とはいえ、わからないでもない

2013年09月

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いやー、すごいもんですね。日本という国は、戦争が終った直後で食べるものにさえ事欠いたであろうに、オーラルケアを欠かすことはなかったんですね。その健康意識の高さ。驚きです!

で、回想して明治四十四年。卵を十個はつかったオムレツが食卓に並ぶ主人公の朝食。すごい。卵って昔っから庶民の食べ物だったんですね。驚きです!
主人公の父親は西洋料理店を営んでいるらしく、古い卵だったらお客に出せないから賄い飯にしちゃえ、ということのようです。僕のような頭の弱い吝嗇野郎は「余らないよう在庫管理は徹底しないといけない」とついつい思いがちですが、そこは西洋料理店の主人、太っ腹です。きっと、明治末期の東京では卵なんて捨てるほどあったのでしょうね(それに庶民の食べ物ですし)。驚きです!

また、主人公の女の子は、2リッターほどの瓶いっぱいに詰まったアンズのシロップ漬けをひとつ残らず食べてしまいますが、実はこれ、料理店の食材なんです。でもお父さんは、「おれのシロップ漬けがうますぎるんだ」と笑うだけで、お母さんは「意地汚すぎる」と怒るだけ。だーれも、コストのことなんか気にしていない様子。明治末期の東京だったら、そんなケチケチしたことを言う人なんて一般庶民ですらいなかったんですね。驚きです!

こんなふうにごくごく一般的な主人公は、ある悪さをして母親に「ごはん抜き」の罰を与えられるんですが、おばあちゃんとものすごく些細な約束をしたご褒美として長崎のカステラをもらいます。知らなかったなあ。カステラは庶民のお菓子だったんですね。驚きです!


いま全体的に不況にあるこの日本で、こういう一般庶民の視線に立ったドラマはものすごーく受け容れられるんじゃないかと思います。『あまちゃん』を喪失して虚脱してしまっている視聴者たちを強烈に惹きつけた第一回だったと思います。こんなリアリティあふれる描写ができてしまうNHK 大阪の演出に今後も大期待!

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奈良に行くとき、数年前に行った和食の店はあるだろうかと調べてみると閉店していた。
なかなか心のこもったいいサービスをする店ではあったが、料理とか店の雰囲気全体がオーガニック系というか、全体的に押しの強くない感じがしていた。つまり、あまり商売熱心じゃなかったということなんだけど、まあこれでお客さんの方が気に入ってくれたらいいんだけどね、と思っていたものの、ダメだったようだ。いや、本当の閉店の理由なんて店主に尋ねたわけじゃないからわかるわけないんだけど。

そのついでに、京都のあるオステリア(料理も一応たのしめる居酒屋みたいなところ)についても調べてみた。そこには、これまた数年前に母を連れて訪れたのだが、けっこう気に入った店だった。ワインも高いものはほとんどなく、そこそこ品揃えもいい。料理は、居酒屋だと思うと高いけれど、きちんとしたディナーだと考えれば(旅行ということも勘定に入れれば)それほど高くないという感じ。ただ、オーナーシェフの店なので、接客がいまいちだった。アルバイトの女の子との相性も悪そうで、落ち着くのに時間がかかるだろうなあと思った。僕が訪れたときにはちょうど一周年近くということで、ちょっとしたお祝いをしていたと思う。
それが、ネットの情報によればその店はつぶれていて、同じ場所に、新しいイタリア料理店ができていた。

古いザガットサーベイなんかはもう捨ててしまったが、ああいうのを開いて、ときおり「小さいけれど名店」と呼ばれた店がどうなったかを調べるのは他人事だと思えば興味深いことかもしれない。
案外うまく生き残っている店も多いのだろうが、閉店になっているところも少なくない。飲食店でバイトしていたとき、行ったことはなかったが勉強のためにいつかは行こうと思っていた小さなビストロなんかが、今はもうないということを知るのは寂しいものだ。

僕がビストロの基本を教えてもらった場所で支配人をしていた方は、いったいどうしただろうか、とネットで調べてみた。
奥さんと一緒に銀座でワインバーを開いたみたいだが、それもとっくに閉店になっていた。僕の知らないうちに店をオープンし、僕の知らないうちにクローズしていた、ということだった。
前のブログにも書いたが、以前働いていたカフェの経営先がこの四月に変わり、そこにいたメンバーのほとんどがバラバラになってしまった。あと数年すれば看板(店名)も変わるかもしれないという。


店を閉めた人たちは、その店で最後にシャッターを下ろしたとき、どういう気持になったのだろうか。
そう思うのは、僕が一度でも飲食店をやろうかなあ、どうしようかなあ、くらいには考えたことがあったから。

この地に引っ越す前に本格的に仕事を考えたとき、いっときは、京都あたりでコーヒー屋をやろうかなと思っていた。いったいいくらかかるか、などとはまったく考えもしない段階での、ほぼ妄想に近いのだが、まず京都とはどんなところだと思い、それで例のオステリアを訪れたというわけである。
僕の持っていた貧しい知識では、まずレストランは儲からないというのがあった。食材は原価率を上げるし、またロスも多い。カトラリーやグラスだって、数を揃えるとなればバカにならないくらいのコストがかかる。また、うまく調理する人間を雇わなきゃならないので(僕はほとんど作れない)、まず無理。
だから、カウンター中心のコーヒー屋という安直な考えだったのだが、コーヒー一杯でいったいいくらとれるよ、と思うと日銭を稼ぐことさえ難しいだろうな、と思い、それで、勤務時間の長さは無視して夜はワインバーをやったらどうか、と考えてみた。コーヒーのお代わりはほとんどないけれど、ワインのお代わりは簡単に期待できる。この時点で、コーヒーにしてもワインにしても、専門的な技術はほとんどなかった。ただ、実務的な知識や客あしらいにはなんとなく自信はあった。基本的に人と接することじたいは嫌いだったが。

そういうことを妄想する日々はたのしかった。この頃からすでに「大儲けなんかしなくていい、自分の時間さえ確保できたら」と思ってはいたが、昼夜を問わず働けば自由時間なんてない、ということは必死で頭の外に追い出していた。また、そうしなければ(金にならなくて)生きていかれない、ということも頭の外にやっていた。

まあ、結局は京都にもいかず、飲食店とは別の商売をすることになったのだが、今になって、「ああ、飲食は本当にやらなくてよかったなあ」と思っている。いや、やっている人には失礼な言い方ではあるが。
一昨年の震災以後、本当に客足が遠のいたよ、ということは東京に行ったときに何度も聞かされた。遠のいた、どころか、いつかは行きたいと思っていた高田馬場のカフェ(ここはポエトリー・リーディングを定期的に開催していたはず)は、それが原因で閉店したということを昨年あたりに知った。
飲食は、本当に難しい。お客さんが定着するのが、なかなか難しいからだ。
といっても、田舎(という言い方をするのは、実際に田舎に住んでいるから許されると思う)でもきちんと生き残っている店というのは、ある。もちろん、ゆっくりと右肩下がりという経営状況にあるのかもしれないけれど、それでも、十年、二十年というあいだ、地域の人気店でいつづけているところがいくらもある。ここらへんが、客商売の面白いところともいえる。

東京や大阪などの都会は、お客も多いが、そのお客の目移りも激しい。店の方も、なんとか「新しさ」を失わずに対応しようとするのだが、お客の求める「新しさ」には追いつけない。僕は断言するが、いま、店名に「バル」がつくところで、数年後に生き残っているところなんて、一割にも満たないだろう。そういういっときの目新しさなんて、お客はすぐにそっぽを向くようになるからだ*1

そういう業界に自分がオーナーとして参入しなくてよかったなあ、といまでは思っている。まあ金銭面でほぼ不可能だったとは思うが、万が一、パトロンが見つかったり、あるいは借金をこさえて店を作ったりしたら、いまごろどんなことになっていただろうか。

いやいや。店を閉めるというのは、なにも他人事ではない。先日、近くの村のおじさんがやってきて、僕と同商売をしていた若者がつい最近その仕事を辞めたということを教えてくれた。やはり必死で頭の外に追いやっていることではあるけれど、「明日はわが身」というのは決して誇張ではない。これから、どんどんと寒くなっていく。

*1:僕の知っている唯一の例外として、ベルギーワッフルのマネケンだけは、どうして潰れないのかわからない。いや、ベルギーワッフルじたいおいしいとは思うけれど、あれってただのブームだったんじゃないの? 銀座のマネケンに行列ができたのって、いつの話だったっけ?

