とはいえ、わからないでもない

2011年01月

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22日に放映された「ワンダー×ワンダー」が面白かった。

特集されたのは、北京からパリへとユーラシア大陸をなんとクラシックカーで横断するレース(Peking to Paris motor race)だった。

ちなみにこんなルート。




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レースの条件は、運転手とナビゲーターの二人でクラシックカー(エンジンは改造してはいけない、というようなことを番組で言っていた)を運転し、上記ルートを走破する、というもの。

参加者はさまざまで、クラシックカーの修理業者や主婦、そしてたったひとりでの参加というのもあった。




ITALA


上述したクラシックカーの修理業者(David Ayre / Karen Ayre)は、「イタラ(ITLA)」という1907年製のイタリア車に乗って、夫妻でこのレースに参加した。

途中、車軸が折れたり、奥さんが車外に放り出されて右手を打撲したりで、リタイア寸前まで行ったのだが、なんとか無事にゴールすることができた。

この「イタラ」という車は、1907年に行われた「第1回北京パリ大陸横断レース」においての優勝した車種らしく、この夫妻も、特別な思いを込め、この車でこのレースに望んだようだ。まあ、貧乏人の素人からすれば、博物館クラスの乗り物を砂漠や標高2,000メートルの山道に走らせるという行為自体が、かなりクレイジーなのだが。

Wikipedia によると、これが優勝したイタラの写真。




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で、見事ゴールしたときの夫妻とその愛車の写真。




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ご本人のブログから引用

なお、このイタラは、1907年優勝時のイタラとは別物だと思うが、この車種自体、現在では世界に6台しか残っていないらしい。







その他の参加者


これまた前述したように、主婦ふたり(Rachel Vestey / Suzy Harvey)も参加した。




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このふたりはまったくの素人の状態から、クラシックカーの「クライスラープリマス」(Chrysler Plymouth Sloper)を購入し、半年間勉強したのちに参加した、というのだから驚く。




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これがそのクライスラー






また、クラシックバイクに乗ってたったひとりで参加した人(Tim Scott)もいた。




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彼自身のウェブサイトによれば、このバイクは1923年製とのこと。FN というベルギーの会社の製品らしい。




この人、なんと60歳。「肘掛け椅子にすわって祝福されるよりも、なにかに挑戦してみたかった」というようなことを言っていた気がする。

「イタラ」も、主婦も、バイクもそうだが、みんながみんなを助け合ってゴールを目指していた。レースである以上、順位はあるが、その順位にあまり意味があるようには見えなかった。ゴールすること、あるいは参加することが、このレースにおける最大の報酬だと思う。そのことは、参加者がみな口にしていた。





実際に使うということ


モノは、使わなくてはモノではなくなる。車も然り。クラシックカーであろうと、走れる状態にあれば走らせる。それが真の車愛好家ということになるだろう。

そして、壊れたら直し、使いつづけるということも非常に重要なのだということを知ることができた。工芸品についてもおそらく同じことが言える。帖佐美行が言ったように、使わなければ意味がないのだ。





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というわけで、Facebook をもう一度(こっそりと)始めることにしました。

理由は、近い将来、これを使ってなにかできたらいいなあと思っているから。まあ、あくまでも「寄らば大樹の陰」的な思想からの利用なので、FB 自体が日本で流行ってくれなきゃ元も子もないのですが。

近い将来になにかできればいいわけで、当面はオープンにはしていません。設定をかなり限定しました。だから、たぶん私の知り合いでもFB 上で私を見つけることは不可能なんじゃないかな?

