とはいえ、わからないでもない

2012年03月

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朝ドラでメタ的な表現をするということには少し違和感があって、それでも夏木マリの糸子が「うちのこと朝ドラにしてくれへんかなあ」みたいにぼやいているまではまだよかった。

でも、最終回でわざわざ娘三人が頭を寄せ合って「なんかテレビ局の人が来てなあ、おかあちゃんのことを朝ドラにしたいって言ってるねん」みたいに相談しているところで、もう鼻について鼻について仕方ない。おそらくこの部分の脚本は、高視聴率に後押しされてできたものであって、これはあのバクマンが「やっぱりジャンプが一番」というメッセージを至るところで打ち出しているあの「手前味噌っぷり」と似ている。なんじゃい、こりゃ朝ドラ礼讃番組かと。朝ドラ礼讃朝ドラかと。

で、実際に番組中でカーネーションの第一回が始まり、それを糸子の幼馴染みが観ているというシーンで幕切れになるのだが、この円環手法、そしてオープニングをエンディングに持ってくるという手法は、私はかつて朝ドラ『てっぱん』で観たことがあり、『てっぱん』の場合は、ラストのラストで中村玉緒のナレーションが(かなりうろ覚えだが)「これは、ひとりの女の子が一枚のお好み焼きをうまく焼きあげるまでのお話」と言って、そこでオープニングの映像とあのすばらしい音楽が流れる、というもので、それを観たときはその演出のさりげなさに鳥肌が立ったものだが、その感動はさりげなさに大きく由来するものであり、何度も何度も前フリがあって、それから「ほら、見てみい」と言わんばかりに、しかも番組そのものを映像として使う『カーネーション』のものとは大きく異なるように思う。このノリって、紅白で司会者たちに「NHK は最高」と言わせているのとも似ている。

ということで、最後の最後にも、「みんな大好きカーネーション」を少し貶してみましたよ。



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ちょっと早いけど、答え。

22. 『されど われらが日々――』(柴田翔 / 文春文庫)



学生運動を描いた小説としては、この作品か、あるいは三田誠広の『僕って何』を思い出す(またそれしか読んでいない)が、前者が64年出版なのに対し、後者は77年出版ということなので、おそらく舞台となっている学生運動は60年代安保か70年代安保という違いがあるのだろう。ま、どちらの時代にもまだ生まれていない私にとってはその違いはまったくわからないのだが。

それでも『僕って何』との比較をもう少しつづけると、三田のものが軽い感覚で描かれているのに対し、柴田のものはかなり重質であって、おそらく三田は柴田の作品に目を通していただろうから、その反動として、また運動自体に対する反動として、『僕って何』を書いたのだろうと思う。十年以上前に読んだ記憶では「くだらなくてびっくり」だったが、いま読んだらその感想もまた別のものになるかもしれない。

さて本題の『されど』だが、内容そのものについては学生運動という時代を体験していない私にとっては得られる実感はやや少ない。その後作者は、作家というよりは学者になってしまったので、そのことを知りながら読んでいた私は、そのわりには運動に没頭してもいたのだなあという感想を抱いたはずなのだが、のちに弟が読んだときに「この作者は冷たいね」というようなことを言っていて、あれ、まったく違う感想だなと感じた記憶がある。私はこの小説を二度ほど読んでいるはずなのだが、冒頭と、そして最後の文章だけが頭に残っていて、それ以外をあまりよく記憶していないのだ。

ということで、ネタバレの部分もないので、せっかくだからその最後の文章も引用しておく。私には書き出しよりこちらの文章の方が好きだ。




やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかも知れない、あなた方の頃はどうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。私たちの頃にも同じように困難があった。もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれども、困難があるという点では同じだった。そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだと。そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か一人が、そういうことが昔もあった以上、今われわれにもそうした勇気を持つことは許されていると考えるとしたら、そこまで老いて行った私たちの生にも、それなりの意味があったと言えるのかも知れない。




私ももう、若い人たちに問われる側の方へと、だんだん移行しつつあるのだ。




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ということで、荒川弘『銀の匙』を購入した。

これまでは、『銀の匙』といえば中勘助のものが有名で、私はある人のエッセイでこの文章に出てくる擬音語だか擬態語だかがすばらしいというのを読んで、それで岩波文庫を買ってからはもう安心しきってしまい、ただいま本棚の肥やしとして醗酵中。よって未読。



