とはいえ、わからないでもない

2013年10月

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当地は山水を取ってきているので、二年に一回の頻度で、ムラビトみんなで近くを流れる川の上流までのぼり、大型の集水桝の周りの砂利や泥を取り除いてグレーチングを掃除し、それから元に戻すという作業をする必要があり、きのうはその二年に一度の水道掃除の日にあたっていて、「多い」というわけでもない頻度だし、これをしないとちょっと雨が降っただけで飲水が泥水になってしまうので、もちろん意欲的に参加したのはいいのですが、ジョレンやらスコップやらを使って水中にある石を取り除く作業を延々と午前中いっぱいつづけた結果、今朝からひさしぶりの筋肉痛になり、笑うと腹が痛くなってしまうため、笑うのをなるべく控えているドロです。十八時間ぶりの更新で、ご無沙汰しております(ペコリ)。


以上です。

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幽霊たち (新潮文庫)

幽霊たち (新潮文庫)

このあいだ、チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』の感想を書いたとき、オースターの『幽霊たち』の書き出しに触れた。

まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。ブラウンがブルーに仕事を教え、こつを伝授し、ブラウンが年老いたとき、ブルーがあとを継いだのだ。物語はそのようにしてはじまる。舞台はニューヨーク、時代は現代、この二点は最後まで変わらない。ブルーは毎日事務所へ行き、デスクの前に坐って、何かが起きるのを待つ。長いあいだ何も起こらない。やがてホワイトという名の男がドアを開けて入ってくる。物語はそのようにしてはじまる。

それほど読んだことがないけれど、これぞアメリカ小説という感じがする。これ以上動かしようがないという簡潔さ。すべての文章があるべきところにかっちりとはまっているという感じ。

ブルーは探偵で、その事務所にホワイトがやってきて、ブラックという男を監視してくれと依頼する。ホワイトは変装しているらしく、怪しい人物。けれどもブルーは金のために依頼を引き受ける。
物語の大方の部分でブルーは、ある建物の一室にこもっているブラックを監視している。ブルーは思索を重ねる。ブラックとは誰で、いったいなにをしているのか。ブラックはときおり外出し、ブルーもそれを追う。業を煮やしたブルーが、変装してブラックとコンタクトを図ろうとする。ホームレスを装ったブルーに、ブラックは饒舌に語る。

でもね、ホーソーンはすばらしい短編小説をいくつも書いている。百年以上経ったいまも読まれているんだ。そのうちのひとつに、ウェイクフィールドという名の男が、妻にちょっとした悪戯を仕掛ける話がある。仕事で二、三日旅行に出かけてくる、とその男は妻に言うんだが、実はどこへも行かずに、四つ角を曲がったところに部屋を借りて、ただ成行きを見守っているのさ。何でそんなことをするのか、自分でもよくわからない。でもとにかくそうしてしまうんだね。三、四日が経つ。彼はまだ家に帰る気になれず、もうしばらくその部屋にとどまることにする。何日かが何週間かに変わり、何週間かは何ヶ月かに変わる。ある日、ウェイクフィールドはかつて自分が住んでいた通りを歩いてみる。と、自分の家が喪に服しているのが目に入る。彼自身の葬式をやっているんだ。彼の妻は寂しい未亡人になってしまったわけさ。時は何年も過ぎてゆく。彼は時おり町なかで妻とすれ違うこともあるし、一度などは人混みの中ですれ違いざまに体が触れあったりもした。だが妻の方はそれが彼とは気づかない。さらに何年かが過ぎ、かれこれ二十年以上の時が経つ。ウェイクフィールドも少しずつ齢を取り、いまではすっかり老人だ。ある秋の雨の降る晩、人通りのない街を散歩しているうちに、彼はたまたまかつての自分の家の前を通りかかり、窓から中を覗いてみる。暖炉には暖かそうな火があかあかと燃えている。彼はこう思う。もしいま私があそこにいたらどんなにか素敵だろう、と。こんなふうに雨の中に立っている代わりに、炉辺の安楽椅子に腰かけていたら、とね。そういうわけで、もうそれ以上何も深く考えずに、彼は玄関前の階段をのぼり、ドアをノックする。
それで?
それだけさ。話はそこで終わっているんだ。ドアが開き、いわくありげな笑みを浮かべたウェイクフィールドが中に入っていく、それが最後の情景なんだ。
じゃその男が妻に何て言うのかわからないわけで?
そう。それでおしまいなんだ。あとは一言もなし。ただし、彼がふたたびその家に住んで、愛情深きよき夫として生涯をまっとうした、ということはわかっている。

(82p-83p)

実に印象深い話なのだが、この『幽霊たち』という小説も、この物語に非常に近い構成をとっていて、おそらくオースターは、この『ウェイクフィールド』から発想を得て『幽霊たち』を書き上げたものと思われる。

オースターのことを評して、「知的な外観を備えている」と書いた文章をどこかで見た気がする。さもありなん。
けれども、実質はどうなのか、ということが気になる。本書は86年の出版なので四半世紀が既に経過しているわけだが、上のような知的で魅力的なエピソードの部分は、今も読者を惹きつけるのだろうか。あるいは、時代遅れになってしまっているのだろうか。

僕は、すばらしい小説には再読に耐え得る力があると信じている。いくら時間が経とうと、そして何度目であろうと、読者に対してなにかを与えることのできる小説を、傑作と呼ぶことにしている(だから、トリック重視のミステリ小説には惹かれることが少ない)。
『幽霊たち』はどうだろうか。『ウェイクフィールド』以外にもエピソードはいくつかある。
オースターが原作を担当した映画『スモーク』にも登場した話。ある雪山でスキーヤーが雪崩に遭い、行方不明になった。スキーヤーには息子がいた。それから数十年が経ち、彼もスキーヤーとなっていた。彼は、それと知らずに父の遭難した雪山に行き、そこで偶然に、氷漬けになった父の死体を発見する。それは「傷ひとつない姿を保っている肉体」で、しかも今の彼よりも若かった。自分より若い父の死体を目の当たりにしたのである。

