とはいえ、わからないでもない

2015年08月

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『夏の花』の感想のところに書いたように、今月の頭あたりでニュースの「ご聖断」の言葉にひどく腹が立ったのだが、さりとてここらへんの事情をまったく知らないので、ちょうど映画もやっていることだし、と半藤一利『日本のいちばん長い日 決定版』(文春文庫)を読んだ。

まず、読みものとして非常に面白く、なかなか読書に時間がとれなかったのにもかかわらずあっという間に読めてしまった。
およそ五十ページのプロローグにおいて、昭和二十年七月二十七日、連合国によって発せられたポツダム宣言が無視され、その結果、翌月六日、九日にそれぞれ広島、長崎に原子爆弾が投下され、十日、御前会議において降伏が決定される経緯が説明される。
本篇は、昭和二十年八月十四日の正午より一時間ごとに章立てされている。つまり全体で二十四章。各章は、それぞれいろいろな人物の視点から描かれるのだが、それが非常に格調高い文章によってなされるために、物語の緊迫感はものすごい。

いや、これは物語ではないのである。


本書は客観的事実にもとづいて構成されているらしく、その描写に偏りはないと(それを精査する知識もないのだが)僕は思っている。となれば、あとは読み方の問題である。
たとえば降伏に反対する青年将校たちのクーデターおよびその結末(自決)を、「美しい」とか「潔い」とか「大和魂ここにあり」と読むのか。あるいは、阿南陸軍大臣の切腹に武士の美学を見出し、「ご聖断」をくだした昭和天皇に慈悲の心を感じるのか。

僕はこういうとき、時代の感覚とか価値観というものを見損なわないように意識している。
同年八月十五日午前七時二十一分に玉音放送の「予告」が放送されたのだが、その内容は秘したままで、「国民はひとりのこらず謹んで玉音を拝しますように」という表現にとどまった。
これを聴いた作家高見順は日記に不審の念を書き込んだのち、妻の話を書いている(313p)。
『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね』
と妻が言った。私もその気持だった。
とにもかくにも、こういう時代だったのである(ただしこの文章だけでは、心底にあるのが忠誠心なのか皮肉なのかまでは読みにくい)。
降伏に断固反対し、国体護持のためには臣民すべてが死ぬことをも厭わずとした青年将校たちの考えも、当時としては、ものすごく奇妙な思想の持ち主というわけではなかったようだ。現に彼らは、東大教授の平泉澄の門下生として「自然発生的な実在としての国体観」を学んでいた(178p)。学問の知識というきちんとした裏付けにもとづいて、現人神の天皇というものを信奉していたのである。

しかしそれでも、僕はこれらを、マゾヒズムに裏打ちされた狂信と見なす。あるいは選民意識に偏った狂信。
北朝鮮では、いまはどうだか知らないが、かつて金正日(もっと前は金日成)に対して「将軍さま~」と神様のように敬っていた時代があったが、あの映像を見たほとんどの日本人は、「あーあ、かわいそうに。洗脳されているんだなあ」と憐憫の心を抱いたことだろう。戦前戦中の日本があれと違うとはまさか思わない。日本のものが「正しく」、北朝鮮のものは「間違っている」などとはとうてい思えないのである。
僕は信仰心や宗教の存在に対してはむしろ積極的に肯定するつもりだが、しかしそれがいったん悪意をもった人心操作に利用されるのであれば、断然反対する。
そして戦後、天皇が戦争責任を(少なくとも形式上は)問われなかったことにより、少なくない国民がその信仰心から完全に覚醒できなかったということが、現在にも禍根を残しているように考えている。

原爆や東京大空襲(その他の大空襲も含む)などで亡くなった一般市民たちは、自分たちの思想や嗜好や信仰心にかかわらず、自らの生き死にを自分たちで決めることもできずに――そして一部の人たちはなにが起こったのかもわからないまま――殺されてしまった。しかも、非常に残虐な殺され方で。
同じ陸軍とはいえ、外地に送られた元一般市民の兵士たちのなかには、行軍に疲れ、飢えと渇きに苦しみ、その結果、餓死し、病死した者たちが大勢いたと聞く。田中小実昌の書いたものには、戦闘の描写があったかどうか、ともかく行軍の苦しさしか書いていなかった。
それとはまた別に、昨年の八月から今年の三月までの約半年間、ラジオ番組で桑原征平の父親が実際に参加した日中戦争の陣中日記の朗読を聴いた。これは他のリスナー同様、いつか出版してほしいということを願っているのだが、とりあえず二十五回にわたる音源はすべて保管してある。この日記からは、実際の兵士の生活・戦闘というものが筆舌に尽くしがたいということを知った。ひとつのサバだかの缶詰を十七人で分けるという描写もあったように記憶している。また、三日間寝食まったくないままの戦闘について描かれている部分もあった。平常心では聴いていられないような内容だった。

戦争に行きたくないという若者たちの主張を利己主義だと批判した愚劣な政治家がいた。おそらくあの政治家以外にも、同様のことを考える頭でっかちのマチズモ信仰者は、現在多いと思われる。いったいこの人たちのどれくらいの割合の人たちが、もし実際に戦争があったときに、銃を持って戦場に赴くつもりなのだろうか。

『夏の花』のところでも書いたように、結局すべてのことが、どちらの側に立つのか、という意識によって変わってくるのである。
自分が指揮を採る立場と見なすのであれば、「若干の犠牲もやむをえまい」などと他人の死を軽々に考えることができるが、自らが一兵卒や一市民であると認識しているのであれば、どんなことになろうとも(自分たちの死ぬ可能性のある)戦争は回避しなければならない、と考えるのではないか。
これはなにも、戦争に限ったことではない。原発の問題だって、米軍基地の問題だって根は同じことなのだ。震災直後にあった冗談だが、閣僚たちはみな、稼働中の原発の敷地内に家族ともども住まなければいけないという法律ができればいいのに、というのがあった。対岸の火事だからこそ、人間は冷酷でいられる。

