とはいえ、わからないでもない

2015年02月

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」について、だと書く。

短歌/和歌

別のブログにも書いたが、先日、
たまの日の出を臨む白良浜 鯨も跳ね空に笑へり
という歌を詠んだ。読みは、
「あたまのひのでをのぞむしはま くじもはねそにわえり」
である。「白良浜(しはま)」が導く「」の音にほぼ依存しているような歌で、できはよろしくないというのが自己評価なのだが、実はこれをつくるときに頭の片隅に少しだけあったのは、以下の山上憶良の歌だった。
憶良は今は罷む子泣くむ それその母も我を待つむそ
この歌も、というよりが、この歌こそが、「」の心地よい連続を聴かせてくれる。

歌で「」と言うと、タイトルがほぼそのままの大黒摩季の『』が思い出される。あとは、ほぼ同時代の久保田利伸 『LALALA Love Song』も。
少し時代を遡ると、谷川俊太郎の『鉄腕アトム』が想起される。
空をこえて ラララ
星のかなた
ゆくぞ アトム
ジェットのかぎり
心やさしい ラララ
科学の子
十万馬力だ
鉄腕アトム
↑ほ、はてなブログをやめたおかげで、JASRACを気にせずに歌詞が書けますよ。ざまーみろ、はてなめ。

ずっとむかしに、「この歌はこの『ラララ』の部分が素晴しいんですよ」と誰かが褒めていて、その「誰か」が誰だったかを思い出せずにいるのだが、たしかにこの語感は谷川俊太郎っぽいという気もする。

ついでに言うと、 きっとこの歌詞よりインスピレーションを得た矢作俊彦『ららら科學の子』は、よかったなあ。

ららら科學の子
矢作 俊彦
文藝春秋
2003-09-25

これ、文庫にもなっているけれど、単行本の装幀が凝っていて、本としても好き。うちにあるのはボロボロになってしまっているけれど。

火消し

かつて違うところに書いたことがあるけれど、江戸時代のいろは四十八組には、「組」はなかったのだとか。その理由は、男性器の隠語に通じるか、だとかで、詳しくはここらへんを。

マンガ

マンガで「」といえば、『はだしのゲン』。
gen
『はだしのゲン』は僕の幼い頃かの愛読書なのだが、冗談ではなく、よく出てくるお母さんの泣き声の「ううう」を、子どもの頃はずっと「ラララ」だと思っていた。ふつうだった、「なんで『ラララ』なんだよ、そんなわけないじゃん!」と自分でツッコミが入りそうなものだが、僕はよく『ふうん、そういうものなんだ』と考える質(というか、深く考えない質)で、この問題についても、おそくは二十代の後半くいまで「なぜか知ないけれど、『ゲン』で泣くシーンは『ラララ』なんだよなあ」と思っていた。

いっとき「裸族」という言葉を耳にしたことがある。いまでもあるのかな。男女にかかわず、僕かするとちょっと気持ち悪い。エイドリアン・モンクな卒倒するよ、きっと。

半匿名だかって、なんでもかんでもブログに書く人もいるけれど、僕はそうしていない。「すべて」なんて書けないし、書けても書かない。自身の裸を見せるつもりはないということ。もちろん比喩としてだが。
たとえば僕がブログで、そこに居もしない人と「一緒にいた」と書けば、それを信じる人もいるだろうし、それが嘘だと見抜く人もいるだろう。「一緒にいた」という記述が、想像や推察が働く余地を生じさせるかだ。
けれども、そこにいたはずの人について僕がなにも書かなければ――そのやり方に一定の整合性やリアリティがあれば――、読んでいる人はなにも気づかない。
これが、すべてを書かない、ということの一例だ。繰り返しになるのかもしれないが、「書かない」のではなく、「書けない」のかもしれない。なにはともあれ、僕の文章は虚実綯い交ぜにしてきた。なので、本気にすると損しますよ。

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皇后美智子さまのうた
安野光雅
朝日新聞出版
2014-06-06


当地に引っ越してきてはじめて図書館でカードを作り、三冊借りた。
  • 安野光雅『皇后美智子さまのうた』
  • 河野裕子『蝉声』
  • スティーブン・キング『11/23/63』(上)
かなり小さな図書館だったので、「詩・短歌・俳句」の書架にはあまりめぼしいものがなかったのだが、その中で偶然にも、最近気になっていた歌人ふたり(美智子さん、河野裕子さん)の歌集があったのでちょっと嬉しかった。


はじめに書いておくと、僕は天皇をはじめとする皇室に対して特別な敬意などいっさい持っておらず、歌人としての美智子さんについてだけ興味があった。
『皇后美智子さま~』は、安野光雅が選んだいくつかの歌を、エッセイ込みで紹介しているもので、厳密にいえば歌集ではないのだが、その歌の背景にある事情をなるべく僕のような皇室事情に疎い人間(逆に詳しい人なんているの?)にでもわかるように説明されているのがまず理解しやすかった。
エッセイ内では、安野自身の平和に対する希求が繰り返し主張されていて、ずっと以前に読んでいた彼のいくつかの洒脱なエッセイの雰囲気とはがらりと異なる印象を得、さすがに年齢(今年で八十九歳)がしゃべらせるものがあると感じた。
また、年齢というか世代のせいか、美智子さんや天皇に対する安野の敬意(という言葉では少し足りないか)が随所に感じられ、この部分については、読み始めはたいへん鬱陶しく感じられた。
しかしその鬱陶しさも読み慣れていけば、憧れている人に対する率直な愛情のようなものに感じられ、悪くないと思えるようにまでなった。
安野に限ったことではないのだが、美智子さんの容姿とかたたずまいとか歌に対して、「気高い」とか「誇らしい」とか「深いお心をお持ちである」というような表現というのはいろいろな場所で散見される(ex. 本書のアマゾンレビューで一番有用性の高いとされているレビュー内容とか)が、こういうのは、僕の有している時代感覚にはまったくそぐわない。
ひとつの価値体系のなかで特別なポジションにある人に対して、無条件の信頼や敬慕する気持ちを持つ人たちがいる、ということはわかっているつもりだ。宗教でいうところの信者であり、スターに対するファンがそれである。その人たちが自分たちの価値観の範囲内でそれをたのしんでいることじたいは、もちろん否定しない。 けれども、その人間たちが自分たちのグループの枠内を超えてその価値観を押しつけようとしてきたら、それに対しては大いに反対する。

長い前置きになったが、実際にこの本に載っていた歌は、非常によかった。皇室の人が歌っているからということではなく、やはりひとりの歌人としてすばらしい歌を詠んでいるということ。
「え、ここまで詠むの?」と思うところがいくつもあった。たとえば、
知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず (S46)
これは、タリバンによるバーミヤンの石仏破壊についてなのだが、「知らずしてわれも撃ちしや」は、言い方は悪いかもしれないが、皇室の人が詠める内容ではないと思った。そんなことを書くと、「ファン」の人は「美智子さまはそういう御心のお優しい方なんだよ!」などと怒るのかもしれないが、ちょっとびっくり。
他にも戦争を詠ったものは、この本に記載されているだけでも、いくつもある。
いくさ馬に育つ仔馬の歌ありて幼日(をさなび)は国戦ひてありぬ (S50)
やがて国敗るるを知らず疎開地に桐の筒花ひろひゐし日よ (H4)
いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏(あうら)思へばかなし (H17)
いちばん下はサイパン島での歌。「『かなし』と言ったって、おたくの『家』と関係のないことじゃないんだから!」という遺族の怒りはどこかにあるかもしれない。僕が遺族だったらそう思うだろう。けれども、そういう批判の声もあるかもしれない、ということをおそらく美智子さんは知っているんじゃないかと思う。
慰霊碑は白夜に立てり君が花抗議者の花ともに置かれて (H12)
これは、天皇と一緒にオランダ訪問した際に、慰霊碑に供花した際に、抗議者が白い花を持って行進したのだと言う。それらがやがてまとめられて一緒に供花されたということを詠ったものらしいが、自分たちが批難されているということをきちんと知り、きちんと受け止めているからこそ、「抗議者」と記しているのだろうと思う。直面したものに対してごまかしていないのだ。
戦争についての歌をもうひとつだけ。
初夏の光の中に苗木植うるこの子供らに戦あらすな (H7)
勤皇の人間であれば、こういう歌に感銘を受けて、戦争を絶対に起こさないということに命を賭けてもらいたいものだが、世の中ふしぎなもので、勤皇の人間(のようにふるまっている人間)たちこそが、好戦的なのである。