ふつう、銀の匙といえば、英語の成語なのかな、「シルバースプーンをくわえて生まれてくる」というのがあって、それはつまり裕福な家庭に生まれるとか幸運をもって生まれるとか、そういう意味だったと思う。この言葉を知ったのは、ビートルズの"She Came In Through the Bathroom Window"という曲(『アビィ・ロード』に所収)の歌詞によってで、その冒頭に




She came in through the bathroom window

Protected by a silver spoon




と出てくる。




She Came In Through the Bathroom Window / The Beatles






それはともかく。

この漫画、『もやしもん』がアンテナに引っかかる人だったらおすすめ。

食と生命を考えるというとき、知っていて損はないことがたくさんでてくる。私はこの漫画を読んで、近い将来、イノシシの解体作業あるいは殺す作業に呼ばれたとき、もしかしたら参加して実行できるかもしれないと感じた。うまいこと踏ん切りがつけられるのかもしれないと思った。ただ、殺したり殺さなかったり、だとか、もっといえば食べたり食べなかったりに、正解はないだろうと思う。

現代では生命と食とが断絶してしまっていて、食べもの=生命をいただいているという認識が薄まってしまっている、と主張する人は多い。彼らは、もっと生命を殺している現場を見て、もっと考えるべきなんだとつけくわえる。彼らはインテリで、進歩的で、とても豊かな感性を持っているように見える。

でもこの物言いは、どうしたって屁理屈に聞こえる。

じゃあ、おまえは狩猟民族的生活を実施しているのか、と言いたい。たかだか食肉処理工場へ行ったり、畜産農家に行ったり、そういう観光的・視察的接触をもって「わたしは知っている」という顔をするなと言いたい。おまえは屠殺業者か。おまえはマタギか。おまえは漁師か。自分が職業的に、日常的に殺してもいない以上、偉そうなことを言うな。職業上動物を殺している人たちだって、「あーあ」と嫌な気分に陥ることだってあるだろう。慣れてしまってもうどうでもいいと思っている人もいるだろう。それらを片一方の意見に勝手にまとめてしまうなよ。

私がここいらに住んでいなければ、絶対にイノシシの解体なんてやろうとは思わない。「どんなことでも経験、経験」というバカのひとつ覚えをお題目にしようだなんて、夢にも思わない。イノシシを殺す人がいて、イノシシを食べる人(これが私)がいて、その分業のどこが悪いのか。

……私はなぜこんなにイライラしてしまうのだろうか。

本当はその原因はわかっている。つまり、上の「進歩的な方々」は、「他の人たちがやっていないけど、わたしたちはやっている。すごいでしょ」という考えで主張している人が多いということがなんとなくわかるからだ。一種の流行りに乗っかっているのがみえみえだからだ。

もし、「よし、よくわかりました。教育の過程で子どもたちに必ず一頭づつ豚を殺させましょう」と教育委員会が決定し、そして大人たちもいろいろな機会に山へ行って罠にかかったイノシシやらシカやらを殺し、解体し、鍋パーティーをし、やがて日本国中の人間が、動物をとらえて殺して食べるという一連の流れを完全に実感できるようになったら、そして生命のありがたみを強く認識できるようになったら、おそらく「進歩的な方々」は、「よかった……これでわたしたちが主張してきたことは実を結んだ……。『食と生命』か……何もかもが懐かしい……」と言い残してどこかへ立ち去る……ということは決してない

そういった場合には彼らは、声高に、ヒステリックに、「動物たちがかわいそうでしょ!」と叫び始めると思う。もし世の中のベジタリアンの数がまだ少なければ、の場合だけど。

まあ、「なんとかガール」みたいなあほな形容を本気で自認しているような人間はほっておいた方がいいです。

そうそう。うちの近所にも「有機栽培のすばらしさ」を主張しているくせになんにも野菜を作っていない人がいるが、こういう人でも、都会に行ってひとくさり話をぶてば、なにも知らない人からすれば「進歩的な方」に映るだろう。



それもともかく。

『銀の匙』には、やはり『もやしもん』にあるような「学生のくせに物を知りすぎだろ」みたいな突っ込みどころは多い。でもそれは設定上仕方がないと目をつむることができれば、あとは青春ものとしても充分に堪能できるし、コメディとしても秀逸だし、おまけとして「多くの人たちの知らない世界(農業とか酪農とか)」をちょこっと覗ける。

ただし、これを読んで「酪農の世界」を語ってはいけませんよ。そんなことをしたら、ただの流行りに乗っかっている「進歩的な方々」とたいして変わらなくなってしまいます。もしあなたがそういう人たちのようになりたいと考えているのなら、話は別ですが。



銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)



銀の匙 Silver Spoon 2 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 2 (少年サンデーコミックス)



もうそろそろで3巻が出るみたい。



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「田舎暮らし」って、どこからどこまでを田舎暮らしというのか知らないけれど、いわゆる「都会の人たち」が憧れるそれを、いま私が住んでいるところのような、「都会とは呼びがたく、また地方都市と呼ばれる場所からもだいぶ距離を置くような、生活に若干の支障を抱える地域」と定義すれば、その田舎暮らしは、日経新聞の記事にあったようなものではない、ということをここに書いておきたい。

この日経の記事が非常に偏ったものであることは、既にはてブのコメントにあるとおりで、まず結論から先に言っておけば、よほどの覚悟がない場合は、20代~30代で「田舎暮らし」を実践するのはやめておいた方がよい。もちろん、会社の転勤などで地方都市に行くということについてはまた別問題。そちらの場合なら、上記記事にあるような思いも寄らないリッチ感ということを味わえることもあるかもしれない。

先日のエントリーにも書いたけど、田舎の自殺者は多い。

昨日は近くの村に住んでいる大阪からの居住者と3時間くらいしゃべっていたんだけど、やっぱりその人も近隣に自殺者が多いということをこぼしていた。で、その人は私なんかよりもより積極的だから地元の人に「なんでそんなに自殺者が多いんですか?」と訊いてみたそう。

そうしたら、ある地元の人が答えるに、「そりゃ原因は貧困と病苦やろ」ということだったそう。もちろん地元の人が「貧困」とか「病苦」などという堅っ苦しい単語を遣うはずもないので、おそらく「ビンボー」とか「ビョーキ」というより直截的な言い方をしたのだろうと思うけど、有吉佐和子が指摘した(と私が記憶している)ような「農薬や複合汚染による害」ではないようだ、やっぱり。

田舎に住んでいて、みんなが銀行に勤めていたり、あるいは市役所などで働いているのであれば、そりゃリッチでしょうねとは思います。土日にちゃんと休みがあり、その「休み」を使って畑作業をすれば、そりゃ無駄にお金を遣うことも減った上で、自家消費の助けになるわけだから。

定年までしっかりと働いて、退職金をちゃんともらって、しっかりと年金をもらった上で、畑をいじくって健康な身体で生活する。これはたしかに経済的にも精神的にもリッチといえる、間違いなく。

けれども、田舎はそういう人ばかりじゃないからね、当たり前のことだけど。上のような人は、どちらかというと勝ち組です。

たしかにお裾分けという慣習はあって、私もいろいろと野菜をもらって、かえって消費に難儀しているほど。白菜なんか断りきれなくて、一時期売ろうかと思うくらいに家にストックがあった。

でもね、人間、野菜ばっかりじゃ生きていけんのですよ。

記事にあったような、「ここ2~3年はスーパーで米や魚を買った記憶がない」という記述を信用しないわけではないが、それでも肉は買うでしょう。卵も牛乳も買うでしょう。ということはつまり、スーパーには行ってなんらかの買い物をするわけです。まるっきり自給自足ができるわけじゃない。そういう部分がこういう記事からは読み取りにくい。

お裾分けが嬉しいのは本当のことだけど、それも簡単なわけじゃない。

去年だったか、隣の90近いおばあちゃんに、卵を1パック分けたことがあった。その卵は私が卵屋(堅苦しい言い方をすれば孵卵場)からもらったもので、とにかくただだったので、近隣に分けた。別に深い意味合いはなかったのだが、そのおばあちゃんは後日、近所の弁当屋から1,000円近い弁当を買って、「よかったら食べてよ」と持って来てくれた。

その気持はすごく嬉しかったのだが、年金暮らしをしている90のおばあちゃんに必要以上の気(そしてお金)を遣わせてしまったのだと思い、以後、お裾分けをしないようにした。

こういう「お返し」の気持ちには、都会に住んでいる人も田舎に住んでいる人も関係なく、やはりなにかをもらえば、どこかでお返しをしなくてはと思ってしまい、それが負担になることは往々にしてある。

都会の人たちが余計なお裾分けをしなくなったのは、おそらく上にあるような「気遣いをさせない気遣い」の結果で、それを「冷たい」と短絡的・単眼的にとらえてしまうのは、思慮浅薄であるとしか言いようがない。

