とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 絵画

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松井冬子といえば、去年の紅白の審査委員でその名を知り、まず銀座の若いママ(実物は見たことがないから憶測の範囲内)のような美貌に驚き、ついで画家(美術家、だったかな)という肩書きを知ってさらに驚いた。

だが、まあ、あまりにもきれい(まったく好みじゃないんだけど)なものだから、「あ、この人はこの美しさがフィーチャーされて、それで画家としての名前が売れた人なんだろうな」と失礼なことを思っていた。

それから数日してたまたま半年前(つまり2011年6月ごろ)前の「日曜美術館」を観る機会があって、そこで諏訪敦が特集されていた。



その諏訪の作品の中で松井冬子のポートレイトがあって、その絵を観て俄然松井に興味が湧いた。

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この絵にある松井の魅力は、「松井冬子」というキーワードで画像検索して得られるたくさんの彼女の写真よりも、魅力的だ。彼女のいま現在の美しさがやがて時間が経てばすり減っていくのに対し、この絵は老いることを知らないからだろう。

そして、諏訪にこのような絵を描かせたという松井冬子という人間の内面にも興味がおこった。そこで調べてみると、個展がやっているという。場所は横浜。



こんなことだったら、昨年12月に帰濱(という言葉はあるだろうか)したときに行けばよかった。

横浜美術館。その周りが(立地のわりには)閑散としている印象があって、好きな場所だった。何年か前、ものすごく風の強い日に黄砂が舞い上がったのか空が真っ黄色になったときがあった。ちょうどそのとき私は横浜美術館の傍を歩いていて、その黄色な空と一緒に美術館の姿を写真に収めた。家に帰ってきてフィルムをカメラから出してみると、モノクロだった。

そんなことを、いまふと思い出した。



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ほぼ半年前の「日曜美術館」を観た。諏訪敦。「記憶に辿りつく絵画」。

ちょうど二週間ほど前に市内の書店で彼の画集(『どうせなにもみえない』)を目にしていたから、この画家の名前は知っていた。



海外で不慮の事故によって亡くなった娘を絵画にしてほしいという両親の依頼により、超写実画を得意とする(と簡単に言ってはいけないのだろう。たぶんそういう簡単なカテゴリでくくれはしない)画家が亡くなった人間を描く。その姿を半年間追ったというもの。

最初に画家が描いていたものが、依頼人の意に沿わないものだとわかり、それを描き直してやっと依頼人に見せるのだが、その絵と対面した瞬間、両親たちは泣く。番組案内役の千住明も目頭を熱くしていたのだが、そのときスタジオに来ていた精神科医の無機質な解説が始まったと同時に急劇に醒めた。

だから、厳密に言えば解説は聞いていないのだが、その絵が技術的にどうとか、その絵が遺族にもたらすものはなにか、とか、そういう種類の御託は、語ろうと思えば百万人が語ることができる。

しかし、その絵を見て「ああ、えりちゃんだ」と泣き出した両親の気持ちは彼らだけのものだし、そのような感動を喚起させたのは諏訪敦という画家ひとりの力だ。藝術に触れる心とは、そのどちらかに感動を覚えればもう充分なのではないか。

両親の気持ちに揺さぶられ感動するのならまだしも、そこを意図的に超えて(=感情を超えて)批評することに私は意味を見いだせない。感動することを抑えてまでも解説や分析をしたい人間の言葉など聞きたくないと感じた。ま、実際に聞いてないんだけどね。



諏訪の作品。舞踏家、大野一雄の九十代の姿を描いたもの。




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大野一雄






どうせなにもみえない―諏訪敦絵画作品集

どうせなにもみえない―諏訪敦絵画作品集



なお、この作品に上述した作品(亡くなった人の肖像画)も収められているそうだ。




追記


そうそう。思い出したので追記する。

私は絵の鑑賞もできないし、描けないのだが、絵を言葉で説明しきれると考えている人がもしいたとしたら、それはおかしいと思う。穏当な書き方をしたが、本心は、「絵を言葉で語ることに意味があるのだろうか」という気持ちだ。そりゃ誰かに紹介したり説明したりするのに、最低限言葉は遣わなくてはならないが、けれどもその「最低限」のところでやめておくべきだと思う。それが、作者に対しての敬意の払い方だ。

