とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 猫のこと

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昨日、早朝6時に弟からメールが来た。「ベルを埋葬しました」

ベルというのは実家で飼っていた雌猫で、ここ3週間ほど尿毒症にかかっていて、通院し点滴を受けながら生きながらえていた。14歳だった。

昨年の冬に実家に帰ったとき、いつものようにベルのお尻をパンパンと叩いて、「おい、久しぶりだなあ」と声をかけていたら、母に「ねえ、もうおばあちゃんなんだから、そんなに強く叩かないであげて」と注意された。

猫に限らないのだが、ペットというのはたいてい自分より小さいものだから、いつまでも自分の子どもみたいに思っている。けれども、年の取り方が人間の比ではないので、いつの間にか、というより、あっという間に、飼い主の年齢を追い抜く。ベルは、とっくの昔に私より年上になり、老猫となっていたのだ。

そもそもベルは、ホップという兄弟と一緒に次男に拾われてわが家にやってきた。表情が豊かでわがまま、それでいて甘ったれといういかにも猫らしい三毛のホップと違って、ベルは無表情な灰猫だった。

ホップは私になついたが、ベルは最後までなつかなかった。ベルがなつくのは、父と三男だった。特に三男への執着はものすごく、遅くに帰宅する三男が扉を開けると、タッタッタッと駆け出してお迎えに行った。そして、彼がテーブルにつくと、その膝の上に乗ったきり、無表情のまま喉をぐるぐると鳴らして悦に入っていた。

14年のうちに、私は家を出たり入ったりしていた。そして実家も品川から横浜に引っ越していた。ずっと「箱入り娘」のままだったから、家から外へ出すときは大騒ぎだった。ベルもホップも、おしっこをもらし、抱きかかえる人間の手を引っ掻き、必死で逃げ出そうとした。いくら私たちが甘い声で大丈夫だよと言っても、その意味は彼女たちに通じなかった。

5年ほど前に、横浜の家でホップが死んだ。ウイルス性の病気ではなかったかと思う。正確な病因などを調べるのはすべて次男に任せていた。治療不能という事実に向き合いたくなかった。そのとき私は、実家のすぐ近くに住んでいたので、実家に泊ったりして、静かに弱っていくホップのそばになるべくいられるよう努めた。

ホップは見る見るうちに痩せ細っていって、そのトレードマークであったふくよかな頬はこけてしまっていた。私はそのときのことを、女友達にメールで伝えている。「あの美しかった猫が、どんどんと弱っていき、毛並みもぱさぱさになっていくのを見ていられません」

ホップは、自分の死期を悟っていたのか知らないが、ほとんど鳴かなくなっていた。そして、人間を避けるように、気がつくといつも薄暗く静かな場所へ行こうとし、そこで苦しそうに身を横たえていた。どうか、もう構わないでほしいと言っているようだった。

私はちょうどこの時期に、母と大喧嘩をしていて、2週間ほど口をきいていなかった。お互いにホップの心配はしていたものの、そのことで会話をすることもなかった。

ある朝、実家から電話があった。そのとき私は自分の家に帰っていたのだ。「ホップが死んだ」ということだった。

仕事前で、朝の6時半くらいだった気がする。原付に乗って実家に行くと、四畳半の部屋で、ホップの身体が大きめのスカーフみたいなもので巻かれ、そのそばには線香が上げられていた。母が数週間ぶりに私に声をかけた。「線香を上げてやって」。母はその目を赤く泣き腫らしていた。

スカーフからはすっかり硬くなってしまったホップの白い足だけが覗いていた。その細い足が哀れだった。ほとんど外に出たことのないためにつるつるの肉球を持っていた足は、もう脈を打っていなかった。覚悟していたつもりだったが、その足を見て涙が止まらなかった。喉の奥から湧き起こる嗚咽を止めることはできなかった。

