とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 写真

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朝のラジオ番組での天気予報で、きょうの午後8:32から6分間、国際宇宙ステーション(ISS)が関西の上空を通過するというので、仕事を午後8時に終えて、仕事場の倉庫の上に乗って、三脚を立て、そのときを待った。
西
東

もともとは写真で撮影したものだが、Googleフォトが勝手にアニメーションにしてくれた。本来なら、南西から西へとのぼっていく写真もあるのだが、なぜかそれはアニメ化してくれなかった。まあいいとしよう。
上がちょうど西の空。下のがちょうど西から北東へと向かっていくところ。 

ちょうどてっぺんにのぼったところでいちおう手を振っておいた。もちろん向こうからこちらが見えるわけはないが、こういうのは気持ちだ。
たった五分間(六分間見える、ということをラジオでは教えてくれていたが、僕のところでは山が遮ってしまったために一分早く見えなくなった)のことだったが、一日の疲れが吹っ飛ぶ経験だった。ISSを早めに隠してしまった山だが、この山が満月を隠してくれたおかげで夜空は暗いままで、撮影が順調に行った。月の光が入ってしまうと、画面が明るくなりすぎてしまって撮影は失敗しただろう。

撮影が終わり、駐車してある軽トラのところまで夜道を歩いて行くと、のそのそと動く影が見えた。懐中電灯を当てると例のガマガエル。こいつとの付き合いは三年以上になるが、なんとか長生きしているらしい。せいぜい踏まれないように気をつけてくれよ。

軽トラを発進させ、ちょっとのあいだ道路を直進し、それから右に折れると、大きな満月が視界に飛び込んできた。なるほど、ウサギの耳がよく見えた。

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このあいだから、ツバメがあらたに巣をつくって今年二度目の雛を孵らせたという話を書いている。
きょう、雛が巣から顔を出していたので、珍しいこともあるものだと写真に収めた。
ツバメの子
なんだか小刻みに顔を動かしているので、餌待ちかと思いきや、そうではなく、うたたねをしていたのだった。
ツバメの子アップ
こっくりこっくり。

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数ヶ月ほど撮った写真を整理できていないのだが、さきほどちらと確認してみたら動物モノが多いということに気づいた。
かえる
これは小松菜の生えているところに隠れていた。シンクのところに持って行って解放してやっても、しばらくじっとしていた危機感の薄いやつ。周りはカラスやらトビやらが飛んでいて危ないというのに。

つばめ
こいつは僕が「ツバメの輪」と呼んでいる、ツバメの集団飛行にカメラを向け、何十回とシャッターを押したなかで、いちばんくっきりと写ったやつ。このように、かなり近いところをぐるぐるぐるぐると飛び回っている姿は、小さいながら美しい。

うーちゃん
わが家のうーちゃん。いまだに馴れてくれないが、サイズはけっこう大きくなり、野性味がさらに増してきた。写真を見てわかるように、耳は薄く、血管が細かく張り巡らされていて、だからこそあんなふうに自由に耳を動かせるのだということがわかる。

なお、上記三点はすべてエフェクトをかけているので、実際の色とは異なる。 

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今月17日のこと。
畑のビニールハウスに置いておいた裏っ返しのコンテナを取ったら、なんとその下に野生のうさぎがじっとしていた。
このうさぎが地蔵状態で、近づいてもちっとも動かない。あまりにも動かないことをいいことに、写真撮影をした。それがこれだ↓。
ファーストショット
この日は朝から、カラス兄弟とトンビの抗争が激しく行われており、うさぎはその影にたいそう怯えていたのだろう。裏返しのコンテナに罠として掛かったのではなく、穴を掘って自らコンテナの中に隠れていたと思われる。
ふと、このうさぎを飼おうかという思いが湧いた。
ずっと以前に実家で二匹のうさぎを飼っていたことがある。一匹目は、なんと捨てうさぎで、集合住宅のドアの新聞入れにごとんと放り込まれていたのである。しかも、目もまだ開いていないという状態で。

それに較べれば少し大人になってはいるものの、それでも手のひらにすっぽりと収まるような極小サイズ。
家に帰って猫の移動用ケージを持って来て、難なく入れることに成功。ハウス内だったので、逃げられることもなかったのだ。

