とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 冗談

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なんだかトースターのタイマーがやけに長く感じられたので、キッチンタイマーをつかって計測してみたら、トースターの10分が、実時間では12分だということを知った。

さて。この時期になるとこんな過疎ブログへのアクセスがやや増える傾向にある、ということは毎年言っていることかもしれないけれど、たったきのう、自分のブログのURLがdoroteki2.blog.jpではなくて、doteki2.blog.jpであることに気づいたという、つまり自分のURLを決定するときに誤タイプしてしまい、かつ数年ものあいだそれに気づかないままでいた程度のブログになぜアクセスが増えるのかというと、おそらく宿題かなにかになっているのであろう読書感想文をつくるためのコピペや参照元としてネットを渉猟するアホどもが大発生し、そのサーチに当ブログもすこし引っかかってしまった、というのがその原因だと僕は見ている。
まあ、「○○(書名) 感想」みたいな感じで検索し、ダイレクトにそのページにアクセスするものだろうからこの記事を読むはずもないのだが、せめてもの抵抗で当記事に「読書」のタグをつけておいたので、「うーん、ほかにないかなあ」と探した人間の目に引っかかれば僕の試みの半分は成功だ。

こういうとき、「いやまあ、そういう読書感想文みたいなものは、他人のコピペなんかをするんじゃなくてね、自分で読書して、自分の頭で考えて、自分で書いたほうがいいよ、そのほうが身のためだよ」みたいな注意をする人は少なくないのではないかと思うが、僕はそういう言い方は嫌いだ。「身のため」の心配をするというのは、前述の大量発生しているアホどもに寄り添い、親身になってやるということじゃないか。そんな大海原みたいな心の持ち主なんかじゃないんじゃ、こちとら。はっきりと、「そういうコピペするやつら、一生苦労しろ!」って言ったほうがはるかにマシ。
でも、実際のところは、そういう括弧つきの「要領のいいやつ」ってのは社会的にもうまく行ったりする輩が多いんだと思う。そりゃそうだろう、抜け目がないため効率的なやり方を見つけるのが誰よりも早く、バレなければ規定外のことも簡単にやってのけるという胆力と実行力も持っている。人格がどうのこうのと陰口を叩くやつもいるかもしれないが、そんなのはしょせん負け犬の僻み。勝てば官軍、負ければ宦官。人生、勝ったもん勝ちですよ。
その結果、上司のお覚えめでたいてなことになる。
「おまえ、同期の連中より頭ひとつ抜けてるな」
「あざーす!」
「よし、会社はおまえを高度にプロフェッショナルな人材として認定することにしよう」
「あざーす!」

数ヶ月後。

ああ、つらい。電車。連れてかれる先は地獄だってのに、地獄でしかないってのに、待ってる。終わらない仕事がたくさんあって。ずーっと、ずーっと、ずーっと、目の前にはなんかある。塊。大量の。仕事の山。やらなきゃいけない、山。動かせない。消えない。なくならない。なくせない。ずーっと、そこには山。休めない。とてもじゃないけど、休めない。休日なんて、連休なんて、あったんだなあ。はは。考えられない。なにしてたっけ。2日も休んで、なにしてたんだっけおれ? ああ、つらい。もう足を前に動かせない。電車に乗りたくない。会社に着いちゃうから。そうだ、飛び込んじゃおうか。電車にぶつかっちゃえば、会社に行かなくてすむ。寝れる。かなり寝れる。もう死んでもいい。死んだらラクだ。死んだら寝れる。怒られないまま、寝れる。気にせず、寝れるんだから……。ああ、やってきた。もうほんとうにそうしてしまおうか。一歩。どうせ足を出すなら、ラクなほうへ……。
ああ……いったい、どこでどうなって、こうなっちゃったのかなあ……。

それが、このページの呪いだ!
こうならないうちに、改悛するのだ。おまえの、合理化や効率化の行く先は、実はたいしたことじゃない。どころか、おまえの寿命を縮めることだってある。だいじょうぶ、人生はやり直せる。おれだって、むかし過ちを犯した。そのために、ものすごく重い呪いがかけられ、しかもそれはいまだに解かれていない。その呪いのためにおれは、2分余計に焦げたトーストを毎日喰っているのだ。

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まったく関係ないような話から始めると、僕はブラウザのchromeにGoogle翻訳の拡張機能を入れてあるので、任意の文章をドラッグするだけで自動的に日本語訳がポップアップされる。ちょっとわからない英単語なんかがあっても、いちいち辞書を引かずに済むから便利。英語だけでなく、仏語、西語、独語などいろいろな言語に対応している。


さて。
「米の話」といっても、粍の千倍、糎の百倍、粁の千分の一のことではない。
また、アメリカ合衆国のことでもない。
あるいは、「ニッポンの美しい棚田」などと持ち上げて、機械の入らない田んぼを維持せよなどと無茶苦茶な同調圧力をかける頭の悪い伝統主義者たちのことでもない。