これらのエピソードは、読者になかなか忘れがたい印象を与える。しかし、いまの僕にとっては、タネのわかっているトリックのように映ってしまった。
二十代のとき、オースターの『ムーン・パレス』という小説を非常に好んでいた。初読時はもちろん、二度目でもその昂奮が減るということはなかった。しかし、三十になるかならないかくらいのときの「三度目」は、まさに幻滅の読書体験だった。ああいう体験は後にも先にもなかった。あれがために、気に入っている小説の再読をおそれるようにもなった。
これらを、「知的な外観」という言葉がよく説明してくれていると僕は感じている。知的な外観はある。知的好奇心を刺戟する登場人物たちの会話。
けれども最近の僕には、それらがファッションアクセサリーのように感じられて仕方がない。博識であることも、今や作家の魅力とは言いがたくなっている。僕らはほんのわづかな時間でWikipedia 上を行ったり来たりし、雑学的エピソードをほぼ無限に引っ張ってこられる。無機質に列挙できる類の知識は、もはやアクセサリーのひとつに過ぎなくなっている。僕らが小説の上に探すのは、インターネット上にはないものだ。それは、詩情であったり本当の哲学であったり解を持たない問いそのものなのかもしれない。オースターの小説には、さもそれらがあるようには見えるものの、実際にはないと僕は感じた。少なくともこの小説には。


ウェイクフィールドのエピソードを読んで、以前、弟の話していたことを思い出した。
ウェイクフィールドっていう短編小説を、別の作者が、奥さんの視点から書いたっていう小説があって、それを読んだよ」

ウェイクフィールド / ウェイクフィールドの妻

ウェイクフィールド / ウェイクフィールドの妻

調べてみると、もう絶版になっていた。早すぎ!
たぶん弟が持っていると思うから、今度実家に行ったときに、借りることにする。

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コメント欄で書こうと思ってもなかなか返答が難しいと思われたので、「エア」な感じの記事を。


この気持ち悪さを誰かに説明してほしい、という言葉遣いがある。
テレビの情報番組などで、ホテルやら旅館あるいはレストランなどでの食事の際、説明ナレーションの、「○○(食材や料理)は、アツアツのところをいただきます」みたいな「いただきます」の用法。

そりゃ、食べられることを感謝すれば「いただく」という言葉が自然と出てくる、というのは理解できる。この場合は謙譲語の考え方(敬意の対象は「大自然」か)だが、おそらくナレーター(というか番組制作側)にそういう気持ちはないだろう。
となると、丁寧語としての「いただく」という解釈になるのだろうが、これが僕にはピンとこない。

行動の主体が誰か、がいまいちハッキリとしないのだ。
そのナレーターが食べた、というのならわかる。なんの誰それが、「(わたしは)アツアツのところをいただきましたー」という調子であるならば。
だが、そうではない。どうやらナレーターは、「あなたがここに来て食事をしたならば、こういうふうに食べることになるでしょうよ」という意味で「いただきます」を遣っているような気がしてならない。
そしてもしそうであるならば、謙譲語にも受け取れてしまう「いただきます」を、他人に遣われたくない。「あなたがここに来て食事をしたならば、こういうふうに食べることになるでしょうよ、そのときあなたはありがたく頂戴してください、いいですかわかりましたか」みたいに聞えるのだ。
そのように曲解されたくなければ、「○○は、アツアツのところを召し上がってください(または、「お召し上がりください」)」を用いるべきであろう。

そもそも、この言い回しに腹が立つのは、テレビ局側は、しょせんホテルやら旅館あるいはレストランなどの「宣伝」に加担している、という事実があるからで、「みなさんにいい情報を提供いたしますよー」という風を装い、裏では(場合によっては)宣伝料を得ていることもあるのだ。
にもかかわらず、客となるべき視聴者に対して「いただきます」を強いるようなこの表現はおかしいと思うのだけれど、この「おかしい!」はなかなか伝わらない、という気もする。


さきほど弟に電話で確認したら、やはりこの表現は多くの情報番組でも利用されているらしい。もしかしたらどこかのディレクターか誰かが「こりゃいい表現だ」と思いつき、それをやってみたところ、「上品に聞える!」と周りからの評判もよく、それが「バカの横並び現象」的に他のテレビ局にも伝播していった、と考える方が無難かもしれない。ちょうど、住宅メーカーがどこもかしこも「○○邸」とやるのと一緒で。

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日曜、ちょっとしたイベントに顔を出した。
日頃はムラで暮らしているが、このイベントはマチのもの。ということで当然、ふだんは会わない人間と会うことになる。「ふだん会えない人間」ではなく、あくまでも「会わない人間」というところがポイント。
という意地悪なことを言っていても、話せば話したでちょっと懐かしい気分になって、親愛の情みたいなものがふつふつと沸き起こってしまうのが、僕のよくないところ。よくないわけでもないのだろうが、半日ほど経ってその場を離れてから、自身に対して「いやいや、あれはそういうもんじゃないよ」と言い聞かせ、なおも適当な距離を置きつづける、というようにしている。

田舎のムラやマチに若い人間が来ると、「特別な席」を用意されることは多いと思う。この少子化時代・地方過疎化時代にとっての希望のアイコンとなることを期待され、また、そのように振る舞うことも期待されるのだろう。
僕はそういうのは嫌いだし、ハッキリ言って地方の過疎化がどうだこうだとかについて、あまり興味を持っていない。人が少ないところが寂れていくのは当然のことだと思っているし、少なくなる理由もまたたしかにあるのだろう。だから、人がひとりふたり増えたからといって、あるいは、十人二十人増えたとして、そこが栄えるなんていう幻想は持たない方がいいと思っているし、そういう幻想をなくした方がよっぽどスッキリと暮らせることの方が多い、ということを大声で主張したい……がそんなわけにもいかず、口を出さないようにしてはいる*1
そんな僕でも、「変わり者」として生きていくのはイヤなので、ムラの常識、マチの常識になるべく沿うようには努力している。ただ、どこかで線を決めておいて、「ここまで」ということにしておかないと、自分の人生すべてを、ムラ・マチに捧げるというハメになってしまうということは充分にありえて、そこへの期待をいったん住人たちに抱かせてしまうと、それをやめたときに反撥としてものすごい失望される可能性があり、失望くらいならまだいいのだが、軽蔑されたり嘲弄されたり批難されることも、決してないことではない。僕ですら、そんな例をもう何軒か目にしている。
こう書いてもぼんやりとし過ぎているので、ひとつ具体的な例を書いておく。