ブブゼラの音も懐かしかの国に笛なる毎(ごと)にたたかひ果てて (H22)

サッカーワールドカップ南アフリカ大会の歌。これなんかを読むと、「へー、観てたんだあ。で、ブブゼラをけっこう好きになっていたのね」と知ることができ、ちょっと面白い。そりゃまあ、世の中について興味を広く持っていなきゃ歌が詠めるはずもないんだけど、皇室の人たちって、どっちかというと牢獄のなかにいるような多くを制限されている生活を想像してしまうから、サッカー観戦というのが少し新鮮に感じられた。
この歌の隣には、いままさにタイムリーな歌が記載されている。同じ南アフリカでのこと。
窓開けつつ聞きゐるニュース南アなるアパルトヘイト法廃されしとぞ (H3)
曽野のおばはんはまだこのこと知らないんじゃないだろうか。教えてやんなきゃ。


最後に、この本を読んでいていちばん衝撃を受けたことを。
64ページに突然、河野裕子の名前が出てくる。彼女が宮中歌会始の選者をしていた、ということはすでに知っていた。しかし僕が図書館で河野さんの歌集(しかも最終歌集)を一緒に借りたのは、まったくの偶然で、そこに連関があるとはまったく思ってもいなかったのだ。
惜しまれて平成22年に早世した河野さんの辞世(『蝉声』所収)、
手をのべてあなたとあなたにふれたきに息が足りないこの世の息が
が紹介され、次いで故人をしのぶ美智子さんの歌が載っている。
いち人(にん)の大き不在か俳壇に歌壇に河野裕子しのぶ歌

なぜだか知らないが、読書をしていると、こういう偶然のつながりをよく経験する。
そしてこのあとに『蝉声』のほうも読み終えたのだが、そちらにも美智子さんのことを詠った歌が出てくる。ほんとうに不思議なことだ。

初学者の浅見かもしれないが、短歌や俳句というのは、過去からずっと共鳴がつづいている文学なのだと強く感じている。
「本歌取り」などという気の利いた言葉をもっていいかげんなことを言いたいのではない。たとえば春なら、春を詠んだ歌なり句なりが、それを知っている者のなかにある種の感情を催させる。そして、「春」という言葉を見聞きしたり、あるいは実際に春の訪れを身体が知覚したとき、その感情が増幅され、それによって、もしまた歌なり句なりがその者から生まれれば、あらたな響きを他者にもたらす。そうやって増幅された響きが、時間と空間を超え、「いま、ここ」までやってきているのではないだろうか。

たとえば、河野さんの夫、永田和宏『近代秀歌』に記載されていた島木赤彦の辞世、
我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる
も、同書に引用されていた斎藤茂吉『島木赤彦臨終記』の記述も手伝って、よりリアリティのあるものとして鑑賞することができ、まるで自分が赤彦死去の数日前に立ち会っていたかのような錯覚まで得られた。

人間は、多くの場合は孤独で、だから、他人のほんとうのことを知ることなどできない。しかしおこがましいことだとは思いつつも、こういう歌や句や詩、あるいは絵や音楽などであれば、そのほんの一部はつながりを感じることができるのではないか、と僕は思っていて、そして、今回の読書で感じた偶然に、さらにその思いを強くしている。

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安土往還記 (新潮文庫)
辻 邦生
新潮社
1972-04-27

うちの家族(僕以外)のなかでは辻邦生はすごく人気があるのだが、そのほかでは辻邦生の名前はあまり聴いたことがない。僕の知識や見聞がごく浅くごく狭いというもあろうが、率直に言って、いまはそれほど流行っていないのかもしれない。
で、僕はといえば「うーん、好みじゃないかもなあ」と父や弟に言われていたためにこれまでなんとなく敬遠していた。

書店で本書を手にし、第一ページを読んだときに僕は少し身構えた。
私が以下に訳を試みるのは、南仏ロデス市の著名な蔵書家C・ルジエース氏の書庫で発見された古写本の最後に、別紙で裏打されて綴じこまれている、発信者自筆と思われるかなり長文の書簡断片である。原文はイタリア語であるが、私はC・ルジエース氏の仏文の試訳に基づいて日本訳を行なった。
 もちろんこれじたいが偽文であるのだが、この仕掛けの大仰さに、これはいい加減に読み流せないぞといういささかの堅苦しさを感じたことも事実である。
上記文章の後に三ページほどの説明がつづき、それから本篇に入るとすぐに、主人公でありこの書簡の書き手である「私」が、いかにして生まれたジェノヴァから出ることになり、リスボア、ノヴィスパニア、モルッカ諸島、そして日本へと来ることになったのかという来歴が簡単に書かれる。
リスボアはリスボンだとして、ノヴィスパニアってイスパニアじゃないの?と思ってネットで検索しても、あまりヒットしない。もうちょっと検索をかけていくと、図書館でのレファレンスデータベースにずばりそのものの答えがあって、「新スペイン」と当時呼ばれていたメキシコのことらしいということが判明。なお、モルッカ諸島はインドネシアあたりにある。
彼は(手紙を書いた)現在は日本を離れ、インドのゴアにある聖パウロ学院のおいて聖職者たちに日本語を教えており、「暑熱と無為に倦」みながら日本の王国のことを思い出し、その思い出を友人に書いている、というその設定を読み進めていくうちに、読者は自然と十六世紀の世界の扉を開けていることになる。

作中では「私」の正確な姓名は明かされない。職業は、航海術に長けた元兵士の船員ということがぼんやりとわかるだけで、宣教師であるカブラル、オルガンティノ(両者とも実在の人物らしい)を送り届けるために日本にやって来た。
まず、全篇を通じた彼ら宣教師たちの活動が僕には非常に感動的で、この作品内では、彼ら宣教師の行動原理――事を成らしめるために自らを超えていこうとする精神――は、信長(作中ではただ「大殿(シニョーレ)」と書かれるのみ)の他は――作中での表記に倣えば――明智殿、羽柴殿だけが持つものであり、その彼らだけが共有しうる苦しみや孤独が、この小説のテーマのひとつである。
宣教師たちとは一歩異なる視点から日本を眺める「私」もまた、自らとその運命を克服しようとする者であり、だからこそ、のちに登場するヴァリニャーノ巡察使(これも実在の人物らしい)と大殿とが、言葉にはしないものの互いに友情を感じ合い、ヴァリニャーノがローマに帰らなければならないという際に、大殿が非常に美しく印象的な「贈り物」を贈るその気持を忖度することができたのだ。

物語を貫くもうひとつのテーマは、美意識であろう。これは、主にうちの家族から聴いた辻作品の特徴、という情報によって多少読み方にバイアスがかかっているのかもしれないが、安土城の壮大にして華美な姿や、あるいはオルガンティノらの尽力によって京都、そして安土に「南蛮寺」が建立される様子などは、その美しい描写だけで読者を感動に誘う。
前述した克己の精神が作品の表面に、そしてこの美しさに対する憧憬や畏敬の念が作品の底に流れていて、それが、この物語に重厚さをもたらしているのだ。