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最近お気に入りのDRB の『カイドロ』。きのう(9/27)の放送を書き起こしてみた。



……「”仕事”の道具には、やっぱり石川屋!」の石川屋が、ただいまから午前七時をお知らせいたします。プッ、プッ、プッ、ポーン!

泥「おはようございます! 9月27日金曜日、『ハナ金、朝七時、快適泥棒生活!』が始まりました。パーソナリティの泥田的太郎です」
藤「おはようございます! アシスタントの藤美音子です」
「一週間ぶりにお耳にかかります。みなさまはいかがお過ごしでしたか?」
「きょうはいい天気ですねえ」
「『そしあす』のトトラドさん、一時間お疲れ様でした。だいぶ眠そうでしたね」
「はい、ご本人も夜更かししすぎたとおっしゃっていましたね」
「秋の夜長ですから、寝不足には注意いたしましょう」
「はい」
「今朝もだいぶカラッとした、ちょっと肌寒いぐらいの朝となりました。関西でも気温十度を下回ったところがあるようですが、北海道では初めて氷点下になったとか。それに較べれば、というところですね。空には、多少は雲がありますが、ほんとうに気持ちのいい朝です」
「はい」
「どうでしょう、きのうの夜は、みなさんの”お仕事”は捗ったのでしょうか? 」
「きのうの夜は、わたしの家の近くでは曇りで月が隠れていました、”お仕事”はしやすかったのかもしれませんね」
「さて。わたしの家なんですが、いつも言っているように山に囲まれているでしょう? 今朝は鹿の鳴き声が聞えたんです」
「ええ? もう鹿ですか? っていうか、鹿って鳴くんですか?」
「鳴きますよ。百人一首でもありますでしょう。『奥山にもみじ踏み分け白鹿の冷やを飲み干す奈良名月の夜』」
「なんですか、それ?」
「いや、このあいだ奈良へ行ってきたとき、白鹿(はくしか)の冷酒を飲んだっていうだけの歌ですがね」
「はいはい、さて今日もみなさまからのメッセージをお待ちしております」
「はい、今日のメッセージテーマは、『あなたが後悔をしたときは、どんな感じ?』です。皆様からのご応募、お待ちしております」
「宛先です。メールは、kaidoro@drb8107.com。k・a・i・d・o・r・o、アットマーク、drb8107.com。ファックス番号は、大阪06-XXX-XXXXです。採用させていただいた方には、番組からの記念品を送らせていただきます」
「それでは、今朝も八時まで、よろしくおつきあいください」

「いいか、おれのことをお頭なんて呼ぶんじゃねぇぞ!」
「へい、お頭……あ!」

部下が足を引っ張っている、そんなふうに思ったら、ルブラン商会にお電話下さい。選りすぐりのスタッフが、あなたの”お仕事”をお手伝いいたします。
信頼と実績のルブラン商会。

藤「『ハナ金、朝七時、快適泥棒生活!』、この番組は8107kHz、DRB ラジオがお送りしています」
泥「今週のオープニング・ナンバーは、『それゆけガイコッツ』です」

泥「うーん、懐かしい曲でしたねえ」
藤「ルブラン商会がお送りする『今週の俳句コーナー』」
「はい。それではさっそく詠ませていただきます」
「どうぞ」

やうやうと朱の抜けゆく彼岸花

藤「『あけ』というのは朱色の『朱』ですね」
泥「そうです。実はこのあいだ奈良旅行から帰ってきたら、畑の彼岸花がずいぶん増えていて、早くから咲いていたものが枯れ始めてきてたんです。で、それを詠んだのですが、今朝はもう金木犀の香りがしていて、しまった、そちらの方がタイムリーだったなあと思っているわけですけれど」
「彼岸花、枯れちゃうとちょっと寂しいですよね」
「そうですね。あの赤というか朱の色が徐々に薄くなってきて、縁から白っぽくなって、なんとも儚いです」
「ええ」
「今朝は一斉に気温が下がったので、これで紅葉のスイッチが入ったと天気予報士の方がおっしゃっていました。彼岸花も散っていき、これから秋も深まっていきます」
「どんどんと涼しくなっていく、ということでもありますね」
「はい。それで今朝は、わたしの句だけではお粗末なので、秋の句をいくつか調べてきました。いつも参照させていただいています、角川ソフィア文庫の『俳句歳時記 秋』から」
「お願いします」

むらがりていよいよ寂しひがんばな  日野草城
曼珠沙華消えたる茎のならびけり  後藤夜半
西国の畦曼珠沙華曼珠沙華  森澄雄

藤「まんじゅしゃげ、とも言いますね、たしかに」
泥「つづいて金木犀も。この本に書いてあるのは、橙色の花のものを金木犀、白い花のものを銀木犀というそうですね」
「そうなんですか、知りませんでした」

おのが香にむせび木犀花こぼす  高崎武義
見えさうな金木犀の香なりけり  津川絵理子
木犀をみごもるまでに深く吸う  文挾夫佐恵(ふばさみ・ふさえ)

泥「この、最後の『ふばさみ』さんですが、『文章』の『文』に、昔の『挟む』という字、これで『ふばさみ』、お名前が、『おっと』に、『佐藤さん』の『佐』、そして『めぐみ』で、『ふさえ』さんという、お珍しいお名前ですね。存じ上げませんでした。いや、だいたいの俳人の方をわたしは存じ上げないんですけれどもね」
藤「『ふばさみ』さん、ですか」
「調べましたら、この『ふばさみ』というのは、さきほど申し上げましたとおり、「文を挟む」と書くんですが、これは、『ふみばさみ』とも言い、むかし偉い方に手紙を手渡しするのがはばかられましたので、こう、長い木みたいなのに挟んで、それを使って渡したらしいんですね。その長い木みたいなのを、『ふばさみ』と言ったみたいなんです。あとは、栞の意味もあったみたいなんですけれども」
「へえ、知りませんでした」
「しかし、あれですね」
「なんです?」
「わたしの句、霞みましたね」

「親分、なんでおれたち捕まったんですかね?」
「道に迷ったから、お巡りさんに『ここどこですか?』って訊いたんだ」
「それだけで捕まったんですか?」
「いや、『どこへ行くんですか?』って相手が言うから『いや、空いている家だったらどこでもいいんですけれど』って言っただけだよ」

上司についていけない、そんなふうに思ったら、ルブラン商会にお電話下さい。選りすぐりのスタッフが、あなたの”お仕事”をお手伝いいたします。
信頼と実績のルブラン商会。

藤「石川屋のお送りする『今週の一曲』のコーナーです」
泥「さあ、今朝はモーニング娘を聴いていただきます」
「あれ、泥田さん? 先週まで『今週のアイドル』のコーナーで四週連続ももクロをかけて、さんざんクレームをもらったところだったじゃないですか」
「はい、そうですよ。ですから、大いに反省し、『今週のアイドル』というコーナーじたいをやめ、来週から、つまり今週ですね。今週から『今週の一曲』とコーナータイトルをあらため、再出発すると、こういうお約束でした」
「じゃあ、なんでモーニング娘なんですか?」
「とにかく、歌を。曲名は、『わがまま気のまま愛のジョーク』です」

