とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 小説の書き出し

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旦那「師匠、今日はおれとお前とのふたりっきりだ。久しぶりにだらだらとしゃべろうじゃねェか」

幇間「そりゃあもちろんですとも、時間ならたっぷりとあります。で、なにを話しやしょう。あたしだったら、なんでもございですからね、気にせずお話しなさいな」

「言うね。それじゃあ、先(せん)に読んだ小説の話でもするから、聞いてくれ」

「え? 小説って、あの、読む?」

「食う小説があるかい?」

「いや、その、旦那、あたしはちょいと用事を思い出しまして……」

「おい、いやだぜ師匠。いま『時間ならたっぷりとある』と言ったばかりじゃねェか」

「へへへ、あたしは本はどうも苦手で」

「とにかく今日はじっくりと聞いてもらうからな」

「諦めることにしなきゃなりませんかな」

「ところで、さきに説明しておかなくちゃなんねェな。なんでふたりでしゃべっているかってこと」

「え? ふたり以外に誰がいます?」

「まァ、師匠はそういう設定でいてくれ」

「なんだかわかりませんが」

「最近な、時間がなくてひとつのことをじっくりと考えて書けなくなったてェことがある」

「誰がです?」

「これ書いてるやつだよ。で、そいつはもともとまとめてじっくりと書くのが苦手でな。どちらかというとだらだらと垂れ流しでしゃべる方が性に合ってる」

「あたしも、だらだら組ですな」

「うるさいよ。……だから、いっそふたりでしゃべり合いをさせて書いたら、まとまっていなくても、途中で終わってもいいんじゃないかと考えた。で、それを思いついたときに古今亭志ん朝の『鰻の幇間』を聴いてたもんだから、旦那と幇間という設定になった、とこういうわけだ」

「よくわからないんですが、つまり、毎日きちんとしたものを記事にするのが面倒だから、適当な会話体で済ませて茶を濁そうってことですか?」

「なんだい、お前ェの方がよくわかってやがる」

「へへ、あたしは万事心得ております」

「よし、それじゃあ先々月の末あたりから話題にしようと思ってた小説のことをダシにするんだが、とりあえず、この書き出しを読んでくれ」




光で、目が覚めた。

右側から白い光が射していて、中沢が窓を開けて少し身を乗り出すのが黒い影で見えた。白くて強い光だったから、一瞬、朝になったのかと思ってしまった。たぶん、京都南インター・チェンジの入り口で、窓の外では、金属の四角い箱の縁に光が反射していた。中沢はその箱の中ほどから小さな紙を取り出し、少しも見ないままそれをズボンのポケットに入れた。わたしは座席に深くもたれたまま、その作業を眺めていた。いつ眠ったのか覚えてないけど、ずっと頭を垂れて寝ていたみたいで、首の左側にシートベルトが食い込んで、ちょっと痛かった。触ってみると耳の下から斜めに跡がついていた。その跡を撫でながら、小学校のときから知っている人が、こうしてお父さんがするような車の運転や高速道路の乗り降りをなんのためらいもなくしているのを見るのは、妙な感じがするもんやな、と思った。




「なるほど、読みました」

「どう思う?」

「へ?」

「どう思う?」

「へ?」

「だから、この文章読んでどう思うかって、訊いてんだよ」

「あ、そういう……しかしなんですな、小説の書き出しクイズってのも、このブログじゃ初めてなんじゃないですか?」

「おい師匠、ごまかすなよ。それに、そういうメタなことを言っちゃあいけない」

「へへ、談志師匠みたいでしょ」

「談志か。おれはね、師匠、談志みたいなことはやりたくねェんだ。志ん朝みたいにさらっと粋にやりてェ」

「ははは、それでも談志師匠、お亡くなりになっちまったから、今頃はあの世で志ん朝師匠と一緒におしゃべりしているところですよ」

「あァ、そうだな。一緒に枝雀もいるかもしれねェな」

「そうですよ。それに志ん生師匠、馬生師匠もいらっしゃるでしょう」

「おお、そうだ。ううん、なんだかそっちの方が楽しそうじゃねェか。よし、これからみんなでふぐ喰って地獄へと景気よくあすびに行こうじゃねェか」

「旦那、それじゃ『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』だ」

「あれな、おれは生きているうちに本物の『地獄八景』を聴くとは思っていなかったぜ。元はG2プロデュースで松尾貴史とか三上市朗とかが出るってのを十年ばかし前に聞いていて、『ああ、上方の噺か。観る気しねェな』なんて思ってたのがおれの浅はかさ。実に惜しいことをした」

「それが今じゃ米朝師匠のを何度も聴くっていうくらいに成長したわけですからね」

「成長って言うな。でも本当だぜ。枝雀も食わず嫌いだったが、聴いてびっくり、そこから上方落語に一気に傾いて行った」

「なんですか、旦那。落語の話に傾いて来たみたいですけど?」

「おっとそうだった。ただでさえ、このやりとりは小っちゃい「ェ」だとか「ァ」を遣うから時間がかかって、その割には話は進まないからなァ」

「(旦那はメタな話が好きだなァ)」

「なんだって?」

「いえなんでもないです」

「メタ好きで悪かったな」

「聞こえてるじゃないですか。カッコの中まで読まないでくださいよ。ありゃァあたしの心の声なんですから」

「まァとにかく、小説の話に戻ろうか」

「旦那」

「なんだ?」

「旦那の前ですが、申し訳ありません。他のものなら構わないんですが、小説の話をするのだけは勘弁してもらいたい」

「……ふうん、言ったね」

「申し訳ありません。他のものなら構わないんですがね」

「あァそうかい。でもね、師匠、ひとつだけ聞かせてくれ。お前はね、おれが頼むと必ず、『旦那、他のものなら構わないですけれど、それだけは勘弁してもらいたい』って言うけど、いったいなんだったら、やってくれるんだい?」

