とはいえ、わからないでもない

2011年02月

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今日、はじめて岡井隆(おかい・たかし)の歌を知った。




絃と指たたかふごとき終曲はたとふれば今日午後のわが生  岡井隆

しりぞきてゆく幻の軍団は ラムラム、ララム だむだむ、ララム

一民族一日本語の夏祭り 肩車して行けば寂しや




すげー。特に幻の軍団。これ、間違いなく日本語の歴史に残るレベルだと思う。こんな感じ、宮沢賢治くらいしかあとは思いつかないな。



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数年前の日経新聞文化欄に掲載されていた荒川洋治のコラム(調べると、『文学談義』というタイトルだった)がとても印象的だった。今回の記事はそれにまつわる話。




スダくんの話


高校時代にスダくん(仮名)という同級生がいた。私とはクラスも違ったのでほとんど接点がなかったのだが、彼とのあいだにひとつだけ忘れられないエピソードがある。

私が図書室にいて授業をサボっていたら、ある友人がスダくんを連れてやってきた。スダくんとはたまたまそこで会ったと言う。そのとき私はなにをやっていたのか忘れたが、たぶんウォークマンで誰かが作ったカセットテープかなにかを聴いていたのだと思う*1

帰り支度の準備をしている私を待っているあいだ、友人はミスチルの『シーソーゲーム』を歌っていた。こんなふうに。




愛想なしの君が笑った そんな単純な事で

隠し持った母性本能は凄い




実はこれ、後半部分は2番の歌詞なので間違い。本当ならこの歌詞が正解。




愛想なしの君が笑った そんな単純な事で

遂に肝心な物が何かって気付く




だが、鼻歌気分の歌にはこんないい加減な間違いはよくあることで、私も傍で聴いていて「あ、間違った」と気づいたが当然のこととして指摘はしなかった。大事なのは「いい気分で歌っている」ということなのだ。

ところがスダくんは、その友人が「いい気分で」歌っている最中にもかかわらず「その歌詞違うけどね、それ2番のだよ」と指摘した。

友人は歌をやめ、「あ、悪ィ」と言ったがそれきり歌はやめてしまった。しーん。

私は自分についてのことでもないのに、なんだか腹が立った。





荒川洋治のコラム


2007年9月30日付けの日経新聞文化欄に記載された荒川洋治の『文学談義』というコラムの詳しい内容をウェブ上で探したら、近い内容のものがNHK の「視点・論点」のアーカイブ上(2007年11月1日付)に見つかった。日付の上でもそう離れていないので、おそらくコラムの内容を同番組でも話したものとみえる。この「視点・論点」の文章をところどころ引用しながら日経のコラムの概要について書いてみる。



コラムの内容は、今の若い人は文学談義というものをしなくなったが、昔の若者たちはよくしたものだ、というところから始まる。




「文学は実学である」と、ぼくは思いますが、いまは文学をだいじにしなくなりました。

本らしい本を読む人も少ない。人が集まると、何人かは文学談義をしたものですが、いまは見かけません。



(中略)



友人から届いた七円の官製はがきに、こんなことが書かれていました。

三十六年前の、大学生の文章です。「あなたと談合するのはたのしいことにちがいありません。

おひまなときに、自由な手紙をください。本の話でもしてみたいなとおもっています」。



「談合」とは、話し合う、語り合うという意味でしょうが、いまとは語感がちがうので、おどろきます。

こういういい方があったのですね。

彼とは会うたびに、本の話をしているはずなのに「本の話でも」とあります。

もっと話したい、話し足りないということなのでしょう。




ところが、最近でも、ある大学生が思い出せない本について作者に質問をしてきて、作者がそれを愉しんだという体験が語られる。




講義のあと、学生がこんな質問をしてきました。

「あのう、何年か前、講義で聞いたのですが、なんとかという外国の作家が、近郊のいなかを、はじめて歩いて、詩でも小説でもない、とてもいいものを書いたと。ずっと気になってて。誰の作品なのでしょうか」。

うわあ、めずらしい。文学談義ではないか。

途中で、ぼくはその作品が何かに気づきましたが、すぐには答えず学生の説明を聞きつづけました。

とても貴重なひとときですから。



(中略)