『日本のいちばん長い日』に、八月十四日午後五時から六時のあいだ、終戦の詔書が出るのを待つある朝日新聞記者の独白のような記述がある。
(政府当局に対して)なぜもっと早く戦いをやめることができなかったのか、それは明らかに政府当局や重臣たちの怠慢であり、無責任のためであろう、と思っていた。天佑神助を信じ、偶然を頼み、特攻隊の死力にすべての望みをかけて、誰ひとり敗北の責任をすすんで引きうけようとしなかった。そのため、国民の数十万はいたずらに戦火に死し、住居は灰燼に帰した。そしていま天皇の力によってやっと終戦ときまった。天皇に全責任をかぶせることで彼らは責任を巧みにごま化したのではないか。柴田記者は悲しみの底からはい上り新聞記者の自分に戻ったとき、しきりとなにものかにたいして憤っている自分を発見しておどろいた。
(127p) 
作者は記者当人にインタビューしてこの部分の記述を書き上げたのだろうが、僕はここに皮肉や悪意を読みとってしまう。戦意高揚するような記事ばかりを作成し、大本営発表をそのまま伝えるばかりであった当時の新聞記者である彼自身にはまったく責任がなかった、と自身もジャーナリストである作者が考えたとは思えない。
記者は、自身に責任はないと思っていたからこそこのような「独白」をしたのだろうが、ほんとうに彼にはいささかの責任もなかったのだろうか。
もし彼や彼の所属する新聞社に責任がなかったとでもいうのであれば、彼らは彼らを統制していた当局に責任を求めるであろうし、当局の責任については、上記引用文から察するに誰もそれを引き取る者はいなかったということなのだろう。そして、「(保身のために)天皇に全責任をかぶせる」とこの記者は考え、他の血気盛んなクーデターを目論む若者たちのなかにもそのように考える者たちは多かったようだが、実際には戦後、天皇は引責していない。
形式上、逮捕され裁かれた戦犯にすべての責任があった(だから他のすべての人たちは無辜である)、と見なしているのであろうが、どうも僕はここらへんに曖昧としたものを感じてしまう。


たまたま木戸幸一(当時内大臣で本書にも出てくる)のことをWikipediaで読んでいたら、次のような記述にあたった。
「陛下や私があの原子爆弾に依つて得た感じは、待ちに待つた終戦断行の好機を此処に与へられたと言ふのであつた。それらの心理的衝撃を利用して此の際断行すれば、終戦はどうやら出来るのではないかと考へたのだ。……私ども和平派はあれに拠つて終戦運動を援助して貰つた格好である」
「聖」の側を、日本を和平に導いた歴史的に「正しい」立場と見ることもできるが、一方で、原爆投下を天佑と見なし、降伏への「口実」(鈴木貫太郎)と考えただけの立場と見ることもけっして間違っていない。
『夏の花』の感想のところには書かなかったが、僕はあの小説を読んで、(そういう資格がないのはじゅうぶんにわかってはいるが)自分の心のなかに暗い復讐の炎のようなものを感じた。そしてそれはアメリカに対してのみ向けられているわけではない。
欺瞞というのは、人間の心の底の底に隠れている。正しく・美しく見えるものこそ、その根底に薄汚いものが隠れていることは多い。そういう薄汚いものの上に、僕たちは立っている。

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この夏のハードワークを乗り越えることができそうのは、ひとえにアイドルソングのおかげだと思っている。
「アイドル(ソング)にハマるのは病んでいるから」みたいな言説を目にしたこともあったけれど、(一部にはそういうこともあるのかもしれないけれど)そう単純なものでもない。けれども、その複雑さ・豊かさみたいなことについては、とりあえず置いておく。いつかそれについて書くつもりだけど。

で、去年のアイドルネッサンスの曲に『17才』というのがあって、これの原曲はBase Ball Bearの『17才』なんだけど、このBase Ball Bearのボーカル(このひと、すごいアイドルに詳しい)が「これは自分が17才のときにこういうことを唄ってほしかったというつもりでつくった」と言っていて、それを聴いてすごくいいなあと思った。

最近ではネット先行で「中二病」あるいは「厨二病」という呼称が、蔑称または自虐称(?)として用いられることが多いという印象を持っているが、もう飽き飽きしている。こういう言葉をいま現在つかっているやつじたい、なんかセンスないって気がする。
それよりも。
14歳には14歳の世界があるように、17歳には17歳の世界というものがあって、そういうものを意識的に思い出してみたり、あるいは創出していくというのはなかなか面白い作業なのではないか、と上の発言を聴いていて思った。

17歳。
高校に通っていれば、進路はまだはっきりとは見えていなくて。
働いていたとしても、まだ子ども扱いをされることが多くて。
16歳ほどなにもわからないわけでもないし、18歳のようにある程度さきが見えてしまっているわけでもない。
僕は成年してからよく19歳という年齢を思い出すことがあったけれど、17歳のことはいままでほとんど思い出すことがなかった。19と同じく中途半端な年齢だったけれど、17はあまりにも宙ぶらりんだったように思う。

いまさら二十年も前のことを思い出してもしょうがないのかもしれないけれど、そう言ってしまえば過去を振り返ることはすべてくだらないことになってしまう。
また、僕が過ごしてこなかった17歳のことについて思いを馳せるのも、悪くない。いやむしろ、そっちのほうが興味あるので、いま、そういう17歳の短歌を考えているところ。

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おとといの話。
午後が休みだったので、買い物をしに車を走らせ、ワインを買ってきた。それと冷凍のフレンチポテト。マックでLサイズひとつ分の値段(といっても正確なところを忘れたけど)で1kgもある。
道中に思い浮かんだ細かいことについては、一太郎に書いてローカルに保存した。なんとなく、そういう気分。そういう気分が日に日に増しつつある。

帰宅してワインを飲みながら、ここ数日とらわれつづけている横浜帰省のシミュレーションをしている。十月に帰る予定なのだが、誰とどこへ行こうかなどと生意気にも指を折ってはみるものの、一年あるいは数年ぶりに人と会うことに躊躇してもいる。誘えば、おそらく誰も断らない。「一年(or 数年)ぶりだもんね」ということはだいたい言ってくれる。けれども、その「断らない」ということにこちらは拘泥している。いっそ断ってくれればいいのに。「仕方ない……一年ごとの苦行だと諦めよう」と相手が思っていないなどといったい誰が言い切れる?
そういう部分で、すでに遠く離れた当地で不愉快になってしまっている。その人物に対してではもちろんなく、距離のもたらす人間関係の微妙な齟齬のようなものに対して。

考えてみれば、96年、大学に入ったばっかりの頃に急激に携帯電話が普及した。大学の周りでも0円ケータイということでほぼティッシュを配る感覚で渡されて(?)いて、あっという間に「ケータイ」は生活に不可欠なツールとなっていった。
その一方で、当初は洒落(いまとなっては意地)で「ケータイは持たない」ことに決めた僕は、手から水がこぼれていくように友人を失っていった。彼らは静かに僕の周りからいなくなっていった。それから数年してひとり暮らしをしていた一時期は固定電話さえ引かずにいたから、僕との連絡手段はハガキしかなかった。それでもハガキを送ってくれる友だちは、そのときの時点では何人かいた。
いまでは、LINEをやっていないとダメなようである。そんな記事を読んだ。LINE使いたくない、という意見に対し、「そういう人は周りが苦労してつきあってあげていることに気づいていないんだよな」みたいな意見がなされていた。
僕は自分のことをわがままだとは思っているけれど、後者みたいな野郎と最初からつきあわずに済むと思ったら自分の選択もちょっとはましだと思えた。勝手に世話を焼いたつもりになって友だち面をする野郎なんかと。