それではこの小説は、精神論に徹した、きらびやかな描写がつづくだけなのかというと、決してそうではない。
この小説内で信長は、彼を描いた他の多くの作品と同様、非道な行いを見せる。作品全体を振り返ってみても戦闘場面はあまりないのだが、その例外である長島討伐戦は細部まで描写されていて、こちらに血の匂いがしてくるほどの怖ろしさがあったので、一部引用しておく。
(信長にとっての)叛徒たちが籠城によって干上がってしまったために降伏を願い出ても、その使者すら磔にしてしまうという信長の包囲軍は、城砦の前にある河に船の一団を浮かべていた。ついに城門が開かれ、中にいた男女は誰もが必死に脱出を試み、あるいは、降伏を試みた。
彼らは死にもの狂いで船縁に手をかけ、泣きわめき、絶叫し、懇願し、慈悲を乞うた。しかし兵士たちは彼らを槍で突き放し、刀をふるって、船縁にしがみつく彼らの手を切断した。包囲軍の舟という舟には、こうして切りとられた手が、石の手のように蒼ざめて、なお船縁を固く握ったまま、十、二十と残っていた。
(89p)
しかしまた一方で、信長が信じられないような慈悲の心を見せる場面も出てくる。ここも信長の独白という形をとった非常に印象的な場面なので、長いが引用しておく。
「そうなのだ。温厚な荒木(※村重)」よ。お前はおれの無慈悲を責め、おれの無情を責める。だが事をして成らしめることがなかったら、そのような慈悲とは、そのような温情とは、いったい何なのか。もういまから何年も前のことだ。お前も憶えているはずだ。お前たちと近江へ馬を走らせていたことがある。あのとき、街道ぞいに、一人の盲目の足なえがいた。木の根がたに小屋をかけ、雨にうたれ、いかにも哀れな様子であった。そのとき、おれはどんな合戦の帰りであったか忘れた。ただその足なえの哀れさだけが妙に胸にこたえたのだ。おれはそれが忘れられなかった。おれがその足なえに木綿二十反を与えたとき、温厚な荒木老人よ、お前はなんという顔をしたのだ。お前は人に言ったそうだな。殿が合戦においてあれだけの慈悲を与えられれば、古今の名将であろう、と。だが、雨に打たれる盲目の足なえの哀れさに胸をつかれることと、合戦において非情であることとは、まったく同じことなのだ。荒木よ、合戦において、真に慈悲であるとは、ただ無慈悲となることしかないのだ」
(157p-158p)
これは『信長公記』に実際に記録されているものらしく、ネットで「山中の猿」と調べるといくつもその記述が見つかる。
長島討伐での苛烈さと、この「足なえ」に対する憐憫とが、もし本当にひとりの男から出たものだとすると、やはり織田信長という男はとらえがたい人物だ。
しかし、現代とはまったく異なると言ってよい価値観に支配されている時代に、しかもその同時代人とも異なる価値観を持った信長を、現代人が軽々にとらえられるはずがない、とも思う。上記独白のように、両者を「まったく同じこと」ととらえているか、あるいは同じ原理による行為である、と考えるのが少なくともいちばん真実に近づいているのではないだろうか(気まぐれ、というのもある意味、「同じ原理」による行動と見る)。


不謹慎かもしれないが、僕はここらへんを読んでいるときに、大岡昇平の『ながい旅』および先日、ISに殺害されたヨルダン人パイロットのことを思い出していた。
過去に少し触れたことがあるかもしれないが、『ながい旅』は、太平洋戦争終戦後、軍事裁判で死刑判決を受けた岡田中将についての裁判記録である。
逮捕理由は、1945年、名古屋空襲の際に、撃墜し、捕虜とした米軍爆撃機パイロットたちの処刑(しかも日本刀による斬首であった)を指示したこと。たしかこれは、国際法上の「捕虜の虐待」にあたると見做されたように記憶しているが、少し不確か。
この裁判記録では、実際の日本人被災者が証言台に立ち、その空襲の非人道的性(一般市民を狙った爆撃)を訴えていたが、つまり、当時東海地区の司令官だった岡田は、一般民衆の感情的側面からも、このパイロットたちを処刑することはやむを得ないと結論したのではなかったか(もちろん、彼の中では法的根拠はあったはずだが、僕として個人的に印象に残っているのは感情部分)。
これは、同じ日本人として読んでいると、米軍パイロットの処刑は(その方法は別にして)当たり前のように感じてしまう。アメリカ側は、パイロットたちは軍の命令を受けただけで個々人に罪があるわけではない、よって処刑は不法な行為であると主張したが、岡田はそれを聞き容れず、しかしその一方で、自身の部下たちについては、すべて上官である私(=岡田)から出た命令によって行動したわけだから彼らを厳罰に処さないでほしい、と同裁判において強く主張しており、その矛盾点は、実際に法廷で指摘されたか、あるいは筆者の大岡が指摘していた。
ISの行動や、その思想については一片の共感もできないし、彼らを武力殲滅したほうが世のためと思っている僕であるが、しかし、彼らの側に立ってみると、かのパイロットは自分たちの同胞を大量殺戮しようとした人間であり、捕虜として丁重に扱うという選択肢はまず出てこなかっただろうな、という想像をしてしまう。

なにか理解の範疇を超えるような事件が起こったとき、われわれ一般人はその動機を必死に捜し、そしてそれが自分自身から遠いところにあることを確認して少しでも安心しようとするものだが、真実――というものがあるのなら――はあんがい身近に、そして残酷な形で見つかる場合も少なくないように思う。
つまりわれわれも、その権力と武力とを有していれば、怒りに駆られて対抗勢力を皆殺しにすることを思いつき、そしてそれを実行に移すのではないのだろうか。そのポジションにあったことがないからわからないが、しかしその「未経験」は、上の仮説を否定してくれるわけではない。


ちょうどこの本を読んでいるときに、くりぃむしちゅーのテレビ番組で信長の手紙を扱っていた。途中から観たのだが、内容がかなりタイムリーだったので食い入るように観た。
手紙は熊本の細川家に残っているもので、信長から細川藤孝(幽斎)に送られたもの。将軍足利義昭と不仲になっていく様子や、あるいは、本能寺の変のひと月半ほど前でも、明智光秀を相当信用していたらしい、ということを知り、少し驚く。
手紙の解読に当たった先生がその中で興味深い説明をしていた。言葉はまったく不正確で僕の理解も混ぜてしまうけれど、だいたい以下のような内容だった。
後世の人が見れば、歴史の結果を知っているから、その結果に向かってすべてがストレートに進捗していったと思いがちだけれど、実際はそんなことはなくて、昔の人たちもやっぱり「いまこの瞬間」を生きていたんです。
「いまこの瞬間」なんて、その先生は一言も言わなかったと思うけれど、けれどもニュアンスとしてはだいたい上のようなことだった。
また、明智光秀が謀叛を起こした理由を問われて「実はわかっていない」と正直に告げ、光秀には信長に対する積年の恨みがあった、というわりと一般的に信じられている動機については、それは後世の人たちが、自分たちが納得できるように作ったのであって、一次史料にはその動機は見当たらない、と説明していた。
なお、同番組では、謀叛六日後に光秀が藤孝に送った手紙も紹介されていて、やはり光秀も、藤孝が信長没後すぐに髷を落としてしまったことについて動揺している様子が伺えた。藤孝は足利義昭の配下にあったときからのいわば同僚みたいなもので、きっと同調してくれると期待していただろうし、ましてや藤孝の息子の忠興は娘婿である。
しかしそうはいかなかった。藤孝忠興親子が服喪することによって兵を動かさないことを決めたのを知り、それを必死になって説得しようとする光秀は、やはり「未来」を知らない「いまこの瞬間」を生きている人間の姿そのものであった。上述した先生は、手紙のことを「肉声」と表現していた。


教科書の記述のような予定調和論的解釈をしないからこそ、既述した『安土往還記』におけるヴァリニャーノ巡察使と大殿との別れは悲しい。配下の者たちからは畏怖されている信長が、唯一心を開いて話せる宣教師たち。辻邦生の人物描写というのは事物の描写に較べてあんがい淡白なのだが、しかしそれがかえって、読者個人個人のうちにある信長像の輪郭を際立たせる。
ヴァリニャーノに帰国する旨を告げられたときの、「また私たちは会えるだろうか」という信長の言葉を読んだときには胸を衝かれるような思いだった。
一期一会という言葉が通信技術的観点からもリアリティをもって用いられていた時代の物悲しさもあるが、それ以上に、信長の「未来」を知っている僕たちはそこに人間の生のはかなさを見てしまう。

