とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 食べ物&飲み物

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エダマメがそろそろ生ってきたのである。

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除草とか草刈りなどをきちんとしていないからけっこう汚い感じ

それなりに生育は順調。というか、今年になってはじめてエダマメってこういうふうに実がつくんだなあと知りました。

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実に近づくとこんな感じ

理想はすべて3粒莢にすることだけれども、写真のとおり2粒のものもある。

どうでもいいけど、いま「さんつぶざや」あるいは「さんつぶさや」の意味で「3粒莢」と書いたけれど、「さんりゅうきょう」とか読むのだろうか。

葉が濡れているのは、今朝方に少し雨が降ったから。以前にも少し触れたが、当地は山間(やまあい)なので、わりと雨が降りやすい。梅雨明けしてからも適度に、ときには過剰に雨が降って、そういう意味では日照りという程にはなっていない。その代わり、梅雨時期には全然降らなくて難渋した。

焼いて食べている。

ちゃっちゃっと洗って、適当に塩もみして、それからオーブンで10分くらい焼いている。だいたいテキトー。

近所のおばあちゃんにはいちいち莢の端っこを切り落とすという茹で方を聞いたのだが、面倒なのであまりやっていない。その方が塩味が染みこむということなんだろうけれど。

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産毛が光っております

こういうのを考えると、冷凍のエダマメって安いし便利だよなあ。冷凍じゃないエダマメってスーパーでどれくらいの値段で売っているんだろうか。

秋口になれば、黒豆のエダマメができ始めると思う。

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これらはすべて黒豆


わかりにくいが、一番上の写真のエダマメと較べて、ずいぶん大きく成長するらしい。

黒豆の多くはエダマメで食べようと思っているが、一部を乾燥させて正月に食べるあの黒豆にしようかと考えている。よそから作ってほしいと頼まれたからで、うまくできればいい値段で引き取ってもらえるようだが、乾燥させて実を選別してうんぬんという手作業はかなり面倒そうで、前述のおばあちゃんに今年は教わる予定。おそらく丹波みたいな生産地ではすべて機械でやっている作業だと思う。

エダマメの一部を乾燥させて、それから味噌を作っているおばあちゃんもいる。エダマメを乾燥させたらいわゆる大豆になる、ということを私は恥ずかしいことにこの年になって初めて知ったのだが、東京生まれヒップホップ育ちなので仕方がない。

味噌を作るのは、本当に手間(というか時間がかかる)らしく、元来の面倒屋の私は作る気にもならないが、2年ものだか3年ものだかをときどきいただくこともあり、なんだかもったいなくて食べられないのだが、でも食べる。

なんてことを、エダマメを口にほうり込みながら考えておりました。



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個人的なメモとして。

トマトを作って2年目になるんだけど、「これほどひどいことになることはそうそうないだろう」っていうレベルでいろいろと問題発生。

まず、買った苗が病気を保有していた。で、それを植えたところ(専門的にいうと圃場)で虫が媒介して感染。かつ、それが新品種だったせいか、薬剤(簡単に言えば農薬)に対して弱く、障害が発生。病気が発症。それが青枯病っていうトマトの中で最凶の病気だということが判明して、そもそも同じ病気が去年の後半に発生していたというのに、そのときは診断の見立て違いをしていたらしく、そのせいで今年という1年を棒に振ったわけだ。

まあそんな中でも死なない苗というのも何本かあって、そこから数個というレベルでトマトを穫ったのだが、それがまた形が悪い。形が悪い野菜の方がいい、という人もいるけど、形が悪いのにはそれなりの理由(おもに栽培技術の欠如)があるからで、そこを理解すると、やっぱり形のきれいな野菜の方がいい、と私は思う。まあ、「いい」と「おいしい」はまた違うし、そもそも「おいしい」は絶対的なものではない、というのが持論だけど。

ただ、きょう穫ってきた形の悪いトマトを食べてみたら、去年と較べて甘くておいしかった。でもこの甘さが、品種由来(去年とは違うもの)なのか、あるいは水分を切らし気味にしている栽培方法に由来するものなのかは、はっぎり言っで、わがんね。

わだくすの勉強不足というこども多々あろうとは思うのだけんじょ、農作物っつうのはいろんな要素からできあがっでいるもんでがし、やれ、なんちゃら農法じゃ、ほれ、かんちゃら農法じゃ、っちゅうことでくぐれるもんではねえと、そう思ってるところでがす。