『この世界の片隅に』がドラマ化されるというニュースを聴いてまずいちばんに気になったのがキャストで、TBSドラマの公式サイトを覗いた。瞥見するに、やっぱり『ひよっこ』感は否めなかったが、とはいえ、宮本信子以外は若手なので、脚本家による引きというものもあろうと別段の不思議はなかったが、それにしても伊藤沙莉までも使われるとは、とちょっと驚いた。彼女には(古舘の息子なんかとは違って)きちんとした実力が感じられたので、もっともっと有名になってもらいたいと思っていたのだ。だから今回のキャスティングは素直に喜んでいる。たとえオリジナルキャラとはいえ。
彼女の『ひよっこ』での役は、米屋の娘で米子(よねこ)と名づけられたがゆえに父親に反撥しているという設定だった。米屋の娘にいくらなんでも米子はないだろう、というわけだ。

この伊藤沙莉だが、「たしか『さり』じゃなかったよなあ、なんて読むんだっけ?」と気になり、ドラッグしてググろうとした。そのときの画像が以下。
シャリ
ここにも米の話が隠れていたか!と、ただそれだけの話。もちろんこれは「誤訳」で、実際は「さいり」と読むそう。

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ちょっと前、数年ぶりに観た『相棒』がたまたまスペシャル回で、テロ対策防止法みたいなのをより強固にすべく、そのため平和ボケしとる日本国民にテロの恐ろしさを教えたる、というモチベーションで政治家とか官僚とかの有志がテロを起す、みたいなストーリーがあって、おいおい、『相棒』もしばらく観ないうちになかなかトンデモ系に行ってしまったんだね、と大笑いしたのだが、最近、うーん、なかなか示唆的だったのかもな、なんてことを考えている。

いろいろと書きたいことはあって、下書きを量産しているんだけど、書いている途中にくだらなくなって放り投げてしまう。政治の現状についてのことだが。
たった2年前の5月末、当時の都知事だった舛添についての世論調査(FNN・産経合同調べ)で、「辞めるべきだ」と答えたのは8割近くあったらしい。いや、わかるよ。なんかやってることが情けねーなと思った記憶はあるし(なお、上記リンクの産経記事で、こんな短い文章のなかでも民主党鳩山の普天間基地の県外移設案を「迷走」と評しているところに、忠臣ぶりを感じるよ)。
けれども、現政権の「やってること」のあまりにものひどさに対しては、ものすごい不感症なのね。NHKの最新(2018/5/15)の世論調査でも、内閣支持率38%不支持率44%という結果。僕の憶えているかぎり支持率は絶対に35%を割らないんだけど、これは、この世の終わりが来たってトランプを支持しつづけるアメリカ人たちと同種の人たちがいるのだろうと想像するしかない。それより、不支持率の低さよ。これまた毎回のことながら、すげーなと感嘆するよりない。舛添に対して持っていた峻烈さは、この2年のあいだにどうして失われてしまったのか。
ここ数ヶ月の国会のやりとりを、いくらかでも見聞きしたことがないのかな、と思う。生の動画や音声でなくても、適切なメディアのまとめた情報などに接したことがないのかな。
ある弁護士たちへ懲戒請求が大量に送られた問題で、あそこでもいわゆる「ネットDE真実」の人たちが言及されていたわけだけど、そういう人たちってほんとうにいる。僕もリアルで目撃したことがあるんだけど、ネトウヨだけかと思いきや、(比率はどうあれ)実は右も左もどっちともいるんだよねえ。
なお、件の事件は、最近の起こったことのなかでは快事・慶事に属するもので、当事者たる弁護士の方々の労力を考えると喜んでばかりはいられないのかもしれないが、下世話に言えば「釣られたバカども」に適正な罰が与えられるというのは、被告予定者たちがよく口にしているであろう自己責任論にもぴったり当てはまるので、やはり愉快。