スカーフを持ち上げると、口を半開きにしたホップの顔があった。けれどもそれは見慣れたホップの顔ではなかった。剥製の動物のように、その口から魂が抜け出てしまっていた。

前日の深夜、次男の手の中で、最後は眠るように死んでいったということを聞いた。かすかな呼吸に耳をすますと、それがだんだんと弱くなっていき、やがて止まったのだという。決して安楽な死ではなかったと思う。私は実家住まいではないということを理由に、なんとなくホップの「死への歩み」を直視しないままでいた。ホップの最後の生のそばを伴走したのは、母と次男だったと思う。



今日は、ベルの話だ。

弟のメールには、「永眠」という言葉があった。猫は、おそらく死の概念を持っていないから、苦しみや辛さは味わうものの、死の恐怖を感じることはない。

猫が人間の言葉を解するとして、彼らに死というもの説明しても、「寝て、目が覚めないことのなにが怖いの?」と返されるかもしれない。猫は一日の中で起きたり眠ったりを繰り返しているものだから、「一日」という感覚も持てないだろう。また、未来を想像することもできないだろうから、再び起きられないことの不安も持てないだろう。

弟のメールによれば、それほど苦しんだというわけでもないようだったから、ベルの意識は、「疲れたから目を閉じよう」という程度のものだったかもしれない。永眠という言葉が私に与えたのはそんなイメージだった。「ちょっとひと息つかせて」というその眠りが、ベルにとってはたまたま次の目覚めを引き起こさなかっただけ、と考えることは夢想に過ぎるだろうか。

ベルの墓は、実家の庭に既にあったホップの墓の隣に建てられたという。べルは、重たい肉体を捨て、猫らしく身軽な魂となってホップとじゃれあっているのかもしれない。

やがて、そのじゃれあっている場所に私の父と母が行き、そしてまた順番に、私やふたりの弟たちも行くのだろう。私はそのとき、また新たに2匹の猫を従えていると思う。筒井康隆の短篇小説だかエッセイに、飼い猫が死んだときに、主人公(作者?)が「十万年ののちにまた会おう」と言う場面があって、私はそれを強く覚えているが、それがどこに書かれてあったかが思い出せない。ひょっとしたら記憶違いかもしれない。

5年前、ホップが死んだことで、私は母と自然に仲直りをしていた。いがみ合っていることが馬鹿らしく感じたのだろう。母は、ホップが最後に好んでいた三男の部屋のベッドで、彼女のために敷きっぱなしになっていた毛布をさわりながら、「この上でホップを撫でると、静電気が起こってとても嫌がっていたことを思い出す」と言った。「それがわからなかったからよく撫でていたんだけど、もっと早い段階で気づいてあげたらよかった」

動物はしゃべれないので、私たちはいつも彼らに幸福を与えられたのだろうかと不安になる。

その一生のほとんどを自分の管理下に置くわけだから、「彼らは本当に幸せだった」と一点の悔いもなく胸を張ることはなかなか難しい。

それでも、彼らは幸せだったのだと私たちは信じたい。

ベルは、弟に拾われて以来、10年弱をまったく似ていない兄弟と暮らし、それから5年ほどをひとりで暮らした。そして、その周りにはいつも必ず私たち家族がいた。

ベルの往生は、私を除いた家族みんなで見守ったという。猫としてはひとりだったけれども、おそらく彼女は孤独に死んでいったのではなかった。そう信じたい。



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昨日は朝4時に起きてなんじゃかじゃをやっていて6時ちょっと前に出勤して、そうしたらなぜかお客が6組もやってきて、そんなに来たら仕事ができぬという状況に陥り、けれどもまあそのほとんどが仕事に絡む内容で、一部ありがたいお話もあり、まあ嬉しいには嬉しいのだが、当然昼休みという名の昼寝をすることができず、そればかりかカップラーメンにお湯注いで3分待つ間も仕事仕事って感じになりそのまま午後へ突入、残った仕事をこなしこなしやっていけばいつの間にか夜の帳が「さらさら」ではなく「バリバリ」という音を立てて下りていて、私の顔は強張り、それでも気張り、威張り、尿(いばり)を漏らしつつ、血を吐き吐きウキウキ帰宅すれば時計は21時半を示していた。