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別にステマじゃないけれど、生梅飴が非常に好き。好きだったのだが、あることが原因で数年遠ざかっていた。

「あること」なんていうと大袈裟だけど、あれをずっと舐めていると、口蓋部分が切れて血が出てくるのである。もちろん、ひとつを舐めただけで切れるということはなく、次から次へと止めどなく口の中に放り込んで舐めるから、そのうち、飴の硬い外側部分で口蓋を傷つけてしまうのである。

梅干しなんかだと「1日1個で毎日健康!」などという但し書きを用いて、暗に塩分の過剰摂取に注意喚起をしている場合があるけれど、生梅飴も過剰摂取に対する注意喚起の必要がある、と消費者生活センターに意見メールを送ろうかどうかと悩んでいたのだが、それより以前に私自身が控えねばなるまい、と数年にわたって購わないようにしてきた。

それがこのあいだ、コンビニに立ち寄ったときにたまたま目にしてしまい、「お、ひさしぶりに舐めてみるかな」と購入。こんなふうにネットをちらちらと見たり、ソファにすわって本を読んでいたりするときに、横ちょにこの袋を置いておいたら、もうだめ。気づくと、ずっとパクパク口に投げ入れてしまう。

それでも、上顎部分が傷つかないように無意識に飴を右か左の頬部分に入れておいたのだが、それでぺろぺろやっていたらいつの間にか右頬の内側にぷくーとちっちゃな突起を感じて、「あれ? なんかタコみたいなのができたのかな」と思ってそのタコっぽいやつをぺろぺろしていても、痛くも痒くもないし、なんだかこれかわいいな、でもどうなってんだと鏡で見てみるとびっくり。血豆ができている。

え? え? え? これも、生梅飴のせい? どうやらそうらしい。舌なんかも荒れてしまって、ちょっとしたドレッシングなんかが付着すると、「あ、痛」ってなるし、やっぱり口蓋部分も皮がべろべろに剥けてしまって……これ、危険食品ですよ(ステマどころかネガキャンになっている)。

もともと、駄菓子関係に異常に執着するようなところがあって、高校の頃には、「すもも漬け」というのにハマっていた。画像を探すと、けっこう大きいサイズのものが落ちていた。

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これこれ。学校はわりと都心にあったのだが、裏門の近くに駄菓子屋だかパン屋だかわからないヘンな売店があって、そこでこれを購入。1個30円也。

アイスを売っているアイスボックス(?)に入れて凍らせている場合もあったし、常温のものも置いてあったように記憶している。

アイス版は、全体に口をつけて、すうーっと吸う。そうすると、赤い氷から赤い部分(酢酸系液体)だけが吸い取られ、口に入り、「ゴホッ! ゴホッ!」と咳き込む。酢を一気飲みするのと理窟は変らないからね。この咳込みがたまらない。涙を流しながら、二吸い目。「ゴホッ! ゴホッ!」。たまらん。

たしかこの売店の近くに、政治家の渡辺美智雄(今の「みんなの党」党首の喜美の親父さん)が住んでいる(家のひとつ、ということだったのだろう)マンションがあって、「ほら、あそこのマンション、いまミッチー来たよ。あの黒塗りの車から出てくるやつ。SP も一緒じゃん」みたいな説明を受けながら、すもも漬けをすすって歩いた記憶がある。もちろん、渡辺喜美の顔を見ると咳き込んでしまうような、変形パブロフ的反応は私には起こっていないが。

この「すもも漬け」、ノンアイス状態もすごかった。これには、短い白のストローをつけてくれるのだが、このストローで酢酸系液体をダイレクトで吸ったときの昂揚感およびゲホゲホ感といったら! 映画『パルプ・フィクション』なんかでヘロインかコカインを、ストローを使って鼻からコォーって吸うシーンがあったように思うけど、あれってこんなもんなんじゃないのってくらいに噎せます。「ゴホッ! ゴホッ!」のあとに、必ず「カハッ!」ってなります。どうでもいいけど、「噎せる」っていう漢字、じっと見ているとなかなか「むせる感」が漂ってくるねどーも。