しかし、子うさぎの正しい飼い方がわからない。
前の一匹目は目が開いていない状態だったからこそ、簡単に「刷り込み」をすることができたのだが、この子は、多少なりとも野生で生活しているがゆえに人間に対する警戒心はものすごく強い。
しかもネットで調べると、飼い始めの段階では、ストレスによって死んでしまうことも多いのだとか。
はじめは買ってきたエサも食べてはくれず、このままどうにかなってしまうのではないかと非常に気を揉んだ(ここ一週間は読書もまともにできていない)のだが、やがて次第にエサに口をつけるようになり、備え付けの水飲み器もいつのまにか利用するようになって、一安心。
フンの大きさは日増しに大きくなり、それにつれて体格も少しづつ大きくなっているように思う。
まだこちらに慣れることはなく、(後日用意した)うさぎ専用のケージ内にあるときは静かに頭を撫でさせてくれるが、運動のためにと外へ出しているときは大昂奮状態で、とにかく僕から逃げる逃げる。
そんなことをしているうちに十日ほどが経ち、とりあえず最初のストレス死は免れることができたとほっとすることができた。

なお、うさぎのケージはメインの居住スペースには置かず、ネコたちにはまだ会わせていない。
やはりうさぎがびっくりしてまた心的負荷が掛かってしまうのが怖いのと、それからネコたちが昂奮してうさぎを襲うのが怖いのである。
もうしばらく身体が大きくなるのを待って、それからゆっくりと時間を掛けて対面させるようにする予定。

そうそう。うさぎの名前だが、はじめは「雨がつれてきた」ように思えたので「アメちゃん」にしようかと思ったのだが、うちにはすでに「ヒメ」というネコがいるので、混同を避け、「雨」を音読みして「うーちゃん」と呼ぶことにした。
現在のところ、(お腹が減っているときだけ)僕の手からエサを食べるようにはなった。
顔
耳
足

 

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違う用事で大阪へ行ったのだが、ついでに、と初めての造幣局の「通りぬけ」を体験。
午前十時から開場のところを、予期せず十分前に到着。なんと門の前には大勢の行列が。
帰ろかなと思ったのだが、そこは今年のモットーである「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」の精神で、黙って列に並んだ。
屋台
このように、花見客を当てにした屋台もたくさん並んでいた。

思いのほか待つこともなく開場すると、アジアの観光客も含めた大勢がすんなりと「通りぬけ」を開始する。
「ああ、ほんまにええ桜やなあ」などと感慨にふけっているようなヒマはなく、とりあえず流れに乗って進まなければならない。
人混み

そちこちで拡声器を持った警備員たちの「はい、立ち止まらないでください」とか「自撮り棒や三脚は危険です。おやめください」とか「逆行は禁止されています」等を聞かされたが、セルフィーくらいいいじゃないか、と僕は思った。せっかく海外からやってきて、日本の桜の名所を訪れようとしている人たちが記念にと撮影する姿は微笑ましい。
きょうは雨まじりの曇り空だったから比較的観客は少なかったのかもしれないが、それでも人は多かった。
桜を静かに眺めたいという人であれば、「なんなんだこれは!」と思うかもしれないが、そもそも「通りぬけ」と名前がついているくらいなんだから、ゆっくりと花見ができると期待するほうがおかしいのだろう。腹を立てても仕方がない。
門附近では桜を見る余裕などなかったが、僕にはこのがちゃがちゃごちゃごちゃ感が妙に面白く感じられ、桜ではなく、渾然とした場内の様子に何度もシャッターボタンを押した。
警備員
来年以降、再訪するとは思えないが、いい体験ではあったと思う。
少し歩けば混雑はなくなり、それなりのペースで進めることができるが、それでも「はい、立ち止まらないでください!」の声はなくならない。いちばん無粋なのは(彼らにとっては仕事なのだが)警備員たちの声で、これがいかにも桜と似つかわしくない。が、それもまた「通りぬけ」というものなのだと思えば、腹も立たぬ。

気になったのは、やけにカラスが多かったこと。近くを歩いていたおばさんも、「ほんとっ、なんなの~このカラスたちは?」と不気味がっていた。
カラス
これは、造幣局の本館(?)の上で屯していたカラスだが、桜にたかっているやつらもいた。
僕の子どもの頃、品川にあった食肉処理場(たぶん正確な名称ではない)の近くにもやけにカラスが飛んでいて、あれは死肉の臭いを嗅ぎつけたカラスたちが……みたいな噂を耳にしたが、そのことを思い出した。施設とカラスとの関係は、まあ偶然なんだろうな。
あっという間に「通りぬけ」は終わってしまい、あとはぶらりぶらりとそのあたりを探索した。
市民に愛される市長というものを実感したり、
落書きはダメよ
(ただしこれは犯罪なので、褒められたもんじゃない)

東西線の大阪城北詰駅内にあった、おそらく秀吉ゆかりの瓢箪マーク(?)を愛でたり、
ひょうたん

どこかのお店の前で自画像を撮ったりした。
足だけ

最後にもうひとつ面白い写真を。
びっしり(遠くから)