最後まで読み終わり、この中篇(文庫本で二百五十ページ程度)とも呼ぶべきこの小説がなぜこのように重厚なのかと考えた。
ひとつは、相当な史料に依拠して書かれている(らしい)ことによるだろう。適切に選択された裏づけのある事実がフィクションの部分に立体感をもたらしている。「適切に」というのは、単なる事実の列挙になっていないということである。史料を渉猟した人であればあるほど、あれも書こうこれも書こうとなりがちだと思うのだが、あえて記述を抑えているところに作者の伎倆を感じる。
次に、フィクション部分あるいは作者の想像による部分が極めて精緻に構成されていることが挙げられる。この小説が、単なる「史実にフィクションを少し加味したもの」に感じさせないのは、信長の行動原理、あるいは光秀の謀叛の動機、などが、辻邦生の美意識によってきちんと成立しているからである。というより、この行動原理なり動機なりを口頭で説明しようとなるとかなり難しく、そのときあらためて作者の文体と美意識がそれらを丁寧に裏打ちしていることに気づかされる。ただし、作者の感性とマッチせず、納得できないという読者もおそらくはいるだろうとは思う。
そして最後に、主人公である書き手の「私」の立ち位置が絶妙であること。彼は、異邦人から観察される日本人でもなく、また宗教を普及させに来た宣教師でもなく、支配者階級でもなく、兵士でもなく、宗教信仰者でもなく、まさにここに描かれている世界のどこにも所属していない人物として最適の観察者となっている。
彼の非所属性は、他者との関係性だけでなく、地理的空間においても発揮されていて、はじめのほうに書いたとおり、「リスボア、ノヴィスパニア、モルッカ諸島、そして日本へ」と来た彼は、本能寺の変の一年後に、ゴアに発つ。彼はどこにいても異邦人であり、つねに共同体からは一定の距離を置いていて、それゆえに見えてくるものがある。
その冷静な観察者をもってしても心揺さぶられるものが大殿のいる安土にはあった、というのがこの作品の重要な部分であり、本能寺の変以降についてはわづか数ページしか割かれないものの、幻が消えていくのをただ静かに眺める「私」の失意が手で触れられるように感じられる。
読後の喪失感は、織田信長という傑物と言わざるを得ないような人物に接することのできた読書中の充実感の反動であり、この喪失感の大きさこそが、この小説の素晴らしさを物語っているように思う。

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先日、ドラマ『相棒』の次シーズンからの相棒が注目されている、なんていう記事があって、そろそろマンネリだから次期相棒には相当期待がかかっている……というような内容だった。

ははあ、もう久しく観ていないかのドラマだが、さすがに十五年近くやっていれば、マンネリという話が出てくるのはごく自然なところだと思う。その批判をどうはねつけるか、はさすがに相棒役のひとりの双肩にかかっているとは思えない。プレッシャーが重すぎるでしょ。

十五年といえば、右京さんもそろそろいいお年なはず。スタートが四十だとすると(ちなみに水谷豊自身は四十八だったみたい)、もう五十五歳。定年退職の日を指折り数えて待っていてもおかしくはない(定年が六十歳だとして)。
 これが、あと十五年つづくとどうなるんだろうか。

まず、右京さんの「はい~?」は、相手に対する挑発や皮肉の意味はすでになく、本当に耳が遠くなってしまったための「はい~~~?(すみませんが、もうちょっと大きな声で)」になっているだろう。
あと、容疑者をオトす場面なんかでよく顔を覗かせる「そんなこともわからないんですか!」という激昂モードも、十五年後なら、ふつうの会話でいきなり「そんなこともわからないんですか!」と怒鳴りだす老人性癇癪モードになっているだろう。
「ヒマか?」の課長はめでたく先に定年退職したのだが、いまじゃ一般市民なのに、相変わらず「ヒマか?」と特命係の部屋にまでやって来る。ヒマじゃないっつーの。
いや、ヒマ課長がそうだとすれば、七十になっているはずの右京さんも定年退職していなくちゃおかしい。ならば再雇用とか嘱託扱いか。
エンディングはどうなるんだろう。


新任の刑事が十何番目の相棒となっていて、右京さんの身の回りのお世話をあれこれしている。厳しく教えられた日本茶(このときにはもう嗜好が変わっていて、やっぱり緑茶が一番てなことを言っている)もうまく淹れられるようになった。
どこからか、うぐいすの鳴き声も聞えてくる。春がやって来たのだ。

新人刑事「あ、やった! 杉下さん(役職なし)、見てください。茶柱が立ちましたよ、ほら!」
新人が振り返って右京に話しかける。椅子にゆったりと身を預けている杉下は目を閉じている。
新人刑事「しょうがないなあ、また寝ちゃっている。最近はいつもこれだ……ねえ、杉下さん、杉下さんったら!  もう、どっかから毛布持ってくるか」
新人は部屋を出て行く。杉下の顔にズーム。総白髪に老眼鏡。顔の深い皺の奥でなんとなく笑みが浮かんでいるようにも見える。


声がどこからか聞えてくる。
「……さ~ん、……京さ~ん、ねえ、右京さ~ん」
若いころの杉下右京がいつもどおりのパリっとした姿でどこかの廊下に立っている。暗い。照明は点いておらず、ずっと向こうにぽつんと光の点が見えるだけだ。
と、その暗がりの向こうから、声の主が手を振ってやって来る。カーキのフライトジャケットを着た亀山薫だ。
亀山「遅いっ! 右京さん遅いッスよ。みんな待ちかねてますよ」
右京「おやおや、亀山くんじゃないですか。はて? 私、なにか約束でもしていましたか?」
亀山「なに言ってるんスか。みんなに会いたい、みんなに会いたいって、最近はそればっかりだったじゃないですか」
右京「私が亀山くんにそれを話したことがありましたか?」
亀山「全部わかってますよ。なんつったっておれ、右京さんの相棒なんスから。ほら、あっちで小野田さんたちが待ってますよ」
右京「おやおや、私としたことが。時間に遅れるなんていけませんね」
亀山「そうですよ、主役が遅れちゃいけませんよ。さあ、行きましょう」
そうしてふたりが光のほうへと歩き出す。並んで、ゆっくりと。

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一昨年あたりから見ている気がする桃太郎の改変。「○○の書いた桃太郎」のパターン。
もういいよ、飽きたよ。きみたち(特にはてなでよく見たように思う)のオリジナリティのないのはじゅうぶんわかったから。オリジナル書いて貶されるのがイヤで元ネタ遣っているのもわかったから。だから、きょうはおやすみ。

……って思っていたら、auのCFでも桃太郎で、マンガの『暗殺教室』でも桃太郎ですか。ほんと日本人ってパクリ大好きね。
 

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その女アレックス (文春文庫)
ピエール ルメートル
文藝春秋
2014-09-02



面白かった。前の記事に書いたけれど三日で読み終えてしまった。これは僕にしては早いほう。
もともと、どこかの書店で「2014、ミステリ6冠達成!」みたいなポップと一緒にこの小説のタイトルを知り、気にはなっていた。この作家の名前は知らなかったが、海外ミステリが盛り上がっているっていうのはなんだかいいような気がして、いつか手にしてみようとは思っていた。それを、なんばのジュンク堂に行ったときに、帰りの電車用に買ったのである。

繰り返しになるが、面白かった。で、読後すぐに「これはさすがにアマゾンレビューでも絶賛の嵐だろう」と思って覗いてみたのだが……これが案に相違して、あまり芳しくない評判。というより、ユーザーの支持が多い意見をざらっと見た限りでは、酷評の嵐。ふむ、なぜだろうか。

……いや、実は文句を言いたくなるのもわからないではないのだ。小説の裏表紙を読めばわかるのだが、読者は裏切られるということが示唆されるので、多くの読者は「騙される」のを承知で読んでいる。しかし、その騙され方がおそらく議論を呼んでいるのだろう。

