とはいえ、わからないでもない

2011年09月

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だいたい外から帰ってくると夕方どころか宵の口になっていることが多く、しかも肉体労働をしているためやけに眠い。

先日はPC の前で椅子にすわったまま五時間ほど寝ていた。なにか書きかけのようだったが、起きたらそれどころではなく、また外に出る、というパターン。もうなにがなにやらわからない。いろいろと約束をしていたり、書きかけのメールなどもあったように思うが、ほったらかしにしているのも多い。

だいいち、人とのつきあいが面倒で田舎に引っ込んだというのに、Gmail の「連絡先」のリストの倍増したというのはどういうことなのか。私はちっともそんなこと望んでないですよ。誰からも連絡がないと嘆いていたあの百合ヶ丘の独り暮らし時代が懐かしい。




百合ヶ丘にて


夏。仕事が休みでずっと寝ていた日。ふと起きると、蜩が外で鳴いている。目覚まし時計を見ると5時とある。「やばい、丸一日近く寝ていたのか?」と慌てて飛び起きてカーテンを開け、外を見る。

雲が日に照らされて赤い。いい夕暮れだった。外に出てみる。アパートの一階だったので、サンダルをつっかけるだけで済んだ。車がときどき通るだけのさびれた郊外の道。空気が澄んでいた。野良猫が誰かの置いていった餌を食べていた。遠くで新聞配達のバイクの音が聞こえた。朝だった

そのとき初めて、蜩が朝も鳴くことを知った。おそらく耳にしていたことはあったのだが、初めて意識した。

嬉しくて、サンダルのままその道を東側に進んで行った。そこに暮らして二年ほど経っていたが、アパートの近くを散歩してみたことはほとんどなかった。東側には鉄塔がずっと見えていた。そこに行こうと思った。

高台を上って三十分ほど行き、鉄塔の近くに立ってその町を十五分ほど見下ろしていた。そして、どこかの高校生が、部活の朝練だろう、ジャージ姿でジョギングしているのをゆっくりと目で追い、見慣れない幹線道路の傍で車が幾台と通り過ぎるのをぼんやり眺めた。そんなところに小洒落た洋菓子店があるのを初めて知った。ディスカウント系の酒屋があった。クリーニング屋があった。もちろん開店はしていなかった。牛乳配達のバイクも見かけたように思う。やがて、熱く湿った空気がひんやりとした空気を追い払い始め、私は来た道をまっすぐに帰った。足は汚れていたが、幸せな気分はつづいていた。なんという孤独! しかしなんという自由!

その嬉しさのあまりに、女友達に手紙を書いた。手紙を書いていたのは、当時、人と連絡する手段をなにも持っていなかったからだ。

電話も引いていなかった。携帯電話も持っていなかった(これは今も同じ)。PC はあったが、ネットに繋がっていなかった。繋げていなかったのだ。誰かが私に連絡を取ろうとすれば、手紙を書くしかなかった。なにも昭和の話ではない。れっきとした平成の話だ。意図的にそのようにしていた時代があった。

四年か五年のあいだ、その百合ヶ丘のアパートに暮らしていたことがあったが、手紙があったのは二、三度。はっきりと覚えているのは、一通だけ。「連絡しろ!」と大きく書かれたハガキが一枚。男友達からだった。

「緊急時」には、十分ほど歩いて電話ボックスに行き、そこから電話を掛けた。ときどき中東系の外国人が電話をしていることがあったが、ほとんどは私専用だった。半年か一年ほどして、その電話ボックスはなくなった。ラジオで(そういえばテレビも置いていなかった)NTT がどんどんと公衆電話を撤去しているというニュースが流れていた。



そのときに手紙を出した女の子と、このあいだ長電話をした。

十年近くの月日が経っていた。「あの頃となにも変わっていなかった」なんてことはなかった。お互い、ずいぶんと変わっていた。でも、なんとか友達としてやってこられた。考えてみれば、あの時代にできた友達とは、今でも交友がつづいている。十年も経ってしまえば夢みたいな日々だが、本当にあの日の朝焼けは美しかった。もしかしたら夢だったのかもしれない、とも思える。

貧乏で窮屈な青春だったが、なにものにも代え難い。




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「『永遠に愛する』なんてことは、もうこの年齢になったら言えないよね。いや、二十代の半ばで既に言えなかったな。もうそんなわけないってのはわかってしまっているから。努力の抛棄とかそういうのじゃなくて、自分の認識とか判断が長期間変わらないままでいるだなんて、その渦中にある自分自身に言えるわけない。ましてや永遠に変わらないなんて、永遠を体験していないから言えるわけがなくて」

