とはいえ、わからないでもない

2012年11月

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『ムーミン谷の夏まつり』を読んでいたら、こんな文章があった。




こんなにたくさんのものを、一度に見たのは、三人ともはじめてでした。そのへやはゆかから天井までたなになっていて、およそたなにのせられるものは、なんでもかでも、それこそごちゃごちゃとならべられていました。くだものを入れた大きなはちが、おもちゃやランプやせとものと、おしくらまんじゅうをしているかと思うと、いくつもの花にはさまって、鉄のよろいやかぶとがあります。なにかの道具も、はくせいの鳥も本も、電話も、せんすも、バケツも、鉄砲も、地球儀も、ぼうしの箱も、とけいも、手紙秤も、それからまだまだならんでいました。

(63p)




この「三人」というのは、ミムラねえさんとミイとホムサで、彼らは劇場の中にいる。

なんてことのない文章だが、この中に「手紙秤(てがみばかり)」という単語があって、なんとなく、この言葉は死語に近いのだろうなと感じた。

で、Google で"letter scale antique"のキーワードで画像検索してみると、様々な画像が得られた。やっぱり、歴史の遺物というフレーズを思い浮かばせるような機械だった。



去年の冬のこと。

私の住んでいるとこから20分ほど車で行ったところに、そのむかし簡易郵便局をやっていた家があって、そこにお邪魔したことがあった。

そこには、郵便業務を請け負っていた際のいろいろと古い道具やら書類やらがあって、ひとつひとつが博物館ものとは言わないまでも、郷土資料館くらいには並んでいてもおかしくないよな、なんて思っていたが、面倒くさがりの私のことで、写真などは撮らずじまいだった。

そのいろいろと見せてもらった中に手紙秤もあって、そこのおじいさんの言うには、「レタアスケェル」ということだったが、なかなか時代のかかった真鍮製のもので、持つとずっしりとした重さがあった。

普段はこれをどこにしまわれているのですか、と訊いてみると、「納戸に全部ごちゃごちゃと入れとるわ。今日はあんたらが来るゆうから出しておいたけど」ということだった。

上がり框のところに腰掛けて、お茶をいただきながら、おじいさんの昔の思い出話を30分ほど伺い、それから失礼をした。

外に出ると、空は真っ黒な雲が覆っていて気温の低さから、今にも雪が降りそうなほどだった。




雪もよひ 手紙秤のある納戸  活蛙




「気ぃつけて帰りや。今日は夜からでも降るで。明日は道がたいへんなことになるで」とそのおじいさんは別れ際に私たちに言った。助手席には、遠くからやってきていた私の知り合いがすわっていた。

そして次の日、おじいさんの予言したとおり、音もなく積もっていた大雪で彼女は帰るのに難渋したのだ。

……などというまったくの嘘エピソードを妄想しながら、「手紙秤」という言葉を記憶した。



なお、上記引用文の、「なんでもかでも」という言い方も面白い。「何でも彼でも」の平仮名なのだろうが、今や、おそらく転訛した方の「なんでもかんでも」の方ばかりが遣われているという印象。




新装版 ムーミン谷の夏まつり (講談社文庫)

新装版 ムーミン谷の夏まつり (講談社文庫)





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以下の記事を読んで興味深く思ったのですが、ちょっと思うところがあったので、はてなブックマークでコメントをしました。





過疎地域にIターン(3年目)した私からすると、いろいろと違和感を覚える。こういう人が近所に引っ越してきても、あまり近寄らないと思う。たぶん後でいろいろと騒動の原因になりそうだから。




このコメントは100文字しか書けないので、ちょっと言葉足りずになってしまい、もうちょっとつけくわえたいなと考えていたら、あれもこれもと思い浮かぶ事象があり、ちょっとそれらを乱雑ながらまとめてみようという気になりました。おそらく今年最後の田舎暮らし話。




「お客さんであること」を意識しないと


まず、上記記事を読んで脊髄反射的に思ったのは、(他の方も指摘しているけれど)「お客さん」のままじゃ本当のところはわからないだろうねということで、この方(pha さん)がどれくらいにその地域に入り込んだ(よく「溶け込む」という表現がなされるけど、実際にはもっと直接的なアクションだと思います)のかは本当はわからないのですが、ただ、一週間ほどの滞在ではなにもわからないだろう、ということくらいは経験上言えます。

「お客さんの目」のままで「田舎」を新鮮なものととらえ、そこに可能性を感じるということじたいについては、私は批判的ではありません(詳細は後述)。

けれども、単純に自然風景を素晴らしいと言っているのではなくて、そこにある人間の暮らしを踏まえて「田舎暮らし」のことを肯定的に考えたいのであれば、「お客さんという自分の存在・立ち位置」に多少なりとも意識的にならないといけないでしょう。これも他の方が既に指摘していましたが、よそから来た人にいきなり暗部を見せる人はいないだろうし、もうちょっと言えば、それは都会でも田舎でも同じことではないでしょうか。





「お客さん」を追い返したことがあります


去年の秋くらいに、東京から30歳の男の人が来て、過疎地である当地に移住したいという希望を聞いたことがあります。きちんと役場から地域を通じて、「最近引っ越して来た人がいるからその人の話を聞いてみたら」ということで私が紹介されました。

村長さんからは「もうはっきりと言ってええから」と言われたこともあったので、結構突っ込んだことを話しました。だいたいの内容を以下に記してみます。




私「仕事はどうされる予定ですか?」

移住者「農業を」

「なにを作られる予定ですか?」

「ええと……きのこを」

「きのこを作ったことがあるのですか?」

「いえ」

「僕もきのこのことはよく知りませんが、隣の村にきのこ作りをしている人から話を聞いただけですが、だいぶたいへんなようですよ。菌床栽培をするならお金も要るでしょうし」

