とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 冗談

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ちょっと熱が冷めたであろうから触れるのだが、最近は、というかずっとそうなのかもしれないけれど、あの流行語大賞における「流行語」については、「いつもどおりつまらん」とか「聞いたことないんだけど」と批判することじたいが流行っているような気がして、そうすることによって自分の「俯瞰感」(これ、ネット上じゃ重要だそうです)をアピれるいい対象(大賞だけに)になっているようだ。これって、近年のエイプリルフールネタとおんなじ。あれも、「いいかげん飽きた」って主張することそのものが年中行事になりつつある。大人だったらスルーすりゃいいだけのこと。あと、流行語に違和感を覚えることについてSNSをからめて論じる「メディア論」にも飽き飽き! 

まあそんなのはどうでもいいんだよ、と言いたいのだが、「お気持ち」あるいは「生前退位」が入っていないところが、もうなんというか、弱い。少なくともニュースをあれだけ賑わせたキーワードなのに、ノミネートすらしていないってところがしょせん一企業のキャンペーンにすぎないと思わせる(漢検の「今年の漢字」だってそうでしょ)。だから「『日本死ね』をノミネートさせました」って偉そうな顔をしたって、一方で天皇ニュースをまったくスルーしているわけだからなんの説得力もないわけよ。
このあいだラジオ番組で原武史という人が、天皇がいったん発言してしまうと社会全体が「そうだそうだ」となってしまい、有識者会議における保守派の生前退位反対論者を「君側の奸」(まさか「くんそくのかん」という言葉をラジオで聞けるとは思わなかった!)呼ばわりするありさまはどうかと思う、と述べていて実にそのとおりだと思った。
これはおそらく構造的な問題で、マスメディアには菊タブーがあるもんだから、天皇および皇室に対する報道に関しては、批判的な意見がほとんど発信されず(でも雅子さんに対しては一部の女性誌が批判しているらしいんだよなあ)つねに好意的なコメントばかりがあふれてしまう。その結果、視聴者や読者のわれわれの多くは天皇に対して無批判に、初孫を見る好々爺のように純真かつ好意的に受け止めるようになってしまった、ということなのではないか。
ラジオでは、天皇のイメージも結局はメディアの作り出したもの、という点まで言及していて、その部分はほんとうに厳格にとらえたほうがよいと思う。「だって陛下はいい人だもん」みたいな子どもっぽい態度(会ったことあるの?)は、戦時中ならいざしらずいまの時代にはふさわしくない。
他方、リベラル派の多くが天皇の「ご意向」をそのまま受け取ってしまっているという指摘も銘記しておくべきだろう。天皇は、憲法でかなり人権が制限されている人物なのであって、その(ある種の)呪縛から解放するには、天皇制をなくすべきだ、と主張している人はどれくらいいるのだろうか。ごくごく率直な考えとして、天皇ってたいへんそうね、なくしてあげたらいいのに、っていうのが人権を重要視したものだと思うのだが。


ま、話は変って。
僕の今年の流行語大賞は、ニック・ハノーアーによる以下の言葉だ。
どんな金持ちも、寝るときに使う枕は1個か2個。
以下、詳細。
9月23日(本放送は2月15日だったようだ)に放送されたBS世界のドキュメンタリー選『みんなのための資本論』('13 米 / 原題: Inequality for all)において、年収1,000万ドル~3,000万ドル未満と自ら認めるニック・ハノーアーが発言したもの。
彼は寝具会社のCEOであり、かつ投資家でもあるのだが、富裕層は金をつかわず貯め込むだけで、ほんとうに重要なことは中間層が消費することだと力説する。つまり、トリクルダウンはないということだ。
彼はこう言っていた。
「わたしは一般のアメリカ人の1,000倍も稼いでいますが、かといって枕を1,000個買うわけではありません。どんな金持ちも、寝るときに使う枕は1個か2個です」
なお、このドキュメンタリーは非常に面白かった。一例を挙げれば、フィリップ・ドーマンという大手メディアのCEOがこんな発言をしていた。
「人員削減を検討しなければならなかったのが辛かった。リストラをすれば従業員が苦労するのは目に見えていたから。しかし組織が生き延びるためにそうせざるをえなかった」
彼が深刻そうにそう言う画面の左下に、こんな文字が静かに浮かぶ。「年収8,450万ドル」と。
2013年製作のドキュメンタリーではあったが、ここにはしっかりと「トランプ大統領」を予見させる現象が映されていた。メインに取材された経済学者のロバート・ライシュは、格差の歪みが、他の人種・宗教への非難へと直結し、分断が生まれている、と発言していた。また、ある共和党の元上院議員は、やがて超富裕層が大統領職を買うようになるという皮肉をこぼし深い憂慮を示していた。オークションで政府を買うなんてことがあってならない、と。
いづれにせよ、上の言葉は今後も憶えておいていいと思う。どんな金持ちも、寝るときに使う枕は1個か2個。

