とはいえ、わからないでもない

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  • 会津戦争から半年が過ぎた」というナレーションから今回は始まる

  • で、最初に登場するのがなんと、(ダブルミーニングで)ジョー

  • これ、途中から観た人は「へー、オダギリジョーも出ているんだあ」って思うんだろうなあ

  • 新島の方のジョーは、渡米してからクリスチャンになっているみたいなのだが、ここらへんの経緯は、八重と出会ってから当然語られるのだろうとは思う(そうじゃないと、ジョーかわいそう)

  • そしてジョーは祈りの言葉を口にする、「互いに恨みを捨て 紙の愛と正義のもと 新しい国作りがなされますように… 死者と、遺された者の為… そして、悲しみ、憎しみ、恨む心を癒し給え」

  • われらが八重さんは、米沢で木下政治演じる内藤(八重に鉄砲を教えてもらったとき顔を真赤にした米沢藩士)の許に寄寓し、反物を売って糊口を凌いでいるようだ

  • ここで、千代という会津藩武家の生き残りが登場するのだが、これを演じているのが中村優子、朝ドラ『カーネーション』の最後の方で末期がん患者を演じた女優

  • この息子の長次郎という少年を演じているのは、名前は知らないが、朝ドラ『おひさま』で、井上真央が教師として勤める国民学校で、ピエール瀧の指導するなんとか体操がうまくできなかった男の子を演じていたはず

  • 朝ドラつながりすぎる

  • 千代は、夫を戦争で殺され、現在は田村屋という悪徳商人ヅラをしたおっさんに囲われている

  • はじめて会ったときには、この田村屋も優しいフリをしているのだが、「食べ物にも苦労しているんだろう」とカブを姪のみねに渡そうとすると、子どもは感覚的に人物の善悪を見分けるのか、「いらね」とぼそっとつぶやく

  • このシーン、不穏ではあるのだが光が美しくつかわれていて、照らされたカブの葉がきれいであればあるほど、八重たちの心が悲しく見えた

  • 米沢藩士の内藤(木下政治)が出てくると、やっぱり沼田爆だと思ってしまった

  • お世話になっているお礼にと先ほどのカブを内藤に差し出す、ここのやりとりで、八重たち家族および内藤の生活が決して豊かでないということがわかる

  • このあいだ、母の佐久は縫い物をしているし、うらは染色をしているのか水を張った盥の中で布をじゃぶじゃぶと洗っている

  • うらが無表情のうちに布を水に叩く音が、次第に軍靴の音に重なっていき、固く布を絞る音と砲撃の音が重なるという非常に高度な抽象表現に少し驚いた

  • ここで、彩度を失った八重の会津戦争中の回想シーン(=夢)につながっていき、たった半年前までは「殺し合い」をしていたということを視聴者にも気づかせ、八重自身、尚之助の名を呼んで起きる(

  • 八重の中では、まだ戦争が過去のものとなっていないのだ

  • 一方、東京の萱野権兵衛、山川大蔵、梶原平馬へと場面は変わる

  • ナレーションの説明によれば、容保親子は死一等を減じられ、その代わりに首謀者として萱野権兵衛が首を差し出した、ということらしい

  • しかし、ナレーションの「刑が執行された」という説明は、切腹の場合ならふさわしくない

  • 不思議に思ってWikipedia を見てみると、「公文書には刎首とあるが、飯野藩保科家下屋敷での保科家家臣沢田武治の介錯による自刃」という記述が見られる

  • 文書には「首をはねた」としておきながら、実際には切腹をしたというのが少し気になったので、検索をかけてみると、非常にすぐれたサイトを発見

  • 飯野藩保科邸・会津藩家老萱野権兵衛の最期 - To KAZUSA

  • つまり、萱野権兵衛の処置を任された飯野藩藩主保科正益は、新政府に対しては罪人に対する処罰として「刎首」の報告をし、その実は、萱野に意気を感じ、武士の面目を保たせるために切腹の形式(=扇腹というもの)を用いた、ということらしい

  • さて、史実はそこまでとして、ドラマ本篇

  • 藩のために一命を差し出すという人間に対して、生き残るもの、生かされるものはなんと言えばいいのだろう、と大蔵・平馬の言葉に注目したのだが、やはりはじめに出てきたのは「申し訳ございません」だった

  • 特に平馬は、主戦派であり城中で戦の指揮を執った自分が責任を取るべきだと歎くのだが、いくら家臣とはいえ、平馬は27歳くらいだからそれは無理だろう(権兵衛は42歳)

  • 大蔵から、容保それから照姫の親書が手渡され、権兵衛、「ありがたい」と感涙す

  • 照姫「夢うつつ 思ひも分ず 惜しむぞよ まことある名は 世に残れども」

  • 権兵衛、大蔵と平馬に「戦で奪われたものは、戦で取り返すのが武士の習い」と伝える(

  • 柳沢権兵衛、出演回数もそれほど多くなかったし、ちょっと軽いというきらいもあったのだけれど、好もしい演技をしていたのではないか(手放しの称讃というわけではない)

  • 一方、箱館での戦争に場面は変わり、あっという間に新撰組の土方が戦死

  • 五稜郭では、榎本武揚西郷頼母が降伏前の最後の酒盛りをしている

  • ふたりの会話の中で、頼母は「松平容保公の代わりに首を打たれるのは、それがしの役目だった」と言うのだが、この主君の呼びあらわし方に、頼母の容保への微妙な心的距離を感じた

  • たとえ他の藩士の前であっても「(わが)殿」と言うのが一般的であり、おそらくは、家臣が主の名前を直接呼ぶということはあり得なかっただろうから、「容保様」という言い方は実際にはしなかったろう

  • このドラマの中では「容保様」と言ってしまうという設定なのかもしれないが、それであっても、「松平容保公」という言い方は、自分の主君に対する表現としてはよそよそしすぎて、まるで他藩の藩主の話をしているようだ

  • 榎本の目を潤ませての「敗軍のわれらは、これから泥水をすすって生きることになろう……さあ、敵陣に降るか」という台詞はよかったなあ

  • 榎本が体現しているのは、旧幕であり会津であり、新政府に対する最後の最後までの抵抗であり、それがついに潰れてしまうという悔しさに、観ていて胸が詰まった

  • 砂埃にまみれてぼろぼろになってしまった榎本の軍服、頼母の着物、そして、ふたりのいる部屋には、綱にかかった幕がだらしなく垂れ下がっていたりところどころ穴が開いていたり、とにかくぎりぎりのところまで戦っていた、ということがこの場面から読み取れる

  • 米沢では、八重とみねが千代の許へ訪れる

  • 千代は、八重に鉄砲を教えてくれと頼み込み、その理由として、「今度戦が始まったら、わたすも八重さんのように鉄砲を撃って、ひとりでも多ぐの敵を斃す」(

  • 千代が息子の長次郎を鍛えているのは、強い武士にして薩長へ恨みを晴らすため

  • そこへ田村屋主人がやってきて、その千代を蔑み、ついで八重たちを嘲り、あろうことか会津そのものを愚弄するのだが、激昂した八重に殺されそうになる

  • 千代は、自らの生き方(生き残るために、商人の囲い者となること)を「恥ずかしい」と八重に打ち明けるが、これこそが、榎本の言った「泥水をすすって生きる」ということなんだろう

  • 東京における会津藩の謹慎所で、大蔵・広沢を連れた平馬が若い藩士たちにお家再興が許れたことを告げる

  • ただし、再興の場所は、28万石の会津ではなく、3万石の陸奥国下北、ということで、藩士らは怒り狂う

  • 新しい藩名は「斗南(となみ)

  • 大蔵が、「斗南」の「斗」は「たたかう」ということで、「いつかわれらは会津を奪い返す」とみなを鼓舞する

  • 大蔵の構想としては、下北で交易を始め、国力をつけ、それから反撃ののろしを上げる、とのこと(

  • そして平馬から、大蔵が大参事(Wikipedia によれば現在の副知事)に就任することをみなに伝えるのだが、これは大蔵自身も知らなかったことのようだ

  • 平馬は、主戦派であり、頼母を追放したこともあり、しかもその責をきちんと負っていないということを悔い、一線から退くと大蔵に告げる

  • このときの会話で、健次郎が平馬の助けを借りて謹慎所から抜け出し、長州藩士の書生となったということがわかる

  • 大蔵は、平馬が健次郎を助けてくれたことを泣きながら感謝するのだが、その涙によって、籠城中に健次郎に切腹を命じたことが本心でなかったということがわかる

  • また、回想シーンにおいて、健次郎の母の秋吉久美子が、ひとり抜けることを躊躇う健次郎に「行きっせ、みなさまのためにも行きなはんしょ」と言うのだが、このシーンは、かつて健次郎が登城する際(第25回)において「天下(あまがした) とどろく名をば 上げずとも 遅れなとりそ もののふの道」という歌を詠んだシーンと対(つい)になっているはずで、つまりあのとき「なんとか生きて帰ってきなんしょ」と言わなかった母の本心がここでやっと明らかになっている

  • ほんにまあ、このドラマは観れば観るほどよくできております

  • 平馬が「健次郎は逸材、会津の宝だ」と言い、それを聞いてますます涙を流して感謝する大蔵

  • そして、内藤宅の八重のところに、大蔵がやってきて、斗南藩新設のことを報せる

  • 会津再興がかなったということで、みなで、「こづゆ」を食べる

  • この、間違っても豪華な食事というわけでもない「こづゆ」を、みなが涙を流し懐かしみながら食べるというシーンが、地味だけど、いいんだなあ

  • ただ、このドラマにしては珍しく、「こづゆ」に関する伏線がなかったような気がする

  • そして、大蔵は斗南に向かうのだが、八重を誘う

  • しかし八重はそれを断る

  • 八重は、弟や父、その他死んだ者たちの無念を晴らしたいと思っているのだが、その思いにとらわれたばかりでは前に進めない、今はその思いから解放されていたい、という意図のよう

  • そして、八重が歩みだして行く方向の先には、ドラマ冒頭でのジョーの祈りもあるのだろう

  • さて、ここまで印をいくつかつけてきたが、これらはすべて会津戦争のことが心の中で決着がついていなかったり、あるいは、いつかは復讐を果たすと心に誓っている人たちの心である

  • 朝ドラ『カーネーション』『おひさま』『梅ちゃん先生』などでは、戦争が終わった翌日から、「さあ、今日から新しい生活が始まるね」みたいなノリが描かれていたが、私は絶対にそんなことはなかっただろうとこれまでこのブログで主張してきた

  • 太平洋戦争敗戦時とはまた状況が違うのだろうが、会津戦争が終わっても、会津の人々、つまり敗れた者たちの心には、まだ戦のことや復讐のことが厳然と存在し、半年が経とうとも、まだそれにとらわれつづけている人も決して少なくないということをこのドラマはきちんと描いており、その丁寧さに心底感心した

  • あるとき・ことを境に、人間の心がON/OFF のように簡単に切り替わってしまうような雑な描き方をしていない、ということである

  • しかし、視聴率的にはそれは茨の道でもある

  • このドラマのように、人間の心が時間をかけて徐々に柔らかくなっていくさまを描いていくというのは、「はよ結果おせえて!」というタイプにはなかなか受け入れられ難いんだよなあ

  • 八重が斗南には来ないというのを聞いて残念に思うも、納得する大蔵

  • 大蔵は、八重の許に訪れてから、ほとんど八重に正対していない

  • 顔は八重を向いていても、身体が違うところを向いていたり、身体が八重の方を向いていても、顔はそっぽを向いていたり

  • それが、八重が「こづゆ」の話を持ち出したときに、やっとこさ顔も身体も八重の方を向き、八重の「もうしばらくこうして(=平和に)生ぎていっては、なんねえべか?」の台詞をしっかりと聞いてから何度も頷き、彼女の肩に手をかける

  • 八重が斗南に行かないことを謝ると、大蔵はその横顔をまた悲しい様子で見つめるんだよなあ

  • 声を大にして言いたいんだけど、このほのかであえかな大蔵の恋心は、驚くべきことに、このドラマの中で一度たりとも言語化されていないんだよ!

  • 絶対に叶うことのない大蔵の恋は、すべて玉鉄の視線によって表現されてきたんだ!