いいね、とぼくは学生に話しました。文学談義といってもこの程度なのですが、話している間は、何もかもが消えて、白い光につつまれる心地になります。

文学談義は、その場にいま話題にしている本がない、参照できないときのほうがむしろおもしろいものです。




ついで、店で友人と高見順の話をしていたら若い会社員に話しかけられたというエピソードも紹介される。




この間、ある店で友人と、作家・高見順のことを話していました。

向こうにいた、若い会社員らしき人が、それは「敗戦日記」ですね、と話しかけてきました。

そして彼は言います。「うろおぼえですが、高見順の小説で、上野の不忍池の弁天様か何かの裏に回ってみたら、面白いものが見えたか、誰かが何かをしていたか、そんなの、ありますね」と。

それは「都に夜のある如く」かなとぼくは答えました。

たまたまこの作家の作品はほとんど読んでいるものですから。

でも、あとでたしかめてみようと思いました。



(中略)



文学談義は、「何か」とか「誰かが」とか「どこだったか」とか、そんなあいまいなことばを起点に、寄り道しながらゆっくりと進みます。

「知る、わかる、それで終わり」の時代に、それとはちがう、やわらかな空気がそこにはあります。


(下線は引用者による)




コラムはまだつづき、一応の結論としては、文学はひとりきりで完結するものではなく誰かと共有し対話するという行為も含めて愉しむものだ、ということでまとめられる。

しかし、私が一番感銘を受けた部分は上記引用箇所の下線部のあたりだ。

この箇所を裏返して言ってみれば、曖昧さが面白さ・豊かさ・可能性を生み出しているということにはならないだろうか。





「歌詞訂正」への不快感の正体


上記コラムを読んだときに、私はスダくんの歌詞訂正のできごとを、十年以上も前のことだったのにもかかわらず思い出した。

スダくんはスダくんの「正しさ」を以て歌詞の誤りを指摘したのだろうが、そのときの私は、スダくんの融通のなさ・奇妙な潔癖さを窮屈に思い、同時に退屈さを感じていたのだと思う。

当時の私の表面的な反応としては「うぜー」だけだったかもしれないが、今になって思えば、上記のような本質的な不快感の理由が図書室にいた私のうちにあったのだろう。そのとき以来、私はスダくんという人間を避けるようになってしまったのだから*2





正確さが生み出す退屈さ


そして現在の話だ。

ネット上でよく聞かれる(見られる)のは、「ソースは?」とか「Wikipedia には○○とある」などという、正確さへの異常なまでの執着心である*3

ブログの記事やツイートは、無料で手に入れられるもので、それだからすべていい加減でいいかというとそうとも言えないが、そこに正確性を求めても仕方がないと思う。

「いやいや、より多くの人間に読んでもらうためには、有用性を高めるため記事やツイートの内容は正確である方が好ましいんだよ」という指摘も当然あると思うし、おそらく発信者が正確さを求める一番の理由もきっとそこらへんにあると思うのだが、それで面白さが削られることにならなければいいけどね、と私は懸念する*4



「ほら吹き」の話は、有用性も教訓もなにもないかもしれないが、面白さはある。

やはり十年近く前に新潮文庫の柳田国男の『日本の昔話』という本を読んだとき、ほとんどの話を面白くないと思ったが、たったひとつだけ印象に残ったものがあった。

それは、狸が侍に化けて爺さんを騙そうとし、爺さんは狸が化けているのを知っていてわざと騙されるという話。

詳細は忘れてしまったが、たしか爺さんから食べ物をもらった狸はその夜にお返しをするのではなかったか。とにかく記憶に残っているのは、翌日爺さんが「狸どん、昨日は愉快じゃったなあ。また遊ぼうやあ」と狸に呼びかけるというエンディング。他の話では、狸は完全に悪役で最終的には殺されてしまうというエンディングが多かった気がするが、その中でこのほほえましい逸話は例外的だったので、今でも覚えているのだろう。

この話に教訓(いたずらをすれば痛い目をみる)はない。あるのは、いうなれば「ばかばかしさ」だけである。この話を考え出した人は、ただ面白い話になればいいと思っただけなのだろう。

この意味のなさ・不正確さ・いい加減さが生み出しているのは豊かさである、と私は考えている。そして、正確さは豊かさを生み出すことはできない、とも。なぜなら、正確さを求める思考は、ただひとつの結論のみを目指すものだから。





そもそも、なにもかもが明らかになっているのだろうか


先日放映されたNHK の「あの人に会いたい」の中で、森毅が「五十年前わからなかったことが、今はわかるようになった。だから今わからないことがあっても、五十年も経てばわかるよ」というようなことを言っていた。