また、この液体がない「酢漬けすもも」にハマっていた時代もあった。これもネットで探したら画像発見*1

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これこれ。これの一番上。1個30円也。これは1日に5個までと数量制限を設けて食べていたけど、もし将来私の身体に異変があったとしたら、こいつのせいだと思う。おそらく発癌性物質が山ほど入っている、というより、発癌性物質で食べ物を作るとこういうものになる、という予感を起こさせる色をしていた(色については、前の「すもも漬け」も同様だが)。どう見たって尋常な色じゃない。口にしていいものの色をしていない。

けれども、身体によくないだろうなあと思っていても、やめることはできなかった。いや、むしろこれを食べて死ぬなら本望だ、というくらいに当時の私は刹那的に生きていたのかもしれない、時速300km を出して高速道路をぶっ飛ばす750ライダーのように……というのは冗談だけど、身体に悪いと思っていても、好きなものってなかなかやめられないわけで。

これにハマった頃は品川駅近くで働いていたんだけど、これが売っているコンビニでちまちま買うのが面倒になり、「そうだ、これ、ダンボールで箱買いすりゃあいいんだ」と思ってネットで調べたところ、メーカーのサイトに行き着く前に「悪い噂」を内部密告している(らしき)サイトがヒットし、そこで「ぞぞぞー」っとなる描写を見かけたので、それからいっさい口にするのをやめた。

そんな私が最近ハマったのが「のし梅さん 太郎」で、これは近所のセブン-イレブンで売っている。




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これこれ。なんてったって「こりゃ~ うめェ~」だからね。ちなみにこの商品名、「のし梅さん 太郎」と「太郎」の前に少しブレスを置く。「太郎」というのはシリーズ名らしい。初見では「のし梅 さん太郎」とドカベンの微笑三太郎みたいな読み方をしてしまうのだが、「のし梅さん 太郎」が正解。この問題、去年の明治大学文学部で出題されています。

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参考までに、微笑三太郎

これは1個10円。これが値上げされたときに初めてアベノミクスが成功したといえるんじゃないかっていうくらいに、安い。ある意味、デフレの象徴みたいなもんだ。

価格のせいもあって、これも大量買いをする。ちまちま買うのが面倒なので、棚にあるこの薄っぺらいやつらをごそっとつかみ、それをレジカウンターに叩きつける。

それを向こう(レジ打ちさん)が黙々と数えるところまではいいのだが、最終的に「12個ですね?」とか「17個ですね?」などと確認してくる。これが非常に厄介。

こちらはなにも「いくついくつ必要だからそのぶんだけ買う」というような意図を持っていないから、何個ですよね、と確認を求められても困ってしまうのだ。しかし向こうは、適当に17個も買う人間はあるまい、と思っているから「ここ、非常に大事なところですよ」という感じで尋ねてくるので、こちらも「ああ、そんなのテキトーでいいよ」と流すこともできず、とりあえず、「そら」で架空の子どもたちの人数を数えるふりをして、「そうそう、やつらは全員で17人いたはずだった」みたいな演技をして、うなづきながら「あ、17でいいです」と応じることにしている。めんどくせっ!

その演技の回数を減らすために、ますます大量買いをして購入頻度を減らそうと目論むと、向こうはさらに厳密な様子で質問をしてくるから、最近ではタイガーマスク伊達直人よろしく「へへっ、施設のボウズたち、喜ぶだろうなァ……」みたいな表情で、鼻の下を人差し指でひとこすりし、「はい、28個です」と答えるようにしている。

ちなみにこれ、アマゾンでは60袋入りが505円で売っているみたい。こんなのにもカスタマーレビューをつけている人がいて、「新時代の幕開け」と題している。どこに向かって開かれている時代なのか、ワタクシにはちょっとわかりかねるのですが。



こういう嗜好の人間がお客さんに向かって、ブルゴーニュのシャルドネの素晴らしさだとか、ボルドーのカベルネ・ソーヴィニヨンの偉大さ、極上シャンパーニュの芳醇さなどを語って、ときに何万円とお金をいただいていたのですよ。もちろん、満足してもらったうえでの話だけどね。



*1:というか、ふたつとも同じブログにあった画像なので、ソースを貼っておく。「やまだくんのせかい」より



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玉ねぎをみじん切りするときのこと。

縦に半分割ったのを横ちょにして、それから、繊維の走っている方向に切れ目を入れていって(わざと一部は残して「スライス」にはしないで)、それから90度回転させて、繊維に対して今度は垂直に切っていくと、いちおう、「みじん切りの素(もと)」みたいなのができる。