  • いよいよ会津勢の生き残りは斗南に移動

  • 一方、京都では、時栄に肩を借りる覚馬が映されるのだが、同じ画面の前景にはなんとも艶かしい椿の花が……というところで今回はおしまい

  • しかしまあ、公式サイトの登場人物紹介でなんと故人の多いことよ



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さて、いよいよです。




  • 新政府軍の総攻撃開始2日目から今回のドラマは始まる

  • 八重の父、権八は、城下への食料調達の決死隊に加わることになるが、この導入部分に、前日の「タイムスクープハンター」を観ている視聴者は、(不謹慎だが)思わずにやり

  • そこへ、オープニング前からいきなりの訃報ですよ(登勢)

  • 容保ほか、家老を中心に重立った者たちがほぼ全員が出席している軍議において、平馬が米沢藩より来た恭順を促す手紙を読み上げる

  • 大蔵が、冬まで持ちこたえれば戦局が変わると発言するのだが、その会議の場さえ、敵の砲撃によって危うくなるほどの状況に、出席者のほとんど、そしておそらく大蔵までもが、もはや冬まで持ちこたえられない、ということを知っていたはずだろう

  • 唇を噛み締める大蔵

  • 会議が終わり、その大蔵がひとりで城内の廊下を歩いているところへ、登勢の訃報を報せに八重が駆け寄る

  • このときの大蔵の表情に、思わず「うわっ」と声を出してしまった

  • 目が血走っていて、「お登勢様が」との八重の言葉に、より大きく見開いたその様子はまさに鬼の形相

  • 八重とともに大蔵が登勢のところへ駆けつけると、二葉が「ご立派な最期でした」と言い、二葉の母(秋吉久美子)が口を押さえ、父の兵衛(山本圭)が、「登勢の仇を!」と憤然と外へ出ようとするのだが、みながみな、登勢とは血が繋がってはおらず、それを思うと、余計に泣けてくる

  • 思い出されるのは、登勢が嫁いだばかりの頃、特に秋吉久美子が、大蔵のいない山川家に彼女が早く馴染めるよう気遣いをするやりとりがあった

  • その登勢が、大蔵がずっと留守にしていたあいだも、山川家の人間に本当の血の繋がった家族のように扱われていた、という描写なんだろうなあ

  • そこへ、健次郎もやってきて口にするのが「姉上!」で、実際には「義姉上!」なんだろうけれど、これもやっぱり実の家族のように慕われていた、ってことなんだろうなあ(じゃあ、登勢がいびられていたら、健次郎も「義姉上」と呼ばなかったのかというと、そういうわけではないのだろうけれど)

  • しかしその健次郎は、城外への出撃に失敗し敗走してきたところで、それを大蔵に詰問されたときの表情は、上官に対して返答を間違えれば殺されるかもしれないと怯える部下のそれであって、勝地涼はいい役者だと思った

  • 大蔵は、その健次郎の顔を躊躇することなくいきなり張り、倒れた彼の胸ぐらをつかみ、なぜ討死しなかった、なじょして帰ってきた、女でさえ命を落としているのに、と声を枯らして怒鳴りつけ、屋内から外へと引きずって行き、いまここで腹を切れと命じつける

  • これまで実に屈託のない笑顔をわれわれに見せつづけてきたあの大蔵が、実の弟に対し、生きて帰ってきたことを喜ばずに反対に切腹を命ずるというこの行動が、まさに戦争の狂気というものをあらわしている

  • ベトナム戦争を扱ったティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』の中で、たしかある兵士が、ふだんは実に気のいい優しい人間なのに、行軍の最中かなにかで見つけた家畜の牛を理由もなく射殺するシーンがあって、そこがものすごく印象に残っているのだが、それに匹敵するくらいに、この大蔵の場面は印象的

  • 大蔵が怒っている対象は、新政府軍による理不尽な会津への総攻撃であり、登勢の落命であり、つまるところそれをどうすることもできない己への歯痒さに集約されるのだが、そのやり場のない憤怒が一番近しいものへと向けられてしまうというのは、この籠城戦が城内の人間に及ぼしたものは結束だとか忍耐だとかいうきれいごとでだけでは決してなかった、ということを示唆する本当に重要なシーンだと思う

  • 怯える健次郎の前にすわり、「なにをしている(早く腹を切れ)」と言い放つ大蔵の峻烈な表情はやはり鬼神が取り憑いたようで、それを見た健次郎は決然と刀を抜き、そこへ叫びながら母と姉の二葉が飛びかかり、砲撃の衝撃で倒れた兵衛も、遠くから大声で怒鳴って健次郎を制止しようとするこのシーンが描くのは、絶望そのもの

  • それを遠くから、容保が涙を呑み込んで見ており、そこで重大な決意をしたのだと思われる

  • 夜遅くになっても、砲撃は止まない

  • 城壁(?)のうちより外を伺う八重と尚之助だが、尚之助がしゃべっていると、どうにも浮世離れしているというか、戦争の真っ最中にある人間の言葉ではないように聞える

  • でも、それが尚之助の人間らしさというか、まさに文字通りの「人間らしさ」を失わない彼の性格をあらわしているのだろうと思う

  • 会津は強い、と尚之助が言い、「そんなら尚之助様もすっかりお国(会津)の人だ」と八重が言うと、「んだなし」と笑ってこたえる尚之助

  • 直前の大蔵での場面に心を痛めた視聴者が、ほんの少しだけ安らげたのではないか

  • 秋月、密命により単身で城外へと抜け、八重がそれを掩護

  • 庄内にある薩摩藩陣所では、西郷の近くで薩摩藩兵たちが会津を田舎侍と罵るが、「われら(= you)も田舎侍じゃっど」とたしなめる

  • 西郷が実際にそういう心づもりであったかどうかは別として、おそらく当時の戦いの最中にこの「内戦」の後まで見据えていた人間は、会津にはもちろん、新政府軍にも相当少なかったのではないかと思われる

  • 総攻撃開始から4日目にして、容保は降伏を照姫に告げ、照姫は「ご立派なご決断と存じ上げまする」と言う

  • この場面で、照姫は、子どもたちの凧揚げに言及しそれを誇らしく思ったと発言するのだが、やはりあの逸話が象徴するところは、製作者側が強く訴えたいところなのだな、とタイムスクープハンターを見た私は思った

  • 稲森いずみは形容のしがたいほど泣くシーンが上手で、少し触れただけで砕け散ってしまいそうなほど可憐でもあるのだが、しかし、やはり決して倒れない確固としたものを持った女性を好演している

  • そんな中、城内で時尾が斎藤一と再会、「ありがとなし、会津のために戦ってくれて」という時尾の台詞にぐっとくる

  • 考えてみれば、斎藤ら新撰組の生き残りは、無関係(といっては言い過ぎか)な会津のために命を落とす危険を顧みずに籠城しているんだもんなあ

  • 鶴ヶ城を出た秋月は土佐藩陣所に辿り着くのだが、土佐藩兵にリンチを受ける

  • そしてついに、食料調達隊の権八が敵に撃たれてしまう

  • ふたたび土佐藩陣所に戻り、秋月と板垣が出会う

  • 繰り返して観て気づくことなのだが、このドラマは、実にいろいろなシーンをうまく継ぎ合わせて見せているなあと感心する

  • ここでは、秋月が投降の意を伝えに土佐藩陣所に行ったことと、権八の戦死が交互に映されていく

  • この『八重の桜』に限ったことではないのかもしれないけれど、物語が単調に感じられないように、また、いろいろな人間たちの立場がわかるように、種々の場面からの描写がうまく繋がれているので、おそらくそれが物語全体の複層性、複雑さ、豊かさを生み出しているのだと思うのだが、そういう製作者の苦労ひとつも見破れないで、「視聴率」の一言で片付けてしまうメディアの取り上げ方を思うと、まあなんというか、クソだなの一言しか思い浮かばない

  • 担架にて八重たちの前に担ぎ込まれた権八は、唇を真っ白にして、最期の言葉、「八重、にしゃわしの誇りだ」を吐き、最後の最後にやっと八重のことを、覚馬や三郎の代わりとしてではなく八重本人として、正面から認める

  • 総攻撃開始から7日目にして、鶴ヶ城の前に白旗を掲げた秋月が走ってきて、開門を促す

  • このシーン、演出の指示があったのかもしれないけれど、北村有起哉が、疲労そして私刑によるダメージを表現するために左右によろめきながら駆けてくるのだが、この「舞台」を大きく使う表現方法は、やはり北村が舞台出身の役者だからなのかなあ、と勝手に想像したりして

  • 城への砲撃はやっと止み、照姫は城内に生き残った女たちに降伏内容を伝える

  • 15歳未満、60歳以上の男、そして女たちは「お構いなし」で、それ以外の藩士は猪苗代へ移動を命じられ、謹慎の沙汰だという

  • 一方、その藩士たちは容保の許に集まり、最後の「お殿様」の言葉を聴く

  • 容保はずっとかぶりつづけていたあの烏帽子(?)を脱ぎ、会津藩士全員の勲(いさおし)を讃え、その誇らしい会津を滅ぼさねばならなかった自らの不明を詫び、頭を下げ、「生きよ」と最後の君命を告げる

  • 容保の意向は、自らの命を以て会津を救うということだった

  • そこでだ、八重が「恐れながら、お殿様はまつがっておいでです!」と言ったところで、私がこの場にいて腰に大小を下げていたら、有無をいわさず抜刀しただろうな、と思った

  • だけんじょ、八重が継いだその言葉は、その場にいた者たちだけでなく、視聴者のほぼ全員が思っていたことで、すなわち、「なにがあっても、お殿様には、生きていただかねばなりませぬ!」

  • それは封建制度にどっぷりと浸かったただの感情論だけではなかった

  • 会津の汚名を晴らすには会津藩松平容保でなければできないことだという八重の主張は至極もっともで、八重の周りにいた者たちだけでなく、視聴者の多くも心中で嗚咽しながら、そうだそうだと同意したことだろう

  • 一方、女性グループたちに場面は変わり、二葉は大きな白い布を前にして筆を持つも、なにやら書きあぐねている様子

  • そこへ、われらが照姫様が無言で代役を申し出、そうして大書されたのは「降參」の二文字

  • 遅刻出陣以来、ずっと城に戻らず転戦をつづけていた官兵衛も、外でその降伏の報を聞く

  • 容保は正装し、涙を流して平伏する藩士たちの前を通り抜け、城の前で降伏式に参加

  • 前回にも書いたが、この降伏式のシーン、中村半次郎が泣いたそうなのでぜひとも詳細を見たかったのだが、なにせ今回はフルボリュームの回なので、簡単に映してあとはナレーションで省略したという印象、もったいない!

  • これも、もし『八重の桜』の視聴率がよかったら、今回が15分拡大版になっていたのかもしれないと思うと、涙を禁じ得ないよ

  • 番組最後の「八重の桜 紀行」でも紹介されていたが、八重は城壁に歌を刻む、いわく「あすの夜は 何国の誰か ながむらむ なれし御城(みしろ)に 残す月かげ

  • ここで、母の佐久(風吹ジュン)は、八重の意図(三郎の名を騙り、猪苗代に同行すること)をわかっており、別れを惜しむ

  • 城を明け渡すとき、会津の女たちは城内をきれいに掃除する

  • 板垣を筆頭とする新政府軍は、城内にブーツのままに入城するが、きれいに磨き上げられた廊下の床に気づいた板垣は、後ろを振り返り、自分たちがつけた足痕を見て、言葉を失う

  • このシーン、板垣を好演しつづけている加藤雅也の唖然とした表情がよかった

  • しかも、ナレーションもなにも言わず、このシーンがいったいなにを表現しようとしているのかをいっさい説明しなかったのが非常によい!

  • 生き残った会津藩士たちは、一室に集められ、そのほとんどが羽織を脱いでいた

  • 官兵衛もこの一同に加わり、その目つきが気に食わぬと土佐藩士(?)が因縁をつけるのだが、いやしかし、NHK の演出チームは、本当に薩長土の藩士たちを陰湿・陰険・小者的に描きますなあ(クレームつかないのかしら?)

  • そこへ、まるで別室から漏れてきたというような奇妙な音声レベルの会津の民謡(?)が聞えてきて、やがてその歌声は室内に広がり、みんなが手を打ち、唄い、踊るのだが、でも何度聴いても最初の歌の聞え方がおかしい

  • この歌、八重と尚之助の祝言の日にかかったものだったのか……

  • で、いざ出発という段になって、尚之助が八重の手をつかまえ、「女がここにいる!」と告発

  • 尚之助の意図はおそらく「八重を、生死がどうなるかもわからぬ猪苗代に連れていってはならない」ということなんだろうが、真意はおそらく次回以降に持ち越し

  • ひとり取り残された八重は、誰もいなくなった城内に愕然とし、落涙する

  • 今回冒頭で大蔵が「冬が来れば!」と言っていたが、会津にやってくる冬は、会津の人たちは誰も経験できなかった、ということなんだなあ

  • 次回予告でも、人が何人か死にそうで、艱難辛苦はまんだまだ終わらねえようでがす

  • 「八重の桜 紀行」にあった逸話がものすごい

  • 降伏式での悔しさを忘れぬようにと、式で用いられた緋毛氈の一部を小さく切り取り、「泣血氈(きゅうけつせん)」とし、持ち帰ったという



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今回のタイムスクープハンター大河ドラマ『八重の桜』とのコラボ、ということで私も期待して鑑賞。この番組、過去に2回ぐらい観て、そのどちらも面白かったのだが、なんとなく観る機会を得ないまま、今日までやってきた。

なので、毎回観ている人なら、「ああ、いつものやつね」というところにヘンに引っかかったりすることもあるかもしれない。




  • まず、タイムスクープハンターは、いつものごとく要潤演じる沢嶋雄一

  • この沢嶋、未来人という設定(?)なので奇抜な恰好をしているのだが、要潤だから全然ヘンに見えない

  • で、彼が慶應4年8月28日の会津にやってきた、というところから始まるが、これは旧暦であって、グレゴリオ暦に直すと、1868年10月13日

  • われらが鶴ヶ城内では、会津の(おそらく)武家の娘たちが血だらけの負傷兵たちを看護している

  • このシーンで面白かったのは、この娘たちが実に色も柄も様々な着物を着ていたということで、それを襷掛けしているのだが、その袖などのはだけ具合がリアルで興味深く感じられた

  • で、『八重』の前回の「自慢の娘」を慌てて確認してみると、こちらの女性陣の着物は、たしかに人それぞれによって色・柄は別々なのだが、全体として、ある種の統一性が感じられるようになっていた

  • また、『八重』でも襷掛けはしているのだが、みながみな、まるで誰かが後ろからきちんと時間をかけてしっかりと結んだようになっていて、袖のたるみなどもほとんどない

  • つまり、全体的にきれいすぎるのだ

  • 翻って『TSH(タイムスクープハンター)』の方では、いかにも着物が邪魔そう、といったところがリアルに感じられるのだが、もしかしたら振袖を着ている人間が多い、という設定上の差異かもしれない

  • 『TSH』は、(おそらく)基本的に時代考証に基いており、リアリティに徹しているため、登場する人物たちの風俗がものすごくためになる

  • マスカラがばっちり決まったアイドルもいなければ、ファンデーションを塗りたくった女優さんもいなく、私としては安心して、しかも興味津々で観ていられる

  • また、今やいろいろな番組で用いられ、そのほとんどを邪魔にしか感じられないテロップ(字幕)だが、この番組においては、非常に役に立つ

  • というのも、ここでしゃべられる言葉はほぼ現地語であり、また、ほぼ「当時」の言葉遣い(とされているもの)だからだ

  • ところへ、新たに負傷兵が運ばれ、その受け渡しをやっている最中に新政府軍の攻撃が始まり、沢島も爆風から身を躱しながらのリポート

  • で、砲撃とともに女性たちが「焼玉押さえ」を実践しようとするのだが、この場面で、「ああ、当時の砲撃ってこういう感じだったのか」とやっと得心がいった

  • 『八重』の撮影の仕方だと、どうしても砲弾が地面に着地するか否かという段階で炸裂するという印象を持っていた

  • だから、八重が一度焼玉押さえを実行したときも、偶然成功したんだね、というふうにしか感じられなかった

  • 『TSH』の方では、砲弾が飛んできて地面をころころと転がり、そこへふとんを抱えた女性の決死隊が押さえにかかって、そして水桶で水をひっかけていて、これが実際の「焼玉押さえ」の状況だったのだろう

