とはいえ、わからないでもない

2015年01月

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金沢に行ってきた。
特にアテがあるわけではなかったのだが、なんとなく行ってみたい場所だった。

高野線 堺東の停車にて山彦のごとき鼾がふたつ

大阪に出るときは、いつも南海電鉄の高野線という電車に乗る。
早朝、僕の乗り込んだ駅では、サラリーマンの中年男性と比較的おとなしいタイプの若者の「ずっと並んでいた」「割り込みだ」という口論があり、午前六時半の寒いホーム(もしかしたら零下ですらあったかもしれない)に、おっさんの声が響いていた。
「キレる中高年」の実像を目の当たりにした瞬間で、話を聞いていればおっさんの怒る理由もわからないでもなかったが、はっきり言って、田舎のベッドタウンの早朝に、順番がどうのこうのという理窟で大声を出さなければいけない生活は、無関係である他人の僕からすれば世知辛く映った。大阪に行くあいだ席にすわって寝れるか寝られないかで、まるで人生そのものの価値が決まってしまうというようだった。

堺東という駅で停車中、完全にアイドリングをストップした車内では、こちらの席と、向かい側の席から呼応するように鼾が聞えた。みな、疲れているのだろう。それはわかるのだが、ただ、朝から他人の鼾を聞きたくはなかった。電車は「自分ち」の延長線上にあるのではないはずだ。

なんば駅 歩きスマホの学生が線路に落ちても吾は嗤はむ

なんば駅から御堂筋線に乗り換える。人が多い。人の流れには速度があって、方向もある。五年経っても僕はこの動きについていけるし、しかもこの速度が心地よくさえあるのだが、ただ、歩きスマホはイヤ。なにか事故が起こったとしても、それこそ自業自得だと、僕は嘲笑を浮かべてしまうのではないか。
それ以外は、やはり都会の地下鉄に乗るのはいろいろとたのしい。 僕の前に立った男の人が履いているスニーカーのロゴマークにはリフレクターがついていて、地下鉄トンネル内に設けられた電灯の光をキラッ、キラッと反射させていてその瞬きが面白く感じられた。
思案する女の持つ手帳カヴァーに刻印された”2011”

また、もの思いにふける女性がいて、その人はなぜか銀字で「2011」と書かれた手帳を持っていた。その年にあったことを思い出すためにつねにそれを持ち歩いているのか、あるいは、「2011年のことをつねに忘れないように」というコンセプトでデザインされた手帳なのか、それはわからなかった。
これらのことは、人の多いところへ足を向けなければ体験し得ない。本当は、高野線の新今宮駅で降りて行った女に足を踏まれたということも歌にしたかったのだが、パッと思いつかなかったので、(熟考したとすればあまりにも「労多くして功少なし」になりそうなので)今回は諦めた。
枝雀落語(たとえば『仔猫』)に、「
馬には乗ってみよ、人には沿うてみよ」といういい言葉がある。今年は、これをモットーに、いや、「意識する」程度でよいから、消極的な積極さをもって人に関わり合いを図っていきたいと思っている。世人・世塵に塗れたところに詩情も生まれる、という気もする。

遅れまじとホームを駆ける吾(あ)を迎ふ精悍な面 ”サンダーバード”

梅田駅はJRの大阪駅で、そこから特急サンダーバードに乗った。時間がけっこうぎりぎりだったので、ホームを走った。この電車、カッコイイ面構えをしていたのだが写真を撮っているヒマはなく、翌日に金沢から帰阪する際に同列車を撮影したのだが、なぜか違う顔。いろいろと種類があるのかな。電車に詳しくないので(しかもそれを調べようともしないので)その理由がわからない。
すでに自宅を出てから二時間ほど経過しているが、ここで特急が動き出したことによって、ようやく「出発」の感あり。
観覧車
これが今回の旅行の第一枚目の写真。大阪駅出発直後の窓から見えた観覧車。たぶん大阪の人は知っているのだろうが、僕は知らない。

芦原(あしはら)を<あばら>と言へると思ひしが流れる文字にて<Awara>だと知る


さあて今回はいっぱい景色を見るぞ、と思っているときに限って急激な睡魔に襲われ、いつのまにか眠ってしまい、次に目が覚めるとこんな光景が。
冬景色

どこだろ、ここ。
ただ、雪がうっすらと残っているところから、確実に北に向かっていることはたしかだった。
水溜まる冬田に嘴(はし)入れる烏
田んぼには前日の雨なのだろうか、ところどころ水が溜まっていて、そこへカラスが幾羽も下りてなにかをついばんでいた。観ていて寒くなる風景だった。