ちなみに、ニック・ハノーアーのTED(これ、いまだによくわかっていない)でのスピーチ原稿がウェブ上にあって、そこでも彼は「枕のエピソード」に似たような発言をしている。しかしこの原稿のなかでもっとも重要なことは以下だ。
我々 超富豪は知っています 表立って認めはしませんが 私たちが このアメリカ合衆国という国以外の どこか別の場所で生まれていたら 舗装もされていない道端に裸足で立ち 果物を売る人たちと同じだっただろうと
この理窟に意味がないという人間は、同様に努力至上主義に意味がないということも認めなければならない。努力は、最初に配られたカードがあってはじめて成り立つものであって、はじめからカードの枚数が少ない者、数は足りていてもその一部が破れている者、そもそもカードが配られなかった者たちは、努力を上乗せすることすら難しい。比喩をやめてもっと単純な表現を選ぶのであれば、それは運だということ。運ひとつだということ。


以下は余談。


”表現の自由の擁護者”賞

  • 松井大阪府知事
【受賞理由】
府知事閣下におかれましては、府警の若い巡査が沖縄で「土人」と発言したことについて以下のツイートを発せられ、いかなる表現の自由をも擁護するという強い意志を提示されました。
審査委員会では、鶴保沖縄担当大臣閣下も授賞に値するのではないか、という意見も出ました。大臣閣下は、上記土人発言に対して、「間違っていると言う立場にない」とコメントし、やはり表現の自由に対する擁護の意志を見せたわけですが、府知事閣下の披露した「ご苦労様」のような、より積極的な姿勢までは見られなかった、ということで惜しくも受賞を逃しました。

”誠意の体現者”賞

  • 小泉進次郎衆議院議員
【受賞理由】
9月26日の安倍内閣総理大臣による所信表明演説中、自民党議員の先生方が一斉に立ち上がって拍手したことについて小泉先生は記者団に対して、「あれはないよね。あれは私も含めて、ちょっとおかしいと思いますよ(朝日新聞報道より)」と発言されました。この発言で、全体主義化しつつあるように映る自民党を不安に思う一部の国民の気持を代弁する一方で、その直後に「僕もびっくりして、つい立っちゃったよ(同上)」と付け加えることによって、自民党そのものに対して今後も忠誠心を示し腹蔵のないところを明らかにしています。この一見アンビバレントな言動によって先生は、われわれ凡人の持っている価値観――誠実さや誠意というものは、まったく対立する立場にある集団の双方に対しては発揮することができないという凡庸な価値観――の転換を促してくださいました。
審査委員のうちには、賞の名称を”すぐれたバランス感覚”賞とすべきではないかという意見も見られましたが、「バランス感覚」というのでは小泉先生の振る舞いの大胆さまでは正確にあらわすことができないのではないか、という反対意見によって、中途半端な義理立てには決して陥らない、先生の全方向へ向けたいわば徹底した誠実さがよりはっきりとする当該賞名が定められました。

”愛国者”賞

  • 日本国政府閣僚
【受賞理由】
近年、愛国者を自称する国民が増えているのは非常に喜ばしいことなのですが、その価値観や潮流を規定しているという意味において最大に愛国心を顕しているのは、わが日本国政府を措いて他にはありえず、他の追随を許しません。
その実例といえば、軍属による非道な殺人事件、オスプレイ墜落事故、基地移設、等の沖縄における米国間との諸問題について、国益第一の断固たる決意を以て交渉にあたり相手国との摩擦を回避する努力をおこない、かえって国民(特に沖縄県民)からいったいどの方向を向いているのだと批難を浴びたこと、またその延長線上で次期米大統領の就任前に自宅を訪れて今後起こりうるであろう摩擦を回避する努力をおこない、かえって国民(特に野党)から朝貢外交かと批難を浴びたこと、そしてロシアと経済協力をする条件でその一部を取り戻せると信じていた北方領土返還問題が白紙に戻ってしまっても今後起こりうる摩擦を回避する努力をおこない、かえって国民(特に愛国者と自称する人たち)から食い逃げされたと批難を浴びたこと、などこれら自国民の嘲罵嘲笑を誘う行動には枚挙に暇がありません。しかし、現政権はそのたびに耐え忍び、たとえ腹の中で切歯扼腕、血の涙を流していたとしても、外面はどこ吹く風の構えで、国益第一を信じ「粛々と」国政を運営してきました。そのような政府閣僚たちを愛国者と呼ばずして、いったい誰を愛国者と呼べるのでしょうか。
われわれのような単純浅薄な国民などではとうてい思いつきもしないような百年の大計がきっと彼らの頭のなかにはあって、そのマクロな視点に拠ってわれらが愛すべき日本国の舵取りを行なっているのであります。ああ、素晴らしき哉! 愛国者万歳! 安倍内閣万歳!

