とはいえ、わからないでもない

2015年03月

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一年半ほど前、書店でこの本を見つけた。近くの本屋には海外文学(しかも単行本)なんて置いていないから、おそらくは大阪か、あるいは横浜に帰省したときに立ち寄った本屋で見たのだろう。
 
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上掲画像は、編集ソフトで結合させてしまったのだが、左半分が上巻で、右半分が下巻である。これが書店に平積みされていると、まあ驚く。
ついでに書くと、装幀: 石崎健太郎、装画: 藤田新策。このノスタルジックなイラストレーションはすばらしい。藤田新策の公式サイトを訪れ、宮部みゆき『ソロモンの偽証』の装画を担当しているということを知る。
宮部みゆき『ソロモンの偽証』
これは文庫本の全6巻のうち1巻と2巻ぶんのようだが、これだけでも手に取りたくなる(公式サイトでは、文字の入っていない純粋なイラストが見られる)。
ちょっと余談。『ソロモン~』2巻側のイラストでは、クリスマスツリーのある建物が教会なのかもしれないが、その十字架と縦長の窓が「十川」の文字に見えて仕方ない。まったく内容を知らないのだけれど、まさか犯人は十川という苗字の人物じゃないよね。どうでもいいけれど。

キングに戻る。
この小説はタイトルだって衝撃的だ。『11/22/63』は、「イチイチ・ニイニイ・ロクサン」と読む。 ちょっと頭をひねってなにかの日付だということはわかったのだが、「1963.11.22」にいったいなにがあったのかがわからない。オビを見て、「JFK暗殺の日」だということを知る。いまさらJFK?
しかしすぐに興味が湧き、ページをぱらぱらとめくってみる。上下二段組でだいたい五百ページ。それが二巻あるわけだから、相当な大部といえよう。
とりあえず保留だな、とそのときは平積みの場所に本を戻した。


そして先月末ほど。引っ越してきてからはじめて利用した図書館に、この本を見つけた。「再会できた!」という歓びに勢いづき、すぐにこれを借りることにした。

恥ずかしながら、僕はこれまでキングを読んだことがなかった。厳密にいえば『スタンド・バイ・ミー』を小説でも読んでいるが、バリバリの長編小説作家という印象のあるキングからすると、例外の作品にあたるのではないかと(勝手に)思っているので、読んでいないと言ったほうが正確なように思う。

実際に読んでみると、文体の勢いのよさに驚く。ある書評家(けっしてアマゾンレビュアーではない)は、キングの文体を「語りのドライブ感」と評していた。まさにそのとおり。その力強い語りが、リアリティを積み重ねていき、やがて読者を圧倒する。
この長大な小説では、クライマックスシーンがいくつもあるのだが、その情景はすべて、読者のなかで映像として浮かんだのではないかと思う。
暴力的な父親がその一家を惨殺しようとする場面では、生々しい鮮血がこちらに降りかかってくるように思えた。あるいは、1950年代末期の男の子と女の子がダンスをする場面では、その笑い声が実際に聞えてくるように思えた。そのほかいくつも。

あらすじをごくごく簡単に言ってしまうと、主人公が「兎の穴」と呼ぶことになるタイムトンネルを使って、1958年9月9日の午前11時58分に行き、それから「世界を救うため」に、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺を止めようと試みる話。
好き勝手に時間旅行できるわけではない。「1958/9/9 11:58」にしか行けず、しかしそこでの行動は、現在(2011年ということになっている)に影響を及ぼす場合がある。たとえば、1958年に大怪我を負った人物を救えば、2011年ではその人物は怪我を負わなかった人生を過ごしてきたということになっている。
しかし、いったん時間旅行者が過去から現在に戻ってきて、そしてふたたび「兎の穴」に入れば、過去はリセットされる。大怪我を負うはずだった人物は、やっぱり大怪我を負う。殺された者は(たとえ主人公に救われたとしても)殺され、JFKは1963年に暗殺される。主人公たちが「兎の穴」に足を踏み入れるたびに、何度も何度も。
なお、過去でどんなに長い時間を過ごしていたとしても、「現在」では2分しか経っていないことになっている。たった120秒。主人公たち旅行者の肉体は、ある意味では正しく時間の影響(簡単にいえば老化)は受けるのだが。