僕がざっと見た感じでは、概ね批判は三つの点に分かれていた(あるいはその複合)。
  1. 「こんなのが6冠?」
  2. フェアではない
  3. 残酷&悲惨である
1. は、こういうベストセラーになると必ず出てくる批判だと思うのだが、2. や3. の批判と絡めたものならいざしらず、「6冠という謳い文句に惹かれたのですが面白くありませんでした、大袈裟だと思います」という主旨だけでは、やや幼稚に感じる。
小説の出来と、キャッチコピーとはそれぞれ独立したものと考えなければ、作者は報われない。コピーライターの尻拭いを小説家がしなければいけない理由はない。
あともうちょっと言うと、(僕もそうなんだけれど)こういうベストセラーに群がるなかにはミステリーだったり、あるいは海外小説に読み慣れていない連中も多数いて、そういう経験値不足を多少は省みつつ批判をしたほうがよいと思う。
こう思うのは、フロスト警部シリーズの(現在のところの)最新作『冬のフロスト』が、僕としてはシリーズ中ではいちばんぱっとしない出来(それでも、一般的にいえばじゅうぶん面白い範疇に入る)のように感じたのが、アマゾンレビューにかなり高評価が集まっていたのを見たからである。これはひとえに、シリーズをずっと追いかけている人たちはたいていがファンであり、かつ読み慣れている可能性が高く、ある程度寛容な読書をしていると判断したのである。
いづれにせよ、内容ではなくいわば「外側」の批判ということになるので、かなり無意味なことは間違いない(僕もやりがちだが)。

問題は2. だ。マイナス票を投じた人たちなかでは、この批判がいちばん多いと思った。
で、これを語ろうとすると、自然、ストーリーに触れてしまいそうになるのだが、ネタバレしてはまったく面白くないので、そこは回避する。
まず僕はここらへんにほとんど無知と言ったほうが早いのだが、ミステリーの原則みたいなのがあって、これに準じた公平さを求めているミステリーに詳しい読者は多いように思う。
この小説のどの部分が上記のいづれに抵触するのか、ということを書きたいのではない。そうではなくて、ミステリーが好きな人たちの中には、「ミステリーはこう書かれるべきである」という理想をそれぞれが抱いていて、この小説はその理想の部分からは程遠い手法を用いている、それが気に入らない、というのが2. の批判の主だと思う。
僕自身も、その批判には半分くらいは納得するも、けれども全体を損なうほどではないだろう、というのが読後の感想だった。だから結論として、「(いろいろと思うところはあったけれど)面白かった」となったのだ。
弟とミステリーについて話していると、弟はトリックについてあーだこーだということが多いのだが、僕はトリックはほとんど気にならないタイプ。もちろん、清々しいまでにフェアにこだわる綾辻行人の、たとえば『十角館の殺人』なんかには大感動したが、トリックを全否定するような小説(清涼院流水とか)なんかも、わりとゲラゲラ笑って読めてしまう。これはもう好みの世界だと思う。
ただ、僕は小説はいろいろな読み方があってもいいと思うから、その手法がどうあれ、書かれた内容が面白いか、そうではないかに重きを置くようにしている。

3. も難しい問題。
たしかに、この小説は、残酷であり悲惨である。未読の人なら、これはもう覚悟して読んだほうがいいと思う。 
で、残虐な場面描写などが出てくると、「こんなに悲惨なことを描く必要があったのか」という批判も出てくるのだが、読み手のその優しい気持ちをひとまず横に置いておいて、ひとつ「現実」について考えてみてもいいと思う。
これまたフロストの話になってしまうのだが、あの作品は、フロストの下品なジョークを除けば、そこに山ほど出てくる犯罪はそのほとんどが、悲惨である。子どもが行方不明になって二週間も経ったら、警官たちは「子どもの死体」を探すつもりで捜索をつづける。もしかしたら生きているかもしれない、という淡い期待は持たないようにし、経験に照らして蓋然性の高い状況を想定していく。フィクションなので、それがイギリスの現実とは言わないし、そもそもわからないのだが、それに近い状況だとは思う。
実際――こんなことを言ってしまえば身も蓋もないのだが――、日本であっても、数週間行方しれずになっている子どもについては、まったくの無事で帰ってくることは非常に少ないだろうと思う。それを口に出す人もほとんどいないだろうし、たとえそう思ったとしても「そんな悪い予感を、どうか現実が最上級の状態で裏切ってほしい!」と願っているに違いないが、そういう期待と現実は、えてして別ものなのである。
この小説に書かれている目を覆いたくなる陰惨なできごとは、おそらくかつてどこかで起こったり、いま現に起こりつづけていることのコピーという気がする。そんなことが、この世界で起こっているはずがない、とそっぽを向くか、あるいはそこに目を向けてみるか。
今月はじめのできごと(事件と呼んでいいのか、あるいはほかの呼び方があるのかわからない)で、多くの日本人が、ひとりの人間が理不尽に殺されていくという場面に直接的あるいは間接的に直視させられたわけだが、それによってそのなかの一部の人たちは、現在、世界中で起こっている悲惨なこと・不幸なことと、いまここにいる自分とが地続きになっている感覚を得たと思う(それを認めたくないという自己防御反応のひとつが「自己責任」という批判なのだと僕は思っている)。
そういうものにあえて触れよ、とまでは思わないが、「こんな残酷なことを」と無闇に思考の埒外に抛り出すのも、批判としては弱いと思う。


まあ、前述したように最終的には好みだと思っているので、好きになるかそうでないかは人それぞれ。ただ、アマゾンにある酷評のオンパレードほどには、できの悪い小説ではない、と僕は思った。

主人公はカミーユ・ヴェルーヴェン警部。身長は145cm(!)で、頭は抜群に切れるが、皮肉屋で短気で意地が悪い。この同僚に、ルイという超がつく大金持ちと、アルマンという超のつく吝嗇家がいて、これがヴェルーヴェン班として一緒にチームを組む。
実はこの小説、カミーユ・ヴェルーヴェンシリーズの第二作ということで、おそらく第一作で起こったであろう事件やその爪痕がちらほらと出てくる。それならば先にそちらのほうを読まずばなるまいというところだが、なんと未訳。本作がイギリス(作者はフランス人)で話題になったことから、この二作目から日本語訳がなされたようだ。

僕はこのヴェルーヴェンという人物がいたく気に入った。それほどヴォリュームのある小説ではない(といっても四百五十ページほど)ので、人物描写が細かいとまでは言えないが、それでもなんとなく僕にとっての好ましさというものを彼は持っているので、もしこの前作や続作が訳されるのであればぜひ読んでみたいと思っている。
読んでいない人なら誰もが気になる「アレックス」については……これは読んだほうがいいだろう。この本は彼女の物語であり、そしてまた正義の物語でもある。ただしその正義が、誰にとってのものなのか、というところまで含めて。 

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このあいだ、あるブログに行き着いて、そこの書き手プロフィールに「文章がとにかく大好きで、とにかくなんでも読みます。また、書くのも大好きです」と書かれていて、ふうんと思った。
こういう文章、けっこうあちこちで見かけるような気がするけれど、なんかテンプレでもあるのかなあ、と。また、こういうふうに書く人の文章ほど面白いと思ったことはないんだよなあ、と。


プロのサッカー選手が、目をキラキラさせて「サッカーを観戦するのは大好きで、とにかくなんでも観に行きます。また、プレイするのも大好きです」なんてことは言わないように思う。もし言っていたら、たいしたプレイヤーじゃない気がする。

「畑を眺めるのが大好きで、とにかくどんな畑でも見ていられます。また、畑仕事をするのも大好きです」と言う農家がいるとも思えない。それは、プロとしての農家はそんなことは言わないということで、車で一時間ほどの場所で一坪レンタルをして擬似家庭菜園に精を出している人くらいなら、そう言うこともあるかもしれない。


プロであるか否かを言いたいのではなく、おそらく自分の知識とか経験などがどこらへんにあるのかもまだ見分けがついていないんだろうなあ、と感じてしまうのだ。ご丁寧にプロフィール欄に年齢が書かれている場合もあって、それを見るとなおさらその確信が強まる。