  • 八重が説明していたとおり、信管部分を濡らしてさえしまえば、砲弾の内部にある火薬に引火させないようにできる、というのがこの「焼玉押さえ」の肝要なのだろうが、まあ危険なことに変わりはない

  • あと、この番組の常連なら当たり前なんだろうけれど、手撮りのドキュメンタリー風な撮影が臨場感を湧き立てていて、よろしいなあ

  • ここで、新政府軍の大砲はアームストロング砲と紹介される

  • 女性たちは、まったくのすっぴんというわけでなく、ほんのりと白粉を塗っているみたい

  • 死傷者が外に搬送されていくのだが、遺骸にかけられた白い布が血だらけになっていたのが怖いほどリアル

  • 負傷兵たちがじゅうぶんな恢復を望めないのは食料が足りないせいもある、とのことで、紗重と美芳という女子(おなご)が城下を食料調達を決意

  • さっそくその旨を近くにいた藩士に伝え、鉄砲を貸してくれと頼むが、そこへ大砲が撃ち込まれ、その藩士が消火しようとするが失敗して爆死

  • その死体がモザイクをかけられて映されているのが、リアリティを増幅させている

  • 紗重と美芳のふたりは男ものの着物に着替え、そこに千鶴、多喜、恵津子という女子も調達に参加

  • 彼女たちは鉄砲の扱いを心得ていたという設定なのだが、実際にそういう女性は、八重以外にもいたらしい

  • さあ行くぞ、というところで、杏ちゃん演じる古橋というタイムスクープ社の社員とやりとりがあって、ここでの沢嶋の「大きな歴史のもとに生きた名もなき人々の記録」という台詞が引っかかった

  • この番組の主旨はわかっていると思うし、そして沢嶋の言いたいことも理解しているだろう上であえて書くが、この紗重たち5人に限らず、私もあなたも、そしてほとんどの人間が「名もなき人々」なのだ

  • だからといって私たちはこの日常を「名もなき人々」のひとりとして自覚し生きているのだろうか、と自問すると、ほとんどが「No」と自答するのではなかろうか

  • 時間や距離、そして、文化、人種、言語などが異なれば、簡単に他者を「名もなき人々」というカテゴリーで括ってしまいそうになるけれども、沢嶋がもし本当に、この5人(のちにひとり加わる)の女性たちがたしかにこの時代に生きていたんだ、ということを記録したいのであれば、「名もなき人々」なんていう言葉を軽々に用いるべきじゃないよね

  • だから私はあえて(フィクションだということは重々承知で)紗重、美芳、千鶴、多喜、恵津子の名を上に記した

  • そういえば、杏ちゃんは次回の朝ドラの主人公に決まっていて、たのしみであります

  • さて、食料調達のために夜間からの出立となったが、赤外線モードというか、緊迫感あふれる撮影に、これまたドキドキ

  • 彼女たちが手にしているのは、おそらく龕灯(がんどう)

  • 旧幕軍と新政府軍との交戦地に足を踏み入れると、激しい砲撃の音があり、この映像が湾岸戦争の映像を想起させた

  • やっとのことで城下に家屋に入り、芋などをゲット、どうやって持って帰るのかなあと思っていたら、風呂敷で包んで肩から掛けていて、「あ、なるほどねえ」と思った

  • それにしても、この野菜を見つけるシーンなど、彼女たちが喜ぶところが、なんだか本当のドキュメンタリーを観ているような気分になってきて、こちらまで嬉しくなってしまう

  • おそらくこの感情移入のしやすさは、先に指摘した演出方法によるものだと思うのだが、その他に、正しい時代考証に裏打ちされた衣装・風俗を身につけた演者たちの、必ずしも器用とはいえない演技のせいのようにも思う

  • そして、ついに新政府軍に見つかった彼女たちも、銃撃戦を始める

  • この応酬が、撃っては隠れ撃っては隠れ、を繰り返すもので、『八重』よりリアルに感じられた(ただし、『八重』のそれは軍隊としての銃撃戦だからおのずから性格が異なる)

  • ここで、美芳の姉が生きているかもしれないという情報を美芳の幼馴染、正之助から得、みなで救出するために家に帰ると、姉の志乃は生きているのだが……

  • で、出たー! 眉なしお歯黒のリアル既婚者描写!

  • いやいやいや、こういう実際の風俗描写というのがワタクシにはなによりのご馳走でして

  • たしかに綾瀬はるか長谷川京子市川実日子白羽ゆり芦名星、の人たちがみんなお歯黒眉なし(引眉と言うみたい)だと、映像的にちょっと困るところがあるかもしれないが、しかしやったらやったで面白いと思うんだけどなあ

  • しかし、握り飯をみんなで食べているところなんか見ていると、配役された女優たちが、演出上化粧をしていないせいかかなり幼く見え、それがこの当時の本当の状況をリアルに再現しているようで、ものすごくいい

  • そこへ敵兵があらわれ、その敵兵を後から駆けつけた正之助が射殺

  • そうしたら、その正之助もすぐに射殺され、紗重たちは新政府軍に囲まれ、絶体絶命のピンチ

  • そのピンチの中、紗重が、敵軍の足元に不発弾として落ちている四斤山砲弾*1を見つけ、それを射撃すればうまく爆発を誘導できると提案し、実行、成功する

  • ここではじめて、「八重」の名前が登場(詳細は、『八重』「自慢の娘」の回にあったとおり)

  • 沢嶋の紹介の仕方は、「彼女たちは、武器に詳しい八重という名前の女性に教わっていた」という非常にあっさりとしたもので、思わずニヤリとした視聴者は多かったんでねえの?

  • うーむ、コラボっていってもここでちょっと言及しただけ*2っていうのが、なんとも奥ゆかしくて、私は好きだなあ

  • 戦いを終え、正之助の遺体に布を掛け、彼女たちは食料を抱えて城に戻る

  • と同時に杏ちゃんから連絡が入り、「もう新政府軍の攻撃が始まる」という

  • 沢嶋が彼女たちに別れを告げようとすると、女子のひとりが鶴ヶ城から揚がる凧を見つける(実話らしい)

  • 凧を揚げることによって、新政府軍を驚かし、まだまだ会津は健在なりと示したようで、それを見た彼女たちも「会津はまだ戦える」とうなづき合う

  • いやあ、不思議なことにこの場面が泣けたなあ

  • 「未来」を知っている者、「結末」を知っている者の目からすれば、まだ戦えるわけなんてないんだけど、けれども、当時は実際にそう思った人は少なくなかったのではないかなあ

  • 『八重』では、ユキも城外から凧揚げを見て、脳天気なくらいに「会津はまだ大丈夫だ」って言っていたけれど、あの心境も今となっては理解できる

  • で、ちょっと脱線するけれど、ユキを演じる剛力彩芽の役どころっていうのは、ただもうとにかく明るければいいということなんじゃなかろうか

  • 物語はじめは少し抜けているくらいに明るい八重だったが、その彼女も段々と戦火に身も心も侵されて行って、明るくいられなくなってしまった

  • それに代わって物語を少しでも明るくさせる存在、というのがユキ(=剛力彩芽)に与えられた使命だと思う

  • だから彼女は、空気が読めないくらいに、無神経なまでに明るく前向きでいればいいのかな、と考えることにし、剛力への評価はかなり上がった(というか、上げることにした)

  • そうなると、官兵衛演じる獅童の演技も、私は器用じゃないなあと思ったが、官兵衛という人物がまさにその不器用さがウリなわけであって、アップにしたら思わず渡辺哲に見えた獅童が、会津・容保を守れなかったことを涙ながらに「情けねえ」と言った瞬間は、たしかに佐川官兵衛という人の愚直さを見事にあらわしていたのではないか、と思うことにした

  • そうして、やがて大敗することになる城に戻る彼女たちの背を映しつづけるところで、沢嶋の撮影は終了

  • けれども、この6人がみな無事で行き抜いたということが字幕で書かれ、フィクションながらもほっと胸をなでおろした

  • いやあ、地味な番組だとは思うが、よくできていて、しかもそれが『八重』の方とストーリー上で交錯しているものだから、よけいに面白く感じられた

  • こういう面白い番組を地道につづけていってほしいものです

明日こそ、『八重の桜』を観るぞ!




*1:前回の『八重』の「八重の桜 紀行」で説明があった。


*2:もちろん、鶴ヶ城開城というタイムリーな話題には違いないんだけど。



編集

  • 大蔵が本丸の軍事総督に任命されるところから始まる

  • 大蔵は、洋式の軍事調練も学んできたはずだし、日光口の戦いでも善戦、彼岸獅子で包囲突破、そしてなにより着ている服がかっこいいもんね

  • 大蔵は頼母の不在に気づき、藩内の恭順派への弾圧モードを感づかされる

  • 秋月悌次郎は藩内の穏健派だったのかな(もともと頼母と仲よかったし)、八重に頼母が城を逐われたことを報せる

  • 八重、秋月とともに息子を連れた頼母に追いつく

  • 八重が「お逃げになんのがし?」と問うたとき、頼母はすぐには応じなかった

  • ついで、「なじょしてお殿様は頼母様を追い出すんだし」と問うたときに、頼母は「出すぎたことを申すな!」と叱った

  • これは、頼母がまだ容保を主として仰いでいるということをあらわすものであり、容保の意向を推し量ろうとするな、それだけで不敬であるぞ、と戒めたわけだ

  • 私ははっきりと憶えているが、頼母はかつて覚馬にも同様のことを発言していて、それは、覚馬が洋学所かなにかについて容保に建白書かなにかを提出するとかなんとか言っていて(全然はっきりと憶えてねえ!)、そのことについて「出すぎたことを!」と叱責していた

  • 容保を疑う、ということは会津全体を疑うことであり、ひいては、会津に属していてそこから逃れることなど考えもつかない会津藩士およびその家族のアイデンティティーを疑う行為である

  • だから、本来なら不敬とかうんぬんの前に八重の発言は「ありえない」というのが私の感想なのだが、ここはまあ、ドラマとして、八重の心情に重きを置いた脚本となったのだろう

  • 頼母が去り、秋月から頼母が逐われた事情を聞く八重

  • その八重が、恭順策について反射的に「そんな弱腰な!」と否定するところがリアルで面白い

  • で、秋月が「恭順を唱えることの方が、今はむしろ勇気が要んだ」

  • 頼母は会津を出るのだが、「その後、函館戦争に身を投じる」というナレーションがあって、土方とか榎本、そして松平定敬らと一緒になるのだなあ、と感慨を覚える

  • 八重たち女性陣が握り飯を作っているところに竹子たちが戻って来たとの報、喜んで照姫の許へ行くのだが……

  • この前半の場面で、視聴者は知っていても八重が知らないこと(頼母の恭順策主張、頼母の妻子らの自害、竹子の死亡)が、つぎつぎと八重に知らされる

  • 竹子の母が、八重に竹子の最後の言葉を伝えるとき、それを聞く八重の画面向こう側で登勢(大蔵の妻)がいわゆる「ボケ」の状態できれいに涙を落としているのだが、ピントの合っている八重は呆然としつつも落涙しておらず、それはその直後の「戦だがら、立ち止まっではいらんねえ」の台詞にもあらわれている

  • そこへ、砲声

  • 落ちてくるときにヒューッという高音がして、まるで鏑矢のようだ、と書こうと思って、「あれ、鏑矢って高音だと思っていたけど、本当のところはどうなんだろう?」と思い、YouTube を当たると、「上賀茂神社 武射神事 2012」というのが見つかり、その音を聴くと、思いもしないような音で、無理やり表記するのであれば、「ポゥーッ」

  • であるからして、「鏑矢のよう」というのは間違いね

  • 話を戻すと、ヒューッという高音からして今までの大砲と違う、と八重は判断、尚之助も上野戦争で用いられたアームストロング砲だろうと言う

  • アームストロング砲! 実は『日本近代史』にアームストロングについて少し触れた記述があって、そこをちょうど読んだところだったので、奇妙な符合を感じた

  • 1871年(明4)、欧米に派遣された岩倉使節団のうち、副使のひとり大久保利通が、イギリスの工場を視察し、その様子を日本にいる西郷隆盛および吉井友実に手紙にて伝えた

  • 孫引きになるが以下に引用する



「回覧中〔八月ニ九日~一〇月九日〕は段々珍しき見物いたし候。首府ごとに製作場ならざるはなく、そのうち、なかでも盛大なるはリバプール造船所、マンチェスター木綿器械場、グラスゴー製鉄所、グリノック白糖器械、エヂンボロ紙漉器械所、ニューカッスル製鉄所(これはアームストロング氏の建つる所、アームストロング小銃大砲発明の人にして今に存在、同人の案内を以て見るを得)、(以下略)」



坂野潤治『日本近代史』 114p)






  • 薩摩の大久保にとってみれば、「ほら西郷さぁ、あの強か大砲ば作った人ったい」という気持ちだったろう

  • 一方、その最新兵器の威力をまざまざと味わわされている八重たちは、射撃距離を増やすために火薬量を増やして迎撃するが、それがために砲兵たちの位置を悟られた、ということで八重はその場を離れさせられる

  • その際、父の権八は八重に「(幼年兵を率いた八重の指揮について)山本家の名に恥じぬ働きであったと聞く。よくやった」と、淡々と伝えるが、彼は八重の着ている服が三郎のものだと気づいていたのだろうか、などということを考え、そしてこの時点では、三郎のみならず覚馬の生死も定かではないために、「山本家」という言葉が、権八の口調があっさりと聞こえれば聞こえるほど、重く感じられた

  • お殿様の目の前で、八重が咄嗟の機転を利かせて焼玉押さえを実践する

  • そして八重は、女性陣、そして幼年兵を集めて焼玉押さえの講義をし、みなで実施しようというのだが、この話、『八重の桜』が始まってすぐぐらいに、たしかNHK の番宣で少し触れていたことがあった

  • そのときに見た以上に今はリアリティをもって、彼女たちの心境を思い量ってしまうのだが、なんとも辛いものがある

  • 八重はお殿様にも呼ばれ、砲弾の講義を行う

  • そして八重は、幼い頃に容保に救われた話をして、これまた長い長い伏線を回収

  • 八重が容保に進言したことから、城内では、敵の銃弾を拾い集め、それを鋳直して銃弾を作ることになる

  • 二葉、登勢らと談笑しながら銃弾を作る八重を、遠くから眺める権八

  • このカットが面白く、木製の階段と地表とにできた三角形の隙間から権八が覗き見ている感じでもある

  • そして、今度は違う角度からの権八のアップに移るのだが、撮影方法による空間の広さの演出もあるけれど、実際にこのシーンは広く感じるよなあ

  • 八重が鉄砲を学んだことは間違いでなかったかもしれない、と述懐する権八には、「死亡フラグ」という名の死相が見えた

  • 権八の「闇の中でも小さな穴がひとつ開けば、光がひと筋差し込んでくる」という台詞に、子どもの頃の八重が角場*1で鉄砲で射抜かれた的を掲げて月の光を覗いていたシーンが重ねられるのだが、この伏線もすごくないか?