「あ。そうなんですか?」

「そもそも、なんでここに引っ越そうと思ったんですか?」

「ネットで調べて」

「いま東京でされているお仕事は?」

「失業中なんです。だからこっちへ来て農業を始めればいいかなあって。いま農業にビジネスチャンスがあるとテレビで言ってましたから」

「ああ、そうですか……。田舎で暮らすとけっこうお金かかりますよ。僕が東京に住んでいたときには想像もしなかったようなものに、お金がかかることがあります。冬は道が凍るからスタッドレスタイヤに換えなくちゃいけない。灯油の常備も当たり前。あと、ゴミ袋だって、一枚○○円*1しますよ。東京だったらただでしたでしょう? そこらのビニール袋に入れてポイで済みますからね。あと、買い物をする場所が近くにないからガソリン代もものすごくかかりますよ。で、どこかに就職するんじゃなくて、農業で食べていくっていうのは……たぶん相当難しいんじゃないですかね。よその地域で農業やっている若い人に話を聞きましたけど、話を聞く限りじゃ代々の農家だからこそやっていけているのかなって感じでした。一から始めるのは相当きついんじゃないかと思います。それに、ここは農村じゃないですしね」

「はあ……」

「悪いことはいいません。ここで農業で食べていくことより、東京で職探しをした方がよっぽど簡単ですよ。バイトをしながら1年間や2年間探して、それから就職したって、そこそこのお金はもらえます。けれども、農業で入るお金なんて……農業って、あまりそういうふうに考えている人は少ないんだけど、すごくお金がかかるんですよ?」




そんなことを伝えてあげると、彼はしょんぼりと肩を落としてそのまま東京へ帰って行きました。

私がなぜ上記のような冷たい応対をしたのかというと、彼が実際に当地へ移住したとき、いろいろと面倒を見るのが、村長や私になるだろうからです。面倒を見る「甲斐」があるような人であれば、私だって「いろいろと大変です。けれども、悪くない選択肢だとも思います。僕だってこうやって住んでいるわけですからね」くらいのことは言うでしょう。

けれども、わづか数分の会話でしたが、彼が当地に移住してくる動機とか意欲が見いだせませんでした。仕事が決まらないから田舎へ行くという考えの人、しかも東京住まいというのであれば、たぶん彼が思っている以上に田舎暮らしは不便で耐えられないでしょうし、ましてや第一次産業をやるなんて……。





仕事はやっぱりないよ


「田舎」には仕事はないです。完全にないわけではもちろんありませんが、東京なんかに比べれば圧倒的に少ないです。

私も過疎地域に住んでいる以上、よそから人、それも特に若い人を呼び入れたいと思っているのですが(既述したように断った場合もありますけど)、それを考えるとき、いつもネックになるのは仕事がないということ。

これは行政の方とも話したことがあるのですが、やはり、紹介できる仕事があまりないので、移住者の斡旋もなかなかうまくいかないとのことでした。やはり、生活の第一が仕事ですからね。

記事には、




でも田舎ってやることないんじゃないの? 仕事もないんじゃないの? じゃあ生きてけないんじゃないの?とか思ってたけど、僕が見た感じではそうでもないようだった。むしろ、やることとか仕事とかは無数にあるのに圧倒的に人が足りてなくて、動ける人間はみんな忙しそうにしている、という感じだった。

(中略)

田舎だとそのへんの人と喋ってると「どこどこで人手が足りない」とか「◯◯やる人いないか」とか「××の家が空いてるけど何か使えないか」とかいう話をしょっちゅう耳にするし、やることはいくらでも転がっているのだ。まあ、お金をバリバリ稼げる仕事ではないかもしれないけど、人と会ったり喋ったりしてれば米とか野菜とかを何かと分けてもらえる感じだし、ある程度人と交流していれば生きていくのは全然問題なさそうだった。




という記述がありますが、こういう「バイト作業」をもって「仕事があるから、ここに住んでみたら?」なんて呼びかけは、呼びかける側としては、よほどの無責任でなければできません。

上記記述は、やはり「僕が見た感じ」にとどまっているなあと思いました。で、その「僕」はやっぱり「お客さん」なわけで。

以前にも、田舎ではいろいろなバイト作業で生活していけるのだ、みたいなことを若い人が書いていて非常に疑問を感じたことがあります。

もしそういうことが可能なら、なぜ若い人はより都会部へと出ていってしまうのでしょうか? たぶん、不定収入では結婚できないからではないでしょうかね(特に男であれば)。

また、たとえそういう「バイトで生活をつなぐ」というスタイルが成功したとしても、そういう人に対する地域の目っていうのは、実に厳しいと思います。

私の知っている人で、定職を持たずバイト作業で生活している70代の人がいて、この人は実に働き者で真面目だから私はすごく尊敬していますし、実際にお世話にもなっています。しかし、ある祭り*2の手伝いに私が参加しているとき、この人が地域の人にものすごく蔑まれているということが感じられたことがありました。ここいらの地域ではわりと年齢の上下というものをあまり意識しないしゃべり方をするのですが、それでも、60代のおっさんたちに「おい、あとは○○やっとけや。おれらはもう休むわ」というような、雑務係扱いをされていました。

この「差別」は、西日本ではありがちな例の差別とはまた別ものだということも私はちゃんと知っています。事情に詳しい地元の人間に尋ねたところ、やはり仕事を持っていないということに対して差別的な扱いをしているのではないかという返事がありました。「なにしてるかようわからんやつ」ということなのでしょう。

あと、致命的なことを書けば、こういう「手伝い業」は身体が資本だから、けがや病気でもすれば一気に収入はなくなります。まあこれは第一次産業全般で言えることなのですが。





地域住民と一緒に生きていく、ということ




人と会ったり喋ったりしてれば米とか野菜とかを何かと分けてもらえる感じだし、ある程度人と交流していれば生きていくのは全然問題なさそうだった。




この記述にも「ん?」と思いました。

「生きていく」をどの程度に設定しているのかわかりませんが、「お客さん」ではなく住民になって米・野菜をもらうためには、まず地域にきちんと入り込まなければいけません。いつまでもお客さん然としているだけではいづれバカにされておしまいです。

そのときに問われるのが、コミュニティの一員としての行動です。

たとえば、祭りがあったとして、その祭りを地域が重要なものととらえているのであれば、これに手伝いに行く必要があります。もちろん無償で。

ちなみに私は、今年の夏祭りに参加しなかったことで、あとで散々な言われようをしました。仕事が忙しくてとても手が離せないというのが私の休んだ理由なのですが、周りの人すべてが私の状況を慮ってくれるわけではなく、「あいつは、いづれここを出ていくんだろう。だから祭りにも出てこないのだろう」という中傷を(人伝えですが)受けました。

