とはいえ、わからないでもない

2015年06月

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数年前、友人と山登りをしたときのことである。登山といっても標高数百メートル程度だったので、どちらかというとハイキングに近い感覚で、装備もわりとライトだった。
山道を登るとき、市が発行しているハイキングマップの「中級者コース」を参考にした。僕は軽い運動またはダイエットのつもりだったが、その女性の友人は写真が好きで、ときどき足を止めては鬱蒼とした茂みや、あるいは、山道から見える麓の道路などをシャッターに収め、非常に満足していた。

あるところで、道が三つに分かれていたのだが、そばに立ってあった木製の標識の文字が、長年の風雨にさらされたためか掠れてしまっていて読めない。ハイキングマップはそれほど細密に描かれていなかったので、われわれは「結局どこへ行っても同じところへ辿り着くだろう」と結論し、いちばん険しそうな道を選択した。
そこを少し進むと古いお宮があって、友だちは「いい写真が撮れる~」とたいへんに喜んだ。が、よくよく見るとそのお宮は、ずいぶんと長いあいだ訪れた者がいないような、寂しい感じがあった。僕たちのような登山者が通ることはあったにせよ、少なくとも、近隣の住民などが定期的に掃除に訪れているような様子はまったく伺えなかった。幟は対にあるべきところの一本がなくなっていたり、残ったものも色が相当褪せてしまっているうえに、「昭和五十四年」などの文字が読めて、夏だというのに薄ら寒いような心地さえした。
なんと呼べばいいのか知らないが、賽銭箱の上にある鈴を鳴らそうとしても、縄ももうぼろぼろになっていたので、彼女には「鳴らさないほうがいいんじゃない?」と自分が怖がっていることをできるだけ隠して言ったのだが、「ええ? なんで~? ここまで来てもったいないやん!」とまったく気にかけていないようだった。

人気のまったくなかったお宮を後にして一本道をずんずんと進んでいったところで、いきなりあたりが暗くなり始めた。
空を見上げて高い木々の隙間を覗くと、黒雲が頭上を覆っているらしい。と、プツ、プツ、プツ、と音がして、それからいきなりバタバタバタバタバタ、と雨水が木の葉を打ちつける音がした。夕立ちである。
お互いのリュックサックのなかには撥水性のウインドブレーカーが詰め込まれてあったのだが、それを取り出す余裕もあらばこそ、とりあえず駈け出して雨宿りできる場所を捜そう、と声を限りに相手の耳元に叫んだ。

必死でついてくる友人の足音を確認しながら、水の膜のなかを進むような思いで、走る。烈しい雨が頭から首元から腕までを打つ。リュックと背中のあいだには滝が流れているようで、その奔流がズボン後ろ側を通って下着にまで入り込み、それから内股を伝って靴下、ついで靴の中を浸していった。身体全体が水に包まれているようだった。

あてがあるわけではなかった。半時ほど雨の凌げる四阿くらいがあればいい、となんとなく思っていたところ、道を少し外れた場所に、人家らしきものが見えた。「こんなところに?」と思わないでもなかったが、女の子に声をかけ、「あそこに! 家!」とその方向を指差し、それから足元に気をつけながら(蔓性の下草が繁茂していたので、いまにも足を引っ掛けそうだった)、大股でその家を目指した。いつのまにか僕は、その子の手を引っ張っていた。

なんとか立っているというような家屋だった。直観が「廃屋」と言っていたが、とりあえず、引き戸を開ける。少しは引っかかったが、なんとか開いた。「すみませーん!
こういうとき、返事は欲しくない。さいわい、中から声が返って来なかったので、入り口の上り框に腰を下ろし、手で埃を払って「汚いところではございますが、」と少しおどけて、彼女にも薦めた。
あらためてリュックからタオルを取り出し、身体を拭いた。特別に見も聞きもしなかったが、彼女だって相当濡れていたはずだろう。このままゆっくりとしていたら風邪を引いてしまいそうだったが、まだ大雨がつづいている。平屋のせいで、天井のすぐ上で大粒の雨水の踊っているのが手に取るようにわかった。
「あれ? 音?」と彼女が言った。
「うん。すごいね、雨。うるさいくらい、天井」
「いや、音。雨じゃなくて」
「え?」
「中から」
「なか?」
「聞えない? なか。あっちのほう」
嫌な予感に反撥しながらも彼女の指す方を見ると、暗い暗い家の奥。
「しなかった? 音?」
「ええ? 僕は聞えなかったけど」
「気のせいか……ん? でもやっぱり」

音が、している。たしかに聞えてくるのは……電話のベル音だ。
「とる?」
「とるって?」
「いや、電話。出なくていい?」
「だって、ここの人が」
「おらへんでしょ」
「うん」
身体からまだぴちょぴちょと水が滴るほどだったが、靴を脱いで中に入る。引き戸の磨りガラス越しの外光でようやく中が伺える状態。上り框にあれほど埃が溜まっていたのなら、そして誰も人がいないのであれば、わざわざ靴を脱ぐほどではなかったかもしれない。濡れた靴下で廊下を雑巾がけしているようなものだ。
たしかに。
たしかに、奥へ進めば進むほど、ベル音らしきものが聞えてくる。が、外の雨もいよいよ勢いが強くなっていて、まるで家の中にまで降りしきっているような錯覚を感じる。
ジリリリリーン、ジリリリリーン、ジリリリリーン、ジリリリリーン、
黒電話だった。この家の佇まい(ほとんど「崩れずまい」だったが)を考えればちっともおかしくなかった。その黒電話が、木製の(おそらくは自家製の)電話台の上にあった。電話の下にあった敷物は、元は赤のチェック模様だったようだが、薄白く剥げかかっていた。それに対して電話器本体は、薄暗闇のなかで少しだけ青く光っているようにも感じられた。
ジリリリリーン、ジリリリリーン、ジリリリリーン、ジリリリリーン、
電話はしつこく鳴っていた。観念して僕は受話器を取り上げ、受話口に耳を当てた。
ザー……ザー……ザー……
「線」が繋がっていないという感じの音。断線してしまい、その途切れてしまい途方に暮れている様子が、その「ザー……ザー……ザー……」から伝わってくる。
もしもーし!
ザー……ザー……ザー……
もしもーし!
ザー……ザー……ザー……
もしもーし!
「うぅ」と一瞬だけ人の呻き声が聞えたかと思うと、ゴボゴボという音がして、受話口、送話口のそれぞれから、夕立ちの雨水が勢いよく溢れだしたのだった。