もし、言葉で説明しきれる、あるいは言語が絵画を超越する、というのであれば、絵画は存在価値を失うことになる。なぜなら、それは言語で代替できてしまうから。言語で完全に代替できないからこそ、絵画なり映画なり演劇なり漫画なりは、価値がある。反対に言えば、絵画では表現できないことこそを文章で表現する点に、文章の価値があるということでもある。

私は、見当違いで上滑りしていく批評文を見聞きしていると眠たくなる。どころか、本当に寝てしまう。上の老人の絵を見たとき、「うわっ」とか「おぉ」という声を漏らし、あとは「言語にできないもやもや」をその「もやもや」のままにしておけばいいのだと思う。下手に言葉にしようとするから、すぐに感動は逃げていく。逃げていった感動を、消費と取り違えてしまう。本当の感動はすり減らないものだ。




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桂米朝の『鹿政談』の中で、三都(江戸、京都、大阪)と奈良の名物が出てくる。その名物が七五調になっていて、実に耳当たりがよい。




江戸名物

武士、鰹、大名小路、生鰯、茶店、紫、火消し、錦絵

京都名物

水、壬生菜、女、羽二重、みすや針*1、寺(に)、織屋(に)、人形、焼物

大阪名物

橋(に)、舟、お城、芝居(に)、米相場、惣嫁*2揚屋*3(に)、石屋、植木屋

奈良名物

大仏(に)、鹿の巻筆*4、あられ酒、春日灯籠、町の早起き



東京者は金の話を嫌う?


よく、江戸は武士の文化で、それに対して大阪は商人の文化だという(ついでにいえば、京都は公家の文化だろうか)。だから、総体に言って東京の人間は金の話を嫌がる。

友達と一緒にご飯を食べ、食べ終わって会計を済まそうという段になって、たまたま自分が一番先にレジの前に立ったとする。親切な店の人間であれば、「お客さま、会計は別々になさいますか?」などと訊いてくるだろうが、内心「当たり前だろう」と思いつつも、ここは少しムッとした様子で「あァおれが全部払っとくよ」と言う。後ろで友達がなにか言おうが、「ンなこたいいよ、めんどくせェ」と言って外に追い遣る。

払いを済ませてから外に出ると、待っていた友達が「割り勘だよ、いくらだった?」と言ってくるが、この言葉に、喜ぶどころかまたムッとしてこう応じる。「なに言ってやがン、ちょうど財布が重かったンだ、軽くなってせいせいすらァ」

……とまあ、これは冗談だが、しかし、「金についてあいつは細かいよ」と後ろ指を指されるのではないかという恐怖心をいつも持っているし、そもそも自分自身もそういう態度を快くは思っていない。やはり「食わねど高楊枝」という見栄っ張りの性分のせいなのだろう。

値下げ交渉などもってのほかである。昔、関西人の上司と話して驚いたことには、その人は百貨店に行ってですら値下げ交渉をするのだという。金を持っていないかというと、そんなことはない。びっくりするくらいに給料をもらっている人だった。それでも、「値ぇ下げてくれるかもしれへん」という一縷の望みがあれば、トライする。これには文字通りカルチャーショックを受けた。大阪の人なら「値が下がるのなら言ってみたって損はない」と考えるところを、東京の人間なら「(金のことを言って)恥をかくくらいなら損した方がまし」と考えるのではないか。





火消しの美学


さて、上の名物の中に「火消し」という言葉が出てくる。「火事と喧嘩は江戸の花」と言ったくらいに火事が多かったそうだが、火消しとはずいぶん恰好のよい仕事*5だったようだ。

彼らが着る印半纏というのが実に粋。Google の画像検索で「火消し 半纏」などのキーワードで検索すれば、それらしいのが見つかるが、それらは表が地味で裏地が派手なデザインになっているはず*6

これはなにかのテレビ番組で知ったことなのだが、この印半纏、実際に火を消しに向かうときは地味な方を上にして羽織り、火を消し終わって凱旋するときには裏っかわにひっくり返して、つまり派手な方を表に着て帰ったのだという。

「本当の粋ってもんは、裏地に金をかけるもんだよ、うん」なんて江戸っ子は言いそうなものだが、けれども、いくらあからさまな派手さを嫌うからといって、裏地がまったく見えないというよりは少しは見えた方がいい、いや、どちらかというと、やっぱりちゃんと見せたいという思いがあるのだろう。それが火消しが裏地をわざわざ表に着替える理由なのだと思う。