  • 権八と母の遠くからの視線にやっと気づく八重だが、権八は頷くだけで、直接なにかを言うことはしない

  • これまで何度も話に上がっていた小田山からの新政府軍の砲撃はものすごく、そこを奪還しなければならん、ということが砂まみれの地図(リアル!)上で駒を動かしながら決定される

  • 出撃隊の指揮は官兵衛が執ることになる

  • 八重の後ろでは決死の覚悟を歌う兵士たちがいたが、ネット上で見たところ、戦死した出撃隊隊士の懐からは、「八月二十九日*2戦死」という文字と、自分の法号が書かれた紙片が見つかった、というエピソードがあった

  • 官兵衛、容保より刀と酒を賜り、感極まって泣くのだが……このときの獅童の演技についてはなにも言わないでおきます

  • このとき酒を飲み過ぎて官兵衛、早暁の奇襲を実施することができない……って、これってほんとかよ! と思ったけど、どうも本当にあったことらしい

  • 官兵衛の「いっけね、遅刻遅刻~、てへぺろ☆」はもうどうしようもないが、ただ、もし官兵衛が起きられてこの奇襲を一時的に成功させたといったって、おそらく、絶対的な兵力差・火力差を埋めることはできなかったのではないかと思う

  • それにしても、この長命寺の戦いっていうのも、ずいぶんと人が死んだようで、出撃隊を構成するそれぞれの隊の隊長クラスが大勢討ち死にしたようだ

  • 京都では、なんとかして大垣屋が岩倉具視に「管見」を渡すと、その岩倉、休養している覚馬の許へ訪れ、覚馬の見識を絶讃する

  • 城内の士気が下がっていないことを示すために鶴ヶ城内では凧揚げをし、その揚がった凧を、どこかの百姓家で匿ってもらっているユキたちが見る

  • 城内で凧揚げを見ている山川家で、おそらく初めて「咲」の名前が呼ばれたが、この咲を調べてみると、人の生というものは、ときに本当に奇妙なことになるのだな、と思った(詳しくは書かない)

  • そしてついに、鶴ヶ城総攻撃が始まり、2000発とも言われる砲弾が撃ち込まれ始め、女性陣は決死の焼玉押さえを始める

  • そして、八重たちの近くに落ちた砲弾を登勢が駆け寄って濡れ布団で押さえ込み、八重たちに向かって「大丈夫」というように頷いたところで爆発

  • このちょっと安心させてから「ドーン!」っていうのはジャパニーズホラー的な演出で、実際に(本当は登勢が焼玉押さえの失敗で死ぬということは知っていたのに)「おぉっ!」と驚いた

  • 度重なる砲撃のために崩れ落ちた天井から、砲弾を受けぼろぼろになっている鶴ヶ城が見えたところで、今回はおしまい

  • 次回予告で、秋月が走りながら白旗を振っているところを見ているだけで、もう目頭が……

  • まあ、次回がすぐやってくるので書いてしまうが、ちょっと前に中村半次郎(のちの桐野利秋)のことを調べていたときに、その中村が鶴ヶ城開城の際に受け取りの代表をしたということを知った

  • そのお城受け取りのとき、中村は「男泣きに泣いた」そうで、なんだかわかるなあ

  • 中村が泣いたという記述で、司馬遼太郎坂の上の雲』のクライマックスシーン、日本海海戦を思い出した

  • 実は私、かのNHK の3年越しのドラマを第3部だけ見逃しているままなので、ドラマではどう描かれたかわからないのだが、小説内では、日本海海戦東郷平八郎バルチック艦隊を破り、敵の旗艦が白旗を上げていても、まだ砲撃中止の合図を出さず、傍にいた者が泣きながら「長官、武士の情けです!」と叫んだというエピソードを思い出した

  • ……と思ったのだが、本当にそうかと思っていま調べてみると、だいぶ私の記憶と小説の記述は異なっていて、まず、東郷を止めようとしたのは主人公のひとり秋山真之であって、憤怒の表情であったようなのだが、東郷が撃ち方をやめないのもそれなりの理由があって、その部分についてはわりあい淡々と描写されていた

  • それなら勘違いだったか、となおパラパラとページを捲っていると以下の記述が目に止まった



(降伏した第3太平洋艦隊の司令長官ネボガトフらが、日本の連合艦隊の旗艦である三笠にやってくる場面で)

礼服姿のネボガトフ少将とその幕僚たちが三笠の舷側の舷梯をのぼってくるときの情景を、上甲板にいた砲術長の安保清種少佐が生涯わすれられぬ印象として記憶している。

「その悄然たる姿をみて、気の毒というか、涙のにじみ出るのを禁じえなかった。さても戦いとは勝つか死ぬか二つのほかはないと思った」



坂の上の雲(八)』(263p)






  • たぶん私はこの場面と秋山の発言をごっちゃにしていたらしいが、敗者に対する勝者の視線という意味では、幾許かの共通点はあろう

  • まあ、話は戻って、次回の鶴ヶ城の開城がどのように描かれるのかが非常にたのしみである

  • オープニングの終わりの部分、八重が花吹雪の中を駆け、そこからいろいろな人たちの姿が重ね映しされ、それにつれて暗雲が晴れ、広い野原、多くの子どもたちが桃色の傘を順に広げていくシーンがあって、あそこが音楽も含めてものすごく好きなんだけど、もう少しであのシーンが象徴する時代になるのだなあ、とそれを待ち焦がれております

  • なんてことを考えていて、たまたまたNHK による『八重の桜』の公式サイト*3を見ていたら、こんな動画があった

  • 私は、こんな動画を実際の放送で見たことがなかったが、もうこれを観ているだけで、胸が詰まる感じだし、そんな中でも「おいおい、いったい何人が死んだんだよ!」とも言いたくなったし、しかも、これからも八重たちの辛い日々はつづくのね、と多少げんなりし、そして最後に、おお、オダギリジョーってそういえばいたなあ、と思い出しましたよ

  • そして、きょう土曜日の23:40の『タイムスクープハンター』では、『八重の桜』とのコラボレーションということで、鶴ヶ城籠城戦の内部をスクープするという!

  • 「八重の桜」と「タイムスクープハンター」2つの番組が夢のコラボ! - 『八重の桜』公式サイト

  • というわけで、2日連続で「鶴ヶ城開城」のシーンが描かれるということで、興味のある方はぜひ!(私もたぶん観ます)



*1:いつも「かくば」って言っているけれど、どういう字なんだろうと思ってやっと調べた。


*2:出撃当日。


*3:あまちゃん』のサイトと較べればあまり閲覧もされていないのかもしれないが、かなりよくできていると思う。



編集

  • 古川春英らが日新館に火をつけ、鶴ヶ城に入城というのだが、動けぬ者たちは自害したというのがいきなり壮絶で、「今回も甘くないよ」の予感たっぷり

  • 城に入ることのできず、他に逃げる場所を探したユキたちだが、会津の者を匿うことによってお咎めを受けることを恐れ、泊めてもらえない

  • 八重は健次郎らをつれて夜襲、目の前にある薩摩兵たちを次々と狙撃していくのだが、眼の前で血を流しながら倒れていく兵士を見て、はるか昔、父の権八の戒めを思い出す

  • 作家のカート・ヴォネガットが、そのエッセイだかに、自分はせめて陸軍歩兵であったことを誇りに思っているというようなことを書いていた

  • 正しく記憶していないので、ちょっと誤解を受けるような文章に見えるが、要するに、高いところから爆弾を落としたり機銃掃射をしたりして、人間をそれとは認識せずに殺してしまうような空軍兵士ではなく、相手の顔を見て戦った陸軍歩兵の方がまだ人間的であった、というニュアンスだったように記憶している

  • もちろんヴォネガットは戦争批判者であるのだが、実際に戦争に参加した人間の声として、「面と向かい合って殺し合うのであれば、大量殺戮ということは起きないのではないか」という(やや皮肉が込められている)意見は傾聴に値すると思う

  • 八重が、血まみれの兵士を前にして引き金を引くことをためらった場面を観ながら、そんなことを思い出した

  • 黒河内先生、再び登場し、八重らを助ける

  • この場面の六平直政の特殊メイク(?)がものすごくよくできていて、右目を囲むようにしてできた青あざが、六平自身の目の腫れぼったさと相俟って、迫真の演技を後押し(で、死亡した様子)

  • ここで、やっとオープニングですよ(なんという重たいプロローグ!)

  • 城内の女性陣のうち、二葉(市川実日子)は登城の混乱の際、子どもとはぐれてしまったために虚脱している

  • それを母の秋吉久美子が、「家老の家の者が率先して働かんでなじょする?」と叱るのは、ノブレス・オブリージュの好例と言えよう(ただし、あくまでもドラマ内のことであり、実際はどうだったかはわからない)

  • 一方、越後街道の萱野権兵衛(柳沢慎吾)の許には、中野竹子らのなぎなた隊が戦いに参加させよと志願

  • 城内では頼母、平馬、尚之助らが軍議、とにかく絶望的に兵力・武器が足りないということに憤慨しているところへ、官兵衛もやってくる

  • このとき、平馬が土佐・内蔵助の死を伝える際に、「腹をお召しになった」というような言い方をせず、「今はもうおられぬ」という言い方をしていたのがよかった

  • 春英・八重らが奮闘する城内の治療所は蜂の巣をつついたような騒ぎ

  • 鶴ヶ城にも散り散りになった兵たちが集まりつつあったが、新政府軍も続々と集結し、会津を包囲

  • 現在読んでいる坂野潤治『日本近代史』には、1868年8月20日に会津総攻撃を開始した時点での新政府軍の兵数は約2,000で、会津が籠城をしているあいだに米沢藩・仙台藩を説得・降伏させ、さらに両藩の兵士を会津攻撃に参加させたので、包囲軍の兵数は約30,000にまで増えたということが記述してある(102p)

  • 会津の方の兵数はわからないが(書いてあったのかもしれないけど)、ドラマ中でも「援軍として200人を出す」みたいな表現があることから、よっぽど少なかったのだろうと推測される

  • 場面変わって、竹子らのなぎなた隊が戦闘に参加、これは女性うんぬんというより、近接戦闘 vs 遠距離戦闘、あるいは前近代兵器 vs 近代兵器の差により、勝ち目がないということは明らか(それは竹子自身も劇中に言明している)

  • だが、ここを抜かなければ城に戻れぬということで、やはり決死の覚悟であったのだろうなあ

  • 竹子、腹に銃弾を受けて死亡し、その母が介錯しようとするものの、戦闘が激しくなったせいで、髪を切るだけに済ます(実際には首級を取ったみたいだが)

  • 黒木メイサ、死ぬ際に寄り目になったりして、きちんと演技していて偉かった(当たり前だけどね)

  • はぐれてしまった修理の妻、雪は捕縛される

  • 新政府軍に火薬庫が破壊され、さらに会津ピンチ

  • ここで頼母、容保に降伏を促すが、平馬・官兵衛ら主戦派の激しい抵抗に合い、かつ、無精髭を生やしその双眸に狂気を宿しつつある容保にも、恭順の策を否定される

  • この容保の存在感を見るに、役者綾野剛は、本当にこのドラマの中で成長していっているなあと痛感(ただし他のドラマでどうなるかは、また別物)

  • 捕えられた雪は、助命を申し出た土佐藩士に、反対に脇差を拝借してくれるよう頼み、そして自害する

  • 自害することを知って脇差を貸す土佐藩士が、その場を去る際に軽く頭を下げるのは「武士の情け」でもあり、また「敵ながら、そして女性ながら*1あっぱれ」という敬意を示したものなんだろう

  • 雪、自害する場面で修理の名を呼ぶが、実際にはどうだったかは知らないけど、劇中でふたりはほとんど一緒だったことがないはずで、そう思うと、ますます哀れなのだ

  • 夜、城内を巡回する八重が、頼母に出くわす

  • 頼母の、「敗軍の将は腹を切らねばならぬが、死んだ者たちの無念が肩や背に重くのしかかり、腹を切らせない」というのはすごく納得できる台詞

  • 死ぬことは美しく、生きることは「生き恥をさらす」といって疎んじられた時代に、その醜い方を選択する、と頼母は宣言したわけだ

  • 部隊を率いて会津に戻って来た山川大蔵が、彼岸獅子の舞を利用して包囲を突破!