でも、それで終わりってわけじゃなくて、そこから包丁でザクザクザクザクとみじん切っていくわけだけど、このとき、まな板から「素」の一部たちがぽろぽろとこぼれてしまう。私だけだろうか。

で、この「こぼれ素」たちの拾い方なのだが、ザクザクやっていて「あ、落ちた(or こぼれた)」と気づいてそれを拾っていると、「あ、また落ちた(or こぼれた)」となって、毎度毎度拾いながらやっていると、苛々してくる。

けれども、じゃあザクザク作業が全部終わってから回収しようとなると、今度は、こぼれたやつらの運命が気になってしまって仕方ない。

私の場合、「こぼれたもの(=まな板から飛び出たものの、ステンレスの作業台上で踏みとどまっているやつら)」と「落ちたもの(=まな板から飛び出し、かつ、床にダイビングしてしまったやつら)」とでは扱い方を変えており、「こぼれ」に対しては、敗者復活を許し、「落ち」に対してはゴミ袋行きにしている。作業台(?)はきれいにしているからいいけど、床にはたぶん猫の毛がいっぱいあるから、というのが主な理由。

「こぼれ」は視界に入るから、「よし、そのままにしていろよ、あとで全回収してやるから」と思えるのでいいけれど、「落ち」はどこに落ちたのかわからないという不安がある。ちょこっと立ち位置を変えたときに、スリッパで踏みつぶしてしまわないか、あるいは、どこか見つかりにくいところにコロコロと転がって行ってしまったのではないか、とザクザクに集中できない。

だから、いちいち落ちては拾い落ちては拾い、とするんだけど、それをやっているうちに今度は涙がポロポロと出てくるので、拾わなければならないわ目が痛いわで、やっぱり苛々する。

前は、1/2のサイズでみじん切っていたのだけれど、最近は1/4サイズでザクザクすることを覚えて、ポロポロと落ちることは比較的少なくなったが、それでも皆無というわけではない。

プロの料理人みたいに分厚くて大きなまな板を使えばそういうおそれはもっと少なくなるのだろうけれども、あいにく、そんなに大きなまな板を置けるスペースがない。

で、結局、玉ねぎ→みじん切り→面倒くさいという連想で、玉ねぎを回避するようになってしまいがち。

「そんなあなたに、今日はとっておきの商品のご紹介です!」とかいって、フードプロセッサーとか小型のミキサーとかがあるけれど、どうにも後片付けが面倒でねえ。洗うのはまあなんとも思わないんだけれど、それを棚から出したりしまったりするのが億劫、という話。

……という上記内容を、くだらないのでツイッターでツイートしようと思ったのだけれど、どうしても140字に収まりそうもないので、ブログに書いた。

しかしまあ、見よ、上記のこの全体的なボキャブラリーの乏しさを。料理が得意じゃないっていうことが、すぐにわかる文章だなあ。



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先週の土曜日のことだから十二月の頭に、友達がわが大豪邸を来訪し、ささやかな饗宴を催した。

彼女の訪いに先立ち、ふだん五百人からいる使用人たちと、それをまとめる五人の執事、および、すっかりと髪の白くなってしまった執事長、それにふたりの門番と十六匹からなる番犬たちのすべてにそれぞれ数日から一週間ほどの暇を出したので、つまり、一切の修辞も謙遜もない、まことに文字通りの「ささやかな」夕食会となった。

私たちはまず、琥珀色をした恵比寿様の標印のある麦酒を三本ばかり空け、それから葡萄酒へととりかかった。

半月ばかり日は遅れてしまったものの、時候としてはボジョレの新酒祝いがふさわしいと思ったらしく、友達が赤の葡萄酒を一本持ってきてくれた。

造り手は「自然派」らしく、味は地味ながらもわりあいにしっかりとしていて、ゆっくりとコクを愉しむことができた。最後まで瓶を傾けると澱がびっしりと底に現れたのだが、これが自然派ゆえの無濾過による現象なのかどうかは不明。

電子網上でこの葡萄酒の表示札を探してみると下のように一昨年のものは見つかるものの、今年のものは見つからない。今年の表示はこれとまったく外観を異にしているのだが、もしかしたらその原因は、AOC 表示からAOP 表示へと移行したためかもしれない。




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Beaujolais-Villages Nouveau 2012 - SARL Jaubert M&G






