とはいえ、わからないでもない

2011年04月

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ガールズ・ロックって感じでいい。




What The Hell / Avril Lavigne




この曲を聴いていて思ったこと。

ノリのいい曲でデビューして、(もともと歌唱力がそれほどあるわけではないのに)途中からバラードへ転向してつまらなくなる歌手っているけど、別に「歌姫(ディーヴァ)」気取らなくていいから、って思う。歌手業界では、バラードの方が曲として優れている、みたいな価値観があるのだろうか。



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そういえば、ってわけじゃないけど、東京のNOAKE というお店の写真。






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写真は表参道時代のもので、現在はなんと六本木ヒルズに出店されています。(特に寒いときがおすすめだけど)ここで飲んだコーヒー、美味しかったなあ。スイーツもいろいろとあって、お遣い物にもおすすめです。



個人的には、ブレているけど下の写真がお気に入りです。






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うちのモモは観察しているとなかなか面白い。襖をはじめに開けたのもモモだし、水を飲むときに手を入れて飲むやり方を始めたのもモモ。

ヒメはだいたいそのマネをするのだが、猿真似というか猫真似なので、その技術は中途半端。たとえば襖開けにも、ときおり失敗をする。ちょっと文書だと説明しにくいのだが、襖を完全に開けられないので、顔が挟まってしまうのだ。顔を挟んだままミャーミャー言っているので助け舟を出さなくてはならなくなる。

話をモモに戻すが、そのモモが最近「しゃくしゃく」という技を編み出した。

私が指を近づけると、それを口の脇の部分に持って行って、歯を空噛みする。そのときの音が「しゃく、しゃく、しゃく、しゃく」と聞こえるので、私は「しゃくしゃく」と呼ぶことにした。

私が思うに、臭いつけと甘噛みの一種であろう。おそらく一般的な名称は他にあるのだろうと思う。

ちなみに、ヒメも最近その「しゃくしゃく」のマネをしだしたが、甘噛みにならず、そのまま「ガリッ」とやられてしまう。いてて。

さて。モモだが、さきほど、こちらが指をその口の脇につけていないにも関わらず「しゃくしゃく」とやり出したので、「お、エアーしゃくしゃくを完成させたのか」とのんきに見ていたら、なんだか生唾を飲み込むような行動をし始めた。

「ん? なんか観たことある風景だな」

……吐いちゃいました。まだ具合悪かったのね。今はこたつの傍で気持よさそうに眠っております。




【関連記事】





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このあいだ書いたばかりだが、RADWIMPS の『君と羊と青』の一節が頭にこびりついて離れない。




君を見つけ出した時の感情が 今も骨の髄まで動かしてんだ




とか




君を見つけ出した時の感情が この五臓の六腑を動かしてんだ




とか。

思春期なら、「君」を、「初恋の人」とか「いま好きな人」などと置き換えてこの歌詞を聴くだろうが、三十を少しばかり過ぎると、「君」を、「音楽」だとか「小説」だとか「漫画」だとか、そういう言葉に置き換えて聴くことができるようになる。

そういう感動が心のどこかにあるはずなのだ。たとえくすぶっていようとも。



はてしない物語 (上) (岩波少年文庫 (501))

はてしない物語 (上) (岩波少年文庫 (501))



はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))

はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))



この記事のタイトルは、上掲作品の登場人物より採った。「きみ」という言葉を聞くといつもそのことを想い出す。ただし、本当は女王なので「君」の意味が違うのだけれど。



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快氣した猫が薔薇*1を囓りけり




内田百鬼園、昭和九年(1934年)の作。百鬼園の号よりもなお百間*2の名の方が知られているであろう。

句作をしたとされる日の日記にはこうある。




先週よりつづいたネコの下痢が治つたと思つたら、今朝は床の間に飾つてあつたバラの花を囓つてをつた。「これ」と叱ると、「ミヤア」と鳴いて花瓶を倒して行つた。家人がその音を聞きつけてやつて來たのだが、「知らぬ、風が吹いたのであらう」と匿つてやつた。




おそらく当時のバラは今よりは高価だったろう。少しヘンな感じもするが、床の間に飾ってあったその花は何色であったのだろうか。百間の「猫バカ」っぷりが堪能できる句で、私は非常に好きである。







……というのはすべて嘘で、拙句です。駄句を盛り上げるために、偽の解説をつけて粉飾してみました。騙された人はいるかな?