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警察発表だか主催者発表だかわからないけれど、ン十万人、場合によっては百万人単位のデモが起こりつづけているみたいで、でもそんなに人が多くいるのなら、「おれ/わたしは行かなくてもいいかな」と思わないのだろうか。
それ以上に気になったのは、あの大人数のトイレをいったいどのように処理したのか、ということ。北方謙三の水滸伝シリーズを読んでいると、何十万人という陣営が布かれたときにいつも問題になるのは兵士たちの便所で、工兵部隊が溝を掘ったり、衛生的見地から人足を雇って糞尿を外部に運び出したりっていうことが結構書かれている。
その観点に立てば、あのデモ参加者の排泄が、仮設用トイレや、あるいは周辺のビルやコンビニに設えたトイレなんかで賄えたのかどうか、ということが気になった。
あと、ワイドショーでちらとやっていたのが、デモ参加者を見込んで屋台も出ているっていうことで、それはある意味あたりまえのこと。たとえば100万人が参加していたとして、ほんとうに政治的メッセージを主張したいのは1万人もいないのかもしれず、あとは「とりあえず友だちに誘われたから」とか「好きな女の子がいたから(三田誠広『僕って何』ってそんなような内容だったっけ)」とかの他に、「商売を目論んで」なんていう人たちも少なくないとは思う。
タイ人シェフによる「退陣トムヤンクンスープ」を売る屋台や、生鮮野菜コーナーの「辞任人参」、出張簡易床屋の「弾劾絶壁ヘア」とかそういうアイデアもあるかもしれないねというテキトーな駄洒落で締めるのは、書いているうちに飽きたから。

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ときどきあることだけど、YouTubeの調子が悪くて、ぐるぐるマークが出ていつまでも待機中になっているものだから、僕のお気に入りのアイドルの動画はいつまでも観られなくて、しょうがないから妄想のなかでそのお気に入りの動画を何度も何度もリプレイして、妄想のグラスに妄想のボージョレ・ヌーヴォーをたっぷりと注いで、妄想のレザンとフィグをつまみに、ドナルド・トランプと森喜朗と石原さとみとで麻雀をやっていたら、森喜朗が牌を捨てながら「なにかと印象の悪くなった東京五輪だけどねえ、」と周りを見渡して、そこで石原「先生、それチーです……。で、オリンピックがどうしましたって?」、森「あれのイメージ回復をだねえ、ここらで図ろうじゃないか、とこのように思っとるんだがねえ?」、トランプ「ファック」、石原「次、先生のツモですよ。で、どうするんですか? イメージ?」、森「そうそう、あのね、うちの孫も観ていたらしいんだけど、ほら、あの『あまさん』(「あま」にアクセント) とかいうドラマ、あったじゃない?」、石原「先生、それチーです……それ、『あまちゃん』ですか?」、森「そうそう、『あまちゃん』。あの東北の海女さんの。あれをやった九官鳥みたいな名前の……」、トランプ「ファック」、石原「クドカンさんですか?」、森「クドカン? そんな名前だったっけ? そのクドカンくんに、大河ドラマでオリンピックをだねえ、」、石原「先生、それポンです……大河でオリンピックですか?」、森「石原くんは、それなにをつくってんの? 鳴きまくるねえ。……でね、大河ドラマで前の東京オリンピックをやればいいんじゃないか、とそういうことを考えたんだよぉ」、トランプ「ファック」、石原「ふーん」、森「いわば国策ドラマだよぉ、籾井くんに言ったら快諾してくれてねえ。いやー、われながらいいアイデアだと思うよ。ハッハッハッ! ……って、西4枚目! クソッ!」、僕「それロンです。国士無双」って森喜朗をトバして、2位だった石原さとみの替りに石原慎太郎が卓に入ってきたんだけど、妄想のなかでも僕は符計算ができなかったので、腹立ちまぎれにドナルド・トランプの髪の毛をくしゃくしゃってやって(「ファック!」って言われた)席を立ったら、ちょうどそこへ酔っ払った米兵のトラックがやってきて、卓にまだ残っていた3人の大きな男たちを次々と撥ねていったのだが、これでも日米地位協定にはなんの影響もないんだってさ。