私は葡萄酒について、というより酒類全般を給仕長に預けてしまっているので、ここ最近の動向についてまったく知らなかった。

仏蘭西が自国内の食品に対して認証を行なっていたものがAOC、すなわち「原産地呼称統制制度」であったのだが、最近は、AOP(Appellation d'Origine Protégée*1)という新たな欧州基準が設けられたらしく、私の友達の持参した葡萄酒には、それに準拠した表示がなされていた。つまり、「Appellation Beaujolais-Villages Protégée」と。なお、今後、AOC からAOP に移行していく義務や合意があるのかどうかは判然としなかった。いづれにせよ、AOCAOP が併存する状況はしばらくつづくものと思われる。

兎も角も、そういう表示内容の刷新があったために、かの葡萄酒についての意匠も変更されたと推察したのだが、それは上掲画像よりももっと華やかで愛らしいものであった。

しばらくして新酒の瓶が空いたので、私は酒蔵に誰かが持って来てくれてそのまま置き放しにしてあった白の葡萄酒の栓を抜いた。




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Viognier Mt. Harlan 2010 - CALERA




といっても、通常、酒瓶はコルクによって栓がなされているのに対し、このカレラ社のものは、下のような硝子栓がなされていて、なかなかに洒落ている。




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色は黄色から黄金への間あたりか。林檎のような香りがして、「馥郁たる」や「芳醇な」という形容がふさわしい伸びやかな味。



さて。

われわれは酒乱の如く麦酒や葡萄酒を浴びてばかりいたわけではなく、酒肴となるような話にも耽ったのだが、なにせ私の場合は酒精の勢いに任せての長広舌、聞き手の相手がしっとりうっとりしっぽりとなるわけもなく、どころか、うんざりがっくりぐったりの三拍子に踊りを踊りだす始末。ああ、ソレソレ。

踊りを踊ったついでに、音楽の話に移り、これからの時代の日本の音楽はいったいどうなるのだろうか、ということについて話した。

かつてのように数百万枚という販売記録が連発し、人より優れた技術とちょっとした運があれば「音楽で飯を食う」ということが可能であった時代は既に遠くにあるような気がする、ということを確認し合うことはできたが、それから後のこと、つまり現在やこれからについてふたりとも明確な眺望を持っているわけではなかった。

ただ、そのときの私の酩酊した灰色の脳細胞の奥底では、幽かにある音楽が流れていたのだが、私はその曲名を思い出すことができず、また違う話へと話題は移って行ってしまっていた。



私がそのときに思い出せなかった曲は、邦題を『三月の水』という。歌っているのは、アントニオ・カルロス・ジョビンエリス・レジーナ






AGUAS DE MARÇO / TOM JOBIM & ELIS REGINA




以前にも書いたが、私は伯剌西爾音楽については詳しいことはまったくわからないのだが、葡萄牙語で「新しい感覚」と称されるその音楽の雰囲気をたいへんに愛しており、特にこの曲は、幾たび聴いても幸福な気持ちに誘われる。歌い手のふたりが本当に心の底から音楽を愉しんでいる、そのことがはっきりと感覚されるからである。

音楽という言葉は「音を楽しむ」という意味でないだろう。「楽」はここでは「なりもの」の意であろうから、つまり「おと」と「なりもの」ということになると思う。しかし、「音楽を愉しむ」という言葉はもちろんあり得る。

歌がもともと呪術的な意味合いを持っていたとしても、それが現代まで残っているのは、きっと歌をうたうということ自体に愉しさが存在したからと私は考えているのだが、その愉しさがここにはある。

私は今日の今日までこの映像を観たことがなく、再生装置から流れ出る音のみでこの楽曲を愉しんでいたのだが、それでも、エリス・レジーナが吹き出しながら、子どものようにふざけて歌う様子をいつも目の当たりにしているつもりになっていた。

この記事を書くにあたって、私はこの『三月の水』の動画を探し出し、それからまた、日本語の訳詞を探した。このように多幸感で満たされた歌には、素晴らしい詩がついているに違いないと睨んだからである。

はたして、それはあった。やはり素晴らしい詩だった。

この「新しい感覚」の生み出した音楽は、四十年あまりが経とうとしているのにもかかわらず、小川から飛び跳ねた水が陽の光を受けてきらきらと光るそのきらめきに似たようなものをこの現在に届けている。ふたりの歌声は、軽やかな光の跳躍であり、その旋律に乗って流れる詩は、透きとおった小川にぽこぽこと浮かんでは消える無数の水泡(みなわ)だった。