こういうことは何度もあります。

私は、他の行事において地域にそれなりの協力をしているつもりなのですが、こういう地域の活動というのは、ひとつやればあとはやらなくてもいい、というものではないようです。できれば全部の行事に協力・参加しないと、後ろ指を差される場合がある

何度か腹立たしい思いを経たのち、自分の中で規範を作り、これには出席する、これには欠席すると決めることにしました。このルールによって欠席し、たとえそのことで誰かに文句を言われようとも、毅然として「いや、それは無理です」と断ることにしています。それまでは、誰にも嫌われないようにしなくては(生きづらい)と思っていたのですが、それ以降は気にならなくなりました。しかしそれでも、やはり「周囲の目」というのは、都会なんかより全然強く存在感があり、無視をするにもそれ相応のエネルギーや覚悟が要ります。

ちなみに、先週の土曜日にも、半日のあいだですがボランティア活動をしてきました。

私はそもそも、田舎へ行けば他人とコミュニケーションをしなくて済むだろうという甘い思いで移住を決定したのですが、過疎地にもかかわらず、どころか、過疎地であるからこそ、コミュニケーションの必要性は高いということが、住んでみてわかりました。

不便なところで生活していると困ったことはいろいろとあって、それに対するアイデアや能力を、近所の人が持っていることは多いです。そういうときに、簡単に助けを依頼できる関係性というのは、一朝一夕にできるわけはなく、やはり日頃のつきあいが重要になってきます。

日頃、近所づきあいをおろそかにせず、そして地域の活動にできる範囲で関わっていくということは、日本国内の多くの地域で求められる振る舞いではないでしょうか。

米や野菜という「得」が欲しいのであれば、まず相手に対してなにかの利益を提供する。考えてみればこれは、「ギブ&テイク」という根源的なルールですよね。

それでは相手に何がしてあげられるのか。これは実に簡単で、PC の知識とか専門的な能力とかではなく(そういうことが役に立つこともありますが)、地域の中で暮らし、そのときどきでお手伝いをすること。本当はこれくらいなのです。

ここで註記しておきますが、私自身はリベラルな価値観のもとで育ったので、自分に行動決定権のない集団行動が非常に苦手で大っ嫌いです。

けれども、住んで3年目の現時点で言えることは、周囲と反撥し合って生活するよりも、周囲と協力して生活する方が、ラクです。「協力」は、価値観の異なる人間同士でもできます。というか、どこに住んでいようとも、価値観がまったく一緒の人間なんているわけがなく、どこかしらで妥協・譲歩し合っているはずです。

田舎だとその妥協と譲歩の部分が生々しいから、反目の機会も多いのですが、けれども、その生々しい部分を単純に「(良くも悪くも)田舎の特徴」と割り切ってしまえば、意外とラクです。私は、この地域における生活が人生の一番重要な問題と考えていないし、自分が損しなければ妥協でも譲歩でもなんでもします。

また、pha さんの記事の最後の方に、




全く縁のない田舎にいきなり一人で飛び込むのはキツいけど、同世代のよそから来た若者が集まっているコミュニティがあれば結構いけるんじゃないかなと思う。




という文章がありましたが、個人的には、こういう「よそもののコミュニティ」を特別に作るべきではないと思います。

特別に作るべきではない、というのは、独立したものにするべきではない、ということで、そのコミュニティが地域にもきちんと認められていればいいと思います。

「よそもの」は、「地元の人」とつきあうより「よそもの」同士でつきあう方がラクです。

けれども、それは一種の「逃げ」みたいなもので、おそらくそういう考えでは、長居はできないと思います。せいぜい2~3年いて、また東京や大阪に戻るのが関の山じゃないでしょうか。





理想を語る人間ほど、早く去って行く


さて妥協とか譲歩という言葉を遣いましたが、これらは「理想」という言葉の対義語みたいなものです。

田舎には、「理想の高い人」がよくやって来ます。こういう人たちは、私は知り合いになりたくないですので、コメントにもそんなこと書きました。なぜか。

職場などでも同様のことが言えるのですが、理想の高い人たちって、よく「この地域(職場)を私の理想の場所にする!」と思いがちです。で、実際にそれを口にしたり、行動をしたりする。

今のNHK の朝ドラ『純と愛』の純もこういう「理想の高い人」だと思うのですが、こういう人間って本当に、(ドラマ内で武田鉄矢が言ったように)眼高手低な場合が多いです。

私が「地元民」だったり「職場の先輩」であれば、まずこの人間に、「いいから、ふつうに生活(仕事)してみろよ。それで3年くらい経ったら言うことに耳を貸すよ」と言うでしょう。理想の高い人たちはなぜか忍耐力がない場合が多く、すぐに結果を求めようとします。で、その結果が出ないと、自分のせいではなく、他人のせいにしようとします。

私はかつて、ある場所で、私と同様の新規移住者(ただし、県内のよその地域)が、移住する際に行政の手筈が悪かったと批判していたのを聞いて反論したことがあります。

その人が言うには、「当県に移住することにしたのに、行政の協力が芳しいものではなかったから、移住するのに時間がかかった」ということでしたが、言外には「おれが高い志をもってわざわざ移住してきてやっているのだから、行政がそれに協力するのは当たり前で、その努力が見られなかった」という主張がありありと感じられました。

私は、やんわりとですが、「移住というのはあくまでも個々の人生での決断なのですから、誰々のせいということにはできないのではないでしょうか。そうやって、誰かに委ねてしまうという方が私にはできないです」と発言しました。もちろん私は言外に、「だから、委ねた相手が思ったとおりにやってくれないっていう主張はおかしいよね」という意味を匂わせました。

私の近所にも、理想の高い人は住んでいました。過去形です。結局その人は、ここを出て行きました。

その人は、「あーすればいい、こーすればいい」と口ばっかりは達者でしたが、指をほとんど動かさないタイプで、周りの人たちからは陰口を叩かれてばかりいました。

これだけならば、単なる「価値観の違い」だけの話なのですが、しまいにその人は「あーだからだめなんだ、こーだからだめなんだ」と言うようになりました。批判ばかりをするようになってしまったのです。