今は週一で休みをとれている状態だが、何曜日という決め方をしていない。とれたらとる、というやり方。以前は、月曜日ということにしておいたのだが、それを周りにたまたま漏らすと、ムラの地域活性化ボランティアをする日が月曜日に決まり、「だって、その日は休みなんやろ?」みたいに言われたことがある。
冗談じゃない!
僕の休みは、そのじいさん・ばあさんたちの息子・娘さえも参加することもないようなボランティアをするためにあるんじゃない! でも、そういうことってなかなかわかってもらえないことが多く、主張して対立するのも面倒なので、それ以来、不定休にした。
ポイントポイントでボランティアに参加することは参加するのだが(今回のマチのイベントも、ちょっとそういうところはある)、基本的には忙しいよ、という雰囲気を漂わせる。それについて苦言を呈したムラの有力者がいたが、その人にはけっこう強い調子で言い返したことがある。いやいやいや、僕はここで生活していくために毎日仕事をしているんです。その日当を削ってなにかやれっていうのなら、いづれ生活できなくてここを出て行かなくちゃなりませんよ。
まあ強く言い過ぎたところもあるので、その後のボランティア活動的なものにも、いくぶん多めに出るようにはなったけれど、これもハッキリ言って、都会じゃ絶対にやらなくていいこと。もし、こういう「近所づきあいを超えたつきあい」を求められてもイヤではない、という人間以外は都会で暮らした方がよっぽどいいよ! ってことは口を酸っぱくして主張したい。
(註: 田舎暮らしのイヤな面ばっかりを書いているが、当然それだけじゃない。今回は書かないけれど)

話を戻すと、日曜のイベントにはいろいろな種類の人間たちが集まった。
その中で僕は、マチの有力者と思しき連中とはほとんど口を利かなかった。有力者といったって、別にヤクザじゃない。経済力だとか政治力だとかがある連中ということで、要するに、男の好きな世界だ。
若いのもいた。青年部の有名人たち。ちょっと前まで仲の良かった女の子にそういう人たちを紹介されかかったこともあるが、きちんと挨拶を交わした以外には、興味のないふり(本当に興味なかったが)をして、たぶん相手をしらけさせた。狭い場所で出会ったことをなにかの運命のように考えて仲良くなる、というのは僕の嫌いなことだった。その女の子ともちょっとしたきっかけで、つきあいをやめた。
そしてこのあいだ、違うところで知り合った夫婦が、以前はそうではなかったのに、マチの若い有名人たちとつきあいを繁くし始めたということが話のうえからなんとなく察せられ、つきあいを控えることにした。特段その夫婦が嫌いというわけではないが、このままつき合っていても、僕の得るところは特になさそうで、というより余計な関係を背負わされたらかなわないので、回避策を採った*2

みんなそうなのか、あるいは一部の人だけがそうなのかはわからないが、僕は「中心の取り方」というのはなんとなくわかっているつもりだ。「ここが入り口かな」と思われるその場所は、たいてい把握しておく。そうすることで、つまらないトラブルを避けることもできる。
中心に行こうと思えば、たいへんな苦労がある。違う言い方をすれば上昇志向だ。その競争に参加しようと思ったことはない。これはもう高校生くらいのときから決めていることで、高校はわりあいに進学校だったから、上昇志向組と、そうでない者がはっきりと分かれた。
上昇志向組の中でも、さらにトップと底辺とに分かれた。両方とも、外から見ていれば大変そうだった。トップはさらに努力を持続しなければならず、底辺の人たちは挫折感を埋めるべき代替品を探しているように見えた。僕は「周縁組」の端の端だったので、これ以上ラクなポジションはなかった。一番やっかいなジョーカーが誰よりも強い、みたいなものだった。失うものがないということはひとつの強みだった。少なくとも学生時代までは。
中心やトップを志向する原動力は、力への欲望だと思う。僕は、その高校時にたまたまそれらしいものを手をした一時期があった。それは学業と関係のないところでの話だったが、人間が集まれば関係が構築され、その中で簡単に力が生まれた。結局そのときにずいぶんと面倒なことになったので、以来、中心を回避することにした。
そこらへんから、いわゆる承認欲求もたいしてなくなったように思う。服装も、地味な色を選択するようになっていた(なにもそこまで!)。

イベントの中で、僕は生業に関わるちょっとした販売*3をやっていたのだが、隣のブースには、商店街の婦人会みたいな人たちが試食をやっていて、自然、ちょこちょこと会話を交わした。たぶん穏当な選択だったと思う。人間関係を損得で勘定してはいけないのかもしれないが、所詮すべてに線引きをしているからにはそういう目で見なければならないこともある。誰も助けてはくれない。助けるふりをして金銭以外のなにかを僕から得ようとする人はたぶん多いけれども。疑念と金なら、腐ることはないから多く抱えた方がよい。騙すより騙された方がマシとは思わない。騙さずに騙されなければよいのだ。
甘えて頼ることもなく、中心とも距離を置き、かといって離れすぎないようにして、今日も今日とて、田舎暮らしはたいへんです。

*1:これについて書き出すとものすごく話が長くなるので、別の機会に書く。基本的には、住民が死ぬときまでその生活に満足できれば(あとはどうなっても)よいではないか、という考え。

*2:なぜだか知らないが、友だちの友だちは友だちだ、の信奉者は実に多い。「いいとも」の影響?

*3:単なるボランティアなら絶対に参加しない。

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山頭火行乞記の昭和五年十月十三日の記述。

とても行乞なんて出来ないので、寝ころんで読書する、うれしい一日だった、のんきな一日だった。
一日の憂は一日にして足れり――キリストのこの言葉はありがたい。今日泊って食べるだけのゲルトさへあれば、それでよいではないか、それで安んじてゐるようでなければ行乞の旅がつづけられるものぢゃない。
苦もなく、句もなかった、銭もなく、慾もなかった。かういふ一日が、時になければやりきれない。

ゲルトは金のこと。

山頭火の日記が、この記述で終っていたのなら、とても劇的に感じられたことだろうな。
しかしその後も「行乞記」はつづき、その二日後には、出逢った「強情婆」に対して(日記の中で)「地獄行間違なし」と罵っている。