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ついに『モンク』を観終えてしまった。DVDの電源をオフにして、それからまだ「終ってしまったこと」の余韻に浸っている。最終話のエンディングにかかっていた曲("When I'm Gone")の訳詞などを探したりしながら。

※今回は誰も気にしないだろうから、気兼ねなくネタバレを書く。

たしかモンクの吹替えをやっていた角野卓造が言っていたと思うんだけど、八年近くにわたって放映されていたという。今回DVDをレンタルしてすべて(計64枚!)観終えるのに、九ヶ月くらいかかったのだが、横浜に住んでいたときは、BSの放送をシーズン2からシーズン7まで観ていたので、それなりの年月を過ごしてきたという感慨がある(ただし、DVDのシーズン数とNHKのシーズン数には開きがあるらしく、ここらへんはWikipediaに詳しい)。まさに「一緒に過ごしてきた」という感覚だった!
それが、終ってしまったのだ。

やっぱり、いい物語が終ってしまうと喪失感がすごい。
終焉の予感は、実はシーズン7からあった。シーズン7の冒頭エピソードは、クローガー先生が亡くなったところから始まるのだが、実際の役者さんが亡くなっているということもあり、エピソードの最後にかかる近所の子どもが弾くショパンに、胸の詰まるような思いをした。
また、このシーズンでは、あの口うるさいケビンも殺される。こいつはモンクの隣人で、一度も役に立ったことはなく、むしろモンクを含め周りを苛立たせる名人だったのだが、だからこそ、エンディングにかかるケビンの残した遺言ビデオがせつない。
「ええと、きみがこのビデオを見ているということは、ぼくは死んだんだね……。あるいは、こういうこともあるかもしれない。ぼくがチェックのために見ているという場合がある。それと……そう、編集を頼んだジムがこれを見ていることもあるかもしれないね、ジム、ありがとうね、いつも。それから……そう、きみになにかのビデオを貸すつもりが間違ってこの遺言ビデオを貸してしまうという場合もないわけじゃない。そうだとしたら、これは間違いだからね。ええとそれからほかにも……」云々。
延々とビデオカメラの前で長ったらしいおしゃべりをつづけるケビンの映像を見て、ナタリーがモンクに尋ねる。「早送りにする?」
モンク「いや、このままでいい。このままで」
テレビに映る粗い映像のケビンをアップにしていって、それでエンディングなんだもんなあ。

ファイナル・シーズン(シーズン8)は、そりゃもう、すべてのエピソードが最後に向けて収束していく感じがあって、回を進めていくのが辛かった。
長年の仇敵であるハロルド・クレンショーとは劇的な和解をし、むかし懐かしのアシスタント、シャローナが登場し、警部は再々婚する。この結婚式の映像がきれいだったなあ。カリフォルニアの荒い大きな波が打ち寄せる日暮れの浜辺で、ごくごく少ないメンバーでの結婚式。みんなが去っていくところへディッシャーのアコースティック・ギターによる「結婚行進曲」。
十二年越しにモンクの復職がかなったときは、涙が出た。モンクが刑事に戻れるということより、ナタリーと別れなければならないということに。
そして最後のエピソード。

伏線はずっと前から張られていたんだよなあ。 あの「小さな箱」。トゥルーディーの事件が解決しついに終わりを見出したという安堵もあったが、それ以上に、このドラマが終ってしまうということが悲しかった。ディッシャーがカリフォルニア市警を辞めてニュージャージーの警察署長になる(シャローナとの結婚も!)と報告したところでは、これまた泣けて仕方がなかった。モンク以上に奇妙なディッシャーだったが、モンクのチームのなかで彼は、他の誰よりも愛されるキャラクターだったのだ。その彼も、もういなくなってしまう……。


もちろん人生というやつもそうなのだが、いちばんいい状態がつづくことなんてありえない。「すべては流転する」とか「諸行無常」だとか、世の中にはいろいろな言葉があって、そこらへんの子どもだって「おじさん、そんなのあたりまえじゃん」なんて言うだろうが、その一方で、「ああ、これがずっとつづいたらなあ」という感覚は、生きてきた時間に応じてそれなりに経験できる。そしてそのたびに、その願いがかなわないということもセットで経験する。
「終わりや別れがあるからこそ、ひとつひとつの事物が、あるいは一瞬一瞬の時間が輝きを放ち始め、そのいちいちに意味が生まれるのだ」なんて訳知り顔で言うやつはくたばってしまえ。誰もがそんなことは百も承知なのだ。それでも、「ほんとうにこれだけはずっとつづいてほしい」 という思いは生じる。生じてしまうのだ。他人のことについては「終わりや別れって、たいせつだよねえ」とのんきにコメントはできても、自分のものだけは「別口」にしたいのが人間。