彼とは何度か話す機会があったのですが、世の中の多くのものを悪と見なし、自分の属する少数のグループを善とし、まるでなにかの組織と戦っているような口ぶりでした。

けれども、その人には決定的に行動力が欠如していて、結局、新天地を求めてよその地方に移住することにしました。

私は、いまその人が自身のブログで「やはり新天地はすばらしい」と称讃しているのを密かに知っています。けれども、あと数年もすれば、彼はそこでも文句を言い出すのではないかと思っています。

こういう実体験も含めて、私は「こういう人が近所に引っ越してきても、あまり近寄らないと思う」と書きました。

pha さんは「理想の高い人」ではないと思いますが、けれども、なにかしらに期待したり希望を持ったりして来る人とは、やっぱり知り合いになりたくない、というのは本音です。そういう人たちは、希望をすぐに失望に変えて、すぐに立ち去る場合が多い。

で、立ち去ってしまうと、彼らにわづかでも望みを持った地域住民が疲弊し、傷つきます。期待したバイトに一所懸命愛情を込めて教育をしたのに、ひと月後に「すみません、バイトやめることにしましたッス」とあっさり言われるのと同じことです。

ですから、「ちょっと興味があるから」程度で、移住をしないでほしいと心から思っています。誰かの「社会見学」とか「人生経験」のために、田舎の人間が協力しなければいけないという法はないのです。





けれどもやっぱり、移住者は増えてほしい


長々と書いてきて、要約すれば「ちょっと見ただけで『田舎いい!』みたいなことを言ってんじゃねーよ、素人が」ということなのですが、けれども、私の本心は、やっぱり移住してきてほしい、ということです。

私が書いたことを踏まえ、それでも「田舎に住みたい」と思ってくれる人には、本当に来てほしい。

私の住んでいるところには、なにもありません。どんなにいろいろと歩き回ってみても、たぶん半年も経てば飽きます。でも、そうやって飽きてしまう人に来てほしい。半年経っても一年経っても「ここは特別だ」とか言う人には来ないでほしい。特別ではないのだから。

自然も美しいですが、これもやがて飽きます。飽きてはしまうものの、四季は一応ぐるぐると巡っていますので、そのどこかで「あ、春の風だ」とか「あ、今日の月はきれいだな」とか、そういう折々に心を動かすことくらいはできます。それで充分得した、というくらいの感覚の人に来てほしい。「毎日がスペシャルな風景」みたいなことを期待している人には来てほしくありません。自然は自然でしかないのですから。

人とのつきあいが、都会より強いです。けれども、忍耐の末に長くつきあっていけば「ああ、この人も悪い人じゃないんだな」くらいの慰めは得られます。それくらいで儲けものと思える人に来てほしい。「田舎の人って、あったかいよねえ」とか言ってしまう人には来てほしくありません。結びつきが強すぎて閉口してしまうくらいに、日々関わっていかなければなりませんから。

「人と会ったり喋ったりしてれば米とか野菜とかを何かと分けてもらえる感じ」に期待をすべきではありません。他力本願の人間は、おそらくトラブルを引き起こしてすぐにどこかへ行ってしまうだけです。

そうではなく、誰の力も借りずに生活したいと思える人にやってきてほしいです。そういう人にこそ、周りは力を貸そうとします。おそらく私も、微力ながら貸すと思います。





おまえはどうなんだよ、というツッコミもあろうかとは思いますが


最後に、私自身も、田舎での暮らしに四苦八苦していますし、そもそも仕事が順調に行っているというわけではありません。

10年、20年を見据えて生活しているのかと問われればそういうことはありませんし、たとえば本当にここで死ぬまで生きていくのかという将来設計を立てているわけではありません。

ですが、仕事で食べていける限りはとりあえずはここで暮らしていこうかな、と漠然とした思いでいます。たぶんそれ以上を考えても無駄だろうし、効率を求めてしまうと、やはり都会で生活した方が便利な部分は多いということがわかっています。はっきり言ってどうなるかはわかりません。

もうちょっとはっきり言ってしまうと、私のいまつきあっている人たちは65歳から75歳くらいの人が多く、この人たちがあと10年してしまうと、今よりはだいぶ元気がなくなってきます。百姓仕事を今はできている人でも、「来年はどうか」と言う人もいます。

私はこの地域に対してはなんにも思い入れがないので、最終的に滅びてもなんとも思わないのですが、けれども、このお年寄りたちが生きているあいだは、少なくとも村がなくなったら寂しがるだろうなという考えではいて、そうならないように、できるだけの助力はしています。

もちろん、仲のよい年寄りにしか関心はありませんし、私の陰口を叩く年寄り(そんなのはひとりかふたりくらいだと思うのですが)には早く不幸が見舞えばいいのにとさえ考えています。

身バレをしたくないので、住んでいる地域や私の仕事などは伏せましたし、各所での記述もわざと曖昧にしたり、脚色したりしています。

そもそも田舎暮らしというときの「田舎」の定義とはなにか、ということですが、それはもう各自で考えてもらうしかないと考えていて、私がここで体験していることがよその場所でも役に立つかというとそうでもなく、また、私の住んでいるところは非農村地域で、比較的人づきあいが淡白なのではないかと思っているのですが、これが農村地域になるとまた異なってくると思います。

pha さんが書いたことはpha さんの体験で、その「楽しそうかも」という予感がぜひ持続すればいいかなあと思っています。けれども、田舎暮らしはゲームじゃない。ちゃんとした人生なんです。




*1:身バレしたくないので、金額は伏せます。


*2:この人は少し離れたよその村に住んでいる。



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ひとりでワインを飲んでいて、酔ったついでに思いついたことを思いついたままに書いてみる。



朝、起きる時間はこの頃になってかなり遅くはなったものの、だからといって、ずっと寝たままでよいというわけではなく、起きれば飯を食い、その飯を手に入れるために仕事に行かなくちゃならんわけで、しばしば凍ってしまう車のフロントガラスにお湯をかけて溶かし、それから仕事場へ行って、もらいもののインスタントコーヒーに濃い目にお湯を入れた似非エスプレッソ(エセプレッソともいう)を愉しみながらラジオを聴いていると、ときおりニュースが流れてくるのだが、今は選挙関連の報道が中心になされており、私も、貧しい知識ながらも「ううむ」と首を捻ってみるふりをして悦に入ったりもするのだが、なんというか、この生活の全体が灰色という気がしてくる。