これのどこが面白いかって?
(拡大)
拡大すると、びっしりと詰まったぬいぐるみがこちらを見ているのである。

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猪
何週間か前の写真。
厳密には、この他にさらに二匹の猪がいた。そいつらが手前の川を渡るのに手間取っているのを見て、「しめた! これはシシに大接近(といっても柵があるので安全)できるチャンス! とこの川の手前にある土手を急いで下りようとしたのだが、そのとき履いていたのがホームセンターで500円ほどで買ったサンダルだったので、見事に転倒。右手からは血を流すは、腰は打つは、カメラは泥まみれになるは、で散々な目に遭った。
土手を駆け下りるときは、足元に気をつけよう。
猪(拡大)
上の画像をさらに拡大したもの。 

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年々と、桜に対する考え方が変ってきている。
ほんのちょっと前までは「桜なんて」と思っていたのが、いまでは「できる範囲で」という条件つきではあるが花見くらいはしたいものだ、という姿勢を採るようになっている。

おととい、朝のひと仕事の後、川べりに桜が何本かまとめて植わってあるところへと寄った。
桜並木
これと同程度の桜が、撮影者僕の後ろにあるくらいの、ほんとうにちいさな桜並木。

すべての桜を撮り収めなかったのは、まさにこの後ろでは草刈りの真っ最中で、下手すりゃ飛んできた小石やなにかで怪我をするおそれがあるから。
なにもこんな日に草刈りをしなくてもいいじゃねえか、と思いはしたものの、よくよく考えてみれば、おそらく公共の仕事であろう草刈おじさんたちも、きょうをチャンスと張り切っていたはずで、この日は、ここいらでは菜種梅雨の止み間だったのである。

厄介なことはもうひとつあった。
川べりの、ほとんど人が気づかないようなところでひっそりと満開になっている桜だったが、ここに三脚を立てたいかにも写真が趣味という様子の男性がいた。
その男が、全体を収められるようなベストな位置にでんと構えてしまって、もう根が生えたのかってくらいに動かないのだ。
はじめ、そのレンズの先にはレジャーシートを敷いた一家族(ただし男はいない)がいて、「ああ、ここの父親か」と思っていたのだが、しばらくしてその家族が立ち上がり、シートを持って川べりの土手を下っていって、あらためてそこにすわり直した。どうやら、カメラ親父はそこの家族とは無関係だったらしい。
そのカメラバカは、写真雑誌などでありがちな「桜の下に家族が団欒して花見をしている図」を撮影したかったらしく、おそらくは無許可・無挨拶で写真を撮ろうとしたのだろう。そして自分たちにカメラを向けている親父に不快感を覚えた家族のほうが移動した、とこういう経緯らしかった。
そのあとも、クソ勘違い野郎はその場でずっとカメラを構え、今度はそこを歩き過ぎようとする僕を写真に収めようとしていた。どうしてもそこを通らなければいけなかった僕は、ブレブレ写真になるよう、いきなり手を振ったり、いきなり斜め歩行をしたりした。きっと写真を撮れなかったか、撮ったとしても失敗作になったに違いない。
しかし、なんでこちらがそんな面倒なことをしないといけないのか。なぜこちらが「横切ってすみませんね」みたいな思いを抱かなきゃいけないのか。
大風吹いて三脚が倒れ、カメラがぶっ壊れりゃいいと思った。そのショックで引っくり返って土手をごろごろと逆さまに転がり、そのまま浅い紀ノ川にはまって、流されて、海に運ばれてしまえばいいと思った。偶然にも熊野からやってきたクジラに咥えられ、そこをシーシェパードの連中に見つかってクジラをいじめていると勘違いされ、銛で撃ち抜かれたらさぞ愉快だろうと思った。間を省略して、いまここでシーシェパードの頭のおかしい連中が襲いかかってくれればいいと思った。
電車マニアの撮影マナーが悪い、というのはネットで見聞きするが、行楽地での写真マニアもみなで協力して三脚の馬防柵を築くらしい。その先にあるのは赤備えの武田騎馬軍団ではなく、ただの紅葉だったりする。
高級機材と高年齢を振りかざしてたいそういいご趣味だが、桜や紅葉や、そのほかの名勝が自分ひとりのものだと勘違いしているみたいだ。こういうやつらがひとりいるだけで、周りの十人二十人がほんとうに嫌な気持ちにならなくてはいけない。いやあ、つくづく民度低いんじゃないの、この国って。 

などと、しづ心なく愚痴を言ひけり。
落花
 このほかの幾葉かはTumblrに。
  •  http://doroteki.tumblr.com/

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濃やかな女店員の面立ちに似る女優(ひと)の名を忘れゐしまま