「人生は、」と語り始めると、なにやら大げさでまっとうなことを一席ぶちたくもなるが、そこで話されるそれは所詮、「そこまで生きてきた人生」でしかないし、彼/彼女が口にしているつもりの、「彼/彼女の一生」あるいは「人間個々人の一生」の意味にはならない。そこまでの感慨を得てはいまい。けれども、そんな気分にさせてしまう力があるのだ、「人生」という言葉には。
山頭火は「一日」について言っており、「人生」については(少なくともこの場では)語っていない。僕だったら、うっかり「人生」について語ってしまいそうだ。


野田秀樹がまだ夢の遊民社をやっていた頃の『贋作・桜の森の満開の下』のDVD を観たときのこと。
(僕の中で)野田の舞台ではじめて野田を圧倒した演技を見せた俳優、毬谷友子が大活躍したこの芝居のあと、打ち上げ映像も収録されていた。
そのステージは初日だったらしく、野田が芝居の衣装を着たまま化粧も落とさずに、乾杯の音頭を取っていた。ビールを飲んだんだっけ? 乾杯後、みんなでパチパチと拍手をしたところで、野田が大声で一言。「残り41ステを頑張りましょう!」(※数字適当)
その言葉に腰が抜けるような思いだった。
知っている人はわかると思うが、野田の舞台は舞台上の誰もがエキサイティングに動き、しゃべる。演じる方はもちろんだが、観る方も体力を使う*1。二時間近くを観終えて、「ふひー」と肩で息をついているところに、この「残り41ステ」発言である。ええ! これを、この人たちはあと41回演るの?
僕が「観た!」と思った芝居は、1/42でしかなかった。もちろんそれひとつで完成しているものではあるけれど、野田秀樹や遊民社の劇団員たちにとっては、この42ステージおよびそれに至るまでの稽古すべてが『贋作・桜の森の満開の下』なのである。
このことは、「人生」について「これだ!」と思う瞬間と似ているように思われる。違うんだ。僕はそのとき、「一日」について「これだ!」と思っているだけなのだ。
僕の人生は、まだ41ステ以上残っている。たぶん。一日一日をなんとかしのいでいくほかない。

*1:だからこの芝居も、DVD を持っているのに一回しか観たことがない。簡単に観られるものではないのだ。

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きのう、ゆえあって今年の夏ちょっと前くらいにつきあいをやめた人物のことを書いていて、結局それは下書きにしたままになりそうなんだけれど、そういうことについて書いているときの自分の表情っていったいどんなもんなんだろう、と思った。
マンガ家は、たのしいコマを描いているときはたのしい顔になり、哀しいコマを描いているときは哀しい顔になるそうなのだが、おそらくそのときの僕は、せつない表情でも優しい表情でも嬉しい表情でもなく、冷たい表情をしていたのだと思う。

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前の前の記事で、僕が「まさかそりゃあねえだろう」というつもりで牽制するような以下の文章を書いた。

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きちんと「センスの悪いはてな」と挑発的に書いたのだが、ふと、ダッシュボードに「新しいトピックを公開しました」の文字が。

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そしてあろうことか、僕の記事をそこにリストアップしてしていた。

また、笑えることに(ほんとうは笑っちゃいけないのだけれど)、そのすぐ上には、森田氏の業界読みを、あえて中黒点(・)を入れることによって回避していたのに、その努力も虚しく花梨さんの記事もリストアップされていたのだ!

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あのリストの切り抜き画像

後から拾われるんじゃ、たまったもんじゃないよな。好きなことをおちおち書けやしないじゃないか。
このシステムを作った人って……

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と思いました。

追記

まあ、2013/10/26 19:00時点で、かの場所からのアクセスはゼロっていう……。
つまり、アクセスされたくない人には嬉しくないし、されたい人にもあまり効果が望めないっていう……。
もういっちょ、

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と思いました。

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村上春樹ノーベル文学賞受賞を祝して、カフカ『変身』を再読してみた。

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以下に言及するのは、上記装幀の新潮文庫版。この装幀は非常にカッコイイのだが、訳に相当な問題を感じた(後述)。


今回の読書で注意したのは、偏見なしで読むこと、だった。
カフカという名前じたいがすでに象徴してしまうもの、を頭から取っ払い、まるではじめてこの小説に接するような態度で臨むことを自身に課した。
そのうえで、気づいたこと。

グレゴール・ザムザじゃなくて、グレーゴル・ザムザになっていた

これ、「なっていた」という表現が正しいのかどうかはわからないのだけれど、主人公は、グレゴール・ザムザじゃなくて、グレーゴル・ザムザなのね。少なくともこの新潮文庫版ではそうなっている。であるから、あの有名な書き出しは、

ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。

となっている。

こういう名前って、訳者によって表記が異なったりしていて、たとえば日常会話では「ドストエフスキー」と言っているかのロシア作家も、岩波文庫であれば(というか米川正夫であれば)、「ドストエーフスキイ」だったりする。

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それにまた、河出文庫トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』を新訳版で刊行したのだが、それが『トーニオ・クレーガー』になっていたことにあたしゃびっくりしましたよ、ねえ奥さん。

それはともかく。原語では"Gregor Samsa"のようで、これをドイツ語でどう読むかという話なのだが、その素養がない僕は、とりあえず新潮文庫に従うのみ。

翻訳が古いね

この新潮版では訳者が高橋義孝という人で、1915年生れ。文庫の奥付を見ると1952年(昭和二十七年)の翻訳らしいが、なんというか、言葉が古い。古いうえに、なんとなく、訳者の訛りみたいなものが出ている。
以下に、気になった部分を。

自然おしゃべりもやまった
(22p)

「とまる」の「とまった」という変化は通常よく目にするところだが、「やむ」の「やまった」という変化は初めて見る。あるいはどこかの方言だろうか。ただ、訳者は東京生れらしいので、東京弁か。

ぽかんと開けた口に手を押しつけて、ゆっくりとあとしざりして行った。
(26p)

これは辞書にも見える。「あとじさり」の方が僕にとっては馴染みが深い。

現在のこのありさまでは思っても由ないこういうことをふと考えることがあった。
(46p)

「よしなし」もそれほどよく聞く言葉という感じではない。意味がすぐに取れないということはなかったから、まるっきり聞いたことがないという単語ではないのだろうが。文語という気がする。

ときによると全身がひだるくて、
(46p)

「ひだるい」は初見。漢字を当てると「饑い」となって、これで少しは意味が通じるか。これも文語という印象。

部屋の真ん中にこのまま置きっぱなしじゃさぞグレーゴルも迷惑だろうしさ、足掻きがつきゃしないやね。
(55p)