「なんでも読みます」という言葉には、そのジャンルの端から端までくらいならある程度の見通しが立っている、というニュアンスが言外に感じられるのだが、はたしてそんなことがあるのだろうか。もしそういう該博な知識の持ち主であれば、かえってそんなことは言わないような気がするんだよな。

だがまあ、ブログやSNSなんかのプロフィールというのはよくできたもので、そこで八割くらいの好悪の判断はつくように思う。そこで感覚の合いそうな人が見つけられるのではなく、感覚の合わなそうな人が見つけられるのだ。
 

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濃やかな女店員の面立ちに似る女優(ひと)の名を忘れゐしまま

なんだかずっと歩き回っていた印象の金沢ともあと少しでお別れ。かといって、おみやげを買うでもなく、なんとなく駅の前をうろうろ。

近江町市場という、いかにも「金沢の台所」とでも呼ばれていそう(&紹介されそう)なところを回って、海鮮物や野菜がずらりと並んでいるさまをたのしむ。
そりゃ生牡蠣だのブリだのノドグロだのを見ているのもいいのだが、やはり気になるのは野菜。ほうれん草なんかは形はきれいだったがいい値段だった。印象的だったのは大カブで、これまたいい値段だったのだが、かなり肌がきれいだったので思わず見入ってしまった。どこの八百屋でもカブはきれいだったので、もしかしたら産地が近いのかもしれなかった。
有機信仰の人たちは、きれいでない野菜を殊更ありがたがり、きれいな野菜を批難しがちだけれど、一朝一夕に作れないのはきれいな野菜のほうなんだよね(もちろんこれは外観の話)。僕は単純にきれいな野菜をすごいなあと思ってしまう。
アジア系の外国人観光客も多かったけれど、なかなか買うところまではいかないかもなあ。ブリまるまる一本(3万円近いのもあった!)を 飛行機に乗せるわけにもいかないしね。
僕個人は、 端から端へ行ったり来たりはしたものの財布を出すところまではいかなかったのでどうにも写真を撮る気にはなれなかった。売る側にしてみれば、「おいおい、写真を撮るならまず買ってくれよ」と思うだろうから。

残り時間もわづかになったので、スターバックスに入って時間を過ごす。メモを見直し、短歌を推敲しながら、なんとなく隣の席の女の子ふたり組の会話が耳に入ってくる。
「はじめまして、ですね」
「はじめまして」
「やっと会えましたね」
「やっと、です」
「うわー嬉しい」
「ほんとー」
とか。さすがにふたりの会話をメモしたりはしないのだが、聞きながら、これはどういう状況なのだろう、と考える。顔は見ないが、声の様子からふたりとも二十代ちょっと、という感じ。きょう、この瞬間にはじめて会ったらしく、ひとりが、自分の家の場所を紙に地図を書きながら説明している。それが通用するくらいだから、まったくの近所というわけではないが、金沢市内同士くらいではあるらしい。
かなり丁寧に家の場所を説明しているのも、それが本当に必要だからしているのではなく、たまたま会話が長つづきしそうだから引き延ばしているという印象だった。けれどもそれが無益というわけではなく、そのだらだらとした引き延ばしそのものをたのしんでいるという感じ。
同性愛という印象はなかった。なんというか、本格的な異性愛に目覚める以前の関係性に近いかな。異性より同性のほうが信用できるという時期特有の心理なんだと思う。学校が同じということはないだろうから、だとすればネット経由で知り合ったのかな。ふうん。そういう時代なのかもね。同性で同年代同士だったら、とりあえずそれほど心配はないか。もしかしたら、なにかのミュージシャンとかアイドルのファンつながりなのかもしれない。いいかもね、そういうのも。

若い女性の会話を盗み聞き、なんてみっともなさすぎるので早々に切り上げ、手元の『現代秀歌』を読む。最終章は「病と死」と題し、それらに関連する歌が挙げられていく。
当然のようにその一首一首は重く、「みそひともじ」が心に響く。
時間をチコに返してやらうといふやうに父は死にたり時間返りぬ - 米川千嘉子
軽々と論ずることのできない歌である。父に「チコ」と呼ばれていた作者が、その父の介護に接し、そしてその死に接して生まれた歌のようだ。この歌をどうこう言う資格は、少なくとも僕にはないし、そして、米川と同様に肉親の介護に携わり、見送ってきた多くの人たちにもそんな資格はないのではないだろうか。
この一首が、もはや短歌というものの技術や表現の方法などを超えて、代替しがたい「なにか」になっているのである。その「なにか」を端的になんと呼べばいいのかはわからないが、陳腐な言い方をすれば、これは作者の人生――この言い方が少し気障だとしたら、「生活」とでも言い換えよう――の一部、彼女という存在から引き離し難い生の一部になっているのが感じられる。そこに他者による共感はあっても、批判の入る余地はあるまい。

このように生に裏打ちされた表現は、強靭さを持っている。言葉遊びや、手法の目新しさや、そのほか人の目を惹きつけるためだけに特化されたヴァリエーションの種々なんかを超越し、存在しているように感じる。これこそが文学という感じがある。
あるいは、同書に掲載されている上田三四二(みよじ)の歌、
死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ
も、言葉の上澄みだけを浚うのではなく、作者の、歌人でもあり医師でもあるというプロフィールや、癌の宣告を受けたのち(ただし手術は成功したらしいが、昭和四十一年の癌宣告は死の宣告に近かったろう)に詠まれた歌ということを知れば、またこちらの態度も少しは引き締まるに違いない。
そしてそのことを妻に告げたときの歌、
たすからぬ病と知りしひと夜経てわれより妻の十年(ととせ)老いたり
は、ときに「死はそこに」の一首以上に、われわれの胸に迫るものがあるのではないか。


隣の席に「よっこらせ」と大仰にすわる人があった。年配の女性で、杖をついている。膝なり腰なり(あるいはその両方とも)がいかにも悪そうで、動作が緩慢になっている。一挙手一投足がたいへんそうだ。まだ注文はしていないらしく、テーブルの上にはなにもない。
その女性の着席からあまり時間を置かずに店員さんがやってきて、その女性にメニューを見せた。そして、「お会計はこちらで構いませんからね」とひとこと。彼女の足の具合を考えて、すべてテーブルで済ませてくれるということらしい。おお、なんというサービス!
ふつうスタバと言ったらカウンター会計で、註文を終えてからそれから席へ、という流れを客に求めるはずだ。それが、客の健康状態を勘案し、臨機応変に、しかも柔和な態度を添えて対応している。
見れば店員さんは、北陸美人とでもいうのだろうか、色白でほっそりとした黒のタートルネックの似合う女性で、その対応と同様に、非常にさっぱりとした清潔感のある方。彼女を思わず見つめてしまったこっちは、先刻ドロドロラーメンを食して、身体の内側からドロドロになっていたので、好対照であったろう。
しかしまあ、最後の最後まで、金沢の人たちは、そのほとんどが気持ちのよい人たちだった。

雪積もる凍へる土地を走り抜く電車に乗りたる吾も逸れる

サンダーバードに再び乗る。
 急いで撮影したのでブレているが、これはどうやら新型。
サンダーバード(新)
 僕はこれより、「行き」で乗った旧型のほうを恰好良く感じる(下はWikipediaにあった画像)。
サンダーバード(旧)

 石川は雪国という印象があり、かなりの寒さを覚悟していたのだが、結局それほど寒い思いをせずに済んだ。雪も、隣の福井が積雪何十cmであろうというのに対し、(たまたまの話なのかもしれないが)金沢では雪がほとんど残っていなかった。
よって、帰りの電車の窓から覗ける福井通過中の風景は雪国そのものであり、そこに僕は勝手な「異国情緒」を感じて、満足まで覚えてしまうのである。 
これは、自分の場合に置き換えてみれば「観光客がのんきなことを言っている」という状況なのだということは、容易に想像もつくのだが、観光客っていうのはそういうのんきさ・無神経さ・鈍感さでもって自ら異邦人となっているわけだから仕方ない。むしろ、ちょっと訪れただけで、「○○という土地の問題点はこれこれこうである」と断じてしまうほうがおそろしい。