なんだかずっと歩き回っていた印象の金沢ともあと少しでお別れ。かといって、おみやげを買うでもなく、なんとなく駅の前をうろうろ。

近江町市場という、いかにも「金沢の台所」とでも呼ばれていそう(&紹介されそう)なところを回って、海鮮物や野菜がずらりと並んでいるさまをたのしむ。
そりゃ生牡蠣だのブリだのノドグロだのを見ているのもいいのだが、やはり気になるのは野菜。ほうれん草なんかは形はきれいだったがいい値段だった。印象的だったのは大カブで、これまたいい値段だったのだが、かなり肌がきれいだったので思わず見入ってしまった。どこの八百屋でもカブはきれいだったので、もしかしたら産地が近いのかもしれなかった。
有機信仰の人たちは、きれいでない野菜を殊更ありがたがり、きれいな野菜を批難しがちだけれど、一朝一夕に作れないのはきれいな野菜のほうなんだよね(もちろんこれは外観の話)。僕は単純にきれいな野菜をすごいなあと思ってしまう。
アジア系の外国人観光客も多かったけれど、なかなか買うところまではいかないかもなあ。ブリまるまる一本(3万円近いのもあった!)を 飛行機に乗せるわけにもいかないしね。
僕個人は、 端から端へ行ったり来たりはしたものの財布を出すところまではいかなかったのでどうにも写真を撮る気にはなれなかった。売る側にしてみれば、「おいおい、写真を撮るならまず買ってくれよ」と思うだろうから。

残り時間もわづかになったので、スターバックスに入って時間を過ごす。メモを見直し、短歌を推敲しながら、なんとなく隣の席の女の子ふたり組の会話が耳に入ってくる。
「はじめまして、ですね」
「はじめまして」
「やっと会えましたね」
「やっと、です」
「うわー嬉しい」
「ほんとー」
とか。さすがにふたりの会話をメモしたりはしないのだが、聞きながら、これはどういう状況なのだろう、と考える。顔は見ないが、声の様子からふたりとも二十代ちょっと、という感じ。きょう、この瞬間にはじめて会ったらしく、ひとりが、自分の家の場所を紙に地図を書きながら説明している。それが通用するくらいだから、まったくの近所というわけではないが、金沢市内同士くらいではあるらしい。
かなり丁寧に家の場所を説明しているのも、それが本当に必要だからしているのではなく、たまたま会話が長つづきしそうだから引き延ばしているという印象だった。けれどもそれが無益というわけではなく、そのだらだらとした引き延ばしそのものをたのしんでいるという感じ。
同性愛という印象はなかった。なんというか、本格的な異性愛に目覚める以前の関係性に近いかな。異性より同性のほうが信用できるという時期特有の心理なんだと思う。学校が同じということはないだろうから、だとすればネット経由で知り合ったのかな。ふうん。そういう時代なのかもね。同性で同年代同士だったら、とりあえずそれほど心配はないか。もしかしたら、なにかのミュージシャンとかアイドルのファンつながりなのかもしれない。いいかもね、そういうのも。

若い女性の会話を盗み聞き、なんてみっともなさすぎるので早々に切り上げ、手元の『現代秀歌』を読む。最終章は「病と死」と題し、それらに関連する歌が挙げられていく。
当然のようにその一首一首は重く、「みそひともじ」が心に響く。
時間をチコに返してやらうといふやうに父は死にたり時間返りぬ - 米川千嘉子
軽々と論ずることのできない歌である。父に「チコ」と呼ばれていた作者が、その父の介護に接し、そしてその死に接して生まれた歌のようだ。この歌をどうこう言う資格は、少なくとも僕にはないし、そして、米川と同様に肉親の介護に携わり、見送ってきた多くの人たちにもそんな資格はないのではないだろうか。
この一首が、もはや短歌というものの技術や表現の方法などを超えて、代替しがたい「なにか」になっているのである。その「なにか」を端的になんと呼べばいいのかはわからないが、陳腐な言い方をすれば、これは作者の人生――この言い方が少し気障だとしたら、「生活」とでも言い換えよう――の一部、彼女という存在から引き離し難い生の一部になっているのが感じられる。そこに他者による共感はあっても、批判の入る余地はあるまい。

このように生に裏打ちされた表現は、強靭さを持っている。言葉遊びや、手法の目新しさや、そのほか人の目を惹きつけるためだけに特化されたヴァリエーションの種々なんかを超越し、存在しているように感じる。これこそが文学という感じがある。
あるいは、同書に掲載されている上田三四二(みよじ)の歌、
死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ
も、言葉の上澄みだけを浚うのではなく、作者の、歌人でもあり医師でもあるというプロフィールや、癌の宣告を受けたのち(ただし手術は成功したらしいが、昭和四十一年の癌宣告は死の宣告に近かったろう)に詠まれた歌ということを知れば、またこちらの態度も少しは引き締まるに違いない。
そしてそのことを妻に告げたときの歌、
たすからぬ病と知りしひと夜経てわれより妻の十年(ととせ)老いたり
は、ときに「死はそこに」の一首以上に、われわれの胸に迫るものがあるのではないか。