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なにかの祟りかってくらいに今年は病気がちである。
8月・9月・10月と、それぞれ二週間ほどの悪質な風邪みたいなのをこじらせていたが、ついに11月に入って「解禁!」とばかりにインフルエンザに罹患。おそらく7日の夜くらいに発症したものと思われるが、8日の朝、グレゴール・ザムザのように気がかりな夢から醒めるとまず身体を起こすのが億劫で、それは僕の布団の上で眠る猫2匹(都合7kgほどか)のせいだけでもなくて、全身に固さやだるさというものを感じた。起きて熱を測ってみれば38.2℃。急いで各方面に電話をし、今週中の約束事(業務上のものから、地域イベントごとまで)をすべてキャンセルした。一軒だけふだん電話をしない相手があって、その人に連絡をつけるために軽トラでムラのぐるりを走ったりした(それで見つかったのだから面白いが)。
帰って来て、いよいよ悪寒がしてきて体温計測。38.7℃。ここらへんでもう熱を測るたのしみも失せていた。上るだけで精一杯の登山と似たようなものだ。急いで寝支度をして着替えと水を用意するも、そこらへんから意識がぼんやり。もう一度だけ熱を測ってそれで39.2℃。まだ頂上が見える感じもなかったので、「いま標高なんメートル?」なんて問いも生じなくなってしまっていた。
その夜は気がかりな夢どころか多種多様な夢を見たような気がする。仕事のキャンセルのやり方をミスしていたことに気づき重い身体を動かしてその穴埋めをしているもの。高層タワービル(いま考えればトランプタワーか?)の最上階にあるプールに溺れている女性(これが僕の重い人ということになっている)を助けるためにそのビルに乗り込むとあら不思議、そのビルは100階から成るダンジョンとなっていて、その中層部には町まである始末、というドンキーコングとダンジョン飯とスペランカーを足してぐちゃぐちゃにしたような意味不明なもの。日頃働いてくれているスタッフに感謝の重いをただひたすら述べているという牧歌的なもの。あとは、寝る寸前に目にした「大統領選の開票始まる」の文字になんとなく嫌な予感を覚えたのか、「トランプ大統領」という衝撃を先に夢の中で味わい、げんなりした重いを抱くこととなった。起きてみて真っ先にテレビをつけてみたら9日昼頃で、選挙結果はいまだ出ておらずまだ争っている最中であったが、僕は夢の中で見たことの再放送を見ているような気持ちで、というかまだ目覚めていないような気持で、そのニュースをぼんやりと眺めていた。そう、心も身体もまだ依然として重いままだったのだ……って、重いのはやっぱり猫2匹が布団の上に寝ていたから! よく見たら、上の文章も「想い」や「思い」が全部「重い」になっている!

そこから寝たり起きたりしているうちに「トランプ大統領」が現実世界でも確定して、インフルが確定していた僕は、少し熱も収まっていたので病院に行ってラピアクタという点滴を打ってもらった。それから帰って来てまた寝て……。
起きてテレビをつけるとあの陰気な官房長官のごにょごにょとした話し声がして、画面に目をやるとやけにチカチカする。うん? と目を凝らすと「菅官房長官」っていう字並びは「口」が7個もあるんだな。ふだんは気づかなかったけれど、神経過敏になっているせいかそれが気になった。

5月にラジオ(というかmixcloudだけど)でバーニー・サンダースの「正義とは」の音源を耳にして、それから少し経ってYouTube上でその動画を見て、彼が若者たちに圧倒的な支持を得ているというのが実感できた。文字通りに胸を打つ動画でありスピーチであった。

 

簡単なニュースの利用ながらも大統領選をなんとなく追っかけて来た身としてはドナルド・トランプの当選は「心底驚き!」というものでもなかった。ハフィントンポストに載ったマイケル・ムーアの7月の記事が今頃になって再シェアされている(日本人がいつとらえようと自由だけれど、まあ遅きに失してはいるよな)ようだけれど、その次に寄稿されたか転載された記事はいまだにあまり注目されていないようで、なんかもったいないなあとも思う。それはともかく、前者の記事を事前に読んでいれば、おそらくは反語的な意味あるいは希望を込めて書かれた「トランプの勝つ理由」が文字通りのものとして読めないことはなく、むしろある種の心構えをしておくようにという警告文のようにも読めたはずだ。
僕なんかは単純だからイギリスのEU離脱の問題と単純に絡めてしまうのだが、もし多数決の問題に帰着させてその結果がよりよいものでないのならば、市民が最善の答えを選択できるとは限らない、あるいは、その多数決の方法に問題がある、のいづれか、あるいは両方なんじゃないか、と思うようにした。Brexitの問題も、オアシスのノエル・ギャラガーに言わせれば「民衆はバカなんだから重要なことを選ばせるな(それは政治家たちの仕事)」だったらしい。過激な物言いだが真理の一面をも言い当てているように思う。
今回の大統領選は他国のことであるから一概になんとも言えないのだが、けれども国内を振り返ってみれば、民衆がつねに正しい代表者を選択できているとはとうてい思えない。それはやはり、民衆が愚かか、あるいは選択するシステムそのものがおかしいか、が重要な鍵を握っているように思う。この問題についてはまあここまでにしておく。
とにかくまあ、民主党はヒラリーが候補者だったってことがそもそもの敗因だったのではないか。マイケル・ムーアの記事ではないが、サンダース支持者のうちヒラリーに入れなかった人あるいは投票しなかった人も少なからずいただろう。そのくらい、同じ民主党とはいえ「ヒラリーだとがっかり」という人は多くいたのではないか、と愚察する。

さて、そんなふうに考えられるくらいにはやっと恢復したわけだが、ラピアクタは劇的に効いたわけではなく、結局きょう(11日)になってようやくこうやってきちんとPCに起きて向かえるようになったほど。インフルの前に咳がまたひどくなっていたので、その咳止めも含め、なんだか薬を飲むために生きているくらいだ。一日3回飲まなくちゃならないのが、なんたらが1包、なんたらが1包、なんたらが2錠、なんたらが1錠。そして一日1回飲まなくちゃならないのが、なんたらが1錠となんたらが1錠……って、夕食後にはこれらが全員集合するわけだから、5錠と2包をテーブルの上に並べると、自然あたまの中に「終末期」という言葉が浮かんでしまう。おれはこんなに身体が悪いのか、と。いやいや、そんなたいしたことないよ、ただのインフルと、もうひとつは医者に「アレルギー性気管支喘息になってなければいいですね」と言われただけじゃないか(「なった」とは言われていない)と理性ではわかっているのだが、やはりげんなりしてしまう。
そんなとき、テレビではこんな番組をやっていた。
60歳をちょっと超えたきれいめな女性がカメラに向かって語っている。
「母がね……とっても元気なんですけど。89です。周りにくらべて元気すぎる。……なんかあるでしょ、って訊いたら『実は、』って教えてくれたのが……○○酵素