「そりゃあ、うまいものを食えって言われりゃあ食いますし、うまい酒を飲めって言われりゃ飲みます」

「そりゃあ、『酢豆腐』のクスグリだよ。CD『志ん朝復活-色は匂へと散りぬるを』に『酢豆腐』と『鰻の幇間』が一緒に収録してあるからって、そのことに気づく人間がどれくらいいるってんだい」

「あァたは気づいてくれた」

「……ってさっきから落語の話ばかりだね。ま、いいや。初回ということで。じゃあ上の小説の作者は誰かって話題で裏を返そう。それから、つづけて馴染みになってもらえればいい」

「お、うまくまとめましたね。……ところで旦那、このやりとり、ちゃんとつづくんですかね?」

「そこらへんはわからねェな、これを書いているやつが船を漕ぎでもすりゃあ話は別だろうが」

「へ? それはどういうこってす?」

「船頭(せんど)はつづくよどこまでも」

「おあとがよろしいことで……」



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ちょっと早いけど、答え。

22. 『されど われらが日々――』(柴田翔 / 文春文庫)



学生運動を描いた小説としては、この作品か、あるいは三田誠広の『僕って何』を思い出す(またそれしか読んでいない)が、前者が64年出版なのに対し、後者は77年出版ということなので、おそらく舞台となっている学生運動は60年代安保か70年代安保という違いがあるのだろう。ま、どちらの時代にもまだ生まれていない私にとってはその違いはまったくわからないのだが。

それでも『僕って何』との比較をもう少しつづけると、三田のものが軽い感覚で描かれているのに対し、柴田のものはかなり重質であって、おそらく三田は柴田の作品に目を通していただろうから、その反動として、また運動自体に対する反動として、『僕って何』を書いたのだろうと思う。十年以上前に読んだ記憶では「くだらなくてびっくり」だったが、いま読んだらその感想もまた別のものになるかもしれない。

さて本題の『されど』だが、内容そのものについては学生運動という時代を体験していない私にとっては得られる実感はやや少ない。その後作者は、作家というよりは学者になってしまったので、そのことを知りながら読んでいた私は、そのわりには運動に没頭してもいたのだなあという感想を抱いたはずなのだが、のちに弟が読んだときに「この作者は冷たいね」というようなことを言っていて、あれ、まったく違う感想だなと感じた記憶がある。私はこの小説を二度ほど読んでいるはずなのだが、冒頭と、そして最後の文章だけが頭に残っていて、それ以外をあまりよく記憶していないのだ。

ということで、ネタバレの部分もないので、せっかくだからその最後の文章も引用しておく。私には書き出しよりこちらの文章の方が好きだ。




やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかも知れない、あなた方の頃はどうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。私たちの頃にも同じように困難があった。もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれども、困難があるという点では同じだった。そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだと。そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か一人が、そういうことが昔もあった以上、今われわれにもそうした勇気を持つことは許されていると考えるとしたら、そこまで老いて行った私たちの生にも、それなりの意味があったと言えるのかも知れない。




私ももう、若い人たちに問われる側の方へと、だんだん移行しつつあるのだ。




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22

私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく古本屋に寄った。そして、漠然と目についた本を手にとって時間を過ごした。ある時は背表紙だけを眺めながら、三十分、一時間と立ち尽くした。そういう時、私は題名を読むよりは、むしろ、変色した紙や色あせた文字、手ずれやしみ、あるいはその本の持つ陰影といったもの、を見ていたのだった。

それは無意味な時間潰しであった。しかし、私たちのすることで、何か時間潰し以外のことがあるだろうか。それに、私は私なりに愛書家でもあったのだ。

どこの古本屋でも、店先に一冊二十円程度の均一本が一かたまり並んでいる。私はよくそういう本を、買う気もなしに手にとったものだった。汚れ、みすぼらしくなった本の群れを、一冊一冊見分けて行くと、『育児法』だとか『避妊法』、あるいは『革命と闘争』だとかいう題名の中に、時折、英文学専攻の大学院学生である私すら題名を知らないような英文学関係の古ぼけた翻訳書がまじっていた。訳者も多くは、もはや知られない人であった。私はそういう本を手にとると、本文よりも、訳者の後書きを読んだ。そこには、大抵は、まだあまり知られていないその書を日本に紹介することが、どんなに有意義なことであるかが、少し熱っぽい調子で力説してあった。それは、その人の出した、一生でただ一冊の本であったかも知れない。おそらく、だから、後書きも少し興奮した様子なのだ。が、彼がそんなに期待して出した本も、殆ど人に知られることなく場末の古本屋の均一本の中につっこまれている。