泥「さて、聴いていただきました。いかがでしたか? これはね、ほんとは動画で観てほしい。PC やスマートフォンから、YouTube にアクセスしてみてください。で、そのときはサイズを1080のフルサイズで観てほしい。ほんと、きれいだから」
藤「そうなんですか」
「藤さんは二十代ですから、モーニング娘はご存知ないかもしれませんが、」
「知っていますよ、小学生の頃、テレビでダンスを覚えたりしていました」
「そうですか。わたしの場合は、もろに世代なんですよ。そこでね、黄金期を体験しているんです。でも、それからいったん凋落しているんですね。で、世代交代が進んでいって、その中で大勢が興味を失っていって、わたしもそんな中のひとりでした。個のアイドルとして興味があったのか、と言われるとこれはもう『なかった』とこたえるしかない。わたしは、誰それに興味がある、というよりアイドルという存在そのものに興味がある、という話はこの番組の中でも何度もお話ししてきたので割愛いたしますが、モー娘に対しても、そういう興味しかなかった。ですから、人気がなくなっていくと、自然と興味が離れていった。ね? ところが、ですよ。結成十六年目の今年のあたまから出したCD シングルが三枚連続でオリコン一位を獲ったっていう快挙を成し遂げたんです」
「ああ、それはわたしもネットで知りました」
「わたしも、今年のはじめにネットで『Help Me!』が話題になって『ダンスがすごい』ということになっていたのですが、初見では、『そうかな?』という程度でした。アイドルとしてのかわいい『振り』はない、というのが珍しいのかな、と思いました。ああ、断っておきますが、わたしはいわゆるオタクというのではないので、あくまでも一般人として観た感想です。その目で観ると、そこまで『ダンスがすごい』ということはなかった。音楽的にいっても、EDM というんでしょうか。電子音的なダンスミュージックで、覚えやすいキャッチーなメロディというわけでもありませんでした。『ふうん、ずいぶんと路線が変わったんだな』と、それくらいの感想でした」
「はい」
「それが、ある方のブログで、『ブレインストーミング』が紹介されていました」
「この曲のひとつ前のシングルですね?」
「そうです。それがですね、なんともいえないけれど、面白かったんです。げらげら笑う感じじゃなく、妙に映像が残った。あ、YouTube でまたHD で観ていたんですけれど。で、例によって動画じたいは二回くらいしか観ていないんですけれど、曲の方はもう二十回とかそれくらい繰り返して聴きました」
「いつも思うんですが、泥田さん、そういう聴き方をして、飽きないんですか?」
「途中で飽きたらそこまでです。まあ、こういう聴き方をするのは鬱病になる可能性が高いってテレビで言っていましたけれど」
「はあ」
「で、さっき言っていた音楽の評価ですが、EDM でキャッチーじゃない、とかそういうそれまでの評価が全部わたしの中でひっくり返った。あ。これはもう癖になったな、と。ためしにうちの家族にも聴いてもらったのですが、これが全然ウケない。でも、わたしはもう中毒になってしまっている。だから個人差はあるのでしょう」
「わたしもこれ、よくわかりませんでした」
「それもわかります。で、このあいだのお盆に、わたし、東京に行ったでしょう?」
「はい、夏休みのときですね」
「そのときに、渋谷駅で、ピンクのT シャツを着ている人がいて、その背中のところに、『いまさら道重』、道重っていうのはモー娘のリーダーですね。その道重のよさを、十年目にしてやっと気づいた、みたいなことをデカデカと書いているT シャツを着ているおっさんがいたんですよ!」
「おっさんがですか?」
「いや、おっさんって言ったら失礼なのかな。もっと若かったのかもしれません。でもね、あのT シャツを堂々と着ているっていうのがね、わたしは後ろからしか見ていませんが、ちょっと感動したんですよ。ああ、ファンってすごいな、と。おれだったら、いくらファンでもあんなのを着れやしないぞ、と。いや、それだからファンじゃないんだろうな。ああ、ファンってすごいなあって」
「はい、あ。いま、スタッフがそのT シャツの画像をプリントアウトして持ってきてくれました」
「あ、そうそう! これこれ!」

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藤「すごいですね」
泥「すごいでしょ? 真っピンクですから。リスナーの方にもぜひお見せしたいなあ。ええと、書いてある文字ですが、『今更道重、十年たって、ようやく気がつきました』です」
「これを、男の人が?」
「そうです。渋谷駅を、堂々と」
「すごいですね」
「すごいでしょ。でも、ほんとにすごいことなんです。藤さん笑ってますけれど、わたしは結構じーんとしましたよ」
「あ、泥田さん、時間がけっこう押してます」
「ほんと? ええと、じゃあちょっと早口で説明しますけれど、そのT シャツ目撃からちょっとくらいして、また、そのある方のブログにこの『わがまま気のまま~』が紹介されていて、そのときには、わたしの中で下地ができていましたから、最初から一気にたのしめたんです。まず、衣装がスタイリッシュですよね。あ、そうか。藤さん、動画知らないんですもんね」
「はい。でもつづけてください」
「まあ、これがモー娘なのかと、あのもっさりしたモー娘が、十六年経ってこんなふうにカッコよくなってしまったんだと、ちょっと感動もしてしまいましてね。で、あらためてメンバーのお顔を拝見したのですが、きれいな方が多くて、あのう、鞘師さんという子と、この剣の「さや」の「さや」に、『師匠』の『師』と書くのですが、その鞘師さんと、佐藤さん。このおふたりが、ヘンな言い方かもしれませんが、K-POP の女性のような、とても薄い顔立ちをしてらっしゃっていて、それが近年の、目頭を切開しているような大きいバッチリ目の女性たちの、世のタレントさんたちがいますよね? ああいう人たちとほんと好対照で、とても新鮮だなと思いました。あと、ショートヘアの工藤さんもかわいらしいです」
「はいはい。ショートが好きですからね、泥田さん」
「で、なんだ? 言い残したことあったかな?」
「もうないんじゃないんですか?」
「あ、そうだ! 動画のね、『笑顔でごまかさない』とか『なんにも怖くない』とか言うところで、パンパンパンって平手打ちをするような振り付けがあるんですけれど、そこ必見ですよ!」
「もういいですか?」
「いえ、あと一言だけ言わせて。そのブログの方が書いていましたが、三曲連続でオリコン一位を取る前から、本当のファンはずっとファンをやっていた、十六年間、ファンをつづけてきた、と言うんですね。ひとときより人気がなくなろうと、スキャンダルがあろうと、ずっとファンをつづけてきたからこそ、今のモー娘をたのしめるんだ、と。ね? わたしが言う資格はないんですが、リスナーのみなさんも、なにか好きなものがあったら、ずっとそれを応援しつづけてあげてください。ガイドブックに載ったレストランからレストランを渡り歩くような、そんなお客さんになるんじゃなくて、ひとつの店にずっと長いあいだ通いつづけるような、そういう常連になってあげてください。今回のモーニング娘の快挙で、こういうことを思った次第です」
「お知らせ行きます。あー長かった」

突然ですが、110番通報を受けて、警察官が現場に到着するまでの時間は、全国平均で7分2秒だそうです。
あなたの道具は、早い”仕事”を助けてくれますか?

”仕事”の道具には、やっぱり石川屋!

泥「『ハナ金、朝七時、快適泥棒生活!』、この番組は8107kHz、DRB ラジオがお送りしています」
藤「さあ泥田さん、お便りが来ています」
「はい、なんでしょう?」
「夜のたい焼きくんさんからのお便りです。【泥田さん、藤さん、おはようございます、】」
「はい、おはようございます」
「【さっそくですが、ぼくは、子門真人さんのモノマネで『およげたいやきくん』が唄えます。おふたりにも、そのやり方をお教えしますね】、ということなんですけれども」
「いや、いいですよ。別にわたしは子門真人さんのモノマネしたくないもの」
「いやあ、そう言わずに。つづきを読みますね、【それは、ひとフレーズごとの最後の言葉を、『ドウ!』にすることです。ぜひ、お試し下さい!】とのことです」
「語尾を『ドウ!』、よくわからないですね」
「ほら、P が唄ってみろって言ってますよ」
「はいはい、じゃあやってみます」

まいにち まいにち ぼくらは てっぱんドウ!
うえでやかれて いやになっちゃうドウ!
あるあさ ぼくは みせのおじさんドウ!
けんかして うみに にげこんだのドウ!