「足掻きが取れない」ならわかるが、「足掻きがつかない」はやはり初めて。web 上の辞書ではなく、ネットで探してみたら、小学館の日本国語大辞典のサイトで見つかった。

ちょっと脱線すると、この右翼関連のなにかとも思われかねない名称のサイトが実は日本国語大辞典のサイトであって、さらにこの中の「日国友の会」(ますます右翼っぽい!)というところでは、日夜、単語の用例報告などが行われていて、きのうの昼あたり感心していたところである。脱線終わり。

もっと手狭で家賃の安い、しかし出端のいい、なにはともあれいったいにもっと住みいい家がほしかった。
(96p)

「では」。辞書を引くと、「外出する手段」とある。つまり「出端のいい」は「交通の便がよい」という意味であろう。これも初めて知ったなあ。

つまり、現代人からすれば高橋訳はずいぶんと古臭いものと感じられた。さすがに古典文学とはいえ、この翻訳はないでしょう、新潮社さん。

予想外に哀しい物語だった

さて、いよいよ本題というところ。これが書かれた1912年のチェコの状況がどうだったか、ということは世界史をまったく勉強していない僕にはさっぱりなので、にわか勉強をせずかえって無視しておく。虫だけに。

この小説、おそらくは不条理小説のはしり、というとらえ方が一般的だと思うのだが、不条理な部分は、実は「グレーゴルが突然に虫に変身してしまったこと」の一点だけであり、それ以外に起こることは、グレーゴルを突然襲った不幸による「結果」でしかない、ということを考えると、不条理小説という気がまったくしなかった。

それではその「不条理」についてだが、グレーゴルは、虫になってしまったことについてその原因の解明をほとんど求めない。彼が思い悩むのは、虫になったことによって生じる不都合についてのみであり、実際にその対処に追われるというのがこの小説で起こるおもなできごとである。
どうやら父親は商売に失敗して破産をしており、そのため、グレーゴルは外交販売員として働くことによってその負債を解消し、一家の大黒柱となっていたらしい。であるから彼は、自身が虫になってしまったことで仕事に行くことができず、それによって家族を経済的苦境に立たせることを最初は気に病む。

「なにごとか」が起こりその原因について思索を巡らすということは、いかにも小説ではありそうなことではあるが、現実的ではない。というのは、現実の生活というのは、「なにごとか」が起こったからといってすべて停止してしまうような種類のものではないからだ。
ザムザ一家は、その稼ぎ頭がいきなり虫になってしまったとしても、その日の食事を欠かすことはできないということだ。たとえその日は食べものが喉を通らなかったとしても、翌日からは食事をしなければいけないということだ。
それではその食べものをどうやって得られるのか、どうやって日銭を稼いでいくというのか、あのおぞましい虫と一緒に住みながら、というのがザムザ一家がまず気づかされた状況なのである。

グレーゴルの身に生じた「変身」は、たとえばあの日の大震災と同じなのである。あるいは、事故、病気、その他の災害。
これらについてその「原因」を考える人たちは、だいたいの場合、その不運や不幸から遠く離れている。耄碌糞爺前都知事はかの大災害を天罰と称したが、それは東北から遠く離れた土地での発言であった。同じ場所にいる頭の悪い坊っちゃん総理とその取り巻き連は、脳天気な五輪招致のためにフクシマを切り離すような発言をした。
だが、不運・不幸に襲われた人たちは、その「原因」について考えている暇などない。その日その瞬間から、生きていくこと、生き延びることについて考えなければならず、直面する現実を順番に処理していくほかないのだ。
この「状況的に生きる」という姿が、この現代日本でもまったく通用するということに驚き、単純に不条理小説ととらえることがむしろ誤りなのではないかとさえ思った。

ザムザ一家は、「変身」については「そういうもの」として比較的容易に受け容れるのだが、グレーゴル自身の扱いについては悩む。彼らは、あのおぞましい虫が息子であるという可能性をはじめは否定しない。けれども、虫が一片も人間の言語を話せない以上、グレーゴルが彼らの会話を解していることもわからず、その外観上の不気味さから、隔離することを選択する。
一方グレーゴルは、自分の意思をなんとしても家族に伝えたいのだが、それもかなわず、鬱々とするばかりである。破産したかと思っていた父は、実はひそかに金を隠し持っていて、その利子でなんとか当面は生きていけるという状況は把握できたのだが、しかしそれもやがては底をつくはずだ、ということが察せられる。状況が好転する見込みはまったくないのだ。

脱線になってしまうのかもしれないが、この部分で僕は、アメリカのアニメ『シンプソンズ』のことを思い出した。
観たというわけではなく話に聞いただけなのだが、この『シンプソンズ』の中で、マイケル・ジャクソンが吹き替えをやった回があったらしい。でも、マイケルが声を当てているのは、肥った白人のキャラクターで、その人物が周りに「ぼくはマイケル・ジャクソンなんだ」と言うのだけれども、他の誰からも信じてもらえず、それどころか頭がおかしいと思われて孤立してしまう。たしかエンディングで、「本当に僕がマイケル・ジャクソンなのに……」とつぶやく、といった内容だったらしいのだが、直接に観たわけではないので、完全に印象の話。

人間は、知的であろうとすればするほど外観について重きを置かない風をするが、しかしその行動に反して、外観は非常に重要な要素なのである。
マイケル・ジャクソンマイケル・ジャクソンであるために、あるいは、グレーゴル・ザムザがグレーゴル・ザムザであるためには、周囲から期待されている外観が必要なのであり、反対に言えばその外観を失った瞬間から、彼のアイデンティティも一緒に失われるということである。少なくともその可能性は非常に高い。

当初から父は虫になったグレーゴルを拒否するのだが、その妹は一所懸命にグレーゴルを助けようと試みる。直接触れることはせずとも、食事を取り替えたり、彼の半ば閉じ込められている部屋を掃除したりする。
そして母も、グレーゴルを拒否しつづけることはできないと言って、それを父と妹にさんざん止められるものの、彼の部屋に入ろうとする。グレーゴルはグレーゴルで、母のことを待ち望んではいるのだが、けれどその母を驚かせてはならない、と自ら麻布をかぶり、母の目から自分の姿を遮るように務める。このやりとりが、実に哀しい。このやりとりがあるからこそ、もうグレーゴルと母の関係修復はないということが予感される。理由のない不運や不幸は、人間関係にいとも簡単に、そして取り繕うことのできない亀裂を入れる。それが起こる前では考えられなかったような亀裂を。