きっとそれは五十年以上は生きてみないとわからない感慨ではあろうが、なんとなくそうだろうなという気もする。だって、十数年前まではウォークマンにカセットテープが普通だったんだからなあ。その当時の私に「PC からWeb を通じてDL すりゃいいのに」と言っても、「こいつ日本人?」と思われるだけだろう。

森の話が(私にとって)頼もしく聞こえるのは、いますぐに解答がなくてもそれは当たり前、ということ。こう書くと、論理的な人たちは「いやいやいや、森が言っているのは歴史的事実・科学的事実にも未解明な部分がある、ということだけで、いま現在明らかになっている歴史的事実や科学的事実の確実性を疑え、ということじゃないよ!」と指摘したくなるだろう。

なにもかもが明らかになっているわけではない(部分否定)世界の中で、少しでも完全に近づこうという考えは本当に立派だと思うが、私にはとうてい真似できないし、それをあまり面白いものとも思っていない。論理的飛躍や突発的思考をよしと思っているのだ、私は。なぜって適当だから。

おそらく、引用した森毅のコメントも私の主張を援護してくれるものにはなっていないだろう。それもまたよし。





曖昧でもよし


結論は、「曖昧でもいいんじゃない?」ということだ。

「曖昧さがいい」と断言したいところだが、曖昧すぎてもなんだかなあと実感した経験から(下記「余談」参照のこと)、今のところは「曖昧でもいいね」としておく。

世論調査などで、「Yes と答えた人、○○%、No と答えた人、××%」とある中で、「わからないと答えた人、△△%」という文章を読むたび(聞くたび)に、「なんでわからないの?」と思ったものだが、今はそれもわかる気がする。

うん、ここまで書いてみて、よりわかった気がした。「Yes もいて、No もいて、わからないもいる、だから、面白さが生まれる可能性がある」ということを。あれ? でもこれって、金子みすゞ的世界ってこと?




すずと、小鳥と、それからわたし、

みんなちがって、みんないい。


『わたしと小鳥とすずと』より




うーん、でもこの詩っていまいち腹の底から納得したことがないんだよなあ。これをソースにした薄っぺらい模造品が世間にばらまかれ、そっちの方を(みすゞの詩より)先に見聞きしたせいもあるかもしれない。「ナンバーワンじゃなくてもいい」とかね。

ま、とにかく今後も、嘘をつき、脚色し、事実の刷り代えはつづけていきます。結局はっきりとした結論は出せずじまいだが、結論を出さない(出せない)ことの面白さが本記事の一番言いたかったことであるからして。





余談


今回の記事は、あえてうろ覚えのままに書こうと思って下書きを作ったが、あまりにももやもやしすぎていて、書いた私自身ですらよくわからないものになったので、あらためていちから書き直したという経緯がある。



日曜日の随想〈2007〉

日曜日の随想〈2007〉



どうやらここにくだんの荒川洋治『文学談義』が掲載されているらしい。

日本の昔話 (新潮文庫)

日本の昔話 (新潮文庫)




*1:これだけでも時代がわかる。今の高校生たちは、iPod を使っているか、携帯でそのまま音楽を聴いている、というところだ。


*2:それはそれで、度量の狭小な人間だと我ながら思う。


*3:かく言う私もWikipedia への引用をよくするが、それは、記事内容の正確さの担保をWikipedia に押しつけようといういやらしい下心による。


*4:他に、論理的思考を好む人がネット上には多い、という理由が挙げられると思う。私は、自分自身がそうでないためか、論理的な文章を読むのは結構苦手。



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中塚一碧楼の「 」がいい。「 」とはなにか、ということは後述する。




春の夕靄立つ二つの橋を二つ渡った  一碧楼

春の宵やわびしきものに人体図

能登が突き出で日のてりながら秋の海

凍夜この山より山と山とかさなりてあり*1

四方よりこども帰る菜畑冬を迎ふる*2

人が来る姿寒さがゆるみし野道

地の霜よろこばし菜畑などあり




自由律は苦手なはずなのだが、この人のはすごく好き。



さて、「 」とはなにか、ということだが、これは句とも詩ともつかないという理由から。『俳句への旅』に記載されている一碧楼の言葉によると一碧楼はこれらを詩としているようなのだ。