ほかの重大なことに較べれば非常に些細なことかもしれないけれど、きょう、僕のなかで『名探偵モンク』というドラマが終ってしまった。そりゃ何回でも観直すことは物理的に可能だが、それでも「終ってしまう」ということを知っているいまでは、知らなかったときとはまるで違う。
八年はそれなりに長い時間だ。ひょっとしたら僕も、このドラマを知ってから足掛け八年くらいは経っているかもしれない。もしかしたらそれ以上かも。
「それなりに長い時間」を過ごしてきた友だちが、そろそろお別れの時間だ、と僕に言っている。わたしがいなくなってしまえば、きみも寂しいだろうけど、わたしも寂しいんだと彼は言うのだ。そして、「さよなら」の代わりに「またね」と告げて、彼らは去って行った。

When I'm Gone / Randy Newman

さようなら、エイドリアン・モンク、そして愛しのナタリー・ティーガー。正義漢のリーランド・ストットルマイヤーと、その憎めない部下のランディー・ディッシャーにもお別れを。みんな、ほんとうにありがとう。どんな状況にあろうと、このドラマを観ている時間はほんとうに幸せな時間でした。


【2015/06/30追記】
dailymotionでエンディングの動画を見つけたので、貼っておく。どこかで「このエンディングは、完璧だ」という英語コメントを見かけたが、まさにそのとおり。完璧。まさにエイドリアン・モンクが気に入る完璧さ。

きょうは一日じゅうずっとモンクのことについて考えていた。
強迫神経症患者として、周りからは変人として扱われているモンクだが、最終話、犯人に毒殺されかかったときにストットルマイヤー警部は、モンクに対する評価を改める。
ずっとモンクのことを不完全だと思っていた。何かが欠けていて、人間的にちょっと足りない、と。
でも、なにも欠けていなかった。誰よりもものが見えて、誰よりも多くを感じていた。
人間的すぎて、それがあだになっていたんだ。
この強迫神経症という病気を、僕はずっと、物語のものすごく有効な装置(ユーモラス、という点において)として設定したのだと思っていた。けれども最後の最後まで観てその考えが変った。実はそうではなく、一般的な人間なら忘れてしまうこと、気にしないですませようとすることをいつまでも憶えているというところに、モンクという人間の愛情の深さをあらわそうとしたのだ、と。
トゥルーディーの娘モリーの存在が明らかになったとき、ナタリーはモンクに、「ずっと愛せる存在があなたにはいなかった」と言った。そして、これからはモリーがトゥルーディーの代わりになれる、と。
十二年というあいだ片時もトゥルーディーのことを忘れられなかったからこそ、モンクのモリーへの気持ちは観ている人間にもすぐに伝わった。してみれば、この『名探偵モンク』という、ともすれば奇妙奇天烈な天賦の才能(難儀な)を持った人物の話にも受け取られてしまうであろうドラマは、長い長い愛情の物語だったとも言えそうだ。
この十二年のあいだに彼は、弟を赦し、父を赦し、長年のライバルとも和解した。
上掲動画にある、最後のシーンのモンクは、あいかわらずタオルをきちんと折りたたみ、出かけるときにはやや神経質にキッチンの火元を確認することはあっても、ジャケットの内側にあるのは、これまでどおりのYシャツではなくニット(?)であるし、そして現場に到着したモンクは、ナタリーの運転する車のドアを、いつもの肘を使って閉めるやり方ではなく、堂々と手の平で閉めているのだ
まさに、完璧なエンディング。 

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和歌山電鉄のたまちゃんが天国へ行った。

貴志駅なんてわりあいすぐに行ける場所だったけれど、一回も行かずじまい。あの「たま駅長」というのがどうしても気に食わないから。たまちゃんがむかつくのではない。あんなふうに「駅長」に仕立て上げる人間の金儲けのやりかたがむかつくのである。
イヌならともかく(といったらイヌ好きに怒られるかもしれないけど)、ネコはあんなふうな恰好をさせられるのは大っ嫌いなはず。ネコをおもちゃにして客寄せしたなんて、ああいう赤字ローカル線がやったからみんな大目に見ていたのかもしれないが、JRや大手私鉄がやっていたらもっと非難囂々だったのではないか。

いま和歌山県のニュースを見たら、広報の女性が泣いていた。その涙はきっとホンモノなんだろうけれど、ホンモノだからこそ、つまり自分たち(社長含む)の「善意」をまったく疑っていなさそうなところが怖い。
ネコ好きながら、上に書いたような理由から最後までたま訪問をしなかった人も大勢いるだろう。その人たちは少しは誇りを持っていいと思う。少なくとも、人間のエゴをネコに押しつけるようなやり方をよしとはしなかったのだから。


【追記】
念のために予防線張っておくけれど、自称「ネコ好き」と口論したいわけじゃないので、つまんないコメントはやめてね。 

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さっき見たYahoo!の記事に、タイトルがこんなふうになっているのがあって気になった。
悲痛

気になったのは、「ジャイアーン!」ではなく、その前の「悲痛」という書き方。「悲痛の声」じゃなくて、「悲痛」どまり。なんか妙な遣い方。いちおう辞書(大辞林 第三版)を見ると、

ひつう【悲痛】

( 名 ・形動 ) [文] ナリ 
いたましいこと。あまりの悲しさやつらさに耐えられないほどであること。また,そのさま。 「 -な叫び声をあげる」 「 -な面持ち」 
などとあるので、「あまりの悲しさやつらさにたえられないほどであること」だと思えば、まあヘンなことはないのだが、耳慣れない・見慣れない言い方だとは思った。

マスコミには独特な言葉遣いがあって、有名な誤用「ゲキを飛ばす」はまあ措いておくとしても、「激白」なんていう言葉も、新聞のラテ欄以外ではあまり見かけないように思う。
これも、辞書を引けば、