大阪→新大阪→京都→敦賀→武生→鯖江→芦原温泉→加賀温泉→小松→金沢
というのがこの特急電車の停車駅だったはずだが、このなかの「芦原温泉」を、これまでラジオなどで聴いてずっと「肋温泉」というのだと思っていた。ずいぶんとミステリアスな地名があるものだと思い込んでいたのだが、車輌連結部分あたり上部にある電光掲示板に「芦原温泉」の文字が見え、それと車内アナウンスを合わせて、「ああ、『芦原』で『あばら』って言うんだ」とまだ正確な音を把握できていなかったのだが、掲示板の日本語のあとに流れる英語のガイダンスによって、はじめてその正しい発音が「あわら」だということを知り、大いに納得。

……びっくりするくらいライブドアブログが書きづらいので、第一回はここらへんまで。
今回の旅行では、写真も撮影したが、メモ帳に歌のアイデアやモチーフのようなものをいくつか書き留めていたので、車中や歩きまわっている最中に、ときおりぱらぱらとページを捲りその推敲に勤しんでいると、時間がすぎるのがとても早かった。
GR000333
 カメラ以上に、欠かせない「道具」であった。

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GR000211
撮影したい対象にここまで近づければ、もうそれだけで成功したと言えるのではないか。

写真撮影のガイダンスでよく、 「撮ろうと構えたところから一歩前に出て撮影すること」というのがあるが、あれは本当のことなんだろう、と実践できないから「きっとそのはず」と自分自身を納得させている。
上図のように相手が猫であれば、ここまで近づけるが(というか、膝に乗っているだけなのだが)、人間、しかも知らない人が相手であれば、だいたいからして僕は近づくことができず、当然、撮影なんてもってのほか。
一歩前に踏み出すその足を、踏み出しかねたままである。

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その後、試行錯誤を繰り返して、なんとかはてなスターをつけることに成功……したと思う。
削除方法は、昔ながら「しばらくのあいだマウスオーバー」にて 。なんだかスターコメントもできそうな気もする。
引用スターもできるのか。 

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タイトルは、オレオレ詐欺の新しいバージョンのことではない。

ずっと前から積ん読になっていたマルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』を、やっとのことで読み始めた。一冊一冊は新書サイズの白水uブックスでかなり薄いのだが、全十三冊というので、最後まで行けるのかどうかわからない。
訳者によって戦前から翻訳が始まっていたというからけっこう古い言葉・バカっ丁寧な言葉が多いのだが、それも新鮮。というか、そういうところをツッコむだけの読み方ってつまらないし、時間の無駄だと思う。

で、第一次世界大戦前のフランスをなんとなく想像しながら読んでいるのだが、そのなかで妙な表現が出てきた。
ある女性の夫がたいへんな浮気者でどうしようもないお調子者なのだが、彼のいないときには腹が立って仕方のない夫人も、いざ彼を目の前にしてしまうとその魅力に幻惑されてしまうところがあって……という場面。
夫人が、
かつて婚約時代の日記の中に《あたしの愛する人は、インドの王子さまのようにおきれい》
と書いたというその夫、ジェロームを眺めると、
その目は、昔のままの目つきだった
と描写される。 そして彼は、
きれいにつめのみがかれた指先で、つぎからつぎへと焼パンにバターをぬり、蜜をなすり、上体を皿の上にかがめては、わしわしパンを食っていた

(『チボー家の人々1 灰色のノート』白水uブックス 150p-151p)
(※)太字強調は引用者による
というのだけれど、この「わしわしパンを食っていた」という文章のインパクトたるや。ロマティックのロの字もない、というのは現代人の感覚か。

さあ、それでは明朝にトーストをわしわし食うことをたのしみにして、今夜は寝るとしますか。

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前の記事では、いわゆるメインストリームのところを書いたわけで、つまりそこは目につきやすいところってことにもなると思うのだけれど、それとは逆の、もっと目立たないブログにこのあいだたまたま行き着いたので、そのことについてもメモ。

僕がたまたま行き着いたそのブログははてなダイアリーで、「2014年のお別れ」というお題でこんな記述をしていた。
もうすぐ冬休みも終わるというのにPC・ゲーム機ばかりやって宿題の書き取り、冬休みの練習帳が終わってないid:xxxxです。 
という冒頭でまず、「ん?」と思った。冬休み? 宿題? それから少しあって、
来年度は小6になります。最高学年として頑張ります。
とか、
そして、運動会ではいい結果を残せたので良かったです。
とか。
つまり、この子、現在小5なんだということがわかった。
これが僕にはけっこうな衝撃で、小5でもうブログかよ、さすがデジタル・ネイティブと驚いた。しかし、ブログ上での他の読者とのやりとり(コメント欄で、「ぼくのブログを読者登録してくれませんか?」「しました」)なんかを見てしまうと非常に微笑ましく、この子たちが(本来の意味での)世間擦れして、はてブなんかで「さすがの平常運転www」みたいなクソの役にも立たないコメントを乱れ打ちするような将来が来ないことを祈って、おじさんはブラウザのタブを閉じた。