結局あることからグレーゴルは母を驚かせる行動を起こし、それに驚いた母を見て怒った父は、かつて息子であった虫にリンゴを投げつける。そのリンゴのひとつが、彼の身体にめり込む。
それからというもの、家族はより現実に幻滅して疲弊し、それぞれが別々に仕事をし始める。そのうえ、家には下宿人を入れ、彼らから家賃を取ろうとまで試みる。グレーゴルは以前よりもいっそう苛立ちやすくなっており、それが伝染したかのように、献身的な姿勢を見せていた妹の態度も非常に冷たいものへと変る。
そしてある夜、妹が三人の下宿人たちにバイオリンを聴かせているところ、グレーゴルものそのそと這い出し、彼女に近づこうとする。その姿を発見した下宿人は突然怒りだし、われわれは賃料を払わずに即刻契約を解除し、ここから出て行くと宣言する。その下宿人たちがいったん自分たちの部屋に戻ったあと、家族は絶望に叩きのめされ、気まぐれな行動を起こしたグレーゴルに軽蔑の視線を与える。そして妹はかつて彼女が愛した兄の目の前で、「あたしたちはこれを振り離す算段をつけなくっちゃだめです。これの面倒を見て、これを我慢するためには、人間としてできるかぎりのことをやってきたじゃないの」という烈しい意見を両親に伝える。それならばどうすればいいのか、という父の問いに妹はさらにつづける。

これがお兄さんのグレーゴルだなんていつまでも考えていらっしゃるからいけないのよ。あたしたちがいつまでもそんなふうに信じこんできたってことが、本当はあたしたちの不幸だったんだわ。だっていったいどうしてこれがグレーゴルだというの。もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないというくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出ていってしまったわ、きっと。そうすればお兄さんはいなくなっても、あたしたちもどうにか生きのびて、お兄さんの思い出はたいせつに心にしまっておいたでしょうに。
(87p)

この言葉を聞いてグレーゴルは自ら部屋に戻り、そして、身体に埋まったままの腐ったリンゴがもとで死んでいくのである。

これはいったいなんなのだろうか。
「変身」という理由もない災害に襲われたグレーゴルの存在そのものが、家族にとっての災害に変化しているのである。これは非常におそろしいことであるが、しかし同時に、いかにも現実にあり得、実際に起こっていることでもある。
ここに思いついたままのことをあえて書きはしないが、しかし、不幸は連鎖し、周囲をより不幸にさせていくことは多い。そしてその大本をたどれば、グレーゴルのように、まったくいわれのない不幸がたまたま彼/彼女の身に降りかかっただけ、ということは非常に多いと思う。繰り返しになるが、そこに原因なり理由なりを見るのは、きまって無関係の他者である。

こうやって読むと、この小説の不条理たる部分がなかなかつかめない。むしろ、非常に現実的な小説という印象を得た。僕がこれまでに用いていた「カフカ的」という言葉は、少なくともカフカの小説には当てはまらないのではないか、とさえ思った。なにか不思議なことが起こって、それに対して特に登場人物がもがきもしない、という印象のハルキ小説とは雲泥の差である。
そして、この小説の型だけを取り出して論じたり、あるいは、「変身」がなにの隠喩であるかについて議論したりすることについても、僕はあまり意味を見いだせなくなった。


グレーゴルが死んでいるのを発見し、父・母・妹の三人は喜んで散策に出かける。三人は近い将来に引っ越すことを話し合い、夢を語る妹を見てその両親は、彼女の結婚のことを希望をもって考え始める。つまり、グレーゴルの死が家族の頭上に垂れ込めていた暗雲をすべて払拭したというところで、この物語は終わる。

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なんでも、ホテルが偽装表示していたということで。ひひひ。なんだか自分と関係ない世界でのことなので、笑えますな。
笑えるんだけれど、なんというか、あほらしい話なのでもある。
もちろん提供したホテル側は、「ミスだ」みたいな言い訳をしているが、これはもう間違いなく詐欺と同じことをやっているわけで、ゲスなマスコミにはぜひ躍起になって徹底的に追及してもらいたい。

それとは別にあほらしいというのは、もういい加減ブランド信仰をやめればいいじゃんという話なのである。
各地のJA だかが一所懸命ブランド野菜を奨励して、そのためのいろいろな努力をしているのはわかるんだけど、それが本当においしいかどうかっていうのは別もんじゃないの?ということを僕は思う。
おいしい、ということはまず相対的なものという考えが僕にはあるから、美味しんぼの山岡のように、「明日、ここにまた来てください。本当の○○をお見せしますよ」みたいな認識を示されると、「はぁ?」という気分になる。
この「本当の○○」というのは、第何次かのグルメブームによって生まれた言葉だと(勝手に)思っているのだが、あれですかね、ということは、どこかに「偽物の○○」があるんですかね、食べものに。
この「偽物の○○がある」という考えが、ブランド信仰を裏付けていて、値札にイロをつけることを許しているのだ。
この偽物うんぬんは、実は「有機栽培」系の人たちでも言われていることであって、僕がむむむと思っているところですが、まあここらへんのことは別の機会に語ることとして、なぜこういう盲信が簡単に生じるかというと、それはまあ、それこそ「本当のもの」に接していないからである。

お、「本当のもの」と書くと、途端に怪しくなったぜ。
そうではなくて、たとえば、野菜についてホンモノうんぬん言う前に作ってみればいいのよ。そうすれば、野菜に偽物もホンモノもないということがわかるし、あと、品種でいろいろと味が変わるからね。ネットですごい値段で丹波篠山*1の黒豆枝豆とかが売っているけれど、あれは別に丹波篠山じゃなければ作れないってわけじゃなく、実際にタキイという種苗会社から「丹波黒大粒大豆」という品種が販売されている。ただ、それを「丹波の黒豆」として販売するのが、商標登録しているだかで難しい、みたいな噂を聞いたことがあるけれど、中身はほとんど同じだと思っている。で、今年つくってみごと失敗したけれどね。