「私の詩を俳句だと云ふ人があります。俳句ではないと云ふ人があります。私自身は何と命名されても名なんか一向に構はないんです」

「私は全然季題趣味に係らず居ます。形式も十七字そこらにならうと、三十一字そこらにならうと幾字にならうと構ひません。私が書きたい様な形式に書きます」




名にこだわらず、形式にこだわらず、ただ言葉のみに執着したのだろう。大正二年(1913年)の一碧楼の言葉。




【関連記事】





*1:「凍夜」=「いてよ」


*2:「四方」は「よも」か「しほう」のいづれだろうか。



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落語といやァ、志ん朝


噺家といえば古今亭志ん朝しかいないと思っているし、寡聞にしてそれ以上の噺家の噺を聴いたことがない。

なんの噺だったか、おそらく『大工調べ』の枕だったように記憶しているが、その枕で志ん朝が「昔は名人と言われる人がいて、どんなにお金を積まれても気に入らない仕事はやンない、『やだよォ、ンなこたァ』なんて言うン。かと思うとォ、気に入りゃ一晩で難しい細工をパパパっと仕上げてしまったりして。えェ、こういう人が昔はいたンですが。今はこういう人はいない。もう、ね、名人なんてェ言われる人はいなくなってしまった」と言っていた。上記は相当なうろ覚えに脚色している。

だが、その話を聞いていてまず頭に浮かんだのは、「いやいやいや、志ん朝。誰がなんと言おうとあなたが名人じゃないか」ということ。志ん朝が名人じゃなきゃ、誰が名人だと言うのか。

私などの素人ファンが言うのもおこがましいというのは重々承知の上で書くが、志ん朝の噺といえば、ひとことで言って端正。かといって、聴き手にモーニングやタキシードといった正装を強いるようなものではなく、あくまでも気軽に、しかし崩しすぎずにどこかに折り目正しさを残している、というのが彼の真骨頂といったところではないか。





それじゃあ、落語は終めェかい?


数年前、とある場所で、志ん朝のレコーディングに関わっていた方(結構有名な人)のお知り合いという方(その方も当然ながら落語好き)とお話しした際、生意気にも「噺家は志ん朝が最高で、もう志ん朝以上の人は出てきませんよ*1」というようなことをしゃべった。いま考えると赤面もの(内容についてはそれほど誤りはないと思うのだが、いかんせん釈迦に説法すぎる)だけれども。

相手は大人なものだから、「いやいや、たしかに志ん朝は一番だけれども、けれどもそう言っちゃあ全部終わっちゃうよ。やっぱりこれからの噺家も応援していかなきゃ」と私を諭した。そのとき私は「そうですね」と応えたが、腹の中では「やっぱりもう無理だよ」と考えを改めはしなかった。私の中では落語はもう過去の遺物だと思っていたのだ。志ん朝以外を全然聴いていないくせに。





「胆つぶし」のあらすじ


先日の「日本の話芸」に桂ざこばが演っていた演目、「肝つぶし」は少々おかしな話だった。

簡単なあらすじ。

吉松(噺では「よしまァ」と呼ばれているが、おそらく吉松)が寝込んでいるというので、主人公が彼を見舞う。聞けば恋患いで臥せっているという。「相手は誰だ」と尋ねると、吉松が経緯を語り始める。

吉松が言うことには、ふんどし用に七尺のさらしを買いに反物屋に出かけたが、その買物の内容から番頭に低い扱いを受けた。ところが店の奥からそこのお嬢さんが出てきて、吉松への扱いについて番頭を叱りつけ、ついで吉松に詫びた。「まことに相済みませんでした。どのようなものを買っていただいてもお客さまには変わりございません。わたくしがご用意させていただきます」と言って、丁寧な対応をし、なおかつお詫びの品を送らせてもらうので吉松の住んでいるところを教えてくれと言うので、吉松は渋々教えた。彼としてはきれいでとてもしつけの行き届いた相手に必要以上によくしてもらうのは心苦しかったのである。

その晩のこと、もう寝ようとした吉松の住む長屋の戸を叩く音がする。開けると昼間の娘がいて、差し迫った表情で「どうか今晩泊めてください」と言う。聞けば、実は反物屋の主人は既に死んでいるために実権はあの意地悪な番頭が握っていて、娘とその母親はなにも言えないでいた。番頭は、昼間の娘の行為の意趣返しとして、望んでもいない縁談を持って来て、その相手を今夜突然呼び出して無理矢理くっつけようとするので、逃げてきたと言うのだ。娘を諭しても一向に聞かないので、とりあえずは夜中だということで翌朝帰るということになった。

