とはいえ、わからないでもない

2014年10月

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今月の上旬、奈良に行ってきた。依水園に行ったことはすでに書いた。

別のブログにちらと書き、そこへコメントをいただき、そのやりとりからひとつ記事が書かれることとなり、それに対するアンサー記事として上記を書いた。これらだけでもう望外のたのしみを得たので、これ以上書くこともない。

東大寺の大仏は驚くほど大きく、春日大社周りにいた鹿は可愛らしく、そしてよく鳴き(夜も)、家族とのぼった若草山は絶景だった。写真もいくつか撮ったが、アップはしない。
泊まったゲストハウスは一泊ひとり三千円未満でじゅうぶん満足したし、おそれていた台風も奇跡的に遭遇せずにすんだ。書こうと思えばいくらも書くことはあるが、これも書く気はしない。


もう終ってしまったが、宮沢章夫『ニッポン戦後サブカルチャー史』のある回でインターネットについて論じられていたとき、一万件の検索結果があったとしても、われわれはその一番目二番目しか見ない。けれども、最後の一万件目まで見るということがきっと大事なんだと思う。たしかそんな内容を宮沢は言っていた。
違う、と画面に向って突っ込んだ。そうじゃないだろ。一万件目とかそういうことじゃなく、インターネットの外に本当に面白いものはあるのに。いや、面白くたのしいものだけでなく、辛いことも悲しいことも。

ひとによっていろいろと思うことはあろうが、インターネットには固有の「体験」というものはない、と僕は思っている。あるのは、その体験の投影というか、名残のようなものだ。
旅行に行ったり本を読んだり映画を観たり芝居を観たり音楽を聴いたりするのは、その感想をブログやSNSで発信することとは別だ。
一部の人たちは、発信することじたいも「体験」にしているが、「体験に対する評価」を「体験」と勘違いしている人たちもいる。後者は、体験の投影(=発信行為)によって承認欲求が満たされることに味をしめ、ついには承認欲求のために体験を求めるようになる。つまり、どこかに行き、そこで撮った写真が「いいね!」されるのではなく、「いいね!」されるような写真を撮るために、どこかへ行くようになる。

もし体験そのものよりその評価のほうが重要である、という価値観が多勢を占めているのだとしたら、インターネットはなんとつまらない空間なんだろうか。
しかし同時に、そういう価値観がありふれていなければ、他人の文章や写真を剽窃する例をそれほど目にすることはないはずなのだ。


ここ最近は体験ということについてよく考えている。
自分の知らないタイプの演劇を観たり、自分の知らない種類の本を読んだり、あるいは自分がこれまでに触れてこなかった藝術に触れる、というのも体験である。それらはすべて実世界にある。
その体験を、評価を推奨するスペースやコミュニティのなかで、なにかの商品のように流通させたくはない。体験は体験そのものとして、ごく一部の知っている人たちに伝える程度でよい。そのように思い始めている。
インターネットには、情報がごろごろと転がっていて、そこに浸っているとすべてのものがここにあると勘違いできる。けれども、実際にネットにあるのはほんとうにわづかなことばかり。勘違いしている人たちは、ネットにあるような種類の情報にしか接していないだけ。また、体験よりも、評価のし合いに重きを置いているだけ。体験の二次創作みたいな部分をきっとたのしんでいるのだろう。

ということを考えていたこともあって、またしばらくネット断ちをすることにした。
本棚で熟成しつづけてきた本も読まれる日を今か今かと待っている。商売のヒマになる冬の空き時間を読書に充てるのにはうってつけ。

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簡単に書く。

もともと玉山鉄二が好きなので、たのしみにしていた。
玉鉄の柄の大きい演技が、まずよい。最近こそあまりないのだが、第一週あたりの、エリーと一緒になるところなど、スコットランドの文化に馴染んで大袈裟なジェスチャーでしゃべっているところなどもよかった。ただ、ここをなぜか吹き替えにしているのがもったいない。せっかく英語で演技をしたんだから、(英語の)うまいへたは別にして、そのままの音をつかって、それで字幕をつければよかったのに。エリーに夢を語って、「ニッポンではじめてのウイスキーをつくるんじゃ」と英語で訴えているシーンなんて、動きだけでもすごくよかった。
そうそう。主人公の亀山が広島出身ということなので、広島弁をしゃべるという設定も個人的に気に入っている。僕がはじめて接した方言が、小学生低学年のときに読んだ『はだしのゲン』なので、「ほうじゃけえ」とか「わしゃ~じゃ」なんかにはものすごく懐かしいものを感じてしまう。
あと、エリーに対して、そっと肩に手を寄せたりするシーンがあるのだが、朝ドラでこういう場面がさりげなく描かれる、というのが新鮮。ふたりが恋人同士だったら、こういうシーンはいくらもあるのだろうが、夫婦になってからも、このように距離が近いっていうのは、ふたりが国際結婚をしているからなんだろう。

ヒロインが外国人ということでちょっと不安はあったが、でも、だいじょうぶ。片言のエリーさんにも慣れました。
朝ドラのヒロインって、『カーネーション』の糸子は別として、なんだかカマトト臭が強くていつも腹が立つのだけれど、このエリーさんは(スコットランドからやってきたスコットランド人ということで)構造的に「知らないことが当たり前」になっているので、整合性がある。
言葉足らず、舌っ足らずなところに戸惑いを覚えることもなくはなかったが、慣れてくると、その目を見て言葉をじっくりと聞くので、意味や心情がきちんと伝わってくるから不思議。演出も、重要シーンでの少しくらいの言い間違いではカットをかけないらしく、そこらへんのリアリティなんかも含めて、エリーさん、予想以上にいい。

堤真一サントリーの鳥居がモデルだが、彼の演技の柄にぴったり。先週だかの、マッサン・玉鉄に「ウイスキーをつくろう」と呼びかけるところはしびれた。いつもはあんなに大きな芝居をしておきながら、あのときだけ柔らかく台詞をしゃべって、いかにも魅力のある人物、という感じがした。いまのところ、マッサン、エリーに次ぐ、第三の主役。

魅力的な登場人物をもうひとりだけ挙げるとしたら、玉鉄の働いている住吉酒造の社長役の西川きよし。彼自身が国際結婚をしている、ということにも少しユーモアを感じるが、大阪のいかにも情熱家・人情家のおっちゃんという感じがぴったり。彼の優しさが玉鉄・エリーさん・相武紗季らすべてを照らしているから、あの会社がいい会社だと思わせているのだと思う。
あと、玉鉄と一緒に銀行の重役を接待するところ、接待などしたことのない玉鉄が、窮したあげく逆立ちをして(しかもその足の部分を西川に支えてもらって)「カチューシャの唄」を唄うシーンは面白かったなあ。あのナンセンスな感じをふたりがドタバタと演じるところに、羽原っぽさを感じた。

そう、脚本は、『ゲロッパ』『パッチギ』などの羽原大介。なので、当然コメディ部分が笑える。また、朝ドラにありがちな「子どもの頃からの成長記」に陥らず、テンポよく展開。必要があれば、時間軸を戻して再現シーンによって説明、というかなり効率のよいやり方を最初のほうではばんばん用いていたので、感心した。

あとは、セットがすごいなあ。住吉酒造のセットには荷物を運ぶための簡易トロッコが走っていたりして、そういう部分だけでもたのしい。
今クールは、これと、大河と、あとは名探偵モンクを見ることで終わりそう。

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はてなブログのコメント欄にコメントをすると、ブログ主にはもちろん通知が行くが、すでにコメントを書き込んでいる人にも通知が行く。
これはものすごく一長一短があると思う。

自分のあとにコメントした人が、知っている人・仲のよい人であれば、「あ、あのひとはどういうコメントをしたのかな」と知ることができてとても便利なんだろうが、知らない人・興味のない人であれば、通知がうるさいということになる。
通知がうるさいのは無視すればすむ話なのだが、問題は、通知を受け取る側でなくて、通知を送らせてしまう側の心理。つまり、すでにいくつかコメントが書き込まれている状況であらたにコメントをする人のなかには、ブログ主だけへのメッセージを書きたいという人も当然いると思う。そうなんだけど、前のコメント者が三人いたら、その三人にも知らせてしまうことになり、なんだかめんどくさい。

一方、この通知のシステムを自分のアピールに利用している人もいる。
ネット上で自分に注目してほしいという人は、人気のあるブログ、かつコメント欄がさかんなブログ(ここが重要)で、旬が過ぎてしまうぎりぎりのあたり、ということはコメント欄がパンパンに充実しているところで、「こんにちは! きょうもたのしく拝見させてもらいました!」だけの、小学生みたいなコメントを入力する。
そうすると、「お、あそこのブログに誰かからコメントがあったんだ」と通知をもとに見に行く人が何人か出てくる。そうやって自分のサイトなりアカウントに注目させる、というわりとやんわりなアピール方法。アフィリエイトをしている人間ばかりではないけれど、僕はこういうのをアピリエイターと心のなかで呼んでいる。

で、この通知のシステムってなんなのかなあと思っていたら、家族専用のGoogle+で同じ仕様が見られたので、ひょっとしたらSNSではふつうのシステムなのかもしれない。フェイスブックやっていないからわからないけれど、たぶんそうなんじゃないかな。

ブログってSNSとは別物だと僕は思っていて、あるブログのコメント欄に特定の人が常駐するような状況って、あまり好ましいことではない。常駐っていうのは、文字通り、どんな記事でもコメントする人。
以前にも書いたことだが、他人のブログのコメント欄で自分の日記を書いている人がいる、っていうジョークをどこかで見たけれど、これ、ほんとうにあることだと思う。日記はともかく、自分の主義主張を訴えるスペースだと勘違いしている人は間違いなくいて、それがブログ主が喜ぶようなものであればいっこうにかまわないんだけれど、なかには「え、それとこれとは別問題じゃない?」と当惑するものも当然ある。が、招かざる居候は、そんなことにはまったく気づかず(気づくようだったら、居つかない)、今日も今日とてコメントに励む。