げきはく【激白】

( 名 ) スル
(マスコミ等の取材などで発言を求められた者が)衝撃的な内容を隠さずにうち明けること。
② 押さえていた気持ちから,一転して堰を切ったように告白を始めること。 「真相を-する」 
とある。こちらは明瞭に「マスコミ」の単語が出ているところが興味深い。
あるいは、「熱愛」なんていう言葉も、「激白語」の一種だろう。

ねつあい【熱愛】

( 名 ) スル
心の底から愛すること。また,愛し合うこと。 「妻を-する」 「スターの-報道」
ほらほら。なにげなく「スター」なんていう言葉を潜り込ませて、マスコミ語っぽさを主張しているんだな、大辞林は。

いづれにせよ、こういう言葉が用いられて期待感を煽られるときは、たいてい肩透かしを食らうことになるので、条件反射的に安っぽい表現だと感じてしまうことになる。
そうそう、いまはどうだか知らないけれど、むかしはラテ欄に「マル秘マーク(㊙)」がよく踊っていたもんだ。これも昭和っぽい記憶?

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皆川博子はすごい、ということは前から聞いていた。どこかの新聞の書評であの佐藤亜紀が手放しで絶讃していたのだ(といっても佐藤亜紀の作品は実はひとつしか読んでいないが、その一作品だけでも、内容の良し悪しはともかく、嫌味なくらいに頭のいい作家という印象がもたらされた)。そこでいつか読まねばなるまいとは思っていたが、代表作が歴史ものであったり、舞台がヨーロッパなどであったりするようで、なかなか手をつけられずにいた。
それが先日、大阪難波のリニューアルした丸善を訪れた際に、ポプラ文庫の新刊で彼女の名前を見つけたので、これもなにかの縁だと思い、手にとってみた。それがこの『少年十字軍』だ。

十字軍という単語は、世界史をほとんど勉強しなかった僕にとっては少し苦手なキーワードであり、なんとなくイメージがつかみにくい。ましてや、少年十字軍とはなにか。
阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)にその名前が出てきたはずだと思って調べてみると、たしかに以下の記述を見つけた。1212年5月、羊飼いの少年が三万人を率いて巡礼におもむいたのだが、マルセイユから行方不明。一説によればアフリカの沿岸で奴隷として売られたという(149p)。
また、カート・ヴォネガットの代表作のひとつ『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫)にも「子供十字軍」の記述が見られる。そもそも、この『スローターハウス5』のはじまりはとても魅惑的だ。作者のヴォネガットが、自身が兵士として体験した第二次世界大戦中のドレスデン爆撃についての小説を書こうとしているところからはじまるのだ。
彼が戦友のバーナード・V・オヘアの家でその小説の構想について話しているとき、オヘアの妻であるメアリが戦争の小説を書こうとするヴォネガットに対して腹を立てていることに気づく。
メアリの怒りをかきたてているのは戦争だったのだ。彼女は自分の子供はいうまでもなく、ほかのだれの子供たちも戦争で死なせたくはなかった。そして戦争を助長する責任の一端は、本や映画にある、と考えたのだ。
(25p)
そうしてヴォネガットは彼女に、その小説のタイトルを「少年十字軍」とすることを約束する。実際にこの小説の正式なタイトルは、『スローターハウス5 または子供十字軍 死との義務的ダンス』という。
それからオヘアと一緒に子供十字軍について書かれた本を読み始める。ここに書かれてあるのは、阿部の『ハーメルン~』よりやや詳しい。やはり1212年のこと、ふたりの修道士が、フランスとドイツの子どもたちを集め、それを奴隷として北アフリカに売り払うことを画策する。
子供たちの大部分は、マルセーユから船で送りだされ、その半数は船の難破にあって溺死した。残りの半数は北アフリカに着き、そこで売られた。
ふとした連絡のいきちがいから、ジェノヴァに参集した子供たちがいた。そこには奴隷船は待っていなかった。ジェノヴァの善良な市民は食物と寝る場所を提供し、彼らから事情をきいた――そして少額の旅費と多くの忠告を与え、故国へ送りかえした。
「ジェノヴァの善良な人びと、万歳!」と、メアリ・オヘアがいった。
(27p)
これで、僕の「少年十字軍」についての手持ちのカードはもうおしまいだ。あとはなんにも残っていない。つまり、ほとんどなにも知らなかった!

皆川博子の『少年十字軍』は、エティエンヌというやはり羊飼いの少年が主人公のひとりである。このエティエンヌもどうやら実在の人物だったらしいが、上に書いた三万人を率いた人物とはまた別人のようだ。
エティエンヌを「主人公のひとり」と書いたが、この物語は紙数のわりには登場人物が多い。主要なところだけでも、ルー、アンヌ、ジャコブ、フルク、ドミニク、ガブリエル、カドック、レイモン、ベルトラン……。それぞれの立場もさまざまで、羊飼い、孤児、農奴、助修士、修道士、従僕、伯爵の息子、騎士となっている。
彼らは、ある日、大天使ガブリエルに啓示を受けたエティエンヌと一緒に、「乳と蜜が流れる」というエルサレムを目指し、聖地を異教徒から奪還しようとする。

……ここまで書いてきて、次になにを書けばいいのか迷っている。この小説は読者の対象年齢が中学生以上になっていて、事実、中学生でも読めるようになっている。特別むずかしい言葉が出てくるわけでもないし、表面上、難解な思想があるわけでもない。しかしこれは、大人こそが読むべき物語だろう。けっして単純ではないのだ。
たとえばここには、聖なる存在への疑いがつねに描かれている。ある登場人物たちは「神はいない」ということを知っている。奇妙な表現かもしれないが、そう「考えている」のではなく、知っているのだ。神がいないのだから、奇蹟も起きないということを知っている。そして彼らは、エティエンヌがみなの思っているような人智を超えた能力を持ってはいないということを知っている。しかし。