そこでとりあえず寝ようという段になって、また戸を叩く音がする。吉松が戸のうちから誰何すると、相手は昼間の番頭で、逃げ出した娘を追いかけてきたと荒々しい口調で説明する。吉松は翌朝必ず届けると説明したが、番頭は言うことを聞かず、連れてきた若い衆に戸を壊させ、泣いて嫌がる娘を連れ去ってしまった。腕に自信がない吉松はそれをただただ見ているだけしかなく、誰も居なくなってしまった長屋でひとりぼろぼろと泣いていた。ぼーん、ぼーん、と深夜の二時を告げる時計の鐘が鳴った。

「と、そこでふと目を覚ましたんや」

主人公は鳩が豆鉄砲を食らったよう。「え?」

「夢やったんや」

「え? なんや、夢かいな」

「そうや、夢やったんや」

「おかしいと思ったんや。けれども、昼間のことを考えたら脈がないというわけやない。よっしゃ、おれがいっぺんその店に行ってお前のこと話して来てやるわ。その店、どこや?」

「え?」

「だから、お前がさらし七尺を買いに行った店や」

「それも夢や」

「え?」

「全部、夢やったんや」

「……お前、ずいぶんと長い夢を見たんやなあ」

つまり、夢に出てきた娘に惚れてしまったためにその想いは絶対に遂げられないので悩みに悩んで臥せっている、というのが吉松の衰弱の原因だった。

「治す方法はないんかい?」

「医者に言わせればやで、なんでも中国の医学書におれと似たような症状の人のことが書いてあって、そこには、年月の揃うた若い女子(おなご)の生き肝を食べれば治るというらしいんや」

「なんや、その『年の揃うた』いうのは?」

「たとえば、子(ね)の年、子の日、子の刻に生まれた子ちゅうことや」

「その子の生き肝を食べれば治るんやな?」

「その医者が言うのには、やで? わし、お医者に『それどこで売ってますのん?』と訊いてみたんや。ほんだら『いやいや、そんなもん売っておらん。肝を取るちゅうことは、その子は死んでしまうちゅうことや。ひとりを生かせるためにひとりを殺すちゅうわけにはいかない。その女の子とあんた、どっちが死ぬべきかゆうたら、わしはあんたやと思う』ちゅうとったわ、その医者。……わしもそう思う。……せやから、医者が『もうあかん』ゆうのや。『もうお迎えを待つしかないわ。ちょっとでも早くお迎えに来てもらいたいなら、つっかけ履いて自分の方からつっつっつっと行けばいい』ゆうとったわ」

「なんやねん、その医者! ヤブと違うか?」

吉松に養生するのだと言い置いて主人公は家に帰る。その帰途で吉松について考える。

「吉松のやつ、元気になってもらわな。なに、吉松にはまったく義理はないんやけど、吉松のおとっつぁんには義理がある。昔、おれが十で妹が六つのときのことや、親父が死んでもうてその後を追うようにしておっかさんも死んでしもたとき、あの吉松のおとっつぁんが『うちに来てごはん食べえや』いうてくれてな、おれと妹を育ててくれた。その恩を返す前に親父さん亡くなってしもたんで、返せずじまいにいた。だから、吉松を治すことは親父さんへのご恩返しになる……でも年月の揃うた女子いうてもなあ……ん? そうや、おふくろが死ぬ前に妹が年月揃うてる、ゆうようなことをたしか言ってたわ。『絶対に隠しておいてほしいんやけどな、あの子、年月が揃うてるんや』みたいなこと、ゆうてたわ。いま思い出した!」

そこで家に着く。

「ただいま」

「おかえりなさい、お兄さん」

「おう、吉松のとこ行ってきたぞ」

「どうでした?」

「うーん、あまり加減がよくないらしい」

「あらそうなの、どうしたものでしょうねえ」

「それはそうと、おまえ、いくつになった?」

「あらいきなり。二十歳になりましたよ」

「二十歳か……」

「ええ」

「おまえ、吉松のおとっつぁんに恩があるっちゅうこと、忘れてないやろな?」

「そりゃあ忘れてませんとも。兄さんが十であたしが六つの頃から、吉松さんのおとっつぁんにちゃんとごはん食べさせてもらったんですもの。忘れるわけないわ」

「そうかあ……。あのときのお前がいまはもう二十歳なんやなあ……。お迎えが来るのは年の順ちゅうけど、そうじゃない場合もある、なあ? おれ、お前がおれより先に死ぬような気がするわ……。もしお前に先にお迎えが来たら、あの世のおとっつぁんおっかさんによろしく言っておいてくれよ」