ブログというものはかくあるべきとは思わないまでも、それほど多くの人たちが読むことを意識していない上記のような日記みたいなスタイルが正統という気がした。

「ナガブロ」というコミュニティサイトがある。説明書きには、
「ナガブロ」とは、株式会社ウェブエイトが運営する長野県の地域密着型ブログポータルコミュニティサイトです。 長野県在住の方、長野県に通勤・通学されていいらっしゃる方、長野県出身の方など、「長野県が大好き」という方が集まるコミュニティサイトですので、必要な情報を必要なターゲットに向けて発信できる、地域密着型のプロモーションツールとしてご活用ください。
などとあるのだが、半年ほど前、なにかを検索していたときにたまたまここに属している(?)ブログに行き当たり、そこで十数人ほどのユーザーがひとつのテーマ(それもたぶん地域に密着したテーマだったと思う)についてコメントし合っていて、それがものすごく雰囲気がよかった。
その人たちのコメントとか、書き手の書き様からは、不特定多数の読者を意識しているところがまったくなく、本当にごく近所のレストランやらカフェやらに集まって近所の人たちとおしゃべりしているような感じしかしなかった。
ちょっと見だったので総括的なことは言えないのだが、これもまたブログの正統という気がした。というか、なんでもかんでも「アクセスを増やすこと」や「注目を浴びること」に意識し特化したブログを書くほうが、尋常ではない気がする。

自分の管理できる程度(つまり少数)の人間に見てもらいたい、という期待と、誰でもいいからとにかく多数の人間に見てもらいたい、という期待には、ものすごく大きな差があって同一視するべきではないだろう。
後者の最悪の状態が、このあいだのつまようじ男。
僕はあのニュースを見ても、ちっとも驚かなかったし、しかもその続報にも興味なかった。だいたい異物混入も、その状態をツイッターにアップしたりしている時点で、相当怪しいと思っていた。いちおう「現実」に近いと思われる状況についてのレポートを貼っておく。
異物混入だけじゃなくて、たとえば届いた年賀状なんかをツイッターにアップする感覚って、僕からすると、「そんなに他人のふんどしを使ってでも目立ちたいの~?」 と思ってしまうけれど、あまりそう考える人もいないんだろうね。つまようじ君と心の働きとしてはそんなに変わんないと思うよ。


とにかくまあ、静かなところでつまらない心配をすることなくブログを書くというのは、たいへん気持ちのよいこと。別にそれがはてなブログではできないわけではないけれど、あそこのいまの仕組みっていうのが、静かに書きたい人たちを優先するよりは、騒ぎたい連中を優先している感じがあって、僕はそれが嫌いというだけ。

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もともとはてなダイアリーが好きで、それからはてなブログに移行したという経緯だったが、そのはてなブログも、最初の頃は、ダイアリーユーザーなら当然のごとく文句の出るようなものでしかなかったし、実装されている機能なんてしょぼいにも程があったが、それでもはてなブログなりのよさみたいなものも、あの頃は、まだあったんじゃないか、とあくまでも僕の観測範囲内での話ではあるが、思っている。

それこそ、新着記事のところからばしばしと飛んでいって スターをつけまくったり読者登録しまくったりしていた人もいたけれど、けれどもある側面から見れば、ああいう人たちによって書き手が活気づき、お互いのものを読みたいから書き、また、書きたいから読む、というような「善のサイクル」が生まれたのだとも思う。
なにもこれははてなブログに限ったことではなく、ブログ村なんかのバナーの上に「はげみになるのでポチしてください↓」などと書かれたものを、僕なんかは「はあ」と思ってしまうほうだけれど、実際に励ましたり励まされたりしている部分はおおいにあって、そういう人たちが、「なにかを書く」という文化の底上げ(つまりこれはネットの世界の活況につながっている)を担っているという事実は揺るがしがたい。