ワインを少し勉強すると、テロワールだとかミクロ・クリマだとかという言葉がでてきて、若いソムリエ志望者なんかはこれを多用する。
テロワール」は、土壌そのものによる味=その土地だからこそ味わえる味、みたいな意味で、「ミクロ・クリマ」は、「微小気候」とか訳されることが多く、その土地特有の気候によるぶどうの出来、みたいな意味かな。厳密なことを知りたければよそのサイトで。
で、少しでも農業をやってみると、こういうのって本当によくできたマーケティング用語だなあと思うようになった。そらね、場所が異なれば土壌も異なるし、気候も異なるでしょうよ。ただ、それがどれくらいの影響があるかってことは、あまりにも他の影響要素が多すぎて一概には言えやしないんじゃないか、というのが僕の考え。
ぶどうの品種だって違うし、栽培方法だって違うし、それにまた、その年々によって天候も違うし、ましてや、ワインは加工品。醸造法だっておのおのによって異なる。
南仏のワインの説明で、「南に面した土壌の表面には大きな白い砂利がごろごろしており、これが温かな太陽の光を反射し、ぶどうの裏側までしっかりと熟す。だから、ここのワインはぶどうの風味が豊かなのだ」というのを見たことがあって、そう言われてみるとそんな気分にもなってくるけれど、それでは、「ぶどうの風味が豊か」であることを感じさせない南仏のワインってどれくらいあるの、って話になってくる。それってぶどう品種の影響が多分にあるんじゃない、という話。
ワインを作っている人が少ないのに対し、それを飲む人はたくさんいて、当然ながらその人たちはワインやぶどうについて知らないことの方が多い。だから、その仲介役としてソムリエなりワインエキスパートなりがあって、いろいろと口八丁で売り方を考えて、ときにはそれがなにかのエピソードだったり、ときにはそれが土壌の話だったり、と多種多様なのである。
でも、本当の技術的なこと、栽培のことについては、やっぱりほとんどの人がわからないはずで、僕らはすごいブラックボックスの前に立っている、と言っていい。「土が痩せているうえに、このワインはヴィエイユ・ヴィーニュという樹齢五十年以上の古木のぶどうだけを使用していますので、根が深く張る。そのため土壌深くのミネラル分を多く吸収し、その酸味が熟成によって角が取れて、豊かになるんですよー」って、スーツしか着たことのないような白魚の指をしたバイヤーがいうことを、「あ、そうなのかな」と信じるほかないのだ。

要は、情報の不釣合いについて、どれだけコストを払うのか、とそういう問題なのである。できるだけバランスを取ろうとして、ワインでいえば知識を増やすこともいいだろう。けれども、それにだっていづれ限界はある。農家の言っていることを頭から100% 信じるなんて、僕だったらとうていできない。その土地も目にしていないのに、ね。
たとえ農家の言っていることに嘘がなくても、今度は「売り手」が嘘を混ぜる可能性がある。そして、通常はそのあいだに「卸売業者」もいるはずだから、嘘がないと考える方が難しい、と疑い深い僕はそう考える。
一番いいのは、自分が「これくらいだったら騙されてもいいかな」というくらいのコストの払い方にとどめておくべきで、間違っても身の丈に合わない投資はすべきではない、ということ。プレミアム焼酎の伊佐美だか魔王だかの偽物が出回って、それを販売した業者が摘発された、というニュースを定期的に見聞きするが、あれも元は欲しがる人がいるからであって。
ああいうのを見ていると、モノの値段って単純に釣り上げればいいのかな、と思うときがある*2。価格が高くなれば、それを「いいモノ」と思う人たちがわさわさと集まってきて、それで供給を需要が上回り、在庫が逼迫し、より価格を高騰させる、という夢のスパイラル! ほれほれ愚か者どもよ踊るのだ、と札束を浮かべたプールサイドで葉巻吹かして、一度はそんなことを言ってみたいものです。

わたくし、今回の騒動で、はじめて「芝海老」というのがプレミアム海老だということを知った次第で、冗談ではなく、東京の芝(という地名)で獲れた海老、だと思っていた。調べたら芝は、陸地であって、どうも竹芝と勘違いしていたようだが、なんてこたぁないふつうの海老だと思っていたよ。あと、これはきなこさんのブログで知ったのだが、鮭に銀鮭と紅鮭があるそうなのだが、どっちがどうとかも、いまだにわからんほど。よくこれで飲食店で働いていたなって感じ。

食べものに大枚はたく面白さというのは、実際あるとは思うけれど、ただ、「騙されるのがふつう」くらいに余裕がないと、けっこう辛い「遊び」だと思う。
今年もなんだかんだ言ってもうすぐボジョレー・ヌーヴォーの季節がやってくるが、「そうだよね、騙されて妙に高いのを買っちゃダメだよね」と思うのではなく、まず「ボジョレーの季節だ」と思ってしまう時点で「敵」の戦略にすでにハマっている、ということに気づいた方がよいと思いマス。

*1:これ、関東出身の僕には「たんば・ささやま」と読めなかった。

*2:前にも書いたことがあるが、三菱鉛筆の「uni」の販売戦略がこれだったらしい。

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風邪をひいているらしく、最近は夜更かしをせずにすぐに寝てしまう生活を繰り返していたのだが、僕の観測範囲で特に言及されていたタモリのことを書きたくなった。


お昼休みにウキウキウォッチングしている環境になかったので「いいとも」を観ていなかったのだが(と、ここでセンスの悪いはてなが「いいとも」を「いま話題になっているトピック」にしていないかを確認した……していなかった! というか、まだ「なんとかブロガー」の件で盛り上がっていたよ。ヒマだな!)、なんというか、あそこと、それからミュージックステーションにいるタモリのことを、僕はずっと「出がらし」だと思っていた。

といって、出がらしじゃないフレッシュのタモリを僕はリアルタイムには知らないわけで、「空耳」を見るために「タモリ倶楽部」をちらと見ることもあった以外は、中学生くらいのときに図書館で借りた『タモリ』というテープ(CD ではなくて!)にいるタモリが、僕の中のタモリだった。

タモリ

タモリ

そうそうこれこれ、と思ったら、2007年に発売されたもののようで、ジャケットは一緒だけれど中身は違うのかな?