「なに言ってんのよ、気味の悪い。あの、あたし、明日も早いから寝ていいかしら?」

「おお、これは気がつかなんだ、悪い悪い。寝てくれ」

「そう? じゃあ寝させてもらいます」

「ん? もう寝息かいとる。よっぽど疲れてたんやなあ」

(地の語り)そう言ってじっと妹の顔を見ているかと思いますと、ふと立ち上がり、台所へ行き、出刃包丁を持って戻って来た。出刃をぎゅっと握り締め、妹に向かって大きく振り上げる。

「すまんなあ。おまえはきっと『そんなことまでする必要はない』ゆうと思うけど、おれはこうでもせんと気が済まんのや。吉松のためや、おれはあいつを治して親父さんに恩を返したいねん。な? 吉松が治ったらじきにおれも後を追うわ、だから堪忍してや」

そう言って包丁を振り下ろそうとするのですが……刺せない。そりゃそうですよ。自分が十で相手が六つの頃からふたりでなんとか生きてきた兄妹です。かわいい妹ですもん。刺せるわけがない。……これがカミさんだったら刺せます。ぶすぶすぶすって(客席爆笑)。……いやいや、カミさんでも刺せませんよ。吉松がううんと唸っているところへ、妹が目を覚まして、

「うわ、びっくりした! なにやってるの、兄さん? 包丁なんか持って!」

「あ! これか? これはな、仕事仲間と芝居をすることになっていて、わし、包丁で若い女子の肝を取るっちゅう役になったんで、その練習してたんや」

「ああ、そうだったの。びっくりした。あたし驚いたんで、ほんとに肝を潰したわ」

「なに、肝を潰した? それじゃ薬にならんがな」(サゲ)





ツッコミてェのはたくさんあるよ


ツッコミといっても、噺全体に対するものと、演者のざこばに対するそれがあるが、まずは前者について。

かなりストーリーが雑である。夢オチというのも認めないわけじゃないけど、全部夢というのは大胆すぎる。あと、主人公が帰るときの説明モノローグが説明的すぎて、辻褄合わせ臭がプンプン。いきなり出てきた妹が、実は「年月が揃っていた」というのもご都合主義の最たるもの。

たぶん、これを作った人物は、「生き肝を食べると治る不治の病」と「(驚いて)肝を潰した」というふたつの連想からこの噺を作ったのだと思うのだが、もうちょっと丁寧につくるべきではなかったか。

ざこばの演技は、名人芸とは言えない。かなりつっかえるし、しかも途中でギャグのオチを先に言ってしまうという失態も演じていた*2。枕で米朝の弟子ということを初めて知ったが、米朝の弟子でこれ? という思いがなかったわけではない。





つまるところ、全体でどうったんだィ?


それではこの噺はだめだったかということ、それが全然そういうこともない。

ストーリーはめちゃくちゃなのだが、吉松が、反物屋の娘がさらわれていくのを手を拱いて見ているということに口惜しくて涙を流すところとか、主人公が妹を殺そうと思っても殺せないところとか、ヘンなところにリアリティがあって、不覚にも、少しぐっときた。しかもそれは、なんといっても演者のざこばの演技がなせる技なのである。

おそらく、(私は今回彼の演技を初めて観たのだが)ざこばは器用な噺家ではない。けれども彼の演技がときに妙なリアリティを生むということは否定できないように思う。

たとえば、上のあらすじにおける地の語りの部分。「かわいい妹だから殺せるわけがない、カミさんなら躊躇なくやれますが」と言っておいて客を笑わせてから、思い返したように、「いや、カミさんでも刺せませんよ」と敢えて言うところに、ざこばのヘンな律儀さを感じた。

そこは、文章だとたいへん伝わりにくいのだが、ざこばが敢えて訂正を入れるべき場所ではなかったと思う。そのまま言い放っておけば客は気持ちよく笑えたはずだ。しかも、「いや、おそらくカミさんが観ているだろうから訂正しておきますけど」というようなことで再び笑いを狙ったわけでもなかった。ざこばは、言霊(不吉なことを言えば不吉なことが起きること)を信じているかのごとく真顔で訂正したのだ。そこに、私はちょっと感動した。