上で「善のサイクル」と書いたのは、ほとんど自身を益することのない動機に基づいているからで、優しい気持ちから成り立った縁があったからこそ、少なくとも僕なんかは書きつづけられたのだと思う。
それがいまとなっては、「はい、あなたのところにもスターをつけるのでわたしのところにもきてくださいね」というような押しつけがましい挨拶をそこここのコメント欄で見るようになってしまい、「機能じたいは不便だが、気持ちのいいユーザーが多いブログ」から、「機能は充実してきたが、気持ちの悪いユーザーが多いブログ」に変貌を遂げている気がする。

ここらへんの気持ち悪さを、「週刊はてなブログ」という公式のサイトが体現している。
いま確認してみたら、最新のランキング(←この感覚のダサさ!)が以下のようになっていた。
 
週刊はてなブログ

別にどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、こんなの、はてブランキング(のくだらなさ)となにが違うっていうの?
はてなは、こういうクソみたいなタイトルをつけるクソみたいなブログを求めているとしか思えない。そりゃそうでしょう。はてブと連携したツイッターなんかのSNS経由でPVが増えりゃ広告収入があがるんだから(たぶん)、コンテンツの質なんて二の次、三の次だろう。
ダイアリーは広告が出なかったはずだが、はてなブログは広告表示がデフォルトの時点で、(映画『ソーシャルネットワーク』じゃないけれど)もはやクールじゃないしね。

ま、上記はダイアリーのクールさが好きだった僕の僻みみたいなもので、時代はそんなクールさなんて必要としていないのだろうとも思う。
だいいち、ブログっていう文化も、もはや多くの人(特に若い人たち)にとってはもうダサいものになっているのかもしれない。「長文書くなんて。読むのもめんどいよ」などなど。まあ、それもそれでいいよ。僕も若い人たちの文化をクソダサいと思っているしね。
 
……っていうことを、いままでははてなブログ内から書いていたんだけど、いまはもう晴れて別の場所から。
ライブドアブログがいい、なんて爪の先ほども思っていないけれど、それでもはてなブログはもういい。

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(これより以前の記事は、すべて、はてなブログ『そして明日はこない』に掲載したもの)


今月は、僕にしては珍しく日頃会っていない人物と会い、飲み食いをしながら長い時間を話したのだが、それでわかったのは、「常日頃」ではなくても、ときたま他人と会ってしゃべることは刺戟になるということだった。 いままでの生活では、ことごとの場面で、(抽象的な意味合いとしての)「環」を閉じるような選択をしてきたのに対し、これからは少しづつでも自分の生活圏を拡大していくような選択をしよう、と思った。といって、いまが一年で時間的に一番余裕がある時期(ということは、経済的には一番余裕がない時期でもある)というだけで、忙しくなったら結局は変わらんと思うのだが、気持ちだけは「変化を望む一年」という抱負を掲げても悪くはあるまい……とも思ったのだが。

思ったのだが、しかしどのように考えても、やっぱりはてなから来た「削除依頼」のメールの文面に腹が立って仕方ない。
掲載されている箇所をご確認の上、記事の削除を行ってください。
の部分である。 「該当箇所」を削除せよ、ではなくて、「記事」そのものを削除せよ、と言っているのである。
このメールの文章を書いたやつって、ブログを書いている人間に対してどういう思いを持っているのだろうか。どうせしょーもないことしか書いていねーんだからさっさと消せや、ってなもんだろうか。(誰かに頼まれたわけじゃないけれど)こっちがどれくらいの時間をかけてひとつの記事を書いているのか、とか想像したこともないんじゃないだろうか。
調べれば、はてながJASRACと契約を結んでいない、ということだけで、JASRACと契約を結んでいる他の会社のブログであれば問題はないらしい。
なんだそりゃ。

でもまあ、はてなの人も仕事だからしょうがないよねえ……なんてことはまったく思わない。 僕はいつまでも根に持つタイプだから、上掲したような文章を書かれたことは今後も絶対に忘れられるはずもなく、もうこうなったらお望みどおり全部消してやるよ、と思ったので、それからはてなからの移転先を探しだした。なので、ネットを休むつもりだったのだがここ最近はずっと引っ越し先を探していた。


はじめはMediumにあたってみたんだけど、これは以前にアカウントをつくったとき以上に使いづらくなっている印象があったのですぐにやめにした。その直後にオバマ大統領がMediumに記事を書いた、みたいなことがちょっとしたニュースになっていたけれど、それでもあの(日本語版だからこその?)使いづらさ・見づらさではとうていつづけられないと思った。