  • この逸話、実際にあったこととしては洒落すぎていて、できすぎているように感じる(でも、史実らしい)

  • 実際の史料なんかで読んでみたいと思っていたら、会津若松市のサイトにそれらしい記述を見つけた

  • 北会津小松彼岸獅子 - 会津若松市

  • これによれば、舞に参加した小松村の村人たちはやはり決死の覚悟だったらしく、「家族や(他の)村人と水杯を酌み交わした」とある

  • しかし、この大蔵隊を迎え入れた会津の人間たちは、まさに快哉を叫んだことだろうなあ、私もここ数回でひさしぶりに「おお!」と喜びました

  • 一方、頼母は容保に直談判するのだが、恭順策はやはり容れられず、どころか、越後街道への使者を命じられる

  • 「殿は、この頼母にっ、会津を去れとお命じなされまするか!」という頼母の台詞、「この頼母にっ」の語気を強めるところで、白い息も映ったのだが、どういう状況で撮影されたのだろうか

  • 劇中での時間設定は8月下旬だから、「白い息」はヘンだよなあと思っていたら、この「8月下旬」というのは旧暦のことであり、グレゴリオ暦では、10月初旬のようなので、会津で白い息ということは実際にありうる話なのだと思う

  • ということは、撮影が行われたであろう5月~6月(それより前ってことはないと思うのだが)に、わざとスタジオ(?)を冷房で冷やして撮影したのではないかと思ったのだが、どうでしょうか

  • しかしまあ、あいかわらずの陰影の美しさが臨場感を際立たせている

  • 帰城した大蔵を妻の登勢が迎え、彼女を抱きしめる大蔵に、周りの人間がちょっと驚いた様子で笑うのだが、これは洋行帰りの大蔵の振る舞いがこの時代の日本ではまだ慣れたものではなかったということを示す、細かい演出なのだろう

  • その場に八重もやってきて、彼岸獅子に扮した連中が、かつて八重や尚之助、大蔵たちの前で揉め事を起こした連中だと気づき、そこでやっと鈍い視聴者の代表たる私も、「ああ、あの場面の!」と気づいた次第だが、伏線の張り方がすげえ!

  • 獅子を舞った者の台詞に「小松村」の名前も含まれていて、こういう細かいリアリティが『八重の桜』の重みを支えている

  • ちなみに、雪に脇差を貸与した人物(吉松速之助)が登場する際にも、隣にいた者から「吉松さま」と呼ばれるところがあって、雪の死についてネットで調べた後にこの場面を見たとき、劇内としては唐突な呼びかけに「そういうことだったのか」と納得した

  • 八重の「お帰りなんしょ」に、大蔵が笑顔で「はい」と答えるのだが、この笑顔が、今回のドラマ(多くの人たちが死にましたが)の中で一番よかったところ

  • もう、玉鉄のこの笑顔ってなんなの!?

  • 前から書いているけど玉鉄の笑顔って、本当に不器用な人間が一所懸命笑っているって感じで、これを見せられるたびに、毎回毎回せつなくなる

  • 男の私ですらそうなのだから、女性はもっと強く感じるのかも

  • で、八重の視線はただの幼馴染に向けられたものなんだけど、大蔵のそれは、やっぱり愛する人へのものなんだよねえ

  • そのことが、見つめる時間の長さの違いできちんと表現されていて、八重がわりあい簡単に視線を外してしまうところなんかもつれなくて、それでもあの笑顔で、しかもいやらしくなくそっと見つめつづける玉鉄が好きですよ

  • ということで、今回のタイトルにサブタイトルもくっつけると、「包囲網を突破せよ ~大蔵の笑顔~」となる



*1:こう書くと「女性蔑視!」みたいに思う人もいるのかもしれないけど、(面倒なので)特にエクスキューズは設けない。



編集

  • たしかこのドラマは全五十回のはずだから、ちょうど折り返しを過ぎたところ、そこで、第一回の一番始めのオープニングの場面に戻る、という仕掛けがすごいと思う(でも、『平清盛』もそういう演出だったのかもしれない)

  • 男装した八重は、山本家を引き連れ、時尾のお母さん(?)、そしてユキ(ゴーリキー)のところも誘って城内に

  • ただしゴーリキーのところはもたもたして別行動に

  • 容保のいる滝沢本陣では退却して籠城しようとするのだが、ここで相も変わらず棒読みの桑名公*1(定敬)の台詞があって、この人、まだいたのねと思った

  • 容保は鶴ヶ城に入城し、実弟である定敬に逃げろ命令するのだけれど、この人これからどうなったのだろう、と思ってWikipedia を見てみたら、だいぶ頑張ったみたいね

  • なんと、仙台から榎本艦隊とともに函館に渡り、さらにそこから上海にまで逃げたそう

  • ここらへんの時代の人って、たとえお殿様ですら、本当に生死を切り抜けて生きたんだよなあ

  • Wikipedia に高須四兄弟のいい写真があったので貼付しておく



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左から定敬(さだあき)、容保(かたもり)、茂栄(もちはる)、慶勝(よしかつ)(1878年9月撮影)






  • 鶴ヶ城に入城した八重は、さっそく周囲から陰口の的

  • その八重が参戦しようとするところに、照姫がやってくるのだが、その異装の説明中に八重が「伏見の戦で亡くなった弟の形見でごぜえます」と言うのだが、この「亡くなった」はやっぱりおかしい台詞

  • 目上の人間が相手であるからして、現代ならまだしも、当時であれば当然、「死んだ」とか「戦死した」と発言したであろう

  • まあ、そんなことは実に些細なことであって、照姫とのわづかな交流や、あるいは時尾との子どもの頃からの親睦がこれまで丁寧に描かれていたからこそ、八重のちょっとした頷きやまなざしなどがあらわす意味も大きい

  • さて、城内には官兵衛も戻って来て、内蔵助、平馬たちと軍議

  • 官兵衛らは敵の侵攻を防ぐために少しでも討って出ようとするのだが、そうすると守備兵が少なくなると平馬が危惧

  • そこで城内の老幼を集め鉄砲を持たせるという案になり、そこに八重がその部隊の指揮を願い出る

  • はじめは「女子の出る幕ではない」とけんもほろろの扱いだったのだが、八重の必死の説得によって指揮を任せられる

  • この八重の台詞が思った以上に長台詞で、まったくカットを入れず、おそらくこれまでの八重自身の演技の中でももっとも緊張感のあるものだったと思う

  • 綾瀬はるかも一所懸命に演技をしていて、非常に好もしい

  • といっても、やっぱり普通に考えればみんな決死隊なんだよなあ……

  • ばあちゃんが散々ごねていたせいでお城に入れなくなったゴーリキー一家(こう書くとロシア人の一家みたいだが)は、後方からの敵の襲撃をおそれて、その場で待機するのをやめ、逃げることを選択する

  • 一方、竹子らのなぎなた隊も動き出し、神保修理の妻、雪がそこに加わる

  • 八重は幼年兵らを指揮し、そこに山川健次郎も協力

  • 容保・土佐は外濠の前(?)に陣取り、敵兵の襲撃に対して備えるが、ここに権八(松重豊)もいて、鉄砲隊を指揮していた

  • この鉄砲隊の指揮者って、実際にはいたのだろうかと疑問に思った

  • 引きつけて撃つというのは理解できるが、一斉射撃をする意義は大きいのだろうか

  • もしそれほどに指揮者が必要というのであれば、敵からも標的になりやすいような場所にいる、ということも納得しづらい(ま、その位置でなければ敵の様子が伺えないわけだが)

  • 八重はスペンサー銃(覚馬があのドイツ商人から贈られたやつ)を担いで大活躍、またその指揮も見事にこなした……というように演出していたけれども、まあ実際には相当苦しい戦いだったとは思う

  • 頼母のうちでは、一家の女性が死装束で集まり、辞世の歌を詠んでいる

  • 頼母の妻である千重子(宮崎美子)の歌、「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ」

  • このときの千重子の説明が、このときの会津の状況および会津の人間の心境を、実にうまくまとめて説明していた

  • というのは、わりとなし崩し的に戦が始まり、そのうちにどんどんと追いやられて鶴ヶ城まで攻めこまれてしまった、という印象が私にはあって、これがまたひと月半ほどの時間をかけての描写だから、「負けている」という状況以上のものを直観的に得られにくかったのだ

  • この場面、蝋燭の光と、障子越しの外光(おそらくライトだと思うけど)とをうまく使って、役者たちの顔・表情を非常に美しく映している

  • 千重子の両隣に小さな女の子(やはり白装束)がいるのだが、このふたりには、この場面の意味だとか背景などをまったく説明せずに、ただ、台詞の「きっかけ」だけを教えたように思えた

  • その「今日はなにをすんですか?」というぶっきらぼうなまでの台詞がかえってよかった

  • これが芦田愛菜ちゃんのような「いい表情してまっしゃろ?」的な演技をやられると、興醒めであったろうと思う

  • 逃走を選択したゴーリキー一家は、敵兵に見つかり、その敵兵、いきなり抜刀をするのだが、これはちょっとないだろうなあ

  • この薩摩兵に、男の姿の見えない彼女たちを斬る理由はない

  • と思ったら、黒河内先生が十文字槍を振るってゴーリキーたちを救った!

  • 頼母も城内に戻って来て容保と再会を果たす

  • このシーン、第一回にもあったと思うのだが、同じ映像だろうか?

  • 進軍する板垣隊に対して幼年鉄砲兵を指揮する八重だが、面白いことに火縄銃も使用しているのね

  • 逆にいえば、武器の選り好みをしているほどの余裕はまったくなかったということなのだろう

  • ところで、板垣退助の赤髪、大山弥太郎の黒髪について、公式サイトの面白い記事を見つけた

  • 気になるコト...新政府軍のヘッドファッション(1) - 八重の桜公式サイト

  • これによれば、赤いのは「赤熊(しゃぐま)」、黒いのは「黒熊(こぐま)」、白いのは「白熊(はくま)」といって、ヤクの尻尾の毛を染めて作ったものだそう



戦国時代の勝者である徳川幕府の居城・江戸城には、この赤熊、黒熊、白熊がいっぱい収蔵してありました。

時は下り、江戸城を無血開城させた薩長土らの新政府軍。江戸城を接収したときに、この財宝をちゃっかり着服。

奪った財宝を身につけることで、「勝ったぞー!」って誇示してるんです。






  • そんな板垣を演じる加藤雅也だが、背丈もすらっと高く、非常に恰好よろしい

  • 板垣率いる部隊は奇しくも西郷家を陣として接収することにしたのだが、板垣、血生臭さを感じたのか頼母の妻子たちの自刃の場を発見する

  • 自決を図るも死にきれずにいた少女が息も絶え絶えながらに「敵か味方か?」と問い、それに対して板垣が打たれたように「味方や」と言い、その少女の介錯をするというシーンは、まあ、観ていて実に辛かった……

  • これはいちおう史実に基づいているらしいのだが、ただ、介錯を果たしたのは板垣ではなく別の人物(不明)ということになっている(Wikipedia 参照)

  • これは誰であろうと、「味方だ」って言ってしまうんじゃないかなあ

  • ナレーションによれば、「この日、自決した藩士家族は200人」ということだそうで……

  • そして敗走した白虎隊も、たった1枚の布切れに触れ、「殿に面目が立たぬ」と自刃

  • この場面、悌次郎が考え直そうと意見を言おうとしたところで、隊士のひとりが絶叫しながら腹に刃を突き立て、それに衝き動かされるようにして、各隊士ひとりひとりが自らを奮い立たせるように声を枯らして叫び、震えながら自刃していくというその様が、実際の現場もまさにこのようなものであったのではないか、と推測された

  • いかに会津の武士であろうと、彼らの若さでは死ぬということへの覚悟が定まっていると言えなかったのではないか

  • その中で、ある種の集団ヒステリー状態にでも駆られなければ、全員が自死を決することなどできなかったのではないかと思う

  • この場面も、観ていて辛かった……

  • で、土佐と内蔵助も切腹ですよ……

  • このふたりの会話で、徳川や幕府のためでなく会津のために死ねることが幸せである、という台詞があったのだが、これは案外真実を衝いているのかもしれない

  • きれいごとではあるのだが、そのきれいごとのために生きていたようなところのある武士にとって、本懐・本望を遂げられるということは、幸せなのかもしれない

  • このときのいう「幸せ」は、もちろん現代社会でいう「幸せ」とは大きく意味が異なる

  • いま、坂野潤治『日本近代史』という新書を読んでいるところだが、(非常に当たり前のことなのだが)この本では事実というものを、史料から確認できるものに限定している

  • この考え方に馴れてしまうと、「これって史実?」とか「どの史料にあるんだろう」などと考えることが多くなってしまい、鑑賞中にけっこう気が削がれることが多い

  • そういう観点からすると、この土佐と内蔵助の切腹シーン(しかも互いで互いの腹を刺し合うというもの)も本当にはなかっただろうなあ、と思いがちなのだが、しかし、これはあくまでもドラマなのである

  • 北方謙三水滸伝』のファンの中には、同作家による『楊令伝』を評して、キャラクターの死に方がつまらなすぎる、とする者も少なくないようだが、「死に方」に面白さ・つまらなさを求めるのも、またファンなのである

  • 『八重の桜』の視聴者のうち、半分以上は会津が負けるということを知っているはずだ(これを読んで、「ええっ~!?」と思う人もごく稀にいるのかもしれないけれど)

  • 結果を知っているだろうからといって、その過程は描かず、野球のスコアボードみたいな表を見せて、「はいおしまい」というのじゃつまらないだろう



第26回終了時点での家老の生死表




















































姓名 年齢 生 or 死 死に方
神保内蔵助
52
ダブル切腹(田中土佐と一緒)
田中土佐
49
ダブル切腹(神保内蔵助と一緒)
萱野権兵衛
41
-
西郷頼母
38
-
佐川官兵衛
37
-
梶原平馬
26
-
山川大蔵
23
-






  • つまりここ数回は、制作陣渾身の「会津武士たちの最期」の演出なのであり、多少過剰であったり、多少ドラマチックであったりしても仕方がないと考えている

  • また、既述したとおり、頼母の妻子の自決のエピソード(「敵か味方か」「味方だ」)には、不明な点もあるようなのだが、それが本当にあったかどうかということ以上にそこには、少女が救われた思いで成仏したと信じたい、という後世の人間の願いが込められているのだと思う