現代では、信仰を持っている人でなければ「神はいない」というのはほぼ前提条件になっているので、僕らも奇蹟は起きないということを知っている。神はいない。奇蹟もない。そんなのはあたりまえのことだ。そう断言したのちに、「それでも……」と思う心が僕などにはある。神も奇蹟もないかもしれないが、奇蹟を期待する心まではなくならない。それもまた信仰の一形態なのかもしれない。
世界のすべてを即物的にとらえたのちにやってくる虚しさ、あるいは反撥心が、なにかを期待させる。ほんとうは、そんなことはないのではないか、と。
だから読者は、物語の最後の最後まで、エティエンヌの一行を注視していくことになる。そして、聖なるものの対極にあるものを見極め、その非情さに息を呑む。残酷な世界にあって、無垢なものたちはただ弱く、ただ滅ぼされていくだけの存在なのだろうか。

最後の最後、エティエンヌがアンヌにささやくセリフを読んでいたとき、僕はまさしく雷に打たれたような衝撃を受けた。身体が震えた。人間は、もしかしたらものすごい存在なのかもしれない。みじめで救いようのない状況においても、いや、それだからこそなのかもしれないが、ほんとうに聖なる存在になりうるのかもしれない。
僕の身体が動いたということは、生理的な部分が揺り動かされたということだ。頭で考えてうんぬん、ではなく、もっと直に打ちのめされてしまった。余談ながら、このような体験ができるからこそ、僕は小説を読んでいる。
いづれにせよ、ここには聖なるものと穢れたものがある。信仰と科学とがある。栄光と虚栄があり、慈愛と残酷さ、尊敬と侮蔑、そして神と悪魔がある。それらのすべてに関わるのが人間である。ここには、人間が書かれてあるのだ。それも、「むかしむかしの物語」ではなく、現代に生きる人間にも通用する物語。
それぞれの主人公たちが、いったいなにを探していたのか。それらのすべてを読み終えたばかりの僕が正確にとらえているとは言いがたい。だからおそらく僕は、これから幾度もこの小説を読み返すと思う。再読、再々読に耐えうる小説であるし、その価値はじゅうぶんにある。

ただひとつ、この小説には難点がある。それが、この表紙だ。
少年十字軍
 
本にカバーをかけないと決めている僕は、電車で角川文庫のあの『ドグラ・マグラ』上下巻を読むことすら厭わなかったが、しかしこれはなかなかキツイ。というより、カバーイラストがこの本の価値をものすごく貶めているように感じられる。このようなごく一部の嗜好に対してしか訴えないイラストをなぜ選んだのか。
もちろん中高生が手に取りやすいだろうという出版社の意図が背景にあるのだろうけれど、しかしそれは反対に、読者を若い人たちに限定してしまうことにはならないだろうか。すでに上に書いたことだが、この本は大人にこそ読まれるべきものだと思う。もっと普遍的で、いつの時代の人間でも手に取れるような装画が望ましかった。改版される際にはぜひ大幅な変更を求めたい。

編集
きょう、とある場所で昔ながらのピンク色の紙製ファイルを見つけたのだが、そこの表には、「㐧(環境によってはうまく表示されないかもしれないが、「第」の略字)」の漢字が遣われていた。懐かしい。子どもの頃はよく見た気がするけれど、ワープロやPCがあたりまえとなってしまった現在ではとんと見かけぬ。
第

これを見て思い出したのは、いまの子どもたちは、「父」の漢字を手書きするとき、明朝体の「ウロコ」の部分までを模して書くという話(たぶん話は「父」の字に限らず、およそウロコの特徴的な漢字はすべてなんだと思う)。
父
手書き文字というものに接する機会が減れば、さもありなん。ましてや、今後予想されうる端末機器等を使った授業などがメインになっていけば、その傾向は顕著となるだろう(それと同時に、手書きする機会も相応に減っていくのだろうが)。

ところがじゃ。ふと、「客」という字を見ていて、「うかんむり」の下にあるのは、「カタカナの『タ』の右に突き抜けたやつ」だと思って、実際に三十数年間そう書いてきたのじゃが、明朝体のフォントをつぶさに見れば、「のぶん」のようにも思える。
客
うーむ、これはデザイン上の出っ張りなだけで、実際は(僕のこれまで書いてきたような)「冬」の上の部分でいいのか、はたまた、「枚」の右か。 
おじさん、ほんとうにわからなくなってきました。

編集
石井正則のラジオ番組で「ちょっとオレはわかってるんだぜ系」の音楽が紹介され、こぶ平のジャズ趣味と同じような、本業はたいしたことのないやつのご大層な本格的趣味を見せつけられた。
もうやめなさい」とわたしは思った。

NHKのとある番組にゲストとして出演していた男性タレントが、ことあるごとにアヒル口を見せていた。
もうやめなさい」とわたしは思った。

「サブカル」が好きなのではなく、「サブカルを語ってる自分」が好きな人が話していた。
もうやめなさい」とわたしは思った。

「鉄(電車)成分が足らなくなったので、おさんぽに行ってきました」みたいな文章で始まる女性の写真ブログ(?)を目にしたのだが、トップページの表示記事数が「1」しかなく、「前の記事」とか「次の記事」をさんざん行ったり来たりさせられてPV増加に寄与させられた。
もうやめなさい」とわたしは思った。