雪の中を進む列車から外を撮影してみるのだが、どんどんと光量が落ちていくので、(ISOを上げるのは好きではないので)シャッタースピードが落ちていく。風景が残像を少し曳くくらいならまだいいのだが、だんだんとその像が伸びていき、抽象画のようになってしまい、撮影を諦める。ところへ限って、美しい夕景。まあいいさ。

紺青(こんじょう)へとはや今日の日が沈みゆく 車窓に映る吾(あ)は左利き

窓外が暗くなってくれば、自然、僕の顔が窓に映る。メモを取りつつ、「彼」は『現代秀歌』の「おわりに」部分を読んでいるらしい。

この「おわりに」 なのだが、十ページとかなり長い。というのもその半分は、最終章「病と死」を継ぐように、筆者永田和宏の実の妻であり、歌人でもあった河野裕子の病に対する筆者とその家族の苦悩に割かれている。
妻の河野裕子に乳がんが見つかったのは、二〇〇〇年の秋であった。すぐに手術。乳房の温存手術ということになったが、その後八年間の闘病期間を経て、二〇〇八年に転移が見つかる。二年間の抗がん剤治療ののち、二〇一〇年八月一二日、帰らぬ人となった。
 このときの一首を、筆者は「番外編」として挙げている。
一日が過ぎれば一日減ってゆくきみとの時間   もうすぐ夏至だ
ここらへんは非常にデリケートな部分なので、引用をつづける。
河野の病状が予断を許さないまでに悪くなっていったとき、私がいかに彼女を思っているかを、なんとか彼女自身に伝えたいと思うのは自然である。しかし、私が河野の死を思い、それを詠えば、当然河野がそれを見る。河野を思う歌を詠うことは、どうしてもその死を前提にした歌にならざるを得ない。先の一首なども、ある意味では、ほとんど挽歌と言ってもいい歌であろう。それを本人の目に触れさせるのはあまりにも残酷である。しかし、私の思いは知っておいてほしい。このどうしようもない葛藤。
 やはり僕は、上記文章になんの言葉も加えることはできない。本書に書かれた「事実」としては、子どもたち(同様にみな歌人) に相談し、賛同を受けた上で、歌は詠んだのである。ほかにはこのような歌もあったらしい。
歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
そして、筆者と河野との歌の応酬がいくつかつづく。河野も歌人として、最期まで歌を詠んだのだった。
死の前日、河野裕子の口を漏れた最後の歌は、次の一首であった。この一首を私が自分の手で書き写せたことを、誇りに思うのである。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が - 河野裕子『蝉声』
 この文章は、ここで終わる。


 そして僕のとりとめのない金沢旅行の記録も、ここで終わることにする。このあと、サンダーバードは大阪駅に着き、そこから御堂筋線でなんば駅に行き、ジュンク堂で永井陽子の歌集を探したのだが、あったのは「全集」のみで、価格の高さと、ご丁寧なパッケージングによって中身すら読めないという状況に打ちのめされ、そこからさらに二時間半ほどかけて自宅に帰って来たのだ。
本屋では、立ち読みついでに話題となっているらしい『その女アレックス』を購入し、三日で読んでしまったが、その感想は、また別の機会に書くとする。

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美術館と見紛う図書館<海みらい> 住所が「イ」なんてそんなのありかよ

夜は明けた。
外はどんより雲だったが、昨夜の天気予報では確実に雨になるということを知っていたので、別に落ち込まなかった。

まず、バスで大野という港のあるところに行ったのだが、漁港ってだいたいこういうものなのか、内側にくぼんだ湾が見えるだけで、港っぽさがあまり感じられなかった。
あまり海を知らない人間としては、霧笛が聞こえて、カモメだかウミネコだかがにゃあにゃあ言っていて、ついでに野良猫もみゃあみゃあ言っていて、小魚を天日干ししてある棚がずらっと並んでいて、膝丈まであるゴム長靴と重たそうなゴム製のエプロンをつけたおっさんが、市場用のキャップをかぶってなんだかこちらを疑り深い目で見ていて……ってそういう感じを想像していたのだが、カモメだかウミネコがちょこっといただけで、あとは中型(?)くらいの船がいくつか繋留してあるだけで、それ以外に港を匂わせるものもなかった。「におい」といえば、潮の臭いもそれほどなかった。
なお、ここらへんではいまでも醤油の醸造をしているらしく、醸造所がいくつか見られた。しょうゆソフトクリームなるものを販売しているところもあったのだが、時間が早すぎてまだ営業しておらず食べることはかなわなかった。
DP3M0613
ここに来る頃には雨はもう降り出していて、風も強かった。折り畳み傘は持ってきていたのだけれど、すぐにおちょこになってしまって用をなさなくなってしまったので写真を撮るのが非常に厳しく、けっきょくカメラをリュックにしまった。ついでに言うと、「傘がおちょこになる」ってなんか懐かしい言い方かも。

さて、ここにはとある博物館的なところ(わざとボカしております)があるのだが、辺鄙も辺鄙、大辺鄙な場所にあるので、ほとんど客はいなかった。いま、あらためて地図を見たら、「誰が来るんだ」っていう場所にある(公式ブログを見てみたら、おととしに来館70万人を達成しているみたい)。
ここにはいろいろなからくり細工が集められていて、それが一斉に展示されている。なかには、寄木細工やサイコロのパズルのように実際にいじって遊べるものがあり、ハマると時間が経つのを忘れてしまう。
僕は、大広間のいちばん手前にあったサイコロのパズルと三十分以上格闘していた。複雑な形の9ピースに分かれていて、 それをきちんと組み合わせると、一辺が30cmほどのサイコロ(けっこうデカイ)になるというのだが、ルービックキューブや知恵の輪がかなり苦手な僕は当然できず、リュックとカメラを地面に置いて、うんうん唸っていた。

ちょっと頭を休めるために、サイコロをそのままにしておいて、 隣の、そしてそのまた隣のパズルを試していき、「ああ、これくらいならできるや」とか「うーん、これはちょっと難しいかなあ」なんてひとりごとを言っていた。小学校の体育館くらいはある大きな部屋にそのとき三人しかいなかったので、そんなことが許されたのだが、そこへ、施設のスタッフであろうおばさんがでかい業務用の掃除機を持ってきて、フロアのカーペットを吸い込み始めた。
え、いまやるの?
こんなクソ暇そうな平日の雨の日に、たった三人しか客がいないっていうのに(むしろそれだから?)、いま、その「ブイーン!」ってクソうるさい掃除機をかまさなきゃいけないのかよ!
なんかガッカリした。
しかも、僕のやっている途中だったサイコロパズル(途中まで組立中)を、「ああ、きちんと片付けられないのかねえ」みたいな感じですべてバラバラにしてしまった。
たしかに、次のお客さんのヒントにならないよう、すべてバラバラにしてあげるっていうのは施設スタッフとして当然の行為なんだけど……な・ん・だ・け・ど、いま三人しかいないんだよ! 「次の客」なんてあと数時間くらいしかしないと来ないっていうのは、子どもでわかりそうなものなのに……。
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いじくれるパズルだけでなく、こんなふうな昔のゼンマイ仕掛けなんかも展示してある。古いものらしいが、これを撮影しながらも、頭の中には、あくまでも淡々と仕事をこなしていくスタッフのおばちゃんの振る舞いのことしかなかった。
DP3M0622