隣の席に「よっこらせ」と大仰にすわる人があった。年配の女性で、杖をついている。膝なり腰なり(あるいはその両方とも)がいかにも悪そうで、動作が緩慢になっている。一挙手一投足がたいへんそうだ。まだ注文はしていないらしく、テーブルの上にはなにもない。
その女性の着席からあまり時間を置かずに店員さんがやってきて、その女性にメニューを見せた。そして、「お会計はこちらで構いませんからね」とひとこと。彼女の足の具合を考えて、すべてテーブルで済ませてくれるということらしい。おお、なんというサービス!
ふつうスタバと言ったらカウンター会計で、註文を終えてからそれから席へ、という流れを客に求めるはずだ。それが、客の健康状態を勘案し、臨機応変に、しかも柔和な態度を添えて対応している。
見れば店員さんは、北陸美人とでもいうのだろうか、色白でほっそりとした黒のタートルネックの似合う女性で、その対応と同様に、非常にさっぱりとした清潔感のある方。彼女を思わず見つめてしまったこっちは、先刻ドロドロラーメンを食して、身体の内側からドロドロになっていたので、好対照であったろう。
しかしまあ、最後の最後まで、金沢の人たちは、そのほとんどが気持ちのよい人たちだった。

雪積もる凍へる土地を走り抜く電車に乗りたる吾も逸れる

サンダーバードに再び乗る。
 急いで撮影したのでブレているが、これはどうやら新型。
サンダーバード(新)
 僕はこれより、「行き」で乗った旧型のほうを恰好良く感じる(下はWikipediaにあった画像)。
サンダーバード(旧)

 石川は雪国という印象があり、かなりの寒さを覚悟していたのだが、結局それほど寒い思いをせずに済んだ。雪も、隣の福井が積雪何十cmであろうというのに対し、(たまたまの話なのかもしれないが)金沢では雪がほとんど残っていなかった。
よって、帰りの電車の窓から覗ける福井通過中の風景は雪国そのものであり、そこに僕は勝手な「異国情緒」を感じて、満足まで覚えてしまうのである。 
これは、自分の場合に置き換えてみれば「観光客がのんきなことを言っている」という状況なのだということは、容易に想像もつくのだが、観光客っていうのはそういうのんきさ・無神経さ・鈍感さでもって自ら異邦人となっているわけだから仕方ない。むしろ、ちょっと訪れただけで、「○○という土地の問題点はこれこれこうである」と断じてしまうほうがおそろしい。

雪の中を進む列車から外を撮影してみるのだが、どんどんと光量が落ちていくので、(ISOを上げるのは好きではないので)シャッタースピードが落ちていく。風景が残像を少し曳くくらいならまだいいのだが、だんだんとその像が伸びていき、抽象画のようになってしまい、撮影を諦める。ところへ限って、美しい夕景。まあいいさ。

紺青(こんじょう)へとはや今日の日が沈みゆく 車窓に映る吾(あ)は左利き

窓外が暗くなってくれば、自然、僕の顔が窓に映る。メモを取りつつ、「彼」は『現代秀歌』の「おわりに」部分を読んでいるらしい。

この「おわりに」 なのだが、十ページとかなり長い。というのもその半分は、最終章「病と死」を継ぐように、筆者永田和宏の実の妻であり、歌人でもあった河野裕子の病に対する筆者とその家族の苦悩に割かれている。
妻の河野裕子に乳がんが見つかったのは、二〇〇〇年の秋であった。すぐに手術。乳房の温存手術ということになったが、その後八年間の闘病期間を経て、二〇〇八年に転移が見つかる。二年間の抗がん剤治療ののち、二〇一〇年八月一二日、帰らぬ人となった。
 このときの一首を、筆者は「番外編」として挙げている。
一日が過ぎれば一日減ってゆくきみとの時間   もうすぐ夏至だ
ここらへんは非常にデリケートな部分なので、引用をつづける。
河野の病状が予断を許さないまでに悪くなっていったとき、私がいかに彼女を思っているかを、なんとか彼女自身に伝えたいと思うのは自然である。しかし、私が河野の死を思い、それを詠えば、当然河野がそれを見る。河野を思う歌を詠うことは、どうしてもその死を前提にした歌にならざるを得ない。先の一首なども、ある意味では、ほとんど挽歌と言ってもいい歌であろう。それを本人の目に触れさせるのはあまりにも残酷である。しかし、私の思いは知っておいてほしい。このどうしようもない葛藤。
 やはり僕は、上記文章になんの言葉も加えることはできない。本書に書かれた「事実」としては、子どもたち(同様にみな歌人) に相談し、賛同を受けた上で、歌は詠んだのである。ほかにはこのような歌もあったらしい。
歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
そして、筆者と河野との歌の応酬がいくつかつづく。河野も歌人として、最期まで歌を詠んだのだった。
死の前日、河野裕子の口を漏れた最後の歌は、次の一首であった。この一首を私が自分の手で書き写せたことを、誇りに思うのである。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が - 河野裕子『蝉声』
 この文章は、ここで終わる。