うひゃー。なにかを口にせねば、とねばねば納豆を冷蔵庫に求めるも、なし。梨もなし。菓子もなし。とりあえず困ったときのカップラーメンをラップを口ずさみながら作り、すすり、前後不覚の昏倒をするかのごとく、眠る。おそらくこれが23時。

真夜中、起床。別に目覚まし時計が鳴ったわけではなく、ネコたちが暴れたわけではないが、起床。パッと目が覚めるというやつ。

仕事が残っている!

つまり、この感覚が私の眠りを浅いものにし、意識下で私を刺戟しつづけたのであろう。PC の時計を見れば、午前2時半。ともかく飛び起きていろいろごちゃごちゃしたものに手をつけ、あれこれをやれほれと片付けていく。

そのまま朝。仕事。今日は会議の資料を作らねばならないから、当然昼休みは削減の方向で。すっと溺れるかのように眠りに落ち、半時間でこちらの世界に帰ってくる。頭は起きているのか。いや、起こさねばならぬ。半分眠りつつ資料を作ってあとは会議に向かうだけ。これが19時あたりで、車上で小三治の『湯屋番』を聴いてげらげらと笑う。ひさしぶりにげらげらした気がする。

会議が終わり、とにもかくにも、眠らないように車を運転しながら歌でも歌おうとするが、考えてみればこういうときに「そら」で歌える歌がないことに気づく。これは重要な問題だ。私には大切なときに歌える歌がないのだ!

帰宅。ネコ2匹が迎える。そういえば、帰りの山道でヘッドライトに浮かび上がった野良猫がいたが、あれがうちのモモにそっくりで、胸が苦しくなった。うちにモモがいることに胸を撫で下ろしたが(脱出した可能性も考えていた)、けれどもモモとそっくりのネコが外で、暑いときはまだいいが、これから秋・冬という季節に生き延びていけるのだろうかと考えると、哀しみを覚える。

世界中の野良猫に、祝福と幸運を!



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フィリップ・K・ディック『ヴァリス』は、主人公ホースラヴァー・ファットが、他人を助けようとすることを医者に止められている、というような描写から始まる。




他人を助けられるというのが、長年ファットにとりつく妄想だった。かかりつけの精神科医が、よくなるためにはふたつのことをやめなければならない、とファットに告げたことがある。麻薬をやめ(ファットは麻薬をやめたことがなかった)、他人を助けようとすることをやめなければならない、と。ファットはいまだに他人を助けようとしていた。






私も、ひょっとしたら誰か(具体的な人物)を助けられるんじゃないかという望みを抱くことが多い。そのほとんどはそのまま妄想で、誰も私の手を必要としていない。助けて優越感に満たされたいというわけじゃない。どちらかといえば、「ああ、私もそんなふうなことを一時期悩んでいたんだよ」という声をかけたりしてみたい、というくらいのものだ。実際にそんな声をかけられたって悩みが消え去るなんてことは滅多にないということもよくわかっているはずなのに。

その一方で、めちゃくちゃになるまで他人を突き放したい衝動にも陥る。よく陥る。

よくもまァそこまで、と後から自分で呆れるほどに残酷な気分にひたることも多い。自分が弱い人間だから、というふうには思えない。たぶん、ものすごく傲慢な人間だからそのようなことを思い、そして実際に行動に移す場合もあるのだろう。