「そうね。わたしそう言う人は信用できないわ*1

「だから、暫定的な話として『今この瞬間については、愛している』と言って、『だけれど、今後はどうなるかわからない、人の気持ちって変わるものだから』と付け加えるというやり方があるよね」

「そう、わたしの前の彼氏がそうだった」

「でもさ、ちょっと考えるとそれってすごく自分の責任の範囲を限定しているとも言えて、けちな話だよね。『今この瞬間についてしか保証しませんよ』っていうのは。もっと言えばね、予め保険を掛けているとも言えるんだよ」

「そうかも」

「そうじゃなくてさ、『自分は嘘つきになるかもしれないし、約束を破ることになるかもしれないけど、それでもあなたのことを永遠に愛したいと思っているし、それを実行する気でいます』という思いを乗せて、『永遠に愛する』と言えばいいんじゃないか、ってそういうふうに今は考えているんだ」

「ああ。同じ言葉だけど、背景にある考えは全然別物だよね。そう言われたら、嬉しいな」

「言われるようになんなきゃね、お互い」



深夜の2時までこんな話をしていたことも、あったかもしれない。




人恋し夜に長電話の練習す  活蛙





*1:女性の語尾の「わ」や「よ」は旧時代的な表現、あるいは書き言葉の世界(特に翻訳文)にのみ存在していると思われがちだが、実際にこのように遣う人はまだいて、私はそういう人が好きだ。



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ある人からメールが届き、ある本を読んでほしいと言う。腑に落ちないところがあるから、読み終わったら連絡がほしい。電話で話そう、と言う。

その人の文章にはあまり疑問文は出てこない。もちろんないわけではないのだが、疑問文があったという印象を持っていない。

私が逆の立場だったら、と想像してみる。




こんにちは、○○さん



僕は『×××』という本を読んだのですが、よくわからない部分がありました。もしよかったら、という話ですが、その本を読んでいただけたら幸いです。

さらに、その感想を教えていただけるのなら嬉しいです。メールだとわかりにくいところもありますので、よろしければ、電話でお話しできたら、と思います。いかがでしょうか?




これでも、私にしては相当踏み切った文章である。おそらくこの文章を書いてから五分後に見直し、それからすべてを削除し、メール自体を出さないという選択をするだろう。

私の選択はおそらく間違ってはいないのだろうが、触れたいものはすべて遠ざかっていく。



その人は、迷わない文章で私の心に直接入り込んでくる。そのとき、「?」を必要とはしない。形としては私への依頼なのだが、私が承諾するか否かは別次元の問題であって、というより、私が承諾することが「自明」という扱いになっているわけだから問題にすらなっていない。

それではそれが迷惑かというと、そんなことはなく、むしろそれがいい。

たぶん、その人は私を信頼してくれているから、私が二つ返事で依頼を引き受けるということが(返事を聞かなくても)わかってしまっているのだろう。

たとえば、お互いに言ったつもりになって諒解していたけど、よく考えてみたら口に出して確認していなかった、あれ、なんでそうだと知っていたんだろう、ということがときたまある。

それはたぶん、心が先に感応してしまっているのだろう。言葉にしなくても、自分の心が相手に伝わっていて、相手の心もこちらに伝わってしまっているのだと思う*1。そういうことがあるんだ、ときには。

かつてガンダムの監督、富野由悠季は「ニュータイプ」という概念を作中に持ちだし、精神が感応することによって言語を超えたコミュニケーションを可能にする彼らは、その結果、人類に平和をもたらす可能性があるというような説明を、NHK の「トップランナー」に出演した際にしていた。私の記憶と理解が正しければ、の話だが。

私自身は、テレパシーというものが近い将来可能になるとは考えていない。そして、100の「気づき」のうち、99の間違いがあることも忘れてはいない*2。しかしそれでも、100回のうち1回、「あれ?」ということがあるのかもしれないと考えていれば、人生は少しくらいは楽しくなるのではないか。



なお、その本は丸一日で読了。



*1:そういえば、小林秀雄が講演において、これらの現象(いわゆるテレパシー)に対して「そんなのあるに決まっているじゃないですか」みたいに断言していたのが興味深かった。


*2:これまた同様の話が、小林秀雄の講演の中にある。



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数ヶ月前に録って観られなかった「スタンフォード白熱教室」を観始めている。

起業家育成コースというだけあって、参加生徒の発想力やリーダーシップなどのレベルが高いのだが、能力以前にみんな意識が高いと思う。学ぼう学ぼうとするポジティブな姿勢が心地よいほど。

さて。もし私がそんなところへ参加していたとしてら、(英語をしゃべられるかどうかという問題はさておき)はたしてどんな行動を取る(取った)だろうか、というのが今回の記事。自分で自分を分析してみる。




与えられた課題


シチュエーションを仮定してみる。こういうものはわりと詳細に設定した方がイメージしやすいからだ。




場所

「白熱教室」と同じ教室

参加者

「白熱教室」と同じメンバー、つまりスタンフォードの学生たち(若い!)