もちろん、私の言っている灰色というのは『モモ』に出てくる「灰色の男たち」ほどに絶望の予感に満ちた色ではないのだが、この現実的な生活のリズムをすべて放り出したくなる瞬間があることは事実だ。

いや、生きていくためには生活していかなくちゃならないのだしその生活の基盤のひとつが仕事だ、とかそういう理窟は頭では理解している。そして、生活を支えている他の多くのものの中には、ラジオから流れてくる政治や経済もあり、それらに影響したりされたりしている日々の事件をきちんと追っていくということもたしかに重要だ、というような理窟もなんとなく理解している。

けれども。

それら日々に起こっている「事実」が私に与えている影響の小さいことよ。

それらの事実はいわば私と陸続きになっていて、丹念に、そして丁寧に辿って行けば、私とそれらとを結ぶ道を見つけることはたやすい。

けれども、そこに飛躍はない。論理とか因果とか関係と呼ばれるものが存在しても、飛躍がない。



ためしに山本健吉『俳句鑑賞歳時記』(角川文庫)の「冬・天文」のページを開いてみれば、子規の句が目に入った。




いくたびも雪の深さを尋ねけり  子規




解説にはこうある。




明治二十九年作。「病中雪」と前書した四句連作の一で、

(中略)

病中の子規の境涯のにじみ出ている句である。不治という自覚はあったとしても、病気はまだ中期であって、諦念には達するまでにはいたらず、起きて外の風景を眺められないもどかしさもあったであろう。

(266p)




子規の病状を想像してみれば、この句には無邪気さと同時に寂しさも漂うことがはっきりと感覚される。解説はこうつづける。




日常生活の一記録としての淡々たる表現でありながら、このような病床吟に、子規はもはや芭蕉でも蕪村でもない独特の詩境を開いて行ったのである。「死は近づきぬ。文学はようやく佳境に入らんとす」との嘆きがあったのだ。

(267p-268p)




「死は近づきぬ」云々は、ネット上でパッと調べたところ、俳友(弟子)に送った手紙の中の言葉らしい。




死はますます近づきぬ。文学はやうやく佳境に入りぬ。




この覚悟を感得し、あらためて子規の句を眺めれば、病牀にあった男の昂奮やもどかしさが、116年の時間を一足飛びしてこちらの前にあらわれるような心持ちさえする。



ここ半年くらいずっと仕事をしていて、休みなんか全然なくて、それで最近になってやっと本を読む余裕ができて、なに読もうかと思って積ん読にしたままの本の山から適当にぱらぱらと捲って、それで「あ。そういえばあの本どうなったのかな?」と本棚からまた違う本を取り出してそれをぱらぱらとやって、それから志ん生の『業平文治』を聴いたついでに任侠ものが読みたくなって北方謙三の『水滸伝』を読み返し始めて、それと一緒に『ムーミン』シリーズの読み進めも平行させて、買ってほとんど目を通していない漫画本もページを開いて……ってやっていると、あっという間に時間が過ぎて、寝る時間になってしまう。

これらは、私の生活にはまったく影響を及ばさない虚構である。

しかし、これら虚構こそが私の人生に潤いを与えてくれていると確信している。

私が虚構に憧れを抱いているのは、その飛躍する力に憧れているからかもしれない。ひとつひとつが重みを持つ現実を、軽く飛び越えてしまう力を与えてくれるからかもしれない。

その軽さゆえに、虚構は私にとって重みを持つ。逆説的だが、跳躍して現実から遊離しているあいだにこそ、「生きている」という実感を最も味わっている。



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ネット上であることを調べていたら、ある人の記事にたどり着いて、その中で「同席した方々とワンコの話で盛り上がりました~」という記述があって、一瞬、「ワンコ」ってなんだろうと考えた。

ああそっか。犬を「わんこ」って言うのね。私は犬を飼っていないから、そういう言い方に慣れていなかった。

かといって、私は猫を飼っているが「にゃんこ」って言い方はしない。「うちのにゃんこがねえ」と言う飼い主は多いだろうけれども、自分ではしない。猫とか、猫族とか、あとはモモとかヒメという名前で人に伝える(書く)なあ。

でもまあ、当該記事を書いた方へのアドバイスとして、ワンコ*1の話のあとに、ウコンのサプリメントの話はしない方がよいと思われます。なんか字面的にアレですから……。



*1:その記事ではカタカナで表記されていた。



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バキ好きなら「シンクロニシティ」といえば、「ああ、あれね」と理解してくれるだろう。つまり「意味ありげな偶然」ってやつである。




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11/25にキャプテン翼のオープニングテーマに言及した記事を書いた。



この中で私は、「ちょっとあれみな エースがとおる」を「あれみ」なエースが通ると解していたとし、そのあとの「あいつのうわさで チャンバもはしる」の部分を、「これに至っては、今でも意味がわからない」と書いた。



そうしたら、今日(11/27)のホットエントリにこんなのが。



これによれば、作詞者自身へのインタビューにより、「チャンバ」は、「婆ちゃん」を業界用語風に言ったもの(ちゃんばー)であるということが判明!