政治ってのはリアルの日常会話の材料として採り上げられることは少ないはずだから、自然、ネットで情報や意見のやりとりを目にすることが多くなるのだろう。だからますます自分が望んだ情報ばかりを取りに行ってしまう。SNSなんかやっていたら独特の空気に当てられまくりになっちゃうんだろうな。
悪趣味なのだが、僕はあるグループのヲタクたち(数人程度)のツイッターアカウントを定期的に覗いている。そこでは、もちろんいろいろな価値観が存在しているのだが、なぜか民主党批判だけはコンセンサスになっていて、その流れなのかなんなのかはっきりとはわからないが、ふだん政治的なことに興味はなさそうだし実際にないのであろうアカウントたちが唐突に「現政権批判」批判をしたりするのにびっくりする。たとえば、産経新聞を朝日新聞の子会社かなにかだと勘違いしているようなアカウントが、である。
サンプルとしては誤差程度のものだろうからここからなにかを帰納することはできないだろうが、ただ、仕事もあって収入も一定以上あってネットリテラシーというものにそれほど欠如しているわけではなかろう三十代前後の人間の一部のあいだに流れる、けっこう偏った「空気感」みたいなものはなんとなく僕にも感じられる。彼らのなかでは、政権批判はダサいらしい。だから批判している連中を攻撃することになんの躊躇もない。
ツイッターのヘビーユーザーともなればネットに接している時間も長いはずで、そこで得られる情報が、最近よく耳にするエコーチェンバー現象だとかフィルターバブルの影響を受けないはずがないわけで、ゆっくりと、しかし着実に、ある何者かの予備軍になっているのかなという気はする。まあ知ったこっちゃないけれど。

話を戻すと、現政権への信じられないほどの寛容さは、人をひとり殺すと殺人罪で、大勢殺せば英雄だ、みたいなアイロニーを容易に想起させる。
一例を挙げれば、安倍夫婦という頭の足りないふたりの軽はずみな行為や厚意(?)によって引き起こされた身贔屓が大事となり、その結果、謝罪したり辞任したりするかと思いきや、国家全体でそれを隠蔽する方向に持っていくという、フィクションとしても「いやーさすがにそんなリアリティのないものはダメでしょ」と言われるレベルの事態になっているわけだが、これ、当人たちは当初ほんとうに「だいじょうぶでしょ、いけるでしょ」程度の認識だったのではないかと僕は思っている。
政治家の縁故主義というか癒着みたいなものは大なり小なりあるとして、それがいいわけでは絶対にないが、それ以上に一連の事件でおそろしいのは、政治家がその気になれば官僚のやっていることが全部見えなくなってしまう、ということで、国会答弁でお手軽に発せられる「記録がないためわからない」という意見を聴くたびに、気が遠くなる思いがする。この状態をよしとできる有権者たちは、ふだんどういう仕事をしているのかと不思議になる。タイムカードを打刻したり、セキュリティカードをセンサーにかざしたりして、自分の労働時間を証明したことはないのだろうか。
それでも、ところどころで水漏れしたように、内部からの告発というか文書の「発掘」が起こり、なんとかここまで来たが、それでもこの一年間、支持率は上がることがあっても35%を下回ることはほぼなかった。「日本スゴイ」系の意見ってほとんど与する気にならないものだが、すくなくともこの点においてはスゴイというほかない。

もうひとつスゴイこと。最近、裁量労働制はあっけなく終わってしまったが、高度プロフェッショナル制度をやり抜こうと政府が頑張っている。「安倍首相ガンバレ」レベルの頑張りではあるが。
この制度の欠陥点が、僕のなかではさんざんに指摘されているという認識なのだが、それでも支持率は上に書いた通りなのである。
いやあね、この法案(一括だけど)、もう通ればいいんじゃないかと思っているのよ。このあまりにもめちゃくちゃな法案が通って、「これでみんなの働き方が改革される」とピュアな瞳で信じ切っている人たちの思い通りにさせてやろう(使用者側はもちろん口元が緩むだけだが)。そりゃすぐに結果は出ないけれど、いづれひとりふたりと人死にが出るでしょうよ。それを過労死と認定されないおそれがある、という過労死遺族の方々の会見もあった。
ね? もうここまで言われているのに、それを看過するわけなんだから、もう成立させてもらおう。で、経団連はホワイトカラー・エグゼンプション制度の提案時(2005年)に年収下限を400万としているから、ちょっとしてからこの高プロ制度も適用拡大を図ってもらおう。そうなれば、より多くの労働者がこの制度のもとで、文字通り死ぬほど苦しむことになる。そりゃあ何万何十万という数ではないのかもしれない。数百人、せいぜいが数千人というところかもしれない。じゃあ、誰がその数百人になる?って話。あそこで人が死んだのもそうだ、ここで亡くなったのもそうだ、というようにいくつかの事件が報道され、そこでやっとピュアな人たち、あるいは「消極的に支持する」という態度で罪悪感を払拭させようとしている人たちも「やっぱりおかしいかも」と思い直すのかもしれない。
ちなみに、前述したように過労死扱いではなくなるかもしれないので、報道されない可能性だって充分にある。現厚労相の加藤が野村不動産社員の過労死をぎりぎりまで隠蔽しようとしたことを見れば、その可能性を排除することはできない。やろうと思えばいくらでもやれるんだよ、ということを悪い意味で証明しつづけているのが現政権で、その政権を4割弱が支持しているのがこの国なのだ。スゴイでしょ。
でもまあ、「やっぱりおかしいかも」と思うことで、やっと世間が変わるのかもしれない。悪法ということで法改正がなされ、元の状態に戻る。当たり前だけど、「元の状態」っていま現在のことだけどね。さあ、いまからよりひどい状況に自分たちを追い込んで行くぞー、と認識しているならいざ知らず、そんなこともわからない蒙昧なままの国民を、いったん地獄に落としてそこで労働問題の重要性をひとりひとりに理解してもらうのだ。安倍・加藤ほかデータを捏造までした厚労省のみなさん方は、実はそのような正義の炎を心に燃やす憂国の士たちなんですかね? 『相棒』に出てきたテロリストたちみたいに?
「仕事が忙しいから」っていう中学生でも猿でも思いつくような言い訳でいまの政治状況を無視していれば、その仕事がさらに忙しくなってしかも補償なしってことになりかねない、っていうものすごくできのいいブラックジョークが、ほんのちょっと先の未来でわれわれを待ち受けている。