 そして僕のとりとめのない金沢旅行の記録も、ここで終わることにする。このあと、サンダーバードは大阪駅に着き、そこから御堂筋線でなんば駅に行き、ジュンク堂で永井陽子の歌集を探したのだが、あったのは「全集」のみで、価格の高さと、ご丁寧なパッケージングによって中身すら読めないという状況に打ちのめされ、そこからさらに二時間半ほどかけて自宅に帰って来たのだ。
本屋では、立ち読みついでに話題となっているらしい『その女アレックス』を購入し、三日で読んでしまったが、その感想は、また別の機会に書くとする。

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美術館と見紛う図書館<海みらい> 住所が「イ」なんてそんなのありかよ

夜は明けた。
外はどんより雲だったが、昨夜の天気予報では確実に雨になるということを知っていたので、別に落ち込まなかった。

まず、バスで大野という港のあるところに行ったのだが、漁港ってだいたいこういうものなのか、内側にくぼんだ湾が見えるだけで、港っぽさがあまり感じられなかった。
あまり海を知らない人間としては、霧笛が聞こえて、カモメだかウミネコだかがにゃあにゃあ言っていて、ついでに野良猫もみゃあみゃあ言っていて、小魚を天日干ししてある棚がずらっと並んでいて、膝丈まであるゴム長靴と重たそうなゴム製のエプロンをつけたおっさんが、市場用のキャップをかぶってなんだかこちらを疑り深い目で見ていて……ってそういう感じを想像していたのだが、カモメだかウミネコがちょこっといただけで、あとは中型(?)くらいの船がいくつか繋留してあるだけで、それ以外に港を匂わせるものもなかった。「におい」といえば、潮の臭いもそれほどなかった。
なお、ここらへんではいまでも醤油の醸造をしているらしく、醸造所がいくつか見られた。しょうゆソフトクリームなるものを販売しているところもあったのだが、時間が早すぎてまだ営業しておらず食べることはかなわなかった。
DP3M0613
ここに来る頃には雨はもう降り出していて、風も強かった。折り畳み傘は持ってきていたのだけれど、すぐにおちょこになってしまって用をなさなくなってしまったので写真を撮るのが非常に厳しく、けっきょくカメラをリュックにしまった。ついでに言うと、「傘がおちょこになる」ってなんか懐かしい言い方かも。

さて、ここにはとある博物館的なところ(わざとボカしております)があるのだが、辺鄙も辺鄙、大辺鄙な場所にあるので、ほとんど客はいなかった。いま、あらためて地図を見たら、「誰が来るんだ」っていう場所にある(公式ブログを見てみたら、おととしに来館70万人を達成しているみたい)。
ここにはいろいろなからくり細工が集められていて、それが一斉に展示されている。なかには、寄木細工やサイコロのパズルのように実際にいじって遊べるものがあり、ハマると時間が経つのを忘れてしまう。
僕は、大広間のいちばん手前にあったサイコロのパズルと三十分以上格闘していた。複雑な形の9ピースに分かれていて、 それをきちんと組み合わせると、一辺が30cmほどのサイコロ(けっこうデカイ)になるというのだが、ルービックキューブや知恵の輪がかなり苦手な僕は当然できず、リュックとカメラを地面に置いて、うんうん唸っていた。

ちょっと頭を休めるために、サイコロをそのままにしておいて、 隣の、そしてそのまた隣のパズルを試していき、「ああ、これくらいならできるや」とか「うーん、これはちょっと難しいかなあ」なんてひとりごとを言っていた。小学校の体育館くらいはある大きな部屋にそのとき三人しかいなかったので、そんなことが許されたのだが、そこへ、施設のスタッフであろうおばさんがでかい業務用の掃除機を持ってきて、フロアのカーペットを吸い込み始めた。
え、いまやるの?
こんなクソ暇そうな平日の雨の日に、たった三人しか客がいないっていうのに(むしろそれだから?)、いま、その「ブイーン!」ってクソうるさい掃除機をかまさなきゃいけないのかよ!
なんかガッカリした。
しかも、僕のやっている途中だったサイコロパズル(途中まで組立中)を、「ああ、きちんと片付けられないのかねえ」みたいな感じですべてバラバラにしてしまった。
たしかに、次のお客さんのヒントにならないよう、すべてバラバラにしてあげるっていうのは施設スタッフとして当然の行為なんだけど……な・ん・だ・け・ど、いま三人しかいないんだよ! 「次の客」なんてあと数時間くらいしかしないと来ないっていうのは、子どもでわかりそうなものなのに……。
DP3M0630
いじくれるパズルだけでなく、こんなふうな昔のゼンマイ仕掛けなんかも展示してある。古いものらしいが、これを撮影しながらも、頭の中には、あくまでも淡々と仕事をこなしていくスタッフのおばちゃんの振る舞いのことしかなかった。
DP3M0622