いろいろと覗いていて、高校の同級生の写真と名前を見つけたときにはちょっと驚いた。逆に、同級生たちの中でもFacebook を使っている人はほとんどいないということも知った。



ところで、私は「Facebook」を「フェイスブック」というふうに、頭を強く発音しているのだが、「フェイスック」というふうに、「ブ」にアクセントを置いて発音する方が主流なような感じがする。




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子規の死後、俳句はどうなったのか


『俳句への旅』に興味深いことが書いてあった。

坂の上の雲』を読んだせいか、子規のことはなんとなくは知っているような気になっていたが、子規の死後その弟子たちはどうなったか、ということを知らなかった。というより、俳句については、芭蕉と子規の名前しか知らなかった、というのが本当のところ。





子規の弟子のひとり、河東碧梧桐


子規の弟子には、高浜虚子(たかはま・きょし)と河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)の二人がいた。

子規の死後、虚子が雑誌『ホトヽギス』を、碧梧桐が新聞『日本』の俳句欄「日本俳句」を継承。*1

両者の俳風は相違を見せ始め、特に碧梧桐は、「新傾向俳句」*2「自由律俳句」「ルビ俳句」を生みだしていき、その隆盛を誇った。せっかくなので、同書に掲載されている各時代の俳句を。




「新傾向時代」

春寒し子の愛憎に我を恥づ  碧梧桐



「自由律時代」

山吹咲く工女が窓々の長屋



「ルビ俳句時代」

便通(ツウ)じてよき(ヒル)らし(カゲ)を(シゴト)に向ふ*3




この「ルビ俳句」あたりで人気は落ちたようで、今までこういう俳風が流行ったことはまったく知らなかったが、たしかにちょっと奇を衒いすぎているきらいがあるように思う。

碧梧桐は昭和8年に引退宣言をし、俳壇を去る。





自由律俳句


大正4年(1915年)に雑誌『海紅』が創刊される。自由律俳句の雑誌である。




盆灯籠よわが酔ひしれて寝まるなり  小沢碧童

菊澄める朝のそよ風たちそむる梢  喜谷六花

お前の正直な日がくれて夏座敷  滝井折柴

火燵ふとんの華やかさありて母老い給ふ  中塚一碧楼




小沢碧童と中塚一碧楼の名でわかるように、彼らは「碧門」(碧梧桐の門派)のようだ。

上掲句のうち、私は滝井折柴のものが好き。「お前」が文字通りの「You」を意味していればだが、どこか迫力があって面白い。

『海紅』は次第に一碧楼が主宰となっていき、その作風も徐々に変化していったようである。その一碧楼の句。




草青々牛は去り  一碧楼

かなかな鳴いて一日が暮れる木々の根方*4

蛍を見てねむる夜の一つの枕

母に逢はず母死にしより霜の幾朝

病めば蒲団のそと冬海の青きを覚え(絶句)




一方、明治44年(1911年)に荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)*5は、碧梧桐の援助を受けて雑誌『層雲』を創刊したが、のちに碧梧桐が『層雲』を去り、代わりにというわけでもあるまいが、尾崎放哉、種田山頭火が加わる。

そう。この「自由律俳句」という名称は(私のように)知らなくても、尾崎放哉や種田山頭火の名前はビッグネームで、知っている人も多かろうと思う。




咳をしてもひとり  尾崎放哉

いれものがない両手でうける






分け入つても分け入つても青い山  種田山頭火

まつすぐな道でさみしい




そして、これは私感かもしれないが、一般人が放哉や山頭火の句を知っているというのは、どちらかというと「雑学的」な知識においてであって、その句はギャグの要素として覚えられていることが多いのではないか。

せっかくなので、『俳句への旅』に掲載されている放哉と山頭火の句を挙げてみる。




海がよく凪いで居る村の呉服屋 (放哉)

月夜の葦が折れとる

肉がやせて来る太い骨である






へうへうとして水を味ふ (山頭火)

笠も洩りだしたか

おちついて死ねさうな草枯るる




うーむ。これは、大正(昭和初期か)のツイッターだな。好みもあろうが、ここまで来ると、俳句の意味を為していないように思う。俳句は定型の中にあるからこそ、かえって詩情が湧くのではないか。自由律というか、あまりにもその定型からはみ出してしまえば詩情はなくなってしまう。ちょうど、ツイッターに詩情が感じられないのと同様に。

放哉、山頭火の句(ツイート?)は、ただ思わず漏れ呟いてしまった言葉をそのまま留めただけに過ぎないように感じられる。それは「記録」かもしれないが「創作」ではない、と考えるが、はたしてどうであろうか。