が、わがままはやはりわがままなので、実際につきあってくれる人は少ない。相手も「こいつ友だちいないんだよな」と思っているからお義理でつきあってくれることが多いのだが、僕としてはその「お義理」の感情を必要以上に忖度してしまうから、 マナーとして距離を置こうとしてしまう。そして、東京・横浜⇔和歌山という物理的距離がそこに拍車をかける。

で、ガマンしてもらう人には食事を奢ることを条件にしてガマンしてもらうとして、それとは別にひとりでバーに行ってウイスキーでも飲んでこようかということを考えていた。それがここ数日とらわれていることの眼目である。
もうすでにいくつかのタイプの違うバーを(想像上で)訪れている。雰囲気はよいがマスターのダメな店。マスターがよいのだが、酒にそれほど魅力を感じなかった店。やけに店内が明るく、ちゃらい客が隣で女の子といちゃいちゃしている店。ほとんどそういう経験もないのだが、いい店は思った以上に少ないということを(想像上で)痛感している。 

ウイスキー――それがダメならワインでもいい――を飲んでにやにやしていたい。僕は酒を飲んで気分がいいと、だいたいにやにやしている。だいたいのものごとについてよい側面しか見えて来なくなるからかもしれない。だいたいのことが、自分のために存在しているような気分になって「悪くない」という気分に支配されるからかもしれない。
マスターが、僕がにやにやしているのを横目でちらと見て、そのままなにも言わずにやにやしていたら、いい。店内にはほかに誰もいなく、聴いたことはあるが思い出せない曲が静かに聞え、ふたりは鼻唄が出そうな気分でにやにやしつづけるのだ。

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サノる

( 動五 )
〔デザイナー佐野氏の姓を動詞化した語。2015年インターネット上で初出〕
広義で、他人のアイデアを剽窃する。パクる。「彼の作品はどれも-・っている感じがあるよね」
狭義で、他人のアイデアを剽窃したのがバレて炎上する。 「よくもまあ次から次へと疑惑が出てくるもんだ……完全に-・っちゃっているよね」
①、②から派生して、剽窃を部下の責任にする。 「エンブレム以外は全部-・るつもりか、こいつ?」
①、②、③から派生して、すべての罪は認めず、一部は無実だと悪あがきする。 「まだ-・っているみたいだけど、時間の問題だと思うよ、これは……」
[可能]サノれる
※上記はコトバンクの体裁をサノっています。

とまあ、こういう冗談を書いてみたけれど、ほんと連日このニュースばっかり。
が、テレビ報道は、ネットの後追いみたいな感じになっていて、「それってネットでニ、三日前にやってたでしょ?」みたいな既視感ばっかりを味わっている。独自取材みたいなのはせず、ネットから取材アイデアをもらっているのかね。それとも、いまお盆シフトで人いないの?

この問題が総叩きの状況なのは、なにより叩きやすいからだろう。極論をいえば、ふたつの画像を並べれば、簡単に見るものの共感を得やすいようになっている。釘の頭がでかいようなものだ。
であるからして、「ホーテキアンテーセーはカンケーない」と言ったやつなんかより、テレビとしてはニュースバリューがあるんだよね。かの首相補佐官だけは、佐野大明神様と神棚に祀り上げているところだろうて。

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終戦から七十年だからというわけではないが、八月六日だったから原民喜の『夏の花』(岩波文庫)を読んだ。

高校のときに教科書で読んだ記憶があったが、ある部分を除いてほとんど印象を持っていなかった。もしかしたら教科書には、ただでさえ短い小説(二十四ページ)の一部分しか掲載していなかったのかもしれない。
あらかじめ書いておくと、僕の記憶していた部分というのは以下。爆弾が投下され、なにがなにやらわからない状態で主人公が逃げ出したところ、
川岸に出る藪のところで、私は学徒の一塊りと出逢った。工場から逃げ出した彼女たちは一ように軽い負傷をしていたが、いま眼の前に出現した出来事の新鮮さに戦(おのの)きながら、かえって元気そうに喋り合っていた。
(14p)
原爆が投下された直後なのに「元気そうに喋り合っていた」ということに驚いた。それまで僕の知っていた原爆の話といえば『はだしのゲン』しかなく、あの物語ではとてもじゃないがそんな余裕のある登場人物は出てこなかったのだから、それゆえに明瞭に記憶されたのだと思う。

さて、ヘンな言い方になってしまうが、この小説を小説として読むととても奇妙な感覚を味わうと思う。
作者と思われる「私」はいるし、情景描写もあるが、なんとなく(構成という意味での)結構というものがないのである。現実がめちゃくちゃでひどいものだったから起承転結があるわけがない、という理窟はよくわかる。わかるが、それだとしても、ちょっと整っていなさすぎなのである。その証拠にこの「小説」の最後は、それまで一度も登場しなかったNという人物が妻の死体を探しているという描写が一ページとちょっとつづき、そこで唐突に終わる。

(内容に感じたものとは別の)妙に落ち着かない気持ちを感じながら解説を読んでみると、この文章が書かれたのは、1945年の秋だということがわかった。その後いくらかの変遷や修正はあったのだろうが、たぶん基本部分はそのあたりですでに完成していたのだと思う。
その記憶の生々しさが、たぶん未整理な印象を与えるのだろう。被爆時に当然感じたであろう絶望的な苦しみも、読了後の印象としては、はっきりと書かれてはいなかった。どう感じたらいいのか、作者自身が戸惑っているようにも思えた。
作中、次兄がその息子の遺体を見つける場面がある。そこに慟哭は描かれていない。淡々と死体の描写がつづき、ただ、「涙も乾きはてた遭遇であった」と書かれているのみだった。

この作品を読み終えて十日ほど経ったいま思い返してみると、音の印象がない。静寂ということではない。物が燃え崩れ、死に際した人々が泣き叫ぶ場面は出てくる。けれども、それを描いている作者に実際に「音」は聞えていなかったのではないか。もうちょっと正確に言えば、「音」を現実のものとして認識することができなかったのではないか、と思えるのである。
たぶん、目の前で起こっていることのすべてに現実感が追いついていなかったのではないか。


この「体験」を読むことによって、僕はたぶん七十年前のヒロシマに少しは近づくことができたのだと思う。けれども、(いつも書いているように)事実と僕とのあいだには大きな深淵が横たわっている。そこを飛び越えることは一生できない。
だからといって、もう無視はできない。少しのあいだ忘れることはできるかもしれないが、まったく忘れ去ることはできない事実。率直に言ってしまえば、その存在が不快ですらある事実。それを「体験」した人がいる/いたという事実。

