金沢に行ってきた。
特にアテがあるわけではなかったのだが、なんとなく行ってみたい場所だった。
早朝、僕の乗り込んだ駅では、サラリーマンの中年男性と比較的おとなしいタイプの若者の「ずっと並んでいた」「割り込みだ」という口論があり、午前六時半の寒いホーム(もしかしたら零下ですらあったかもしれない)に、おっさんの声が響いていた。
「キレる中高年」の実像を目の当たりにした瞬間で、話を聞いていればおっさんの怒る理由もわからないでもなかったが、はっきり言って、田舎のベッドタウンの早朝に、順番がどうのこうのという理窟で大声を出さなければいけない生活は、無関係である他人の僕からすれば世知辛く映った。大阪に行くあいだ席にすわって寝れるか寝られないかで、まるで人生そのものの価値が決まってしまうというようだった。
堺東という駅で停車中、完全にアイドリングをストップした車内では、こちらの席と、向かい側の席から呼応するように鼾が聞えた。みな、疲れているのだろう。それはわかるのだが、ただ、朝から他人の鼾を聞きたくはなかった。電車は「自分ち」の延長線上にあるのではないはずだ。
それ以外は、やはり都会の地下鉄に乗るのはいろいろとたのしい。 僕の前に立った男の人が履いているスニーカーのロゴマークにはリフレクターがついていて、地下鉄トンネル内に設けられた電灯の光をキラッ、キラッと反射させていてその瞬きが面白く感じられた。
また、もの思いにふける女性がいて、その人はなぜか銀字で「2011」と書かれた手帳を持っていた。その年にあったことを思い出すためにつねにそれを持ち歩いているのか、あるいは、「2011年のことをつねに忘れないように」というコンセプトでデザインされた手帳なのか、それはわからなかった。
これらのことは、人の多いところへ足を向けなければ体験し得ない。本当は、高野線の新今宮駅で降りて行った女に足を踏まれたということも歌にしたかったのだが、パッと思いつかなかったので、(熟考したとすればあまりにも「労多くして功少なし」になりそうなので)今回は諦めた。
枝雀落語(たとえば『仔猫』)に、「馬には乗ってみよ、人には沿うてみよ」といういい言葉がある。今年は、これをモットーに、いや、「意識する」程度でよいから、消極的な積極さをもって人に関わり合いを図っていきたいと思っている。世人・世塵に塗れたところに詩情も生まれる、という気もする。
すでに自宅を出てから二時間ほど経過しているが、ここで特急が動き出したことによって、ようやく「出発」の感あり。
これが今回の旅行の第一枚目の写真。大阪駅出発直後の窓から見えた観覧車。たぶん大阪の人は知っているのだろうが、僕は知らない。
さあて今回はいっぱい景色を見るぞ、と思っているときに限って急激な睡魔に襲われ、いつのまにか眠ってしまい、次に目が覚めるとこんな光景が。
どこだろ、ここ。
ただ、雪がうっすらと残っているところから、確実に北に向かっていることはたしかだった。
……びっくりするくらいライブドアブログが書きづらいので、第一回はここらへんまで。
今回の旅行では、写真も撮影したが、メモ帳に歌のアイデアやモチーフのようなものをいくつか書き留めていたので、車中や歩きまわっている最中に、ときおりぱらぱらとページを捲りその推敲に勤しんでいると、時間がすぎるのがとても早かった。
カメラ以上に、欠かせない「道具」であった。
特にアテがあるわけではなかったのだが、なんとなく行ってみたい場所だった。
高野線 堺東の停車にて山彦のごとき鼾がふたつ
大阪に出るときは、いつも南海電鉄の高野線という電車に乗る。早朝、僕の乗り込んだ駅では、サラリーマンの中年男性と比較的おとなしいタイプの若者の「ずっと並んでいた」「割り込みだ」という口論があり、午前六時半の寒いホーム(もしかしたら零下ですらあったかもしれない)に、おっさんの声が響いていた。
「キレる中高年」の実像を目の当たりにした瞬間で、話を聞いていればおっさんの怒る理由もわからないでもなかったが、はっきり言って、田舎のベッドタウンの早朝に、順番がどうのこうのという理窟で大声を出さなければいけない生活は、無関係である他人の僕からすれば世知辛く映った。大阪に行くあいだ席にすわって寝れるか寝られないかで、まるで人生そのものの価値が決まってしまうというようだった。