だが、私は別にそういう後書きに吝(けち)をつける積りはないのだ。そのちょっと尊大な言いまわし、日本における文学観の偏向をいましめる学者らしい重々しい口調の中には、奇妙に子供らしい喜び、生の重大事にかかわっているという興奮からくる、意識しない快活さが感じられた。それは、かつて私の友だちであった一人の女子学生が自殺した時、彼女の友人の学生たちが、その死を悲しみながら、なお無意識のうちに示していた快活さ、あるいは嬉しさと言ってもよいようなもの、と似ていると思えた。だが、彼ら訳者にとって、本を出すことはやはり重大なことであり、彼らはそのためにちょっと興奮し、快活になっていい当然の権利を持っている。生が結局は、各種の時間潰しの体積であるならば、その合間に、ちょっと夢中になれる、あるいは夢中になった振りのできる気晴らしのあることは悪いことではない。俺だって、と私は、薄汚れた古本の間に立ちつづけながら思った。俺だって、あと半年もすれば、地方の大学の語学教師になり、やがて一冊位訳書も出すだろう。そしてその時は、俺だってやはりちょっと興奮し、熱っぽい後書きを書き、そして、少しの間、幸福になるだろう。






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21. 『女生徒』(太宰治 / 新潮文庫



初めて読んだときはあまりにも現代的なのでびっくりした。「着物」という単語がなければ2000年代に書かれたものといっても通用するのではあるまいか。

というよりは、このようなより口語を意識して書かれた小説は、すべて太宰の末裔と言っても過言ではないほど、この文章は当時としてはかなり前衛的だったのではないだろうか*1

太宰治といえば、『人間失格』が最も有名だと思うが、私は十九歳の頃に読んで頭に来て仕方がなかった。たしか一週間くらいずっと文句を言っていたと思う。そして、この『女生徒』の冒頭も、それに負けず劣らず私からすると「いやーな感じ」に満ちあふれている。



ところが、だ。

ラストに近い部分でこのような文章が出て来て、私はどきっとした。




いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘びしさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかも知れないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。ほって置くより仕様のない、ハシカみたいな病気なのかしら。でも、ハシカで死ぬる人もあるし、ハシカで目のつぶれる人だってあるのだ。放って置くのは、いけないことだ。私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。私たちは決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の頂上まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。




この小説の中には「あなた」と呼ばれる人物は登場しない。つまり作者の太宰は直接読者に問いかけている。



2007年に放映が始まった「3年B組金八先生」は第8シリーズで、このとき私はちょうど三十になるかならないかくらいのときだったが、放映された内容を観て、「うわあ、もうついていけないな」と感じた。私が思春期まっただ中で感動したのは同作品第2シリーズ(再放送)と、同第5シリーズ(リアルタイム)とで、それに較べたらちゃんちゃらおかしい、というのがそのときの素直な感想だったと思う。

その感想を、職場の嫌いな同僚と話そうと思って、「昨日の『金八』、観ました?」と尋ねると、「あれ、ボクは観ていないね。なんかもうガキ臭くって」と返され、その言葉にムッとした。たとえ同じ感想でも、イヤな奴に言われればムッとしてしまう、人間だもの。

たしかに脚本が驚くほどの低レベル化していたし、大人にしてみればその感想は決して的外れではないのだけれども、しかし嫌いな奴に言われるとやっぱり反論がしたくなるもので、実際その場でやんわりと反駁した。

「いやいやいや、たしかにひとつひとつの中学生の悩みっていうのは、僕らからすれば馬鹿らしくてあほらしいけど、でも、それだからこそ、理解してもらえないからこそ彼らは悩んでいるっていう部分があるわけでしょ。彼らが彼ら特有の悩みを悩んでいる、ということをちゃんと描いているっていう意味では、観るべきところがあるんじゃないですか?」

冷静に考えてみると厭な奴だな、私も。

しかし、アドリブで言ったにしては今でも私はこの考えに則っているところがあって、人間は過去のことについては「たいしたことはなかった」とつい思いがちだが(もしかしたら精神的自衛機能として脳がそのように差し向けているのかもしれない)、本当はそんなことは決してなかったのだ、ということを、上記太宰の文章を読んで強く再認識させられた。



太宰治を厭だと感じた十九の私は、彼の心の裏まで読めなかった。自己顕示欲と偽悪心にまみれた主人公の告白をフィクションと思えず、「太宰ってイヤな奴だなー」としか思えなかった。

けれども太宰は、そういうことをわかって書いている。その証拠が上記「女生徒」の指摘だ。この指摘は、完全に太宰という作者本人から読者に突きつけられた問題だ。「あんたは、『自己顕示欲や偽悪心にまみれたような人間』をただただ馬鹿にしているだけじゃないのかね?」というような。

なお、弟にこの『女生徒』の冒頭部分と上記引用部分を読み聞かせたら、「それでも僕は嫌いだな」と言った。それは理解できる。なぜなら太宰は、この指摘によって、太宰治本人のパーソナリティ(それはおそらく、『人間失格』の主人公や、あるいはこの女生徒のような性格なのだろう)を正当化しているようにも感じられるのだ。