藤「ああ、ほんとだ。ちょっとそれっぽく聞こえますね」
泥「最後おかしいでしょ」

セコムもアルソックも怖くない。でも、鍵は開けられない。そんなときは、ありませんか?
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ぜひ、お近くのモデルハウスまで、お越しください。
鍵のことなら、トゥエンティー・フェイス。

藤「ホッツェンプロッツ・グループのお送りする『今週のテレビドラマ』です」
泥「はい。今週は日曜日に『半沢直樹』が終了し、そして、明日土曜日には、朝ドラの『あまちゃん』が最終回を迎えるという、なんとも記念的な週となりました」
「寂しいですねえ」
「ここで、お便りをお読みします。花梨さんからですね、【ときどき、聴いています】とのことです。ありがとうございます。【このあいだの『半沢直樹』観ました。ドラマを観ていて、演技の凄さによってドラマに引き込まれてしまい、そのままドラマの向こうへ飛び出してしまいました】とのことです。メッセージ、ありがとうございます。ああ、そうですねえ。あの演技はすごかったですねえ。わたしも、何度か番組内で申し上げてきましたが、第二部から観だしたので、それほど詳しいことは言えません。けれども、ずっとマンガ的だなあと思って観ていました。話はけっこう複雑なはずなんですけれどわかりやすい演出にしていて、心の機微をさらっと描くというよりは、『ほれほれ見てみい、わしゃ怒っとるんやで!』みたいな、そういうお芝居をやっていましたね。それが、あの最終回で、ひとつ突き抜けてしまった、という感があります。たとえマンガ的つくりでも、マンガ的表現を極めればきっちり感動させられるんだと、そう言っているくらいに香川さんの演技にはものすごいものがありましたね。森田さんも、わたしは昔からのファンですから、スポットライトがあたって嬉しいです」
「わたしも、たのしみました」
「で、『あまちゃん』ですが、これもきのう、おととい、かな? 鈴鹿ひろ美の歌がよかったですね。つまり薬師丸さんですけれど。薬師丸さんは歌がお上手で、というか、もう声が本当にきれいですね。小泉さんはハスキーというよりは、あまりきれいなお声をしていませんが、薬師丸さんのお声はほんとに聴いていてうわあと思ってしまう。それが、ついにあの『潮騒のメモリー』を唄うわけです。それだけでも、感動ものなのに、なんですか、あの『三途の川のマーメイド』を『三代前からマーメイド』ですか、うまーく替えてきて、あれですね、みなさん憶えてますか? 脚本家の宮藤さんは、あの曲の歌詞を五分で書いたって言ってたんですよ。んなわけないですよね。ま、そんなことはじめから信じていませんでしたが、あそこの替えたところで、これまでずっと観てきた人たちは、みんなゾワゾワっとしたんじゃないでしょうか。あれが、脚本の一番の見せ所ですからね。ずっと文句を言ってきた私も、拍手せざるを得なかった」
「すごいよかったですぅ」
「よかったですぅ、はいいんですよ。それはもう、どこへ言っても『感動しました!』ってのは聞けます、ね? でも、この番組ではあえて言いますよ。これから、あと二十分くらいすれば今日の回が始まって、それから明日で最終回です。もう、だいたいのところは出尽くしたと思います。もう、大きな事件はないでしょう。小野寺ちゃんの悪巧みはなかったし、夏ばあさんの急死もなかった。ね?」
「泥田さん、めちゃくちゃ鼻の穴ふくらませて、自信ありげに断言してましたからね」
「それについても言いたいことはあるけれど、ちょっとモー娘で時間が押してしまったんでかいつまんで話しますが、大吉さんも結婚して、三組が合同結婚をやって、大団円って感じですよね。震災の描写について、わたしもちょっと厳しいことを言いました。いまでもあまり考えは変わっていません。でも、脚本家の宮藤さんはこう言っています。過去のインタビューなんですが、『当初は、フィクションの中に“震災”を入れるのに抵抗があった。ただ、それを入れないのはうそだとも思った』って言うんです。そしてもともと、『震災があったから東北を舞台にしようと思ったのではない』ということも発言しています。それを踏まえても、わたしはずっとこのドラマを苛々しながら観ていました。具体的には能年さんのアキちゃんですね。もう、あの子がイヤでイヤで。彼女が、小池徹平さんのヒロシに、成長について語る場面がありましたが、『おまえが言うな』って思っていました。でも、その一方で、夏さん、つまり宮本信子さんや、薬師丸ひろ子さんのキャラクターが愛すべきものに感じていて、彼女たちが出てくると、やっぱり観てしまう。はじめの頃に言いましたが、わたしは、アキちゃんの世代じゃなくて、春子たち、つまり小泉今日子さんの世代として、物語を観ているんですよね。春子は、東京へ行って社長になり、スーツで身を固めるようになってから、典型的すぎるキャラクターに固定してしまい、ちょっと魅力を失いましたが、でも、ここ数日のウェディング姿のまま夏さんを見つめるところとかは、やっぱり春子なんだよなあ、と感じ、夏さんは夏さんで、鈴鹿ひろ美と話しているときに、『おらの人生、大逆転』と言ったときに、もうここでエンドロール出していいよって思ってしまったんですけれど、つまり、アキやユイたちが苦悩したりたのしんだりしていることに対しては、まったく関心の動かなかったわたしでも、比較的同世代といえる春子、鈴鹿ひろ美、そしてその上の夏さんに対してはそれなりの感慨を抱いているんです」
「じゃあ、感動したってことなんですね?」
「そこが難しい。終わりよければすべてよし! であれば、どんなにいいだろうか、と思うんですけれど、やっぱりその途中で感じた意地悪な設定や描写には、やっぱりわたしには許せないものがある。『みんなハッピーエンドだからいいよね?』という脚本家の意思に、まんまと乗せられてたまるかよ、と思っているんです。『親の総取り』には絶対にさせたくない。たとえば、ひとつ。鈴鹿ひろ美の歌は素晴らしかったのに、そこで春子と太巻で、実は鈴鹿ひろ美はもともと歌がうまかったんじゃないか、みたいなことを匂わせるところがありましたが、あそこは本当に蛇足になってしまったと思います。なんでだろう、時間を伸ばして、なおかつ物語の解釈に幅を持たせたかったのかなあ。でも、必要とはぜんぜん思えなかった。単に、春子さんに「きっちりと本番に仕上げてくるなんて」という意味を込めて『プロだわ』と言わせるだけでよかったように思います」
「じゃあ、結局どういう評価なんでしょうか、泥田さんにとって?」
「うん、ですから結局の感想としては『ちりとてちん』と似ているのかな、と。ね? ヒロインはもう顔も見たくないほど嫌い。でも、個々の脇役については愛すべき感情も湧いた、と。まあ、そんなもんでいいのかな、朝ドラは……っていう、そういう評価です」
「はあ」
「もうちょっとつけくわえると、わたしは、『半沢直樹』の最終回を頂点とする大和田常務の演技のような、ああいう演技が始めから終わりまでずっとつづくようなドラマを観たいんです。それこそ、脚本にしても演出にしてもどこも欠点がなく、役者が役者のよろこびを感じながら、視聴率がどうとか人気が出ているとかそういうことを気にせずに、ただ演技することのみによろこびを感じ、またそれを感じさせるような場をつくるスタッフたちに囲まれながら撮影が進行するという、そういうドラマが観たい。わたしは、かつて何回かそういうものを観たことがあるし、それを基準として考えているところがあるので、どうしたって手放しでの拍手というわけにはいけないのです」
「そうですか、泥田さんは気に入らなかったみたいですが、わたしは、毎朝の『あまちゃん』をたのしみにしていました。以上、『今週のテレビドラマ』のコーナーでした」

盗難失敗保険なら、世界的グループのホッツェンプロッツ・グループへ。
計画の段階から親身になってお手伝いいたします。
万が一に失敗された場合には、正社員のスタッフが二十四時間対応。
2012年に行われたアンケートでも、実に98% のお客様が「対応に満足した」という回答をされています。