  • そういう言い伝え(史実なんだろうけれども)が残っていることと、また、いま現在『八重の桜』において制作側が必死に伝えようとしていることは、きっと同根で、それは土佐らが言ったような、本望を遂げることができればそれは幸せなのかもしれない、ということに帰着するのではないか

  • これもまたマゾヒスティックな精神構造でしかとらえられない「幸せ」なのかもしれないが、別の選択肢が存在しない以上、現況を受け止めるための次善の策だと思う

  • 土佐が修理の名を出し、内蔵助が感慨深い表情をすることに込められたものは、つまり上のようなことだと、私は考えた

  • しかししかし、ふたつだけツッコミをすると、「生まれ変わるときはまだ会津で」という台詞は現代的だなあと思った

  • あと、ダブル切腹は、介錯人が介錯しにくいと思います

  • すっかり指揮が板についた八重の許へ尚之助が来るのだが、八重に較べて、この学者然とした尚之助の頼りなさといったら……

  • 京では、出獄して大垣屋のところで養生させてもらっている覚馬がすやすやすや、管見は大垣屋に手渡される

  • 尚之助・八重らは大砲を用いて徹底抗戦、それが効いたのか、新政府軍の板垣たちは包囲戦に持ち込むことを決定する

  • 八重、男装するために時尾に髪を切ってもらうのだが、髪を切るということの意味の重さは、当然いまの時代からでは推し量ることはできない

  • 時尾が泣きながら八重の髪を切るところで、今回は終了

  • 予告編を見る限り、また3人は死にそう……



*1:ただしこのときには既に藩主は代替わりしていたみたい。



編集

ちょっと時間が経ってしまっているけれども……。




  • 今回は、「中休み」感が強かった

  • 鳥羽伏見の戦いが始まって以来、張り詰めた回がひと月以上つづいているので、視聴者が少しだけラクに観られる回を用意したのではないか、と推測する

  • 山本家では、権八が皆を集めて、二本松が陥落したことを伝える

  • 尚之助役のハセヒロって、いつから無精髭を生やしていたのか忘れたけれど、これは別枠の民放ドラマ『雲の階段』を主演(無資格医の役)しているためだろう

  • なぎなた道場の黒河内先生(六平直政)が病に臥せっており、「なさけねえ」を連発、ついでに八重に心配されて、「さすけねえ」と応じる

  • 先生、「こんな大事なときにお役に立てねえなんて」と言うのだが、これってものすごい死亡フラグのように感じられた

  • 病気やケガなどのトラブルで、一番危険な場所を離脱したり回避することになるキャラに限って、あとで主人公たちを救うために登場して、「な、なんでここに?」と問われて「へっ、おまえらだけに任せておけなくてな。いいから、ここはおれに任せて、早くっ、行くんだ!」みたいなことを言って、主人公たちが無事に逃げたのを確認して、「死ぬんじゃねーぞ」とつぶやき、それから敵に向かって「おらっ、おれと一緒に死にたいやつはどいつだ!」と叫んでから突っ込み、その言葉どおりに死ぬ……というパターンが多い

  • 道場では、中野竹子たちがなぎなた隊を作った、と八重に報告するが、これまでに登場したことのない人たちが台詞を言って、その下に名前が紹介されたので、ああ、やっぱりこの人たちも死んでしまうんだな、と思った

  • 竹子らは八重になぎなた隊への参加を請うが、八重は断る

  • その真意として、なぎなたでは勝てない、勝てるのは鉄砲だ、という考えが八重にはあるのだが、それは竹子らには伝えない

  • ここも、近代の考えと前近代の考えの差があらわれていて興味深い

  • ただ、現代人であるならば、「なぎなたで勝てるわけねーじゃん」と単に一蹴してしまうのではなく、物資・兵力・兵器の足りなくなった会津が、最後まで矜持を保つために精神論に走るのはやむを得なかっただろう、ということくらいは考えてもいいと思う

  • 似たようなことに、第二次世界大戦中の「竹槍訓練」の例を思い出したが、あの話が実際にあったことだとして、竹槍を突き出すことで勝利を手にすることができると思っていた人間は、当時もほとんどいなかったのではないかと思う

  • それでも、座して死を待つということはできずに竹槍を持ちだしたのだと思うのだが、そういった最悪の状況での人間の考えだなんて、そういう状況に陥ったことのない人間には簡単には忖度できないし、簡単に軽んずることもできまい

  • 鶴ヶ城での軍議

  • 一挙に攻め込まれた会津は、新政府軍への応対に苦しむが、その中で、敵から「鬼の官兵衛」と恐れられる佐川官兵衛、そして山川大蔵が家老に昇進

  • 容保が言うように実に「苦しいとき」だが、官兵衛・大蔵も嬉しかっただろうなあ

  • 場面は変わり、京は薩摩藩邸の西郷の許へ、三上市朗演じる中村半次郎なる男が登場

  • この中村、調べてみるとのちに桐野利秋と名を変え、西南戦争で西郷と運命をともにするらしい

  • 半次郎との会話の中で、西郷は「(戦を)収む道を探らんなならん」ということで、「あの男」に会うことを決意

  • 「あの男」っていうのは覚馬のことで、ついに牢から出してもらえる

  • そんな頃、会津領内に新政府軍が進軍、会津勢800、新政府軍3,000と、その兵力差は甚大なり

  • そして、15歳から60歳までの男子はみな登城せよ、とのお触れが城下の各軒を回る

  • 山川家でも、大蔵の弟、健次郎が登城するというので、家族総出で見送りに

  • その際に母親の詠んだ歌、「天下(あまがした) とどろく名をば 上げずとも 遅れなとりそ もののふの道」

  • 当時の武士の母の気持ちということも、これまた簡単には推し量れないのだが、この場面での母(秋吉久美子)は、この歌を簡単に(視聴者にわかりやすいように)説明し、それだけに終えていたのが好ましい演出だった

  • 間違っても、「健次郎……ううう」などと言って顔を袖で隠して泣く、というような演出でなくてよかった、ということ

  • 山本家でも出陣祝いをしている

  • 初めてそれに接する尚之助に、八重の母が説明、「(勝栗*1)って、まめ(豆)で、来る身(胡桃)を待つ」(松)

  • そしていよいよ権八が発とうとするところへ、それまでずっと険しい表情を崩さなかった八重が「私もお供させてくなんしょ」と頼み込む

  • ここで、第一の疑問を感じた

  • 綾瀬はるかも熱心に演技しているので、そこにケチをつけるつもりは全然ないのだが、「三郎の敵を討つ」あるいは「会津を守る」という理由で参戦したいということなのだが、それを父の権八、または夫の尚之助に託すという選択肢はなかったというのだろうか(それではあまりにも父と夫を軽視しすぎのように思う)

  • このときの八重の「私は、私は、私は」というエゴの主張が、ちょっと現代劇すぎるように感じられた

  • 実際に八重さんは鉄砲を担いで参戦しているのだが、その参戦の仕方はもっと自然なものだったのではないか、と私は考える

  • この場面で、母である風吹ジュンが八重をの頬を叩き、たしなめるのだが、平手打ちのやり方・戒め方にどうも迫力の不足を感じた

  • 頼母も出陣の準備、奥さんの宮崎美子が泣いていたのはもう覚悟を定めていたからだろう

  • 頼母のところでも、山本家でも、屋内へ外から入ってくる光の映し方がきれいだった

  • 猪苗代城では、新撰組のふたりが

  • 仙台に行って榎本武揚の艦隊と合流しようとする土方と、会津とともに戦うことにする斎藤

  • 頑なに残ることを主張する斎藤に、土方「会津に惚れた女でもいるのか」って、あんた鋭すぎでしょ(斎藤もまだ一回しか会っていないけどね)

  • 「まだ刀がある」っていう斎藤の台詞も、前近代的で象徴的

  • 猪苗代勢、敗走の報を受けて容保、出陣を決める

  • 鶴ヶ城内から大勢の共をつれて出陣する容保たちを見送る、照姫、時尾たち

  • 私は照姫がどうなるのかを知らないのだが、稲森いずみの悲壮な感じを見ていると、いつも「この人は薄命なんだろうなあ」と思ってしまう(案に相違して長命なのかもしれぬが)

  • 容保の護衛には、白虎隊が就き、城下から滝沢本陣に向かう際、八重とゴーリキー(いまだに役名わからず)らはその行軍に遭遇

  • 他の領民たちは兵士らに対して平伏して見送っているのに対し、八重だけは立ち上がり、顔見知りである伊藤悌次郎に鉄砲は引きつけて用うべしと声高に忠告する

  • ここが第二の疑問

  • これが実際にあったことだとはどうしても思えないのだが、いくら八重が男勝りで、たとえ合理的な考え方の持ち主だったとしても、この行動はあまりにも周囲から浮きすぎている

  • 会津の「ならぬことはならぬ」という気風は、この劇中から察するに、愚劣なまでの頑固さをあらわし、同時にそれは非常に保守的であるということ

  • その保守的な風土の中で、武家の娘がこのような目立つ行為をしたのだろうか、と怪訝に感じてしまうのである

  • 仮にも武家に生まれたのであれば、ひとりの行動が家名に傷をつける可能性がある、ということくらいはわかっていただろうに

  • この八重の行動は、もちろんただのスタンドプレーではなく、心の底からの悌次郎たちへの応援を描写したという演出なんだろうけれども、あまりにも現代的すぎるのではないか、とかえって鼻白んでしまった

  • とやこうしているうちに、爆破する予定だった十六橋をわたって新政府軍がさらに侵攻し、容保は本陣を分け、戸ノ口原へ援軍(白虎隊)を送ることにする

  • 土佐が白虎隊を集めて激励、「大殿より賜った」と白い布切れ一枚を渡すが、隊士たちは喜び嬉しそうにそれを腕に巻いていた(死亡フラグが3本立っています)

  • そして、大殿(容保)から直々に「みなに武運を祈る」とのお言葉を賜る

  • こういう特殊な状況を軽々に論じてはいけない、というのは重々承知で、当記事だけでも何度も書いていることだが、動物としての本能が危機を感じ逃亡しようと働くところへ、それを制御しなおかつその危機のまっただ中に身体を向かわせるためには並大抵の精神構造では太刀打ちできず、結局はある種の倒錯(マゾヒズム)を以て処するしかなかったのかなあとも思う

  • そういう特殊な精神構造を裏づけ・支えるために、煩瑣で厳粛な儀式があるのだろう、とも

  • 領内では、籠城の可能性を伝えるお触れが各軒を回る

  • ということで、山本家も使用人たちに暇を出すが、みなが自決すると勘違いしてなかなか肯んじない

  • 戸ノ口原では、雨のそぼ降る中を白虎隊士中二番隊は夜営、おしくらまんじゅうをして暖をとるのだが、(たとえこれが史実だとしても)お涙頂戴的な感じで見ていて辛かった(あまりよくない意味で)

  • 夜が明け、戸ノ口原でも戦端が開き、城下でも、山本家が登城の準備を忙しく始める

  • そんな中、八重は「三郎と一緒にお城に上がります……今がら私が三郎だ」と、死んだ三郎の軍装を少し改造して着こなして登場

  • この恰好、初回のときにも観たはずなのだが、これがまさか三郎の衣装だったとは誰も気づかなかっただろうなあ

  • あまりにも壮大で見事な伏線回収なのだが、視聴率が低いということを考えると、あまりにももったいない伏線回収ともいえる(ほんと、観ていない人はもったいないよ)

  • この八重の台詞、そして行動を考慮すると、先に挙げたふたつの疑問も理解できなくもない

  • すなわち、三郎が死んでからの八重は狂気に駆られていた、と

  • これも思えば、三郎死亡の報が届けられた回で、八重が鉄砲を持って家を飛び出そうとしたことも伏線となっている

  • しかし、八重のあまりの異形さに、母も思わず二度見

  • 八重の母の反応を見たら、下の画像を思い出した



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  • というところで、次回予告

  • この次の回じゃ、大勢死ぬぞー(覚悟しなきゃ)



*1:干した栗のよう。



編集

  • もう、前回終わりの予告篇を観たときから「あーあ」って感じだった二本松少年隊の顛末

  • 今週は覚馬が意見書を暗誦し、それを書き取らせているところから始まる

  • 覚馬、その声は嗄れたままで、視力がないために視線は定かならず、しかしその胸のうちにある思いはますます熱くなるばかり

  • 会津では八重が、大蔵の弟である山川健次郎とその仲間(伊藤悌次郎、高木盛之輔)らに鉄砲を教えている

  • 伊藤悌次郎は白虎隊に入隊、と嬉しそうに伝える

  • ところで、北村有起哉演じる秋月悌次郎も同じ「悌次郎」で、この「悌」という字、今ではあまり遣われないが特別な意味があるのだろうかとネットで調べてみると、こんな感じ



てい 【×悌】

年長者に柔順に仕えること。また、兄弟や長幼の間の情が厚いこと。

(コトバンク)






  • つまり、悌次郎、悌三郎ということはあっても、悌太郎という名前はほとんどなかったのだろう(まあ、親父に従えよという意味でつける場合もあったろうが)

  • 山川健次郎を演じている勝地涼という役者、どことなく藤原竜也に似ていて、劇中、彼に対して「青瓢箪だな」という台詞があるが、これにはちょっと無理があった(どちらかというと細いながらもしっかりしている印象)

  • 高木盛之輔は、時尾(貫地谷)の弟みたい

  • 尚之助の説明によれば、白虎隊は「備えの隊」ということだったのだが……

  • 白河を奪取した大山弥助のところに板垣退助が合流

  • 板垣は日光口の戦いにおいて、大蔵の部隊を突破できなかったという逸話が紹介されるのだが、そこで玉鉄の勇姿が見られた

  • 会津では、若殿様(容保の養子)の警護のために白虎隊と新撰組とが猪苗代に出陣

  • その夜、白虎隊の若い隊士たちが新撰組の土方・斎藤を囲んで盛り上がるが、盛り上がれば盛り上がるほど、のちの悲劇への前フリとなってしまう

  • 新撰組の名は、会津の古い隊の名前ということが判明するのだが、そうなると、京での官兵衛たちにつけられた別撰隊の名もそれほどおかしくなかった、ということになる(たしか過去の記事でツッコんだけど)