となって、ガーン! だ。これはあれだ、笑福亭福笑のネタそのものじゃないか。福笑のネタは以前書いたが、もう一回書く。
このあいだテレビを観ていたら、こんな話があったんですわ。
高齢の方なんだけれど、テニスをやったりジョギングをしたり、とたいそう健康的で、周りからも「お元気ねえ」と羨ましがられていた。
ところが人というものはわからないもので、三年前、原因不明の病気でばたんと倒れた。それから動くこともできない。
医者に見せてもどこが悪いのか要領を得ない。食も細くなってどんどん痩せていく。
「ああ、これが寿命というものか」と途方に暮れていた、そんなときに出会ったのが……このしじみエキス
なめとんのか。真剣に見とった自分が悔しいわ。
いやでも、途中から観ていると、「うん? なんだろう?」と思わず気になっちゃうんだよな。しかもこういう身体の不調を痛感しているときは。
そのときに、フラッグと気づいた。いや、はたと気づいた(これは鶴光の芸風)。ああそうか、昼間に宣伝やってるの、あれはぜーんぶ、病人のため。と思わず三十一文字。味噌ひと舐めして頭をしゃっきりして考えを進めるに、 僕みたいな一時的な病人ではなく、慢性的な病気を患っている人や、もしくは大病を抱えたことがある人は、ああいうCMにかなりの確率で飛びついてしまうのではないか。別にくだんの健康食品を怪しいとかいうつもりもないが、まあでも……お安くないんでしょ? そういうものを、ふだんの健康状態であれば見向きもしないのが、緊急時に見ると「ああこれ!」となってしまう気持ちがやっとわかった。一日ちょっと前まで高熱で身体が動かなくて、うぇ~、苦しい~、そして重いよ~と唸っていた身としてはたいへんよくわかる。具合が悪いと、味がほとんどわからない。そうなってしまうと、自分に食欲というものがあったということじたいが信じられなくなる。毎日毎日なにかを口に入れてもぐもぐとやっていたなんて。味わいどころか食感まで失ってしまう(実際に2日ほど失っていた)と食べることじたいが辛いことのように思えてくる。そんなときに、「高級ステーキ!」とか「日本海で海の幸づくし!」とか言われてもピンとこない。
そうなるとやはり、健康なんだよな。おいしいものを食べられるのも、というか、おいしいものをおいしいと感じられるのも、元気にどこかへ出かけられるのも、テレビで好きなドラマを観られるのも、映画館へ行って話題の映画を観られるのも、カフェに入って友だちと語らえるのも、音楽を聴けるのも、音楽を聴いてダンスを踊れるのも、美術館に行って美術鑑賞に浸れるのも、読書に耽溺できるのも、パチンコを打ったり競馬場へ行ったりできるのも、お酒を飲めるのも、お酒を浴びるほど飲んで他人に嫌われるのも、お酒に溺れて家族や友人や金や仕事のすべてを失えるのも、クスリをやれるのも、クスリの売人をやれるのも、全部健康のおかげなんだよなあ。人って、生きているんだなあ。みつを。って感じに冗談を言えるのも、健康のおかげ。健康って、ほんと失ったときにわかる。ありがたい。健康様々で、健康のためなら僕は命も惜しくないです。僕の家族も、みな同じ気持ちだと思います。
そんな健康志向のわが家で愛用しているのが、牡蠣のエキスなんです。ほんと、オススメですよ。

っていうのが、例の手法。いつのまにか大きなロジックのなかに搦め捕られてしまうからお気をつけあれ。きゅいじーぬ。 

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今後、これで春樹の受賞もリアリティが増したってもんだ。
ただし、IOCとJOCとの不適切・不自然な関係性のことを考慮すれば、瑞典アカデミーに対して日本の出版社が贈り物攻勢をかけることは考えられない話ではない。なにせこの出版大不況の時代においてさえ春樹はビッグコンテンツなのだからして……てな話を弟とした。
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たしかにいい曲だもんなあ。

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忙しいときにこそかえってつまらないことは思いつくもので、というか真剣になにかを思い悩むというには余裕がないからつまらないことを考えるしかないわけなんだけど、いまの政治家たちに落語の亭号を与えるとしたらなにがいいだろう、ってのがここ最近の主たる考えごとのひとつであった。
もともとは、和歌山出身の鶴保が大臣になったことから、「つるほ」って名前、亭号をつけるのなら笑福亭だろうなあ、と思ったのがきっかけ。
tsuruho
鶴ほ