ツバキャプの長年のゾーナーが解けて、これでタシメデ、タシメデ。



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11/22に読了。




新装版 ムーミンパパの思い出 (講談社文庫)

新装版 ムーミンパパの思い出 (講談社文庫)




実は一回読んでいて今回はニ度目。

一度目はぱらぱらっと読んでしまっていたが、今回はじっくりと読んでみた。

ムーミンパパが若いころの思い出をそれこそ「思い出の記」という名で記し、それを執筆しながら、なおかつ息子や、その息子の友達のスニフやスナフキンに途中までを聞かせてその感想を聞き、そしてまた執筆をつづける……というちょっと変わった流れになっている。

解説には、この本は偉人伝のパロディであるとしてあって、なるほどそう思って読んでいくと、なかなか面白い。

私はこの前に読んだ3作について、相当低い評価を下したが、それは他の児童文学(それほど読んだわけでもないのだが)に比してあまりにも作中の価値観が混乱していることに腹を立てていたからであった。



だが、今回の「ムーミン」を読んでやっとわかったことなのだが、ここで描かれているのは、どうやら善と悪がはっきりと明示された世界ではないらしい。どちらかというと、登場人物たちは短慮なのにくわえて欲望(といってもたいしたものではない)に素直であるし、さらに、無意味と思われる行動を取る場合もある。つまり、一般的に「子ども向け」といわれるような体裁をとっていないように思う。

子どもにきちんとした形の「善」を提示するのであれば、(4作を読んだ時点での判断だが)ムーミンはその要件を満たしていないと言えるだろうが、大人が混沌を楽しむという意味では、面白い読みものになりうる。

前3作の大まかな流れは忘れてしまったが、今作(『ムーミンパパの思い出』)の構成はよくできていて、このムーミンパパが自己顕示欲にまみれた人間だというのは、文章を読めばわかるのだが、しかし、構成上この文章の書き手はムーミンパパ自身だから、その行動なり思考は「正しいもの」として描かれる。ここがひとつの仕掛けになっている。

パパはそれほど非道なことをするわけではないのだが、一般的道徳観念からすると疑問符がつくような言動も、ときおり行う。けれども、書き手としてのパパ(つまり自分自身なのだが)が、地の文で「だって仕方ありませんよね」というふうにその行動について評価を下すものだから、本当に素直に読んでしまうと、「あれ? なんだか変わった価値観にもとづいた妙な物語だなあ」と思ってしまう可能性がある。

地の文までがパパの「語り」だと思って読まなければならないという時点で、これはもう子ども向けではなく、大人向け、贔屓目に言っても、「大人の方がより愉しめる」のである。もちろん、前述したように、「善と悪の明示」にこだわらなければ子どもだって愉しめないわけではない。

パパの考え方は、当世風に言えば「自己承認欲求が強すぎ!」ということになるのだろうけれども、それでも、ひとつの場所に定まりそこで安逸を貪ることに根源的な嫌悪感を覚えるパパの考えは、「ここではないどこか」を求める若者像(パパの青春時代の話だから)としては納得できるし、また、自分を特別な存在と決めてかかり、非常に大きな存在から自分が特別な運命を定められていると盲信しているさまは、現代にも充分に通ずるところがある。実際にパパは、第一作の『小さなトロールと大きな洪水』において、ニョロニョロについてどこかへ行ってしまった、ということになっている(あとでムーミンとママに発見されるのだが)。

最後の最後で、「うわあ、ご都合主義!」というストーリー展開を見せるのだが、それでも、若い時代の友だちと再会を果たし、そしていったんは幸せで穏やかな生活に満足したかに見えたパパが、今度は子どもたちをも巻き込んで新たな冒険を決意するというエンディングには、それなりに感動してしまう。

弟によれば、このムーミンが描かれた頃(1945年~1970年)というのは、作者ヤンソンの母国フィンランドがなかなか大変な時代だったそうで、たしかに二作目(『ムーミン谷の彗星』)の彗星の話も、なにかのメタファーのように読めなくもない。結構深いのかもしれない。



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子どもの頃からいい加減に人の話を聞く癖があって、聞いたものをよく考えずに頭の中にしまい込むから、その本当の意味を理解するのに、ときに十数年という歳月がかかることがある。



このあいだ、鼻歌で『Dr.スランプ アラレちゃん』のエンディングテーマを歌っていた。






アラレちゃん op




この中で、「ペンギン村からおはこんばんちは」というフレーズがあるのだが、この意味がわかったのが、つい最近で、今年のこと。

「おはこんばんちは」というのは、おはよう、こんばんは、こんにちは、を全部引っくるめた挨拶ということなのだろうが、私はこれを、「オハコン番地は」というふうに解していた。

つまり、「ペンギン村からオハコン番地への行き方ですが、右を向いて、左を向いて~」という意味だと思っていた。もうちょっとじっくりと考えれば、「左を向い」たのちに、なぜ「バイチャ」なのかは説明がつかないのだが、子どもの頃の私にはそこらへんはどうでもよく、ただ、「オハコン番地」という地名が『Dr.スランプ』の中にはあるのだろう、と思っていた。

余談だが、この曲をこの機会に始めから終いまで聴いていたら、「びっくらこいた」以降しかよく憶えていなかった。ということは、私がこの歌を鼻歌にするときは必ずなにか驚いたことがあって、それを頭の中で「♪びっくらこいた」とメロディをつけ、それをきっかけにして「ペンギン村から~」と歌っていたということがわかった。



また違う話。

キャプテン翼』のオープニングの歌で、




ちょっとあれみな エースがとおる




というフレーズがある。






キャプテン翼 op




ここを私は、「あれ見な」というふうに理解することができず、形容詞としての「あれみ」という言葉があって、今まさに通らんとするエースが、ちょっと「あれみ」だよ、という意味だと思っていた。

もちろんこれは20歳くらいまでには解決できた問題だが、「あれ見な」と漢字を振ったってよかったと思う。

まあ、そのあとの歌詞が、




すぐれものゾと まちじゅうさわぐ




で、「あのエースは優れ者ぞ」なんて戦国武将みたいな口の利き方*1が、子どもにパッとわかるわけがなく、私が「あれみ」だと誤解してしまったとしても、無理はない。

なお、その後の歌詞が、




蝶々サンバ ジグザグサンバ

あいつのうわさで チャンバもはしる




で、これに至っては、今でも意味がわからない。



そもそも、ちょっと昔のアニメソングは、歌詞が古臭いものが多かった。






ドラゴンボール op(『魔訶不思議アドベンチャー!』)




初期の『ドラゴンボール』のオープニングテーマに、




世界でいっとー スリルな秘密




とか




世界でいっとー ユカイな奇跡




という歌詞があるが、この「いっとー」が「一等」で、つまり、「一番」を意味するということがわかったのが去年のこと。21世紀に入って早十年が経とうというこのタイミングで、「ああ、『いっとー』ってそういうことか!」と腑に落ちたのである。