8/4にイギリスのBBCが「ヒロシマ原爆投下の『都合のよい物語』」と題して原爆に関するコラムを出した。記事はすべて英文だが、辞書と首っ引きで読んでみると、多くのアメリカ人には、原爆投下は正当なものであり、それによって(戦争をつづけていたら起こったであろう)日米双方の数十万の死者を救ったことになると理解されているらしい。ひどい火傷を負った被爆者のひとりが数十年後、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ号の除幕式を見に行ったとき、多くのアメリカ人に、「おめでとう、あなたは原爆があったから生きてここに来られたんですよ」と言われたという。原爆のおかげで、ハラキリをせずに済んだと。
同記事は、原爆以外の無差別爆撃についても言及している。ナチスのゲルニカ・ロンドンへの爆撃、イギリスのドレスデンへの爆撃、日本の重慶への爆撃。しかしその中でも原爆ほどひどいものはなかった、とBBCは書く。
僕は少し冷静になる。どのような「小規模」の爆撃であっても、そこで傷つき、死に、家族や家を失った人たちにとっては、「これほどひどい行為は世の中にない」と恨むであろうと思った。死者の数の多寡の差は、個人が気にすべき範疇ではない。それは国家であったり歴史家たちが扱えばいい問題であって、個人は、戦争によって生み出されるいちいちの惨禍を忌み嫌わなければいけないのだ。

しかしそれでもなお、原爆は許されざる兵器である。8/6のニュースで取材を受けていた九十代の被爆者は、「まだあの日のまま」ということを訴えていた。別のニュースでは、生前の被爆者をインタビューした映像が流されていた。その人は涙を浮かべながら、「あのときの広島は、原爆資料館にあるような生やさしいものではなかった」と言っていた。
同日、朝のラジオ番組では張本勲のインタビューが流されていた(この音源はABCラジオで期間限定で公開されていたが、現在は削除されてしまっている)。 
僕はこの放送があるまで、張本のおっさんというのは頭の硬い守旧派のクソオヤジという印象しか持っておらず、被爆体験者であることはまったく知らなかった。
自慢のお姉さんを被爆で亡くし、差別を怖れたために自身の体験をそれまでいっさい秘していたという。現役時代も、健康診断でいつ「原爆病」に認定されるかと怯え、誰にも相談できなかった、と。
晩年になってその考えが少し変わり手記を書いて、そのなかに「8月6日と9日はカレンダーのなかから消えてほしい」と書いた。それを読んだ小学6年生の女の子から手紙が届いた。その子は原爆資料館を訪れており、「忘れないためにも、6日と9日は必要だと思います」と訴えた。張本はそれまで資料館の前にまで二回行ったことがあるのだが、怒りと悔しさに震えて二回とも中に入れなかった。けれども、その女の子からの手紙を読んで勇気づけられてもう一度だけ訪れてみて、今度は中に入ってすべてを見学することができたという。
それ以降、自分たちの世代が原爆の悲惨さを直接伝えられる最後のメッセンジャーだということを意識して発言をつづけている。

彼のなかではアメリカに対して恨みもあるのだろうけれど、けれどもこのインタビューのなかでは、戦争や核は人間の所業ではないとはっきりと強く主張していた。どんなに話し合いが長引いてもいいんだ、戦争はしてはいけない、と。
こういうインタビューを聴くと、つくづく人間というのは外から見える部分だけではほんとうになにもわからないものだと、自分を羞じた。ある人が、張本はメジャーリーグを日本のプロ野球より低く見ているけれどそれはおかしいと批判していたが、そう思うのは仕方ないと思う。そう思いたくなって当然だと思う。スポーツの優劣を競争できるという幸福を彼以上に知っている人間は、少なくとも彼より若い世代にはいないと思う。

NHKの原爆についての世論調査で、原爆が投下された日付を答えられない日本人が全国で75%近くがいたということが報告されている。また、それ以上に気になったのは、アメリカの原爆投下を現在の日本ではどうとらえられているか、ということをあらわす数字。
原爆投下についての世論調査
上掲画像のとおり、「やむを得なかった」と答えた人が四割近くいたということで、しかも被爆地でも同程度の数字だったいうことに少なくない衝撃を受けた。
僕は報復に意味があるとは思えないけれど(というより、際限がなくなってしまうことを怖れる、といったほうが実感に近い)、それでも、許せるような問題なのだろうか、と思う。
これよりあとの質問で、「自分も身近な人も被爆していない」と答えた人が、広島市で42.4%、長崎市で32.8%、全国では83.7%もいるということだから、被爆地であるか否かに関わらず、「体験」が遠ければ実感も湧かないという「人のものごとへの感じ方」をこの調査は伝えている。

ここで僕の個人的体験を書いておくと、四歳くらいのときに、はじめて母に映画に連れて行ってくれると約束されて喜んで観に行ったのが『はだしのゲン』のアニメで、上映中に怖くて泣きだして映画館を出たことを憶えている。
以来、原爆の怖ろしさというのは過剰なまでに記憶に刻み込まれてしまい、中学生くらいまでは夜寝るときなど、いつか世界が簡単に吹き飛ばされてしまう日が来るだろうという恐怖にとらわれ、なかなか眠ることができない日などもあった。

原民喜の小説を読んでも、この小説をどういう視点で読むかによって意味合いがまったく変わってくる。核兵器とか原爆とか戦争という単語を、ある種の観念的な用語として扱えてしまうような人間は、読もうが読むまいが感じることはあまりないのではないか。
ちょうどこの小説を読んでいたあたりで、終戦の「聖断」がくだされた非常に重要な場所としての皇居内の御文庫付属室が公開された、というニュースを見て、「聖断」の「聖」の文字に対して怒りが湧いた。もちろんこれは、現在においては「竜顔を拝する」といった類の過去の表現の一種でしかないわけだが、過去の戦争を、その「聖」の側に立って見るのか、あるいは、わけもわからずある日一瞬にしてすべてを焼きつくされた人たちの側に立ってみるのか、で得られるリアリティはまったく異なってくる。
たとえば兵站を論じるときも、兵站線を描く指揮官の立場でそれをとらえるのか、あるいは、汗水流して身の危険に怯えながら実際に物資や食糧を移動させる一兵卒の立場でそれをとらえるのか、と問えば、世の中のたいていの「語りたがり屋」たちは、前者のつもりで口角泡を飛ばすのであろう。
上に書いた、「観念的な用語として扱えてしまうような人間」とは、そういう人たちのことを指しているつもりだ。

張本勲のインタビューで、以下の言葉がとても印象に残ったので引用しておく。広島で被爆し亡くなった人たちについて。
あの人たちは犠牲じゃないんですよ。身代わりだから。他人じゃないの。どっかで繋がっているんだ。親族じゃなくても、友だち、友人、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、どこかで繋がっているんだ。別な県の人でも、(別な)市の人でも、どこかで繋がっているんですよ。わたくしどもの身代わりだから。ひょっとしたらわたしたちがその方たちになったんじゃないかと思うとね……
犠牲じゃなくて身代わり、という彼の発言には、「誰でもありえたのだ」という実感が込められているのだろう。すべてを他人事のようにとらえ考えれば、世の中で怖いものなどなにもなくなる。自身が不測の事態に巻き込まれてしまう直前までは。