ネコに対しては、一度も残酷な気分になったことはない。うちの飼い猫だけではなく、たとえどんなネコであれ。なぜだろうか。

人間には滅多に感じることのできない無償の愛情が、ネコの場合ではいともたやすく完成してしまう。それは、本当になぜなのだろうか。

動物だから、というわけでもないらしい。

一般的に草食動物は同じような気持ちになれる。ウシ、ウマ、ヤギ、ヒツジ、ウサギ(特にウサギは飼っていたことがあるため、思いは格別)……。けれども、肉食動物は、ネコ以外は動物の種類によって異なる。たとえばクマが私に襲いかかろうとしたら、とりあえず利用できる武器でもなんでもを手に取り、相手を殺そうと簡単に思えるだろう。むろん、恐怖心に打ち克った場合の話だが。ライオンやトラについても、こちらを威嚇した場合には単純な怒りが湧き起こる。

サルも難しい。ゴリラやオランウータンに対しては、敬意を持つことができそうだが、チンパンジーやニホンザルの場合は、その個体個体によって気持ちが変化するような気がしている。おそらく無意識のうちに、彼らの人間への近さを特別に感じているのだろうと思う。

そしてイヌも難しい。イヌがこちらに向かって吠えているのを見ると、そこにどうしても飼い主の人格が投影されているような気がしてしまい、腹が立つことが多い。けれども静かなイヌや優しいイヌに対してはそのような気持ちは起こらない。ここらへんは人間と同じ対応を取っていると言える(ただし、人間よりイヌに対しての方が数百倍は寛容になれる)。



言葉がいけないのかもしれない。言葉が誤解や混乱をもたらしているのかもしれない。ネコたちの喃語がある日突然意味を為すようになれば、たちまち人類と彼らの蜜月は終わりを迎えるような気がする。「なおーん、なおーん」はそのままでよい。それを「エサがほしいの」に解釈あるいは翻訳するところに、飼い主は悦びを覚えている。彼らが直接「早よエサよこせや、コラ」と言い出したらたまらないのだ。

また、ネコたちは、エサ以外に人間に求めるものが少ない。ストーカーのように私の挙措にまとわりつくうちのネコたちは例外だが、たいていの場合、周囲に対する無関心がネコの特徴である。ネコを嫌う人の多くはこの素っ気ないところを嫌うのであり、ネコを好きな人の多くはこの素っ気ないところを喜ぶ。

ネコは、私たち人間に多くを求めないのだ。ここが非常に重要なところな気がする。あれがほしいこれがほしいあんなことをしてあげるこんなことをしてほしいあれはきらいこれはすきあいをちょうだいあいをあげる、こういう一切をネコや他の動物たちは、私に訴えない。場合によっては近づいても来ない。そこがよい。そして私も、ネコを愛するのにその見返りを求めない。




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猫がエサ箱の前でハンストをやっていた。エサ箱は、プラスチック製の米びつで、中にホームセンターで売っているような特大お徳用サイズの猫エサが入っている。間違っても「猫まっしぐら」なやつとかではない。

猫たちの抗議内容は、以下のごとし。

「エサをわれわれの手に! 当局が、大雨だからと家の中にいるのだったら、われわれにもっとエサをよこすべきである!」

私の「ナンセーンス!」の声は虚しく響き、無視された。仕方がないからエサをやったら、ハンストを中止してくれた。

無我夢中でエサにありつき腹が満たされたのか、今度は内ゲバが始まり、いま2匹ともが激しく家中を駆け回っている。運動してまたお腹が空けば、ハンストを再開すると思う。



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猫は、眠りに入る直前に、まぶたの内側にある瞬膜という膜が一瞬見えることがあります。

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目のところに、半分くらい白いものが見えませんか(特に左目)? これが瞬膜です。

写真のとおり、うちの場合は、ヒメ(写真の猫)がよく瞬膜を出しますので、目の前で眠るのを見ているのは楽しいです。でも、あまりにもおかしな顔になるので笑いをこらえきれません。あまりにも瞬膜が出ていると病気の可能性もあるようですが、うちの場合はそういう「出っぱなし」の状態ではないので大丈夫そうです。

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あれ? またなんか笑ってた?