名人はもういねェかもしれねェ。けれども……


志ん朝のような大名人の噺を聴ける機会はもうないのかもしれない、と志ん朝ファンの私は信じている。しかし、それは落語というものを少しバカにしすぎているのかもしれない。

たしかに志ん朝はもういない。しかし、落語はまだ脈々と引き継がれているし、ざこばは間違っても名人の器ではないが、それでもその噺はかなり愉しめた。

そして、「文七元結」、「大工調べ」、「百川」、「芝浜」*3などの名作だけが噺ではないということもわかった。かなり「穴」だらけの「肝つぶし」だって相応に愉しめたのだ。他にもいろいろと埋もれた名作というものがあるのだろう。しかも上方落語は聴いたことのないものばかりだから、毎週の「上方演芸ホール」が愉しみでしょうがない。

落語はまだまだ愉しめる。そのような手応えを、上方落語ファンには「えー?」と言われるかもしれないが、ざこばの噺で確信できた。これからも落語。まだまだ落語。





余談でも少し話そうかィ?


たしか、漱石の『三四郎』だったと思うのだが、"Pity's akin to love."という文を、




かわいそうだた惚れたってことよ。




と訳すシーンが出てくる。これが何度読んでもわからず、しばらくのあいだ誤植だと信じていた。こういうことだと気づいたのは後のこと。




可哀想だたァ惚れたってことよ。




江戸前の言葉も、表記のしようでずいぶんと復活するのではないか。読み手の理解ってのもあるけど。



志ん朝の落語〈1〉男と女 (ちくま文庫)

志ん朝の落語〈1〉男と女 (ちくま文庫)



志ん朝の落語〈2〉情はひとの… (ちくま文庫)

志ん朝の落語〈2〉情はひとの… (ちくま文庫)



志ん朝の落語〈3〉遊び色々 (ちくま文庫)

志ん朝の落語〈3〉遊び色々 (ちくま文庫)



志ん朝の落語〈4〉粗忽奇天烈 (ちくま文庫)

志ん朝の落語〈4〉粗忽奇天烈 (ちくま文庫)





志ん朝の落語 6 (ちくま文庫)

志ん朝の落語 6 (ちくま文庫)




*1:そのとき、志ん朝が死去して数年が経っていた。


*2:私が書いたあらすじは、相当脚色していて、意図的に省略しているところもあるし、そもそも大阪弁に自信がない。


*3:「芝浜」については、かの有名な桂三木助のものだとまったく面白くなかったのだが、それは年齢のせい? それとも私の知識が浅いから?



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村上鬼城の句。森澄雄の解説にあるように、たしかに一茶とは違う。正確には大須賀乙字の評らしいが。




闘鶏の眼つぶれて飼はれけり*1  鬼城

春雨やぶつかり歩く盲犬*2

冬蜂の死にどころなく歩きけり




けれども、一茶にだって悲しい響きを持った句を詠んでいる。幼い娘を悼んだ下の句は有名。




露の世は露の世ながらさりながら  一茶





*1:「眼」=「まなこ」


*2:「盲犬」=「めくらいぬ」。それにしても、ATOK では「めくら」で変換しても「盲」という字は出てこない。なんてことだ! ちなみに、「めしい」でも変換されない。「差別的」だから、とでも言うのだろうか。情けない。



編集

昼間、野焼きをしていた。何百キロとある山積した樹皮に火をつけるべく、持参したペットボトルに入れた灯油を古新聞につけ、それを樹皮の山に押し込み、点火する。

何度か火が消えかけたので、持ってきた新聞をそのたびに広げ、ねじり、灯油に浸す。

煙が目にしみる。灰がちらちらと上昇気流に乗っているのを眺めながら、これって環境汚染だよなあとなんとなく思っていた。牛のげっぷも相当な二酸化炭素を吐き出しているらしいが、まあ、野焼きもいかんよななどと思っていた。



また、火が消えた。

しょうがねえなあ。日経新聞を展げる。文化欄がたまたま開き、「森澄雄氏を悼む」とあった。

うん? 聞いたことあるなあ。森澄雄って誰だっけ?

5秒ほど手を止めた。森澄雄って……『俳句への旅』の作者の森澄雄だ!