  • 奪われた白河は奪い返すことができず、総督の頼母が会津の鶴ヶ城に報告にやってくるこのシーンが、今回のメイン

  • まず、インターネット情報をもとに、慶応4年(1868)時点でのメンバーの年齢を記しておく(参考程度)

    • 神保内蔵助(52)

    • 田中土佐(49)

    • 萱野権兵衛*1(41)

    • 西郷頼母(38)

    • 松平容保(32)

    • 内藤介右衛門*2(29)

    • 梶原平馬(26)


  • 頼母、家老一同の首を差し出して恭順すべしと主張するも、土佐、平馬に強く反対される

  • 土佐(佐藤B作)と頼母(西田敏行)のリアル福島弁(母音が濁っている)での掛け合いがまずすごい

  • 時も金も兵力も兵器の質も、新政府軍に対してなにひとつ優るもののない会津はただ気概のみで戦っているのであり、恭順というもはや叶わぬ選択肢を再び持ち出す頼母に業を煮やす土佐らの気持ちは痛いほどわかる

  • もちろん、頼母とてそれがわからぬではないのであろうが

  • この場面、頼母→容保→頼母→土佐→頼母→平馬→頼母→権兵衛、というようにアップのカットで繋がれていく

  • 途中、頼母の背中越しに介右衛門が頼母を詰るシーンがあり、ここでは一座が画面内に収められるのだが、しゃべっている介右衛門すらぼかし気味で映している

  • これらはみな、後からやってくる演出のためだと2回目に観直したときに気づいた

  • 土佐との口論の末、「だからあのとき! 一刻も早く、京を出てれば!」と頼母が床を叩いたところがきっかけで、容保に一番近いところ(ということは、頼母から一番離れているところ)でそれまで黙していた内蔵助がアップになり、静かに、しかし重々しくしゃべりだすという凄まじい迫力の演出

  • 内蔵助「にしゃになにがわかる。おれは京で戦った。血も流した。筆舌に尽くしがたい屈辱も、ともに味わった。なにも知らないにしゃあ出過ぎた口をきくな」

  • この内蔵助の思いが、この軍議の場を支配していたのだと思う

  • 内蔵助は特別に息子の修理を亡くしているが、そうでなくても、それまで蟄居をし、藩の一大事の最前線から退いていた頼母に「なにがわかる?」という思いは土佐・平馬にも強かったのだろう

  • そして、藩の命運を賭してまで武士の面目を保つ、というこの会津を覆っている気風はまさに前近代的であり、積極的に合理的な選択を採ってきた薩摩、および、会津の切り捨てもやむなしとしてしまうこのドラマにおける慶喜などとは、徹底的に相反する

  • 漱石『坊つちやん』もそうなのだが、この『八重の桜』も、古い考えに固執し滅んでいく者たちの物語であり、それが(感傷的であるということはわかっていつつも)日本人的情緒および琴線に触れる

  • 結局、容保は頼母の白河総督の任を解き、介右衛門に与える

  • 八重、尚之助の手伝いにやってきて列藩同盟の損傷した武器を検めると、火縄銃が多いことを確認

  • 健次郎、棚倉藩の火薬の調合が旧式であるいうことを突き止め、そこから火薬に用いる硝石の調達方法まで話が及ぶのだが、このシーンの妙にマニアックな説明が面白かった

  • 秋田藩が新政府軍に降伏したとの報が入る

  • そしていよいよ、新政府軍は二本松藩にまで兵を進め、あの二本松の少年たちも出陣

  • 京の太政官(官庁名)では、越前の春嶽が、岩倉具視木戸孝允をつかまえ、「万機公論に決すべし」という約束が守られていないと詰問

  • 春嶽は、「会津討伐取り止めの建白書を提出しているが、それが取り上げられない」と不服を述べるが、それに対する岩倉の、というか、小堺一機の返答が不気味で面白い

  • 俳優としての小堺一機の演技を観たことはこれまでほとんどないのだが、(役柄としての)茫洋としていてつかみどころがない気持ち悪さがよくあらわれている

  • 木戸孝允というかミッチーの「僕」という一人称がヘンに合っていて、これまた面白い

  • 春嶽がいくら訴えようとも、岩倉は「ご叡慮」と言い、春嶽もそこから踏み込めなくなってしまうようだ

  • 春嶽の言っていることは至極もっともで、そもそも外国の脅威から自国を守るために新しい政府を興したのだから、不要な内戦は早く終わらせるべきなのだ

  • 覚馬、牢獄内で「管見」(口述筆記)を完成させる

  • このとき、筆記者でもなく、牢役人でもない声で「山本様、おめでとうございまする」とか「感服仕った」とあるのだが、これは隣に投獄されていて、覚馬が口誦しているのをずっと聴いていた人たちの声なんだね

  • (撮影的な意味における)ボケ気味ながらも、牢格子の向こうで正座している時栄が右側をそっと見遣り、少し頭を下げている、というところが丁寧でいい演出だなあ

  • この完成版については、牢役人も見逃すことにし、時栄に早く持って帰れと急かす

  • たまたまなのだが、Wikipedia で仙台藩の大槻磐渓(おおつき・ばんけい)の項を斜め読みしていたら、ちょっとだけ似たようなことが記述されていた

  • 仙台藩の主戦派の大槻は、戦争後に逮捕・投獄され、終身禁錮の刑に処されていたのだが、



1870年元旦には病を理由に仮出獄を許されが、これは磐渓を先生扱いしていた牢の医師・同室者・獄吏らとの謀りごとであり、本人はいたって健康、出獄当日には大酒を飲んだという






  • 放っておいたらとんでもないことをする、という人間でなければ、政治犯(?)の扱いというのは存外鷹揚なものだったのかもしれない

  • 二本松では少年隊が鉄砲・大砲を構えて、板垣軍を迎え撃つ……が、まったく歯が立たずに退却

  • ここでの戦況は、徳富蘇峰近世日本国民史 第72冊』に詳しく書かれているので、かなり長いが、それを引用してみる(旧字についてもできるだけ再現してみるが、機種依存文字は避ける)

  • 構成としては、引用したものについて蘇峰が簡単に解説を入れている、となっているらしく、少し読み辛い漢字については私が適当に読み仮名をつけておいた



當時の少年隊の一人水野好之は、更らに語りて曰く、




余等の命と頼みたる彈丸除けの疊も、今は敵彈の爲に四分五裂して用を爲さず。

止むを得ず、畑中に全身を露はして猛烈に應戰せり。然れども砲彈の爆發に堪へ難く、傍の竹藪に驅け入る。竹藪に一彈入るや、竹幹に中りて、所謂外れ丸となり、からからと物凄き音をたてゝ飛び去るを以て、危險更に増さりぬ。余(水野)鐵砲を取直して打たんとすれば、こは如何に。曩(さき)に竹藪に驅け入りし時、敵彈に引金を打ち貫かれて、用を爲さず。如何はせんと躊躇ふに、不圖(ふと)見附けたるは砲車の側に横はれる一大木材なり。一抱もありて、長さは四五間に餘れり。是れ幸いとひたと身を寄せ、ほつと一息吐きて戰況を窺はんとしける刹那、「隊長討たれたり」と呼ぶ聲あり。周章(あわて)て、驅け行けば、左の二の腕を貫かれて用をなさず。豫(かね)て用意の白木綿を取り出して驅け付けし人々、隊長の傷口を卷けば、隊長はいでや人々引きあげよとて、大砲の火門に釘打ち込み、小高き所に馳上りて、隊長自ら合圖の太鼓を打ち鳴らす。いざとばかりに馳來る人々、咄嗟の事とて、討たれし人は、明かならざりしが、殘れるは半數(はんすう)にも足らじと思はれたり。見方の陣地如何にと見れば、何時の間に退却せしにや、少年隊の他には人影なし。敵は愈々(いよいよ)肉薄し來れども、隊長騷がず、悠然として、何事をか訓示せんとせしに、狙撃に遭ひて、腰部を貫かれ、後(しり)へにどうと倒れたり。




此の少年隊にして、此の隊長あり。




(たちま)ちに起き直り、聲鋭く、此の重傷にては、到底入城叶ひ難し。「疾(と)く首を取れ」と。我等は互に顔見合せて、「隊長の傷は淺し、肩にすがりて退却せられよ」と言へば、「今は無益の押問答する時にあらず、疾く疾くと首さし伸べて、「斬れ、斬れ」と云ふ。副隊長二階堂衛守、聲に應じて大刀引き拔き、眞向に構へて切り下したれども、手許狂ひて落ちず、斯くてはならじと構へ直して、三太刀目にて落しぬ。首を持ちて退かんとせしかど、重くして持たれず。因りて髪を左右に分ち、二人して持ち行きぬ。




如何にも悲壯の最後であつた。




隊長木村銃太郎は、砲術師範貫治の長男なり。藩命を受けて、江戸に出で、砲術を學ぶ。歸藩(きはん)するに及び、少年子弟就いて學ぶ者多く、訓練數月にして、其技頗(すこぶ)る上達しき。この役率ゐる所の少年隊は、何れも其の門下生なり。少年等呼ぶに小先生を以てし、敵を射撃するに及んで、「狙ひが高し」「構へが嘘」と、銃太郎が命ずるがまゝに、恰(あたか)も平素射撃場に於て、銃を學ぶに異ならず。大壇の戰、我が射撃の精確なりしは、亦此の故に因るといふ。




一個の木村、大壇口の官軍をして、逡巡せしむるに至る。二本松藩の爲めに氣を吐くに足る。彼死するや、齢二十二。




初め少年兵の出陣するや、父兄多くは從軍して家にあらず。母姉相祝して曰はく、幸に家名を揚げよと。戒めて曰く、注意して縛り首となる勿(なか)れと。曰く大將と見ば刺し違へよと。其の戎裝(じゅうそう)*3を整ふるや、せめては衣服だけもとて、母姉は手づから戎服を縫ひ、華かに裝はしめたりきとぞ。成田才次郎が、長藩の隊長を刺し貫きたる、岡山篤次郎の敵に看護せられながら、斫死(しゃくし?*4せんとしたる、小澤幾彌が敵將を感ぜしめたる、何れも千古に傳(つた)ふべき美談なり。




如何にも美談である。






  • 散々時間をかけて引用してから、ネット上に「二本松戊辰少年隊記」と題した文章が落ちているのことがわかったが、それに関して少し不明の部分がある

  • その「二本松戊辰少年隊記」の作者は上記文章の引用元になったとされる水野好之となっているのだが、この内容、すべてに目を通したわけではないのだが、上記に引用したものとだいぶ内容が異なる(そのため、どれが正しい史料なのかわからなくなってしまった……)

  • なお上掲書には、劇中で一番目立った少年、岡山篤次郎についての記述もあるが、リンクを貼るだけにとどめておく(左ページの5行目より)

  • さて、少年兵たちが町中に逃げ帰って来たところで大山の率いる薩兵と出会うのだが、ここも印象的

  • 欲を言えば、少年兵たちがもっと薄汚れて、痩せこけ、ぎらぎらとした目をしているとよかったのだが、それは酷か

  • 大山に目こぼしを受けるところで、副隊長が刀を収め、去っていく大山らにそっと頭を下げるところなんかも、本当らしくていいよなあ

  • 二本松、落城

  • 二本松が陥落したと知り、頼母は自邸で妻や母に覚悟を伝えるが、覚悟していたのは、頼母だけでなかった

  • 一昨日の「歴史秘話ヒストリア」の予告編だけをちらと見て、「こんなの観るかーい!」と思った

  • と思ってNHK のサイトを調べたら、妻の千重子役を宮嶋麻衣が演じたのね、わー、観ておけばよかった

  • で、頼母がおそらく今生の別れのつもりで子どもたちを呼び寄せるのだが、ここで出てくる子どもたちがやたらとかわいくて、死亡フラグが100本くらい立っているよ!

  • 篤次郎は春英のところで死ぬのだが、子どもたちの死を、省略法(たとえば、隊長の銃太郎が「かかれー!」とやって、それから銃声がパーンと鳴って、その次のカットで既に少年兵たちが病院で寝ている、というような演出)や、抽象表現(やはり銃声がパーンと鳴ってのち、無関係のなんらかのカットを挟み、次のカットでは血まみれの紙のダルマがくしゃくしゃになって落ちている、というような演出)でなかったのがいいと思った

  • 子どもたちの死を悲しんだ八重が、夜、鉄砲の試し撃ちをしているところで、今週はおしまい

  • 小市慢太郎も出演しているし、前回、木下政治も出たんだから、(同じM.O.P. の)三上市朗も出演してほしいよなあ、と思っていたら、予告編でその姿が!