堺東という駅で停車中、完全にアイドリングをストップした車内では、こちらの席と、向かい側の席から呼応するように鼾が聞えた。みな、疲れているのだろう。それはわかるのだが、ただ、朝から他人の鼾を聞きたくはなかった。電車は「自分ち」の延長線上にあるのではないはずだ。
なんば駅 歩きスマホの学生が線路に落ちても吾は嗤はむ
なんば駅から御堂筋線に乗り換える。人が多い。人の流れには速度があって、方向もある。五年経っても僕はこの動きについていけるし、しかもこの速度が心地よくさえあるのだが、ただ、歩きスマホはイヤ。なにか事故が起こったとしても、それこそ自業自得だと、僕は嘲笑を浮かべてしまうのではないか。それ以外は、やはり都会の地下鉄に乗るのはいろいろとたのしい。 僕の前に立った男の人が履いているスニーカーのロゴマークにはリフレクターがついていて、地下鉄トンネル内に設けられた電灯の光をキラッ、キラッと反射させていてその瞬きが面白く感じられた。
思案する女の持つ手帳カヴァーに刻印された”2011”
また、もの思いにふける女性がいて、その人はなぜか銀字で「2011」と書かれた手帳を持っていた。その年にあったことを思い出すためにつねにそれを持ち歩いているのか、あるいは、「2011年のことをつねに忘れないように」というコンセプトでデザインされた手帳なのか、それはわからなかった。
これらのことは、人の多いところへ足を向けなければ体験し得ない。本当は、高野線の新今宮駅で降りて行った女に足を踏まれたということも歌にしたかったのだが、パッと思いつかなかったので、(熟考したとすればあまりにも「労多くして功少なし」になりそうなので)今回は諦めた。
枝雀落語(たとえば『仔猫』)に、「馬には乗ってみよ、人には沿うてみよ」といういい言葉がある。今年は、これをモットーに、いや、「意識する」程度でよいから、消極的な積極さをもって人に関わり合いを図っていきたいと思っている。世人・世塵に塗れたところに詩情も生まれる、という気もする。
遅れまじとホームを駆ける吾(あ)を迎ふ精悍な面 ”サンダーバード”
梅田駅はJRの大阪駅で、そこから特急サンダーバードに乗った。時間がけっこうぎりぎりだったので、ホームを走った。この電車、カッコイイ面構えをしていたのだが写真を撮っているヒマはなく、翌日に金沢から帰阪する際に同列車を撮影したのだが、なぜか違う顔。いろいろと種類があるのかな。電車に詳しくないので(しかもそれを調べようともしないので)その理由がわからない。すでに自宅を出てから二時間ほど経過しているが、ここで特急が動き出したことによって、ようやく「出発」の感あり。
これが今回の旅行の第一枚目の写真。大阪駅出発直後の窓から見えた観覧車。たぶん大阪の人は知っているのだろうが、僕は知らない。
芦原(あしはら)を<あばら>と言へると思ひしが流れる文字にて<Awara>だと知る
さあて今回はいっぱい景色を見るぞ、と思っているときに限って急激な睡魔に襲われ、いつのまにか眠ってしまい、次に目が覚めるとこんな光景が。
どこだろ、ここ。
ただ、雪がうっすらと残っているところから、確実に北に向かっていることはたしかだった。
水溜まる冬田に嘴(はし)入れる烏田んぼには前日の雨なのだろうか、ところどころ水が溜まっていて、そこへカラスが幾羽も下りてなにかをついばんでいた。観ていて寒くなる風景だった。
大阪→新大阪→京都→敦賀→武生→鯖江→芦原温泉→加賀温泉→小松→金沢というのがこの特急電車の停車駅だったはずだが、このなかの「芦原温泉」を、これまでラジオなどで聴いてずっと「肋温泉」というのだと思っていた。ずいぶんとミステリアスな地名があるものだと思い込んでいたのだが、車輌連結部分あたり上部にある電光掲示板に「芦原温泉」の文字が見え、それと車内アナウンスを合わせて、「ああ、『芦原』で『あばら』って言うんだ」とまだ正確な音を把握できていなかったのだが、掲示板の日本語のあとに流れる英語のガイダンスによって、はじめてその正しい発音が「あわら」だということを知り、大いに納得。
……びっくりするくらいライブドアブログが書きづらいので、第一回はここらへんまで。
今回の旅行では、写真も撮影したが、メモ帳に歌のアイデアやモチーフのようなものをいくつか書き留めていたので、車中や歩きまわっている最中に、ときおりぱらぱらとページを捲りその推敲に勤しんでいると、時間がすぎるのがとても早かった。
カメラ以上に、欠かせない「道具」であった。