その次にGoogleのBloggerをあたってみたんだけれどこれが最悪で、記述モードが、通常モード(?)とHTMLモードがあるのだが、これを行き来しただけで記述の一部が変ってしまう場合があり、「これどうなってんの?」とヘルプにあたってみると、いきなり英語表記のページが出てきたり、堂々巡りのところがあったりで、しまいにはGoogleプロダクトフォーラム(基本はユーザー同士でQ&Aしたりするような場所?)に行ってみようとしたらBloggerについてのフォーラムはなく、調べると、去年の七月あたりに閉鎖したそうな(※もちろん、閉鎖したのはBloggerについてのフォーラムのみであって、Bloggerじたいはもちろん存在している)……。もしヘルプが必要ならUSのフォーラムで質問せよ、とのことらしいが……そんなのってあるかよ。日本版についていえば、Bloggerも早晩なくなるんじゃないの、と僕みたいな素人は思ってしまう。ペケ。

で、その次に選んだのはライブドアブログで、ここにはてなブログでエクスポートしたものをインポートさせたら、なんとコメントまできれいに移動させられたので、本決まりではないが、あっさりとライブドアにすることにした。
ここでいただいたコメントはもちろん、もうひとつの句日記・歌日記ブログのほうが、コメント欄に本文を書いていたので、引っ越しの際にコメントまでを移せるかどうかが最大のカギとなっていたので、素直に嬉しい。インポートされたコメントの表示される順序が逆のような気がするが、これにも我慢しよう。
(重要な註記: ただし、エクスポートしたデータには、固有名詞にはてなキーワードのリンクがついてしまうのが、ものすごく邪魔。ひとつのブログでは、すべて手でリンクを外したが……エクスポートする際にあらかじめリンクが切れるようにしておいたほうがきっと便利なんだけど、はてながそれをするとは思えない)

余談だが、試しに使ってみたTumblrが意外に利用しやすいところがあって、整理のさせ方次第では、個人用のメモ帳みたいに利用することもできそうなので、時事性の低い文章なんかを過去ログから漁ってそこで溜めていこうかとも思っている。検索避けができる、というところが気に入ったポイント。

いづれにせよ、はてなブログだけはもう絶対に使いたくない。もうこうなってしまえば僕にとっての「はてな」は、かつては親密だったがいまは離婚届けの空白を埋め合うだけの相手に過ぎず、なんの感傷もなくあっさりとやめられる。というか、はてなブログではもうなにも書く気がしないのよ。
あとはもう、はてなスターがライブドアのほうにも設置できればいいだけなんだが、これが何度やってもうまくいかないので、さっさと諦めた。
このブログも来月ちょっとしたらすべて非公開にしてしまう予定で、「id:doroteki」は、他のユーザーさんのはてなブログを読んでスターをつけるのと、自分のメモ用に淡々とはてブをつけていくだけのアカウントになるだろう。 というわけで、きょうまでこのブログ(※はてなブログ)を訪れてくださった方々とは、かなり縁遠くなってしまうかもしれません。会うは別れのハナ肇なので、そこはまあそんなところで。


……というのが、移転の主な理由だけど、水を差されたせいで、ブログを書くことじたいに消極的になってしまった。今後の更新は不定期になる予定。

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ネットを休んでいたのだけれど、

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なんて件名のメールが来たので読んでみると、

f:id:doroteki:20150107235344p:plain

とのこと。いまは更新していない別アカウントでのブログを調べてみると、たしかに引用している。まとめて指摘されているところを見ると、スタッフの人が「歌詞」とかのカテゴリーでマニュアルでチェックしたのだろうか。ご苦労さまです。

上記文章中の「記事の削除を行ってください」という箇所。私のような優柔不断で偽善的な人間であれば、ついつい「記事の削除を行うか、または該当箇所の削除を行ってください」と書いて幾分の譲歩を提示してしまうところだが、JASRAC様のことを思えば、そんな手ぬるい処置は許されるはずもないのである。
文言はこのあともつづき、「特に理由なく、本通知より1週間以内に削除を行っていただけない場合、事前および事後のお知らせなく、ご利用のブログを非公開とさせていただくことになります」という爽快な警告や、さらに衷心からであろう「特に、著作権侵害については実際に損害賠償や、掲載された期間に応じた利用料の請求対象となる場合が増えております」というアドヴァイスもあり、まことに痛み入った次第。

当該ブログについては、非公開にされてしまうのもイヤなので、こっちから非公開にしておいた。更新もしないブログについて公開しっぱなしということについても、いささか考えるところがないわけでもなかったので、すぐに決断した。
ついでに、なにかがあったときのためにエクスポートもしておいた。
このブログも同様の指摘があった場合は、同じ対処をする予定だが、そのときまでに、コメントまでエクスポートできるようになっていればありがたい。

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