また、都会の「挨拶以外に特につきあいをしない」ということにも利点はある。「構わないでもらえる権利」というか、そういうものが保障されている地域で育った私としては、周囲の目を気にしなくてはいけないということは、引っ越してきた当時には相当のストレスだった。

たとえば、朝は早起きしなくてはいけない、ということをアドバイスされたことがある。「田舎の人はみんな早起きやからな、朝寝坊しとると、『あ、あそこはだらしないな』と思われかねん」というのがその根拠だが、そんなのどうでもいいじゃんが私の本音。朝早く起きようと寝坊しようと近隣の人になんら迷惑をかけるわけでもないが、そういう「周りの目」にある程度縛られながら生きているというのも、田舎の「お互いの事情を何でも知っているところは親戚に近い雰囲気」(上記記事より)の大きすぎる副作用だ。

今はもう気にしなくなってしまったので、暇なときは寝ていることにした。それのどこが悪いんじゃいというつもりで、「暇なのでようやく(ここを強調)休ませてもらってます」と言明していることにしている。

その他にも田舎は、ガソリン代がめちゃくちゃかかる。寒い地域であれば燃料代もかかる。町内費なども都会に較べれば高い。地域行事への参加回数も都会に較べたら断然に多い。噂が広まりやすい……挙げればキリがない。

といっても都会にもやっぱり欠点があって、空気が汚い。人が多い。どこへ行ってもお金がかかる。物価が高い……こちらも挙げればキリがない。

だから、田舎暮らしを検討している人にまず言いたいのは、田舎にも欠点があるし、都会にも利点はあるということをちゃんと見極めましたか、ということだ。

二元論で単純にとらえるだけでは、(なにもこの話に限ったことじゃないけど)見込み違いを起こして落胆することは多い。妙な理想を抱かないことが肝要。

そうそう、田舎は自然が美しい、景色がきれいということを挙げる人もいるようだが、昨日話した人がこんなことを言っていた。

「近所に住むおっさんがな、そらぁもうきれいな夕焼けが見える家に住んでんねや。だから言うたんや。『きれいなところに住んではりますなあ。毎日こんな景色が拝めるんですなあ』て。そしたらその人なんて言うたと思う? 『そんなもん、景色だけじゃ食うていけんで』やて。……その人な、こないだ、農薬飲んで自殺未遂起こしてん」

皮肉な話だけど、実話。



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日本酒を飲まず嫌いでやってきた私だが、落語を観ていて「やっぱり日本酒も飲めるようにならないとなあ」と思い、これから少しづつ鍛えることにした。

第一弾は宮城県の浦霞(純米酒)。




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日本酒の敬遠されるところが、この純米酒とか吟醸酒とか、そういう区分(?)であって、私も結局よくわからないまま飲み始めたのだが、まあそんな知識は後づけでよしとして、味はなかなかよい。

けれども味って面白いもので、日本酒を他に飲んだことがなく比較するものがないものだから、「おいしいな」くらいしか感想が出てこない。

私が日本酒で一番苦手としてきたのは、アルコール感で、これは日本酒嫌いの人には同意してもらえると思うのだが、特に冷やにしてない場合の「もわん」という感じに、「うぇ」と来る。浦霞にはその「もわん」がない(あるいは少ない)から、「うぇ」もない。結果、飲みやすく、おいしいな、ということになるのだろう。

ただし、日本酒だけでなくアルコール全般にいえることだが、私は飲むと非常に眠く



寝てしまっていた。

私は飲むと、非常に寝やすい質で、外で飲んでいるうちは、さすがに精神で起きているが、うちの中での場合は少し飲んだだけで昏々と眠ってしまう。催眠導入剤かっていうくらいに効果てきめんなので、あまり好ましくない。

飲み重ねるうちに、そういう眠気も自然となくなっていくのだろうか、というのが当面興味があるところ。一升瓶で買っちゃったし、しばらくは晩酌をつづけていきます。



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22

私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく古本屋に寄った。そして、漠然と目についた本を手にとって時間を過ごした。ある時は背表紙だけを眺めながら、三十分、一時間と立ち尽くした。そういう時、私は題名を読むよりは、むしろ、変色した紙や色あせた文字、手ずれやしみ、あるいはその本の持つ陰影といったもの、を見ていたのだった。