昔、ピーコがワイドショウで言っていたこと。




「よく、こういう人いるのよ。『このプラダのジャケットって、プラダに見えないところがいいのよね』って。でもその人って、そう言いながら『この服ってプラダなのよ』って言ってるのよね」




江戸っ子の「裏地にこそ金をかける」云々も、裏を返せば、「裏地に金をかけてるから、どうぞ見てくれ」ということに他ならない。ちょっとひねくれた自己顕示欲がかわいらしく感じられるのは私だけだろうか。





歌川国芳


今月初めに、大阪の天王寺で「歌川国芳展」を観に行ってきた。時間がなかったので駆け足で会場を回り、お目当ての図録を購入して帰って来た。

もともと、「新日曜美術館」の国芳特集が面白かったので興味を持ったわけだが、興味深い作品はたくさんあったが、その中で一番気に入ったはこれだった。




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国芳桐対模様(いさましくによしきりのついもよう)




これは国芳とその弟子たちを描いているそうなのだが、国芳自身がどこにいるのかおわかりだろうか。

少しわかりにくいかもしれないが、一番左で派手などてら(?)を着て皆を先導しているのが実は本人なのである。

国芳はいろいろな絵を手がけたが、生涯自分の肖像だけは描かなかったそうで、この絵においてもこちらに背中を向けている。

派手な服装(なり)をしているわりには顔を見せない。これも江戸っ子のひねくれた自己顕示欲のあらわれではないか。

……うーん、粋だなあ。

この絵を観たときに自分の「好み」というものがよくわかったような気がした。私は厳密には江戸っ子ではないが、国芳の背中に象徴されるものを憧れつづけてきたのだと思う。ほんと、恰好いい。



そうそう。国芳の絵はどれをとっても素晴らしい。初期の水滸伝の絵などは鳥肌ものだし、あるいは、「朝比奈」の絵に代表されるユーモラスな戯画や、「霞が関」のような素晴らしく画面構成の優れた風景画もある。




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朝比奈小人嶋遊(あさひなこびとじまあそび)






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霞が関






*1:今でも京都にあるらしい針のお店。


*2:「そうか」と読む。娼婦のこと。立ちんぼ。


*3:遊女と遊べる店。


*4:奈良春日大社で祝詞などを書くのに使ったものらしい。鹿の毛でできているそう。縁起物?


*5:今でいう自衛消防隊のようなものか。


*6:ただし、コレクションしている人は裏地を表にして(ややこしい言い方だが)写真を撮っている場合も多い。



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録画していたNHK「日曜美術館」の中川一政特集を見る。どこかで名前を聞いたことはあったし、どこかで絵も見ていたことがあったが、両者が一致していなかった。

VTR で向田邦子の『あ・うん』の装画を見たとき、「ああ、このヘッタクソな絵か」と気づいた。




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だがしかし、見れば見るほどだんだんとその絵に惹かれていった。しかも描いたときの年代が高齢になればなるほど、その絵が素晴らしく感じられた。その崩れ具合が、いや、「縛られなさ具合」が、超人じみているのだ。

番組の中で「説明的ではない絵」ということを言っていたが、たしかに説明するのにこの絵は用をなさないだろう。

しかし、写実的な絵だけが価値を持つのではない。というよりむしろ現代においては、写実的な絵にもはや価値はほとんどないのではないか。




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それにくわえて、見慣れてくると中川の絵には非常にユーモラスで愛らしさがあることに気づく。まあそれが好きになったということなのだろうが。

それにしても、すごい。特に年をとってからの絵は「天衣無縫の極み*1」。小説でいえば、天衣無縫とは違うが、小島信夫っぽい。年齢を重ねるごとに自由になっていくというような。



ただし、こういう闊達自在のものすべてを「あり」とはしたくないとも思っている。

いくら中川の絵がデッサンが狂っていようと、「それならデッサン力なんて必要ないではないか」という結論を引き出したくはないし、あるいは、同日に放映された猪熊弦一郎の絵が「子どものような絵」だからといって、「それならいっそ子どもに絵を描かせればいいではないか」という結論を引き出したくはない。それらは別次元の話である。