主人公たち、と書いた。主人公に「兎の穴」を教えてくれた人物がいる。その男は、偶然にそれを見つけ、過去と現在を行き来する。
やがて彼は、世界をよりよくすることを思いつく。JFKの暗殺を食い止めれば――つまり彼が大統領の座にすわりつづけたのなら――アメリカはヴェトナム戦争を長引かせることもなかったはずと考え(ここらへんは浅学者の僕としてはまったく正誤の判断がつかない)、より多くの人間が死ぬこともなかっただろう、と。
これまで繰り返してきたように、JFKの暗殺は1963年のことだ。彼は過去の世界で五年過ごしてリー・ハーヴェイ・オズワルド(本書は陰謀論を排除しており、オズワルドひとりの犯行だとしている)を殺そうとたくらむが、避けられない事態が発生し、その大仕事を、それほど親しいわけでもなかった離婚したばかりの主人公ジェイク・エピングに引き継いでくれるよう依頼する。
それからいろいろとあるのだが――ほんとうにいろいろ――、ジェイクは世界を救うことについてはあまり逡巡がない。過去への旅行そのものを疑うことはあっても、だ。
ここに僕は感動した。
日本のまっとうな小説(まっとうでない小説とはなにか、はここでは触れない)の主人公であれば、同じような状況があったとしても、「よしわかった」とはなかなかならないのではないか。自分にはその資格がないと迷い、ほぼ強制されるような形で行動を始める、というのがひとつのスタイルのように思う。反対に言うと、「よっしゃ、それじゃあいっちょやりますか」とすぐにでも腰を上げるような小説は、日本では受け容れられないか、あるいは一段低いところにある小説と見られがちだと思う。
つまりこれは、「世界を救う」というひとつの大きな――とんでもなく大きな――概念に日常的に慣れ親しんでいるかどうかの問題のように思う。アメリカ人がみなそうだとは思わないし、そう判断する根拠もないのだが、ただ、日本人よりは「世界を救える」と考える人間が多いような気がする。その原因が宗教的なものなのか、はたまた政治的なものなのかはわからないが。

ともあれ、ジェイクはいさぎよく過去へ行く。
1958年は美しい。多くの好ましい人物たちが彼を迎えてくれ、多くのうまい食べものや飲み物をたのしむことができる。
しかしあたりまえのことだが、うるわしの50年代末・60年代初頭にも問題はある。実は1958年は、「兎の穴」を抜けてきたばかりのジェイクをその騒音と悪臭とで迎えるのだ。
別の例もある。すでに上巻は図書館に返却してしまったのだが、一部をメモしておいた。
とあるガソリンスタンドには三つのトイレがあった。その案内標識には、それぞれ《殿方用》と《ご婦人用》と、そして《有色人種》とあった。最後のものについて興味を持った主人公は、その標識を頼りに、スタンド裏手の茂みに覆われた斜面に行く。狭い小道の途中では蔦漆の葉を避けなくてはならなかった。その果てに設備はなく、細い小川と、崩れかけたコンクリートの柱をつかってそこに渡された一枚の板があるだけだった。小説はこう記す。
もしぼくが、一九五八年のアメリカはアンディとオピー父子が暮らすテレビドラマ〈メイベリー110番〉そのままののどかな世界だという印象をみなさんに与えているのなら、どうかこの小道のことを思い出してほしい。両側に蔦漆のあるこの小道を。川にわたされた一枚板を。
(上巻344p) 
アメリカのこの問題についてのみ言うのであれば、どうひっくり返っても2011年のほうがよくなっている。