あえてわかりやすく書くと、




  1. 「うわーん、かまってかまってー、ぼくのことをかまってよー」

  2. 「わたしはわかっています。1. は創作でフィクションですよ? こういう人物を描くことこそ小説でしょう」

  3. 「2. の視点を示しておいたおかげで、1. の表現は文学的表現ということになった。よし、これで思う存分書けるぞ。うわーん、かまってかまってー……」

  4. 1. に戻る

という構造が仄見えるような気がするのだ。



しかし総じて、私はこの『女生徒』を読んで、太宰をさらに好きになった*2。作家なんて厭な奴で当然だと思っているので別に人格者である必要はない*3

大事なことは、「一番大事に思っていること」をきちんと小説で描けているかということだ。おそらくこの作品を書いたときの太宰は、きっと少女のようにめそめそして、「誰もが『ないこと』にしている悲しみや苦しみ」について書きたいと願っていたのだろう。ある程度の文学的意図に彩られてはいるものの、彼はおそらく正直書いたのだ。登場人物をまったく己の感情と切り離して描く方法もあるし、そうやって描かれた小説もたくさんあるが、太宰はそうはしなかった。だからこそ、私には感動があった。




*1:本記事内においては、もしかしたら太宰も誰かにインスパイアされたのかもしれないという可能性は意図的に排除している。


*2:もともと『津軽』で好きになっていた。


*3:もうちょっと言うと、どんな人間にも厭な部分はある。



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21

あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さな箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉が下に沈み、少しずつ上澄が出来て、やっと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮んで、やりきれない。いやだ、いやだ。朝の私は一ばん醜い。両方の脚が、くたくたに疲れて、そうして、もう、何もしたくない。熟睡していないせいかしら。朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう。

朝は、意地悪。






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20. 『神聖喜劇』(大西巨人 / 光文社文庫)



これは紀行文ではない。れっきとした小説の書き出しである。これほど、ノれない書き出しというのも珍しいのではないかと思うが、ひょっとしたら大岡昇平*1の『レイテ戦記』(未読)あたりの冒頭もこんな感じかもしれない。

大西巨人のこの独特の文体について、埴谷雄高はその評(第一巻所収)において「百歩を一万歩分で歩く手法」と評価している*2。その比喩は決して大袈裟ではない。なにせ、原稿用紙四千七百枚と言われている本作の大部分はは三ヶ月ほどのできごとだったような気がする(記憶が不確かだが。もちろん、回想シーンは山ほどある)。

ちなみに、大西巨人の他の作品、『深淵』の冒頭も引用してみる。




麻田布満(あさだのぶみつ)という二十八歳の青年が、首都圏・埼玉県与野市〔現在のさいたま市〕の彼の住所から失踪した。それは、一九八五年〔昭和六十年〕七月二十日土曜のことである。もっとも、麻田の両親、友人、知人、会社同僚などが事態を失踪ないし行くえ不明ないし「蒸発」として充分本気で考慮・心配し始めたのは、七月末から八月初旬ごろ以降のことであって、最初から麻田の身の上を真剣に案じ事柄を重大に考えていたのは、――布満の両親を始め彼の知り合いたちが冷淡非情であったというような意味では毛頭なく、――布満の結婚三年目の妻琴絵(ことえ)だけであったかもしれない。

結婚当時二十六歳八ヵ月の布満と同二十三歳二ヵ月の琴絵とは、市内下夢(しもゆめ)町のヨノ・コーポ一階103(3DK、六畳・一畳半大の押し入れ付き、六畳・同上、四畳半、七畳大DK)に住んだ。まだ子供は、なかった。布満は、二人兄弟の次男であり、両親は、長男夫婦およびその子供二人といっしょに、おなじ与野市の三本松に長らく居住してきた。布満は、都心所在の準大手出版社首都恐竜書林(月刊文芸雑誌『解凍』編集部)に就職し、国電〔日本国有鉄道都市近郊距離電車〕京浜東北線ならびに国電総武線で通勤し、琴絵は、おなじく都心所在の大手出版社宇宙社(学芸出版部)に就職し、国電京浜東北線で通勤していた。




住居の間取りやら、通勤電車が事細かに説明されているが、密室トリックや時刻表トリックなどは一切登場しません。というか、そもそもミステリーではない。いろいろとツッコミどころ(なんで年齢が「月」まで言及されているの? とか、元号を括弧表記するくらいなら始めから元号で書けばいいのに、とか)が満載なのだが、この裁判記録のような詳細さがリアリティというものを否が応でも生成する。

くわえて、大西巨人の文章をはじめて見たとき、多くの人は「うわ、難しそう」と思うかもしれないが、作者の意図はまったく正反対なのだということをここで強く註記しておきたい。

おそらく、大西巨人がここまで詳細な書き方をするのは、作者の意図を読者に確実に伝えたいからであると私は考えている。そのように大西巨人が発言しているものを読んだことはないのだが、十中八九、彼の文体は、文章が正確に伝わることへの強い意志をあらわしているのだと思う。だから、ゆっくり時間をかけて読めば、大西巨人文章自体はまったく難解ではない。なにを意味しているのかわからない、とか、ここでこの表現をするというのはなにかのメタファーなのか、とか、そのような迷いを生じさせる要素はまったくない。これは保証できる。

だが、作者の扱う宏大な知識や思想の背景については、同じものをなるべく共有している方が読書を愉しむことができるというのは確か。かく言う私はまったくそれを持たずに読書したが、好奇心だけはいつも持ちつづけていれば問題はないと思う*3



大西巨人の他の作品も、日本語小説の中で文句なしのトップレベル(という表現自体が既に失礼!)なのだが、中でもこの『神聖喜劇』は群を抜いている。

ただ、ここでは小説の内容についてはまったく解説しない。というか、できない。読むしかない。そもそも、解説を読んだって意味がない。読み終えた人間ならそれがわかるはずだ。「あらすじや解説で読んだつもりにならなくて、本当によかった」と。