亡くなっていたなどとは知らなかった。新聞の日付は平成22年8月20日となっている。ほぼ半年前。よくもまあ、こんな形で森氏の死を知ることになったなあと奇妙な感慨を覚えた。



本を読んでいるあいだ、作者は生きている。作者は生者の声をもって読者に語りかけている。たとえ故人になろうと、私が本を開くたびに森澄雄は、厳しい口調と雰囲気で俳句のすばらしさを教えてくれる。言葉は死なない。

私は追悼文のところだけを切り取って読み、そしてしばらく経ったあと、それも火にくべた。

午後からは雲が翳って、それから少しの雨が降った。火はそれでも消えなかった。




野焼きせん偶然の訃報灰にして






追記


ということを書いたら、若い友人から指摘があったので掲載しておく。




ブログの「野焼き」の記事にて気になったこと。

牛のゲップは二酸化炭素ではなく「メタン」で、

メタンは二酸化炭素の21倍の温室効果があるため、

温暖化のやり玉に挙がったというわけです。




なるほど。勉強になりました。

ちなみに、Wikipedia に、メタンの和名は「沼気(しょうき)」ということが書いてあった。




牛おくび沼気起こりてGHG*1






*1:「GHG」=「GreenHouse Gas」



編集

『マットはどこにいる?』以来、感動した動画。GIGAZINE より。

3年間バルセロナに住んでいたブラジル人のルーカスが、そこを離れることになった。その幸福な3年間への感謝を表すため、演劇の無料チケットが同封されたメッセージつきの風船を飛ばした。




Adéu, Barcelona!




英語のメッセージはだいたいこんなことを言っている(と思う)。




やあ。

きみは僕を知らないし、僕もきみを知らない。

でもそんなことはたいしたことじゃない。



大事なことは、バルセロナで過ごした3年間僕はとてもハッピーだったということと、この街にお礼がしたいってこと。

だから僕は、演劇の無料チケットをつけたたくさんの風船を飛ばすことにしたんだ。



こうすることで、きみみたいな人たちが、僕がこの素敵な街で楽しんだのと同じようなチャンスを手に入れてくれれば、と思う。



僕は、もっと他人のことを考える世界のことを信じている。

人々が自分のことばかりを考えるのをやめ、家族や友人だけではない本当のみんなの幸せについてもっと心を砕くような世界をだ。



もし、見返りを期待せずになにかを与えることをみんなができたなら、友情と尊敬に満ちた世界はそこから始まる。



僕のプレゼントを楽しんでほしい。



じゃあね。

ルーカスより。




曲もいい。Jessica Allossery の"Change the World"。あつらえたかのようにこの動画にぴったりです。




Change the World / Jessica Allossery






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鵯のそれきり啼かず雪の暮れ*1  臼田亜浪




またもや、作者の自註つき俳句。




うすうすとあたりをこめて来た夕暮れのとばりに誘はれた。私はつと起こつて縁側の欄(おばしま)にもたれた。雪をかぶつた三本五本の大欅(けやき)、谷へなだれてゐる雪の篁(たかむら)、中津川の水声はそれらの枝々をかすかにおののかせて響いて来る。階下の往来には人影もない。と、ピーピーと、四辺の寂寞を破つて鋭い鳥の叫び、雪がはらはらと散つた。はて、何鳥だらう。鵯らしかつたが……としばらく耳を澄ましたが、唯それきりである。夕暮れのとばりはいよいよ濃くなりまさつて、しづけさの底深く我を忘れた。




『俳句への旅』によれば、この句は句碑となって中津川(神奈川県の厚木)のほとりに建てられているらしいのだが、この句碑ができたとき、




あの時、鵯があと二声三声鳴いたら、この句は出来なかったかも知れない




と言ったそうだ。

そのとき中津川のあたりを飛んでいた鵯は、たった一度きりしか鳴かなかったがために詠われ、小さいながらも文学史に名を刻んだ。



*1:「鵯」=「ひよどり」 / 「啼かず」=「なかず」



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遠山に日の当たりたる枯野かな  高浜虚子




虚子27歳のときの句だそうだ。

この句についての晩年の虚子の言葉。




自分の好きな自分の句である。

どこかで見たことのある景色である。

心の中で常に見る景色である。

遠山が向かふにあつて,

前が広漠たる枯野である。その枯野には日が当たつてゐない。落莫とした景色である。

唯、遠山に日が当たつてをる。

私はかういふ景色が好きである。

わが人生は概ね日の当たらぬ枯野のごときものであつてもよい。寧ろそれを希望する。たゞ遠山の端に日の当たつてをる事によつて、心は平らかだ。

(太字強調は引用者による)




こういう文章を読むと、まだ枯れちゃならんのだけれども、枯れてもいいのかな、と思えてしまう。



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