういうわけがあるよ」という反論も出て、そのいちいちになるほどなあと頷くだけの日々だったのだが、ついこのあいだ、じゃあ実際にどういうものなんだということで、弟と同時に加入してみた。



……アカウントを取ってすぐにプロフィールを書かなければならないのだけれど、それだけで、もう気持ちが萎えてしまう。なんというか、「よけいなお世話だぜ」なんだけど、フェイスブックの由来*1を考えてみれば、「繋がる」ための要素が多ければ多いほどいいわけで、学歴や趣味、住んでいる地域や職業など、入力すれば入力するほど、「お友達かも?」みたいなメッセージとともに、私と繋がっている可能性がある他のユーザーたちを提案してくれる。つまり、人工的にコネを見つけてくれるってわけ。

なんといっても、実名というのがいやだ。実名でなにかを発言したとして、それをあとで言質に取られる可能性があるというのがいやだ。

そもそも、現実社会でかなり内向的な生活を送っているというのに、それを電子上では外向的に振る舞うというのがいやだし、無理だ。

……等々の理由で、弟と「いいね!」を押し合ってひとしきり遊んだあげく、「じゃあ、アカウントを削除するからよろしく」といってフェイスブックをやめた。弟も「しばらくしたら、僕もアカウントを削除する」と言っていた。



感想。

外向的な人には向いていると思う。おそらく一日中フェイスブックを開けておいても退屈しないんじゃないかと思う。ただ、それがMixi やらTwitter をやるのとどれだけ違うのかと言われると、そのふたつを試したことがない私には判断しかねる。

また、ブログやSNS は、基本的には情報の再生産であり真の創作的活動ではない、という私見を付け加えておく。



*1:[http://ja.wikipedia.org/wiki/Facebook#.E6.AD.B4.E5.8F.B2:title=Wikipedia] 参照のこと。



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先日の記事を書く際にWonder Girls の"Tell Me"のライヴ・ヴァージョン(←「ヴ」の無駄遣い)をいくつか聴いてみたのだが、その中で、前奏時に客席からリズム感のある掛け声が入っているのがあった。

もちろん、ハングルなので聞き取れるはずも、意味を解することもできないのだが、やけに耳に心地いい。しかも、不思議なことに、少女時代ヴァージョンでも同様だった。*1




Tell Me / Wonder Girls




で、ふと思い出したのですよ。ちょいと前、知人からのメールに「AKB48 のライヴで前奏時に叫ぶ儀式があって、それを『ミックスを打つ』というらしいよ」と書いてあったことを。

で、とりあえず人気がありそうな曲を聴いてみると、たしかになにか叫んでいる。なにを言っているのか気になったのでちょっとググってみますと……。




akb48のmixは

「あー よっしゃいくぞー タイガー・ファイヤー・サイバー・ファイバー・ダイバー・バイバー・ジャージャー」

は歌う前の前奏で言う事が多いです!!

「あー もういっちょいくぞー 虎(とら)・火(ひ)・人造(じんぞう)・繊維(せんい)・海女(あま)・振動(しんどう)・化繊飛除去(かせんとびじょきょ)」

は中間で言うことが多いです

あと、たまにしか使わないけどアイヌ語で「チャぺ、アペ、カラ、キナ、ララ、トゥスケ、ミョーホントゥスケ」

Yahoo 知恵袋より)




そのうえでちゃんと聴いてみると……。




言い訳Maybe / AKB48




ほんとだ。叫んでいます叫んでいます。

というか、一度この「ミックス」を聴いてしまうと、曲よりミックスの方を聴きたくなってしまう。

……うーん、感動的だなあ。こういうファンの一体感というか、想いというのは、ヘンな言い方かもしれないが、その対象(つまりAKB)よりも尊いものに感じられる。

だからこそか、この「言い訳Maybe」という曲、相当人気のある曲らしいが、ミックスが気になってしまって、曲自体が頭に入ってこない。公式PV も聴く気になれないし。本末顛倒。