この記事を読んでいる人に、これだけは伝えたい。

あなたがこの『神聖喜劇』を原文(=日本語)で読めるということは、非常に幸運なことだと思います。

ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』や『ユリシーズ』が原文で読めなくたっていい。『神聖喜劇』を原文で読むことができるのだから。こんなに幸せなことはないだろうと思う。そして、あなたがもし九州の人間ならば、幸運の度合いは更に強まる。

アマゾンで高評価を受けている人のレビュータイトルは、「ニヒリズムでは生きられないごたぁる」とある。読者なら、もうこのタイトルだけでげらげらと笑える。

保坂和志は「第三巻」の解説で「読んでいる途中でいつの間にか日常の会話に九州弁が紛れ込んでいて、読み終わってもしばらく抜けない」と書いている。たしか三浦しをんも同様のことを書いていたし、私も、そして弟も、「ごたぁる」な感覚はしばらくつづいていた。



最後に、「第五巻」の最後に収められている「奥書き」のうち、文春文庫版のものを全文引用しておく。その前に、どうして私がこの文章を引用するのかということを簡単に書いておく。

私は、表現者が「この作品(どのような形態であれ)がたったひとりでもいいのです、その人に観て/聴いて/読んでもらえるのなら」と言明するのを嫌う。そんな思いで作られたものは、きっとたいしたものではない。表現者は、それが可能か否かは別問題として、ひとりでも多くの人間に伝えたいと志向すべきなのだ。むしろ、そのように志向する人間だけが、表現者なのだ。

私は、以下の文章によって、それを強く思い知らされた。この二十五年の歳月が注がれた作品に対する、作者の強い思いを感じ取ってほしい。




「文春文庫」版奥書き



さしあたり私は、もし私の著書が三百部ほど売れたならば、言い換えれば、もし私の著書が有志具眼の読者約三百人に出会うことができたならば、それは望外のよろこびであろう(さらにもし同様の意味合いにおいて三千部ほど売れたならば、「以て瞑すべし」であろう)、と考える。

しかし、また、――「上木」、「上梓」ないし「出版」という言葉の反意語は、「筐底(きょうてい)に秘す」であろうか、――私は、私の作物を「筐底に秘」しておくことなく上梓した以上、それが三億部か三十億部か売れることをも願望せざるを得ない。光文社刊四六判五巻本は、さいわいにしてかなり刷をかさねた。この文庫版の売れ高が先行き三億部なり三十億部なりに達することを、私は、期待する。



一九八二年陽春






【関連記事】





神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)



参考

三位一体の神話(上) (光文社文庫)

三位一体の神話(上) (光文社文庫)



三位一体の神話(下) (光文社文庫)

三位一体の神話(下) (光文社文庫)



深淵(上) (光文社文庫)

深淵(上) (光文社文庫)



深淵(下) (光文社文庫)

深淵(下) (光文社文庫)



神聖喜劇』も含んだ上記三作品は、すべて「カバー装画=林哲夫、カバーデザイン=間村俊一」の組み合わせだが、実によい。




*1:実は、字が異なるが私の名前の「しょうへい」は大岡昇平から取っているらしい。その割りには『野火』しか読んでいなくて、なんだか親に申し訳ない思いだ。


*2:もしかしたら、「百歩を〜」というのは他の人間(もしいるのだとしたら大西巨人自体の可能性が一番高いが)の表現で、それを埴谷が用いたのかもしれない。


*3:しかし、田能村竹田の著作についての話が五十頁(もしかしたら百頁ほどだったかも)ほどつづくところがあったが、あれは結構な難関のように思う。



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20

対馬は、日本海の西の果て、朝鮮海峡に位置し、上島(かみじま)、下島(しもじま)の二つの大島と九十あまりの小島とから成る山がちの列島である。西北は朝鮮に対し、東南は対馬海峡をへだてて壱岐ノ島に対する。上島と下島とは、近接し、北北東から南南西にむかって長く、南北七十二キロ、東西十八キロ、総面積七百三平方キロ、その大きさは、わが国の主要な島島のうち、沖縄本島佐渡ガ島および奄美大島に次ぐ。島の中央やや東寄りを山脈が縦に走り、五百メートル前後の山山が幾重にもかさなって東海岸へ急劇に傾斜している。

かつて、この島は日本第一の要塞と言われた。






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19. 『さようなら、ギャングたち』(高橋源一郎/講談社文芸文庫



一見、平易に映る文章の中に、過剰なまでに固有名詞が散りばめられていたら、高橋源一郎を思い浮かべてみてもよい。

やけに平仮名が多いと思ったら源一郎の可能性が高い。

「体」を「躰」という字を使って表現していたら、源ちゃんを疑え*1



実は前回の記事の文章は、厳密な意味での書き出しではない。本当の意味での書き出しは以下である。




アメリカ合衆国大統領は、ギャングどもによってボーリングのピンのように次々と倒されてゆく ――― ニューヨーク・タイムス」



『みなさん!

今日(いま)もなお、あのいまわしいギャングどもは、いたるところに死と恐怖をまきちらしております。

ロンドンで、パリで、東京で、レニングラードで、メリーランド州クック岬で、ギャングどもは破壊し、強奪し、姦しつづけています。

みなさん!