常日頃、「民主主義社会であるという条件において」という保留をつけるが、為政者というのは国民と同じ顔をしている、と思っている。もちろん造作のことではない。小心で、頭の回転が悪く、非論理的で、自分が追及されるとすぐになにかの権威に頼って逃げたりしどろもどろになったりして、褒められるとすぐにのぼせあがり、貶されると真っ赤になって怒る。アレはまさにわれわれの鏡なのだ。ぼく/おれ/わたしは入っていない、と思いたいかもしれないが、そういう人たちも含めて、アレはわれわれの姿そのものだと思ったほうがいいのだろう、彼らが否定されていない現状を見るからに。

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たしか先週の金曜に佐川の辞職騒ぎがあって、「ああ、やっぱり金曜にするんだなあ」と思っていたら、すぐあとに読売と、日曜あたりにNHKが世論調査(こっちは確実に3/9~3/11が調査期間だったことを記憶している)の結果を出していて、なんで月曜以降(もっといえば火曜以降)にしないのかなあ、と思ったことを憶えている。土日のニュースにかじりつく、というよりはウィークデイにニュースを確認する、という人のほうが相対的に多いだろうに。
ネットの低脳連中が口汚くマスゴミと罵る対象に、フジもNHKも含まれていたりするが、これがふしぎ。いや、ここらへんはけっこういいアシストしているほうでしょ、むしろっていうね。
とにかく、上記NHKの調査で、「支持する」がまだ48%もいて、その半数近くが「ほかにいないから」をその理由として挙げていた。たぶんこれらの人たち(世の25%の人たち)は、他の候補者たちを綿密にリストアップ&チェックした挙げ句、「いやあ、やっぱり安倍さんしかいないなあ」という結論を得ているのだろう。いや、立派立派。僕のようにまったく怠惰でニュースにも疎く、性悪説を採っているという低能人間からすれば、いまの政権が一年間やってきた国会での振る舞いは、低劣で下劣で卑劣なものとしか見ることができなかったが、それは僕の「節穴」から見るごく狭い世界の話であって、世の炯眼の持ち主たちは、いろいろと見比べた結果、内閣が、ひいては与党が間違ったことを言うわけがないと確信しておられるわけだ。その眼力および寛大な心につくづく感服するわけだが、考えてみればそれくらいの寛容な精神を持っていなければ、7キロの窓や30キロのドアを落とす米軍ヘリを簡単に赦すことはできまいて。ただ一点だけ不思議なのが、それだけモノを落としている連中をいともたやすく見逃すのに、とりあえずはまだ一度も落としていないどこかのミサイルだけは異様におそれて周りに警戒を促すところ。南北の接触および米朝会談(実現するかどうか不透明だけれど)の報に接してこれまた僕なんかは、ほうれやっぱり蚊帳の外じゃんかと早計に思ってしまったのだが、世のご勉強なさっている方々は「ニッポンの強い立場」をいまだ強く信じておられ、「北」に対してなにかできるとこれまたいまだに強く信じておられるのだろう。この力強い忍耐力にも感心する次第である。
なお、「人が死んでるんだぞ」で進ませる議論はあまりよくないと思う。品がないとかそういうことではなく、いつ逆手にとられるかわからない手法だから、という点で。