ところで、上記「知恵袋」に書いてあったアイヌ語ヴァージョンのミックスってどんな曲で聴けるのかな、と同じく知恵袋に検索をかけてみたら、こんなのがヒットした。

「独りよがりのミックスをする新規ファンについてどう思うか」という質問に対して。




なんでもかんでもMIX打てばいいって話ではないですね。バカの一つ覚えみたいに節操もなくMIX連発するのは違うなぁと思います。

僕も恋愛禁止条例でのMIXを聞いて、「それはないだろ・・・」と呆れてしまいました。

恋愛禁止条例のようなしっとり系の曲にはMIXは個人的には合わないと思うし、MIXを打っても弱々しいというか気の抜けたようなMIXになってしまい聞くに耐えられませんね。

MIXを打てる曲・打てない曲と明確な基準があるわけでは無いですが、何より自分が盛り上がりたいだけの自己中心的なMIXは控えてもらいたいです。




これは比較的冷静なコメントだが、他にも、




新規のせいで俺は劇場のチケット当たらなくなって、イラついているのに

質問者さんの文を読んでさらに、むかついてきました。

こういう新規はメンバーも相手にしないし、目も合わせようとしないでしょう。

そういう冷たい態度をやっていれば自然とそういう新規は減って行くでしょ・・




などという至って激昂気味のコメントなどもあったりして、「ファンの一体感」というのは私の幻想に過ぎないのかもしれない。

しかし、5回にわたって「AKB48を本気で聴いてみる」というシリーズを送ってきたが、AKB の価値は、彼女たち自身の存在のうちにあるのではなく、彼女たちを支えるファンたちの存在のうちにある、というやや逆説的な感慨を得たので、それを以て結論として、ひとまず筆を擱くこととしたい。

そんなことを書くと、マニアックなファンは激怒するかもしれないけどね。

ま、いつか生ミックスってやつを観てみたいものです。




*1:[http://d.hatena.ne.jp/todotaro/20101125/1290775992:title=前回記事]を参照のこと。



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結局、今年の紅白にはさんざ騒がれた"K-POP" は登場しないということがニュースになっていたが、だからといって私の"K"の熱が冷めたわけでもない。



YouTube で少女時代をなんとなく観ていたら、こんなのを見つけた。




Tell Me / 少女時代*1




ほっほー。これは面白い。なんで少女時代が歌っているのかはわからないが、この曲はめちゃくちゃヒットしたそうだからカバーしてもそう不思議はないのだろう。というか、ほぼ同時代の曲をカバーするんだ、韓国って。へー。

このオリジナルは、もちろんWonder Girls のもので、こんな感じ。




Tell Me / Wonder Girls




上掲動画を観ればわかるが、もともとは少女アイドルソングという感じで、かなりフワフワした感じの曲。

Wonder Gilrs メンバーの衣裳がわりあいに子供っぽいものが多く、セクシーさとはちょっとかけ離れているのに対し、少女時代は反対にスタイルがよすぎて、特に、足が長すぎる。それに、人が多すぎ。誰を観ていいのか迷う迷う。

しかしそれにしても、少女時代って女の子のファンが多いみたいね。みんなキャーキャー言っているよ。

ちなみに、いまのWonder Girls(といっても2008年のライブ映像みたいだけど)はこんなふうにかなりモダンになっています。

ダンスの構成や衣裳は素晴らしいんだけど、肝腎の歌唱能力が……。




Tell Me + Nobody / Wonder Girls





*1:SNSD というのは少女時代のハングル読み「ソニョシデ」のこと。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97)#.E6.AD.B4.E5.8F.B2:title=Wikipedia] より



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AFP の記事によれば、海底30メートルで6ヶ月間熟成させたスパークリングワインが600本限定で販売されたみたい。

値段はそれほどでもないみたいだが(1本=約11,000円)、なにせ本数が少ないのでわれわれが口にする機会はないだろう。まあ洒落ってことでしょうな。




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ハートビート / GOING UNDER GROUND




タンバリンとスネアドラム(?)の音が印象的な曲。GOING UNDER GROUND は、ほかに「トワイライト」しか知らないけど、一所懸命に歌っている感じがいい。いつまでも青春だぜ。