ギャングどもは残虐で、卑劣で、ひとかけらの理性も人間性(ヒューマニティ)をもちあわせず、全世界にかれらの死の極印をきざみつけることに無上のよろこびを感じるのです。

みなさん!

わたしは次のことを述べる権利をこの場に得たことを感謝します。

わたし、アメリカ合衆国大統領ジョン・スミスJr. は平和を愛する全てのアメリカ国民と全世界に宣言します。

わたしたちは、かれらギャングどもを、すみやかに、ねこそぎ、完全に、一人残らず、この地上から一掃するでしょう。

平和への敵対者は必ず敗れ去るのです。

その崇高な使命をわたしたちは断固として遂行するでしょう。

法と正義と神の御名において。

アーメン。


(熱狂的拍手)』



ジョン・スミスJr. は今年になって七人目のアメリカ合衆国大統領で、その在任期間は七人のうちで二番目に短かった。

アメリカ合衆国大統領第六十六代大統領ウィリアム・スミスは大統領就任式の最中、宣誓のため聖書(バイブル)に手を置いた瞬間に聖書(バイブル)に仕掛けられた毒蛇に噛まれて死亡した。それはギャングたちの仕業だった。

アメリカ合衆国第六十九代大統領ジョン・スミスJr. はギャング撲滅を誓う大演説の後百人のSP(セキュリティ・ポリス) に囲まれたまま爆死した。

大統領の爆死を間近で目撃したSP(セキュリティ・ポリス) の一人ヘンリー・スミスIII世は次のように語った。

「演壇を降りながら、大統領は右手を上着のポケットにつっこんで何やらもぞもぞしておられました。

『大統領閣下(プレス)、どうかなさいましたか?』

『いやね、ないんだよ』

わたしは直ぐに、大統領の捜しておられるものが何かわかりました。

大統領はナビスコの風船ガムが大好物で、テレビに映っている時と演説している時以外にはいつもくちゃくちゃ噛んだり、ふくらませたりしておられたからです。

『やあ、あったぞ!!』

大統領は尻のポケットからナビスコの風船ガムを二つ取り出すと、

『ヘンリー、君もどうかね? リラックスできるよ』とおっしゃいました。

『いいえ(ノー・サー)、大統領閣下(プレス)、SP が執務中に風船ガムを噛むことは禁じられております』

大統領は風船ガムの一つの放送を破り口に放りこみ、もう一つの方も破りかけようとなさいました。

その時です。

わたしは、大統領がくしゃみをなさったんだと思いました。ええ、そんな音だったんです。

大統領が風船ガムを一口噛んだとたん、もう大統領の肩の上には何も載っていませんでした。

わたしが大声で『大統領閣下(プレス)!!!』と叫び、頭をふきとばされた大統領にしがみついた時、大統領はもう一つの風船ガムの包装を破ろうとして一生懸命になっておられました。



(斜体部分は、本文では傍点)




この部分を選ばなかった理由はふたつあって、ひとつは「ギャング」という単語があまりにも答えのヒントになってしまう、ということ。もうひとつは、「名前」のエピソードの方がより『さようなら、ギャング』らしいし、なによりも、私は書き出しを「名前」の方だと本当に勘違いしていたほどだ。

ちなみに、クイズに用いた部分は、「第一部 『中島みゆきソング・ブック』を求めて」の書き出し。



この頃の高橋源一郎の文章はカッコイイ。いま見ると普通に読めちゃうのかもしれないけれど、おそらくゲンちゃんがこういう文章の「走り」だったんじゃないかな。やがてフォロワーが大勢出て、新鮮じゃなくなり、源一郎自身もそれに縛られてしまうんだけれども、それはまた別のお話。

この小説は、小説なのだが詩のように愉しむことができ、好きなところを拡げてぱらぱらと読める。たとえば、私の気に入っている箇所。

「第三部 さようなら、ギャングたち II ベリ・ナイス、ベリ・ナイス、ベリ・ナイス」より。




32



「今が朝なのか夜なのかわかればいいなあ。

朝なら起きて散歩しよう、夜ならねむってしまえるんだ」という声がきこえた。

よく考えてみるとわたしの声なのだ。




また、こんな箇所もある。

「第二部 詩の学校 II 『おかえりなさい』」より。




15



わたしはむずかしいことばがきらいだ。

むずかしいことばで書かれたものを読むと、とても悲しくなる。なかなかわからないのだ。

むずかしいことばがきらいなのに、わたしもまた時々むずかしいことばを使う。本当に悲しい。

「おかえりなさい」ということばがわたしは好きだ。

わたしが好きなのは夜、わたしが家にたどりついた時S・Bがわたしに言ってくれる「おかえりなさい」だ。

それ以外の「おかえりなさい」のことは、わたしは知らない。

わたしはS・Bをロッキング・チェアから抱えあげ、ベッドの方へ運んでゆく。

「重いな、君は」

「おやすみなさい」とS・Bが言った。

それからわたしは電気を消した。




本当に詩みたいだ。

ちょっと前の記事で引用した一節も、実は『さようなら、ギャングたち』のもの。



今回はちょっと「○○じゃないの?」とか「答えわかった!」という反応があったので「クイズをやっている」という感じがあって楽しかった。

なので、ブックトレードのブログの方でも「小説の書き出し」をクイズにしてみようと思う。最近あっちも更新が滞っておりますもので。

もしかしたらブックレビューより易しいかもしれないので、「こういうの知ってる?」という方があれば、ご応募ください。「書き出し」と「答え」さえ送ってくださればOK です。よろしくお願いします。