*1:「薔薇」=「しょうび」


*2:門構えの中に「月」の漢字



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4月9日に放映された「日本の話芸」の演目は、鈴々舎馬風(れいれいしゃ・ばふう)の「禁酒番屋」だった。




事の起こりは


とある事件をきっかけにお殿様が藩中すべてを禁酒とした。特に侍屋敷に酒が持ち込まれないようにするため、その入り口には酒のための検閲所が設けられた。人呼んで「禁酒番屋」。

ある酒屋に武士がやってきて、「金ははずむのでなんとか屋敷に酒を一升届けてはくれまいか」と店の主人に頼む。主人は「このご時世ですから」と断るのだが、その武士は強引に頼んでそこを去る。

さて、困った主人のところへ店の若い者が「いい知恵がある」と持ちかける。

菓子屋の恰好をし、カステラの菓子折りという名目で番屋を通り抜けようというのだ。





番屋にて




番屋の役人

「その方、なんの用だ?」

酒屋の若い衆1

「へえ、わたくしは向こう横町の菓子屋でございまして、近藤様(武士の名前)のところに届け物です」

番屋の役人

「ほう、御同役、聞かれたか? 妙なこともあるものだ、藩中酒豪で知られた近藤氏がこともあろうに菓子だとは。まあよい、それをこれへ。お役目の手前、手落ちがあってはならん、一応中身を確かめるぞ」

酒屋の若い衆1

「あのう、これはご進物でして中はカステラでございます。水引きを解かれますと手前どもも困りますので……」

番屋の役人

「おお、そうかそうか、あの近藤氏が菓子を食うはずなどないのだ。わかったわかった。通ってよい」

酒屋の若い衆1

(安心した様子で菓子折りを取り戻そうとする)「そうですそうです、これはカステラでございます……どっこいしょと」

番屋の役人

「おいちょっと待て。いまなんと言った?」

酒屋の若い衆1

「……どっこいしょというのが口癖なんです」

番屋の役人

「カステラがそんなに重いわけなかろう。いいからそれをこちらへ渡せ……(菓子折りを開けて)ん? この徳利はなんだ?」

酒屋の若い衆1

「ああ、それは徳利です」

番屋の役人

「それはわかっておる、中身はなにかと訊いておるのだ」

酒屋の若い衆1

「ええと、中身は……水カステラでございます」

番屋の役人

「水カステラ? (下役人に声をかけて)おい、湯呑みを持ってこい。そうだ、大きいやつでよい。いま中身を改める(と言って徳利から湯呑みへ酒を注ぎ、飲む)……これが水カステラだと? 御同役、水カステラをご賞味されますか?」

同役

「おお、かたじけない。しかしまあ水カステラとはよくも申した……(と言って湯呑みをうまそうに空ける)おお、これは結構な水カステラで」

番屋の役人

「御同役、身どもはまだしっかりと味わってはおらん。飲み終えたらお返し下され……(そしてもう一度湯呑みの酒を飲み干し、満足そうな表情をしてから若い衆に怒鳴りつける)こら、これが水カステラだという者があるか! ここな*1偽り者め!」

慌てて逃げ帰る若い衆。



主人は「ほれ言わんこっちゃない、無理なんだよ」と諦めようとするが、また別の若い衆が、今度は油屋ということで油徳利を提げて行けばよいと言う。





ふたたび番屋にて




番屋の役人

(少しほろ酔い加減で)「その方、なんの用だ?」

酒屋の若い衆2

「へえ、わたくしは向こう横丁の油問屋でございまして、近藤様のところへ油を持って参ったのです」

番屋の役人

「それをこちらへ渡せ」

酒屋の若い衆2

「ですからあの、これの中身は油でございまして……(と言いながら渋々徳利を渡す)」

番屋の役人

「最前の水カステラもある。お役目の手前、手落ちがあってはならん。調べるぞ(と先ほどの湯呑みへ注いで味をうまそうに確かめる)。これ! かような油があるか! ここな偽り者めが!」

慌てて逃げ帰る若い衆。



主人は「これで二升も飲み干されちまった。やはり無理なんだよ」と諦めようとするが、そこへまた別の若い衆が。




新しい若い衆

「冗談じゃねえや。あっしは小便を持って行きますよ」

若い者が集まって徳利に小便を入れ、それを持って番屋を訪う。





みたび番屋にて




番屋の役人

(だいぶ酩酊し呂律が回っていない様子で)「その方、なんの用だ?」

酒屋の若い衆3

「へえ、わたくし向こう横町の……あのう、小便屋でございます」

番屋の役人

「なにィ、小便屋? 何用だ?」

酒屋の若い衆3

「近藤様のところに小便をお持ちいたしました。なんでも松の木の肥やしにするとかで」

番屋の役人

「馬鹿を申せ! お役目の手前、手落ちがあってはならん。中身を改めるぞ。いいな? その徳利をこちらに寄越せ!」

酒屋の若い衆3

「(嬉々として徳利を渡す)へえ、どうぞどうぞ中身をお改めくださいませ」

番屋の役人

「余計なことを……。(徳利を持ち上げようとすると)ん? 御同役、今度は燗にしてくれているようですぞ。冷やといい燗といい、まったくこんないいもの……いや不埒なものを。(若い衆を睨みつけて)いいか控えておれよ*2、まったく、水カステラだの、油だの、騙されると思うておるのか……(湯呑みに入れた「液体」を見て)ん? なにやらあぶくが立っておる。酒の質が悪いのか、あるいは燗のつけすぎなのか……ええい、こんなものはこうやって(と息で吹き飛ばす)……うわははは、まったく町人なんて者は……(と湯呑みに顔を近づけると)んん? 御同役、なんだか急に目にしみるような……ははは、気のせいですかな? それではお先に失礼いたす……(と湯呑みに口をつけた途端、慌てふためく)むむむ! (若い衆に向かって怒鳴りつける)なんだこれは?」