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今回、意図的にほとんど観なかった五輪関係のニュースだが、ああいう盛り上がりがあると必ず裏で、というか国会で、なにがおこなわれているのかということが報道されなくなってしまう。たまたまNHKのプライムタイムのニュースを見ようとしたら、並んだヘッドラインがすべてオリンピック関係だったので、いくらなんでもひどいと思い、電源を消したことがあった。
羽生結弦とか藤井聡太とかカーリング女子とか、そういう誰からも批判が出てこない人気者たちを大きな看板に仕立ててその後ろでこそこそとなにかを通そうとしたんだけど、今回はあまりにもずさんなモノを土台にしようとしたから失敗した。でも、あのずさんさっていうのは、厚労省サイドの意趣返しみたいな意味合いもあったのかも。厚労側に立てば、長時間労働が増えるほうがデメリットなわけで企業側の言い分を聞き入れたいわけがないんだけど、それが政府の圧でとりあえず外形的にでも従うふりをして、法案が通ったら通ったで覚えがめでたくなるし、失敗すれば失敗したで「元からやりたくなかったからねー」という仕返しが成立するというような、そういう”どっちに行ってもアリ”という方法を採ったのでは?
なんてことを考えていたら、予想通り国民栄誉賞のニュース。さーて、「みんなだいすき」な東京五輪ではどんなことが決定しちまうんでしょうかね。個人的には、バカ騒ぎの裏でこんなバカげたことが決定された、と後世に大批判されるようなことが起こることを期待している。

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何年後かに来たると言われている五輪の開閉会式のプランニングチームに、椎名林檎とか山崎貴が選出されたと聞いて、笑った。いやあ、いいと思うよ。もうさ、もっと”いい感じ”にしようよ、とも思った。タモリと糸井重里のW司会とか、そういうのも、きっとウケがいいでしょ。マツコ・デラックスと美輪明宏のW司会は閉会式の方で。五輪招致の立役者ということで、石原と安倍と滝川クリステルのトリオ漫才もぜひプログラムに入れてほしいね。

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ちいと具合が悪くなって、すわインフルじゃありゃせぬかとかかりつけのようなそうでないような病院に行くことにした。

病院といえば、その数日前にまた別のどでかい病院の整形外科に行ったばかりだった。そこでは学生時代にいかにもスポーツをやっていました、もちろんいまでも現役ですよといった感じの若い医師と、これまたいかにも整形外科の看護師とはかくあるべしといった立ち姿と笑顔の美しい看護師とがいて、日頃からスポーツもやっておらず姿勢も悪く苦笑いしかできない者としてはいささか肩身の狭い思いをしたのだが、当方がそのとき不調だったのは肩ではなく、腰。慢性の腰痛が気になってこりゃほんとうにまずいことになるかもしらんと病院に連絡してからはやひと月。つまり一ヶ月待ちの人気のレストランならぬお医者さんなのであった。
「じゃあこの用紙を持ってこちらでお名前よばれるまで待っていてくださいねー」と案内されソファにすわって本でも読もうかしらと持参していた新書を開いているとやたらとハルマフジハルマフジとうるさい。広い院内にあるいくつかの待ち合わせポイントのすべてにテレビモニタが設置されており、そのスピーカーから流れてくるワイドショウの音がこちらの想定を超えてうるさく、本が読めない。他の待ち人たちは確実に僕より二十は年上の人たちばかりだったが、その人たちは気にしていないどころか画面に釘付けであーだこーだと意見を交わしていてなるほどこういう垂れ流し的な番組に対して垂れ流され的に受容している人たちがいるもんだから需給間に合っているんですねと納得。そのうち、名前が呼ばれる。
先生「どうされました?」「腰が」「どうして?」「たぶん仕事柄」と、あまり意味のない会話が交わされる。なぜかといえば、それは事前に渡した問診書みたいなものにすでに記入済みのことで、彼の手元にそのコピーはあるのだから。彼はそういう会話をこなしながら電子カルテにカチャカチャと入力しており、僕は適当にこたえながらその書かれている文字を眺め、「ああこの人やっぱり理系だからコロンじゃなくてセミコロンつかうんだなあ」なんてことを思っていた。「症状: 腰痛」というのではなく、「症状; 腰痛」というように。
それから、前屈をさせられ、そのあと後屈(というのか知らないけど、後ろに反るやつ)をさせられた。前屈が硬いのは知っていたが後屈が柔らかいと言われたのには驚いた。そんなもんですか。
それからベッドに横になり、片足を垂直に上げさせられた。「これからこの足を身体のほうにゆっくりと倒していくので、ぎりぎりまでがんばって腰をあげないようにしてください」
説明のあったあと、先生が僕の足に触った瞬間「こりゃ硬そうですね」と苦笑したので「そりゃ硬いですよ」と笑って答えようとしたときに足を倒し始めたもんだから、「いたたたたたたた!」と言うべきところを、「かたたたたたたた!」と言ってしまい、恥ずかしい思いをした。
だいじょうぶだと思うけれどレントゲンを撮るかと訊かれて、生来の姿勢の悪さから背骨の湾曲の心配をしていたところもあるので、撮影。その写真を見たうえで、先生から骨に以上はないという太鼓判を押されて一安心。ただ、いまの痛みの原因はわかっているので、腰にベルトを巻いたりストレッチをするようにと勧められた。
いちおう貼り薬も出しておきましょう、などと言いながら隣にすわっていた看護師さんにあーだこーだと指示を出していたが、そのときに先生のほうがなにかの言い間違いをしたらしくふたりで「ふふふふふ」と笑い合っていて、それを聴きながら心のなかで「ああ、おれこういうの知ってるど。こういうの、精神的イチャイチャって言うんだど。ふたりともヤマシイところがないからっつうんで、いまは大きな声で笑い合っちゃったりしてるけど、そういうのは学生のバイト同士くらいまでが関の山で、いい年こいたオトナはあんましやんねーほうがいいんだど。しかも片方が医者とくりゃこりゃめんどーなことになること必至だど。さーてうまいところで互いが身を引けりゃーいいんだがなー、だど。けけけ」とつぶやきながらも、表面上は仏頂面でいた。