課題

「ダンスしながら、あなた自身を自己紹介してみてください」*1

なお、「」は実際の発言で、『』が独白とした。





10代の私だったら


『ええ、いやだなあ恥ずかしいなあ。でもちょっとだけ目立ったっていいかもなあ。でもいやだなあ恥ずかしいなあ。いや、でも勢いに乗ってノリに任せちゃえばいいかも。でも恥ずかしいなあ。でもやるかっ!』とアドリブラップ調で自己紹介にトライ*2





20代の私だったら


『あ、無理。もうね、全然やる気がしない。やったって意味ない。意味ないことをやるってことは……つまり意味のないことなんだ。だからやんない。もう誰がなんと言おうとやんない』と考え、「あ、いいです。お断りします」とそれだけ。周りの空気、しらー。でも平気(なふり)。





30代の私だったら(←いまここ)


『ああなるほど、つまりそういうあえて行動的に自己紹介をさせることによって羞恥心を捨てるという効果を狙うと同時に発言者をリラックスさせるという目的があるのかもしれない、あと身体を動かすことによって積極的に発言をするようになるというような研究がなされそれを裏付けるような学術データがあるのかもしれずこの課題はまさにそういう部分を考慮したといえるかもしれない、ま、やらないからどーでもいいんだけど』と0.1秒で考えた末、「あ、○○です。よろしく」とダンスをせずにさっさと済ませる。みなが唖然としているところに席に戻るのだが、その間に考えていることといえば……『いやいや、ダンスしながらと言ってはいたけどダンスの中にだって《静止している》という瞬間があるわけでもし踊っていないと批判されたらいやいや踊っていないのではなくて静止するというダンスをしていたんですと応えることにしよう、それがいい、いやむしろその方がよりクリエイティブな選択をしたと言えるんじゃないか、そもそもどこかのガキみたいに周りの空気を読まずになにもしないわけじゃないからね、そこを履き違えないんでほしいんだよね実際、もう大人だからさ、そんなガキンチョと一緒のことはできないよそりゃ、そんなふうに空気読まずになにかをするってのは大人のボクにはできませんよ、ええ、でもね、でも意地くらいは通しますよギリギリのところで、このギリギリのところというのが実はものすごく大事なわけで、ほとんどのところまで譲ったけど最後の最後でここだけは譲るまいというところで矜恃を見せたわけで、そうでもしなきゃ大人という存在の……(このあと15分つづく)』





40代の私だったら


『え、ダンス? やりましょう。いいじゃないですか、やりましょう。存分にやりましょう。もうね、四の五のいわずに踊ります。え? 踊ればいいんでしょ。ほら若い子たちにおじさんのこの大人の振る舞いってものを見せてやりましょ。踊ります踊ります。え? それで自己紹介? なぁんだ、簡単簡単。こんなの屁でもない』と、モンキーダンスをしながら自己紹介。適度にウケたところでさっと切り上げる。





50代の私だったら


『いやあ、もう無理。そういう年齢じゃないんだよもう。ダンス? 無理無理!』と頑なに拒否。「すみません、わたし踊れないもので、本当にすみませんが名前を名乗るだけにさせてもらいます。いやあすみませんね、若いみなさんの前でお恥ずかしいですがこの年になるともう踊りなんてできないんですよ」とぐちぐち言い訳をする。周りは苦笑い。





60代の私だったら


「ふざけるな! ダンスしながら自己紹介だって!? なんでそんなことをする必要があるんだ、ええ? わたしは絶対に踊らんからな! 自己紹介だって、ふんッ、する気が失せたわ! もう帰るッ!」と怒って席を立ち、そのまま部屋を出る。