もし『11/22/63』を読まずにこの記事を読む人がいた場合を考え、 これ以上あらすじについては述べないことにする。
JFKの暗殺はどうなったのか。あるいは、それ以上に重要な、1958年から1963年までの五年間、ジェイクはどう暮らしたのかというストーリー。それらは読んだ人たちだけが共有できるとても大切な宝物として、ここに公開しないでおく。
読了したとき、僕は例の喪失感を覚えた。いままで目の前にあった、生々しい人物たちの生が消えてしまったというあの喪失感。
最後の最後は無我夢中でページを繰っていたせいなのかもしれないが、感情が、読了したという事実に追いついていなかった。読み終えたのは夜中の一時だったので、すぐに電気を消し、ふとんに潜り込んだ。目をつむっていると、「大いなる物語」が終わってしまったのだという実感がじわじわと押し寄せてきた。エンディングのシーンが控えめに思い出される。美しい、これまた映画のような情景だった。
あの場面に漂う甘やかさとせつなさが胸のうちに広がり、やがてそれは喉のあたりまで上がってきて、その一部が、まぶたの裏のあたりをあたたかく押した。

このときに思ったのは、誰かが「この本を読んだ」と話すのを聴いたら、とても大きなものを得られた共通の仲間だと嬉しく思う反面、その内容についてはあまり話さないようにするだろうな、ということ。
小説は、どこか一部の文章を引用して満足できるような、そんな単純なものではないと思う。人間の記憶力が完璧ではないことや、思考の基礎となる言語が直観的な全体把握を苦手とすることから、人はつねに小説の一部分しか認識できないのだと思う。ある箇所を認識しているあいだは、別の箇所を同時に認識できないということ。
喩えれば、巨大な石の手前をさすっているあいだは、その巨岩の裏側部分の手触りを、忘れていたり、感じられないのと同様だ。
石の例を挙げるのは、先日、自分の身丈より全然大きな、まさしく巨岩というものを目の当たりにしてきたからなのだが、大きな岩は大きな岩でしかなく、その一部分をどんなにうまく写真に収めても、その大きさを鑑賞者に伝えることはできないと僕は判断し、実際に写真撮影を諦めたという経緯がある。
それは別として僕は、同じ『11/22/63』の読者とは、互いに大きな物語を抱えた仲間の「共鳴」を感じることに満足するだけにしよう。

「共鳴」は、この小説の重要キーワードだ。「過去は共鳴する」というフレーズで何十回と登場する。
作中ではバタフライ効果としても説明される。ある行動がいろいろな経緯ののちに大きな結果を巻き起こす、というあれだ。
この物語のなかでも、直接・間接を問わずいろいろな部分に共鳴が出てくる。殺されてしまうはずの人物が(主人公の努力により)生き残ったときには、強大な「過去」が、帳尻を合わせるように誰かの死を求める。生きるはずだった誰かの死を。
悪いことばかりではない。いいことも共鳴する。少年少女たちのダンスは、この物語の重要な通奏低音。グレン・ミラーの『イン・ザ・ムード』で踊るリンディホップというダンスが、何度も何度も登場する。そしてこの言葉も。
ダンスは人生だ


最後に、この小説がごく最近テレビで取り上げられた、ということを書いておこう。
つい先日に放送終了した『デート~恋とはどんなものかしら~』(非常にいいドラマだった)の最終回の直前回。
ある結婚式場から逃げ出して自宅に籠もる谷口巧(長谷川博己)が読んでいたのが、この『11/22/63』の下巻。藪下依子(杏)にこの本を取り上げられた谷口は、「スティーヴン・キングは一気に読むって決めてるんだ!」と言い返すのだが、もちろんそのセリフの前に、僕は気づいていた。そしてたぶん、この本の読者なら誰しも。あの装幀は見間違いようがない。そして、そのとき僕の手元にちょうどあったのも、この下巻だった。
過去だけではなく、人生そのものが共鳴している。

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今年の元旦のラジオ番組では、桑原征平と桂吉弥が六時間の特番をやっていたのだが、そのなかで桑原征平が、けっこう前に米朝の追悼コメントを取材されたことがある、と話していた。
「えらい罰当たりやな、それは」と笑いながら言う吉弥(米朝の孫弟子)に、「いやいや、実際に亡くなってから取材してたんでは遅いから、ああいうもんは早めにもろとくんもんやで」とその内情を話していた。
もちろんこれは笑い話であり、そのふた月半後に米朝が亡くなるであろうことは、ふたりは想像すらしていなかったろうと思う。