でね、もし自分がコメントしたいなっていうブログに、そういう常駐コメンテーターがいたら、「うわ、こいつには自分のブログは絶対に知られたくないな」という警戒心が湧き起こる。上のほうで、自分のコメントにより他の人に通知が行ってしまうのは「なんだかめんどくさい」と書いたが、それはきれいごとで、本音は「こいつには知られたくねー」という場合が僕にはある。僕だけじゃないと思うけどね。
はてなの仕様で、アカウントをピッとクリックすれば簡単にその人のブログに飛んで行くことができてしまうので、要は自分の本拠地がバレてしまうのである、そのアピリエイターだか常駐コメンテーターだかに。
それが、 困った困ったこまどり姉妹*1なんだけれど、でも、はてなの考えとしては、基本的にはユーザーはオープン志向であり、閉鎖的なものを好む人はまあいないでしょ、ってことなんだろうね。


余談だが、アピリエイターの目立ちたがり行為に意味なんてない、無視されて終わりでしょ、と思いがちだが、実はそうではない。
これはジャパネットたかたの社長(たぶん前社長)がラジオの通販コーナーで言っていたのだが、商品紹介は十数回目から効果が出始めるらしい。最初は、「ああ、こんなのほんとうに便利なわけないよ」と思っているのが、十数回も聞かされていると、「あれ、こうやって何度もやっているってことはほんとうに便利なのかな。ほんとうに人気があって売れているのかな。じゃあ、わたしも電話してみよう」となるらしい。
「ですから、いいものは何度も何度もこうやっておすすめしているわけです」とあの社長はフォロー気味のことを自分で言っていたけれど、けっこうギリギリの内幕を話していたので驚いた。あの社長のトークは、何十回も聴いているけれどあまりうまくないのが特徴で、それでも「あの社長だ」という露出の効果がいちばん大事なんだろうと思う。
それと同じで、炎上も厭わず、というか炎上こそ望むところ、というスタンスで人の目につくところに出没すれば、批判者も呼び集めるが同時に賛同者も呼び集めるということを、彼らはきちんと(?)理解している。
ネットでもリアルでもよく聞かれる「いいものは必ず評価される」というのは、基本的に幻想。「声の大きい人が注目される」というほうがまだ事実に近い。

あれ、最初の二行だけですまそうと思っていたのに、ずいぶんと書いてしまった。

【追記】

書き忘れていたのだが、コメントをするときに、「他の人に通知が行かないようにしますか?」っていうチェックボックスを設置してくれればいいんだけどな。
コメントじたいを非表示(いわゆる鍵コメ)にしろ、とまでは言わない。素人考えで、他の人への「非通知」をするくらいならわりと簡単にできると思うんだけど。デフォルトはチェックが入っていなくていいので。

*1:どうでもいいけれど、これって島木譲二のギャグだったんだ。

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ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

とうとう始まった。雨はほとんどやんでいた。
劇場、というか舞台は、正方形の木製の小舞台(面積は六畳くらいだろうか)が均等に四×四の計十六台並べられていて、それを、劇場の左右にあるそれぞれ五つの入り口から伸びた通路が区切っている。それが格子の「横」の線だとすると、当然「縦」もあって、僕のすわった席からだと見渡しにくかったのだが、おそらく四本以上、数の理窟からいえばやはりこちらにも通路が五本走っていたんじゃないかと思う。
あとでわかるのだけれど、この木製の小舞台は大阪の川に浮かぶ島がモチーフとなっている(はず)。始まりはどうであったか。
まず音楽があったように思う。大音量のリズムに乗って白い帽子、白い服、白い短パン、白い運動靴を履いた白塗りの子どもたちが、前述の通路を駆ける。
横五列の通路を「白い子どもたち」が全力で走り、そのうち、縦側の通路からも「白い子どもたち」が今度は規則的な踊りをしながら、登場する。視線が定まらない。焦点をどこに置けばよいのか。音楽が鳴る。子どもたちのステップが、リズム・ビートを奏でる。さきほどまで降っていた雨のせいで、通路にわづかに溜まった水たまりが照明の光を反射する。そのうえに子どもたちが走り、水しぶきがあがる。なにかしゃべっている。子どもたちがなにかを唄いだす。正確には聴き取れない。歌というより、言葉だ。単語。文字の羅列だ。意味はなさそうだが、おそらく全体的に並べていけば意味が通じる言葉の群れ。音。ステップのリズム。刻まれるビート。照明の光。
いま、目に見えるもの、耳に聞えるものをすべて記憶したい。ひとりの子どもの動きを追っていけば、当然、他の存在は霞んでしまう。十数人が不規則に動けば、そのなかでも動きの規則性を探そうと俯瞰を心がけてしまい、そのために、個々の動きの把握が曖昧になってしまう。たとえば平田オリザや長谷川孝治の芝居のように、維新派の舞台上でも同時多発的にいろいろなものごとが発生している。平田はこの手法をリアリティのためと書いていた。もうちょっというと、世界ということなんだろう。
目の前にある世界で起こっていることを、すべて知覚することはできない。人間の知覚に限界があるからだ。「複製技術」を用いてストップ・リヴァース・リプレイ、をするのでなければ、目の前に起こりつつあるものは選択して知覚せざるを得ない。音を聴く。言葉を聞き取ろうとする。ステップを眺める。振り付けの意味を読み取ろうとする。そのあいだに時間は流れ、選択されなかったものについては、知覚の機会を永遠に失ってしまう。それにくわえて、記憶の能力にも限界がある。せめて目に映ったものを。せめて耳がとらえたものを。個人差はあるだろうが、僕はどんどんと忘れていってしまう。そしてこちらの忘却など知ったことないと、目の前の踊りや口誦はより複雑になっていく。たとえば、僕は、「誕生日」という言葉をとらえる。いま、そう言ったのか、本当に。誕生日と?
そして、日付が次々と無機質に読み上げられていく。ああ、そうだ。やはり誕生日と言ったのだった、と記憶を新たにする。現状の知覚への意識を弱めて記憶の整理をするあいだもなお、日付は唱えられる。「九月十一日……三月十一日……一月十七日……」、これらは僕が記憶できただけの数字。無機質な、本来、それじたいではなにも意味を持たないはずの数字が、聴いている僕にものすごい意味をもたらせる。それでは、他の日付にもなにか意味があるのでは? 僕の思い出せない、あるいは僕の知らない重要な日付を僕は捉えそこねたのではないか。そんなこととは関係なしに、時間はどんどんと進んでいく。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

聴いているうちに、十六人の床を踏みつけるビートで僕も思考するようになっているのかもしれない。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

次々と左右を駆け抜ける白い子どもたちが、キリコのあの絵(これくらいしか知らないのだが)を思い出させる。

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ジョルジョ・デ・キリコ『街の神秘と憂鬱』

たしかルパン三世の映画(といっても実写ではない)にこのイメージが用いられているシーンがあったと記憶しているのだが、実体を持っていないなにかの象徴として、子どもが物陰から物陰へと走り抜けていくのは、どこか夢のようでもあり、どこか死を匂わせもしている。やがて、「ひつじ」という名の女の子が登場し、「がたろ」という男の子が登場する。
大阪弁で「がたろ」といえば、これはもう枝雀ファンであれば『代書屋』を思い出すことだろう。主人公の松本留五郎の職業が「がたろ」。川底を「ごーそごーそ」漁る仕事。下の動画の20:00あたりで出てくる。