子規のもうひとりの弟子、高浜虚子


碧梧桐の新傾向俳句が盛り上がっている中、高浜虚子は漱石の『吾輩は猫である』に刺激を受けて小説に熱中していたが、大正2年(1913年)に俳壇に復帰。

そのときの「新傾向俳句」に対する宣言が面白い。




十七字、季題趣味という拘束を喜んで俳句の天地に安住するものであります。この拘束あればこそ俳句の天地が存在するものと考えるものであります




この考えには、前述したように私も全面的に賛同する。

また、虚子が子規と茶店に行ったとき、夕顔の花が咲き始めたのを見てのふたりの対話が虚子の『写生趣味と空想趣味』に書かれているらしく、それを紹介している『俳句への旅』を引用する。




子規が「夕顔の花といふものゝ感じは今迄は源氏(物語)其他から来て居る歴史的の感じのみであつて俳句を作る場合にも空想的の句のみを作つて居つた。今親しく此夕顔の花を見ると以前の空想的の感じは全く消え去りて新らしい写生的の趣味が独り頭を支配するやうになる」と言ったのに対し、虚子はこれに反対して、「一半の美は其花の形状等目前に見る写生趣味の上にあるのであるが、一半の美は源氏以来の歴史的連想即ち空想趣味の上にある」と言い、空想趣味とは「古人が一握づつ土を運んで築き揚げて呉れた趣味」であり、写生趣味とは「古人が一握づつの土を運んで築き揚げて呉れた趣味の上に更に一握の土を加へようとするところのもの」というのが虚子の考えであった。*6(p.130〜p.131)




子規は、誰にでも作れ、誰にでも愉しむことができるような俳句を目指したために、歴史的連想をあえて断絶したかったのかもしれないが、虚子の言っていることの方が、(和歌の本歌取りのことを考えても)日本の古典文学の伝統としては正統な気がする。



ここからも俳句小史はつづいていくのだが、今回はとりあえずここまで。




俳句への旅 (角川ソフィア文庫)

俳句への旅 (角川ソフィア文庫)




*1:厳密には、虚子は子規の存命中に『ホトヽギス』を継承しているようだ。ソースはWikipedia と、『ホトトギス』。なんと、雑誌『ホトトギス』は今でも刊行されているのだ!


*2:「新傾向俳句」について、『俳句への旅』の125p からの引用。
「季題趣味を革新し、より社会に接し、個性を発揮しようとしたもので、当時の自然主義文学の影響を受けて、無中心論、すなわち従来の意味での中心のない句、なるべく人為を加えず、自然現象そのものに接近して、『覚醒的自我による動的な自然描写』を目指す、というもの」


*3:オリジナルに下線はない。


*4:原文の「かなかな」は、「踊り字」を用いて表記している。


*5:この井泉水は「納音(なっちん)」から名づけたらしい。種田山頭火も同様。この納音から俳号をつけるならば、私は沙中土ということになろう。


*6:原文ママ。太字強調は引用者による。



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森澄雄の『俳句への旅』をまだ読んでいる。




ぎんなんをむいてひすいをたなごころ  澄雄

すぐ覚めし昼寝の夢に鯉の髭 

大鯉を料りて盆のならず者 




などが印象に残る。まだまだいい句はたくさんあるけれど。

なお、最後の「料りて」について。

「料理する」を昔は「料る」と略して言っていたことがあったらしい。杉浦日向子高島俊男のエッセイでそんなことを読んだ気がする。



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うちの猫たちは猫らしくないというか、かなりの甘えん坊で、立ち上がったりすればついてくるし、机の上でラップトップを開いていればキーボードに乗っかってくる。なにかを買ってきて袋から取り出していても、「なになに?」という表情で顔を近づけてくるし、ときには一緒にトイレに入ろうともする。

そこでよく猫に言うのが、「気にしなくて、いーの」。

まあ通じるわけないんだけどね。




気にせんでよかと近づく猫に言い




あたしゃ江戸ッ子ですが、文字数合わせるためだけの九州弁。お粗末。



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関東生まれの私にとっては、おそろしく寒い日々がつづいている。