70代の私だったら


「(棒読みで)70歳になったときから、どうも足腰が痛むなあと思ってたんですよ。朝起きるのも辛いし、なんとなく毎日が暗い感じがしていました。……ところが、このサプリメントを飲み始めてから生活ががらっと変わったんです。このゴマのエキスと天然のお酢の成分がいかにも身体に効いていると日々実感しています。友達にも、よく『若くなったんじゃない?』と言われますし、初めて会った人に『50代かと思った!』と驚かれたことがあります(※個人の感想です)」





80代の私だったら


「え? あ自己紹介ね。はいはい、わかりましたよ、はい自己紹介ね。ん? ここですればいいのかな。自己紹……え? なんだって? あ、踊るの? 踊らなきゃなんないのね? あ、はいはいわかりましたよ。ん? ここですればいいのかな。ここで……ええと、歌を歌えばよろしいんでしたっけな? ええ? そうじゃない? 歌はいい? あ。自己紹介! そうでしたそうでした。わたしは自己紹介をすればいいんですね、はいはい。ん? ここですればいいのかな。ええ、では……え? あ。踊って? あ、そうかそうか。踊らにゃならんってさきほどあんた言ってましたもんな。そうでしたそうでした。で、なに踊るって? え? あ、自由でいいのね。わたしの好きな踊りでいいのね……といってもなに踊りましょう? あんたわたしの踊れる踊り知ってる? ……あ、知らない? そりゃそうか。わたしだってよく覚えてないもんだからね。ま、歌にしようかね。え? 歌はだめ? だめじゃないけど歌わなくていいって? それじゃあこうやって足を交互に出してですね……はいはい、と。あれ? 自己紹介もしろって? いやいや無理ですよ、そんなこたぁできません、あれもこれもなんて、あたしにゃ無理ですよ」





総括


総じて、どの年代の私も与えられた課題は実践できなさそう。器が小さすぎるのだろうと思う。例外的に、40代あたりで私が世間に迎合しがちな時期が訪れるのではないか、と予測している。そしてまた自己嫌悪するのだろうな。




*1:これは番組内であった課題の応用篇。


*2:一か八かのわりには、難しいところに挑む傾向あり。



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最近じゃAM ラジオを聴きながら作業をしていることが多い。ウォークマンばかりだと耳がやられはしまいかと思って、多少使用時間を減らしている。




「母親でいられて」? それとも、「母親になれて」?


このあいだ聴いていたラジオ番組で「幸せに感じること」というテーマでリスナーにお便りを募集していたのだが、その中で面白い話があった。以下はうろ覚えの書き起こし。




泣ける映画を観てうわーんと泣いていると、娘(たしか小さい子)がやってきて、ティッシュを渡してくれます。その優しさに、さらにうわーんと泣いてしまいます。ああ、この子の母親になれて本当に幸せだなあと感じます。




問題は、太字強調部分。

「母親になれて」という表現には、少しだけ引っかかりを感じた。

「この子の母親でいられて本当に幸せだなあ」だったら、すっきりと腑に落ちる。

なぜ前者がすっきりとしなく、後者がすっきりするのか。

母親は、たしかに子どもが生まれることによって母親に「なる」のだが、その「なる」は、子どもを産んだその瞬間にのみ遣うのが適当なのではないか。子どもを産んだあとは、母親で「ある」と言う方が相応しいように感じる。おそらくこれは英語で言うところの「become」と「be」の違いで私が解釈しているせいもあるだろう。

また、「母親になれて」=「母親になることができて」という用法には、子どもが自分の胎内より出てきたというよりは、子どもがもともとどこか違う場所にいて、彼女のもとにやってきた、というニュアンスが少しあるように思う。

いづれにせよ、「この子の母親でいられて本当に幸せだなあ」か、あるいは「こんな優しい子に育ってくれて、本当に幸せだなあ」という言い方の方が文法的にすっきりするように感じる。





論理的に矛盾していても本人にとっては正しいこと


しかし、ラジオを聴いていた私は、この「母親になれて」という言い方になんだかものすごく感動してしまった。

自分の子どもが存在するのは、自然のことで自明のことで当然のこと、という認識であれば、このような言い方は言い間違えでもしない限りは、ない。この女性はおそらくそのようには考えていないのだろう。陳腐な言い方になってしまうが、他の誰でもないその子どものことを「天からの授かりもの」ととらえ、言うなればその「天使」が天上からやって来たのだと、そのように考えているのではないか。