このふたりの登場から物語はゆっくりと始まりを見せるのだが、それでもあからさまな展開はない。
通奏低音としてミニマル・ミュージック風な音楽が流れつづけ、白い子どもたちが左右だけでなく、縦横にも、規則的に踊りながら移動し、あいかわらず視点を定められない。子どもたちの唄う言葉は増えていくので、そのイメージを観客は(たぶん)必死で紡いでいく。ここには、便利な「テロップ」も「まとめサイト」も「yahoo! 知恵袋」もない。わかりやすいガイドには頼れない。思えば、日常で周囲にあるのはわかりやすくパッケージされたものばかりである。斎藤環の解説にも「比較的読みやすい」とされていた中上健次『十九歳のジェイコブ』ですら相当手こずっていた僕は、わかりやすさに浸りすぎていたのかもしれない。自身の知覚を総動員し、しかも瞬間も休むことなく、世界に対峙していかなくてはならない。
もちろん「世界」とは大袈裟だが、眼前にある舞台は、少なくともこれまで僕が体験してこなかった世界であり、僕の予想もしなかった世界である。
僕は『透視図』という舞台を観ながら同時に、藝術というものの本来の性質を痛感していた。つまり、受け取る側の価値観の根底を揺さぶるというあの性質のことである。
ごくごく単純に言うと、僕は目の前で起こっているのがいったいなんなのか、わからなかった。ある知識ひとつをとって、これは知らなかった、ということは日常生活においていくつもある。しかしそれはほんとうの意味での「わからない」ということではない。現時点ではその知識体系についてなにも知らなくても、ひとつひとつの基礎的な知識を積み上げていった先にその解が得られるのなら、それはわからないということにはならないのではないか。
僕の感じた「わからない」というのは、いくら知識を積み上げていっても、現在自分の持ち合わせている価値観をどこかで変容させない限り、理解できない対象についての認識である。
「わからない」場合、「なんだこれは!」という一種の不快感が生じる。理解できないということは不安をもたらすからだ。
いわゆる「ウェルメイド」と呼ばれる作品であれば、こちらが期待してしまう一定の展開や一定の演出に沿うので、場面ごとのサスペンスについては不安にさせられるものの、鑑賞者は無意識に展開や演出の枠組みというものを頭のなかに想定しているので、根本的な不安に陥ることはない。
しかし、維新派の舞台を初めて観た僕は、枠組みを想定することもできないし、目の前にある細部についてさえ不正確に心もとなく把握しているだけである。
腹を立て、「なんだこれ、わかんねーよ!」と投げ出すのは簡単である。また、「わからないことは、わからないままに」と保留するのも簡単である。前者はたいていの場合、努力の放棄であるし(僕もよくやる)、後者はたいていの場合、その「保留」が解除される機会は永遠に来ない(これもよくやる)。僕は上で「世界に対峙していかなくてはならない」と書いた。「直面」ですむようなところだが、あえて「対峙」とした。対決するのである。目の前の表現に対して、立ち向かい、わからなければわからないなりに、理解しようと努力するのである。
いままで蓄積してきたつまらないカテゴリーになんとか当て嵌めるという単純作業を選ぶのではなく、価値観の変容を迫られ不安を感じながらも、新たな枠組みを自分の考えでゼロから構築するのである。五感をフル活用して!目の前にある舞台は、まさしく、きょうここにあるもの、として存在していた。何度も何度も稽古を重ねて「再現率」を高めた演技を見せるべく存在する閉鎖空間としてではなく、もっと開かれた、大仰に言えばたった一回しか存在しない場、固有の力を持った場として、それは僕たちの目の前にあった。
劇中、舞台の向こう側、つまり川の上を大きなカラスが左から右へと横切った。十分ほどして、おそらく同じカラスが右から左へと戻って行った。もちろんこれらは演出などではなく、自然の風景である。
一度だけ上空高くをジェット機が飛んで行った。バイクのけたたましいエンジン音が聞こえたことも二度ほどあった。雨は遅れに遅れた開場時間まで降っていたが、それ以降はほとんど止んでいて、観客の多くは、レインコートのフード部分を途中で脱いでいた。そういう偶然性に満ちた諸々を排除する閉鎖空間ではなく、反対に、偶然のために解放された開放空間のなかにわれわれはいた。演者も観客も。
といって、演技の方はアドリブなどはおそらくなく、完全にコントロールされていた。そういうアンバランスさも、僕たち観客の五感に影響を与えたに違いない。僕は、視覚聴覚のほかに、嗅覚や触覚も意識していた。右隣の女性からはスイカやメロン系統の芳香が、左側の男性からはアルコールの臭いがそれぞれ漂ってきて、僕の前で合わさっていた。もっともそんなことを言っている僕だって、パクチーとナンプラーの薫香を吐き出しているのかもしれなかった。おじさんのアルコール臭さはともかく、女性のつけた香水の香りをまた違う場所で嗅ぐことがあれば、僕はきっとこの公演を思い出すだろう、と思った。
また、何度も書いたが、演者たちの踏み鳴らすビートが、空間を伝わって鼓動として僕の身体に響いていた。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

その場にいること。これが舞台鑑賞では非常に重要なのである。
いままでコンテンポラリーダンスの舞台は、テレビで何度か観たことがある。深夜のBSだかをリアルタイムかあるいは録画で「ああ、なるほどぉ、こんな感じなのねえ」などという感想を漏らしながら、だらだらと集中せずに観ていた。
そんな気の抜けた体験しかできなかったのは、僕の理解がまだ浅く努力を放棄していたということもあったが、それ以上に、その場にいなかったからなのではないか、といまは思う。
僕をふくめた観客全体が、客席の構造上身動ぎすることも難しく、視点を前方にほぼ固定された状態でいたこともまた、鑑賞そのものに深く影響しているようにも思えたし、それにくわえてその日の雨降りや雨降りの予感などは、もしかしたらその回の演劇の成立に関わっているのではないかとさえ思った。音楽がほぼ間断なく流れている、と書いた。僕はそれを聴きながらBrandt Brauer Frickの『Bop』という曲を思い出していた。


僕のミニマル・ミュージックという言葉に対する認識が正確であるかは甚だ不安なのだが、テーマを単調に繰り返しつつも細かな差異をくわえて最終的にはゆるやかに大きく変化していく、というスタイルは、まさに『透視図』そのものだった。
偶然にSteve Reichという人の『Come Out』という動画をYouTube上で見つけたのだが、このダンスの持っているイメージは、維新派のイメージを喚起しやすいと思う。
ふたりのダンサーの動きは、同じようでいて、微妙な差異を生みつづけ、そして位置も少しづつずれつづける。ちょうど、テンポの異なるメトロノームが最小公倍数のタイミングで一致するように、このふたりの動きも、ときおり瞬間的な一致を見せる。


無機質な単語の連なりは、ときおり、ユーモラスな言葉遊びにさえなった。
大阪の町の猥雑な部分を象徴する言葉――ただしこれは都会のどこにでもあるのだが――がリズムに乗って規則的に連呼されていく。「ファッションヘルス」「イメクラ」「ガールズバー」……「幸子」「誰やねん!」「麗華」「誰やねん!」
これらの名前は、スナックの名前としての「幸子」「麗華」なのであるが、名詞を連続させていくだけで、詳しい説明がなくてもその意味が成立していた。
この「誰やねん!」は僕の思ったほどは笑いは起こらなかったが、笑いたくても、笑ってしまえば次の言葉を聞き逃してしまうためだったかもしれない。イメージが拡大し、洗練し、また混乱していく。冗談のような言葉がときおり意味を持つ。眠れない夜、病院で数えていた羊のうちのはぐれ羊(stray sheep)が、女の子の「ひつじ」なのか。たぶん、がたろは本当は病院で寝ている男の子。おそらく重い病気に罹っている。ひつじはがたろの想像の産物に過ぎないのか。いや、そうとも思えない。ひつじには沖縄からやってきた祖母の記憶がある。南の島からやってきて、大阪の島から島へ移り住んだ、ということをがたろに伝える。
何回かテーマが繰り返されていく。唐突に1931年(たしかそのあたり)から年号のカウントアップが始まる。いま調べてみると、満州事変勃発の年。このとき舞台に出てくる紳士・淑女たちは、「どこかで逢いましたね」「いったいどこでしたか?」「またいつかお逢いしましょう」「またいつか」と約束をするだけですれ違ってばかりだ。
ある紳士のひとりが、自分には記憶がはっきりとしない、それは、自分が多くの死者たちの記憶もまた担っているからだ、というようなセリフを吐く。これが、大阪の歴史とどのように関わっているのか知らないが、やはりこちらの理解の追いつかぬまま、一年づつカウントアップを進めていく。重要な年数が近づくと無意識に緊張してしまった。1945年、1970年、1995年、2011年、そして、2014年。それらはただの数字ではなかった。オープニング近くの「誕生日」と一緒だ。記憶に刻まれ、歴史に刻まれた瞬間がある、ということをわれわれは知っている。実際に僕自身が体験している年もある。
となると、何度も何度も言及される川が死の象徴のように思えてくる。そうなれば、島――木製の小舞台――は、生の踏み石である。ひつじは、祖母と一緒に大阪を生き抜いてきた人たちの象徴なんだろうか。川は、浚渫船がなければ泥に埋もれてしまう。昭和初期のことか。たまたま「シュンセツ」という単語を僕は知っていたので、すぐにイメージすることができた。どこで知った言葉だったか。もちろん、記憶を掘り下げていく暇は与えられない。ひつじの祖父はその浚渫船の乗り手だったという。むかしの大阪の流通を支えた人。そして、「がたろ」という職業もまた、川底を浚う人だ。
ここらへんはほとんど説明するようなセリフがないので、なんとか自分のなかで繋げることしかできない。それがあっているのか間違っているのかもわからない。というか、正誤はない。正誤になにかを求めることに意味はないだろう。劇中、ものすごい、と思える演出がいくつもあった。そのなかでも大掛かりな仕掛けについては、ここに記さない。はじめて観る人が万が一これを読んでいたら、驚きがなくなってしまうからだ。
がたろのものと思われる心電図の音と時報の音(これが実際の時刻を告げている)との相似や、手術を受けたがたろ(の精神)が生を象徴する島と島とのあいだを飛び回る場面は、より理解しやすく感動的だった。
何度も変奏されたテーマは収斂され、はじめのフレーズに戻っていく。そのときになると、最初は無意味に聞こえていた言葉が有機的に繋がっていたことが確認できる。そして、文字通り様変わりした舞台のうえで、美しいエンディングへ。演者たちは舞台を去り、しかしなおも音楽は鳴りつづけていた。
雨や、開場前のサーカスのパフォーマンス、屋台村での飲食や、そこに群がる観客たちの雰囲気も含めた舞台だった。
単純に演劇と言ってしまうよりは、音楽とかダンスとか、あるいは建築という概念も含んだ「舞台」という言葉がふさわしいだろう。不安定な言葉に対して、視覚や聴覚や触覚に対して直接訴えるものを持っている「身体」というものをこれほど強く感じたことはなかった。
Eテレ『ニッポン戦後サブカルチャー史』で宮沢章夫がどこだかの年代の解説において「希薄化する身体」というキーワードを紹介していたが、僕自身は(それ以前にも見聞きしたことのある)その言葉に対してつねに胡散臭いものを感じていた。身体器官の機能である知覚に頼っている以上、いくら仮想空間に依存の度合いが高まっていようと、身体が希薄になるはずがない、と。
その流れで「身体」というキーワードじたいにも胡散臭さを感じていた(同時に、「皮膚感覚」とか「肌感覚」みたいな言葉も嫌いだった)のだが、この観劇でいっぺんにその考えが覆された。身体というより、僕の感じたのは「実体」というものに近いのかもしれない。
セリフや歌の言葉が聴き取れなかったり正確に認識できないことがあっても、ときには総勢で五十人近く登場する演者たちの存在は「ないこと」にはならない。実体は、そのものだけで十分な重さを持つものであり、そこに価値が生じてくる。
作者は作品をそんな単純な二元論に還元されるとは想定もしていないだろうし、もし「身体の意味」のようなものを訴える意図があったのだとしても、それはおそらくこの劇団の底にもともとあった思想であり、あえて本作で訴えたというようなものでもないのだろう。
単純に、最大五十人が一斉に動き出し、一斉にしゃべりだすのを見せつけられた僕は、その言葉をはっきりとは受け止められなくても、ただただ圧倒されてしまった。
これは、僕の「個人的な感想」である。多種多様で豊かな鑑賞体験を持った人間の客観的な「批評」ではなく、非常に個人的なフィルターを通して得られた体験をそのままに書いただけの「感想」にすぎない。
僕は一般的なことを書きたいのではなかった。誰が読んでも理解できるような、わかりやすい文章を書くつもりはまったくなかった。この作品が二時間かけて――最終的に観客のまえにあらわれている時間が二時間なだけで、そのまえの稽古や舞台の設置などを含めれば、時間はもっとかかっている――表現しようとしたものを、数分で読めてしまうような文章で「解説」したり「分析」したりできるなんて、そもそも思っていない。そんなことをできると思っている人がいれば、それは冒瀆だ。
だから、誰かが『透視図』のことについて知りたいと思って読んでも、役に立つようなことは書かなったし、書けなかった。また、作品の理解の一助になるようなことなども書かなかったし、そのことについては自信すらある。
たぶん僕は昂奮しているのだ。観たことのないものを観て、聴いたことのないものを聴いて。
知らない世界を見せつけられて不安になり、作品の内容についても、作品の外にあるものについても、その意味を必死で考えてみた。そして、そのうち半分も理解できなかったように思う。
けれども、僕の価値観は揺り動かされた。衝撃を受けた結果、新たな世界を知ることができたという確信だけは、ここにしっかりとある。