外国に住む予定もないのに、ニューヨーク発のおしゃれスイーツやパリの「丁寧な暮らし」を追っかけている人の文章を読んだ。
もうやめなさい」とわたしは思った。

編集
朝、四時半。ネコにいたずらされて起床する。
五時半、仕事へ。小雨。梅雨寒。そこからだらだらと仕事をする。やらなければならないこと。やっておいたほうがいいこと。やらなくてもいいこと。
十二時半。仕事終る。きょうは半休の日。とりあえずホッとする。なにをしようか、というよろこびもあまりない。とりあえず午後にこぎついて、やっと休めるという感じ。詰まりに詰まったベルトコンベアの列にちょっと空白ができたというだけ。ということはたぶん八時間だけ多く休めるだけということ。
即席麺で昼食を済まし、とりあえず文庫本のページをぱらぱらとめくりながら横になる。ページをめくっていくリズムは不規則で、すぐに止まってしまう。身体にかけたタオルケットにネコが乗ろうとする。やがてもう一匹もやってくる。足を開くと、ネコがそのあいだに身体を入れて丸くなる。一緒に寝る。

午後二時半。目が覚める。足元を見る。左側の開いた襖の向こう側にはガラス戸があって、そこから光が入ってきていた。カーテンを通したその弱い光がネコの顔をやさしく照らしていた。写真に撮りたくなるような場面だった。カメラを取りに行こうとして動いてしまったら、ネコも態勢を変えてしまうだろうから、結局はなにもしなかった。いい風景を目にしたときに限って、いつも手元にはなにもない。
こういう時間がいつもあればいいと思う。一週間に一度、しかも数十分だけというのではなく、もっと長い時間、ネコみたいに遊んでいられたら。天気の心配も、健康の心配も、収入の心配も、すべて気にかけずに昼寝をしていられたら、なんて退屈だろう。それでも、なんてたのしそうなのだろう。

それからまた少し寝て、午後四時。もう一日が終ってしまったような気がしはじめる。おもてはまだ明るいのだが、それでも「もう諦めな」という雰囲気がガラス戸越しの明かりを通じて伝わってくる。
PCを開く。天気予報とニュースを少しチェックする。ヘッドラインを斜め読みしてそれでおしまい。Yahoo!のポータブルサイトではヘッドラインは八行しかないけれど、それで充分。もしかしたら四行だって構わないのかもしれない。
ブコウスキーのページをまた進めていく。反古紙に明日やること(もう「明日やること」を気にしている!)をボールペンで列記していく。文字がどんどんと余白を埋めていく。どう控えめにみても、これは明日のうちに終りそうにないということがわかる。そうなると「明後日のこと」にまで話は侵食しているということになる。となれば、薄ぼんやりと頭の端っこの端っこのほうでちぢこまっていた「明後日のこと」の一部は、すでに「明々後日のこと」へと追いやられていることになるらしい。ベルトコンベアはやっぱり詰まりに詰まっている。

音楽を聴いていたら、午後五時半になっていた。やっと決断をする。トイレの掃除をしよう。ネコのトイレ掃除(糞の片付けだけでなく、本体そのものの掃除)と人間のトイレ掃除。
猫トイレは、洗ってやるとだいぶきれいになった。抗菌仕様のプラスチックのせいか、お湯で流せばだいたいおしまい。人間トイレは、毎日やるのがあたりまえという人もいるのだろうが、できる人はそうすればいいというだけの話。毎日どころか朝夕やる人だっているだろうし、用足しごとにやる人だって、用足しの前後に一回づつ掃除する人だってなかにはいるだろう。つまりは人の好みってことだ。なんにせよ水洗トイレのありがたさよ。こんな田舎に住んでいるというのに水洗トイレが完備されているということを言祝がずに、なにを言祝ごうというのか。

便器をウェットティッシュ状の専用シートで拭いているあいだ、二十歳前後に会ったボウさんというタイ人だかベトナム人を思い出していた。五十歳くらいだった。
居酒屋でバイトをしているとき。そこの洗い場としてボウさんは働いていた。ときどき洗い場の手伝いをした。冬の鍋の時期には客席にコンロも出すので、食事のあとの汚れたコンロを一緒に洗ったりした。面倒なので表面だけきれいにして裏側は手を抜いたりすると、きまって注意された。「ダメダメ。ウシロモキレイジャナイト、ダメネ」そう言って彼はコンロのピカピカに磨いた面を見せて「カオ、キレイ、」と言い、それからひっくり返してコゲのついた面を見せて、「デモ、ココロ、キタナイ。イッショネ」と言った。
それから十数年が経とうとしているが、ときどきこの言葉を思い出している。「ココロ、キタナイ」のやり方をしているときもいまだに多いが、「ココロモキレイ」のときもある。
その居酒屋には、ボウさんのほかにもうひとり若いのタイ人(あるいはベトナム人)がいて、彼と話すときは母国語を流暢に話し(そう聞こえた)、その姿には、日頃から漂わせている哲学的な雰囲気がより色濃く出ているように感じられた。彼は息子が大学へ行くために仕送りをしていた。いま母国に帰っているであろう彼も、ときどきは日本の居酒屋で働いたことを息子や孫たちに話しているのかもしれない。冬、十何台ものコンロを洗って磨いていた夜のことを。