私はこの「いっとー」を、たぶん「いっとー」という方言があり、「すごい」ということだろうと解釈していたので意味としてはそれほど間違ってはいなかったが、その方言がなぜいきなり歌詞に放り込まれているのか、ということまではもちろん深く考えなかった。

ウェブの辞書を引くと、「一等」には、通常使用する「名詞」のほかに「副詞」でもきちんと立項されていて、




最も。一番。




と説明されている。けれどもこれ、なかなか一般的な用法じゃないと思う。私からすると、文語・雅語の世界。

なにせ田河水泡のらくろ』に、




「やあ、上等兵。きみの取ったえものがいっとう上等だぞ」

「いえいえ、のらくろ軍曹殿のえものが、いっとう立派であります」




というやりとりがあるくらいだからねえ、というふうに書いても充分通用するのではないか(上記は架空の文章)。



『ドラゴンボール』といえば、初期じゃない方のオープニングテーマでもよくわからないのがあった。






ドラゴンボール op(『チャラヘッチャラ』)




この中に、




とけた こおりのなかに

きょうりゅうがいたら たまのり しこみたいね




という歌詞があるのだが、この「しこみたい」というのが平仮名でよくわからなかった。今見れば、ちゃんと「たまのり しこみたい」とスペースが打ってあるのだが、これをいつの間にか頭の中で「玉乗り師 こみたいね」と変換していた。

玉乗り師という職業があって、その職業の男が、もし溶けた氷の中から恐竜を見つけたら、こみたいのだと、そういう文脈だと思っていた。いや、「『こむ』ってなによ?」って訊かれてもよくわからない。たぶん「こむ」っていう(「混む」とはまた違う意味の)動詞があって、その「こむ」を、玉乗り師は希望しているのだと思っていた。

くわえて、1:37あたりで、「Sparking!」とあるが、これを「スーパーキング」だと思っていた。これは、比較的子どもらしい勘違い。



恥さらしのついでに。

これはひと月ほど前にラジオを聴いていて、「ああ、そうそう」と思わず納得してしまったのだが、私は、大事MANブラザーズバンドの『それが大事』の最初の歌詞を、




負けないこと ナゲ

出さないこと ニゲ

出さないこと




だと思っていた。私と同じ勘違いをしていたのはマジシャン(?)の小泉エリで、彼女は『兵動大樹のほわ~っとエエ感じ』(ABC ラジオ)の中で私と同じ感想を述べていた。

私の勘違いの理由は、おそらくこの歌をよく知らなかったということにあると思う。

この曲が流行っていた時代、私はほとんどテレビを観たことがなかったので(そういう時期があった)、ブームから数年経って、はじめてラジオなんかで耳にしたように記憶している。

そのとき、「ナゲ」と「ニゲ」の入るタイミングが(音楽だけを聴いていると)微妙で、「なんだろ、これ。合いの手かな」というふうに思い、例によってそれを確かめようともしなかった。



さて、いよいよ本題なのだが、上に挙げたもののうち、そのほとんどは「ぎなた読み」(Wikipedia 参照)である。有名なのが、『巨人の星』の「重いコンダラ」なのだが、これを説明するのは面倒。Wikipedia では「コンダラ」で立項してあるので、興味のある方はそちらをご参照ください。

で、これも先日のラジオ*2で知ったことなのだが、「ウルトラセブン」という番組は、企画段階では「ウルトラアイ」という番組名だったそうな*3

しかし、結局番組名は「アイ」とはならずに「セブン」となった。中邨雄二によればスポンサーとの事情が絡んでいるのではないかということだったが、ともかく、「ウルトラマン」の続編は「ウルトラセブン」になった。

けれども、「アイ」の名称は完全に消えたかというとそうではなく、セブンの必殺技「アイスラッガー」に残っている(Wikipedia 参照)でしょ、という話を聞いて、私の身体に「ビビビッ」という電流が走った。




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【参考画像】アイスラッガーを放とうという瞬間






なるほど、「アイスラッガー」は、「アイ・スラッガー」だったのね。

わたくし、これをずっと「アイス・ラッガ-」だと思っていましたよ。というのも、飛んでいる最中になんだか光っているんだよね。で、切れ味がいいから、飛んでいる間は当然凍っているのだと思っていた。以下に参考動画を。






ご覧のように、飛んでいるときはビカビカ光っている。




つまり、それほど深く考えていたわけではないけれど、セブンの頭についているあのツノみたいなのを、私は「ラッガ-」というのだと思っていた。ツノというかチョンマゲというか。

しかし、この情報にはびっくりしました。たぶん小学生の頃に再放送で観ていたものだから、おそらく30年近く誤解していたままだったわけだ。

子どもの頃に身につけた情報というのは、えてして誤っている場合が多い。上記以外にも、私の中で思い違いしている知識は少なくないだろう。私はそのうちのいくつまでを、今生のうちに訂正・修正していけるのだろうか、甚だ不安である。

アイスラッガー」については誤解(?)が解けたからまだいいようなものを、もし、大勢の人間の前で「ラッガ-」について話す機会が訪れていれば、私は間違ったままの知識で得々と「ラッガ-」のことを話しただろう。いやあ、想像するだけで背筋が凍る。アイスだけに。




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【参考画像】ジャパニーズ・ラッガ-





*1:どんなに古く下っても、戦時中。


*2:ABC ラジオ『サクサク土曜日 中邨雄二です』より。


*3:ウルトラアイっていうのは、モロボシ・ダンが、目のところに装着するやつ。



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はくさい は くさい しろな




という文章を思いついたが、これを漢字にすると、




白菜白菜白菜




となる。

ちなみに、「しろな」というのは大阪の伝統野菜で、非結球(つまり玉状にならない)タイプの白菜のことらしいが、紛らわしいのでよく「しろ菜」という表記がなされている。



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北方謙三の『水滸伝』を再読中で、現在4巻の終わりあたりなのだが、3巻の逢坂剛の解説が興味深かったので、備忘録として引用しておく。