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前回のつづき。後編じゃなくて中編というのがミソ。
会場に着いた。屋台村があることは知っていた。広場の真ん中に灯油缶になにかを入れて燃やしている。そこを取り囲むように、小さなステージ、そしていくつもの屋台が円形になっていた。
写真を撮ろうと思ったが、前述のとおり雨が降っていたので、バッグから取り出したり濡れないように傘を差したり(前回書き忘れていたが、折り畳み傘まで持っていた!)、また濡れないようにしまい直すという煩雑さを思い浮かべると、とてもじゃないがカメラを取り出す気分にはなれず、とりあえず目に焼きつけようと思った。屋台村の存在を知ったのは、劇団(維新派)のオフィシャルサイトで、そこのブログ部分に屋台村の写真が掲載されていて、そこに「ベトナムフォー」と書いてあるのを抜け目なく見つけていた。
だから僕は、迷わずにその店に行き、フォー(四百円)とおでんの牛すじ一本(百円)を頼んだ。註文を受けてくれたおばさんは、うしろで新聞を読んでいるおじさんに「フォーを一丁」と呼びかけ、顔を上げないのでもう一度、「フォーひとつ!」と言い、それでも聞こえていない様子に「フォーやで。三回頼んだから三杯つくらなあかんで」と声をかけた。こういう冗談は好き。おじさんもおじさんで、「すまんすまん」と小さな雪平鍋をコンロにかけ、そこにフォーを投じて作り出す。「パクチ、入れてだいじょうぶか?」
もちりん。
一分ほどで温まり、プラスチックの器によそってもらう。ナンプラーいっぱいあるから、好みで入れてな。
もちりん。
器を持って、すわれる場所を探す。木のテーブルが出ているが、雨ざらしの状態なので、人はすわっていない。どうでもいいや、とそこに器を置いて食事をし、周りを眺める。屋台にはそれぞれの「看板」になる商品の名前が貼ってある。モンゴルのパン。クスクス。黒毛牛のサーロインステーキ。バジル丼。おばんざい。チキンパン。そんなものが読み取れた。ぱっと見、異国情緒たっぷり。バザール(よくはわからないけれど)というか、いろいろな国の文化のぶつかる中間地という雰囲気だった。薄暗くなったなかを焚き火が燃えていることも、よけいにそのような感慨を増幅させた。ステージでは、ひとりの男がブルースらしい歌を唄っていた。耳を傾けてみる。これはどこぞのラジオ局で放送禁止になった歌、とか、これはどこぞのテレビ局で放送禁止になった歌、とかそういうことを唄う前に告知していた。それがまるで彼の勲章のようだった。つまらない歌が流行っているけれどおれの心には届かない、という旨を唄っていた。歌詞はわざと変えているが、だいたいそんな内容だった。それをいかにもブルースらしく唄うのである。
僕はイヤな気分になっていた。そういう批判こそが歌なんだというのが彼のメッセージなのかもしれないが、僕ら(あえて「僕ら」と書く)は、そういうメッセージをすでに何千回と聞かされてきたのではないだろうか。なにをいまさら、という気持ちは拭えない。
歌い手は僕より年上に見えたからおそらくは四十代だろう。もしかしたらもっと上かもしれない。そのくらいの年齢になって、他人を批判する歌。十代・二十代のラッパーが「腐れMCどもはオレさまの前にひれ伏す!」みたいに叫ぶのと、いったいどんな違いがあるというのか。
肝腎なことに、その彼が唄う歌じたいには言うほどの詩情もないし、声がしゃがれているだけでポエジーが備わっているというのなら、年古い噺家の落語を聴いたほうがよっぽどましだった。この前々日、僕はラジオである歌を聴いて感銘を受けていた。
1973年11月21日、Carmen McRaeという歌手が新宿のDUGに来ていた。日本人に弾き語りでなにか歌ってくれ、と頼まれ、三曲くらいしかできない、と断ったのだが、それでもいいから、といってさらに頼み込んだ。そのときの一曲である。


As Time Goes By - Carmen McRae

ラジオからこういう古いライヴ音源が流れるのは珍しいと思った。何度もグラスのぶつかるような音が聞える。レコードのスクラッチ音はひどいが、曲が終わると、控えめな拍手が聞えてくる。すばらしい歌だと思った。とてもまっとうなやり方で人を感動させることはできるのだ。けれども、それはごく限られた人にしかできない。
才能がないことを自覚し、それでも目立ちたいと願う人間は跡を絶たない。彼らは自分たちをなんとか印象づけるために、正道を外れた方法を選ぶ。たとえば、汚い言葉を汚い風に唄ったりして。かといってそれはけっして本気でもなく、実際は好人物ということの方が多い気もする。つまり汚いポーズを取っているだけなのだ。そういうやり方はたいていの場合、手垢に塗れているし、工夫もない。長くつづけても、本人が思っているほど価値はない。長くつづけて変わるのは、彼らがより意固地になっていくということだけだ。
ミュージシャンの気分にいつまでも浸っていたい人というのは世の中に大勢いる。僕は、どこかで見た安っぽい偽物のコピーのコピーを見せられている気分だった。僕が「偽物のオリジナル」と思っているものが、実は眼前のブルース唄いだった可能性もないわけではない。けれども、そんなことはどっちでもよかった。かつてうちのムラに住んでいたアーティストもどきに、このようなことを聞かされたことがある。
「メジャーなものに価値はありません。価値のあるものは、すべてマイナーなんですよ」
それは惨めな自己肯定の言い換えにしか聞えなかった。彼はなにも創作せず、公的な仕事――それに対して給料が税金で払われていたのだが――としてやらなくてはならないことをこなさず、ほとんどの人に嫌われていた。やっていることは、補助金ゴロそのものだった。その彼がしょっちゅう口にするのが「藝術」であった。
価値のあるものがたまたまマイナーである、ということはあるし、実例を知っている。また、価値のあるものでメジャーなものも知っている。それらは、価値の本質は世間の評価とは別次元にある、ということを伝えている。
しかしアーティストもどきも、ブルースシンガーもどきも、世間の評価を先行させて取り上げる。人気があるからいいだの悪いだの、または人気がないからいいだの悪いだの。
ときどきブルースもどきは、客を煽るように「イエー」と声を上げた。幾人かが「イエー」と片手を上げて応えていた。いやいやいや、(けっして好きではないけれど、でも)もうちょっと反応があってもいいじゃないか。腹を立てたり不快に思っているのは、あんがい僕だけではなかったのかも知れなかった。
歌が終わると、運営の一部っぽい人(劇団とは無関係かも)が駆け寄り彼にハグしていた。失礼だが、「駄サイクル」という感じがした。石黒正数『ネムルバカ』内の造語である。