鶴瓶のいちばん末の弟子って感じである。
さて、ひとり思いついたのはいいんだけれども、こうなると他のやつも考えたくなってくる。
ということで、与党の閣僚の一部と、野党の有名政治家のごく一部に亭号をつけてみた。

まず、首相である。
abe
志ん三

苗字の「アベ」のほうをいじくるのが難しかったってのもあるけれど、せっかくいい名前があるんだから、と志ん朝の孫弟子あたりってことにしておいた。アベに親子名人のいた古今亭をつけるなんて、と批判されるかもしれないが、まあ洒落なんでね。

次は財務大臣。
asou
麻生
これは「さんゆうてい・ましょう」と読んでもいいよね。昭和の大名人、圓生の弟子みたい。

女性に行ってみようか。総務大臣。
takaichi
高市
市馬には悪いけれど、彼女は柳亭で引き受けてもらおう。これは個人的にはよくできたほうだと思っている。

つづいても女性。入閣に話題となった例の防衛大臣。
inada
いな談
「イナダ」をどう処理するかとかなり悩んだんだが、結果としていい着地点を見つけられたと思う。

そうなると、必然的に外務大臣がやってくる。
kishida
き志談
名前のなかに「立川談志」の4文字が入っちゃっているという、「志ん三」並に立派な名前となった。

せっかくだから、なんたら大臣も入れておく。彼の場合は亭号というよりコンビ名。
nobuteru
yosizumi
のぶ照・よし住
いいね。三味線を弾く兄弟って感じ。いちおうイロモノさんなんで赤字にしてある。

イロモノなら野党にもいるぞ。
ichiro
tarou
一郎&太郎
いい漫才コンビだと思う。

さて、ついでに野党第一党に行ってみる。代表から。
okada
小勝也
これ、かなり考え抜いたんだぜ……。

代表代行のふたりは、まとめちゃう。
eda
nagatsuma
ケンジ&アキラ
いかにもそれらしい漫才コンビ名となった。

で、もうひとりの代表代行が汎用性が高すぎて困った。
renhou
蓮舫

女性だし、漢字に「舟」が入っているので、せっかくだからときれいな亭号をつけてみた。

おっと自民のホープを忘れていた。
shinjiro
 
進次郎
桃太郎の下に入れて、「キュッキュッキュ~」と唄わせてやる!


あー疲れた。あとは公明党代表の「グッチなつ夫」とか、官房長官・共産党代表を併せたお笑いコンビ「スガC」とか思いついたけどイマイチだったんで、ここで終わりにしておく。 

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中国に故事成語があるのは知っていて、三国志だけでも「泣いて馬謖を斬る」とか「白眉」とかいっぱいあるものだが、欧米にもそういうものがあるというのを、最近読んでいたピアニストたちのエピソード集みたいなものから知った。
1950年代のこと、ピアノ調律師の父親を持つアダヤ・オロソカ(アダージャと表記している本もあるが、日本語表記的にはアダヤのほうが近いようだ)というポーランド系移民二世のアメリカ人ピアニストが活躍していた。
彼女はものすごい超絶技巧の持ち主で、かつ非常にストイックな人物でもあったのだが、ある難解な楽曲に取り組んでいるときのこと、彼女が思い詰めているように見えた友人が、「アダヤ、きょうは休んだらどうだい? もしそれでも練習をするっていうのなら、『ピアノ・オーソドックス・メソッド・パートI』(という初心者向けの教則本があるらしい)でも弾いたらどう?」と冗談交じりに声を掛けた。すると彼女は、「いや、このような基礎的な練習はいまの私にはできない」と即座に断って練習を再開したのだが、このことが当時のピアニスト界隈で話題となった。
当初は「彼女ほどの名人になれば基礎的な練習はもう必要ないのだ」という理解がされていたのだが、ある高名な指揮者(この人物だけでなく、ときおり具体名が出てこないのがこの本の欠点)は、「いや、そうではない」とそれに反論した。彼の理解はこうだった。
「彼女ほどのピアニストであればこそ、気分を紛らわすためだけに基礎練習に『逃げる』ようなことはしないのであり、それはつまり彼女が基礎というものをたいへん重視していることの証左なのだ」
爾来、これが彼女の返答に対するスタンダードな解釈となり、時間の経過にともない、いつのまにか「アダヤ・オロソカにはできない」というフレーズは、ピアノや音楽という枠組みを超えて、「(ものごとを)軽視しない/粗末に扱わない」ということを意味するようになった。

……なんていう嘘を書こうかなと考えていたら、先週土曜日のゴンチチのラジオ番組で、ハンプトン・ホーズ(Hampton Hawes)というピアニストが紹介された。この人は、50年代に軍人として日本にやってきて、そこで当時の日本人ジャズマンたちと交流があったときに、ホーズの名を「horse」だと勘違いされて「馬さん」という愛称がついた、というエピソードがあった(これは全部ホント)のだが、それを聴いて、いい話だなあと思った。
誰かがスマホを取り出して、「いや、hawesとhorseはまったく別だよ」なんて言い出すような時代じゃなかったというのがいいんだよな。
僕はテクノロジーをまったく否定するものではないけれども、正確なことをだけを「正しい」と思っている人間はあまり好きではないし、だいいちまったく面白くないでしょ。そんなことをここ数日は考えていた。 