戦争への抑止力はなによりも恐怖であると思う。嫌悪感よりも、恐怖。それが自分の身に起こる可能性があれば、人間は回避する策を講じようとするはずだ。しかしいまの日本では、その恐怖をバカにする傾向が見られる。
知識を得る段でも、つねに支配者・指導者の視点に立とうとするものだから、殴られ、蹴られ、犯され、殺された側の人間の気持ちを測ることができない。測ろうともしない。ゲーム的感覚のもたらす万能感の弊害だとも思う。
戦争で犠牲になるのはつねに弱者からであって、僕は自分が間違いなくそちら側にいると思っているので、当然戦争には反対する。バカな政治家がそういう若い人たちの態度を自己中心的だと批判したそうだが、そう言っているやつらこそが、大好きなニッポンの危急存亡のときでさえ1ミリたりとも腰を上げるつもりがないであろう、ということについては批難する余地があるはずだ。


最後に。
解説で知ったのだが、原民喜は1951年(昭和二十六年)に自死している。もともとその妻が原爆投下以前に亡くなっており、その頃から、死別後、一年だけは生きるという考えだったようで、反対にいえば、一年後には自殺するつもりだったのだろう。
原爆の体験は、「このことを書き残さなければいけない」と彼をして思わしめたようで、一連の作品を書き上げたのち、自身の仕事に一段落を認めて死んだのかもしれない。
『夏の花』では、負傷した兵士に肩を貸してお湯を飲ませてやろうとする場面が出てくる。
苦しげに、彼はよろよろと砂の上を進んでいたが、ふと、「死んだほうがましさ」と吐き棄てるように呟いた。私も暗然として肯き、言葉は出なかった。愚劣なものに対する、やりきれない憤りが、この時我々を無言で結びつけているようであった。
(19p) 
原民喜はおそらく自ら命を断つ日まで、この「やりきれない憤り」を抱きつづけたのだろうし、また、他のすべての被爆者たちも、やはりあの日からずっと抱えつづけているのだと思う。

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NHK-FMのピーター・バラカンのラジオ番組『ウィークエンド・サンシャイン』を聴き始めてひと月以上が経った。
バラカンといえば僕は『CBSドキュメント』のキャスター(?)をやっていたイメージしか持っていなくて、それが本職で、音楽は副職的な守備範囲だと思っていたのだが、最近買った本(バラカン『ラジオのこちら側で』)を読んでいたら、まったく逆だということを知った。むしろ、バラカンは『CBSドキュメント』を通じて時事的なものごとに強くなっていたそう。まあ僕も、深夜にテレビをつけるとやけに日本語が流暢な外国人がいるなあとしか思っていなかった、程度の認識だったのだけれど。
で、そのバラカンのラジオ番組がものすごくいい。リスナーのレベルも非常に高いらしく、ときどき偏愛しているミュージシャンについて愛情のこもった長文のメッセージなんかが読まれるのだが、そのなかで間違っている事項などをあっさりと訂正したり、あるいは、リスナーの考え方は考えとしてそこにはまったく寄り添おうとはせずに自身の意見を述べたりするバラカンの態度が非常に新鮮に感じる。
たぶん彼がイギリス人だということがこの態度の根底にあるのだろうが、そこに特別な衒いも感じられず、彼としてはごく自然な振る舞いであって、聴いていて気持ちがよい。

ところが、日本人同士でこれをやるとけっこう難しいとも思う。 「冷たい」とか「気を回さなすぎ」とか、しまいには「上から目線」とまで言われてしまう可能性をも考慮しなければならず、間違いの訂正などは「あのう、もしかしたら……もしかしたらですけど、〇〇と勘違いされているのかもしれませんね」というフォローをし、考え方が異なる場合も「まあひとにはひとそれぞれの意見がありますよねえ」という一般論を緩衝材にして、とかく争点をぼやけさせることに執心するのではないか。
たまたま「争点」と書いたが、ほんらい議論というのは意見を戦わせるのであって、人格攻撃や相手の現況(収入・社会的地位・幸福度……)までを引き合いに出してやりあう全面戦争ではありえないのだが、どうも後者に傾く場合が多い。あるいは、それらを予見して前もって諍いを回避してしまうこともあり、だから、意見を主張し合うよりは穏当な着地点を見つけることのほうが重要だと思われ、またそういう着地点を見いだせる人物のほうが処世に長けていると肯定的な評価を得てしまいがちなのだろう。
またラジオの場合でいえばほんとうは議論にする必要もなく、いろいろな意見の存在する余地は当然ある。けれども、優等生的な態度を通したい人であれば、上述したように寄り添うような振る舞いを見せるだろうし、またあえて独善的な態度を通したい人(いないわけでもない)は自意識過剰的な振る舞いを見せることになり、どっちにせよ、自然な感じがしないことのほうが多い。

以前書いたことがあったかもしれないが、フランスのパリ旅行をしたときにいちばん感動したのは、その風光明媚な町並みやおしゃれなカフェでの雰囲気ではなく、ある銀行ATMの前で自転車を駐輪した六十代の女性と、大型のバイクを駐輪した二十代男性との言い争いの風景だった。
日本であれば「あれ、ちょっと女性が不利だろうな」と思ってしまうシーンだった。この「年輩女性と若い男とが口論をすれば、女性のほうがきっと不利であろう」という直観の裏には、男性>女性、若年>老年、という日本で通用している一般的な力関係――間違ってもそれをよしとはしていないが――を僕自身が持っているからで、これを僕だけが持っているのならなんら問題はないのだが、おそらくは日本の多くの人たちにも同じような認識があると思われる。男性/若年であれば、その対立概念を下に見る傾向があり、その証拠に、男性・若年によって発せられる「ババア」という言葉と、女性・老年の発する「ガキ」という言葉の頻度を比較してみれば、前者が圧倒的に多い。繰り返しになるが、それをいいことだとはまったく思っていないけれど。
エールフランスに乗って話をパリに戻す。
年輩女性と青年男子との口論は、フランス語で行われていたためにその内容を言葉から察することはまったくできなかった。けれども、ふたりは同じようなトーンで主張し、そのどちらもが引いていなかった。そこには、暴力的な恐怖や敬老の精神、レディーファーストへの心がけや男尊女卑的心情などはいっさいなく、単純に、公正に与えられた発言の機会を十全に利用すべく、互いが互いに言いたいことを主張していた。そしてそのボディランゲージから察するに内容はおそらく、「あんたのバイクが邪魔なのよ!」「いいや、あんたの自転車のほうが邪魔だね!」程度のことだった。