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まあいいよ。どうでもいいよ。頼むから、いまから観る演劇がしょぼいものではないように。このケチのついた気分をどうにかしてほしかった。ゴミ箱はあったが、スープを棄てることはできなかったので、フォーのスープはすべて飲み干した。いや、おいしかったのだが、おかげで腹が膨れてしまった。いろいろ食べられると期待していたのに、もう食べるというたのしみはなくなっていた。
酒もたくさん売られていたが、地元の最寄り駅(来るまで一時間弱)近くの駐車場に車を駐めているので、僕は飲むことはできなかった。
屋台村のおかげで観客は大勢いた。
みんなおしゃれだった。こういうバザール的な場所に対してひとつもキョロキョロすることなく、ほとんどの人がスマートな振る舞いをしていた。こういうイベントに慣れているのだろう。さっきは反応悪かったけれど、「イエー」とか誰かが言ったら、「イエー」と応えることが簡単にできるような人たち、という印象を受けた。
現に、現地で待ち合わせをしたらしき人たちが、会っていきなり握手をしたり、あるいはハイタッチしたりする場面を何度も目撃した。僕は文字通り、屋台のつくる大きな輪の中にあったが、どうしても馴染めないものを感じていた。さきほどの歌のせいもあった。かといって、隅に行って限りなく身を隠そうとは思わないたちなので、より多くの人を見ることができる場所に立っていた。僕は多くの場合で居心地の悪さを感じてしまうのだが、便所飯をして誰からも隠れようなどという、ああいうしみったれた気分の持ち合わせもないのである。「輪」ということからすぐにトマス・マン『トニオ・クレーゲル』が思い出される。
主人公のトニオは、若い頃、金髪のインゲの象徴する、元気で明るく美しい人々に対してある種の憧憬をもって彼らのダンスを遠巻きに眺めているだけだった。
しかし、年月が経ち、ある程度名声を得た彼は、やはりインゲたちに憧憬を持ちつつも、彼らに心の中で訣別することもできるようになった。結末には、彼らへの「憧れと、憂鬱な羨望と、ほんのすこしの軽蔑」とを記している*1。異国情緒が漂う空間に集まった人たちの多くは、元気で、明るく、そして美しい人々と呼んでも差し支えなかった。インゲ的な人たちだ。もう少し言うと、観劇できるということは生活に余裕があるということだった。その点については僕自身も余裕があるということなのかもしれない。いや、余裕がなくてもたのしみとして年に数回だけ、都会に出張ってくる人間もなかにはいるのだろう。そこは他人がなかなか推測できない領域のことかもしれない。僕が彼らのなかに入っていくことはできないのは、彼らがまぶしいからだろう。いろいろな意味を込めたまぶしさを感じてしまうのだ。
彼らが握手やハイタッチを求めてくれば、僕はエイドリアン・モンクのように、右肘を左手で抑え、それから右手の人差し指をぴんと伸ばして、その指でこめかみを少し掻くような感じで「いや、けっこう」と言うだろう。「わたしのことは、どうか気にせずに」
モンクだって、彼らの存在を盲目的に疎ましく感じているわけではない。ただ、ちょっと接触するのは難しいというだけで。広場の中央でサーカスが始まった。
雨の止み間を狙い、高さ三メートルほど・長さ三十メートルほどのワイヤーの綱渡りをした。BGMはたしか『G線上のアリア』だった。ひとりがそこを命綱なしで渡り、それからふたりで同時に同じ方向へ綱渡りをし、最後に、途中でひとりが綱の上ですわり、もうひとりがそれをまたいで向こう側に渡る、というのをやっていた。
これは、ものすごかった。言葉はもちろんなく、あるのは実技のみ。バランスを取るための長い棒を持ち、一歩一歩ワイヤーの上を進んでいくのを間近で観るのは初めてだった。
こういう大道芸を観るといつも、十年ほど前に横浜はみなとみらいで観たパフォーマーのことを思い出す。その人は高い一輪車に乗ってジャグリングをするというものだったけれど、最後のパフォーマンスの際、「ぼくは十年間、来る日も来る日もこの練習をしてきました。両親は泣いています!」というような内容を言っていた。
それは冗談として大いにウケていたけれど、そこに事実もあるはずだった。陽気に見える芸でも裏には厳しい稽古があって、また、そんなので生活していけるのかという家族の心配も現在進行形でほんとうにあったのだろう。
そういう事実をすべて笑いに変換し、人にとっては取るに足らないことを本気で演じている姿には、胸を熱くするものがあった。
目の前の、というか頭の上で真剣に綱渡りをする彼らも、とても恰好よかった。小雨が降っているということが彼らの演技に少しでも影響があるのではないか、と心配性の僕はハラハラもした。
パフォーマンスが終わり、帽子に投げ銭を、という段になると、これまた客の反応が鈍くて僕は少し驚いた。おいおい、芸を観て感動したからには金を払えよ。少なくともスマホの動画撮影していた人(相当いたはず)はきちんと金を払うべきだと思うけど、はたしてどうだったんだろうか。開場時間は過ぎていた。午後七時の予定だったが、とうに回っている。スタッフの人から、開場が遅れている旨を告げられる。雨がまたすこしだけ強くなってきた。僕はフードをかぶる。スタッフのアナウンスが聞える。観劇中は傘が差せないので、受付けでレインコート(たぶん百円)を買ってください。
だらだらの汗が引き始めていた。寒くなってきた。トイレには一度行っておいた。どこもかしこも濡れているので腰を落ち着けられる場所がなかった。ずっと立ち尽くしているしかなかった。時間はなかなか進まない。傘がいくつも開かれ、視界が塞がりつつあった。本も読めなかった。やっと、開場した。開演時間の午後七時半を回っていた。ゆっくりと客席案内が始まった。二列に列ぶよう指示され、長い列ができた。
スタッフの人は「No Photo」という文字と、カメラに禁止マークのついたプラカードを片手に持ちながら、席の案内を懸命にしていた。おそらく特設の階段を上り、特設の舞台にやっと入れた。木のベンチがテープで区切られていた。そこにひとりひとりもらった防寒シートを敷き、すわる。お世辞にも広い席とは言えなかった。上演時間は二時間という予定だったから、最後のほうは尻が痛くなることは容易に想像できた。バッグの置くところもないので、膝の上。相変わらず重い。バッグのなかにあるのは、僕の無計画さの重みでもあった。でもまあ仕方ない。すべて、仕方ない。雨が降っていることについては一度も不満に思わなかった。そういうものだ、と割り切ることにしていた。むしろ、はじめての野外観劇が雨降りというのは面白いとさえ考えていた。目の前に広がる舞台は、ものすごく広かった。こちら側から見た舞台の奥側には、海辺などに立つ棒杭(?)をイメージした木の柱が等間隔に立てられているが、その向こうには川があり、さらにその向こうに大阪の高層ビルディングが見えるのだった。その夜景に美しいこと。つまり、舞台の背景として本物の大阪の夜景を借景しているのだった。
当然、スマホを持っている人は写真を撮りたくなるだろうが、さきほどスタッフが持っていたカードには「No Photo」とあった。しかし、何人かはやっぱりスマホを美しい舞台に向け始める。いけないと知りつつ、ちょっとぐらいならいいだろう、と撮影をし始めるのだ。
僕の目の前の女も撮影していた。すぐにスタッフが止めに来る。そりゃそうだ。スタッフ側からすれば、こんなすごい風景はチケットを買ってぜひ見に来てほしいのに、それを簡単に「シェア」なんてされたらたまらないよな。
スマホ女は、ちょこっと頭を下げて、それからスマホをいじくり始める。さすがに撮影はしない。けれども、すぐに開演時間が迫っているんだから、電源切れよ、おまえ。SNSだかメールだかなんだか知らないけれど、そんなのいまやらなくていいことなんだから、早く切れよ。李下に冠を正さず・瓜田に履を納れず、の言葉を知らないのだろうか。こういうバカはどこの会場にもひとりかふたりは必ずいる。個人主義を履き違えて、そのくせなにかをするときは集団のなかに隠れてこそこそするような輩。こういうやつとは同じ空間にいるだけで腹が立ってくる。
隣との席が近いので、周りがどうなっているのかを見回すことができなかった。なので、自然とスマホ女の後頭部を凝視するはめになった。せいぜいハゲておけ、と念を込めておいた。
長くつづいた席案内もどうやら終ったようだった。舞台の両裾奥からスモークが焚かれ始めた。客電がゆっくりと消えて行く。いよいよ、舞台が始まる。

*1:河出文庫版『トーニオ・クレーガー』(130p)

