とはいえ、わからないでもない

2016年08月

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忙しいときにこそかえってつまらないことは思いつくもので、というか真剣になにかを思い悩むというには余裕がないからつまらないことを考えるしかないわけなんだけど、いまの政治家たちに落語の亭号を与えるとしたらなにがいいだろう、ってのがここ最近の主たる考えごとのひとつであった。
もともとは、和歌山出身の鶴保が大臣になったことから、「つるほ」って名前、亭号をつけるのなら笑福亭だろうなあ、と思ったのがきっかけ。
tsuruho
鶴ほ

鶴瓶のいちばん末の弟子って感じである。
さて、ひとり思いついたのはいいんだけれども、こうなると他のやつも考えたくなってくる。
ということで、与党の閣僚の一部と、野党の有名政治家のごく一部に亭号をつけてみた。

まず、首相である。
abe
志ん三

苗字の「アベ」のほうをいじくるのが難しかったってのもあるけれど、せっかくいい名前があるんだから、と志ん朝の孫弟子あたりってことにしておいた。アベに親子名人のいた古今亭をつけるなんて、と批判されるかもしれないが、まあ洒落なんでね。

次は財務大臣。
asou
麻生
これは「さんゆうてい・ましょう」と読んでもいいよね。昭和の大名人、圓生の弟子みたい。

女性に行ってみようか。総務大臣。
takaichi
高市
市馬には悪いけれど、彼女は柳亭で引き受けてもらおう。これは個人的にはよくできたほうだと思っている。

つづいても女性。入閣に話題となった例の防衛大臣。
inada
いな談
「イナダ」をどう処理するかとかなり悩んだんだが、結果としていい着地点を見つけられたと思う。

そうなると、必然的に外務大臣がやってくる。
kishida
き志談
名前のなかに「立川談志」の4文字が入っちゃっているという、「志ん三」並に立派な名前となった。

せっかくだから、なんたら大臣も入れておく。彼の場合は亭号というよりコンビ名。
nobuteru
yosizumi
のぶ照・よし住
いいね。三味線を弾く兄弟って感じ。いちおうイロモノさんなんで赤字にしてある。

イロモノなら野党にもいるぞ。
ichiro
tarou
一郎&太郎
いい漫才コンビだと思う。

さて、ついでに野党第一党に行ってみる。代表から。
okada
小勝也
これ、かなり考え抜いたんだぜ……。

代表代行のふたりは、まとめちゃう。
eda
nagatsuma
ケンジ&アキラ
いかにもそれらしい漫才コンビ名となった。

で、もうひとりの代表代行が汎用性が高すぎて困った。
renhou
蓮舫

女性だし、漢字に「舟」が入っているので、せっかくだからときれいな亭号をつけてみた。

おっと自民のホープを忘れていた。
shinjiro
 
進次郎
桃太郎の下に入れて、「キュッキュッキュ~」と唄わせてやる!


あー疲れた。あとは公明党代表の「グッチなつ夫」とか、官房長官・共産党代表を併せたお笑いコンビ「スガC」とか思いついたけどイマイチだったんで、ここで終わりにしておく。 