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どうも甘利と小保方さんの「犯人に仕立てられた」という発言がごっちゃになってしまう。
どうもベッキーとSMAPの謝罪がごっちゃになってしまう。
甘利が捏造のすえ博士号の取り消しを食らって休業、小保方さんが金銭授受があって辞任したのちなんとか解散を回避し、SMAPが集団不倫のすえにスポンサーを失って手記を書いて、ベッキーが解散しようとするんだけど事務所のごたごたがあって結局TPPの署名式に行くんだっけ?
なお、ベッキーとの仲を疑われたのがセカイノオワリのボーカルで、きゃりーと噂があったのはゲスの極み乙女のボーカル。で、なんちゃら大臣の後任が福澤朗で、なんでも鑑定団司会の後任が石原伸晃ね。ここ、間違えやすいから注意すること。


どうでもいいけど、ベッキーの休業はかわいそうだな。そこまで追い詰める必要あるのか?
本人が休みたいのならまあいいけど、ベッキーはもともと面白くなかったとかそもそも態度が悪かったとか今頃言うやつ、もっと前から言っとけよ。ついでに言っとくけど、浅香光代が出てくる前から、サッチーを批判しておけよ。
スマップの公開処刑かわいそうとか言うやつほど、ベッキーのことは叩きに叩きまくってそう。せんべい食ってお茶の間で「不倫は社会的に許せない」とか言ってるんだろ、どうせ。おまえみたいなやつが「福山ロス」みたいな発言するんだろ、どうせ。


サッチーと一緒に細木数子のことも書かねばと思ったんだけど、あいつが消えた理由ってなんだっけ、と思ってWikipediaを調べたら、以下の記述に大笑いしてしまい、どうでもよくなった。
人の死を多く占っているが「自分は250歳まで生きる」と発言している。
細木の250歳の誕生日は2188年4月4日。 

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最近は「感想」ものの記事が多くて、なんだか肩肘張っちゃったふうにも見えるので、ちょいと世俗的なことも。

とにかく明るい安村の、「安心してください」うんぬんのギャグを年が明けて初めて見た。
このフレーズじたいは、ラジオ番組で「流行ってるよね~」みたいな言い回しで紹介されたり、あるいはリスナーのメッセージでこのネタのパロディをオチに持ってきたものも紹介されたりしたので、そういうギャグがある、ということじたいは知っていたが、ついに見る機会もなく新年を迎えてしまっていたところ、このあいだ、たまたまテレビをザッピングしたときに彼がいて、ネタを見た。
ひとつのネタをやって次のネタに移るとき、いちいちホームポジションに戻るようなやり方(少なくとも僕の見たときはそういうやり方だった)にまだるっこしさを感じてしまい、それは結局後半の連続もの(?)でなんとなく解消されたふうに見せているんだけど、「2回目を見ようとは思わないな」ではなく、「2分と見てられないな」という年寄り臭い台詞が口を衝いて出てしまった、などといういまさらながらの感想をあえてここに書く必要はなく、おそらくそれは昨年のあいださんざん世の中で議論されてきたことであろうから、ただもう今年の後半には彼のことを思い出すことはないだろうな、ということに瞑目し、同時に、数年前のエレキテルなんたらの「なんたら」の部分を、東京23区を思い出そうとするときに必ず「板橋」と「豊島」が抜けてしまうのでそのふたつだけは忘れないようにしておくぞってくらいの用心深さで憶えておいたはずだったのだけれど、やっぱり忘れてしまっていることを確認し、とりあえず手を合わせておいた。合掌で思い出したが、安村のせいというかおかげというか、ラッスンゴレライの名前は2015年下半期には完全に駆逐されてしまっていて、Google日本語入力の予測変換にも出てこなかった。
なお、僕はすでに安村の顔を忘れており、ライザップと関係あったのかないのか知らないけれど、最近とにかく黒い春日(オードリー)の顔で上書き記憶されてしまった。