話は唐突に冒頭に戻る。戻るったって一行しか書いていないんだが、そもそもは風邪の具合を見に上に書いたのとは別の医者に行った。「ちょっとインフルかもしれないと思い……」と来院意図を告げると体温を測られ、それから細身の医師に細長い棒のようなものを右の、ついで左の鼻の穴へとどりゃどりゃと突っ込まれた。これが、痛い。痛いという感覚の前に、非常に気持ちが悪い。来るとはわかっていても、辛い。でも、「すみません、それはナシの方向で」と言えるもんでもないし、そもそもインフル検査ってそれだしって話で、耐える。ただひたすらその数秒を耐える。
その後ろで、医師と比べればちょっぴりふくよかな看護師さんが、「うう、痛い。痛いですよね。痛すぎる……」と言ってくれる。なんだか笑ってしまいもするのだが、これがこの医院のめちゃくちゃいいところ。
腰痛でかかったところは大病院だが、ここはもっと町場というかこぢんまりしている。で、たぶんだけど、医師と看護師さんは夫婦。全然不釣り合いな感じなんだけど、たぶん夫婦。
夫のほうは、話せば優しいんだけれど外見は繊細・神経質そうで細身でおしゃれ。奥さんのほうは、豪放な感じもあるんだけど庶民的ですごく親身で親切で声が大きくて安心させてくれ、なにより、こちらが痛がっているときなんかに「痛いんですよねえ……」と非常に心のこもった調子で言ってくれる。去年のインフルのときに点滴でお世話になったのだが、そのときも「インフルエンザの全身の痛みってひどいものがありますよねえ」と寝台で寝ている僕に向かってわざわざ言って来てくれたりして、医者や看護師にそういうことを言われるとそれだけで気持ちがずいぶんとラクになるってことをもっと全国の医者・看護師は知るべしと強く思ったものだ。
医療関係者と患者の関係というのは、その出会いにおいてだいたいが不平等だ。平生であればノしてやるわいという相手でも、病院内での邂逅ともなれば、多くの場合こちらが体調不良であり、向こうが主導権を握ってる。「で、きょうはどうしました?」好きでもねーてめえの顔を見に来たってわけじゃねえことくらいわかるだろ、くそがと言いたいところをガマンしてああだこうだと窮状を訴えなくてはならない。
もちろんこれらは冗談で、互いが互いに礼儀を尽くせばなんの問題もなく、むしろ患者から医療関係者のほうへは感謝の念しかないという状態になるはずなのだが、そのような好ましい例ばかりではないというのがほんとうのようで、大きな病院に行ったことはあまりないのだが、そのわづかな体験のなかでも、若い医師や看護師なんかが高齢の方に子どもにものを言い聞かせるような口調で話しているのを見聞きして、気の短い家族でもいたらぶん殴っているかもしれないなと思ったものである。でもまあ、たいてい家族がいないときやっているんだよね。
まあ貫禄のあってやさしい看護師のおかげで、半分以上気分がよくなった僕は、薬をもらって家へ帰ってすぐさま横になった。と言ってもずっと寝ていたおかげでなかなか眠ることもかなわずなにか読むものはないかと机のうえを漁ったら椎名誠『わしらは怪しい探険隊』の文庫本が出てきて、おおこれはいいぞと思い、さっそくにページを開く。
この本はそもそもがYouTube上にあったTBSラジオのラジオドラマで知ったものなのだが、現在それを聴こうと思っても著作権の通報があったらしく音声ミュート状態。気の利いた人間ならさっさとDLしてアーカイヴしていたりするんだろうなあ……気の利いた人間ならね。
それはともかく、文章を読んでいくとあのラジオドラマはほぼこの文章を読み上げているだけだったということに気づく。いや、そうだろう。椎名調(シーナ調?)とでも呼ぶべきあの独特の文体を他人がへたにいじくったら台無しだった。
そのなかで、ふと隊長の椎名がテントをつかって野宿をしている最中に体調を崩してしまい、タバコをふかしながら「おれも年かもなあ」となんとなく思うシーンがあるのだが、このセリフと感慨が、いまの僕にぴったりだった。いや、へたしたらこの時期の椎名より年上かもしれん。
身体のなかに鈍い針のついたいがいがの重たい玉をずっと抱えているような気分がつづいて、なんとか寝てやり過ごそうと思っても、夢の中でその痛みをどうしようか大勢と相談している。「やっぱり仰向けだろう?」「いやいや、横向きがいいんだよこういうときは」「いっそうつ伏せは?」侃々諤々とやっているのだが、そのたびに身体を回転させても、痛みの方向性はすこし変えられても質と量は変わらなく、それで目が醒めると痛みは夢からの持ち越し。しかもこっちでは大量の寝汗を掻いているときている。急いで布団のそばに置いておいた着替えで早替えするのだが、そのときに二匹のネコが僕の腕を枕にして寝ていたことに気づく。ネコ族! こんなときにまで暖をとろうとして!
もうひとつの痛みは喉で、唾が飲み込みづらく、ぎりぎりまで唾が溜まってしまい、仕方なくごくりと飲むと、炎症を起こした食道部が擦れる。うえ。このせいで涎まみれで起きたこともあった。そのときもそばにネコ!
三日間でまともに食べられたのはリンゴとミカンくらいだったな。味もよくわからなかったし。けれどもなんとか食べなければとうどんを食べたところあたりから回復が始まった。いつ開けたかわからない天つゆをドバドバ入れたらなんだかその香りで急に食欲が出た。やっぱりあの醤油っぽい匂いは効く。お豆の国の人だもの。
看護師夫人の勧めた漢方のせいかわからないが、腹と喉の痛みが薄れていくにつれ、首と頭の痛さがはっきりしてきて、どうやらこれは別源らしい。熱は治まって風邪の部分はなんだか過ぎ去ったようだが、頭上部の疼痛は気になる。ということで、今度また病院に行ってみる予定。とりあえず年内に不調部分を解消させておいて、おそらく人手が足りなくなる来年のために備える。