さあ、いますぐお見積りのお電話を。ホッツェンプロッツ・グループです。

藤「この番組は、8107kHz、DRB ラジオがお送りしております」
泥「はい、『今週の言葉』のコーナーです。このあいだ、文化庁だったかな、言葉の使用法についてアンケートをしたというのがあって、それがけっこう話題になっていたのですが、わたしは『流れに棹さす』という言葉を誤用していたということに気づいたんです。正しくは、『流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進行する』ということのようなんですが、わたしは反対だと思っていた。で、なんで悪いイメージを持っていたのかなと思うと、やっぱりというか、漱石の文章が思い浮かぶんです」

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

泥「ご存知のように『草枕』の冒頭ですが、これによって、なんとなく『棹をさす』とよくないことが起こるぞ、というイメージ、あくまでもイメージですよ、それがわたしの中で定着してしまったんだろうな、と」
「なるほど、いいわけですね」
「まあ、いいわけなんだけどね。それで、その『棹』で、自由律俳句をひとつ」
「どうぞ」

棹さして 月のただ中  荻原井泉水

泥「『せいせんすい』は、『井戸』の『井』に、『泉』に『水』で、『せいせんすい』。いいでしょう? 十二文字ですから、通常より下五がない感じなのかな。でも、ちっとももの足りない感じがない。これですべて満ち足りている、という感じがある。あくまでも言葉の数が満ち足りているってことですよ」
藤「静かな情景が浮かびますね」
「そうですね。せいぜい音があっても、棹を水面にさす、ちゃぽん、とかそれくらいかな。水面にも大きく月が映っていると思うな、わたしは。この句、どこで知ったのか忘れてしまったけれど、これによって自由律俳句も、それまでわたしは自由律っていうのはあまり好きじゃなかったんだけれど、一気に好きになってしまったという、そういう句なんですが、今日は時間がないそうなので、ここまで」
「モー娘が長かったんです」

”仕事”の前には、DRB ラジオ、”仕事”の後にも、DRB ラジオ、でも、”仕事”の最中だけは、聴かないでね。
塀の中では聴けません。わたしたちは、8107kHz、DRB ラジオです。

藤「さて、今週もお時間があとわづかになってしまいました」
泥「はい、すみません」
「今日のメッセージテーマは、『あなたが後悔をしたときは、どんな感じ?』でした。たくさんメッセージが来ています」
「はい、どうぞ」
「ラジオネーム、イダタツオさんからのメールです。【泥田さん、藤さん、おはようございます。先日のことですが、ぼくが”仕事”でよそのお宅にあがっていると、そこで碁を打つ音が聞えてくるんです。ぼくは無類の碁好きで、もう碁となると、目がない。矢も盾もたまらず、廊下から障子に穴を開けて見ていたのですが、やがて勝負が膠着状態になったところで、『ああ、もうじれったい! ここはこう打ちなさいよ』と飛び出してしまったんです】」
「ほう、そりゃまた、なんということを」
「【それでも、その碁を打っているふたりも、生半な碁打ちじゃありません。ぼくが闖入者だということに気づかずに、もう夢中なまま。盤面から顔を上げないで、ぼくにあれこれと訊くんですが、全然耳に入っていないんですね。そこでぼくも帰ればいいものを、その碁が気になってその場を離れられない。『そこにいてもいいから黙っておいてくれよ』と言われて、もう必死の思いで口を出さないようにしながら、そのふたりとおしゃべりしていて、相手が一心不乱のまま、『またちょくちょくおいで』と言ったところで、さすがにぼくも我に返り、『うわ、これはまずい』と、急いで逃げ帰ったのですが、家に帰ってきてから、お宝を入れた風呂敷を全部置き忘れてきたことを思い出して、後悔しました】ということです」
「ああ、これは『碁泥』ですね」
「ごどろ?」
「そういう落語があるんです」
「はあ。つづいて、ラジオネーム、タツオイダさんからのメールです。【わたしの後悔したのは、あるところへ押し入ったら、そこのうちにはなにもなくて、壁の周りに絵を描いてあるだけでした、】」
「ああ、それは『書割盗人』ですね。『だくだく』とも言いますが、最後まで読まなくていいです。サゲ知っているから。『刺された、つもりー!』です」
「はあ」
「つぎお願いします」
「ラジオネームIT さんからのメールです。【ぼくはまだ新米なんですが、”仕事”に入った場所が、ほんと、なんにもなかったんです】」
「ほんと? 箪笥とか屏風が壁に描いてあるんじゃないの?」
「【いや、そんなのは描いていないです】」
「なんで会話できるんだよ」
「だって、そう書いてあるんです。【冗談はともかく、これはさっきの『書割盗人』とは違うオチです】」
「はじめっからネタだって白状しているんじゃないか、こいつ」
「【ところが、そこでもたもたしているうちに、なにも盗らないうちにそこの主人がやってきて、】」
「わかった! サゲは『裏は花色木綿』だろ? 『花色木綿』だよ」
「さっきからなんなんですか?」
「あのね、これはふざけてメッセージを送られているんですね、きっと。落語には泥棒を扱った噺がいくつかあって、そうそう、笑福亭三喬師匠という、あの先日亡くなられた笑福亭松喬師匠のお弟子さんなんですが、この方が泥棒噺が得意だということをテレビで観ました。いっぺんわたしも観に行きたいものですが、とにかくまあ、そういう泥棒噺をネタにしてこういうメッセージを送ってきたのでしょう」 
「よくわかりませんが、そうなんですね……それでは、これはどうでしょう? うん、時間的にこれが本日最後のメッセージになりそうですね」
「どうぞ」
「ラジオネームは、怒りの東堂さんからです。【おはようございます。僕が『公開』を押したときは、】、あのですね、この方、『後ろ』を『悔いる』の『後悔』じゃなくて、『公』に『開く』の『公開』を書いています。【僕が『公開』を押したときは、たいていうんざりして疲れていることが多いです。ちょっとした駄洒落のネタを書くのに、そうだラジオ形式にしたら面白いよな、なんてことを思いつき、あれもこれも、とつけ加えていくうちに、めちゃくちゃ長くなってしまって、もう、プレビューして推敲するのも面倒だって思っています。早く『公開』を押して、ラクになりたいです】とのことです」
「うん? なんのことだ? なにかこの人、勘違いしていない?」
「あ、もう時間がないです」
「ええと……今朝の『カイドロ』はここまで。この番組は8107kHz、DRB ラジオがお送りしました。また来週、お耳にかかりまーす」
「さようならー」

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外国の映画なんかで、少年が言い間違いをして訂正されたとき、彼が照れ隠しで言い返す台詞はだいたいふた通り。
「そう言ったろ?」
「そうとも言うさ!」


いや、上記は全然関係ないんだけど、急に思い出したので。

逃避先としてあらたに立ち上げたこのブログだが、いつの間にか読者(?)が二桁になっていたので、前から気になっていた「読者登録ボタン」をなくしてみた。
管理画面から「デザイン」→「カスタマイズ」→「サイドバー」→「プロフィール」の「編集」を選ぶと、別ウィンドウが立ち上がって、その一番下で、「読者になるボタン」を表示するか否かが、チェックボックスで選択できるようになっている。

たいていは、プロフィールアイコンの下に、「読者になる」とか「購読中です」とあって、それと一緒にいまこのブログに何人の読者がいるのか、が数字で表示される。
それが、僕のブログではまったく表示されなくなった。これだけでもある種の「特権*1」から開放された気がして、スッキリした。
ただ、ブクマと同じ*2で、当該ボタンがなくても読者登録することはできる。
ただ、そのやり方はここには書かない。知っている人にとっては「なあんだ、そんなの百年前から知ってるよ」ってくらいに簡単なことだし、知らない人にとっては、なかなか見つからないかも。
あ。でも、このやり方がわからないと、「読者をやめる」こともできないんだよな。
もし、間違って読者登録してしまったので解除したいという方はコメント欄にどうぞ。やり方を教えます。


で。
ワタクシ、はてなから給料をもらっているわけでもないのに、現在のはてなブログで「ウケのよさそうな新機能」を考えついてしまったわけでございます。で、人によっては「余計なことを!」と思われること必至なそれを、よせばいいのにここに書いてしまうわけです。
それは、「『読者登録』のお気に入り」機能! じゃじゃじゃーん! 
つまり。今現在は、個々のブログについてそれを読者登録しているユーザーを閲覧できるわけだけど、その反対はできない(たぶんね)。
この「お気に入り機能」を利用すれば、個々のユーザーについて、彼ら/彼女らが読者登録しているブログを一覧でき、それを一括して自分も登録できる、というのを考えた。自分で書いていてなんだが、この機能はものすごーくイヤだぞ!