ブラボー。
僕が見たのは一日に数十億とあるうちの一コマでしかなく、実際にはいろいろなパターンも存在しうるであろうが、それでも、率直にすごいなと思った。
日本では、「口うるさいオバハン」が「血気に逸る青年」を黙らせるというごく漫画的な場面が、ドラマやバラエティ番組でもときおり描かれるが、そこには描いている側の、あるいは、すごすごと引き下がる後者の、前者への侮蔑がありありと感じられ、そこにどうしても陰の部分を見てしまう。上述したような、男性>女性、若年>老年という意識が完全にない場合のほうが少ないのではないか。
パリで見たふたりには、そういう陰の部分がなかった。もっと単純に怒鳴り散らしていただけだった。けれども、それでいいと思った。思っていることを――「主張すること」以外に目的を持たずに――きちんと言うことはあんがい簡単で、あんがい禍根を残さないものなのかもしれない。また、主張するべき機会にその機会をきちんと利用するということころも学ぶべきだと思った。
口を開けて彼らをずっと眺めているわけにもいかなかったので、旅行者として平然とした顔をしてそこを通り過ぎながら、このことは忘れないだろうなと思っていた。そして、いまだに忘れていない。


さて。
10日のNHKニュースを見ていたら(この記事を書きだしたのがその頃だった)、最新の世論調査が報じられていて、いまの内閣の支持率/不支持率が伝えられていた。そのなかで、現在停止している原発の運転再開について、「賛成」が17%、「反対」が48%、「どちらともいえない」が28%ということが伝えられた(8/7~8/9調べ)のだが、僕は、28%の「どちらともいえない」を選択した人たちが気になった。
言わんとすることはわかる。原発再稼働にはいろいろな不安が残るのだが、しかし日本経済やその原発がある自治体の経済状況を鑑みると、一方的な答えを選択できない、というのがこれらの層の大勢の意見なのではないか。
が、川内原発が再稼働を予定しているということはかなり以前から言われていたし、現に、11日に川内原発は再稼働を果たしてしまっている。
「賛成」「反対」「どちらともいえない」を合わせても93%なので、「わからない」や「非回答」が残りの7%に入っていると見なせば、「どちらともいえない」の意見を表明した人たちには、やはりそれなりの意思が込められているのだと思う。
しかし僕は、「どちらともいえない」と言っている人たちが、いったいいつまで「どちらともいえない」と言いつづけているのだろうか、と問いたい。
ひどく一方的な決めつけをしてしまえば、この時期のこの設問に対して「どちらともいえない」を選択した人たちには、卑怯なものを感じてしまう。

たしか村上春樹のエッセイだったと思うが、アンケートでは「はい」や「いいえ」ではなく、「どちらともいえない」を選んでしまうということが書かれていた。かなりおぼろげで不正確かもしれないが、その要旨は、世の中の問題って「はい」や「いいえ」で収まることのほうが珍しくて、一方的に判断するって難しいよね、ということだった。たしかにそれはそうだと思う。
また、村上春樹に限らず多くの作家たちも、一般論として、物事を二元論的にとらえるのではなく、より多元的に多様な価値観が存在するという考えにもとづいて考えるべきである、という「べき論」を論じている。それもそうだと思う。
しかし、一般論としてはそうかもしれないが、なにかが差し迫っているとき、タイムリミットが現実問題として存在するとき、そのほか、実際になにかを決断しなくてはいけないときに、「もっと多元的にとらえればね……」とか「そういうYes/Noじゃなくてさあ……」なんていう意見は、はぐらかしやごまかしでなくていったいなんなのだろうか。

僕の敬愛する作家がこんなことを書いていたらしい。
「A」という考えがあって、それに対抗する「B」という考えがあるとすると、現代は「Aでもないし、Bでもない」という考え方が支配的になっているが、実はそういう考えが戦争やファシズムを招く、と。
僕はこの発言が書いてある著書を持っていないので、孫引きを避けるために、あえて不正確に記述したが、この考えには非常に共感した。
この部分を単純に、「すべての問題は二元論に集約させることができ、そのいづれかを選択しなければならないのだ」と読むべきではない。そうではなくて作家は、「不動のA」を探し求めなければいけない、とつづけている。
「AでもないしBでもない」と発言することは、わりあい誰にでもできる。中学生にだってそのテクニックを教えてやれば、「どちらともいえない」を選択して自らを、問題を俯瞰する視点に置くこともできる。
けれどもそれは、単純に問題から距離をとっただけのことなのである。自身を傍観者にして冷静なふりをしつつ、そのじつ問題が自分の責任のないところで勝手に進捗することを望んでいるだけなのだと僕は思う。
極論を言えば、あと数日で原発が再稼働するだろうというタイミングで「どちらともいえない」と答えた人たちは、「自分は責任をとりたくない」と答えただけなのではないだろうか。

とこう書くと、思考には意味がなく、行動にこそ意味があるのだと早とちりする向きがでてくる。現に先月末だったか、参院の特別委員会で中国の名前に言及して、改正安保法案に否定的な国民の危機感を煽るという方針に舵取りをした首相。暗に「これでも安穏としているのであれば非国民あるいは売国奴である」という焦燥感を与えるのが目的なんだろうけれど、これは単なるマッチポンプ。
文学や他の藝術分野の志向する多元的な選択肢が容認される世界は、別に現実世界と遊離しているわけではないと思う。ただ問題は、どの場合でもいづれはなにかを選択する瞬間がやってくるということ。その「なにか」がやってこないように選択する、ということも含めて。

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かなり時間が経ってから事実無根と主張しだした例のエンブレムのデザイナー。
ちょっと前のNHKのニュースで、長野五輪のときのエンブレムをデザインした人が、東京(2020)のものとベルギーのあれを比較して「これは似ていない」と言ったけれど、それは専門家的な見方では当然そうなるのであろうが(そうでなくては商売として困るから)、しかし素人感覚からすると「かなり似ている」という意見が出ても仕方ないだろう。

強烈な作家/作品批評本として有名な『作家の値うち』のなかで作者の福田和也は、丸山健二の『争いの樹の下で』という作品についてこう評している。
設定が某レディース・コミックと酷似していることが一部で話題になった。もちろん剽窃ではないだろうから、作者の想像力はレディ・コミ的な水準ということに……。
僕は今回のエンブレムについての報道を知ったとき、まずこの文章のことを思い出した。まあ、本当にパクったってことはないとは思ったが、つまらんデザインだと思った。「レディコミ」は言い過ぎだけど、リエージュ劇場のロゴはたいしたことはない。で、かたやひとつの国が総力(?)を挙げて選んだデザイン。
パクってもいないのに似通ったものになっているということは、つまり独創性が足らんということじゃないの?
日本のデザイナーのほうは、
指摘されたあとに見て、同じ要素が含まれているが、デザインに対する考え方が全く違い、正直、全く似ていないと思った
と言っていたけれど、この「デザインに対する考え方」を盾にとって言うのは、卑怯なやりくちだと思う。そりゃおまえのなかの話だろっていう。
デザイン畑の人たちはとかくこういうことを言って煙に巻きがちだし、われわれ門外漢もうっかり「そ、そうなんだ……」と流されがちだけど、それは彼らが飯の種だから必死になるのであって、そういう思想的・哲学的部分も重要だとは認めつつも、だけれども大部分の利用者/鑑賞者である一般人の直観というものは尊重されるべき。
「似てる?」という質問があって、「似てる/似てない」で答えたとき、「似てる」が多ければ、それは似ているということなんだよ、単純に言って。そういう単純さが求められる場面だろ、ここは。訴訟うんぬんはまた別問題としてね(たしか最初はあのベルギー人も、「仕方ないでしょ」みたいなニュアンスだったような気がするから、きっと入れ知恵されたんだろう)。