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「ハニー。そういえば、奈良旅行の際に、興味深いエクスペリエンスをしたんだ、そのことを聴いてくれるかい?」
「わたしがあなたの話を聞かなかったことなんて今まであったかしら?」
「ハンバーガーにピクルスを入れるべきかどうかで喧嘩したとき以外は、たしかになかったね」
「いいわ、ダーリン。話してみて」
「依水園ガーデンというところに行った、ということはすでに話していたね?」
「ええ」
「とても美しいジャパニーズ・オールド・ガーデンだったんだけど、そこで、ジャパニーズ・ファミリーとある場所ですれ違ったんだ。そこには小川が流れていて、そこに石が不規則に配置されていて、そこを踏んで川を越えられるようになっているんだ。『フミイシ』って言うそうだ」
「フミイシ」
「ザッツ・ライト。そのフミイシに乗って川の向こう側に行きたかったんだけれども、向こう側から先に、そのファミリーがやって来たので、ぼくはこちらで待っていた」
「優しいのね」
「ファミリーのひとりが渡っているところを写真に撮ろうとしたんだけれど、ファミリーの中のまた別の男が――けっこう若い感じだったな――、ぼくのほうに気づいて、写真を撮るのをやめて急いで渡るべきだ、とそのファミリーに促したんだ」
「へえ、気が利くわね」
「とても聡明そうな男だったんだ。たとえば……」
ジョージ・ブッシュのような?」
「HAHAHA! ハニー、あいかわらずきみのジョークは冴えてるよ」
「光栄だわ」
「ともかく、その聡明そうで、気が利いて、上品で、優雅で、笑顔がすてきで、なおかつ奥ゆかしいその人物は、そのフミイシを渡りきったときに――その男が列の最後だった――『ゴメンナサイネ』と言ったんだ」
「『ゴメンナサイ』? ええと、つまりアイム・ソーリーってこと?」
「そうなるね」
「サンキューではなくて、アイム・ソーリーって言ったってこと?」
「そうなるね」
「なぜかしら? その……ええと、聡明で気が利いて上品で優雅で笑顔がすてきで奥ゆかしいその人は、」
「無理しなくていいよ」
「その人は、なにかあなたに悪いことをしたの?」
「ノー」
「あなたの足を踏んだとか?」
「ノー」
「彼の荷物があなたにぶつかったとか?」
「ノー」
「それじゃあ、なんで?」
「それなんだ。それが不思議でね。ゲストハウスに帰ってからも、同じ部屋に泊まった人――ドイツ人だった――に訊いてみたけれどわからないって言われた。それでずっと考えていて、帰りの飛行機のなかで隣の席にジャパニーズがすわったときにやっぱり質問してみた。それで彼が教えてくれたんだ」
「わたしにも教えて」
「そのまえにちょっとこのコーヒーを飲ませてくれ……」
「もう、あなたはいつも肝腎なところで、コーヒーを飲むのね」
「ライク・エンショー」
「ワッツ?」
「ライク・エンショー。ニッポンにいるあいだにジャパニーズに教わったんだ。むかし、サンユーテー・エンショーっていうコメディアンがいたそうでね、そのコメディアンがパフォーマンスの途中で、急にグリーンティーを飲みだすんだ」
「グリーンティー? オチャってこと?」
「そう」
「なぜ? パフォーマンスをしながら、同時にオチャをするの? ええと、つまりそれはパフォーマンス・アートってこと?」
「ぼくも詳しいことを聞かなかったからわからないんだけれど、そのパフォーマンスの最中のオチャを飲むタイミングが、非常に突然なんだって。ぼくがそのジャパニーズと話している途中でコーヒーを飲んだら、『きみのその仕草はエンショーみたいだ』と言われたんだ。それでその『ライク・エンショー』というフレーズがすっかり気に入ったんだよ」
「先をつづけて」
「エンショーの話のつづきかい?」
「違うわ。『ゴメンナサイ』の意味よ」
「ああ、そっちか。オーケー。なぜ、サンキューではなくアイム・ソーリーだったのか。それはね、ニッポンという国のカルチャーに深く関係があるんだ」
「カルチャー」
「そう。ニッポンでは、慎ましいこと・謙虚なことがなによりも大事なことなんだ。とにかく、『ゴメンナサイ』と謝ることで、自分の周りのすべての人間に対する気遣いを見せているんだよ」
「それは、『アリガトウ』じゃだめなの?」
「そのジャパニーズが言うには、『アリガトウ』にはまだ……なんというか偉ぶった感じがあるらしい」
「ほんとに?」
「ジャパニーズはそう感じるんだろう、ぼくらにはわからないけれどね。『ゴメンナサイ』は、『アリガトウ』より一歩引いているため慎ましいし、それに、謝りつつも同時に感謝もあらわしているんだって」
「ええと……?」
「『サンキュー』の意味の『サンクス』って言葉があるね?」
「ええ」
「名詞の『サンクス』は、日本語で『シャイ』と翻訳できるらしい。その『シャイ』の『シャ』っていうカンジ――つまりチャイニーズ・キャラクターだけど――は、アポロジャイズを意味するんだって」
「ワッツ? ちょっと意味がわからないんだけど?」
「つまり、日本語の『シャイ』という言葉には、『サンキューの気持ち』と『アイム・ソーリーの気持ち』のふたつがあるってことさ。ふたつは、表裏一体ってことらしい」
「信じられないんだけど、『アリガトウ』と『ゴメンナサイ』は一緒ってこと?」
「必ずしも一緒ってことではないみたいだけれど、少なくともぼくのエクスペリエンスに照らして言えば、『ゴメンナサイ』には『アリガトウ』の意味も込められていて、それはとても上品なやり方のように感じたな」
「なんとも不思議なカルチャーね」
「ほんとに。その飛行機の隣にすわったジャパニーズがもうひとつ言葉を教えてくれたんだけど……ええと、手帳にメモしたんだ、どれだっけか?……ええと……これだ! ニッポンでは、『ケンジョーノビトク』という言葉があるらしい」
「ワッツ?」
「僕もいちいち辞書で調べたんだ。『ケンジョー』っていうのは、ヘルシーとかノーマルということらしい。『ビトク』はヴァーチュー。つまりふたつあわせて『健康第一』ってことみたいなんだけど……」
「つまり……どういうこと?」
「いや、これはいまだに意味がわかっていない。なんで『健康第一』なんて言葉がその話題に出てきたのか……。でも、とてもインポータントな感じがしたからメモしておいたんだ」
「オーケー。その最後の言葉の意味はわからなかったけれど、『ゴメンナサイ』のほうは意味がわかったわ」
「理解してもらえて嬉しいよ」
「てっきりわたしは、とりあえずなんに対してでも謝っておけばオーケーっていう安直な考えが習慣づいてしまっていて、それでうっかり口をついて出た言葉なのかと思ったんだけど、」
「決してそうじゃない」
「そうなのね。またひとつあなたのニッポンに対する理解が深まったのね、ダーリン?」
「そうさ、ハニー。今夜はお祝いにナパ・ヴァレーのカベルネ・ソーヴィニヨンを開けよう」
「まあ、すてき」