思うに、最近のはてなブログはソーシャル化を目指しているのではないか、という気がする。もともとブログにはトラックバックやコメント欄でのつながりなどがあったのだけれど、それにくわえて、ブロググループを作ったりして、「ぼくたち/わたしたちは、いっしょにブログを書いているんだよね感」が強まるようになっているんじゃないか。実感としてどうなのかは知らないけれど。
あるいは、はてなブログのポータルサイトでは、人気エントリーだとかおすすめブログだとか旬のトピックだとか今週のお題だとかがあって、まあいろいろと力を入れているようではある。んだども、オラにゃこの違いが全然わかんねーんだが、オラの頭が悪いせいだろか?
マジメにいうと、僕がなぜか「おすすめブログ」にしばらくのあいだリストされていた、ということは何回か書いてきたが、あれは、ブログの更新意欲を高めるためのはてなからのボーナスみたいなものだったんじゃないか、と実は思っている。通常想定しうる選択基準にはどう考えても合致しなかった*3ので、おそらくれっきとしたアルゴリズム(?)によるものではなく、マニュアルでかなり恣意的に選ばれたものだと思っている。僕が考えた条件は、ルーキー(ブログをはじめて半年以内、とか)で、(きなこさんがご指摘されたように)更新頻度の高いブログをはてながチョイスし、「ほれ、オメもずぃーぶんとガンバってるみてーだから、『おすすめ』に入れておいてやったから、な? ほうれ、店長さのブログだとかよ、それらベテランらのブログと一緒に並ぶのも、嬉しかんべ? オメらも、しょーじんするこった。んだば!」という意図で、載せたと思っている。

話を戻すと、「読者登録」をお気に入りできたら、一部のアクセスくれくれユーザーは大いに盛り上がるだろうね。だって、いろいろと探す手間が減るもん。これまでは、そういうものは個々のつながりの中にしかなく、可視化されていなかった。
このあいだ、ある方のブログのコメント欄で「あなたもここに?」「ほう、あなたもですか?」みたいなやりとり(実際にはこんなふうじゃなかったけれど)を見る機会があって、なんだかそういう偶発的な出会い(他人同士のものではあったが)に、ああいいもんだなあと思った。しかし、「お気に入り機能」を実装してしまえば、そういうコミュニケーション・関係性の流れがプロフィール欄あたりで一気に可視化できてしまうし、そういうつながりが見えるのってなんだかいかにもソーシャルっぽいんだけど、一言でいうと、野暮ったいわな。
僕は合コンというものに参加したことがない。「特に誘われなかった」というのが参加しなかった理由の約九割を占めるんだけど、残り一割として、なんだか許しがたい野暮ったさを感じるという理由もあった。「女の子と知り合いになりたいという思いはあるけれど(ほんとは特にないんだけれど)、それをそんなに直接的なやり方で実現させようと思うか?」っていう葛藤が僕の中にあって、いや、ほんとは葛藤なんて全然なくて「ばからしい」の一言で片付けていたんだけど、いちおう、「合コン楽しい!」みたいな信仰をお持ちの方々のお気持ちも忖度してみたの。
「ああ、こんなところで出会いましたね」というのと、合コンでのいわば仕組んだ出会いと、そのどちらが好きかって言うと、僕はだんぜん前者なのであって、それが上に書いた「野暮ったさ」のすべて。特に理解・共感してもらおうとも思わない。
僕は、そういうべたべたのつながりの中で書いている、という実感を持ちたいのでは決してなく、そういう喧騒から離れた、たとえるなら別の惑星でひとり書いていると感じていたい。
このあいだたまたま聴いた桂枝雀新作落語『夢たまご』の中で、主人公が部屋の中で酒を飲みながら、外から聞えてくる遠い盆踊りのお囃子や太鼓の音に耳を傾けてつぶやく台詞が、偶然にも僕の気持ちを代弁しているように思えた。

わい、どういうもんか、なんでもそうやけど、盆踊りでもそうや、その輪のなか入ってわーわーいうて騷ぐのよりも、こうして遠くの方で、音聴いて、みな向こうでええあんばいに騒いどんねんやろなあ、と思うのが性に合(お)うたある

この噺は描写が見事なんだけれど、特にこのシチュエーションにおけるこの台詞には鳥肌が立った。これは枝雀の気持ちそのままなのだろうなあ。僕が枝雀という落語家に、ものすごいシンパシーを感じてしまうのは、おそらくこういう枝雀自身が剥き出しになってしまっている部分に、傍から見れば気持ち悪いほどの「共鳴」を覚えてしまうためだと思う。

とりあえず、上に書いたのはすべて僕の妄想なのであって、そんな新機能は実装されないとは思う。でも、最近のノリを見るに、ちっと心配にはなります。
んだば!

*1:束縛、ではない。読者数の多さが自分の意見の正しさであるかのように錯誤してしまう、そういう意図しない特権のこと。

*2:はてブについては、chrome 拡張などを利用して、ブラウザ上でブクマをつけることが可能だし、コメントも閲覧できる。なお、そのコメントを非表示にすることはできるはずだ。

*3:前のブログに較べて、スター数、ブクマ数、読者数、アクセス数のいづれもが、少ないにもかかわらず、当ブログはリストされ、前ブログは一度もリストされなかった(たぶん)。

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きのうのNHK で、「言葉の誤用」についてのニュースがあった。

いわく、「噴飯もの」という言葉を誤って使用している人が、正しく使用している人より多かった、と。
これはおそらく「噴」を「憤」と勘違いしてからのことだと思う。ということは、会話からではなく文字から知った、ということになる。

僕の考えとしては、たとえ「誤用」でも、大衆性を得てある程度の年月の試錬を経ればそれもまた「正しい使い方」のひとつにはなるだろうし、それは仕方のないことだと思っている。僕自身、すべて「正しい言葉」を遣えているとは思えない。

インターネット上では「性癖」を「性的嗜好」の意味で使用している人間が多い。最初それを見たときは、冗談かと思ったが、冗談のつもりじゃないということがわかり、それこそ噴飯ものだった。いや、すごく大きな視点でいえば「性的嗜好」も「性癖」に含まれる……って言えないな! 趣味嗜好は「癖」じゃないしな。
ネット上では意図的なもの・無意識なものにかかわらず、誤用が溢れかえっているので、「言葉を見聞きする場はほとんどネット」というユーザーであれば、誤用を訂正できる機会は少ない。
それを回避するには、やっぱり自分よりボキャブラリーレベルが上にある人と会話したり、あるいは本を読んだりするのがいいと思う。
僕は小学生の頃に、吉川英治三国志にハマったので、たぶん平均的な小学生よりは言葉を知っていた。このあいだ、新潮文庫で出ていた装幀が現代的な吉川三国志をぱらぱらとめくってみたが、最初の章あたりでいきなり「剣を佩く」という表現があって、「ああ、そうそう。そうだよなあ。剣は、『腰に下げる』んじゃなくて、『佩く』なんだよなあ」と懐かしく思った*1
そんなふうに偉そうに書いている僕だが、冒頭リンク先の中にあった「流れに棹さす」を誤解して憶えていた。反対の意味で記憶していたようである。

「噴飯もの」という言葉については、父の口から聞かされたように思う。テレビ番組を観ていて、「なんだこりゃ、フンパンモノだぜ」と言っていたのを隣で聴いていた気がする。
そんな父はいま、SNS 上でのやりとりで「ちょっと何言ってるか分からない(サンドウィッチマン)」と「イナメナイヨネ(あまちゃんの太巻*2)」を多用する六十六歳です。