なんだか別に書きたかったこともあった気がするが、忘れた。代わりに長いあいだ横になっていたときに天啓のごとく降りてきたいくつかの考えを記して終わりにする。
  1. NHKの番組の程度がほんとうにひどくなっていく気がするのだが、一方で良質な番組づくりがつづけられていることを無視することもできない。よって受信料支払者が、それぞれが納めた受信料を何%ずつどの部門に振り分けられるかが選択できるようになればいい。Nスペとか週末の朝方やっているドキュメンタリーなんかはこれからもつづけてもらいたいし、やっぱりドラマは外せないよなあ。情報番組? ぜんぜんいらねー。え、NW9? あれ桑子になって一度も観てねーわ、ゼロ!とかやりたい。
  2. 田口浩正の仕事が徐々に松尾諭に奪われている、ということをこれまで言ってきたが、これって大森南朋と新井浩文の関係でも同じことが言えるのではないか?
  3. 貴ノ岩の兄という人物が国技館で写った写真を見ると、いつも合成写真なのかなと思ってしまう。
  4. いまのこの日馬富士問題をいつか演劇にしたら面白いのではないかと思う。登場人物を、あえてモンゴル人力士およびモンゴル人関係者たちだけに限定して、しかも一人芝居。

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わたくし、馬齢を重ねてことし四十になる者ですが、1996年あたり(忘れもしない、大学附近で0円携帯というものが頒布されておりました)から薄ぼんやりとあった「時代」というものから遅れ離れている感覚/実感が、十五年近くを経たあたりからいよいよ目を背けていられない次元に突入し、またそのスピードも等比級数的に速くなっている、という認識をけっして見誤っていないつもりでおりましたが、なんたらという知らない女性芸人さんの名前を、マラソンをしている(していた?)という情報とともにたまたま目にし、自身の旬のお笑い芸人の知識がたぶんスギちゃん(もうちょっといえば、ラッスンゴレライはわかる)あたりで止まっていることに、思わず「思えば遠くに来たもんだ」というフレーズを口ずさんでみたくなり、思わず思えば、って相当な矛盾だなと思いつつも、スギちゃんのギャグでいちばん笑ったのが、彼当人のものではなく、松尾スズキがラジオでやっていた「きれいな顔だろう? 死んでるんだぜ」という『タッチ』に寄せたモノマネヴァージョンだった、ということを書いてもなかなか多くの人には共感してもらえないのは非常に残念なことで、しかし話を本筋に戻してこうなってみると、定年間際の男性が会社でPC操作にまったく慣れることができず他の若い社員たちから「おっさん、少しは順応しろよ」と陰口を叩かれまくる、というあのシチュエーションを想起するとき、叩く方ではなく、もはやとっくのとうに叩かれる側に移行してしまったのだ、ということもじんわりと理解できるようになってきて、あらためて、若いうちに年長者に石を投げるような真似をしてこないでよかったなと思うきょうこの頃、石といえば、「石」という人物が主人公のマンガ『バンデット』が『モーニング』に連載されているのをここ数ヶ月で知り、これがなかなかに面白く、その影響で岩波文庫で『太平記』をゆっくりと読み始めたところ、「悪事千里を走る」というあの俚諺の前に「善事は囲みを越えず」という言葉がくっついているのを知り、なるほどそうなると逆説的に、大々的に行われている善というのには(本来は「囲みを越え」ないわけだから)なにか不自然なところがあるはずだ、という一種の真理にも到達するわけで、「地球を救う」などという気宇壮大な言葉の陰に当然のように隠れてしまうものを(まさか「隠されている」なんてことはないだろうけれど)考えるのに、きょうはぴったりの日なんではないかと愚考する次第です。