そして、ひと月ほど前にまた違うラジオ番組で桑原征平が言っていた話。
米朝の息子さんには、現米團治の他に双子がいるのだが、そのうちのひとりが高校の先生をやっている。
その人の学校で征平が講演をしたらたいへん生徒も喜んでくれた、というのでお礼の電話がかかってきた。
「征平さん、先日はありがとうございました。でね、ちゃーちゃん(※米朝の渾名。家族や弟子など、親しい人は米朝のことをこう呼ぶ)に、『征平さんがうちの学校に来て講演してくれたんやで』と話をしたら、ちゃーちゃん、最近は表情はまったくないんやけど、征平さんの名前出したら笑ってくれたんですわ。あんなふうにちゃーちゃんが笑ったのを見るのは久しぶりですわ。すんませんけど征平さん、ちゃーちゃんと話してくれませんか。征平さんと話したら元気でると思うんですわ」
桑原征平は、そのむかし『ハイ土曜日です!』という番組で桂米朝と十年間仕事をしていたとのことで、米朝とは当然面識がある。受話器の向こう側で電話を代わった米朝に対して、征平。
「もしもし、師匠! 征平でっせ! お元気にしてますか?」
そうしたら米朝、明瞭には話せず、ただ、「アー、アー、アー」と大きな声で言ったという。それを聴いた征平は胸がいっぱいになった、と話していた。自身のラジオ番組でこのエピソードを紹介したこのときの征平は、もちろん米朝がまた元気になることを望んでいたことだろう。

昨年の六月に夫人の絹子さんを亡くされたというのを、ニュースだけでなく、こういった米朝の近くにいた人たち、あるいは現に近くにいる人たち(弟子たち)からの話をリアルタイムで耳にしていたので、ちょっと心配はしていた。
けれども心のどこかでは、米朝は死なないのではないか、という強い思いが僕にはあった。
不思議なことに、けさラジオ番組をつけていたら、同じようなことを感じていた人は多かったようで、落語作家の小佐田定雄は米朝訃報に接し、「亡くなる方とは思っていなかった」とコメントしていたし、また、一般のリスナーの人たちも「こんな日が来るとは……」という内容のコメントを、けっして紋切型ではなく、本心として投稿していた。
あるリスナーがこういうメッセージを送っていた。
「『地獄八景亡者の戯れ』での、『近日来演』の言葉があったからこそ、米朝師匠は死なないんじゃないか、と思っていました」

『地獄八景亡者の戯れ』という噺がある。米朝が復活させた大ネタで、遊びに飽きた旦那がふぐを喰って地獄道中をするという内容。
そのなかで、地獄の目抜き通りの寄席でのやりとりで、地獄のいわば初心者が、ガイドらしき人物と話す(以下は僕の持っている音源からの速記)。
「三遊亭圓朝の十日間、牡丹灯籠、つづき噺でやりよった。よう入ったなあ」
「ああ、さよか」
「ああ、見てみなはれ。初代春團治、二代目春團治の親子で演ってまっしゃろ?」
「ああ、なるほど演ってます、演ってます。笑福亭松鶴、立花家花橘、米團治、文團治、桂米朝……? 米朝という名前で死んだ噺家はないと思いますが? あらまだ生きてんのんとちがいますか?」
「よう見てみなはれ、肩のところに「近日来演」と書いてありますやろ」
「ああ、なるほど。もうじき来よりまんねやな、あれ。かわいそうに、いまじぶん、なぁにも知らんとしゃべってるやろ」
僕の持っている音源では、米朝六十四歳。演じている当人が、もうそろそろあいつも地獄にやってくるで、という自虐の洒落がいわば魔除けの役割をして、それが「米朝は死なないだろう」という非合理的な思い込みにつながっていた、というのには、非合理的であるからこその強さがあって、僕も無意識のうちにそう信じていたのかもしれない。

