とはいえ、わからないでもない

2017年03月

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最近ちょっと引っかかったこと(かつ瑣末なこと)。

ほとんどウォッチしていないところなのだが、いよいよ全面禁煙が図られる、みたいなことを風の噂レベルで聞いた。といっても僕は非喫煙者なので細かな規定というのはわからないし興味もわかないのだが、分煙はわかるけれど、完全禁煙って、それはそれでどうなのかと思う。副流煙や歩きタバコの問題が回避できれば、ある程度喫煙場所が設けられてしかるべきだと思う。
健康のため、とか、公共(またもやオリンピックが口実か)のため、という大義名分を振りかざして個人の嗜好・自由を制限するのが「成功」してしまうと、次は禁酒、次は……と際限がなくなるようなおそれがある。
過去を思えば、あらゆる場所でぷかぷか吸われるような状況じゃなくなったいま、もう充分な気がするのだけれど。

時事通信の3月の世論調査のニュースを読んで、現政権への支持率がいまだ50%を超えているというのを知ってたいへん驚いた。しかも、新共謀罪の法案に対しては6割を超える人間が賛成か。すごいな。最近オーウェルの『1984』を読み終えたせいかもしれないけれど、日本人って監視社会を自ら望んでいるとしか思えないな。
支持率を見たところ、たぶんあの教育勅語の問題に関しても(僕からすれば信じられないほどの)多くの人間が問題なしとしているのだろうな。すごいよな。いわゆる「右傾化」という言葉が叫ばれてひさしいけれど、保守というか、愛国カルト集団の皆々様にとっても、今日こんな地点まで来られるとは思ってもみなかったのではないか。この状況をスルーして、遠く離れたトランプを批判している人がいたら、そいつはだいぶ頭がおかしいと思う。対岸の火事より、お前んちがすでに火事なんだよ。

がらり話は変わって。
最近の広告代理店のイースター推しは滑稽すぎる。ハロウィンもだいぶ無理があったけれど、いったん成功しちゃったもんだから、次はイースターってことになったんだろう。お次は謝肉祭で、その次は……アメリカの独立記念日を祝ったりしたら面白い。そんで、紀元節、天長節の復活! それなら政府も喜んでバックアップしてくれるよ。  

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昨年の文化の日のことだった。一年に一回のイベントのようなものがあって、そこである男の人に声をかけられた。「どう? 元気にやってる?」
その声の調子と表情から一度ならず挨拶や言葉を交わしたことがある、ということは明らかだったけれどすぐには思い出せず、「ええと誰だっけかな……」と心中考えながらも「そうですねえ、今年もなかなか……うまくいきませんでしたねえ」なんて適当なことを言いつつ、できのわるい検索システムをフル稼働していたのだが、そのとき、ある女性が視界の隅に入り、そこでその男性が誰だか思い出すことができた。
もともと僕はその女性のほうと知り合いで、たぶん彼女ははじめて会ったときですでに五十代も後半に入っていたはずだからいまはもう六十に手が届いているはずだった。男の人は、その女性の夫だった。
人懐こい人で、一度思い出せたら、その人好きのするしゃべり方や仕草までも一気に思い出すことができた。その前に会ったのが、ちょうど一年前の同じイベントでのことだった。一年という時間をあっという間にジャンプして、僕たちは隣人のように話した。黒く日焼けをした、とても元気な人だった。

その人が、昨年末に死んだということをきょう聞いた。事故死だった。
話を聴けば、人間、そんなもんで死んでしまうのだろうか、というくらいにあっけない事故で、それを教えてくれた人間も、半ば笑いながら話した。
不謹慎だ、と思う人もいるだろう。けれども、話を聞いた僕も半ば笑いながら聞いたのだ。もちろん、げらげらと笑ったわけではない。僕はまず驚き、それから、笑うしかないから笑った。そういう種類の笑いだった。教えてくれた人もたぶんそうだったのだろうと思う。
僕はやっと四十になろうというところだが、僕のまわりにいる人たちは六十代で若いほう、七十代がざらだ。教えてくれた人も、七十は優に超えている。その人たちにとって、死はいつもかなり近いところにある。両親はとっくに死に、同級も半分以上は死んでいる。病死のほかにも、事故死、自殺、などいろいろな死に方を目の当たりにしてきたと思う。
いろいろな事情が考えられるが、この七年間で僕も、都市部に住んでいた三十数年間で出会った死のおよそ十倍の死に出くわしている。深夜に救急車の音がわりと近くで長く響いているのが聞こえたら、喪服のありかをすぐに思い浮かべるくらいにはなった。
それでも、知り合いが亡くなったことを知らされれば、ついこのあいだ会ったばかりなのに、と思わないことはない。そして同時に、家族や特別に深い友人であったりしなければ、実にあっけないことのようにも感じてしまう。
話に聞いた状況から判断するだけだが、今度亡くなった人は死ぬ間際に、「あ」とだけ思ったのではないか。あるいは、「あれ?」かもしれない。いづれにせよ、ほとんど苦しまずに逝けたことを願う。 

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次々作の朝ドラのヒロインが葵わかなになったと知って、特に驚きもなかった。
2015年からのヒロインを見ると、土屋太鳳→波瑠→高畑充希→芳根京子→有村架純→葵わかなという流れは、朝ドラヒロイン的という観点からすると波瑠以外はすべて納得の配役。波瑠が嫌いとかそういうことじゃなくて、線の細い美人ってのは少しイメージが違う気がしたのだ。次々々作はもう松岡茉優でいいんじゃないかな。
ブクマを確認したら2014年の9月には彼女(葵)をチェックしていたというのが判明したのだが、たぶんこれはラジオドラマの好演が原因だったと思う。声の感じがよくて、そこからその人物を知った、という流れ。オモコーの芳根京子の親友役もやっていた。まあ、ドラマは観ない可能性が高いが。