それは無意味な時間潰しであった。しかし、私たちのすることで、何か時間潰し以外のことがあるだろうか。それに、私は私なりに愛書家でもあったのだ。

どこの古本屋でも、店先に一冊二十円程度の均一本が一かたまり並んでいる。私はよくそういう本を、買う気もなしに手にとったものだった。汚れ、みすぼらしくなった本の群れを、一冊一冊見分けて行くと、『育児法』だとか『避妊法』、あるいは『革命と闘争』だとかいう題名の中に、時折、英文学専攻の大学院学生である私すら題名を知らないような英文学関係の古ぼけた翻訳書がまじっていた。訳者も多くは、もはや知られない人であった。私はそういう本を手にとると、本文よりも、訳者の後書きを読んだ。そこには、大抵は、まだあまり知られていないその書を日本に紹介することが、どんなに有意義なことであるかが、少し熱っぽい調子で力説してあった。それは、その人の出した、一生でただ一冊の本であったかも知れない。おそらく、だから、後書きも少し興奮した様子なのだ。が、彼がそんなに期待して出した本も、殆ど人に知られることなく場末の古本屋の均一本の中につっこまれている。

だが、私は別にそういう後書きに吝(けち)をつける積りはないのだ。そのちょっと尊大な言いまわし、日本における文学観の偏向をいましめる学者らしい重々しい口調の中には、奇妙に子供らしい喜び、生の重大事にかかわっているという興奮からくる、意識しない快活さが感じられた。それは、かつて私の友だちであった一人の女子学生が自殺した時、彼女の友人の学生たちが、その死を悲しみながら、なお無意識のうちに示していた快活さ、あるいは嬉しさと言ってもよいようなもの、と似ていると思えた。だが、彼ら訳者にとって、本を出すことはやはり重大なことであり、彼らはそのためにちょっと興奮し、快活になっていい当然の権利を持っている。生が結局は、各種の時間潰しの体積であるならば、その合間に、ちょっと夢中になれる、あるいは夢中になった振りのできる気晴らしのあることは悪いことではない。俺だって、と私は、薄汚れた古本の間に立ちつづけながら思った。俺だって、あと半年もすれば、地方の大学の語学教師になり、やがて一冊位訳書も出すだろう。そしてその時は、俺だってやはりちょっと興奮し、熱っぽい後書きを書き、そして、少しの間、幸福になるだろう。






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いちおう、形はどうあれ、ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンの四大少年誌のレビューを終えたので、まとめをしてみようかと思う。




各誌のまとめ




ジャンプ

ジャンプはずっと読んできたからかなり点数が厳しくなってしまったように思う。ただ、ジャンプに頻繁にあるような「下書きの掲載」はやはり問題外の行為。あれは、最低最悪のレベルで、読者をバカにしているとしか思えない。冨樫から始まり、ナルト、銀魂は少なくとも記憶にある。もうね、「おまえら、自分たちをいったいどれほどのレベルだと思っているんだよ」と言いたい。あと、それを雑誌に掲載させる編集の意向というものを同じ程度に、あるいはそれ以上に批判すべきだと思う。そもそも編集会議を重ねて雑誌を作っている以上、今のジャンプにつまらなさを感じているのだとしたら、まずは彼らに責を負わせるべし。

諫山創(『進撃の巨人』の作者)が『進撃の巨人』の原稿をジャンプに持って行ったら、編集者に「『漫画』じゃなくて『ジャンプ』を持ってこい」と言われて追い返されたというのは有名な話だが、その編集者たちがエリート意識たっぷりで作っている雑誌が、いまのジャンプであり、その肥大した自意識がバクマンのような自らの雑誌の提灯漫画を描かせているわけだから、つまらなく感じるのも当然。

ちなみに、ネット上では冨樫天才などと簡単に言う人がいるけど、ハンター×ハンターだけをとってみても、少なくとも前半は相当にひどいものだったということを指摘しておく。

これは、弟に教えてもらったことだが、冨樫のコピーテクニックには目を瞠るものがあり、ひとつのコマを拡大・縮小・回転、その他いろいろな工夫を凝らして他のコマに使うということをやっていて、弟はその愉しみのためだけにハンターを読んでいると言っていた。天才というのであれば、冨樫は手抜きの天才だった。

私が冨樫を評価できるようになったのは、蟻編の後半あたりから。それ以前の展開に対しての評価は低かった。

あとね、天才とか神とかって、冗談ではなくて本気で言ってしまう人は、その発言によって知識や経験の少なさを露呈してしまうので注意しましょう。





マガジン

マガジンは雑誌としての方向性が一番見えなかった。点数を高くつけたものはそれなりにあったが、それは一般的にとらえた漫画としての評価であって、実際に読みつづけたいと思った漫画は、『はじめの一歩』と『アゲイン』くらいだった。『エアギア』は、世界観がどうも苦手。漫画は画力だけじゃないんだよね。