とはいえ、思いのほかたのしめた(たのしみすぎてしまった)ので、乗らなきゃいけないバスの時間が迫っていることに気づいて慌てて帰ることになった。その際に、出口そばにのぞきからくりの装置があったので、ちょこっとだけ覗いた。これがあの、落語『くしゃみ講釈』に出てくるのぞきからくりなのねえ、とちょこっと感動。
感動を覚えたついでに便意も覚えたので、施設内のきれいそうなトイレへ。これはさっきたまたま知ったのだが、僕が行った二週間ほど前に洋式トイレに改修したばかりらしく道理でたいへんきれいだった。そのたいへんきれいなトイレを、たいへん気持ちよく使っていたのだが……。
バダン! と大きな音を立てて誰かがトイレに入ってきたらしい。その音にちょっとびっくりする。誰だろう?
すると、隣の個室のドアが開いた音がして、次いで、キュッと蛇口をひねる音のあとにシャーっと水が勢いよく出る音。ジャブジャブジャブジャブ。
たぶん便所掃除用のモップを洗い出したんだ……ってことは、十中八九さっきのおばさんだ。おいおいおい、きょうは死ぬほど便所掃除する時間があるだろうっていうのに、選りに選って僕が用を足しているときに、その隣で思いっきりモップの洗浄ですか。きょうみたいに客の少ない日だったら、もうちょっとタイミングを考えてもいいんじゃないですかねえ……。

おかげでってわけじゃないけれどバスには乗り遅れた。せっかくだから全然観光地ではないところを、とバスの停留所づたいに一時間ほど歩いた。 金石(これで「かないわ」って読むみたい)という停留所が少し大きなところだったので、そこであらためてバスを待つことにした。時間がまだあったので、あの天下一品という有名なラーメン屋を見つけ、入って食べたのだが……あれ、すごいね。よせばいいのに「あっさり」じゃなくて「こってり」を頼んだら、スープが半固体だった。食べながら体中の血管が詰まっていくイメージ。
熱狂的に好きな人がいるからこそ、あんなに大きく展開しているのだろうけれど、ワタクシはあと半世紀は食べなくていいです。

停留所に戻り、バスに乗った。
これは本当は帰りのバスではなくて行きのバスで気づいたことなのだが、国道のそばに大きな美術館があって、それが見えたのは一瞬だったがずいぶんきれいな建物だと思った。
それでさっきそれをネットで調べてみたら、なんと図書館(下はWikipediaの写真)だった。
1024px-Umimirai_Library
「金沢海みらい図書館」というらしい。それはいいのだけれど、住所を見て、「ん?」と思った。
石川県金沢市寺中町イ1番地1
「イ」ってなんじゃ?
 結論から言うと、「イロハニホヘト」の「イ」のようで、ネット情報では、石川県にはそういう地名が多いとのことだった。
七尾市役所: 七尾市袖ヶ江町部25
加賀市役所: 加賀市大聖寺南町41
JR森本駅: 金沢市弥勒町61-2
これもネット情報(いまでもこれっぽい)なのだが、上記赤字で示したものも、「イ」だから気づけるようなものを、「ニ」は「二」と間違ってしまうし、「ロ」も「口」と間違えたって仕方ないだろう。両方とも後者が「(漢字の)に」と「くち」ね。
それにしても、地名っていろいろありますなあ(それが結論?)。きょうはここまで。

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石川は竜頭に似たり 和歌山は膨らみゐたるチリ国なりしか

21世紀美術館ではなく、県立美術館そばのカフェで一服したのち、わりと近い場所にあった鈴木大拙館に文字通り駆けて行った。入館リミットである午後四時半に近かった。
鈴木大拙については、ほとんど知らない。そしてこの施設に来たのは、大拙に対して理解を深めるというよりは建築を見たかったから。エフェクトをかけているけれど、だいたいこんな感じ。
    