で。
僕が気に入らなかったのは、似ている/似ていないじゃなくて、なんで「T」がデザインのメインになっているんだよってこと。
たしかに東京オリンピックだけど、デザインの下に文字で「TOKYO 2020」とあるんだから、「N」か「J」で行けばよかったのに。招致に首相や皇族や美人キャスターやフェンシングの人を連れて行って訴えたのは、復興後の日本をオールジャパンで表現する、みたいな意図があったんじゃないの? 招致するときは「オールジャパン」で、招致が決まったら「TOKYO」かい!
……と思っていちおうスピーチ全文を見てみたら、たしかにトウキョウをアピールしていたよ(開催決定ひと月後のJOC会長のインタビューではやたらと「オールジャパン」という言葉が出てきたけど)。しかしあの有名な安倍の、
フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。
という言葉は、全文を眺めてみると改めてほんとうにひどい言葉だと思う。前後には震災の「し」の字もないし、「東京には」というところが眩しいくらいだ。東京都民以外はいっさい協力しなくていいってことだろ、これ。

いま想像できるいちばん面白いことが、もし2020年になってもこのエンブレム問題で争っていたら、ってこと。
五輪の開催期間中、テレビカメラにこのエンブレムが映るたびに、「現在このエンブレムのデザインについては、ベルギー人デザイナーの○○氏と係争中であります」とコメントを入れなきゃいけない、なんてことになっていたら笑えるから見るかもしれない。

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NHK FM『夜のプレイリスト』で、先週のパーソナリティ、歌人の笹公人が自歌を紹介していた。
しろたえの美穂さんいないファミレスのブレンドコーヒーかくまでにがし
もちろんこれは、寺山修司の
ふるさとの訛りなくせし友といてモカコーヒーはかくまで苦し
へのオマージュと見ることができるだろう(そしてこの寺山の歌はきっと、石川啄木の「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」へのオマージュが含まれているに違いない)。それはともかく、笹の歌は、短歌としてはそれほど見るべきところを感じなかったのだが、その内容としては、読み手にそれぞれの思い出を喚起させるのではないだろうか。なお、笹の歌は実体験なのだそう。

これを聴いていて、「ほう、おれにはそんな思い出ないよなあ」と思っていたのだが、よくよく思い出してみると、あった! しかもふたつも! それを忘れないうちにちょこっと。

ひとつめは、品川高輪のアンナ・ミラーズに働いていた女の子。僕は当時二十一歳くらいで、「アンミラ」の近所のテナントでバイトしていたので、アンミラの女の子たちとは休憩所がたしか同じで、その場でよく彼女を見かけていた。髪は栗色で、色の白いほっそりとした女の子で、目は細かった。タイプかどうかと言われればめちゃくちゃタイプで、その当時は気づかなかったが、いま思うにキャンディーズの蘭ちゃんによく似ていた。
アンナミラーズというのは、知っている人は知っているだろうし、知らない人は知らないのだろうが、制服で有名である。胸を思いっきり強調するデザインで、しかもスカートが短い。「あそこはね、顔も可愛くてスタイルもよくなきゃ採用されないんだよ」と僕に教えてくれたのは、うちのお店で働いていた女の子だったが、なにをおっしゃるウサギさん、蘭ちゃんだけにはかなわなかったものの、うちのお店はアンミラに負けないくらいの美人揃いで(たぶんうちも顔重視で採用されていたのだと思う)、しかも、うちの店では男のスタッフは通常はキッチン担当と相場が決まっているのに、僕だけなぜかホール担当だったので六、七人ほどの女の子たちに囲まれハーレム状態を味わえたという、これを自慢と言わずしてなにが自慢かっていうくらいの「いい思い出」なのだが、その渦中にあるときはあんがい「うわあ、絶対贔屓をしないように気をつけないとなあ」と女の子たちに気を遣いまくって疲れていたのである。
それはそれとして、アンミラの女の子たちは傍目からは、派手な感じの子が多かったように思う。露出がけっこうある制服だから、それを知って着るということはわりと出好きなことは間違いない。で、ワタクシ、あまり出好きの人間というのを好まない傾向があるために、「ちょっとアンミラはなあ……」と思っているところがあったが、蘭ちゃんだけはなんだか別枠に感じているところがあって、物静かそうな雰囲気から、「うーん、なにか特別な理由があってアンミラなんかで働いているのかもしれない」とアンミラを「なんか」呼ばわりしてまで擁護していたのである。もちろん、すべて自分の心の中での話。
で、その子となにかあったのかというとまったくなかった。名前も知らずじまいだし、話したこともない。目の合ったことくらいはあって内心「うわあ」と舞い上がりはしたものの、表面上は「え、なに? なんか用? ちょっと忙しいんだけど?」という感じをキープしていたので、もちろんなにもなく(いや、正直に書くと、こちらが好意的な態度をとっていたとしても無視されていたと思うってくらいに、向こうは無関心という感じだった。つめてー!)。ただ、笹公人の歌を聴いて、「うわ! あの人、きっと美穂さんて名前だったような気がする!」と思うところがあったというだけ。
しかし、ふだん偉そうなことを言っているくせに結局は面食いなんだよなあと自分でも思う。もちろん顔だけでなく全体的に漂っている雰囲気も込みなのだが、僕はどう頑張っても気軽に話しかけたりするような性格ではなく、いつも遠目で伺っている(なにしろ視力だけはよい!)ためにそういう傾向になってしまうのだろう。

もうひとつは羽田空港の話なのだが、それはまた別の機会に。

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兵動大樹のラジオ番組で「思い出の味」というテーマでメッセージを募集したところ、こんな話があった。
「子どもの頃は田舎に住んでいてそれほど裕福ではありませんでした。そういうなかでカレーはごちそうだったのですが、母のつくるカレーといったらサバ缶を使ったサバカレーで、それがおいしかったことを憶えています。大人になってから友人と話しているときに、『おまえん家で食べたサバカレー、最高だったよ』と言われ、嬉しいような恥ずかしいような思いをしました」
細かいところは間違っているかもしれないが、だいたいこのような話だった。
もちろん番組内では「いい話ですねえ」 ということになり、聴いている僕も嬉しくなるような話だったが、こういう話を「いいよね」とするのはラジオで、テレビだったら全然違うことになりそうだ、と思った。