「……なんてことをあの外国人は思うに決まってるぜ」という話を家族にしたんだけれど、みんなにうるさがられました。

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今月の某日。午後五時ちょっと過ぎに、千日前線の阿波座という駅に着いた。田舎の山奥から二時間弱をかけて、大阪は中之島GATEサウスピアというところに、芝居を観に来たのである。
自宅でプリントアウトしたアクセスマップにはそこから徒歩十分ということが書かれてあった。地図読みは大の苦手であり、なおかつ「超」のつく方向音痴の僕は、開場時間の約二時間前に最寄り駅に立っていた。これだけ時間に余裕があればいくらなんでも大丈夫だろう。
開催場所では屋台村が出ているということらしく、そこで飲食をする予定だった。腹に余裕があれば興味のあるものを二、三食べ、写真などを撮影して、ゆっくりと時間を過ごせばいい、そんなことを考えながら歩を進めたのだが、気がかりなのは、原作である中上健次『十九歳のジェイコブ』を三十ページほど残してまだ読了していないということだった。
気がかりなことはもうひとつあった。雨が降っていた。その時点で詳しくは知らなかったのだが、開催場所は野外らしく、雨降りであれば、濡れたままの観劇ということになる。天気予報はチェックしていたので、いちおう撥水性のジャケットを着ていたが、できることなら濡れたくはなかった。地下鉄の地上出口から歩いてすぐのところの高層マンションの一階にカラフルなベンチがあったので、そこで読書のつづきをすることにした。
中上の『十九歳のジェイコブ』は、読みづらい小説だ。まず情景がつかみにくい。風景描写と等価値で心象が出てきて、なおかつ登場人物の見分けがつきにくい。しかも、時間軸がかなり不安定。
はじめに出てくる少年時代のシーンはすぐに転換し、次に出てくる頽廃の色に満ちたドラッグとセックスと、ジャズの鳴り響く世界がこの小説の主流らしい。けれども、2014年に生きている僕としては、それらはいささか古臭く見えてしまう装置である。物珍しさを取っ払って読むと、すでに見聞きしたことがあるようなテーマが何度も何度もリフレインされ……たかだか二百数十ページのこの中編を飲み込むのになんと時間のかかることか。集中できないのである。
しかし、やっとのことで読むコツのようなものがわかってくる。振り返ってみると、これは読み手の僕のほうに問題があったのではないかと思う。最近は読みやすい小説に慣れてしまっていて、能動的に読む癖を――いままで能動的に読んでいなかったというわけではなく、より能動的に、という意味である――思い出すのに時間がかかったのである。能動的に、より小説の世界に沈潜し没入していくやり方は、じつはとても贅沢であり、ある程度の余裕を確保しないとできない、ということも思い出した。
残りの三十ページを、小雨を降らせる風の音を聴きながら読んだ。ときどきページが濡れ、栞が飛ばされた。
角川文庫版の斎藤環の解説が面白かった。やはり「読みにくさ」に言及し、「昨今の、異様にリーダビリティの高い小説の文体になじんだ読者にとって、読みにくさはそれだけで越えがたい壁」としている。しかし同時に彼は、中上を激賞している。
中上健次は、最も偉大な作家の一人です。「日本の偉大な作家」でも「近代の偉大な作家」でもありません。単に「偉大な作家」なのです。
(246p)
この一作を読んだだけでは僕にはとうていそうとは思えなかったが、それでも目を惹くところは出てくる。
都会で主人公のジェイコブが他の同世代の仲間や女の子と享楽的な生活を送っている場面より、ときおりフラッシュバックする「路地」の幼少の時代や、自動車工として働いていた時代のほうが、ジェイコブはもちろん、他のキャラクターたちも活き活きとしているように感じられた。
そこで描かれているのは、決して明るい世界ではなく、むしろ絶望に満ちている。そこから抜け出ることじたいが難しく、みなが逼迫した経済に追い立てられるように生活している。なぜか説明が省略されたり、ディテールが曖昧なところも多いのだが、それらがかえってリアリティを増し、世界の奥行きを感じさせる。
それに較べて、都会でのジェイコブの生活は、濃密といえば聞こえはいいのかもしれないが、狭い空間でごちゃごちゃと動いている感じで平面的。登場人物たちも書割的で、模造世界という印象を受けた。読み終えて、いったいこれがどういう舞台になるのだろうか、と少し不安になった。あまり広がりのない小説だし、どうアレンジしてもうまくいかないんじゃないか、と思った。
先に結果から書いておくと、これから観に行こうとする維新派の舞台『透視図』の原作が中上『十九歳のジェイコブ』である、というのは僕のまったくの勘違いだった。なにかで読んだ主宰のインタビューページに、『透視図』の紹介と同時に新国立劇場で『十九歳のジェイコブ』の演出も手がける、という記述があったのを、どうやら読み違えて一緒くたにしてしまったらしい。
僕が半月ほどかけて粘りに粘って小説を読んだことも、作品内に出てくるAlbert Ayler の『Spiritual Unity』(約三十分)、Archie Sheppの『Black Gypsy』(約二十五分)、Miles Davisの『Sketches of Spain』(約四十分*1)をYouTubeで探して聴いたことも、「予習」としては意味がなかった。なんてこった!
さて、そんなことは知らないそのときの僕は立ち上がり、断続的な霧雨の中を、アクセスマップを観ながら進んでいた。五時半を少し回ったところだった。
一度、道を誤る。階段をのぼり高速道路の歩道を行かなければならないのに、行き止まりにぶつかりあたふたした。戻る。ちょっとだけ小走り。
同じ方向に進んでいる人たちは見えなかった。こちら側に向かってくる人たちは、仕事帰りの人たちだろうか。数人が横並びになってぺちゃくちゃとおしゃべりしている。
しばらくはまっすぐらしい、と地図と首っ引き。写真を撮ろうと思っていたが、もうすっかり日は沈みかけている。街灯はあるものの、高感度が苦手な僕のカメラではちょっと厳しい。この時点で、バッグに入れてあるカメラがただの重い塊と化した。
どうにかこうにかで、地図に「目印とせよ」とあった税務署が見えてきた。ああ、ここで右折だなあ、と思った。思った!
が! その税務署のぐるりを囲う柵に、中之島GATEサウスピアへの行き方を描いた簡易地図がかかっていた。その文章を読むと、次の交差点を右折し、そこではじめて見えてくる交差点を左折すれば見つかる、と書いてある。
次?
思うに、方向音痴は、「次」という概念の把握が非常にへたくそなのではないか。
その税務署の目前に交差点はあり、その貼られた地図を読む前まで僕は、そこを単純に右折する予定だった。
しかし、である。わざわざこのような掲示を行った手間を勘案すれば、「次」とは、目の前にある交差点を渡ったあとに出くわすその次の交差点のことを示しているのではないか、と考えを改めざるを得なかった。
そして、方向音痴の選択は、ほとんどの場合において間違う。歩けども歩けども、「次」がなかなか出てこなかった。だいぶ歩いている。もう、だいぶ歩いているよ。いつになったって交差点が出てこない。だいたい、交差点ってなんだ? 十字路になっている場所? 右折する道が出てくれば、それはもう交差点なんだろうか。 信号があれば、それを交差点と呼ぶのか、あるいは呼ばないのか。
小さな信号はいくつか渡った。ひょっとしたらあれは全部交差点だったのかも。アクセスマップを見るとその概要の仕方が大雑把なことに急に気づき、こんなの役に立たねーよ、と絶望的な気持ちになる。
ちょっと、ほんのちょっとだけ幅の広い道路を横断する。これは交差点なのか? いや、これを交差点としないと、おれの心はもう折れてしまいそうだ。心が折れないためにも、この道路を交差点と見做す! わが艦隊はこうして面舵を切った。果てしがなく、だだっ広い直線がつづいていた。これまた交差点がまったく見えない。交差点恐怖症になってしまいそうだ。おいおい、どこで左折すればいいんだ?
とにかく歩いてみる。てくてく。考えてみれば、歩いていて「てくてく」なんて音はしない。でも、てくてく歩いている。暑い。霧雨が少し激しくなっていた。微弱なシャワールームにいるような気分。蒸し暑い。野外の観劇ということだったので、季節外れとも言うべき恰好をしていた。下は、ユニクロのタイツの上にパンツ。上は、Tシャツ二枚に、ウールのセーター、その上にジャケット。ウールのセーターは燃やして捨てたくなった。暑すぎる。
もう少し粘って歩くとバス停があったので、そこの濡れたベンチにバッグを置き、ジャケットを脱ぎ、セーターを脱いだ。ぷひい。セーターは丸めて、思い塊の隣に押し込んだ。これで、役に立たないものがバッグにはふたつ詰まっていた。
いや、バッグのなかにある役立たずはみっつだった。やはり防寒のためにニットキャップを持ってきたのだが、暑すぎるのと、雨が降ったらジャケットのフードをかぶらなければいけないので、自然とキャップは邪魔になる寸法だった。つまり、重石ひとつに、ニット製品ふたつがバッグを占めていた。いや、それと、帰りの電車で読むものがなくなると、難波のジュンク堂で新書二冊と文庫一冊も買ったんだっけか。これまた別種の重石。
だんだんと、なにかのパフォーマンスアートをしているような心持ちになってくる。不必要な荷物を抱え、知らない街の道に迷うという「作品」だ。「現代人の彷徨」なんてタイトルをつければ、いかにもそんなふうに見えるだろう。咆哮したくなる。Tシャツのうえにジャケット。当然、腕がべたべたする。気持ち悪い。うへえ。
まだ交差点は見えない。そろそろ方向転換をしないと、大阪湾に出てしまうおそれが出てきた。いや、大阪湾がいったいどういう場所にあるのかも見当つかないのだが、とりあえず、そこに行きたいわけではない、ということは承知している。
おそらく、さっきの税務署のところで右折しなかったのが最初の過ちだったらしい。ということは、直進をつづけてそこで仕方なしに右折した僕はだいぶ西寄りになってしまっているようなので、どこかで東に戻らなければいけない。
いちばん確実なのはもと来た道をそのまま戻ることだが、それはなんとも度し難い。なので、万が一のショートカットを狙い、適当に右折を試みる。
どうやら近くに川が流れているらしい。もうちょっと東に行きたいと思っても、その川をどうやって渡ればいいのかわからない。目印になる場所を探そうとすると、周りにある建物に、工場(こうば)が多いことに気づいた。ねじや自動車の部品、あるいはなんだかわからないが新築の巨大な倉庫。小さな物流の支店もあった。交番やコンビニがあれば道を尋ねられるのだが、仕事をしている最中の人につまらない用件を訊くのは失礼だと思い、とにかく東へ。
途中、いくつかの住宅群もあり、そこで小学生の女の子を連れた母親が歩いていたが、街灯の少ない薄闇の道を、「すみませーん」と汗だらだらの男がぬぼっと現れたら警戒するに決まっているので、これもまた質問できない。とりあえず、ハイペースで歩く。当然のことだが、もう十分以上は歩いている。……? 音楽が聞えてきた。エコーがかかっていて、いかにもイベントスペースから流れてくる、という感じ。近いか?
音を辿ってみる……が、すぐに行き止まりにぶつかってしまう。反響音があちこちにぶつかり、正確な位置をつかめない。
と、向こう側から、カップルがふたり歩いてくるのが見えた。
ビンゴだ! 近い。女の子がスマホを覗きながら、隣の男に相談している。同じところへ行こうとしているのは確実で、しかも、その向こうに、遅れて僕より年嵩の女性もひとりで歩いている。
しかし、彼らは僕の来た道に向かっている。いっぽう僕は、探索し尽くしたわけではないが、「どうやらこっちではないらしい」と見切りをつけて、彼らがやってくる道のほうへ向っていた。つまり、このまま行けばお互いがすれ違いになり、どちらかがまた道に迷うということだった。
冷静に見れば、文明の利器を手にしているカップルの選択が正しい確率のほうが高いのだが、しかし、僕にはまだ僕の勘のほうが正しいだろうという自信があった。また、途中で方向転換して「あ、こっちだった」とひとりごとでもつぶやきながら、カップルのあとを従いていくことだけは、僕の自尊心が許さなかった。方向音痴は得てして妙なところでプライドが高いのである。
カップルをやり過ごし、そして年上女性もやり過ごした。かわいそうに。あなたたちもせいぜい迷うといいですよ。心の中で哀れな子羊たちにエールを送りつつも、自身の心配を優先させた。会場は絶対に近くにあるはずで、どうにかショートカットができれば、すぐに突き当たるはずだった。
左折すると、今度は若い男ふたり組が、やはりスマホを手にしながら、「お、あっちだあっち」と確信に満ちた足取りですたすたと歩いて行くのが見えた。
彼らは、僕のちょっと前のほうを歩いていた。彼らのあとを従いていくつもりなんて毫もなかったが、あそこらへんで曲がろうと思うところで彼らもちょうど曲がったので、「あ、僕といっしょのところに行くのかな」と思った。偶然ってあるんだね。曲がると、ようやく会場が見えた。
と思ったら、左のほうから先ほど袂を分かった年上女性が歩いてくるのが見えた。どうやらひとつのブロックを片方は左から、片方は右から回った、という形になったようだった。なんだか恥ずかしいような気がして、視線を合わすことができなかった。
腕時計を見ると午後六時十五分。徒歩十分のところを、四十分以上は歩きまわった計算になる。そして、舞台についての話はまだ始まらない。

*1:ただしこれは『アランフエス協奏曲』なので聴きやすい。

編集

前の記事の補足みたいなもの。

以前、あるところで僕より四歳か五歳くらい年下の、まあ同世代といえる男と話したとき、なんの気なしに、「芝居って、お金のかかっているのを観るほうが勉強になるんですよねえ」と言ったら、相手が、「そうですか?」とあからさまな疑義を呈してきた。
「あれ?」と思ったので向こうに話させると、彼は京都での大学生時代に演劇サークルにいて、年に何回か、チケット500円で公演して、それがものすごくたのしかった、だから、芝居は高いほうが面白いっていうのはちょっと違うと思う。彼の主張はそういうことだった。そして彼自身は、高い金を払って芝居を観たことがないようだった。
「へえ、そうなんですねえ」と僕はそこで話を終わらせたが、心の中では、「ははあ。だからきみのセンスはそんな感じなのね」と決めつけてしまった。

もちろん、芝居は金ではない。しかし、金ではない、というためにはある程度の金を払って芝居を観なくてはならない。これは当たり前のことである。
私は演劇ファンではないが、それでもシアターコクーンでの野田秀樹の芝居を何回も観に行っているし、パルコ劇場や、ちょっと値段は下がるが本多劇場、もうちょっと下がってスズナリにも行った。他にも下北沢の小劇場にも何度も足を運んでいる。コクーン・パルコはだいたい8,000円くらいか。本多劇場はたぶん5,000円。スズナリが3,500円、ほかは2,500円くらいかなあ。平均の話。
僕が「ああ、芝居って実はチケットの値段である程度その質がわかるんだなあ」と思ったのは、新宿のシアタートップスで中島淳彦の『相談にのってる場合か!?』を観たときのこと。調べたら2005年のことだ。
これ、たまたま『シアターガイド』 なんかを読んで、脚本家の中島淳彦と、俳優の井之上隆志の名前だけで観に行ったのだが、たしか(ちょっと記憶がおぼろげ)、5,000円だったと思う。ものすごく感動した。
その翌年の2006年(これも調べた)に、池袋の芸術劇場小ホールで観たる・ぱるの『八百屋のお告げ』は4,500円のチケットだったが、これまたものすごく面白かった。ちなみに、ここではじめて佐藤二朗という役者を知った。
これらを観たとき、2,500円とか3,500円で観ていた「ぽっと出」や「ワナビー」たちの芝居とは雲泥の差がある、と驚いたものだ。脚本と演出がしっかりしているし、そして、舞台や衣装がしっかりしている。
しっかり、というのはつまり、マニアックな演劇ファンや出演者の知り合いでなくてもたのしめるレベルにある、ということだ。上に挙げた二作はぶっ飛んだ設定ではなかったし、「わかる人にだけわかればいい」というようなところはいっさいなかった。最大限多くの人に笑ってもらい、感動してもらえるように丁寧に丁寧につくられているのがはっきりとわかった。つまり、ひとりよがりやノリだけのギャグや、演者ひとりがぎゃーぎゃーと泣きわめくような演出はいっさいなかったということだ。
野田マップや、あるいはもう一方の雄(好みではないけれど)、劇団☆新感線なんかもいいけれど、演劇界の底を支えているのは、中島淳彦の脚本や鈴木裕美の演出だったり、それを観に行っている人たちなんじゃないか、とほんとうにそう思っている。いや、いまは全然観に行けないけれども、東京や横浜に住んでいたら、やっぱり観に行っていただろうなあ。