今朝、目を覚まして洗面所にあるガラスのサッシを開けようとすると、レールの部分が凍りついてしまって動かないことに腹を抱えて笑った。風呂場の窓ガラスも同じこと。水道管にはヒーターを巻いてあるため管が凍るということはなかろうが、その代わり電気代を食うということは話に聞いている。

数日前に裏庭に降った雪がいまだに融けず、それに霜が降りたり粉雪が積もったりしているものだから、どんどんと嵩を増していくばかり。その代わり、というわけではないが、雪が積もっていると、なぜだか陽が落ちてもなんとなく明るいので、そこにある種の風情を感じる。




日暮れてもなお仄白し残り雪





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こんなの知りませんでした。サントリーとバロン・ドゥ・ロートシルト(Domaines Barons de Rothchild)がコンビを組んでワインを共同開発していただなんて。

サントリーのプレスリリースより。




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その名も、「CENTURY(センチュリー)」。

ちょっと品のあるエチケット。こういう言い方もへんかもしれないが、縁起が良さそう。ただし、1,200本の数量限定発売(18,000円)ということで、もう手に入らないかもしれないね。……と思って楽天を調べたら、まだ在庫はあるみたい。

私の東京の知り合いの方々へ。共同購入して、2018年頃にでも(そのときにはちょうど10年物になっている!)飲んでみません?



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たいていの場合、一作目の出来がよいと二作目の出来というものはあまり期待できない。処女作でなくても、続編にはなんとも言えない失望感がある。個人的な印象なんだろうけど。

だからこそ、私は続編というものはあまり読みたくないし、だからこそ、ひとりの作家を追い掛けることをしない。特に名作なんてものを読んでしまうと、しばらくはその名作をものした作家の他の作品を読まないことにしている。幻滅したくないのだ。



『エーミール』の続編(『エーミールと三人のふたご』)を読もうというときにも、些かの不安はあった。なんといっても前作ができすぎていたから。

それでも、滅多に行かない大型書店を訪れて少し気が大きくなっていたか、あっさりと続編を買ってしまった。そして、家に帰るなり最初のページを開け、それから数時間後には最後のページを閉じていた。杞憂だった。

作者のケストナーは、前作から6年後にこの本を書き上げた。作品内では前作から2年の時が過ぎているという設定になっている。

メインの登場人物であるわれらがエーミールと、その「探偵たち」である教授、グスタフ、ディーンスタークたちは、相変わらずのやんちゃ坊主だし、いとこのポニー・ヒュートヒェンとそのおばあさん(エーミールのおばあさんでもある)は相変わらずチャーミングだ。そして、エーミールのお母さんも相変わらずエーミールを溺愛しているし、エーミールだって負けないくらいにお母さん孝行。だけれども、みんなは少しづつ大人になっているし、大人の世界の入り口がぼやーっと見え始めているという感じだ。私がタイトルをつけるなら、『エーミールの最後の夏休み』にしたってよかったと思う。もちろん、全然子どものままのやつだって中にはいるけど。

例によって、詳しい話は書かない。こんな短い話、読んでしまえばあっという間。それでも、一箇所くらいお気に入りを引用したって罰は当たらないだろう。

生まれてから一度も海を見たことがないエーミールとそのおばあさんが、初めて海を見るシーン(この物語が書かれたのは1935年、なにせ新しさがまだ新しかった時代なのだ)。