かつてはジャンプを追い抜き、少年誌のトップに立ったこともあるが、その当時から、私はマガジンの中でなにを読めばいいのか、立ち読みしてもわからないでいた。そして今も、(『一歩』を除いた)看板漫画の不在、という言葉を強く意識しながら読んでいた。





サンデー

個人的には一番収穫のあったサンデー。おそらくあまり期待せずに読んだせいだろう。『月光条例』はもちろん、『銀の匙』はコミックで追っかけることになるだろう。もしかしたら『ひめはじけ』も*1高橋留美子については、とりあえず『うる星やつら』の新装版をコンプリートするところから始まる。画力も当時が最強だしねえ。

冗談ではなく、サンデーは本当に少年誌らしい少年誌*2だと思うので、コロコロを卒業した子どもに読ませるのだとしたら、同じ小学館のサンデーがおすすめ。





チャンピオン

チャンピオンには、古豪という呼称がふさわしい(本当はどの雑誌も古豪なのだが)。マガジンに較べても、スポーツ漫画の迫力が上のように感じた。看板漫画(ドカベン、浦安、バキ)がしっかりとあって、それを若手(弱虫ペダル、囚人リク)がちゃんと支えているという、今は理想の状態なのではないか。私の中でのポストジャンプは、やはりチャンピオンなのかな、と思う。あと、個人的には、おおひなたごうにギャグ漫画を描いてほしいというのがある。






全体のまとめ


ふだんはジャンプしか読んでおらず、しかもその中の「つづきを知りたい漫画」(具体的には、ワンピース、ハンター×ハンター、めだか、トリコくらい)だけを読んで、あとは読まずにいたのだが、ジャンプに限らず、いちおうすべての作品に目を通し、そのいちいちにちゃんと向き合って読んでいると、なかなか簡単に「くだらねえ」とか「つまらねえ」などと思えなくなってしまった。

やはりどの漫画も(「下書き掲載アホ漫画」以外は)ちゃんと描かれているわけだし、子どもだましであろうと、お色気であろうと、みんな仕事として、「思いつき」程度以上の労力と時間を費やしてひとつひとつの漫画を仕上げているのだと思うと、どうも筆先が鈍り、後半にいけばいくほど、辛い点数をつけづらくなっていた。

しかし。

これは漫画に限らないことだが「でなければならない」というものはないのでどんな漫画が存在したってよい……というのは理窟で、やはり人には好き嫌いがあり、その取捨選択が競争や淘汰を生んで、面白い漫画を生んできたのだ。だからこそ、私も「みんな、いい漫画ですなあ」というお茶の濁し方をしないで(そういうのは「漫画好き」に任せておけばいいのだ*3)、できるだけ、面白い漫画とそうでない漫画を分けることに努力してみた。



そして、どの少年誌がいいのかということに当然のことながら思い当たったわけだが、各雑誌ともやはり一長一短があり、一概には決定できないというのが正直なところだ。

それではいっそ、と理想の雑誌というものを考えてみることにした。「人生は手持ちのカードで勝負するしかない(一部変更)」と言ったのはスヌーピーだそうだが、手持ちのカードにいろいろと夢想をくわえるのが人間。「ぼくのかんがえた、さいきょうのじゃんぷ」を紹介します。





ぼくのかんがえた、さいきょうのじゃんぷ




月光条例

サンデーより移籍。『ナルト』とトレードしました。漫画家としての次元が違うので藤田和日郎(『月光条例』の作者)に失礼ですが、実現させていただきました。

月光条例 1 (少年サンデーコミックス)

月光条例 1 (少年サンデーコミックス)





3月のライオン

ヤングアニマルより移籍。なぜあの『3月のライオン』(羽海野チカ)という良心的なすばらしい漫画が、あの『ふたりエッチ』の隣に掲載されているか、その理由がわかりません。いや、ヤングアニマルは青年誌だから別に『ふたりエッチ』が載っていてもいいんですけどね。

羽海野チカにこそ、ジャンプという発表の場を与えてあげたいし、ジャンプ読者にこそ、羽海野チカという漫画家の存在を教えてあげたい、そんなふうに私は考えているので、『パジャマな彼女』と、スクエアの『ToLOVEるダークネス』をセットにしてトレードしました。あとはそっちの方で好き勝手やってください。