八十九歳の人間が死ねば、「まあ往生だったろう」と思いそうなものであるが、昨夜来、想像以上のショックを受けている。
ほぼ一年前の大西巨人の訃報についても同じだった。いつかは来る日だとは思っていたが、それがいざ来てしまうと、現実との折り合いがうまくつかないのかもしれない。特に米朝は、(音源を通してではあるが)その声に接していたのでよけいに亡くなったことについて信じられないという思いが強い。文字より声のほうが、その人間の「生きている感じ」を強く伝えるのだろう。


米朝の落語について。
僕のようなほぼ初心者が書いていってさえキリがないと思うので、いま思いつく範囲で挙げていく。
まず、古い大阪の言葉。
中学か高校くらいのときに笑福亭仁鶴の音源をラジオで聴いたときに、その大阪弁の柔らかさ、きれいさについて衝撃を受けたことをよく憶えている。
当時テレビで流れていたダウンタウンや明石家さんまの僕にはガチャガチャと聞える関西弁ではなく、また、『生活笑百科』でのオール阪神・巨人の関西弁(ただし、これは好き)ではない、(いま考えるに)古い大阪弁に、一度聴いただけで惚れてしまった。
その後、上方落語を聴く機会はずっとなく、三十歳を過ぎてからようやく米朝に触れたら、あの柔らかくきれいな大阪弁を聴くことができた。
厳密にいえば、大阪弁ではなく船場言葉と言うべきなのかもしれないが、とにかく非常にきれいな言葉。和歌山でも、大阪出身の高齢の人(多くは女性)と話すと、角のないとても柔らかな言葉を聴かせてくれることがあるが、僕にとっての大阪言葉はテレビではほとんど聴くことができず、それが非常に残念。
残念どころか、なぜかテレビではガチャガチャした関西弁が強調されている気がする。(語れるほど視聴していないけれど)「ケンミンショー」などでも、大阪人が下品さや粗雑さをあえて誇っているような演出が見られることに、違和感をずっと覚えていた。
よその土地についてあれこれ言うのもヘンなのだが、僕の出身地である東京でいえば、東京人が『こち亀』の両津勘吉や『男はつらいよ』の寅さんのように「てやんでえ、べらぼうめえ!」と得意げに言っているのと同じような奇妙さがあるように、僕は思う。僕だったら、よその人たちに東京人がすべてそういう人物だと思われることは非常に心外だけれども。
まあ、ここらへんの話をしていくと、船場言葉が上位で、岸和田や河内の言葉が下位にある、と僕が判断しているように受け取られると困るのでやめるけれど、大事なことは、大阪にだって言葉や価値観の多様性があったでしょ、ということ。東京はすでにひどいもんだと思うけれど、歴史のある大阪も画一的になりすぎている気がする。
ちなみに、東京の落語を聴いていても、職人と商人の言葉とではきちんと話し分けられる。「てやんでぇ、べらぼうめ」は、職人か河岸の人間、という印象があるが、職人だって、棟梁ともなるとまた違うしゃべり方をするもの。

古い落語を復活させた、というのは米朝の功績としてよく言われることなので、ここでは特に書くことはないかな。
上記の『地獄八景~』の他にも、『はてなの茶碗』、『天狗裁き』なんかが米朝復活噺として例示されるけれど、僕は『矢橋船』も好き。登場人物が多いし、船の上での退屈しのぎの言葉遊びなんかも含めて、情景が目に浮かぶよう。
桂米朝というと、非常にオーセンティックな芸風と思われがちだと思うし実際にそうなのだが、その反面、『地獄八景~』のように時事ネタを扱うこともあり、古典原理主義者というわけでもない、というのが僕にとっては驚きだった。
『地獄八景~』では、「幽霊のラインダンス」とか「骸骨のストリップ」などというくすぐりもあるし、今日び(口演当時)の賽の河原の子どもたちは、キョンシーのモノマネをする、などというギャグも出てくる。