蛇足だが、Google で「FUNPAN」を検索したら、ふんどし風パンツの商品説明が出てきた。

*1:もちろん、「腰に下げる」でも正しい。

*2:実はこれ、今日はじめて元ネタに気づいた。お盆の帰省時に録り溜めしていたものを、もう最終回が近いということで四日分をまとめて観た中に、この台詞があった。

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おもろかった。
演技の面白さで言うと、一も二もなく香川照之に尽きる。圧巻。
それまで香川は、他人を見下すような傲岸な人間を演じていて、堺(半沢)たちをずっと小馬鹿にしたような態度をとっていた。
どこだったかで、堺が「(あんたに目にものを見せてやるから、の意で)たのしみにしてください!」と言ったところへ、一拍ほど間を空けて、さも事もなげにぼそっと「……うん、たのしみにしてる」と返していたシーンの、文字通り役者の違いを見せつけた部分で、うわあすごいなあと感心したものだった。

それが、最後の最後の取締役会でのシーン。堺の追及がいよいよ厳しくなってくると、それまでの乙に澄ましていた香川の態度が段々と変貌し、上等のスーツに包まれた「エリート銀行員」(原作っぽく言うと、「エリートバンカー」か)の中から、凶暴な本性が徐々に顕れてくるところなんか、本当に目が離せなかった。ああいう人間に恫喝されれば、僕なんか動けなくなってしまうだろうと思った。
半沢の詮索をごまかすように鼻をかいてそっぽを向いたり、あるいは画面に映るか映らないかのところで細かく貧乏ゆすりをしたり、そうやってついに激昂して立ち上がっても、台詞のところどころに丁寧語が入っているところ*1などが、いかにもそれらしいという感じで、観ていて鳥肌が立った。怒髪天を衝くという調子で、「調子に乗るな、半沢ァーっ!」と大喝するところなんか、唇が三角形になっていた。あれは歌舞伎の型かなにかであるのだろうか。怒りのためにあまりにも口を真一文字に開くせいで、上唇中央の一番ふっくらとした部分が前歯に押し当てられ、べったりと伸びきっていた。なにを言っているかわからないだろうが、あんな唇なんてはじめて観た……と思っていたら、堺も同じような唇になっていた。

その堺の「笑い」の演技なのだが、好みが分かれるところだと思う。僕としてはあまり好きな役者じゃないので、げらげら観て笑っていただけだったが、この記事を書くために当該シーンを再見したら、説明台詞(しかも情報を詰め込んでいるからかなり早口)を滑舌よく行っているために、僕の耳にあまり入ってこないのだろうと思った。しかも僕は、堺の視線の先にある香川の一挙手一投足に目が釘付けになっていた、ということもある。公平に見れば、堺はよく演じていた、といえるんじゃないかな(かなり偉そうな評価だけど)。

北大路欣也(頭取)は、特別大きな仕事はしていない。片岡愛之助は、まあイロモノ。上戸彩は、演技うんぬんの前に年齢が合っていないよ。森田順平は迫力があってよかったな。金八好きとしては、嬉しいですよ。このまえ書いたかもしれないけど、ミッチーに長台詞はやらせないであげて。

あと、北大路の香川への処分が、たしか原作と違ったように記憶しているけれど、どうだったっけ? 半沢への処分は原作通り(ただし、頭取は絡まないはず)で、あの突き放すような演出は、僕は好み。ああいうふうにやられると、やっぱりつづきが気になるもんねえ。
あと、香川の演じた大和田という役なんだが、僕は上で「凶暴な本性」と書いたが、あくまで凶暴なだけで、銀行の中ではわりと認められる人物なんじゃないかと思ったし、ドラマでもそういう描き方をしていた。となると、最終回に限っていえば、あの物語は大和田のものだったんじゃないか、と思えてくるんだよなあ。あの咆哮しながらの「熱湯土下座」のシーンの長い映し方は、まるで主役のそれという感じだったし、きっと作られるであろう続編でも、彼は登場するんじゃないか、と期待する(原作はどうなっているのか知らないけれど)。

*1:ただ、この部分は脚本の功だろう。

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奈良旅行でけっこう写真を撮った。といってもほとんどが、動物。こんなのとか。

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ここは、崇神天皇陵近くのなんとかセンターの敷地内。この野良はずいぶんと毛並みがよく、人間にある程度の距離まで近づいてくるのだが、こちらが触ろうとすると逃げてしまう。

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この日はたいへん天気がよかったので、古墳のぐるりをすたすたと歩き、あちこちに咲いている彼岸花の茎の太さを、地元のそれと思い較べたりしていた。

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意味のわからない「おすすめブログ」への掲載、という軽いイジメを撥ね退けて頑張っていたおかげで、掲載されなくなりましたよ。ああよかった。

というのも、ふたつの意味で、あそこへの掲載は「効果なし」だと思っている。ひとつは、「アクセスをもっと増やしたい、読者をもっと増やしたい人」にとっては、それほど効果はない、ということで、もうひとつは、「不用意に拡散されたくない人」にとっては、「望まない拡散」の可能性を生じさせるということ。

前者の「それほど」については、それぞれの個人差というか希望の差があると思うから一概には言えないし、一概に言えないのなら語るのも面倒になるので、語るまい*1
僕は後者に含まれるので、「なんでそんなことすんだよ」という思いが強かった。というのも、あそこからのアクセスって、ほとんどがはてなユーザーであって、はてなユーザーは、他のはてなユーザーに対してある程度の心的障壁(いわゆる「ハードル」というやつ)の低さを感じているところがあるから、なんらかのコミュニケーションを持ち込まれるおそれが、僕にはある。ブクマも含めての話。

「なんらかのコミュニケーションを持ち込まれる」とは、ひどい書きようかもしれないが、でも、自分が望まない種類のコミュニケーションって、得てしてそういうものだと思う。批難、中傷、それからピントはずれの賛同や、あげくの果てには宣伝など、自分の望まないコミュニケーションはあまりにも多すぎる。「公開設定」をしている人間は、それらすべてを受け止めるべきだって? クソを抱いて寝てろって感じだ。
どうしようもないコミュニケーションの仕方をするやつって実社会にもいるから、ネットに存在していてもまったく不思議はない*2。けれども、そういうものをうまく排除できる仕組みがなきゃだめだってことなんだ。

前にも書いたけれど、二日半、ネットがつかえなかったときって結構たのしかったんだよなあ。僕が自分のことばかりを考えている人間のせいかもしれないけれど、でも、それが本質なんだと思う。文章を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を作ったり、という行為のほとんどは、自分を動かすためにやっているのだ。それがたまたま他人を動かすことがあったとしても、本質は変わらない。いや、それは僕の本質なのであって、一般に敷衍させることはできないのか。
ともかく、自身がたのしむためにやっている行為について、他人がそこに容喙するということの意味をもうちょっと個々が考えるべきだと思う。そうすれば、恥ずかしくって偉そうなコメントなんてできないと思うんだけどな。

ここ数日は、いかに人が見に来ないようなタイトルをつけるか、ということに苦心していたのだが、まったくもって不毛だ。自意識過剰なんだけれど、でもそういう自意識があるからこそ文章を書いているのであって。むしゃくしゃするので、花でも抱いて寝ることにする。

*1:でもちょっとだけ語ると、ブログをはじめたばっかりの人が自分以外の誰かに見てもらうというためには、いい機会ではあると思う。

*2:で、おそらく上のような「発信者はすべて責任を負うべき論」を語るやつも、実社会で「どうしようもないやつ」扱いされていると思う。

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昨晩は、中秋の名月ということで、というわけではないのだけれど、たまたま奈良は奈良市の猿沢池にいた。なんていうと、僕がものすごく奈良に詳しい人間みたいに思われるかもしれないけれど、全然そんなことはなく、今回はじめて知った。興福寺の五重の塔の近くの池。
なんでも、この日は采女祭(うねめまつり)が行われるということで、この猿沢池に舟を浮かべ、平安貴族の恰好をした人たちが乗り、笛を吹いたりするらしい。
「らしい」というのは、僕はその時間をうっかり間違えて見ることができなかったのだ。見られなかったものの、いちおう詠んではおく。