歌詞は、岩切直樹氏の「三月の水」からそのまま引用する。





三月の水



棒、石

道の終わり

切れ株の残り

ちょっとひとりぼっち

ガラスのひとかけら

命、太陽

夜、死

投げ縄、釣り針

ペローバ・ド・カンポの樹

材木の節目

カインガーの樹、カンデイアの樹

マチータ・ペレイラの樹

風の木

川岸の崖崩れ

奥深い神秘

求めても、求めなくても

吹いている風

坂の終わり

梁、空間

棟上式

降っている雨

三月の水の

小川の会話

疲れも終わり

足、地面

ぶらぶら歩き

手のひらの小鳥

パチンコの石

空の鳥

地面の鳥

小川、泉

パンのひと切れ

井戸の底

道の終わり

顔に不機嫌

ちょっとひとりぼっち

棘、釘

先っちょ、点

滴り落ちる雫

計算、物語

魚、仕草

輝いている銀

朝の光

届いたレンガ

薪、昼

森の道の終わり

ピンガのボトル

路上の破片

家の設計

ベッドの中のからだ

故障した車

泥、泥

足跡、橋

ひきがえる、かえる

森の残り

朝の光の中に

夏を閉じる

三月の水

君の心には

生きる希望

蛇、棒

ジョアン、ジョゼ

手のひらの棘

足の切り傷

夏を閉じる

三月の水

君の心には

生きる希望

棒、石

道の終わり

切れ株の残り

ちょっとひとりぼっち

足跡、橋

ひきがえる、かえる

ベロ・オリゾンチ

三日熱

夏を閉じる

三月の水

君の心には

生きる希望





*1:仏和辞書を繙くと、「protéger」が「保護する(≒ protect)」という意味なので、日本語では「原産地呼称保護制度」とでもなるか。



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「本日のデザートはクレーム・ブリュレでございます。カスタードクリームをキャラメリゼしたデザートでございます」

と説明されて、「えっと……《キャラメリゼ》ってなんですか?」っていう疑問を持つ人は少なくないだろう。「キャラメリゼ(あるいはキャラメリーゼ)なんて常識じゃね?」という人もいるかもしれないけれども、私の周りに住む70代のおばあちゃんたちは100% 知らないと思う。

キャラメリゼを「キャラメル化」と言い換え、さらにそれを「砂糖を焦がすこと」というふうに説明すれば冒頭の説明はよほどわかりやすい。

「本日のお菓子は、カスタードクリームの表面に焼きを入れてこんがりと焦がしたものです」というふうに。これならまあ70代のおばあちゃんにもなんとか伝わると思う。「カスタードクリーム」がわからないのであれば、「黄色いクリーム」とか「最近たい焼きにもあるでしょ?」などと説明すれば完璧。

けれども、高級店になればなるほど「キャラメリゼ」という言葉が利用される確率は高いと思う。もちろん高い技術を持ったサービスマンであれば、相手に伝わるかどうかを見極めてから言葉を選ぶだろうけれど。

「キャラメリゼ」はひとつの例なのだが、こういうのをひっくるめて「ジャーゴン」と呼ぶ。ジャーゴンとは「専門用語」のことだ。

筒井康隆は、文学においてジャーゴンは「異化効果」をもたらすと言っている。冒頭の説明文がもたらす「異化効果」とは、(コックやパティシエではなく)一般客をして非日常の感覚を味わわしめることだ。

レストランやパティスリーなどは、非日常の場であるべきだと私は考えるので、異化効果を図ること自体は反対ではない。既述したように高い技術を持ったサービスマンであるのならそのジャーゴンが伝わるか否かくらいはわかるはずだ。たとえわからなかったとしても、好奇心の旺盛な人間であれば「キャラメリゼ、つまり表面に焼きを入れることですけれど」などという説明の仕方で、理解させることが可能だ。そして、レストランではそのような教育活動(という言い方が正しいのかどうかはわからないが)もある程度は必要だと考えている。