【応募先】





ちなみに、「森林太郎」は「しんりん・たろう」って読まないでね。「もり・りんたろう」、〓外*2の本名です。




*1:たしか『ジョン・レノン対火星人』か『虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)』のどちらかに、それについて触れた箇所があったはず。


*2:「〓」の字が環境依存文字だそうで、正しく表示されない人もいるかもしれません。用いたくないが「鴎」の字のことです。



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19

昔々、人々はみんな名前をもっていた。そしてその名前は親によってつけられたものだと言われている。

そう本に書いてあった。

大昔は本当にそうだったのかも知れない。

そしてその名前は、ピョートル・ヴェルヘーボンスキイとかオリバー・トゥイストとか忍海爵(おしぬみじゃっく)とかいった有名な小説の主人公と同じような名前だった。

ずい分面白かっただろうな。

「おいおい、アドリーアーン・レーベルキューン殿、貴公いずこへ行かれるのか?」

「どこへいのうとわいのかってやないけ? そうやろ、森林太郎ちゃん」

今はそんな名前をもっている人間はほとんどいない。政治家と女優だけが今でもそんな名前をもっている。

それから人々は自分で自分の名前をつけるようになった。その頃のことならわたしも少しはおぼええいる。

みんな、自分の名前をつけるのに熱中していた。親からもらった名前をつけている連中は役所へ行って新しく自分が考えた名前と交換してもらうのだ。

役所の前にはいつも長い列があった。

列にならびはじめた頃恋人ができると、役所が見える頃には赤ん坊が生まれて救急車で運ばれていくぐらい長い列だった。

古い名前は役人たちが、役所の裏の皮にどんどん放りこんだ。

何百万もの古い名前が川の表面をびっしり埋めて、しずしずと流れていった。

わたしたちいたずら悪童連(がきども)は、毎日、川のほとりに集まっては流れゆく古い名前たちに石をぶつけたり、罵ったり、おしっこをひっかけたりして遊んだものだった。

「やーい

やーい

おたんちん!!

やーい

やーい

のどちんこ!!」

わたしたちは川のほとりに一列にならぶと、目を白黒させている古い名前たちをこきおろし、未だ皮もむけていないおちんちんを一斉に取り出した。

「ささげー 銃(つつ)!!」

わたしたちは構える。

「射て!!」

わたしたちのおしっこの一斉射撃をうけた可哀そうな古い名前たちは身もだえし、右往左往するだけで手を出すことができないのだ。

「くそがき!

ねしょんべんたれ!

おやふこうのばちあたり!!」

精一杯いやみを言いながら古い名前たちは海へむかって流れていった。



人々が自分でつけた名前には変なものが多かった。

全く変なものが多かった。

名前をつけた本人とつけられた名前が喧嘩するのはしょっちゅうで、お互いを殺し合うようになることさえあった。

わたしたちが「死」に慣れっこになったのはその頃からだ。

わたしたちはランドセルを背負って長ぐつをはき、名前と人間の双方がながした血がくるぶしまでたまった道路をじゃぶじゃぶ音を立てて小学校へ通っていた。

毎日、人間と「名前」の死躰を満載した8トントラックがコンボイ(船団)を組んで高速道路を走っていた。

小学校3年生の時、わたしの同級生は両親に内緒で自分に名前をつけた。

「止した方がいいよ」とわたしは言った。

「へいちゃらさ」とそいつは言った。

「ぼくの名前はすごくいいやつだよ」とそいつは言っていた。

そいつはそいつの「すごくいいやつ」に殺されてしまった。

それはもう滅茶苦茶に残酷な殺され方だった。

その死躰がかつて人間だったとは誰にも信じられないくらいだった。





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忘れていたわけではない#8の答え。

18. 『注文の多い料理店』(宮沢賢治/新潮文庫

これもまた、文章が独特すぎてすぐに作者がわかってしまう問題だったろう。

大正十年(1921年)に書かれた童話集『注文の多い料理店』は、同名童話を含む九話と「序」から成り、今回の問題文は、その「序」の文章そのままを引用した。




宮沢賢治との出会い


高校のときくらいに見た宮沢りえのCF(たしか新潮文庫か角川文庫の「夏の100冊」キャンペーンのもの)で、次の一節を彼女が朗読していた。




僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。




あとで知ったのだが、これは『銀河鉄道の夜』の中の一節。彼女がこの文章すべてを朗読していたかどうか判然とは憶えていないのだが、少なくとも「僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」という文章だけは今でもこの耳に残っている。

この文章を初めて聴いたときの感覚は今でも憶えている。しんと周りの世界が静かになって、全身の肌が粟立った。初めて文章で「殺された」瞬間だったように思う。



私が本を少し読むようになったのは実は大学生のときからで、その最初期に『銀河鉄道の夜』を読んだのだが、それは上のCF の記憶がいつまでも色褪せず私のうちに残っていたからだ。話の筋はなんとなく知っていたが、賢治の描く世界は筋を知っているからどうのこうのという次元ではない。そのことは、彼の作品をひとつでも読んだことのある人なら当然にわかっていることとだろうと思う。