もちろん、はっきりと意識的にそのように考えているとは思わないが、だからこそ彼女は「この子の母親になれ」たことに感謝し、幸福を感じているのだと思う。

というのも、私はうちの猫たちに同様のことをよく感じるからである。

うちの猫たちはもともと野良で、処分されそうになっているところを保護した。客観的にいえばそういうことになる。

だが、「保護」という言い方は私としては非常におこがましい感じを覚える。「助ける」などという表現もそう。そんな気持ちから起こった行動ではない。ただ単に、私は猫がうちにいたらきっと楽しいし幸せだろうなと思っただけだった。結果、楽しいし幸せである。それ以上のなにものでもない。

私は猫たちによく「来てくれてありがとうね」と話しかけている。私が「助けた」から、猫たちがうちにいるのではないのだ。論理的には矛盾しているかもしれないが、無償の感情とは、つまりそういうものなのではないか。





彼岸花


この連休は彼岸ということで、日頃都会に出て行ってしまっている家族や親戚やらが戻って来ている。墓参りなんて数年したことのない私には、そんなことはどうでもいいのだが、ふだん作業をしている場所の川向こうに見える田んぼには、子どもづれの親戚がやってきて稲刈りの手伝いをしていた。

通常なら三人でやっている稲刈りがその日だけは八人の作業となり、にぎやかだった。にぎやかというか子どもがぎゃあぎゃあと喚いていてうるさかった。川を挟んでいるのでうるさくて仕方ないわけはないのだが、子ども嫌いなものだからどうしてもうっとうしく感じてしまう。

ラジオの子どもの話には感動するくせに、実際の子どもがいたら「どこかに行ってくれないかなあ」としか思えない。ま、人間ってのはそんなもんです。



その田んぼの傍には彼岸花が大いに咲き誇っていて、わづか数日前まではちらちらとしか見えなかったのが、彼岸という日を狙い撃ちしたかのように一斉に咲いているのが印象的だった。




よくもまあ咲き揃ふたり彼岸花  活蛙




稲穂の黄金色、雑草の緑、そして彼岸花の赤。ありがたい美しさだった。




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愉しみにしていた『ブラック・ジャック創作秘話』が届き、読んだ。



……今の若い人たち(特に漫画家を目指している世代)にとっての「まんが道」は『バクマン。』なのかもしれないけれども、はっきり言ってそこに感動はない。いや、感動はあるのだろうけれど、リアリティに由来する感動ではない。『バクマン。』には、漫画家という職業についてではなくて、「コミック・アーティスト」だとか「カートゥーン・アーティスト」みたいなどこか別の国にある別の職業についてのファンタジックな感動があるだけだ。



ブラック・ジャック創作秘話』は手塚治虫にスポットライトを当てた作品。「神様」としての手塚治虫ではなく、(作中にも何度も出てくるが)「人間」としての手塚治虫、「漫画の鬼」としての手塚治虫が描写されている。

画風は泥臭く垢抜けないのだが、それがまたいい。小畑健の(しかも最近はどんどんと崩れて行っている)あの軽やかな「線」じゃとうてい描き切れない世界がここにはある。一話目を「チャンピオン」で立ち読みしたときには、「ああ。手塚治虫は漫画界の棟方志功だったんだ!」と思ったほど。手塚が漫画を描いているシーンは、まさに鬼の姿である。

その第一話の語り手が手塚治虫を描写している部分を引用してみる。




――先生の描いてる様子?

ベレー帽なんてかぶりませんよ 取材の時だけです

細かい絵を描く時はメガネをはずして

当時 入居していたビルは全館冷房で 深夜12時になるとストップするんです

手塚先生は汗だくで 鉢巻きをしめ 貧乏ゆすりをしながら

まるで 肉体労働者のように

眼で原稿を喰らうように描いていました






なお、本作では「絶対に落とさない」という本来漫画家が持っているべき鉄の意志も痛烈に感じることができる。

「落ちる」というのは原稿が間に合わず週刊誌や月刊誌に穴を開けてしまうことだが、これを「少年ジャンプ」をはじめ多くの連載漫画家たちにもう一度読ませたいものだ。

漫画家だけではなく、編集者も「絶対に落とさせない」ために奔走し、ときには怒りにまかせて壁に穴を開け、「何ィ落とせだと!? テメェ誰に向かって言ってんだ!! ブッ殺すぞ!! 手塚が描くと言ってるんだ!! だまって待ってろ!!」 と(たぶん印刷業者相手に)怒鳴り、泣き、眠れない夜を幾日も過ごす。

とにかく一話一話が珠玉のエピソードで、一話一話に熱く込み上げるものがあり、胸が詰まってしまう。「漫画好き」を自称するのであれば必ず読んでもらいたい作品。大傑作。





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