(前略)おばあさんとふたりの子どもたちは、ものも言えずに立ちつくしていた。まるで、これから先、二度とものなど言えなくなってしまったような気持ちだった。

後ろで、砂を踏む足音がした。ハーバーラントさん夫婦と教授とグスタフが、そっとこちらへやってきた。

グスタフが、エーミールに近づいた。

「すっげえだろ?」

エーミールは、こくんとうなずいた。

みんなは、だまってよりかたまって、じっと海を見つめていた。

おばあさんが、ちいさな声で言った。

「やっとわかったわ、わたしがこんなおばあさんになるまで生きてきたわけが」*1




非常に残念なことに、エーミールの続編はこれ以上はない。しばらくは読み返すこともないだろうから、数年(あるいは十数年?)はエーミールとその探偵たちともお別れだ。ずっと昔からの知り合いで(それもそのはず、読み終わって本棚に戻すとき気づいたのだが、『エーミールと三人のふたご』は既に本棚にあった。以前に読んだことがあったのだった!)、しかし新しい友人でもある彼ら。そんな彼らとまたお別れをしなくちゃならない、というのは実にしのびない。だけれども、そんなふうにして私は物語とさようならを交わしてきたのだ。エーミールたちとだけ特別というわけにもいくまい。

もちろん、再会を期したお別れの言葉はこうだ。

合言葉、エーミール!




【関連記事】



エーミールと三人のふたご (岩波少年文庫)

エーミールと三人のふたご (岩波少年文庫)




*1:太字強調は引用者による。



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NHK の「上方演芸ホール」、今週の日曜は面白かった。

桂紅雀の「花色木綿」と笑福亭銀瓶の「持参金」。



「持参金」の面白かったところ。仲人役を買った人物がやもめに見合いを紹介しに来る。そこで、やもめが仲人に嫁(に紹介してくれる人)はどんな人か尋ねる。書き起こしなので不正確かも。




やもめ 「どんな人でっか?」

仲人 「え? ……ど、どんな人でっかっておまえ、そらまあ、はじめて見たときゃ、わしゃあドキーっとしたなあ」

やもめ 「そないべっぴんでっか?」

仲人 「べっぴんかどうかはわからんけどもな、そらもう、いっぺん見たら忘れられんな、ふむ。……背ぇがすらーっと、」

やもめ 「高いんでっか?」

仲人 「低いねん」

やもめ 「すらっと低い?」

仲人 「うん、横にいてる人がすらっと高う見えるぐらい、低いな。……色が抜けるように、」

やもめ 「白い?」

仲人 「黒いねん。……障子のうしろ立ってても、障子から抜けて出るくらい、黒いな、うん。……目は小さいけど、口が大きい。鼻はまあ低いというか、内っかわに遠慮してるこの、うぅ、うんうん、慎ましやかなこの鼻でな、そのかわり、でぼちん(額)が前にぐーっと出ててな、両方のほっぺたがぐわーっと盛り上がって、あごがにゅーっと突き出てて、……コケても鼻打たへんねん。安心や。いや、(心臓を指さして)ここのええ子やねん、気持ちのええ子、これが一番大事や、うん。……両方の眉毛の長さの違うところに、愛嬌があるな。お茶、お花、縫い針、琴、三味線、こういう女ひと通りのことはなにをさしても半人前やけど、飯は五人前食うな。丈夫な身体や、これが一番やな、うん。まあ、折り目きりめの挨拶、人との応対、こんなん、なにさしてもあかんけど、ようしゃべるわ。明るい性格やな、これが一番。いやいや、ここのええ子やねん、気持ちのええ子やねん、うん。……ああ、この子に、ひとつキズがあってな」

やもめ 「まだでっかいな!?」




その「キズ」というのが実はその嫁さんのお腹には子どもがいて、今月が産み月だという……。

「そんな嫁なんて要るかい」と一蹴しそうなものだが、そこにはちょっとした「副賞」みたいなものがついていて……というふうに話はつづいていって、構成やサゲなど絶妙の出来。

演者の銀瓶さんも、上のようにおかしいやりとりを実にさらっと口演るので、かえって面白みが増す。*1これぞ上方落語の妙味といったところか。

紅雀さんの「花色木綿」も、やもめ*2の間抜け具合、大家のしっかりした様子、泥棒の意外な几帳面さなど、演じ分けがうまくできていて、たいへん楽しめた。



*1:上記やりとりを書いてみて思ったのだが、噺家の口調の面白みが出ないので、伝わらないと思う。


*2:偶然だろうが、ふたつの噺に「やもめ」が登場した。



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