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たまには速報に乗っかってみる。
パッと見で誰も指摘していないのが不思議なくらいなのだが、当該ポストはやがて「人間革命大臣」と略称され、ゆくゆくは公明党議員のポストになる、っていう筋道が表参道のイルミネーション以上に明らかなんだけど。
しかしまあ、なんでこうも自民党って(政治家って?)頭の悪そうな名前をつぎつぎと思いつくのだろうか。

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いろいろな病気や症状というものの名前が、おそらくはいろいろな理由(差別の解消や認識の一新など)から変わっていて、アル中っていう昔はよく聞かれた言葉も、いまはアルコール依存症と呼ぶことによってより病気という認識を強めることとなった……などという話ではない。

人の名前がいよいよ思い出せなくなってきた。
50代、あるいは60代に突入した人たちが、口を揃えて俳優や有名人の名前が思い出せなくなるということを話すが、たぶんそれが僕にも徐々にもやってきている。物忘れとか、シナプスが切れるとか、その現象をどう呼ぶにせよ、特に名前を思い出すのが(以前から得意ではなかったが)さらに苦手になりつつあるというのは事実だ。
このあいだは、香川照之の名前が思い出せなかった。あの顔は思い出す。亀治郎(と書いて、ここでタイプする指が止まる……いまは名前が変わったよなあ。ええとなんだっけ、いまの猿翁がむかし名乗っていたやつで……猿之助か! とGoogle日本語入力の予測変換でその答えを確認←この間、3分はかかった)に似ていてさ、そうそう、いまは中車(これはすぐにパッと浮かんだ)でもあって……だけど肝腎の名前が思い出せない……うーむ。
亀治郎がすぐに出てくるのに「猿之助」が思い出せないっていうのは、三遊亭圓歌を「歌奴」と言ったり、あるいは橘家圓蔵を「円鏡」と言ったり、林家こぶ平を「こぶ平」と言ったりするのとちょっと似ている気がするが、しかし香川そのものが出てこないっていうのは、ちょっと問題。若年性のアルツハイマーが発症したのかと疑ってしまう。

ツールを使えば、たしかにその名前なんていうのは簡単に思い出せる。Wikipediaで出演したドラマなんかから逆に引いたりして。でも、それだからいいって問題でもない気がする。いちばんいいのは、なにも利用せずにパッと思い出せることだからね。
先にちょっと触れたように、予測変換もそうだが、そのようなツールの発達が記憶の機能レベルを低下させているのかもしれないし、あるいは単純に香川照之の作品に最近はそれほど触れていないってだけの話なのかもしれないけれど、ちょっとショックだった。

作品に触れていない、で思い出したのだが、このまえは島崎藤村の名前が思い出せなかった。まあそもそもこの人は名前を知っているというだけで、その作品を読んだことがない。それだからか、「藤村(とうそん)」だけがパッと浮かんで、そのあと必死に名字を思い出すという作業をすることとなった。
で、「あれ……? トウソンの名字って、『ふじむら』だった気がする」と思って、それから頭のなかで漢字変換したら、それって藤村藤村じゃんってことに気づいて、またやり直し。島崎だということに気づいたのは、それから数日後、何気なく『破戒』って……と思い出したらポッと出てきた。
さまぁ~ずがやっているマイナスターズってバンドがあって、そのコミックソングのなかに「斉藤にしお」という名前が出てくるのがあるのだが、それに対して三村が「名字みたいな名前だな!」ってツッコミをするんだけど(←こういうのはやけに憶えている)、この島崎藤村にも同じことを感じる。似たようなところで言うと、三遊亭圓生の本名、山崎松尾ね(←これも憶えていた)。

で、最近もうひとつ「これを忘れるのかよ!」と大ショックを受けた事案があったのだが……いま、それがなんだったのか必死に思い出しているところだ。

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