中川の九十代になってから描いた絵には、彼が九十代になってから描いたということそのものに意味があって、たとえそれらの絵を誰かが二十代や三十代で正確に模写しようとも、おそらく意味はない。ひとりの画家がたどり着いた境地を他の者がショートカットしてトレースすることに、絵画という芸術は価値を見出さないのではないか。

おそらく研鑽に次ぐ研鑽の先に中川のような「開放」があるのだろうが、「日曜美術館」のようなガイドがなければ私はそれらの「開放」の実を見抜いたり、理解することはできないというのが口惜しく思っているところ。

いづれにせよ、九十七のときに中川の書いた書が、「正念場」だからなあ。そのような心意気をもってしてでなければ、ああはなれないのだろう。



*1:テニスの王子様』というSF でこういう名前の[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%AD%90%E6%A7%98#.E6.8A.80:title=必殺技]があるらしいですよ。



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「美の巨人」で酒井抱一『夏秋草図屏風』が特集されていた。おそらく再放送。




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酒井抱一『夏秋草図屏風』




これ、この画像ではくすんでいてあまり見映えがよくないが、現物は本当に素晴らしいの一言。

はじめて知ったことだが、この屏風、もとはと言えば、尾形光琳の『風神雷神図』の裏に描かれたものらしい。




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尾形光琳風神雷神図』




ちなみに、上の『風神雷神図』は模写であり、オリジナルは以下。






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俵屋宗達風神雷神図』




風神雷神図』や『燕子花図屏風』など、琳派特有の金箔調というのが私のいまいち気に入らなかったところなのだが、抱一のは違う。

銀箔が実にいい。番組ではこの「銀」は月明かりの世界を表していると解説していた。

こういう銀の良さがわかるというのが、日本人特有のものだとは決して思わないが、「わび・さび」を理解しているような気分にはなれる。

なお、参考までに『燕子花図屏風』。




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尾形光琳『燕子花図屏風』





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今週の「NHK 日曜美術館」はとても面白かった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ特集」で、私はダ・ヴィチに興味はなかったので、本音を言えば観なくてもよかったのだが、新調したテレビがせっかく地デジの映像を見せてくれるというので、観た。



「白貂を抱く貴婦人」という絵をご存じだろうか。






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タイトルを知らなくても絵は知っている、観たことはある、という方は多いはず。かく言う私も観たことはあったが、「ふうん」という感想程度しか持てなかった。

ところがところが。

「最新の技術」(番組内で説明はされていたが、詳しく理解はできなかった)によって、この絵をデジタル復元すると、まったくといっていいほど、その表情は変わってしまう。

まず、「くすみ」が取れる。そして、500年*1のあいだに、修正・加筆された部分が丁寧に剥がされる。そうしてあらわれてくるのは、貴婦人というよりは少女と形容する方がふさわしいような繊細な輪郭と、美しい色彩。

現在の「白貂を抱く貴婦人」について「この色遣いが素晴らしい」などともし評価する人があれば、500年前に描かれた当時の色味が本当に見えていたのだろうか、と訝ってしまうほど、現在の絵と、500年前の絵とは別物である。

前述したように私は現在のものにはほとんど興味を持てなかったが、オリジナルについては素直に唸ってしまった。こりゃ天才と言われるのもわかる、という生意気な感想を抱いた。

さて、その復元された画像だが、ウェブ上に小さなものだったらあるのでここに掲載することも可能なのだが、その細部の美しさはとてもじゃないが伝えることはできない。これは実際に観てもらった方がよい。

幸いなことに、番組の再放送が16日の午後8時より放映されるようなので、そこでぜひ確認してほしい。一見の価値はあります。



*1:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%B2%82%E3%82%92%E6%8A%B1%E3%81%8F%E8%B2%B4%E5%A9%A6%E4%BA%BA:title=Wikipedia] によれば、描かれたのは1489年から1490年頃とあるから、正確には520年ほど前。



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2007年12月23日のメモより。



高山辰雄という日本画家は、1990年代に「聖家族」シリーズという作品を発表していて、そこに描かれた家族について以下の言葉を残している。




「どこかにいるであろう彼らが幸せであればいいなあと思う」




真の芸術家とは己の創作物に対してこのような愛情を抱いているものなのか、と感動した。



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