しかし、サービスする側がそういうことをまったく考えないで、ただの自己満足的意味合いにおいてジャーゴンを多用するのであれば、これはまた別問題である。

お客さんを煙に巻くことで自分の優越感を満足させることは、サービスマンとして一番やってはならないことだが、実際そういうサービスマンは多い。残念なことだが。

というのも、先日東京へ行ったとき、以前バイトをしていたビストロへ行ったら「ポワソンはこれこれです、ヴィアンドはこれこれです」というような説明をされて、フランス語からだいぶ遠ざかっていた私は、「ポワソン……つづりは思い浮かぶな。poisson。意味はなんだっけ? 言いたいことも言えないこんな世の中じゃ……ってそりゃポイズンだよ!」と自分の中でノリツッコミをして、そうそう魚のことだったと思い出したのだが、私の知り合いであるサービスマンは、もちろん相手が私であるから「ポワソン」だとか「ヴィアンド(肉)」などという説明をしたのだろうけれど、ふつうに「魚」とか「肉」でよかったのではないか、とも思った。

なんてことを書いていたら、「ハケン」として働いていた外資の会社でのエピソードを思い出してしまって、ある部署のマネージャーが会議中に「すみません、interrupt してしまいまして。われわれとしては、このmatter に関してはfamiliar ではないので、もっとinvolve していただきたいというのがfrank な感想です」というような発言をしたらしい。

うひょー。いや、こういうノリもわからなくもないので、完全に否定の意味で取り上げたわけじゃないけど。私だってその会社では、日本語に訳すのが難しいものについては英単語のまま用いていたことがある。郷に入りては郷に従えという言葉どおりである。

ちなみに、上記の文章をわかりやすく言えば「すみません、お話し中に。われわれはこの件に関してはよくわからないので、もっと話に加えてほしいというのが正直なところです」というところか。

話を戻すと、サービスマンが専門用語(実は、この記事の中での「ジャーゴン」という単語じたいにもある程度の異化効果を期待して用いた)に酔い痴れているだけでは、「interrupt してしまいまして」うんぬんとあまり変わりがない。しゃべっている方は気持ちいいかもしれないが、聞いている(聞かされている)方は、はたして同じ気持かどうかはわからない。

だからといって盲目的な平等主義もよろしくない。70代のおばあちゃんが滅多に来ることのない店で「黄色いクリーム」などという言い方はしなくてもよい。しないほうがよい。

サービスマンはただ目の前にいる客を満足させればよいのだ。彼/彼女の顔を見て、「キャラメリゼ」という言葉を遣った方がよいのか悪いのかを見極める仕事は、実は愉しい。サービスマン自身が恰好をつけ、そして客も恰好をつけられ、そして店じたいも恰好がつくようなサービスが私は好きだ。

どうか、客に愛を、そして幻想を見せてください。



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備忘録的目的で。

ついに13段目まで来たわがトマトだが、もうカビが生えたり割れたりで、ろくなもんじゃねえとばかばか捨てていたのだが、ふと思い立ち、その割れているトマトの割れている部分を庖丁で丁寧に除けて、食べてみたらめちゃくちゃ旨いのにびっくり!

9月の半ばに摘芯をし、それ以来肥料も水もやっていないというのに、この甘さたるや、いかに表現できようか(いや、できない)。

おそらく、日中の気温がだいぶ下がったので、熟すのに時間がかかっているということ*1と、水分が少ないことでストレスがかかり果実じたいが糖分を蓄えている、というのがもっともらしい分析。皮の部分は少し硬くなってはいるのでやや口に残る感触はあるけれど、これ、本当においしいです。

ただ、赤くなったと思ってもすごく苦味がある場合もある。これはどういうことかとちょっと調べると、低温下での未熟成が原因らしい。



熟す前に落果した緑色のトマトで、この苦さが体験できる。来年はこの緑トマトでピクルスを作りたい、などと思ってマス。



*1:トマトに限ったことじゃないけれど、生育に時間のかかった作物はおいしい、という専門家の話を聞いたことがある。



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なんだかんだで仕込んであった白菜が順々に出来上がりつつある。

今日、ためしにと引っこ抜いてみたら、それなりの形のものができていた。

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相変わらずブツ撮りは難しい



ミニ白菜なので、1kg 弱くらい。まあ放っておけば2kg くらいになるとのこと。

なかなか結球(葉が巻くこと)しなくてやきもきしていたが、なんとか順調に育っているらしい。

暖かいうちはぐんぐんと大きくなっていたが、ここ1週間は涼しいを通り越して寒くなってしまっており、噂によれば最寄りの観測地点では最低温度が5度以下になってしまったこともあるとか。こうなってしまうと、植物は一気に成長を止めてしまう。そのうち、霜が降りるのでしょうな。二十四節気でも、ちょうど現在は「霜降」に当たる。