とはいえ、思いのほかたのしめた(たのしみすぎてしまった)ので、乗らなきゃいけないバスの時間が迫っていることに気づいて慌てて帰ることになった。その際に、出口そばにのぞきからくりの装置があったので、ちょこっとだけ覗いた。これがあの、落語『くしゃみ講釈』に出てくるのぞきからくりなのねえ、とちょこっと感動。
感動を覚えたついでに便意も覚えたので、施設内のきれいそうなトイレへ。これはさっきたまたま知ったのだが、僕が行った二週間ほど前に洋式トイレに改修したばかりらしく道理でたいへんきれいだった。そのたいへんきれいなトイレを、たいへん気持ちよく使っていたのだが……。
バダン! と大きな音を立てて誰かがトイレに入ってきたらしい。その音にちょっとびっくりする。誰だろう?
すると、隣の個室のドアが開いた音がして、次いで、キュッと蛇口をひねる音のあとにシャーっと水が勢いよく出る音。ジャブジャブジャブジャブ。
たぶん便所掃除用のモップを洗い出したんだ……ってことは、十中八九さっきのおばさんだ。おいおいおい、きょうは死ぬほど便所掃除する時間があるだろうっていうのに、選りに選って僕が用を足しているときに、その隣で思いっきりモップの洗浄ですか。きょうみたいに客の少ない日だったら、もうちょっとタイミングを考えてもいいんじゃないですかねえ……。

おかげでってわけじゃないけれどバスには乗り遅れた。せっかくだから全然観光地ではないところを、とバスの停留所づたいに一時間ほど歩いた。 金石(これで「かないわ」って読むみたい)という停留所が少し大きなところだったので、そこであらためてバスを待つことにした。時間がまだあったので、あの天下一品という有名なラーメン屋を見つけ、入って食べたのだが……あれ、すごいね。よせばいいのに「あっさり」じゃなくて「こってり」を頼んだら、スープが半固体だった。食べながら体中の血管が詰まっていくイメージ。
熱狂的に好きな人がいるからこそ、あんなに大きく展開しているのだろうけれど、ワタクシはあと半世紀は食べなくていいです。

停留所に戻り、バスに乗った。
これは本当は帰りのバスではなくて行きのバスで気づいたことなのだが、国道のそばに大きな美術館があって、それが見えたのは一瞬だったがずいぶんきれいな建物だと思った。
それでさっきそれをネットで調べてみたら、なんと図書館(下はWikipediaの写真)だった。
1024px-Umimirai_Library
「金沢海みらい図書館」というらしい。それはいいのだけれど、住所を見て、「ん?」と思った。
石川県金沢市寺中町イ1番地1
「イ」ってなんじゃ?
 結論から言うと、「イロハニホヘト」の「イ」のようで、ネット情報では、石川県にはそういう地名が多いとのことだった。
七尾市役所: 七尾市袖ヶ江町部25
加賀市役所: 加賀市大聖寺南町41
JR森本駅: 金沢市弥勒町61-2
これもネット情報(いまでもこれっぽい)なのだが、上記赤字で示したものも、「イ」だから気づけるようなものを、「ニ」は「二」と間違ってしまうし、「ロ」も「口」と間違えたって仕方ないだろう。両方とも後者が「(漢字の)に」と「くち」ね。
それにしても、地名っていろいろありますなあ(それが結論?)。きょうはここまで。

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石川は竜頭に似たり 和歌山は膨らみゐたるチリ国なりしか

21世紀美術館ではなく、県立美術館そばのカフェで一服したのち、わりと近い場所にあった鈴木大拙館に文字通り駆けて行った。入館リミットである午後四時半に近かった。
鈴木大拙については、ほとんど知らない。そしてこの施設に来たのは、大拙に対して理解を深めるというよりは建築を見たかったから。エフェクトをかけているけれど、だいたいこんな感じ。
    
鈴木大拙館
鈴木大拙館
鈴木大拙館
鈴木大拙館

 それから長町武家屋敷跡という場所に寄って、ここで土塀にかけられた筵(たしかこれも、雪に寄る劣化を防ぐためだったはず)や、やはり松の雪吊りをさっと眺めた。
雪吊り

とにかくまあ金沢というところは、都市部なのに歴史的な面影を残しているところがそこかしこに残っている。このときの僕は金沢に着いてから七時間ほど経っていたので、もはや「ふうん、これも(雪吊り)かあ」くらいの感動しか残っていなかったけれど(かなり歩きつづけていたので、そちらの疲労も少し出てきていた)、実際はものすごくいいところだった。

さて、このあともまだある。尾山神社という、なぜかステンドグラスの嵌められた建物のある神社へ。
尾山神社
ここでおみじくを引いたら、大吉。信心なんてこれっぽっちもない僕としては、大吉であろうと大凶であろうと、あとから「ああ、やっぱり!」と思ったことがないのでやらなくてもいいんだけどね。
門のところにあったこの彫刻は、たぶん前田家の紋。いい仕事してますねえ。
尾山神社

ここから昼に行ったひがし茶屋街を再び訪れ、夜の花街を闊歩してみるが、開店休業状態なのか、それともみながひそやかに遊びに興じているのか、人通りもほとんどなく、夕方六時という時間を考えるとやや寂しい。
 
浅野川
ここでようやくバスに乗ろうと停留所に行くと、どうやら自由券が使える巡回バスはもう終わってしまったようだった。
うーむ、自由券は使えないJRのバスなら回ってくるんだけど、ここで金を払うのもなんだかもったいないなあと時刻表のまえで首を傾げていると、そこで待っていたおそらく地元の女性の方が、「どこまで行くんですか?」と声をかけてきてくれて、金沢駅まで、と応えると、いまから来るバスは金沢駅へ行くことは行くんだけど、だいぶ迂回するので時間がかかりますよ、と丁寧に教えてくれた。歩いて行ったらどれくらいになります、と訊いたら、二十分ほどと教えてくれたので、それなら歩きます、ありがとうございました、とお礼をして歩くことにした。 
朝のバスの運転手(それもたったひとり)以外 は、本当に親切な方が多くて、町全体でお客さんを歓迎しようという姿勢が見て取れた。いや、そういう商売根性によるものではなくて、ごく自然な親切心の発露なんだろうな。こういうのは、ほんとうに嬉しい。

てえことで、元江戸ッ子はてくてくと歩を進めて金沢駅を目指した。ここらへんは朝から何度もバスで回ったり歩いていたりしたうえに、道もごく単純なので、きょう一日の総仕上げとばかりに歩きに歩いた。
途中、疲れた場所もあるにはあったが、歩いた距離に比すれば意外に疲れていなかった。後日談になるが、この日、「きっと数日してから筋肉痛が起こるのだろう」と覚悟はしていたのだが、それはついに起こらなかった。これがたいへん不思議。普段から歩いているわけでも運動しているわけでもないのにねえ。

金沢駅
金沢駅に着くと、さらに周りをうろちょろしてライトアップされた「鼓門」を見上げたり写真を撮ったりしてたのしんだ。
それから近くで適当にそば屋を見つけて夕食を済ませ(ここがけっこう安くおいしかった)、外資系のホテル(といっても安いやつ)にチェックインした。ひとり2800円の部屋だったが、なぜか当日になって、「同じ金額でひとつグレードがうえのお部屋にご案内します」と言われ、なんだか知らないがラッキー。ああ、これが大吉ね。あと、昼のランチもか。

部屋のテレビで天気予報を確認していると、予報図の範囲がいつも見慣れている関西地方と異なっていて(当然のことだが)、それが新鮮だった。
こうやってみると、石川県の形ってだいぶ変わっていて、恐竜の頭みたいだと思った。
ishikawa

きっと上(能登地方?)と下(加賀地方?)とでは、言葉とか習慣とか、いろいろと大違いなのだろう。金沢は中心地にあって海に面してはいないけれど、能登半島はなんだか気象的にもハードそう。
そんなこといったら、和歌山だって、南北に無駄に長くて、紀北と紀南じゃ全然べつものだからね。
かつてテレビで観たカクスコという劇団の最終公演で、和歌山出身である中村育二(いまでもいろんなところで活躍している)が「日本のカリフォルニア」と紹介し、周りのメンバーに「クジラとみかんしかないくせに!」とツッコまれると、「ふたつもあれば充分だろ!」と言い返していたのを思い出すが、それは紀南の話で、紀北はけっこう寒いところもあるよ。高野山にはスキー場もかつてあったみたいだし(いまもあるのかな?)。

そんなわけで、ようやく一日目が終わったのだった。二日目はたいしことないので、やっと終りが見えてきた。

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