鈴木大拙館
鈴木大拙館
鈴木大拙館
鈴木大拙館

 それから長町武家屋敷跡という場所に寄って、ここで土塀にかけられた筵(たしかこれも、雪に寄る劣化を防ぐためだったはず)や、やはり松の雪吊りをさっと眺めた。
雪吊り

とにかくまあ金沢というところは、都市部なのに歴史的な面影を残しているところがそこかしこに残っている。このときの僕は金沢に着いてから七時間ほど経っていたので、もはや「ふうん、これも(雪吊り)かあ」くらいの感動しか残っていなかったけれど(かなり歩きつづけていたので、そちらの疲労も少し出てきていた)、実際はものすごくいいところだった。

さて、このあともまだある。尾山神社という、なぜかステンドグラスの嵌められた建物のある神社へ。
尾山神社
ここでおみじくを引いたら、大吉。信心なんてこれっぽっちもない僕としては、大吉であろうと大凶であろうと、あとから「ああ、やっぱり!」と思ったことがないのでやらなくてもいいんだけどね。
門のところにあったこの彫刻は、たぶん前田家の紋。いい仕事してますねえ。
尾山神社

ここから昼に行ったひがし茶屋街を再び訪れ、夜の花街を闊歩してみるが、開店休業状態なのか、それともみながひそやかに遊びに興じているのか、人通りもほとんどなく、夕方六時という時間を考えるとやや寂しい。
 
浅野川
ここでようやくバスに乗ろうと停留所に行くと、どうやら自由券が使える巡回バスはもう終わってしまったようだった。
うーむ、自由券は使えないJRのバスなら回ってくるんだけど、ここで金を払うのもなんだかもったいないなあと時刻表のまえで首を傾げていると、そこで待っていたおそらく地元の女性の方が、「どこまで行くんですか?」と声をかけてきてくれて、金沢駅まで、と応えると、いまから来るバスは金沢駅へ行くことは行くんだけど、だいぶ迂回するので時間がかかりますよ、と丁寧に教えてくれた。歩いて行ったらどれくらいになります、と訊いたら、二十分ほどと教えてくれたので、それなら歩きます、ありがとうございました、とお礼をして歩くことにした。 
朝のバスの運転手(それもたったひとり)以外 は、本当に親切な方が多くて、町全体でお客さんを歓迎しようという姿勢が見て取れた。いや、そういう商売根性によるものではなくて、ごく自然な親切心の発露なんだろうな。こういうのは、ほんとうに嬉しい。

てえことで、元江戸ッ子はてくてくと歩を進めて金沢駅を目指した。ここらへんは朝から何度もバスで回ったり歩いていたりしたうえに、道もごく単純なので、きょう一日の総仕上げとばかりに歩きに歩いた。
途中、疲れた場所もあるにはあったが、歩いた距離に比すれば意外に疲れていなかった。後日談になるが、この日、「きっと数日してから筋肉痛が起こるのだろう」と覚悟はしていたのだが、それはついに起こらなかった。これがたいへん不思議。普段から歩いているわけでも運動しているわけでもないのにねえ。

金沢駅
金沢駅に着くと、さらに周りをうろちょろしてライトアップされた「鼓門」を見上げたり写真を撮ったりしてたのしんだ。
それから近くで適当にそば屋を見つけて夕食を済ませ(ここがけっこう安くおいしかった)、外資系のホテル(といっても安いやつ)にチェックインした。ひとり2800円の部屋だったが、なぜか当日になって、「同じ金額でひとつグレードがうえのお部屋にご案内します」と言われ、なんだか知らないがラッキー。ああ、これが大吉ね。あと、昼のランチもか。

部屋のテレビで天気予報を確認していると、予報図の範囲がいつも見慣れている関西地方と異なっていて(当然のことだが)、それが新鮮だった。
こうやってみると、石川県の形ってだいぶ変わっていて、恐竜の頭みたいだと思った。
ishikawa

きっと上(能登地方?)と下(加賀地方?)とでは、言葉とか習慣とか、いろいろと大違いなのだろう。金沢は中心地にあって海に面してはいないけれど、能登半島はなんだか気象的にもハードそう。
そんなこといったら、和歌山だって、南北に無駄に長くて、紀北と紀南じゃ全然べつものだからね。
かつてテレビで観たカクスコという劇団の最終公演で、和歌山出身である中村育二(いまでもいろんなところで活躍している)が「日本のカリフォルニア」と紹介し、周りのメンバーに「クジラとみかんしかないくせに!」とツッコまれると、「ふたつもあれば充分だろ!」と言い返していたのを思い出すが、それは紀南の話で、紀北はけっこう寒いところもあるよ。高野山にはスキー場もかつてあったみたいだし(いまもあるのかな?)。

そんなわけで、ようやく一日目が終わったのだった。二日目はたいしことないので、やっと終りが見えてきた。

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