純文学をあきらめたのは、「中上健次にあるものが、自分にはないと気づいたからだ」と、北方は自嘲気味に言う。しかし、それは北方なりの中上に対するオマージュであり、逆に「中上にないものを、おれは持っている」との自負が、かならずなければならない。単に北方は、「自分の書きたいものが、純文学というスタイルに収まらない」ことに気づき、見切りをつけたにすぎないのだ。改行が少なく、十年一日のごとく「けれど」を多用し、地の文の人名呼称にやたらと「さん」をつけ、物語性を極力排するのが高尚と思い込む、硬直化、パターン化した八〇年代以降の純文学に、北方が飽き足りないものを感じたとしても、それは当然のなりゆきといえよう。

(『水滸伝 三』387p-388p ※太字強調は引用者)




私は読書家ではなく、エンターテインメント系にせよ純文学系にせよ、どちらも「わかった」というほどに読み込んではいないが、たしかに日本の純文学では「時間の無駄だった」というぐったりしてしまうような幻滅を味わうことが多いという気がする。

その幻滅の原因のひとつが、逢坂*1の指摘する「物語性を極力排するのが高尚」という思い込みであるようにも思う。問題は、その思い込みをしているのが作者連だけでなく、読者たちも含まれるということで、「ニホンブンガクの砂場遊び」はなかなか砂場から外へ広がることができない、という印象がある。

「物語性の排除」が純文学の必須の条件とはならないということを証すためには、ディックやヴォネガットの名前を挙げるだけで充分だろう。まさか彼らの作品を単純なエンターテインメントというレッテルを貼っておしまいという人はいないだろうから。

ということを書いていたら、落語でも似たような問題があるなということを思い出した。

「人情もの」と「爆笑もの」のそのどちらもが落語を構成する重要な噺だと私は思うのだが、人情噺を高尚とする人は多いみたい。

いや、私も人情ものが好きだし、否定するものでは決してないけれど、笑い噺も、人情ものと同じ価値を有しているのだ。



退屈で退屈で19ページを読むのに半月もかかる小説もあれば、面白すぎて寝食を忘れ、19巻を半月で読破させられてしまう小説(たとえば北方水滸伝全19巻)もある。私は、どう単純に考えても、後者の作者の技倆の方をよっぽど信じる。



*1:ただし、この人の作品を私は読んだことがない。



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ばかみたいに白菜を作ってしまい、自家消費がとても間に合わないので、先日、近所で行われた野菜の直売イベントに参加し、売ってきた。

ミニ白菜なので、だいたいが600~800グラムの大きさで、それをナイロンの袋に入れて1袋100円の値づけをした。ああいうイベントはやはり安さがウリのひとつであるべきなので、その要求にも応えられるような価格設定だと自分では思っている。

で、当日は結構お客さんがやってきて、わが稚拙な白菜を手にして買って下さった方も多数いた。まことにありがたいことです。中には見知った方もいらして、不出来な作物と知りながら購ってくださり、末代まで足を向けて寝られぬとはこのこと、感謝の嗚咽に呼吸困難を起こし、危うく救急車を呼ばれるところだった。



その中で、3人組のおばさんがやってきて、これまた私の白菜を手にしてくれたのだが、このときのやりとりが未だに頭を離れない。

「これ5つ買うわ」

「ありがとうございます。500円です」

「いくら負かる?」

「え?」

過去に知り合いの手伝いなどで野菜の直売をしたことが何度かあったが、必ずと言っていいほど、この手の客(私の中では「お客さん」じゃなくなる)はひとりはいる。

どういうつもりなのだろうか。

500円という金額に、端数はない。合計が510円だとか、520円だというのなら、「ちょっとその細かいところ、負けられる?」という要求にはまだ理解の可能性は残っている(それでも理解できないけれど)。しかし、500円玉を1枚出せば済み、あるいは1,000円札を1枚出せば500円玉が1枚戻ってくるという、類稀なるすっきりとしたやりとりが期待できるこの「500円」という売価の、いったいどこに「負けてよ」という言葉を投げかける余地があるというのだろうか。

そもそも、単価100円の商品に対して、いくらの値引きをしろというのだろうか。

おそらくその値引きを持ちかけたおばさんは、白菜の生育期間を知らない。ミニ白菜とはいえ、苗の生育期間で3週間、移植してから40日以上という時間がかかっている。そのあいだの管理は、はっきり言って難しいものではないが、だが、耕して肥料撒いて種播いて発芽させて灌水してときに消毒して移植して、そういう諸々を簡単と呼べるかどうかはその人次第だろう。

そのおばさんは「50円くらい負けてくれてもええやろ」というつもりなのかもしれない(実際にはいくら値引きしてくれという具体的な要求はなかったが)。500円買って、10円負けてくれ(=490円にしてくれ)ということはないだろうから、まあ、ひとつにつき10円引いたとして、5個で50円くらいの値引きというのがそのおばさんの中での「相場」なのかもしれない。

こういうときに私は思うのだ。たとえばこの人やあるいはこの人の亭主が給料をもらうとき、人事部給与課の人間に「あ、今月の給料は1割カットでお願いします」と言われて素直に「わかりました」と応えるのだろうか、と。

こういう私の理窟に対して「たかが100円じゃないの」と思うのであれば、だったらさっさとその100円を出して品物を持って行けよと思うばかりである。出さないならどこかへ行ってくれ、と。



私はこういう安直で考えなしの値引きを要求する人間が嫌いだ。

野菜に限った話ではない。値札がついているのにもかかわらず「なんぼか負けて」という人は、こちらでは多い。

たとえばフリーマーケットであるのなら、もう不要の商品を売るわけだから多少のディスカウントが望めるということはあるかもしれない。けれどもそれだって、開店早々にして「なあ、これいくらになる?」と言うのは、売っている側からすれば「塩をまいてやろうか」というくらいに験が悪い。そういう駆け引きは、閉店近くに売れ残りすべてを指差して用いられるべきである。

値段を安くしろというのは、そのモノの価値を認めないということだ。商品の売り手や作り手の存在価値を認めないということだ。

私は価値を認めろと言いたいわけではない。価値を認めないと訴えたいのであれば、その目的は「買わない」という行為で充分に果たされるということを言いたいだけだ。それを、なぜか「売れないやろ? 買うたるわ」とお為ごかしに言う人は多い。私からすれば、それは物乞いにすぎない。

物乞いなら、物乞いらしい顔つきで言ってもらいたいものだ。



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