上にチケット3,500円以下の劇団を「ぽっと出」とか「ワナビー」と書いたが、ほんとうはそうは思っていない。スズナリで猫のホテルを何回か観に行ったし、そのほか関西から来ていた売り込み隊ビームやヨーロッパ企画を観て、そのどれも面白いと感心した。
僕が面白いと思った小さな劇団はたいていプロという感じがした。それを生業にしているということではなく、意識が高いという感じがした。そして、猫ホテ(ベテランすぎて僕がどうこう言えるレベルではない)はわからないが、関西からの劇団の人たちは、もっと売れるようになりたい、というような強い意志を感じた。「わかる人にだけわかればいい」なんて思っていなかったんじゃないかな。

これは強く註記しておくけれど、僕はこれらの感慨を「サブカル」なんていうクソみたいな視点で書いているのではなく、きちんとした演劇の思い出として書いている。僕は「サブ」なんていうつもりで演劇をやっているやつらなんて興味ないし、そういうつもりで演劇を観に行く人たちにも興味ない。
僕がまあまあ熱心に劇場に行っていたときは、演劇こそテレビドラマや映画なんかより百倍面白いと思っていたし、これこそがメインカルチャーだと思っていた。

で、長々と書いてきたのはつまり、500円の芝居を何回か演ってそれで大学生活が終わって「ちゃんちゃん」の人たちは、それは趣味の世界の話であって、その人たちのなかよしサークル活動の延長線上に、いわゆる小劇場系演劇があるとは思わないでほしいということだった。
金がかかっていなくて、衣装を友だちから借りてきてサイズの合わないのを無理やり着たりしているくらいなのに、それなりの業界ツウっぽさをもって演劇を語ったりして……ってそれって僕がいまここに書いている文章と同じくらい恰好の悪いことなんだよ、ほんとに。
もし自分たちのレベルを試したいのなら、1,500円、2,500円って値段を上げればいいのだ。たぶん観客は激減する。アンケートだってクレームが増える。そういうのが怖いから、500円のままで、あしが出たら自分たちで補填して、傷つかないように済ます。
そういうのがわかるから僕は、チケット代がある程度するところは批判される覚悟ももちろんあるし、やっぱり金のかかった舞台はいろいろと見るべきところが多くていい、と言ったつもりだったが、たぶん彼にはずっと伝わらないのだろう。

ドラマ『アオイホノオ』は、古いマンガや雑誌を集めたり、小道具を当時のものを使っているという点では丁寧さが見受けられたが、内容という点ではあまり工夫が見られず、「なんだか自己満足じゃない?」という思いがとうとう払拭できなかった。このドラマを観ていて、上の500円の芝居の話を思い出したので、ここに記したまでである。


余談だが、ブログについても、この「値段」というものについて考えることがある。
ときどき「考察ブログ」とか「書評ブログ」とかいう文字(自称)を見て、こちらが恥ずかしく思ってしまう。そりゃ、ある程度のアクセスがあっていい気持ちになるのはわかるけれど、それって十中八九が無料だから読んでくれているわけで……。そういう自分の文章を、「考察」とか「書評」なんてふつうは書けるわけがないんだけど……まさか、書店の本棚に並んである文章なんかと同列にとらえているわけはないよね……まさか、だけど?
という思いが抑えきれない。もしそんなことを思っていたら、カエル in the 井戸すぎ。

反対に、無料だからこそ、ブログに文句をつけたり、つまらんコメントをしたりするな、とも思っている。
文句を言いたくなるお前に、誰が「金払え」って言ったか? おまえは金を払ってもいないものに対して、文句をつけようとしている。しかもおまえ自身は(たいていの場合)、その文句を言いたくなったブログほどの文章すら書けないというのに。

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こちらでも放映されたドラマ版の『アオイホノオ』。
観終えて、それなりに笑ったものの、なんだかなあ、という印象。この印象は第一回から最終回まで変わることはなかった。

僕はもともと原作が大好きなのだが、ドラマ版では、原作の一面しかとらえていないと感じた。
アオイホノオ』というマンガは、ただのギャグマンガじゃなくて、ものすごくよくできた青春マンガでもあるんだけど、ドラマ版ではギャグに重きを置きすぎてしまって、主人公のホノオの、たとえばかわいらしさをほとんど感じられなかった。
柳楽優弥が過剰なまでのいわゆる「顔芸」をしていたことは、(柳楽の役者としての心構えに対して)それなりに評価したいものの、ホノオというキャラクターが持っている繊細さをはたして描いていたか、という点については甚だ疑問。

総じてこれは、内輪ウケを狙った作品なのかもしれないと思った。テレビ東京での放送もこちらと変わらず深夜放送だったようだが、それゆえの内輪ウケ?
はじめから狭い対象に照準をあてた表現というのは、どんどんとその内容の規模や品質も小さくなっていく、と僕は考えている。ネットなんかではこういうドラマを見て、「うわーおもしれー」という手放し礼賛がありふれていそうだけれども、率直に言って僕は、(製作側は)つまらないところで満足しているんだろうなあ、と思った。「わかる人にだけわかればいい」という表現があるけれど、これは、少なくとも大ヒットを出したプロでなければ、ただの負け惜しみにしか聞こえないので、言ってはいけない言葉だと思っている。
わかりやすいところで妥協するのではなく、完全に、というのは無理だとしても、原作の持っている良さを最大限引き出すようにしなければ、なんのための原作つきなのだろうか。それだったら、最初からオリジナルでやればいいのに。それだと企画が通らないというのだったら、なお情けない話。

演技の点では、佐藤二朗集英社編集者役がひとつ(というよりふたつ、みっつほど)突き抜けた演技をしていたので、これは素晴らしかった。演出がこれを許している、という点もあるのだろうけれど、それはミクロの話。マクロではやっぱり評価は変らない。
ほかには、庵野役の安田顕、ホノオ役の柳楽優弥、ぶりぶりぶりっ子のトン子さん役(これはこれでいいんじゃないかと思った)山本美月、がよかったかなあ。濱田岳岡田斗司夫役はひどかったなあ。マンガのコピーという形をとったんだろうけれど、なにがしたいのかすらよくわからなかった(登場回数は少ないけれど)。
ひどいといえば、山賀役のムロツヨシ。いままで何回か彼の出演作に接してきたが、このドラマである種の見切りがついてしまった。

名もなき毒』で小泉孝太郎の同僚役ではじめて彼の存在を知ったのだが、このときは鮮烈で、「お、なんか面白いことやってるやつがいるな」という感じだったんだけれど、『ごちそうさん』に出たときは「なんとかのひとつ覚え」風のキャラ芝居で、おそらくこれは演出の指定があったのだろう、と自分を納得させたが、『ペテロの葬列』(そういえば最終回だけ観ていない)で『毒』と同役で再登場したときには、前作の「なんかヘンなやつ」的な演技はかなり陰をひそめ、これもおそらく演出の仕方だったのだろうが、つまり、少し変ったキャラクターを演じないと彼の芝居そのものにはあまり魅力は感じられないんだな、と薄々感づいた矢先の、この『アオイホノオ』だった。
こうなると、彼のまとまった演技が鼻について鼻について仕方なくなった。思うに、ぶっ飛んだ演技でもしてくれりゃあこっちも「お、いいぞ!」となったのだろうが、なんだか観ているこちら側を意識しているようなつまらないクレバーさ(=小賢しさ)を感じてしまうようになった。

彼のそういう演技が、このドラマじたいの小賢しさも象徴しているようで、「はいはい、ネットではこういう感じでもウケるんでしょうね。で、ご自分たちでも満足なんでしょうよ」とやる気のない拍手を送っておしまい。
深夜だからこそ、もっと冒険してもよかったんじゃないのかねえ。でも、原作がこの影響で売れるのだとしたら、それは素直に喜びたい。

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ビッグマウスのボクサー斃れその手からバンテージを剥ぎ嘲笑うピエロら

真夜中の牛乳配達遅るるも幽霊屋敷の門灯ともる

大トラと電器屋主人の血闘にスピーカー騒ぎブラウン管湧く

兎も角も住所不定の我なれど薔薇の香たよりに訪ね来てみよ

名にし負う笑い上戸の窃盗団竜巻のごとく秤屋を襲う

蛇の道を知り尽くしたる奇術師はハットの中に権利書匿す

「生き馬の目抜き通り」を真っ直ぐに行きて賢しき墓掘りと会え

羊雲廃墟の空にも浮かびおり自動テープの無限リピート

禿頭の町三役らの猿芝居怒れる聴衆泥爆弾投げ

錆びついた鳥居毀して参詣し四万六千の呪いに罹る

大風に犬歯剥き出す老僧は中国拳法三十二段

カウンターに猪首の司書の指毛落ち資料庫に住む物の怪が哭く

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