酒屋の若い衆3

「ですから、わたくしはハナから小便だと申し上げたんです」

番屋の役人

「うう、ええい、わかっておる! あのう、ここな……正直者めが!」




感想


下ネタなので、あまりにもしつこく演ると下品になってしまうが、さりとて「燗」や「あぶく」のくだりを省いてしまうと面白さは半減してしまうだろう。

初めはいかに番屋をすり抜けるかという苦心譚が、いつの間にか復讐譚に変化していくのが構成上面白い。

また、復讐される武士も、はじめは酒に意地汚さを見せて小憎らしいが、酩酊して騙されるあたりには可愛らしさも感じられてこれもまた面白い。

馬風の演技が非常に心地良かったので、既に五回は繰り返して見ている(それでも小便に浮かんだあぶくを吹き飛ばすシーンには毎回にやにやしてしまう)。上記はその記憶に基づいて書き起こしているので、不完全なところはあると思う。



余談だが、枕が九分ほどあって、そこで志ん生、小さん(先代)、三平(先代)の話が冗談半分に語られて、これまた興味深かった。




*1:辞書を引くと、「人や物を表す語の上に付いて、それをののしっていう意を強める」とある。わかりやすくいえば「この」であろう。


*2:噺の中でなんども「控えておれ」という台詞が出てくるのだが、これが江戸訛で「かえておれ」になって、さらに早口に「しかえとれィ!」になっていた。初めはなにを言っているのかわからなかった。



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「宇宙の缶詰」という作品を思い出した。作者は赤瀬川原平




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宇宙の缶詰




「作り方」はわりあいに簡単。

食べて中身を空にしたカニ缶のラベルを内側に貼るだけ。あとはこの蓋を閉じてしまえば完成。



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横浜にいたとき、気に入ったイタリア料理店に通っていた。私はこと飲食店となると浮気性ではなくなり、ひとつの店に通うことを好み、またそのことをよしとしている。

私が店を気に入るのは、食事の良さということももちろんあるが、だいたいはサービスに惚れて通うことになる。その店は、出会いは最高だった。

だが、二年か三年も経つうちに、店のスタッフの方たちが私のことを気に入ってくれたみたいで、その距離感がぐっと縮まった。そして、それが私にはだった。



難しい話なのかもしれないが、店員と客のあいだには大きな溝が横たわっていると思う。多くの人たちは、その溝を超えたいと考え、実際にそうする。それを理想的な関係だとも考えている。

しかし、ごく一部にはそれを好まない人間もいるということを忘れてはならない。

客は金を払っている。客だから尊大な態度をしてもよいということではない。客が金を払っているというのは事実であり、その一点において両者は対等な関係ではありえない。そのことを店側は絶対に忘れてはならないのだ。

先日、近所のカフェに行ってコーヒーを飲んだら、店の主人に根堀り葉堀り質問されて辟易した。これで「おしゃべり好きなマスター」を自任しているのだから困る。自分の迷惑行為に気づいていないばかりか、店の「売り」とすら考えているのだ。

金を払って、店の人間の好奇心を満たしてやっている側の人間のことなんてこれっぽっちも考えていない。



以上は、ツイッターのタイムラインを眺めていてなんとなく思ったこと。私と同じことを感じた人っているのかな? 詳細は省くけど。



頼むから静かにしてくれ〈1〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

頼むから静かにしてくれ〈1〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)



レイモンド・カーヴァーの作品にはいいタイトルのものが多い。これもまたそのひとつ。



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三遊亭圓歌の演芸図鑑」というテレビ番組を観ていたら、三増紋之助という曲独楽師が出演していて、これが予想以上に面白かった。




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こんなのが曲独楽




上記画像のようなものを手で回して、扇子の上や真剣の上を渡らせるというもので、字で書けばなんてことないように思うが、その手さばきや挙措に並々ならぬものを感じ、見入ってしまった。

特に「真剣刃渡り」というものは、回転した芯の細い独楽を刃の鍔元あたりからついには切っ先までを渡らせるのだが、見ていると文字通り息を呑んでしまう。これが本当の芸なのだろうと感心した。



テレビでは、「芸人」という肩書きの有象無象がやたらと跳梁跋扈している印象があるが、本当の芸を持つ人は少ないだろう。クイズ番組に出場したり、運動神経を争う番組に出場したりと、さも芸の豊かさを競っているように見せかけているが、あれは「隠し芸」に過ぎまい。「隠し芸」で辞書を引けば、「素人の芸」とある。なるほど、本業の人間には敵わないちょっとした余興ということだ。

芸とは、しゃべりや知識や外見に関係なく、その伎倆だけで勝負するもの。いくら口八丁を用いたって独楽を真剣の上には乗せられない。

三増さんは師匠のところに入門して四半世紀になるという。彼の技はその年月の厚みと等式で結ばれている。余計な趣向に走らず、ただ独楽を回すことのみに永い時間を費やしているということに手放しの称讃を贈りたい。



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