その居酒屋にはNさんという女の子もいた。
彼女と話したこともついでに思い出す。ル・コルビュジエ。雑誌ブルータス。調べたら'98。
brutus
そうそう。たしかこの表紙だった。この雑誌の話をたまたましたら、家具作りだかの専門学校に通っている彼女が「ル・コルビュジエ」の名前を口にした。ミッドセンチュリーデザインだかが流行っていた頃だ。中目黒にはこういう家具屋が佃煮にするほどあったように記憶している。その前を通ったことはあったかもしれないが、中に入ったことは一度もない。いまでもあるのだろうか?
彼女とは、クジラの先祖がカバであるという話でものすごく盛り上がった。お互い、そのニュースを驚きをもって共有できる友人を持っていなかったのだ。いまなら、ツイートしてリプライ、あるいはフェイスブックで「いいね!」されておしまいなのだろうか(LINEならどうなるのか知らない)。なんにせよ、同じ話題で盛り上がれる人間が現実にいたので昂奮した。彼女も昂奮していた。出会いという意味では稀少なことだったのだ。

汚れたシートと一緒に思い出をきれいに流して掃除を終える。それから山を下りて買い物に行くことになった。どう考えても、きょう牛乳を買っておかなければ丸二日は牛乳なしの生活になってしまう。
アルコールが切れてもまったく構わないのだが、牛乳だけは朝のたのしみであって、毎日長々と働いているのも、キャットフード、ラビットフードを除いては牛乳のためと言っても過言ではない。なんとしてもカフェオレが飲みたい!
雨はもう上がっていて、スムーズに坂道を下りていくことができた。対向車も少ない。FMをつけてもあまりピンとこない。音楽が身体に染み込んでこない時間なのだ、きっと。
読み終えた本のことを考える。そろそろなにかに・どこかに書き留めておかなければ。それらのことを考えていけば、またいろいろと派生していき、思い出し、または確認し直さなければならないことも出てくる。そのいちいちを頭のなかに付箋に記して貼っておきたいのだが、あいにくそんな能力はないので、なんとか憶えておくように祈るしかない。祈るなんて、こんなときくらいだけだ。
「下界」では、牛乳のほかに、100円ショップでホワイトボードを購入した。いま事務所にあるホワイトボード四枚のうち、三枚は原因不明の書き直し不能の状態に陥っている。容易にイレイザーで消せなくなってしまったのだ。毎回毎回書いたあとに、ティッシュと専用のクリーナー(イレイザーではない)を駆使して消さなくてはいけないのだが、これがどうにも不毛な労働のように思えて仕方なく、しまいにはそのホワイトボードを見るたびにストレスを感じるようになってしまい、書くことをやめてしまっていた。上に書いたように原因は不明。ペンのせいなのかイレイザーのせいなのか、はたまた専用クリーナーのせいなのか。ホワイトボードそのもののせいってこともないわけじゃない。
汚れて消すことも書くこともできないホワイトボードがある事務所は、地獄みたいなものだ。目の前にいつも叩き壊したくなるものが鎮座しているということ。精神の健全性維持のためには200円は決して高くない。買い物を終えて、レジ横にある「日本人の苗字の80%」が収められているという巨大な印鑑ボックスの中から自分の苗字を見つけた。日頃実印として使っている判子は、そこに収められているものよりさらに安っぽい。だからといってそのことについて誰かに文句を言われたことはない。
ふたたび、山をのぼった。一台だけ、バカみたいに眩しいハイビームをこちらに向けたRV車とすれ違った。あとは静かなもの。FMからは相変わらず身体に染み込んでこない歌が。
家に帰ってくると、もう気分は「明日」だった。実家に何度か電話をかけ、電話の故障のせいでこちらの声が聞えないという状況に慌てている両親の声を確認した。ネコは今夜はやけに静かに寝ている。朝方のいたずらに備えて早寝しているのだろう。その代わりにウサギが大暴れをしている。さきほど三十分ほど遊び相手をしていたのだが、それが気に食わなかったのか、いま、隣の部屋からケージをがんがんと揺らす音が聞えてくる。
そういえば、玄関の門灯に巣を作ったツバメが「増築」をしている。雛たちは飛び立てるようになったのだが、日が暮れるといまだに帰って来て「狭いながらもたのしいわが家」を満喫している。それが新しい巣を二箇所(どちらもわが家の玄関)につくりはじめ、昼間は目下、「左官(しゃかん)」の仕事に明け暮れているようだ。土とそれに藁の切れ端のようなものをどこからか集めてきて、それをぺたぺたとつけ合わせていく。
そのツバメたちも、いまは寝ているだろう。起きているのは、僕と、自律神経失調気味のウサギだけ。明日も朝は早い。雨の降る音が、いま聞えてきた。

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つい最近、ミュージシャン同士のカバーに対するツイートがきっかけで、歌/カバー/歌い手/著作権者などのことが話題になっていたみたいで、そのまとめみたいなのをつらつらと目にした。
そこでの議論のゆくえはともかく、外野部分でミュージシャンやら作詞家なんかが、素人にも非常に理解しやすい意見を述べていたのだけれど、よくよく考えてみると、彼らは当事者ではない。当事者じゃないんだけど、いちはやく話題をキャッチし、それについてバランス感覚のある意見を述べるのって、なんだかビジネスマンの処世術みたいだと思った。まあ、その人たちにとってのツイッターは(当然のこととして)表現行為でもあるのだろうが、同時に広報の一環でもあるのだろう。
耳目の集まるところで「表現」していると、自然に穏当さを身につけていくような気がする。直観としてだが、僕はこういう人たちの「バランス感覚のよさ」みたいなのをとうてい信じることができない。ましてや表現者だろうに、彼らは。