笑ってないよ。



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半夏生(はんげしょう) 猫の鼻くそ取つてやる  活蛙

半夏生過ぎても 鶯まだ鳴くか




昨日は半夏生Wikipedia にあるとおり、断続的ではあるが大雨が降った。

うちの猫のモモは、鼻くそを私に取ってもらうのが好きだ。「きたなーい」と思う人は思うかもしれないが、飼い猫の鼻くそやら目やにやらを取ることは汚くともなんともない。

本来なら、自分で顔を洗って取るはずなのだが、モモはそれが下手くそらしく、いつも顔になにかついているのでそれを取ってやっている。取るときは、目をつむっておとなしくしている。

ヒメは、反対に顔をいじられることをいやがる。取ってあげようとすると、必死で顔をそむけ、すぐに自分で顔を洗い始める。「いま、自分で取ってますから」と必死にアピールするようである。

なんにせよ、猫の顔がきれいなのは、見ているこちらも気持ち良い。



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こんなふうにおとなしくしていると思ったら、急に私の背中に飛び乗ってくるヒメ。

この季節は部屋の中でT シャツを着ている場合が多いから、爪がもろに背中に刺さって痛い(冬場はどてらがあるから便利)。それを気にもとめず、私の背中でぐるぐると喉を鳴らす。

飛び乗ってくるのは、私が猫背だから? 猫にとっては親近感があるのかも。



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猫を一日中見ていたら、なぜ夜中に暴れだすのかがわかった。知らないことではなかったが、やっぱり猫は夜行性で、昼間は本当に動かない。

ちょっと前に、友達から「猫を飼おうかどうか迷っている」という相談をされて、「やめておいたほうがいいのでは」という回答をしておいた。猫を飼うことによって世の中に猫好きがひとりでも増え、世の中から不幸な野良猫が一匹でも減れば、これにまさる喜びはないのだが、それでも猫を飼うというのは一時の思いつきやファッション感覚で為される行為であってはならず、子どもがいない私にとっては、「子どもを生む・育てる」というのとほぼ同義と考えている。

私がいまの生活で大事にしていることのひとつに、猫たちがストレスを感じずに暮らせることというのがあって、あまり猫たちを叱らずに過ごしている。

もちろん、眼前でいたずらをしたりやってはいけないことをすれば、「こらっ」と言って叱りはするのだが、過去にやったことについて、たとえば猫たちがカーテンレールに乗っかって遊び、そのあげくレールにひっかけるカーテンのフックを床に何個も落としているのを見つけても叱らないことにしている。落ちているフックを見つけて怒っても、おそらく猫たちにとっては何について怒られているのかが理解できないであろうためだ。

猫と生活するというのは、わがままな生き物を許容する生活を意味する。そこを理解できないと、あるいは実践できないと、猫と一緒に暮らすのは難しい。

あと、これは私のところだけの話かもしれないが、うちの猫たちは驚くほどに甘えん坊だ。猫の唯一の長所である「そっけなさ」を期待していた私は大いなる肩透かしを食らっている。こうやってPC に向かってなにかをしていても、キーボードと私のあいだに入って立ちふさがったり、ひどいときにはタイピングしている私の両手の上に寝そべってしまう。追っ払っても追っ払ってもやってくるので、ついに諦めた私は、自分が身体を動かして邪魔している猫の向こう側にあるディスプレイの文字や画像を確認してネットブラウジングをしたりしている。非効率この上ない。

だが、服を毛だらけにされ、本に引っかき傷を作られ、障子は穴だらけにされ、襖はビリビリにされ、そうやって整理整頓された「人間らしい生活」をめちゃくちゃにされても猫を愛することができるのであれば、そのとき、あなたは猫好きを名乗ることができる。もし名乗りたければ、の話だけど。



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