とにかく、このカセットテープの中で「ソバヤソバーヤ!」とか「四ヶ国語麻雀」でいろいろと「芸」をしっかりと見せる芸人、それが僕のタモリで、だから、詮方無い雰囲気でイグアナのモノマネをしたり、あるいは、ジャニーズのジャリタレ(うーん、昭和的罵声)どもと話を合せているタモリは、すっかりなにかが抜け落ちてしまった「出がらし」のように感じられたのだ。

その後、主に筒井康隆のエッセイなどでタモリが「発掘」されたエピソードなどを知り、やはり彼は、地の部分に「ヒネた笑い」がある人で、逆説的にいえば、地方から東京見物に来た女の子たちがとりあえず昼間に新宿アルタに行って観覧するような番組(というのが僕の率直な印象)に出演するような人間ではないと思っていた。

そういう諸々がわかってしまうと、つまりいま僕の目の前にあるのはもうかつての芸人、僕が中学生のときにテープで聴いたあの芸を見せてくれた人ではないのだという喪失感が余計に強まり、彼に対して興味を持とうと思ったことがなかった。だから、「いいとも」や「M ステ」以外の番組ではあんなに活躍していたよ、と思われる人もいるかもしれないが、僕は知らないのだ。

偶然ではあるのだが、20日のこと、つまり「いいとも終了」のニュースが全国を駆け巡った(と思いたい人は思ってくれ)22日の二日前に、僕はかつてYouTube 上で見たタモリの動画を探していた。
それは、タモリが坂田明などの気の置けない連中たちの前で三遊亭圓生のモノマネをしているもので、いや、もしかしたら圓生のモノマネをしていたのはタモリ自身ではなかったのかもしれないが、とにかくタモリの仲間の誰かが即興芸としてモノマネをして、それを周りのみんながワイワイとツッコむという、僕の大好きな雰囲気だった。
その動画をはじめて見たとき、実は僕は圓生の声を知らなかったのだが、タモリだか誰かが圓生の声真似をして「え~、ともかくも『存在』というものがありまして、」と言うと、周りのひとりが「バカヤロ、圓生は『存在』なんて言葉つかわねーよ!」と笑いながらツッコんでいた。このやりとり全体の、スノッブな感じが実によかったのである。

で、この動画を探そうとしたのだが見つからず、その代わりに見つけたのが下の動画。


タモリ団しん也

これを前に見たことがあったのかどうかは忘れたが、始めのあたりで、団しん也圓生のモノマネで『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』を紹介しつつカウントをとるという、なんというか、これぞ芸というものを見せてくれて、僕はすっかり感激していた。
そのあとで出てくるナット・キング・コールとか、東八郎橋幸夫のモノマネが似ているとか似ていないとかは僕にはわからない。それから、タモリ寺山修司、団が野坂昭如のモノマネをしてアドリブトークをするのだが、これもそれぞれが似ているかはわからない*1
ただ最近、圓生のCD を十数枚まとめて聴いた経験から、圓生の口調や雰囲気はものすごく似ていると感じられた。

同時代を生きていないから、僕はこの雰囲気を正当に評価できていない、という不安はある。寺山修司といえば、僕の世代でいえば既に伝説の人で、彼がいわゆる「ずーずー弁」でしゃべっていたことをリアルタイムでは知らなかったし、しかもそれを茶化してモノマネする空気が当時あったということもちょっと驚きだった*2。僕は上で「スノッブ」と書いたが、放映当時には、寺山修司圓生のモノマネがそれほどスノッブには感じられなかったのかもしれない。

余談だが、僕の近所にあったくだんの図書館では、『タモリ』の他に、かつて前のブログで言及したこともある三木鶏郎コミックソングや、斎藤晴彦の『音楽の冗談』もあった。上の団しん也の映像は『今夜は最高!』というテレビ番組のもので、同番組では他にも斎藤晴彦が出演し、「任侠オペラ」をタモリ、和田アキ子らと唄うという回があり、なんとその動画もあった。僕はその「任侠オペラ」を、『音楽の冗談』に収録されていたために知っていたし、それどころか唄うこともできた。歌詞が身体に染みついてしまっているのである。
もちろん、映像の時点(つまりより大衆向けになっている時点)で、斎藤ひとりで唄うものよりは面白さが四分の一減していたが、それはそれで面白かった……と書いたが、「もしや?」と思って調べてみる。
Wikipedia によれば、

斎藤晴彦と和田アキ子がゲストの1985年2月9日放送分の「オペラ昭和任侠伝」が、同年の民間放送連盟賞のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した。

とあって、一方、『音楽の冗談』が録音されたのは、CD のライナーノーツによれば1986年のことであり、また、「Special thanks to」には「日本テレビ『今夜は最高!』」の記述があり、さらにこのアルバムの企画・構成・作詞を担当した高平哲郎は、『今夜は最高!』の構成作家だったらしいので、CD → テレビ番組の順ではなく、テレビ番組 → CD の順で作られた可能性は高い。ふむ。

それはともかく。
同時代的にはほとんど知らないタモリのことを語るのはなんだけれども、かつてのタモリのような「芸」を持った芸人というのは、現在ほんとうに少なくなっていて、たぶんどこかにはいるのだろうけれど、まずウケないのだろうと思う。
それは落語がいつまでもメジャーになれないのと一緒で、芸があるぶんだけ、現在の一般視聴者からすれば重たく感じられるのだろう。彼らが求めているのは、軽く、もっと身近なところにあるユーモアであって、最終的にみんながすわってべらべらとしゃべるマンネリトーク番組が一般的に人気を得る、という構図なんだと思う。まさに、存在の耐えられない軽さだ。
そう思うと、「芸人」の定義も、たとえば色川武大が戦時中に浅草の劇場に通っていた時代のものと、現代のそれとでは、だいぶ変化したのだろう。
かつては、文字通り「芸」のある人が芸人であったわけだが、今は「身体を張って笑いを取る(と思っていながら実は笑われている)人」という気がする。芸じゃないんだけどね、それは。

タモリの芸というのは、日の当たるところで見られるものではなく、もっと密室の中でひそひそと笑いながら鑑賞されるものではなかったのか。彼がどういう考えで『いいとも』に出ていたのかは知らないが(第一義として「仕事」だったんだろうけれど)、今頃、やっと落ち着くべきところに落ち着いた、という感慨を漏らしているところかもしれない。ハナモゲラ語で。

*1:父にこの動画を見せたら野坂はもっと早口だったのではないか、と言っていた。

*2:この放送時に、寺山が既に鬼籍に入っていたかどうかはちょっと判然としない。

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