また、これは「うんち」についての記事(どういう記事だ?)を書くためにメモをしていたことなのだが、米朝『稲荷俥』には、こういうマクラがある。
天を駆ける狐を天狐と言う。地を潜る狐を地狐と言う。風を起こす狐を風狐と言う。雨を降らす狐を雨狐と言う。雲を呼ぶ狐を雲狐と言う。
汚い狐があるもんでございますが……。
これをはじめて聴いたとき、「うへぇ、米朝は『うんこ』って言っちゃうのね」と驚いた。
この部分、リズムよく言っているのを聴いていると、初回でも、「あ、次あたりに『ウンコ』が来るな」っていうのがわかるようになっているので、みなまで言わなくてもわかるのに、あえて米朝は言っていて、そこにびっくりした。
なお、若いころの立川談志『たぬき』のマクラは以下のようになっている。
狐もいろいろある。真っ白いのを白狐ってェます。金色に光が輝いてくるようになるとこいつを金狐って言う。鍵ィ持ってかねえと開かなかったりなんかしてナ。黒いのが黒狐、なんてェますナ。
そして、天を駆けのぼるのが天狐。地を潜ってくるのが地狐と申します。風を呼ぶのが風狐、雨を呼ぶのが雨狐、雲を呼ぶのがウン……いやあの、えェ、いろンな狐がおりましてナ。
談志は、年齢によっていろいろと演出を変えるので「決定版」とはいかないのだが、もしかしたらこれは柳家の演出を正統に演じているだけなのかもしれない。
とはいえ、(若いころの)談志ですら言わなかった「うんこ」という言葉を、米朝はあっさりと言ってしまうところに、上方落語の懐の広さ・サービス精神の豊かさが感じられる。
ハッキリ言ってしまえば、ここらへんは好みの範囲なのだが、東京落語でも、たとえば、やはりオーセンティックな印象のある三遊亭圓生などもときおり外来語をつかって比喩を用いたりする。名人こそ、お客さんを笑わせることに貪欲なのだと思う。
談志の名誉のために言わずもがなの註記をしておくと、彼ももちろん、古典原理主義者ではない。というか、むしろその正反対で、僕の談志初体験は『黄金餅』だったのだが、ひととおり「所名づくし」をしたあとに、「今だったら地下鉄に乗って何々駅」みたいな説明をしたことを、非常に面白く感じたものだ。

また、ちょっと技術的なところで言うと、米朝の落語は、間のとり方がかなりシビアだったようだ。戸田学『随筆 上方落語の四天王 松鶴・米朝・文枝・春団治』(岩波書店)によれば、
米朝のセリフのかぶせかたは、つっ込みを入れるときだけではない。全般に笑いをとるための強調、メリハリとしてセリフをかぶせてゆくところにも特徴があった。
とある(74p)。これが、歯の治療によってだんだんと変化していった、というのである。「かぶせる」というのは、前の登場人物のセリフの尻が終るか終わらないかのところで、次の登場人物のセリフを重ねることで、最近だと、芸人たちが「食い気味でかぶせてきた」みたいな表現をしている。
これを読んだとき、僕はショックを受けた。実は、僕の聴いた米朝の音源というのは、この歯の治療後らしく、「かぶせ」がもっとシビアだった頃はほとんど聴いたことがない、ということになるからだ(といっても、僕の聴いた音源んでも、「かぶせ」の妙技を感じられるところはいくつもあったように感じられたが)。このショックは、小林信彦が、古今亭志ん生は昭和三十六年に脳出血で倒れる以前でなければ本当ではない、みたいなことを書いていた(たしか)のを読んだときと一緒。「病後」の音源ばかり聴いていますよ、あたしゃ。


「落語」の話をしようとすると、ときどき偏屈な年寄り(あるいは精神的年寄り)が出てきて、僕のような比較的若い初心者に対してあーでもないこーでもないと宣ってくるようなイメージがあるけれど、そういうつまらないファン(というか、オタク)が、間口を狭めているところもあるだろうね、実際。
米朝の落語は、落語を全然知らなくてもたのしめるし、何度も聴いているうちにもっとたのしくなってくる。落語作家の小佐田定雄は、「米朝という人は上方落語を復興するために天から遣わされたのではないか」と言い、それについて米朝自身は、
上方落語の行く末を気にかけてくれる神様がいたらまことにのどかな世界で、ぜひそう願いたいものだ。
と書いている(『桂米朝 私の履歴書』日経ビジネス文庫214pより)。
その人がいま、仕事をまっとうして天に還った。
明日からは、その弟子たちが『地獄八景~』のなかで、「ついに、『近日来演』の断り書きがなくなりましたで!」というくすぐりを競って披露することだろう。お客さんは大笑いし、そして、ちょっとだけ涙ぐむはずだ。