以下は妄想なのだが、若手の芸人コンビがトーク番組に出演していたとして。
「(相方を指して)こいつん家って、めちゃくちゃ貧乏だったんスよ。それで、こいつん家に行ったときにカレーが出されたことがあったんですけど、それがサバを使ったカレーで、『なにこれ? ふつうサバなんてカレーに使う?』て思たんですけれど、『しょうがないから食べよか』って思て食べたらこれがまずくてまずくて。なあ?」
みたいな話でみんな笑う、みたいな流れになるんじゃないかと思った。

(繰り返すが)上記は妄想なのだが、似たような展開は何度も目にしたことがあって、そのたびに不快な思いをしてテレビを消した。
みんながみんなとは言わないけれど、芸人と言われる連中の多くは、弱いものを腐して、強いものには媚びへつらっているという印象がある。トーク番組なんかは、中心にいるベテラン芸人/芸能人に対するお追従合戦みたいに見えるときがある。しかもその中心人物が完全に賞味期限が切れている場合もあって、それなのにヘンに神格化されていて、観ている側にもそれを強要するノリがある。ネットでもたけしやらタモリやらをやたらと持ち上げているのを見るけれど、あれなんなの? きれいな芸とか独創的な芸というのをあまり見なくなったし、そういうことに美徳を感じもしないんだろうな、と思う。
また、そういうのが標準になってしまっているから、そのフォロワーたちもクソつまらないし、下品ということが多い。ひと月以上前になるか、ジャニーズのジャリタレとマツコ・デラックスのやっている番組がちらとやっていたのだが、そのときにあの女装のおっさんが素人のおじさん相手をからかって笑いにしていて、「おう、この気持ち悪いおっさんもとうとうホンモノのクソ豚野郎になっちまったんだな。美輪明宏がそんなことするか?」と思った。テレビに馴染みすぎて、もともとは「周縁」の人間だったはずなのに(そこがウリでもあったろうに)、いつのまにか「中心」側だと勘違いするようになったらしい。一緒にいるジャリタレもいつも死ぬほどつまんなくて、びっくりする。そういうのがまた視聴率が高いと聞いて、そりゃこの国もおかしいわけだよと思った。

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毎年これくらいの時期になってくると、全国の中高生・大学生のバカな連中が読書感想文のコピペを目論んで、「○○(書名) 感想文」というキーワードでネット上で検索をかけはじめる。「○○ 感想」ではなく、「○○ 感想文」というところがミソだ。その検索数は夏休みの期間中、平均で700万~800万件/日とも言われている。うそ。

けれども、なんでバカなのに「頭よさそうなふり」をしたがるんだろうねえ、といつも不思議になる。書けないんだったら「書けませんでした」って言えばいいじゃん。僕は高校のときの、夏休み読書感想文提出は結局しなかった。成績悪くて結構、書きたくないから書かないってことにした。それでいいじゃん。それがイヤなら自分で書けばいいんだし。
本を読んで何かしらを書くって、そりゃラクなことではないと思うけれど、そうラクでないことを必死でやっている姿勢っていうのは教師にはわかると思う。それがいいことかどうかは別として、教師はその姿勢の部分を基礎点とするだろうから、反対にいえば、あまり書くことが得意でない人間も、自力でやれば基礎点くらいはもらえると思うんだけどね(かといって不正を暴けないのも現状)。

2011年の大学受験期に、試験中、ヤフー知恵袋に質問をしてそこで解答を得た、という人間がいて、あのとき、ネット上の有名発言者のなかでも「ツールをうまく利用できるという意味ではいいのではないか」というような主旨で擁護したやつらがいて、それこそバカじゃねえのと思ったのだが、あの問題は三月の大震災で雲散霧消してしまった。僕はしつこく憶えているけれど。
ツールを利用できるといって、姑息な手段を使ってその場は糊塗できたとする。が、やがてそれが露見したというときのリスクはどれくらいだと思っているのだろうか。つい最近だって自分の会社に預けられたビットコインを不正に扱っていたマウントゴックスの社長が逮捕されたし、思いつくところでいえば、東芝の粉飾決算(という表現はされていないのかな?)とか東洋ゴムの免震ゴムのデータ改竄の問題なんかも、「バレたらどうするの?」というごく庶民的な発想をする人間は誰もいなかったのか、と思うことは実に多い。
そりゃ天網恢恢疎にして漏らさずという時代でもないのかもしれないが、ラクというかズルをする癖がついてしまえば、一生その癖はとれないんじゃないの?
僕は大学でそういうズル野郎・ズル女をたくさん見てきたので、そこの大学出身者というのをまず信用しないことにしている。で、たいていの大学でも同じような割合でそういうバカどもはいるんだろうと思う。つーことで、たいていの連中を信用していない。

こういうことを書くと僕が非常な成績優秀者のように思われるのかもしれないが、そんなことはない。僕の言うバカさは、成績の優秀さとはまた別のところにある。
まあ、こういう一般論はほんとはどうでもよく、このまえ書いたように、「大人になってから苦労するよ」なんて気持ちは微塵もなく、「一刻も早く苦労しろ、バカ」と思っているので、バカに対してここではバカと書いておきます、バカ。

で、だ。
このバカ連中に対して一矢どころか百矢も万矢も報いたいし、できるなら一死をプレゼントしてやりたいくらいだ。盗人連中なのだからして。
ということで、ブログなどで学生たちがパクりそうな読書の感想・レビューをアップする場合は、以下の文章を冒頭につけくわえればいいのではないかと思う。
としは戦後70年ということで、いろいろと考えることの多い夏だった。
きしということに直面し、私たちの置かれている状況を考えつづけ、戦争は絶対にいけないという結論に至った。
たしたち若い人たちはいま大きな岐路に立っているのであり、ひとりひとりがそのことに意識的でなければならない。
ういう視点に立ち、『○○』という本を読むことにしたのである。
ンチの状況から先人たちはいったいなにを学び、チャンスを引き出したのか、そこが私には興味があった。
ージを開くと、私はすぐに物語に引き込まれた。
これは一覧してわかるように、各センテンスの最初の文字を縦読みすれば「これはコピペ」というメッセージがあらわれる。もちろん「ことし」や「れきし」や「わたし」は漢字にしてもよい。

しかしまあ、他人の文章を部分的にコピペしていかにも自分のもののように見せかける技術って、これからの基礎教養みたいになっていくんだろうなとも思っている。それがいいこととはまったく思っていないけれど、単純な進化論に基づいて素晴らしい世の中になっていくとも思っていないので、「コピペとバレないよう改変してくれるアプリ」なんかが大いに利用されたりするようになるんじゃないかと思っている。
そんなのに較べれば、高さ何メートルの壁をのぼってカンニングペーパーを渡そうとするインドのほうがまだかわいげがあるように思いますがね。

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