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白菜は、この葉脈の迫力が美しい



で、たしか去年人から聞いたことだったが、白菜は霜に2回当たると甘くなっておいしいらしく、それが今から愉しみでございます。



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今日は仕事場に知り合いの方がいらして、うわあお久しぶりですねこちらこそご無沙汰していますお元気でしたか向こうでの生活はどうですか落ち着かれましたかなどというご挨拶をし、まあまあかけてくださいよコーヒーでも飲みますかとこちらも本心から長居をねだるものの、いやいやお仕事の邪魔しちゃ悪いですからそれじゃコーヒーだけいただくとしてなどと丁寧に返してくださり、そういえばこれお土産です、いやあそんなのいただくいわれがありませんよ、いやいやほんとに大したことなくて、えこれをいただくわけには、いやほんと小さなもんで恥ずかしい限りです、と頂いたのがこれ。

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コーヒーを早々に飲んでしまうと、それじゃ手を止めて本当に申し訳ありませんでしたとすぐに帰られてしまった。本当にいてほしい人は早く帰ってしまう。こちらが必要ないと思っている人ほど長居する、ってことはわざわざつけくわえなくてもいいか。



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東京・横浜に行っていたあいだ、少し注目して見回ったのはスーパーなどに置かれている野菜の値段で、東京のある百貨店内の高級スーパーでは、わざわざ「西日本の野菜」と題して、ほうれん草(たしか京都産)1パックが550円、トマト(京都産)3玉で580円くらいの値付けがされていた。横浜のとある高級スーパーでは、やはりほうれん草が580円、トマトが600円くらいで売られていた。これは「西日本産」とは明示されていなかったが、たしか近畿圏の産。

関東の現状をあまり知らないから書くのだが、これ、高級スーパーじゃわりと当たり前の値段なのかな。

実家(横浜)の近くにある激安系のスーパーでは、ほうれん草(北関東あたりかな)は198円、トマトが1玉128円、などという値段になっていたので、これなら当地のスーパーなんかとも変わらないかなというふうに感じたが、けれどもうちの近くの直売所などの場合では、現時点で、ほうれん草は150円だし、トマトは1玉あたりだいたい100円くらいかな、という印象がある。

しかし、すごいですな、「西日本産」の威力は。関東にしか通用しないのかもしれないけど。

私自身も、「西日本の野菜、ほしいんだよねえ」と何人かに直接言われたこともあって、実際の供給がどうなっているかとかはまったく知らないのだが、一般に購入できるレベルではあまり店頭に並んでいないのかな、と感じられる。横浜の激安スーパーでは福島県産のトマトが普通の価格で並んでいたので少し安堵したが、けれども「フクシマ」の文字に過敏に反応する人もいるだろうから、作る側も売る側もなかなか大変だろうなと思う。

今回の旅行(?)でふたりの人から、ある特定の地域で産せられた野菜を購入しない理由として「だって国がインペーしているからうんぬんかんぬん」という話を聞いたが、ふだん口に入れるものに「インペー」の気配を感じてしまうと、日常生活もさぞかしたいへんになってしまうだろう。ま、その方たちには小さいお子さんがいらっしゃるそうだが、そういうことより、もっと感情的な問題のような気がする。健康に対する思考・嗜好・志向って、そもそも感情的なものだと思うしね。

うーん、でもこの価格の差は、どこかおかしいよ。中でめちゃくちゃボロ儲けしているやつがいるよなあ。たぶん作っている側じゃない。



ところで、うちの畑にあった夏の野菜どもがなんとなく終わりを告げ始め、冬の野菜の仕込みをせねばならない(本当はもうめちゃくちゃ手遅れってくらいに遅いんだけど)のだが、白菜とか大根とかほうれん草とかそういうありきたりなもので終わりそう。訪問したリストランテでは、ルッコラ・セルバティカ(野生種*1)というものを教えてもらったので、今回はそれを作ってみようかしら。また、「洋野菜とかハーブを作ってみたら?」とそこのシェフに言われてみたので、来年用を今のうちからリサーチしておきましょ。来年は、それらを1,000円/g*2 くらいで関東に流通させて、ちょっとした大航海時代気分を味わってやるんだ。関東のみなさん、そのときはうまく騙されてくださいませ。



*1:野生といっても、種は売っている。


*2:kg じゃなくて、g ですよ!



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