米朝『落語と私』(文春文庫)の最後には、米朝の師匠、米団治に言われた言葉が記されている。
『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良えの悪いの言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へお返しの途(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』。
世間の決めた「ねうち」を、素朴に「人間国宝」ととらえてはいけないと思う。
ああ、本当は以下の一行を書くだけのつもりだったのに、長々と駄文をつらねてしまった。

「人間国宝」によって、米朝に箔がついたのではない。米朝の存在が、「人間国宝」に箔をつけたのだ。

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「そらとぶさんりんしゃ」がなくたっていいけれど、日曜日は……。

以前はてなブログで、「わざわざ『読者になる』ボタンを非表示にしているのに、なんで強制表示させるような仕様になったんだよ!」という内容の記事を書いたら、その記事を書いた直後に、あるユーザーに読者登録されことがある。
そのユーザーのプロフィールを調べると、「はてなスタッフ」ということが書かれていて、ものすごく気持ちの悪い思いをした。社員全員がそうだとはもちろん言わないけれど、けれども、プロフィールに会社名を載っけている人間の、その会社のサービスを利用しているユーザーに対する行動としては最低最悪で、そのとき僕は、ここのブログサービスからは早晩撤退しようと思った。

で、はてなブログからこちらにやってきてだいたいひと月が経った。
正直に言って書くストレスはけっこうある。はてな記法に慣れていたせいか、こちらではずいぶんと苦労している。ライブドアでも「はてな記法」が使えるようにしてほしいのだが、たぶん改善されるとは思えない。
きっと、ブログっていうのはもう流行遅れになっているんだと思う。SNSだかなんだか知らないんだけど、多くの人たちはもっとラクな表現手段を選択しようとするだろうから、リソースはきっとそちらに割かれていくことになるだろう。
それはそれでいいのだけれど、こちらのサービスがほったらかしにされるのはつらい。テンプレートなんかを見ていても、ほとんどのものがカビの生えたような古臭いものばかりのように感じられた。これじゃ新規ユーザーの獲得も難しいんじゃないのかな。

で、書くストレスもさることながら、最近ようやく商売のほうがまた忙しくなってきていて、おそらくは十月末くらいにならないと落ち着かない。どの程度をもって「落ち着く」とするのかわからないのだが、まず連休は取れないだろうし(これは現在でもほとんど取れていないけれど)、休みの日でもたいてい二、三時間は仕事にまつわることをやっている。
去年はそれでもブログ記事をわりと書いていたけれどそのぶん本が読めなかったから、今年は読むほうを優先させようと思っている。
僕の場合、商売上、年単位の動きがなんとなく決まってしまっているので、「今度いつ会える?」みたいなことを訊かれても、常套句のように「うーん、冬になってみないと」みたいな返答しかできない。まあ、携帯電話を持たないことを選択した十数年前から、人づきあいはほとんどの場合しないと決めているので、それで「あ、そう(じゃあ、もう連絡しないね)」みたいな反応をされてもちっとも堪えない。どうぞどうぞ、それでなくたって、会いたくなくても会わなくちゃいけない人間は(僕にとっては)大勢いるんだから。
夢は、社会から完全に孤立している引きこもりになることだが、それを達成するには相当の財産がないといけないらしく、「コミュ障」とかいって他人とコミュニケーションできないだとかなんだかという言動をネットで見聞きするたび、羨ましいご身分ですこと、と皮肉のひとつも言いたくなる(ただし、病気の人は除く)。

そういう経緯以前に、今年は隔月(奇数月)でネット断絶をする予定だったので、今月いっぱいはとりあえず休むことにする。

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