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)





アオイホノオ

ゲッサンより移籍。『バクマなんとか』とかいう漫画が「現代のまんが道」の座を狙おうとしていたので、ふざけるなということで島本和彦(『アオイホノオ』の作者)とトレードしました。これで、藤田和日郎とも仲良く一緒の雑誌に連載できるので、いろいろと面白いコラボも期待できます。

アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)

アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)





はじめの一歩

マガジンより移籍。『銀魂』が調子に乗っているので、ジャンプ以外ではそのノリは通用しねーんだよということを作者にわからせるために、マガジンに送り込みました。まあ『幕張』の木多康昭もマガジンに移籍したことがあったし、いいでしょう。格が違い過ぎますが、『はじめの一歩』とトレードさせてもらいました。

はじめの一歩(1) (講談社コミックス―Shonen magazine comics (1532巻))

はじめの一歩(1) (講談社コミックス―Shonen magazine comics (1532巻))





バチバチ

チャンピオンより移籍。同じスポーツ漫画ということで、『黒子のバスケ』とトレードしました*4

バチバチ 1 (少年チャンピオン・コミックス)

バチバチ 1 (少年チャンピオン・コミックス)





銀の匙

サンデーより移籍。『べるぜバブ』とトレードしました。これも格違いで失礼ですが。

銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)





リリエンタール

今こそ、葦原大介の復活が望まれています。リリの続篇をお願いします。

賢い犬リリエンタール  1 (ジャンプコミックス)

賢い犬リリエンタール 1 (ジャンプコミックス)





ひめはじけ

サンデーより移籍。『いぬまるだし』とトレードしました。『いぬまるだし』もジャンプでしか通用しないノリなのに調子に乗っています。というか、ジャンプでも通用していないよ。





弱虫ペダル

チャンピオンより移籍。『リボーン』とトレードしました。チャンピオンもキラキラ要素がちょっと欲しいだろうと思いまして。え、いらない?

弱虫ペダル 1 (少年チャンピオン・コミックス)

弱虫ペダル 1 (少年チャンピオン・コミックス)





ハンザスカイ

チャンピオンより移籍。同じスポーツ漫画ということで、『クロガネ』とトレードしました。

ハンザスカイ 1 (少年チャンピオン・コミックス)

ハンザスカイ 1 (少年チャンピオン・コミックス)





囚人リク

チャンピオンより移籍。『ぬらりひょんの孫』とトレードしました。

囚人リク 1 (少年チャンピオン・コミックス)

囚人リク 1 (少年チャンピオン・コミックス)





マギコ

頑張って連載をつづけてください。

magico 1 (ジャンプコミックス)

magico 1 (ジャンプコミックス)





ニセコ

ダブルアーツ』の件があるので、不問に付します。連載をつづけてください。

ニセコイ 1 (ジャンプコミックス)

ニセコイ 1 (ジャンプコミックス)





バキ

チャンピオンより移籍。『こち亀』とトレードしました。『こち亀』はきっとチャンピオンでもやっていけると思います(冗談)。

グラップラー刃牙 (1) (少年チャンピオン・コミックス)

グラップラー刃牙 (1) (少年チャンピオン・コミックス)





浦安鉄筋家族

チャンピオンより移籍。いちおうギャグ漫画ということで、『スケットダンス』とトレードしました。

浦安鉄筋家族 (1) (少年チャンピオン・コミックス)

浦安鉄筋家族 (1) (少年チャンピオン・コミックス)





アゲイン

マガジンより移籍。『ハイキュー』とトレードしました。これは冗談じゃなく、『ハイキュー』ならマガジンでもやっていけると思います。

アゲイン!!(1) (KCデラックス)

アゲイン!!(1) (KCデラックス)





めだかボックス

来週あたり終わっちゃいそうだけど、連載をつづけてください。

めだかボックス 1 (ジャンプコミックス)

めだかボックス 1 (ジャンプコミックス)





ハンター×ハンター

今回の休載は短いそうです(本人談)。

HUNTER×HUNTER 1 (ジャンプ・コミックス)

HUNTER×HUNTER 1 (ジャンプ・コミックス)





木曜日のフルット

チャンピオンより移籍。同じトリ漫画として『ST&RS』とトレードしました。

木曜日のフルット 1 (少年チャンピオン・コミックス)

木曜日のフルット 1 (少年チャンピオン・コミックス)