名月や 猿沢池に舟浮かべ

池の周りには多くの人たちがまだ残っていた。夜店も、残りがあるところは最後まで売り切ろうと頑張っていたし、早々と撤収に取りかかる人たちもいた。お客さんの方は、集まっている半分くらいがやはり若い人たちで、おそらく十代。なんかいいね、あの「用はもうないんだけれども、なんだか残ってしまって異性とのトキメキを期待している」感というものは。おっさんの僕にですら、そういう男子女子の別を問わない「若きドキドキ」が伝わってきてしまったので、たのしくて仕方なかった。夜の暗さと、参加者の秘めた昂奮とのおかげで、みんなの顔が通常の二倍くらいは魅力的に見えたのではないだろうか(元を知らないけれど)。間違っても、ああいう祭りで恋人を作らない方がいいと思ったね、おじさんは。

名月や 声のうるさき中学生
首長し 采女祭りの女子高生

大きな階段をのぼると、五重の塔に近づく。今日は「名月」ということで、大撮影大会といわんばかりにカメラマンたち(主に年輩者)が一斉に腕を振るっている。三脚を立て、五重の塔のちょうど右肩に上がった月を撮影しているのである。
でも、いくら満月とはいえ、暗いところで写真を撮るっていうのはなかなか難しいよね。近頃じゃISO を相当高く設定できるカメラもあるみたいだけれど、一般的なユーザーとしてはそんなの無理無理。僕なんかハナから撮影なんて諦めて、宿にカメラを置きっぱなしにしていた。
スマホユーザーたち(主に若人)は、スマホを掲げて撮影していて、たぶんそれなりに映るのだろう。ま、概ね、みんななにがしかの機器を介して記念的な望月をとらえていたわけだ。
徒手空拳の僕は、満月の明かりでメモ帳を必死に覗きこんでいた。暗くてよく見えなかったけれど、なぜか次々と思いつく五七五を書き込んでいた。いや、その理由は本当は知っている。上五はすべて「名月や」にしようと決めていたのだ。

名月や 五重の塔と鹿の糞(ふん)

ほら、俳句なら、写真には映らない足元や、それと(もし伝わるのなら)匂いまで残すことができる。五重の塔の近くだけでなく奈良公園附近一帯に言えることだが、だいたい鹿がうろちょろしているところは、糞の臭いもなかなかに漂っている。僕は田舎暮らしを何年かしているせいで*1あまり気にならなくなった方だが、都会人の鼻だったら、ずいぶんと刺戟されるかもしれない。
でも中にはカメラをいじくるばかりじゃなく、体育ずわりをして、仲の良い人と寄りかかっている、という人たちもいた。

名月や 肩並べをりふたり組

かといって、これが男女だけとは限らず、年頃の女性ふたりということもあったし、若いお母さんがその子どもとすわって月を見上げているということもあった。おそらく、好きな人と一緒にただ見上げるというこのスタイルが、古代から今までずっとつづいてきたものなんだと思った。シンプルなんだ。
みんなが月を注視している中、肩からバッグを提げたスーツ姿の若い女性が砂利を鳴らして歩いていた。おそらく仕事帰りなのだろう。奈良の、しかも興福寺附近は特に観光地だとはいえ、たしかに普通に住んでいる人もいるのだろう。その女性は、みなの関心が頭上にあるのをふと気づいたのか、ちらと見上げたものの、すぐに前を向いて帰って行った。

名月や 仕事帰りの五重の塔

僕は、「月を見上げる余裕くらい持たなくちゃ」とは、自分に対しては思うけれど、他人に対しては思わない。そりゃ、翌日も早くから仕事のある人は、そんなことをしていられない、ということもあるだろう。
五重の塔もいつも目にしているし、月についても「ああ、いつもどおりきれいね」と思うだけ、ということもあろう。誰かにとっての非日常は、誰かにとっての日常ということはよくあることで、その彼女の冷静さが妙に心に残った。

場所を移動した。ところどころに街灯(?)があるうえに、満月のおかげで簡単に足を運べた。南円堂の辺りで左折をし、階段を下りた。

名月や 抹香臭き南円堂
名月や "FUJI"のベンチの色褪せて

実は南円堂の前にはなかったのかもしれないが、奈良のあちこちで「フジカラー」の名前が入った緑色のベンチをよく見かけた。ああそうか。ちょっと前まで(といっても、もう十年くらい前?)は「写ルンです」がよく売っていたもんだよなあ。それがいまはほとんど売れないのだろう。ひょっとしたら売ってすらいないのかもしれない。若い人たちは、「FUJI COLOR」という言葉を見てなんと思うのだろうか。「え、FUJI って、あの化粧品の?」なんて言ったりして。

三条通りをつつつと歩く。修学旅行生なんかもいるのかな、やはり学生たちが中心。二十歳くらいで、女の子ひとりと男の子ふたりなんていう気になる組み合わせを見つけたりして。女の子は、派手なところはないんだけどそこそこファンがいそうな感じ。で、それをあまり気づいていない感じ。男の子は、ふたりともおとなしめ。ああ、甘酸っぱい。

祭り跳ね 自転車で帰る警備員
祭り跳ね 春日大社で見かけた娘

観光客は、日本人だけじゃなく、外国人も多かった。中国人も多かったなあ。日本人にそっくりだし、お金持ちっぽかったのでそうだろう。英語が話せれば、話しかけたかった。「ね、奈良もいいところでしょ?(僕は奈良県民じゃないけど) とてもじゃないけれど、宿泊施設の数が日本最低クラスと思えないでしょ?」と。鹿もいるし、それに鹿だっているし、で、やっぱりなんといっても鹿がいるし、いいところだと思うんだけどなあ。

通りから裏道に入り、そして折り返す。立派な小学校が見えた。

月円(まろ)し 椿井(つばい)小学校に人はなし

向こう側から人が来る。顔も見えないし、もちろん知っているわけもないのだが、したかどうだかわからない程度に頭を下げる。

月明かし 路地裏で交はす 空会釈(からえしゃく)

こういう、妙に心の開いた行動をしてしまうのも、祭りのなせる業なのだと思う。それと気づかなかったが、僕はまだ昂奮していたのだ。
池に戻ると、ほとんどの夜店は片づけを終えていて、トラックに荷物を搬入し終えている人たちもいた。ただ、一軒だけ子どもたちと大騒ぎをしながらじゃんけんをして、勝った負けたで「おまけ」の増減をしているところがあった。

采女祭り 夜店菓子売り 拳に酔ふ

そこの主人は女性のテキ屋さん(って言い方でいいのかな?)で、本当に商売をたのしんでいるのだと感じられた。いや、どうせ商売なんだからたのしもう、と思っているのかもしれなかった。そのふたつに違いはあるのだろうか。

水面映ゆ 采女祭りの赤提灯

池のぐるりを囲むように吊られた赤い提灯は、まだ下ろされていなかった。赤の光が、池の水面に反射してきれいだった。この夏、何度か祭りの手伝いをして提灯を下ろした僕としては、ああ、だいたい何個くらいの提灯を外して、そこから電球を外してそれをまとめてダンボールに詰め、どこかの倉庫にまた一年間しまっておくのだろうなあということをぼんやりと考えていた。足元でぴちゃんという水の跳ねた音がしたので覗いてみると、亀がゆらゆらと泳いでいた。

望月や 猿沢池の亀二匹

亀にとっては、一年なんてあっという間なのかもしれない。「ゆらゆらゆら」と「甲羅干し」の組み合わせで、彼らは時を飛び跳ねている。おやすみ。


「名月」の言葉だけを頼りに短い時間で句をいくつかひねることができた。その出来はともかく、多少の酒精を交え、言葉をぶつぶつとつぶやき、そしてメモを片手にしていれば、俳句はじゅうぶん遊びになるのだ、みたいなこともメモしておいて、宿に帰った。
部屋に着くとなにやら身体が熱く、板の間で涼んでいたら、そのまま寝てしまった。きれいに整えられた寝具はずっときれいなままだった。僕の背中は、今でも痛い。

*1:鶏糞を9t ぶん畑に撒いた、という経験もあるから。

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