キャスティングといえば、今朝、ヤフーのヘッドラインで「水戸黄門を武田鉄矢が演じる」というのを見て、エイプリルフールにゃ早すぎると思ったのだが、どうやらほんとうのことらしい。
印籠を見せてからの説教が長そう、名前の由来を懇々と教える、漢字の話をよくする、オリジナルのテーマソングを自分で唄う、マルちゃんがスポンサーにつく、などといろいろなことが頭をよぎる。
 
ヤフーニュースといえば、「ゆとりですがなにか」のSPが夏に放送されるとかいうのがあって、これは嬉しい驚き。またまりぶが観られるなんて、ほんと嬉しい。
 

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いまさらながら観始めていて、いま第4話まで来た。みくり「恋人をつくろうと思いますが、考えた結果、ひらまささんにします」というところで終わる回。
やらなくちゃならないことが多いのですごくさらっと書いておくと、観る前には絶対萌えると思っていたガッキー、というか、ガッキーに萌えるために観ようと思っていたのだが、いざ蓋を開けてみると、まったく萌えない。どころか、このみくりさんという人物が大っ嫌いだということがわかった。まあ、ドラマを観ているとだいたいの女性キャラクターをキライになる、っていうのはよくあることなのだが。
で、石田ゆり子は……やっぱりうーん、という感じ。流行っていた当時は、「○○歳とは思えない!」なんていう褒められ方をしちゃっていたのかもしれない(というかそういうフレーズを実際目にした)けれど、ふだんからあんまりそういうところを気にしたことがない――つまり、年齢のわりに若い!とか、そうでないとか――僕は、フラットに見て、女性としてそれほど魅力的には思えないというのが正直なところ。容姿が整っているために彼女のセリフや存在感に重みがあるのだとしたら、それはキャラクターの魅力じゃなくて、石田ゆり子の魅力だろうから。
同じ理窟で、みくりさんが、ガッキーじゃなくても好きかどうかっていうと、ガッキーの容貌をもってしても「こんなやつ、どーでもいーや」と思ってしまうのだからなあ……。これ、つづきを観ていくと好ましく思えるんだろうか?

じゃあまったく観る気がしないかっていうと、そんなことはなくて、星野源がめちゃくちゃかわいいから観ている。愛されない感じ、とかすごくよくわかる。ふんぎりをつけるために、もういっそ手放しちゃえばいい、とか。
あとは、古田新太と藤井隆のところがおもしろい、っていうのがなんとかドラマの推進力になっているのかな、というふうに見ている。それ以外の場面は、僕にとってはけっこう中だるみに感じてしまって、まだるっこしい。というか、全だるみのなかにポイントポイントで「お」と思えるところがあって、なんとか観つづけられるというのが現在までのところ。
風見さんとか、申し訳ないんだけど下手くそすぎて、観ている側が素に戻っちゃうんだよな。ガッキーも、特別うまいっていうわけじゃないから、星野源との対話なんかだとなんとか立脚していられるものを、風見さんとふたりで話していると、けっこうきつい。なので、このドラマを観るときは必ずアルコールを入れるようにしている。たぶんシラフだと電源オフにして終わりにしてしまうから。

どうしても杏&ハセヒロの『デート』と比較してしまうのだけれど、丁々発止という言葉がまさにふさわしかったあちらの脚本とくらべて、こっちの脚本はどうも隅の隅まで締まっている感じがしない。たとえば、風見さんに対してイケメンイケメンと臆面もなく連発するみくりさんだけど、これって、男女逆転させたら、けっこういやらしい男じゃない? 美人に対して「美人はいいですよね」ということを連発する男って、意図的であれば当然気持ち悪いし、無意識であっても、なーんか気持ち悪いものを感じる。わざわざそんなこと面と向かって言わねーよ、っていうのが僕の感覚なんだけど、そっちのほうがおかしいのだろうか。もちろん、みくりさんを自信満々に口説き気味の風見さんは男女をどう入れ替えたって気持ち悪いんだけど。
あと、いろいろなテレビ番組のパロディをやるにしたって、ちゃんとやりきったほうが面白いと思うんだけどなあ。情熱大陸はTBS系だからちゃんとロゴまで使って窪田等つかってやっているのに、ビフォーアフター(テレビ朝日)のパロディでは加藤みどりを使わなかったのに、なんだかなあ、と思ってしまった。「他局」だから? 視聴者にとっては知るかそんなもん、だよね。
あと、『奥様は魔女』をはっきりと言及してしまっていたのは野暮ったかったなあ。で、エヴァは言及しないんだよね。ここらへんに、振り切れていなさを感じてしまった。
あと、キャストの8割が不満。風見さん、石田ゆり子の部下たち、ガッキーの幼馴染等々……なんか、一定基準すら満たしていなくて……ヒットして注目浴びたかもしれないけれど、今後は辛いだろうなあ。あと、新垣結衣というタレントはキライではないからけっこう大目に観ているけれど、みくりさんは、『精霊の守り人』をやっている綾瀬はるかに対する「うわあ……」という気持ちといまのところはあんまり変わらない、ってことは書いておくことにする。

まあとにかく、いちおう主人公はガッキーなはずで、彼女の一人称的独白部分は多いのだけれど、でもやっぱりその彼女がどうしても空虚に思えてしまって、これが工夫の凝らされた演出のせいで、もしかしたら、回を重ねることによって感情移入できるようになっていくのかもしれないが、いまのところは、あまり期待できない。でも、つづきは観ることにする。
なんだかんだいって、でもやっぱり星野源はかわいいよ。

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