そういえばネット上で、ある外国の事件についての「私はツイッターで固唾を飲んで状況を見守っていた」という文章(ちょっといじっているけれど)を読んだ。おそらくその人は真剣な態度で「見守っていた」のだろうが、僕の知っている「見守っている」という言葉とは異なる遣い方がなされているように思う。
僕は、特に最近、現場にいる/いないということに対して非常な重きを置いている。言い換えれば、体験/非体験ということだ。その人の真摯な態度はけっしてバカにできるようなものではなかったのだが、けれども言葉の遣い方・感覚の延長のさせ方にはもうちょっと注意したほうがよいように感じた。
ある事件について、ツイッター(あるいはほかのツールでもよいのだが)を通じて「見守る」と表現することが当たり前になってしまうと、たとえば「TLで○○戦争をじっくりと観察してきたわけだが、」みたいな感覚が当たり前になってしまう。
僕は具体的な単語の用法の話をしているのではない。もっと抽象的な「感じ方」のことを話している。
人が見た気でいたものを / ぼくはこの目でしかと見た
これはランボーの『酔いどれ船』(『酩酊船』という訳もあるようだ)の一節で、僕は実際に原典にあたったことはないのだけれど、舟崎克彦『ぽっぺん先生』シリーズのどこかにエピグラフとして書かれてあったのを、いまだにこうして憶えている。福永武彦の訳のようだ。

当事者ではないのに、あるいは、体験してもいないのに、まるで当事者だったり、その場にいた人のように語りだすのは非常に危ういことだと感じている。その人たちがごく穏当に振る舞おうとしているのならなおさら。
穏当さは、つねに周囲の評価に基準が置かれている相対的なバランス感覚であるし、そこにあまり重みはない。

関係あるようなないような話だが、数年前に、読書会で薦められたチャールズ・ブコウスキーの『死をポケットに入れて』を読み始めたら、これが面白い。
花が育つことについて嘆き悲しむこと以上に死について嘆き悲しむようなことはもはや何もない。何が恐ろしいのかといえば、師ではなく、みんなが生きる人生そのもの、あるいは天寿を全うしてその死を迎えられないということだ。みんなは自分たち自身の人生をありがたがることもなく、小便をひっかけている。どうでもいいと思っているのだ。愚かなやつらめ。彼らが頭を使うのは、誰かとファックすること、映画、金、家族、そしてまた誰かとファックすること、それしかない。やつらの心の中には、綿がぎっしり詰まっているだけだ。誰もが何ひとつ考えることなく神を鵜呑みにし、何ひとつ考えることなく国家を鵜呑みにする。すぐにもみんな考える方法を忘れてしまい、自分以外の人間に自分に代わってすべて考えてもらうようになってしまう。やつらの頭の中にも綿が詰まっている。見た目も醜ければ、喋り方も醜く、歩き方も醜いやつらばかりだ。やつらに何世紀にも及ぶ偉大な音楽を聞かせてやったとしても、まったく耳に入らない。ほとんどの人間の死はまがいものだ。何も残らない死。

(河出文庫 21p)
こういう文章がだらだらだらだらとつづく。
ここにはさしたる意味もない。「意味がないということに意味がある」というような意味しかない。それで結構、と著者は言うのではないか。
ここにある文章をもっと細かく切って行って、たとえば、「花が育つことについて嘆き悲しむこと以上に死について嘆き悲しむようなことはもはや何もない」というような文章をアフォリズムのように引用して、さもなにかを言った気になっているような人間がいれば、著者は大笑いしてその人間をバカにするだろう。
ここにあるのは、(全部読んだわけではないので断言はできないのだが)あるひとりの人間の思考の軌跡である。その人間は、世の中のたいていのことに悪態をついていて、間違っても「みんなちがって、みんないい」なんてことは言いそうもない。それがいい。
金子みすゞだって、みんなに気に入ってもらおうと思ってあの詩をつくったのではなく、もっと純粋に単純に、「この言葉が好きだな」という思いがあっただけなのだと僕は考える。それを周りがどう思うかは周りの問題であって、当人とは関係ない。あの言葉は、絶対真実ではない。誰かにとっての真実ではあるかもしれないが、すべての人にとっての真実ではないはずだ。詩とはそういうものだろう?
ブコウスキーの文章になるともっと作者の自我が強く出ているが、すべての人間が同意するようなものを書いていないという点で、金子みすゞの詩と同じだ。つまり、表現者にとっての表現というものはそうあるべきで、バランス感覚とか穏当さとは本来無縁なのである。

元来が面倒くさがりの僕は――自分で言うのもなんだが――ものわかりがよい。それもかなり。
人が望むように簡単に振る舞ってしまえるからこそ、そこに注意をしている。 だから、羞恥心もなくものわかりのよい人間に成り下がってしまっている連中を見ると憤りを感じてしまう。おまえら、恥を知れ、と。

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きょうの通夜は、ここに引っ越してきていちばんつらいものだった。
故人は急死だったようだ。僕はそれを、故人の友人であるおばあさんからのメールで知った。メールの文面はすべて平仮名で書かれていた。「○○(苗字)がなくなりました」
斎場にいた故人の子どもたちは、僕と同年輩というところだが、泣き腫らしたようで目を赤くしていた。
ときおり知り合いや親戚がやってきて彼らに声をかけた。姉は、話すたびにこみ上げる悲しみに嗚咽していた。僕は息子のほうと知り合いだが、声をかけられなかった。相手も、僕がなにかを言うことは望んでいなかったと思う。

焼香を済ませてぼんやりとしていると、斎場の隅っこのほうに、故人の二十余年前の写真――それが遺影にも使われていた――が飾られているのを見つけた。そしてその写真の前には、彼の山行き用のナタや枝切り鋏、趣味だったらしい釣り道具などが置かれていた。モノは、ただのモノではなかった。僕がそれらを介して直接なにかを想起することはなかったが、それでも正視することは難しかった。

ムラのなかでは僕に好意的なほうだったと思う。高い声で話す面白い人物だった。聞いてだけで不思議と笑ってしまうような声だった。その声を、頭のなかで何度も思い出してみた。

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