アンタッチャブル宮沢賢治


さて。私の中ではアンタッチャブルな存在である宮沢賢治。できることなら触れずにすませたい作家。

彼を一言で言い表すとするならば、天才というのが最も妥当なところだと思う。

「天才だなんてあっさりと口にするなよ」と心ある人は思うかもしれない。私も元来、小説家を天才と表現することに相当の躊躇を覚えるのだが、こと宮沢賢治に対してだけはその拘泥をあっさりと捨て、ついでに兜を脱ぎ、白旗を上げてしまう。

小説は詩と比較対照されることも少なくないが、賢治の小説はすべて詩的言語*1によって表現されているという印象が私にはある。

ここらへんのことを真面目に書き出したらきりがない上に、私自身まとめきれていないので、これ以上の言及は避け、内容世界について少し触れることにする。





『烏の北斗七星』


本記事を作成するために、『注文の多い料理店』の幾篇かを読み返してみた。本来なら有名な表題作について書くのが一番わかりやすいのだろうが、今回はあえて『烏の北斗七星』という話を採り上げることにした。

本作品は少し奇妙な話である。はじまってすぐに「烏の義勇艦隊」が登場するのだが、これが比喩ではなく本当に「艦隊」であることが読み進めていくうちにわかる。

主人公である駆逐艦隊長烏の大尉は、演習の後、許嫁の砲艦烏と会い、翌日に山烏と戦争があることを告げる。「演習」の描写があったとはいえ、「戦争」という単語が唐突に出てくる。動物の擬人化を愉しんでいるところへ冷水を浴びせられたような不穏な空気が流れる。

大尉が言うには、大丈夫だとは思うが戦争のことだから死ぬかもしれない、そのときは構わず他に嫁いでくれ、と。もちろん、許嫁は悲しむ。

その夜の描写が不思議で、メタファー(直喩かもしれないが)に疎い私にはいまいち理解できていない。




夜になりました。

それから夜中になりました。

雲がすっかり消えて、新らしく灼かれた鋼の空に、つめたいつめたい光がみなぎり、小さな星がいくつか連合して爆発をやり、水車の心棒がキイキイ云います。

とうとう薄い鋼の空に、ピチリと裂罅(ひび)がはいって、まっ二つに開き、その裂け目から、あやしい長い腕がたくさんぶら下って、烏を握(つか)んで空の天井の向う側へ持って行こうとします。烏の義勇艦隊はもう総掛りです。みんな急いで黒い股引をはいて一生けん命宙をかけめぐります。兄貴の烏も弟をかばう暇がなく、恋人同志もたびたびひどくぶっつかり合います。

いや、ちがいました。

そうじゃありません。

月が出たのです。青いひしげた二十日の月が、東の山から泣いて登ってきたのです。そこで烏の軍隊はもうすっかり安心してしまいました。




その夜に、大尉はなぜか「おれはあした戦死するのだ」とつぶやき、許嫁の方は大尉が戦死するという悪夢にうなされる。そしてそのうなされる声を耳にした大尉は星に祈る。




ああ、あしたの戦(たたかい)でわたくしが勝つことがいいのか、山烏がかつのがいいのかそれはわたくしにわかりません、ただあなたのお考のとおりです、わたくしはわたくしにきまったように力いっぱいたたかいます、みんなみんなあなたのお考えのとおりですとしずかに祈って居りました。




そのとき、大尉は遠い栗の木の上に敵の山烏を発見し、非常召集を行い、十八羽の部下とともに敵に急襲をかける。大尉の活躍により、山烏一羽を殺し、大尉以下駆逐艦隊は烏の大監督にその功績を褒められ、大尉はみごと少佐に昇格される。

この次の文章がいかにも宮沢賢治らしい。




烏の新らしい少佐は、お腹が空いて山から出て来て、十九隻に囲まれて殺された、あの山烏を思い出して、あたらしい泪をこぼしました。

「ありがとうございます。就ては敵の死骸を葬りたいとおもいますが、お許し下さいましょうか。」

「よろしい。厚く葬ってやれ。」

烏の新らしい少佐は礼をして大監督の前をさがり、列に戻って、いまマジエルの星の居るあたりの青ぞらを仰ぎました。(ああ、マジエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません。)マジエルの星が、ちょうど来ているあたりの青ぞらから、青いひかりがうらうらと湧きました。


(下線は引用者による)







宮沢賢治の世界観


立派な文芸批評をしたいのなら、このようなストーリーや逸話に対して括弧をつけて判断保留を行い、賢治の生きた時代性や宗教観をもすべて漂白してからラベリングすることが必要なのかもしれないが、私は単純にこの内容を愉しみたいし、自分の中で沸き起こる純粋な感動に、少なくとも自身でケチをつけるような真似をしたくない。

素人の陳腐な評になってしまうが、宮沢賢治は美しい詩情、高い文学性に加えて、狂おしいほどに一途な哲学*2をも兼ね備えた稀有な作家と言えよう。

ほぼ八十年前の作品ではあるが、今もなお遠い星の光のように、日本語の歴史の中で静かに、しかししっかりと輝き続けている。





*1:「詩的言語」という言葉の定義を勘違いしているかもしれない、という懸念はここに註記しておく。


*2:「素晴らしい哲学」と表現できず「一途な哲学」と表現するにとどまらせてしまうブンガクの複雑さよ。



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