  • 八重の桜紀行では、二本松少年隊の出陣の様子を、生き残った隊士である武谷剛介の「修学旅行前夜のようなはしゃぎよう」という言葉で紹介していた

  • 上掲した水野好之の談話にも、似たような記述(左記リンクの左ページ9行目)がある



何となく江戸見物にでも行きたらん心地し、浮浮として夜半に至れども寢られず






おまけ


ネット上でいろいろと探しものをしていたら「戊辰百話」というサイトを見つけた。

この中で白虎隊士の篠田儀三郎(今回、劇中で登場)についての記述がある。私はこの逸話を小学生の頃に「白虎隊のおはなし」みたいなもので知ったのだが、以来、Wikipedia などを調べても出てこず、記憶違いだったのかなあと思っていた。それがやっと確認できて、非常に嬉しい。

そのエピソードを引用しておく。




六、七歳のころ友達と日を決めて蛍狩の約束をした。ところがその当日は日暮前から大風雨となり、あいにく蛍狩には思わしくない日となった。しかるに、儀三郎は蛍籠を提げて友達のもとに行った。友達は驚いて「このような雨天に蛍が飛んでいる筈もない。なんで態々(わざわざ)やって来たのか」と言った。すると儀三郎は、君と一旦約束したからその約束を守って来ただけであると言って、その約束を解いて帰っていった。またあるときは、友達の家で寄り合う約束をした。ところがその日に至って、雹(ひょう)が降りしきり、寒さもことのほか烈しかったので、友達は今日は誰も来ないであろうと思って悠々と構えていた。するとそこに、儀三郎は足駄を手にし従跣(はだし)*5のままやって来たので、友達は大層愕き、かつ謝し、その後篠田の正直といえば誰も知らないものはなくなったという。




私自身は、残念なことに嘘つき者になってしまったのではあるが、子どもの頃にこの逸話を知り、どうあっても約束を違えない人間にならなくてはならない、と思ったものである。





*1:「権兵衛」は役職名なので例によって、「ごんのひょうえ」が正しい読みだそう。『坂の上の雲』にも登場する山本権兵衛も同じ。


*2:調べてみると、この人、梶原平馬の実兄みたい。平馬は、もとは内藤家であり、梶原家に養子に出ている。


*3:軍装のことのようだ。後に出てくる「戎服」も同じ意味だろう。


*4:おそらく斬死の意であろう。なお、「斫」だけであれば「はつる」と読ませることがあるようで、上方落語で、「(顎が長すぎることをからかって)カンナではつってもらったらどないや」みたいなくすぐりがときどき出てくる。


*5:「徒跣」の誤記と思われる。



編集

ほぼ1週間遅れで観ている。物語は暗く重い状態がつづいているが、面白さはいよいよ増している。




  • 今週の感想に入る前に、素晴らしかった前々回をより深くたのしめるように、『八重の桜』公式サイトにおける斎藤工(修理)のインタビューのリンクを貼っておく

  • 斎藤 工さんインタビュー - NHK『八重の桜』スペシャル

  • ブックマークでもコメントしたが、上記ページにおける最下段の写真と「楽しくて幸せな現場でした」という章タイトルによって、斎藤工自身が故人になってしまったようにも見える(以下の写真参照)

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  • さて本題、新政府軍がいよいよ会津に迫っている、というところから今週は始まる

  • 新政府より遣わされた異常に顔の薄い奥羽鎮撫総督は、仙台藩藩主(伊達慶邦)に会津の討伐を命じる

  • このやり方、新政府(といっても薩長中心であろうが)の兵力を減らさないというのと、奥羽への服従を誓わせるというふたつの目的を満たすという意味で、よく考えられているなあ、やっぱり

  • 仙台藩、伊達、ということでWikipedia を見てみると、やっぱり政宗の子孫ということがわかり、つまり仙台は江戸時代のあいだ配置換えみたいなことは行われなかったのね

  • ついでに、上のWiki で知った「だて」の読み方について引用



伊達の名は陸奥国伊達郡に由来する。この地は古代には「いだて」または「いだち」、中世以降は「いだて」と呼ばれた。伊達氏の読みも本来は「いだて」であり、暦応2年(1339年)の文書には「いたてのかもんのすけ為景」、慶長18年(1613年)に支倉常長ローマ教皇に渡した伊達政宗の書簡には Idate Masamune とある。15世紀に「だて」という読み方が畿内で発生し、江戸時代を通じて「いだて」と「だて」が混用された。






  • で、この奥羽鎮撫の参謀に長州の世良修蔵(小沢仁志)がいるのだが、こいつがまた腹が立つのだ

  • それに加えて、小沢の声がひどく聞きづらくてなにを言っているのかわからないところがあり、二重に腹が立った

  • 会津では、不作・凶作の心配をしていて、東北は農業ひとつをとってもたいへんな土地だったのだよなあと感じた

  • 覚馬が死んだという報を受けたうらは、くさくさしているが、八重が薙刀道場に連れて行く

  • 道場には、中野竹子、頼母の妻、そして神保雪(修理の妻)もいるのだが、この人たちはみんな……

  • 道場での場面というのは、これまでは剛力彩芽が気軽に登場できるほのぼのとした雰囲気だったが、今では深刻な、そしてここにいるひとりひとりの壮絶な運命を暗示するシーンになってしまっている

  • 場面は上野の、われらが「けいき」さん、慶喜公のところへ

  • 慶喜、将軍職を辞め、そして幕府を終わらせたことについて、「さしたる感慨もないものだな」とひとりごちる

  • 勝海舟との問答の中で、慶喜は自らが、慕ってくれる家臣がおらず孤独であったことを確認する

  • その孤独についての認識は、近代人らしいのかなと思った

  • 徳川家および江戸が救われたが、「では、会津はどうなる?」と慶喜は根源的な問いを勝に問い、そしてすぐに「いや、よい」とひとり得心する

  • この割り切り方が、このドラマで描かれた慶喜の一番の特徴であると思うし、そして一番大きな目的を満たすために合理的にならざるを得なかったという点でも、やはり近代人らしさを感じてしまうのだ

  • 会津の平馬、大蔵、悌次郎、尚之助たちは、仙台藩、米沢藩の主立ったものたちと談判し、会津の生き残る道を模索する

  • 仙台藩の代表が言うには、恭順の証として、鳥羽伏見の首謀者の首級を3つほど差し出すのがよかろう、と

  • このシーン、狭い一室に10人ほどばかりがまさに膝突き合わせる恰好で、唾を飛ばし、ときに怒声を上げながら談義を進めていくのだが、閉ざされた障子の向こう側にある光源(夕景のものか)が逆光となり、正座している各人の表情が隠れたりあらわれたりするという凝った撮影

  • 上記演出のせいか、平馬や仙台藩代表者がアップになったときの迫力が地味ながらもすさまじく、平馬がその場で腹を召そうとしたときに全員が立ち上がり止めようとするシーンには鳥肌が立った

  • 会津の「なんとかした生き延びたい」という思いと、仙台・米沢の「なんとかして助けたい」という思いがひしひしと伝わってくるこのシーンは、懇願・脅し・透かしなどの駆け引きを描いてうまく引き伸ばしたら20分ほどのショートフィルムが作れるのではないか、というくらいに秀逸な場面

  • この会議の結果、仙台・米沢の連盟で奥羽諸藩に通達、「会津を救済せよ」

  • 会津も、兵を進める新政府軍に備えるため、容保の前で、頼母、官兵衛、大蔵をそれぞれの地に遣わすことを決定するのだが、この場面、田中土佐、西郷頼母以外は月代を残していない

  • 新撰組は頼母の傘下に就くことになるのだが、ここで近藤勇の死が視聴者に報され、また、斎藤一山口二郎*1と偽名を用いていることが判明する

  • 斎藤は、三郎の月命日のために線香を手向ける時尾(貫地谷しほり)と初めて出会う(のちにこのふたりは結婚する)

  • 山本家では、奥羽25藩が会津救済の嘆願書に署名したことを喜んでいる

  • ところへ、若い米沢藩士らが新式銃の調練のために、尚之助を訪ねて来る

  • その藩士の中に、米沢訛りの朴訥な内藤という男がいるのだが、どこかで見たことあるなあと思ってしばらく考え、沼田爆*2に似ていると思いつき、「ああ、沼田爆の子どもも役者になったのだなあ」としみじみした



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沼田爆






  • が、念のために、とオープニングのキャストを確認したら、劇団M.O.P. の木下政治だということが判明、道理で見たことあるはず!



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木下政治






  • 仙台藩主、米沢藩主の両名が嘆願書を鎮撫総督に渡すのだが、世良が目の前でそれを握りつぶす(で、相変わらず世良がなにを言っているのか伝わりにくい)

  • 一方、江戸では広沢富次郎(岡田義徳)が会津救済を西郷に申し出るために総督府を訪れるのだが、騙され捕縛されてしまう

  • 福島では、傍若無人の振る舞いをする世良は、仙台藩士(福島藩士か?)を愚弄・罵倒し、ドラマ的にも「あ、この世良ってやつは殺されてもいいんだな、小沢仁志だし」みたいな雰囲気を醸成

  • そして、世良が武力討伐を押し進める内容の密書を送っていたことが判明したために、両藩藩士らは、世良を暗殺する

  • この世良暗殺の報が、平馬によって会津の容保のところに伝えられ、容保、観念したように「もはや戦は避けられぬ」

  • 結局、たったひとりの粗暴な男が挑発をつづけ、そこに爆発してしまった奥羽勢がその挑発にうまく乗せられ、薩長の新政府にいい口実を与えてしまったという構図は、現代でも充分に通用するやり方なのだと思う

  • 「たったひとりの死」という言い方もおかしいが、それがために奥羽戦争が勃発するというこの世良という男の「導火線」っぷりも、歴史の大きなスパンから俯瞰すると、すごいものがある

  • 大山弥助が砲兵を率い、頼母たちのいる白河を攻め入るのだが、相変わらず、反町が贅沢につかわれている

  • 火力の差により頼母たちは退却をせざるを得なくなるのだが、「吶喊あるのみ」とひとり死のうとしたその頼母は、もしかしたらこのときになって初めて、新政府軍の実力というもの、そして自藩の武力が時勢に適していないということを知ったのではないか

  • 官兵衛は長岡藩に行き、同盟を持ちかけるのだが、このときの家老を演じているのが扉座の岡森諦(個人的に懐かしい)で、官兵衛に「ガットリング砲」の設計図を見せて、「越後5藩とともに、奥羽同盟に加わりますがいや」

  • 語尾の「がいや」がいいね

  • というわけで、31藩からなる奥羽越列藩同盟が結成

  • ここらへんの描写を見るに、東北というのはやはり中央(江戸なり京なり)から疎外されていたのだろうなあと痛感した

  • (2013/6/20追記)そうそう、「東北疎外」が現代でもつづいていた証拠にサントリー社長の「東北熊襲発言」を再確認しなきゃいかんと思っていたんだっけ

  • 東北熊襲発言 - Wikipedia

  • 維新ものといえば、どうしても薩長側から描かれることが多いが、「追い込まれた」と言わざるを得ない東北側の心理というのを今回のドラマで初めて知ることができ、理不尽な状況に陥りながらも、しかしどこかで面目を立てて武士の一分を示さなければならないという東北勢に100% のシンパシーを感じてしまい、翻って薩摩・長州の憎いこと憎いこと

  • このドラマを観た東北の子どもたちは、一生、鹿児島、山口出身の人間を赦すことができないのではないか、とも思う

  • 理不尽なことから追い込まれてしまった、という状況は、震災に遭った東北のそれとまさに同じで、判官贔屓気質の日本人であれば、やはり応援しなければならないだろう

  • まだ投獄されたままの覚馬は、悪夢を見るのだが、この悪夢の描写も前衛的で面白かった

  • しかしこのシーン、なにか似ている情景があったなあと必死になって思い出してみたら、'84の映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』でのタイムスリップの描写とちょっと似ているのだ(興味のある方は、下記動画の再生場所あたりをご参照あれ)








  • 目を醒ました覚馬は、どこで道を誤ったのだと振り返り、「おれにはなんもできねえ」と涙を流すのだが、このシーン、西島秀俊の演技はいいのだが、台詞にいまいち実感が湧かない

  • 「なんもできねえ」のは当たり前で、個人がどうこうしてひとつの藩、あるいはひとつの国を変えることができたのだろうか、と思ってしまうのだ

  • そこに懐かしの吉田松陰の台詞が響き、「(おれにできることが)ひとつだけある」と覚馬が確信するのだが、それがはっきりするのは次回以降のことのようだ

  • 八重とゴーリキーは白河での負傷者を救護、医師の春英が「もうそろそろ(帰りなさい)」と勧めると、ゴーリキーは「はい」と返事をするが、八重は「もうちっと……やらせてくなんしょ」といつづける意志を伝える(ゴーリキーは帰ろうとしたけどね!)

  • 『八重の桜』紀行で紹介されていた頼母直筆の掛け軸にあったかたつむりの絵がかわいかったよ!



*1:これはまあ、父の姓が山口ということと、その次男であることから、ある意味本名と言っていいのだと思うが。


*2:この名前を思い出すのに非常に時間がかかった。はっきりと記憶しているのは鬼平犯科帳で料理好きの役ということだけだったからである。なお、我が家では、この人は「大和田獏じゃない『バク』」ということで通っていた。



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私も、夏ばっばが死んでしまうというのに1票。死因は「震災とは無関係」コースに応募します。

先週だかで、たしかアキが帰って来ても「疲れていて、ごはんの用意ができない」とかそういう台詞があったように思う。そのときのアキはたしか「おら、自分で用意するからいいよ」みたいな反応で、かなりあっさりとしたカットだったと思うんだけど、少し奇妙に感じたのを憶えている。この部分が、結構な後で伏線として働くのではないか。

海女カフェの影響で大忙しという設定もわかるし、あるいは、その後(だっけ? 正確じゃない)の目開け爆睡への伏線ともとれるけど、でも……。

で、以下を妄想。



震災前。

忠兵衛さんが帰って来て、夏ばっばが「心配だから、病院の精密検査を行こう」と持ちかける。

場面変わって。アキは東京かどこかに行っていて、春子から「危篤! すぐ戻って来て!」みたいなメールを受け取る。

慌てて帰って来ると、ちゃぶ台の周りに3人がすわっている。上座手前に忠兵衛、その奥に夏。で、下座に春子。アキ、春子の隣に促され、おそるおそるすわる。

「じっちゃん、悪いのか?」

「ん? おら? ぶはははは! いや、そうでねぇ。おらぁ、元気だ……具合ぇわりぃのは、夏さんの方だ」

そこで、今までに忠兵衛の陰に隠れていた夏を初めてアップ。そして、夏が、あるいはナレーションが、夏の状態を語り出す……。

病名を明らかにするかどうかわからない。すぐに容態が悪くなるということはないのだけれど、最後の何週間かをアキたちと北三陸で過ごすということになるんじゃないか、というのが私の予想です。

いちおう上のやりとりで、




  1. 最初に、大吉が春子を騙すために偽「危篤メール」を送った

  2. 忠兵衛さんの精密検査の結果が思わしくなかった

のふたつのエピソードが、ドッキリの仕掛けとして働くしね。

安直な妄想ですが。



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