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シン・ゴジラだとかポケモンだとかリオのオリンピックだとかスマップとかシールズの解散だとか、もうすべてが別の惑星の話にしか感じられなくて、そこには良いも悪いもない、ただぼうっとした「ああ、遠いな」という感想しか持てないという一種の無気力状態になっていて、それはいまもつづいているし、これからもしばらくはつづいていくと思う。
大学一年のときの哲学の授業の教授――人格としてはまったく好きになれなかったけど――が、「ベストセラーを読むときは最低一年は空けます」 と言っていたことがあって、この発言についてだけはいまでも正しかったんじゃないかと思っている。つまり、僕の信じている正しさ、という意味において。……などという、一見わかったふうなエクスキューズを入れるやり方にももう飽きたし、そういう「どこへ出しても一定の客観性を損なうことのない文章」を目指す必要はないし、ここはそもそもそういう場所じゃない。ただひたすらに思いついたことを書き捨てる場所なのだ、ここは。
話を戻せば、ある狂騒的な空間や瞬間やトピックがあるのなら、そこから距離を空けよ、ということを僕は18歳くらいの頃からほぼ守りつづけてきたことになる。まあそれは半分位の割合で、携帯電話なり、あるいは別の機器などの最新のテクノロジーから自然と取り残されてしまったからなのであって、そういう意味では、僕はいまでもだいたい20世紀のままでいる。
そのような遅れた人種たる僕は、世の中のことに対してなにをせずとも八割くらいは嫌悪感を抱いてしまうのだが、ただ今夏については、仕事の忙しさ・人手不足にくわえ、予想外に長引く夏風邪という体調不良も相俟って、世間との距離感もひとしおに感じられたのだった。
たかが夏風邪なので特段深刻なものでもなく、下痢・高熱に関してはそれぞれ数日でやり過ごすことができたのだが、悪意ある置き土産として喉の痛みおよび執拗な咳が一向に去らず、喘息患者の気持がわかる、となれば過言となってしまうが、それでも突発的に生じ一定時間はげしくやむことのない咳によって読書など到底することもできず、ただ息を潜め、横になって安静を図っているうちになんとなく寝てしまい、そのうち自らの咳き込みによって目を醒まし、ウサギの世話なりなんなりをして気づけばもう起きる時間になって、仕事に出かける準備をする、という日が、週となり、はや半月を過ぎようとしている。そのあいだには仕事とは無関係の「ムラの役員としての仕事」もあったし、突然の訪問客に、田舎に移住した体験談みたいなことを半分自棄、半分自省的に話したこともあった。それらは、「世間」とはまったく関係のないごくごく個人的なことである。

何年か前のテレビCMにこういうのがあった。以下はネットで拾ったものだが、だいたい記憶どおり。
「世界とつながってるってどんな感じ?」

という質問に対して外国人少年が答える。

「あの~、その質問自体が古いと思います。だって、この時代でつながっていない状態の方が少ないわけじゃないですか。
逆に世界とつながっていない頃ってどんな感じだったんですか?」
いまでもこのやりとりを読んで思い出せば腹が立ってくるのだが、この当時(6、7年前か)も、そしていまも、ほんとうに「つながっている」なんて状態のほうが少ないだろうと僕は思っている。その「つながっている」という言葉が、ただ狂騒をたのしむだけのツールという意味に限定されず、なにかの救済までをも含むというならばだ。
たとえば、テレビを持っていない人間はこのテレビCMを見ることはできなかった。日本語のわからない人は、たとえ見ていたとしても少年の言葉の意味を解することはできなかった。「いまではネットがありますので、おおよそのことは」みたいなことを簡単に口にする人間は、僕の周りに住んでいるほとんどの独居老人の実態を知らない。いろいろなコミュニケーションが生まれてたしかに便利になった部分はあると思うが、かといって必ずそこから漏れる人間もいつづけている。厳然と。
5月末、バラク・オバマが広島を訪問してスピーチをしたことについて、手放しの賞賛があまりにも多かったことについて僕は驚き呆れていた。あのスピーチの全文には目を通したが、「死が降りてきた」というような表現から始まる文章が示すものはある種のポーズでしかなく、広島そして長崎や世界中の被爆者に対して寄り添う心があるとは到底思えなかった。彼が資料館に10分しか滞在しなかった、というスピーチ前の情報も嫌な予感を与えるには充分だった(広島に行ったこともない僕は批判する資格すらないのだが)。あのとき、「彼の自国内でのポジションを考えればそういった表現にならざるを得ない」 という忖度があちこちで見られた。そのうえでの賞賛だった。しかしその忖度つきの賞賛は、発信者自身が冷静でクレバーであるかのように見せるため以外にはほとんど意味をなさないように思えた。そのうえ、スピーチの批判者に対して「これ以上なにを望むのか」という批判をする輩たちもネット上では散見された。
あのときラジオで聴いた「広島の人たち」の声の多くにあったのは、「いろいろと不満はあるけれど、これがスタートラインなのだ」という諦念のかなりこめられた小さな希望だった。しかし広島の人たちの対応を率直な100%の歓迎と読み間違える向きは多かったし、いまもそれはつづいていると思う。
あの原爆ドームを前にして米国初の黒人大統領がスピーチしている絵に、まずやられてしまった人が多かったのだと思う。自分はいま歴史的な瞬間に立ち会っているのだ、と勝手に解釈してしまいその目撃したことについて狂騒しただけだったのではないか。そこに被害者たちに対する想像は幾許かなりともあったのだろうか。僕自身は、彼の広島訪問がまったく無意味だったとは思っていないが、それでも騒がれたほどの意味が生じるには、彼の大統領退任後の活動如何によると思っている(ラジオ番組内でもそう結論づけられていた)。