ワンピース

よく、雑誌のトリは重要な漫画が担うというようなことを出版社はまことしやかに説明しますが、だいたいは打ち切り寸前漫画の定番位置です。ここはひとつ、世界一売れている漫画に毎週トリを飾ってもらおうじゃありませんか。

FAIRY TAIL(1) (少年マガジンコミックス)

FAIRY TAIL(1) (少年マガジンコミックス)






おまけ


「編集長!」

「なんだね?」

「『パッキー』の処遇はどうしましょうか?」

「なんだ、余っていたのか。あれは燃えるゴミの日に捨てておいてくれ」

「わかりました。あと……」

「なんだね?」

「非常に申し上げにくいのですが、冨樫先生が、こんな置き手紙を残して失踪しました」

「なんだって!?」






ごめん。やりたいゲームができた。

5年くらい休ませてね。わんわん。

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「うむむ。せっかくのいいラインナップで連載陣を揃えたというのに、5年も穴を開けるだなんて……まさか代原で埋めていくわけにもいかないしな……あ!」

「どうしました?」

「うん、大家の先生がずっと構想を温めていたのが過去にあって、たぶんあの先生は今でもそれを描きたくて仕方ないはずだ」

「それって誰のことです?」

「車田(正美)先生だよ。きみ、すまないけどこれから車田先生のところに行って『男坂2』を描いてくれって頼んできてくれ! 先生のことだ、二つ返事でOK してくれるぞ!」

「本当に大丈夫でしょうか?」

「だいじょうぶだいじょうぶ、『あの坂』から駆け降りてくるところから始めましょう、そう先生に伝えてくれ!」

「あの坂?」

「あの坂は、あの坂だよ! ほら、早く行ってこい!」




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あの坂。







*1:理由はかわいいから。


*2:子どもが読んでも問題ない、という意味。


*3:「漫画好き」というのは、私の中ではどんな漫画でもよくとらえることのできる人間。


*4:黒子のバスケ』のトレード相手については、『フープメン』の復活も最後まで検討されました。



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今日、ABC ラジオ『武田和歌子のぴたっと』で松たか子『明日、春が来たら』が流れていて、いっつもこの時期になるとどこかしらで耳にするこの曲を聴き、また春が来るのだなあとなんとなしに灌漑、じゃなくて感慨にふけり、そういえば松たか子って、褪せないよなあと思った。







今はネットで毎日のように「劣化」のニュース(?)が入ってきて、女優やタレントがこんなに老けちまったみたいなことをがやがやと話題にしているが、そういう意味での「褪せない」ということではなく、外観とは全然違う次元でこの松たか子は変わらないままでいて、その原因は彼女の周りにある「清潔感」なのではないかと思った。

その清潔感は、もともと松本幸四郎の娘として「あんまり美人さんじゃないなあ」と知った最初のときから、ちょこちょこといろいろなところ(もちろんテレビ内)で見かけ、そして歌を歌い、それから野田秀樹の舞台(『罪と罰』)で見かけ、そして最近の『坂の上の雲』や『運命の人』での演技に至るまで、ずっとずっと失われずにいる。

清潔感とは、仕事から帰ってきて家に着くなりスーパードライの缶を開け、あぐらをかいてテレビのバラエティ番組を観ながら、「がははは、知らんわ。なんやそれ」とひとりでテレビに突っ込むという、そういう「もうどうでもよくなっちゃった感」を、いま現在も、そして今後も絶対に身にまとわせないであろうという雰囲気のことだ(私にはそうとしか説明できない)。

松たか子という女優は、そういう清潔感をずっと身にまとってきたのだ。

ところで、「銀座線の階段 駆け上がり 見えた」という歌詞に、なにやら言いようのない郷愁に襲われた。

生まれたところから遠くにやってきた私にとって、東京や横浜はいまだにリアリティや実感をともなった地名でありつづけているのだが、しかし「銀座線」という名前は、ちょっと取り戻せないひとつの時代をたしかに象徴していて、それは私が高校当時に通学で使っていたからなのだが、懐かしさと同時に寂しさをも喚起させた。そのことに自分自身が少し驚いた。



編集

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今日はミース・ファン・デル・ローエ。むかし気になっていた女の子が建築とか家具とかに興味を持っていて、その子と話すため、当時定期刊行化されたばかりの「カーサブルータス」を読んで勉強したもんです。この人の名前もその頃に覚えたのだが、今となっては名前ばかりしか記憶になく、画像検索して出てくる建築を見て、「ああこれをデザインした人だったかあ」とちょっと感慨に浸った。



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