くわえて、PV には初々しい感じの蒼井優が出演している(いまだに彼女は初々しさを持っているけど)。

トワイライトのPV もそうだけど、こういう普通の人たち*1の何気ない場面、けれども当人にとっては忘れがたい場面、を描かれると、私のような年を経てしまった人間は、涙腺が熱くなってしまう。



そんな蒼井優も、女優業をつづけていけばやがて中堅、大御所となっていくのだろう。

今の彼女からすると信じられないことのようだが、目尻にちょっとした皺、髪の毛にもほんのりと白いものが混じり、ふと細い手の甲を見ると血管が浮き出て少ししみが見える、そんな日がいつか来るのだろう。

今から30年後の若者は、蒼井優を「きれいなおばさん」として認識していることだろう。若いキャピキャピした女の子に「あたし蒼井優みたいにきれいに年とりたい!」なんて言われていたり。

今の蒼井優のことを知っている世代なら、そんな若い子たちにこう言うことができる。

「知ってる? 蒼井優ってほんとに少女みたいだったんだよ?」

そのときでも、テレビに映る彼女の皺の多くなった笑顔の中には、少女がまだいるかもしれない。




トワイライト / GOING UNDER GROUND





*1:蒼井優は「普通の人」を演じられる女優だと思う



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デジタルかフィルムかということで、「カメラ」の問題を採り上げている人たちは少なくない。

それはわからない話ではない。現に私の持っているカメラはほとんどがフィルムカメラだが、そのフィルムを手に入れるのが難しくなってきており、また、現像も容易にできなくなってしまった。*1

けれども、カメラではなく、写真ということを考えていくと、話は変わってくる。写真表現は、そんな次元を簡単に飛び越えてしまっているように感じられる、特にこういう写真を見てしまうと。

リンク先では、ナショナル・ジオグラフィックの写真コンテスト2010の候補作(?)の画像が47枚並んでいる。

テクノロジーの進化は、われわれの知っている世界がまた違う側面を持っていることを気づかせてくれる。

香港の高層ビルに雷が落ちた瞬間はどうなっているのか。灯りに向かう蛾の軌跡とはどういうものなのか。雨の中、花の上で水滴の重さに耐えているハエの姿や、列車の継ぎ目に乗るバングラデシュ女性の眼差し……などなど、世界は単純ではなく、複雑で残酷で、しかしそれでいてつねに美しさを兼ね備えている。




*1:都会部ではそれほど危機的状況とは言えまい。



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先日、ちょっとしたブックカフェで『消滅した時間』という写真集を読んだ。写真家は奈良原一高




f:id:todotaro:20101122194459j:image




タイトルとこの表紙の写真だけで想像してもらうよりないのだが、素晴らしい写真集だった。さっそく家に帰ってきてアマゾン等に検索をかけるが、「やはり」と言うべきか絶版である。



書店業界では、かような「芸術的」写真集のことを「墓石」と呼ぶ、というのを聞いたことがある。

重い上に動かない(売れない)ところから、そう呼ぶらしい。なるほどうまいネーミングである。

だが、墓石の中にもときにはヒット商品があるもので、梅佳代の『うめめ』や、本城直季の『small planet』なんかは異例中の異例といえる。

そういうごく稀な「アタリ」を別として通常の墓石は、書店の片隅に積まれ、すぐに返品され、取次の倉庫で眠ったまま、やがて人知れず絶版になるという道を辿るのだろう。



うーん。いかにもな前衛芸術家気取りの写真集ならともかく、『消滅した時間』のようなちゃんとしたもの(他にうまい言いようがありそうなものだが、必要以上に華美に形容すれば、かえって安っぽく貶められてしまうことの方を怖れる)がコンスタントに、それを欲する人間の手にたやすく入る状況を強く望む。

たとえば今回のカフェのように、コーヒーを飲みながらじっくりと読むことがいつもできれば、最高なんだけどね。




消滅した時間

消滅した時間



参考

うめめ

うめめ



small planet

small planet



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