そんなことがずっとつづいているような気がしている。大きな話題があれば、その善たる部分やあるいは善に見える部分に、やたらと強調されたスポットライトを浴びせ、騒ぎ持て囃す。たしかロンドン五輪の直後のアンケートで、それまでずっと低調だった東京での五輪開催の支持率が不支持率を上回ったような印象を持っている。それで例の「お・も・て・な・し」でいつのまにか盛り上がっていて、エンブレムや新国立競技場の問題で再びブーイングが起きて、しかし今回のリオ五輪でまたまた東京五輪への盛り上がりが助長されるのかと思うと、いちばんあてにならないのは誰かという根源の問題に話は落ち着いてくる。まあ2020年についていえば、控え目に言ってパラリンピックだけ開催してオリンピックは他国に譲ればいいのではないだろうか、というのが僕の考え。パラの選手の家族たちが気軽に応援しに行ける、というのは決して悪いことではないと思えるから。
スポットライトが大きければ、当然その影も大きくなる。明るくたのしい話題の裏で、暗く悲しい話題が忘れ去られ、その当事者たちは意識の外に追いやられていく。間違っても僕がその当事者たちのひとりだとは言わないが、さまざまなことから遠くはなれてしまっために見えてくるものもある、ということをようやく最近になって知ることとなった。

あと、またしばらく書けない期間がつづくからついでに書いておくけれど、ポパイの最新号だかで「落語とジャズ」の特集があって、それをコンビニで立ち読みしていたら「文化人」っぽい人たちの挙げる好きな落語家のほとんどが談志と志ん生なのに対して、ほんとうに心の底から「どうして?」と訊きたいと感じた、ということをここに強く記しておく。
みうらじゅんが米朝と仁鶴、でんぱ組の夢眠ねむが文珍をそれぞれ挙げていて、あとは権太楼や喬太郎を挙げていた人がいたと思うのだけれど、ここらへんの意見はきちんと自分の意見なんだろうな、というのはよくわかる(権太楼嫌いだけど)。でも談志と志ん生ってかなり聴く人を選ぶと思うんだけどなあ。
たとえば志ん生なら、なぜ志ん朝じゃありえないのか。志ん朝なら、口跡は素晴らしいし、登場人物を間違えるなんてことはありえないし(志ん生はある)、噺がきちんと整理されているし、 かなり多くの人に愛される噺家だと思うのだが、なぜかその親父の名前を、しかも比較的若い人たちが挙げるということにほんとうに不思議を感じる。以前からずっと書いているが、小林信彦ですら、昭和36年にぶっ倒れてからの志ん生とそれ以前とでは全然違う、という古い落語ファンの話を聞いて辟易した、ということを書いていたのに。ただ僕自身は、ずっと聴きつづけていると愛すべき部分を見いだせるようになったので、志ん生がほんとうに好きという意見をまったく否定するという立場ではない。でも、相当マニアだと思うんだよなあ。
で、談志。若いころの音源はほんとうに素晴らしいと思うけれど、晩年の高座なんかはマクラが長ぇしアクが強いし、肝腎の噺は打率が低かったりするし(本人も冗談交じりにそんなことを言っていたりするし)で、これを選ぶっていうのはこれまた相当なマニアって感じがするんだけど、みなさんほんとうにそうなんですかねえ、ってのが正直な感想。率直に言って、「とりあえず談志か志ん生って言っとけばカッコいいでしょ」みたいな感じがぷんぷんしたのだった。 

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