年が明けてベッキーのスキャンダルが取り沙汰された。
で、こういう不倫報道のときにいつも思うんだけれども、自分の夫/妻が浮気していた、という場合であれば当事者がああでもないこうでもない、と自分の夫/妻なり、あるいは浮気相手を批難するのはじゅうぶん理解できる。金を毟り取ってしまえ、とも思う。
ただ、第三者はなんで騒ぐの? 正義? 道徳? 倫理?
違うね。ただの嫉妬。モテない人間の醜い僻みだろ。以上。
以上は以上なんだけど、僕はベッキーの件で言っておきたいことがひとつある。
というのは、ベッキーにはちょっと恨みがあったのだ。だから、今回のスキャンダルはちょっと小気味いい。
ローソンが新しく生まれ変わる、という主旨のテレビCMを柳葉敏郎と桜庭ななみがやっていて、桜庭ファンとしては、「大きい仕事がきまって、よかったねえ」と喜んでいたのが、あるときから突然ベッキーになったのだ。
厳密にいえばベッキー自身に罪はなく、きっと広告サイドが、「うーん、ななみちゃんじゃ、ちょっとパンチないかなあ。ちょっと知名度低いしねえ。『上』のほうも『好感度の高いベッキーさんがいいんじゃないの』とか言い出してるし……」みたいなことで簡単に桜庭ななみを降板(未確認だけど)させてベッキーを起用してしまったんじゃないかと勝手に思っているんだけど、この恨み、晴らさでおくべっきーか。
だから、今回のスキャンダルでCMスポンサーのひとつとしてローソンが泡を食らっているのだとすれば、ざまあみろという言葉しか出てこない。桜庭ファンからの呪いだ。
少しすっきりしたので、三菱地所を見に行くことにするか。

スマップが解散するんだかしないんだか。最初は「する」みたいな感じで、盛り上がっていくのかと思いきや、「いや、でもしないかも」みたいな空気で盛り上がっているらしく、その反動だか影響で、世界に一つだけの花を買おうなんていう運動が一部で起こっているらしくなんだか花屋が大儲けしている、っていうのがYahoo!ニュースのヘッドラインだけを頼りに得た情報なんだけど、こういうとき、「国民的アイドル」という名称を聞くと少し苛立ちを覚える。ただの「人気アイドル」でいいじゃん。
国民的、とつくと途端に胡散臭くなる。そういう同調圧力はやめてほしい。2020年の五輪開催が東京と決まったときの太田たちの大騒ぎ(太田個人が悪いわけではないけど)も、あの映像も「日本国中が昂奮しています」というアナウンスとともに流れた気がする。おいおい、おれを勝手に「日本国中」に入れるな、と。
スマップの番組は観たことがないのだ。明石家さんまも所ジョージもだけど、嫌いなわりにはその番組を一度も観たことがないというタレントは多くて、スマップもそのうちのひとつ。だから、解散しようがしよまいがどっちゃでもええんやけど、どうせなら解散してすっきりしたほうがいいでしょ。
と、こういうことが書けるのは、身近にスマップというかジャニーズファンがいないから。スマップファンというのはわかるけど、ジャニーズファンっていうのがよくわからんよな。事務所が好きなの? 

この記事、こたつみかんしながら書いていたのだが、ザルに入れておいたみかんがなくなったので、玄関に行って、置いてあったダンボール箱からみかんを補給しようと思ったら、みかんの山の中にちっちゃな加藤優がいて、なにか言っている。跪くようにして耳を近づけてみると、泣きながら、「おれたちは、腐ったミカンじゃない!」と言っていた……という夢を見ていたけど、よだれが垂れて起きた。もう寝る。

【追記】
スマップ解散のときに、ジャニーズのメンバーはネット上に画像公開していないってことも一部で話題になっていた。公式サイトをちらと見るに、画像はCDジャケットの写真しかなさそう。
もちろん非公式には探すといろいろ出てくるわけだけど、今後もし、ジャニーズに所属するメンバーの画像がネット上に公開されるとすぐに、サイト管理者に対して自動的に削除命令を出すというシステムをジャニーズ事務所主体で開発していったとしたら、未来はきっと面白い。
何百年か経った、インターネットが別のなにものかに成り代わってしまっている時代を想像してみる。そこでは、考古学的見地から、”インターネット”という引用符つきのネット情報を掘り起こして「当時」の風俗を調べている学者がいるのだが、彼が首をひねって同僚の研究者に漏らす。
「う~ん、”ジャニーズ”という組織に所属していた芸能びとたちがいたらしい、ということはテキスト情報からは判明しているんだけど、画像・映像の類がひとつも出てこないというのは不思議だなあ。 『12モンキーズ理論(※)』を当てはめるのがいちばん手っ取り早そうだけど」
ここで(※)の説明。「12モンキーズ理論」というのはテリー・ギリアムの映画『12モンキーズ』のプロットに因んだ理論で、なにかの理由でその詳細を確認できない過去の出来事を、後世の人間が大きく誤解してしまうことを言う。つまり、文字だけでしか確認できないっていうことは、ネット上で盛り上がっていただけの架空の集団だったのではないか、と疑っているわけ。映画を観ていない人はおあいにくさま。でもまったくの造語なので気にしないで。
それに、相手の同僚の研究者が応えて曰く、「ああ、そっちもそういうのがあるんですね。実はいま、うちのチームでも同様の事案にぶつかっていまして……」
「と言うと?」
「ディズニーっていう組織があったようなんですが……」

編集
ちょっと前にニュースサイトで、低所得者層ほど喫煙率は高いというようなヘッドラインだけを見て、身も蓋もないなと思った。けれども、身も蓋もなくてもそれが現実のある側面をあらわしているという実感も同時にあったので、なるほどと頷く部分もあった。

タバコについては、受動喫煙による周囲への悪影響、歩きタバコの危険性、灰および吸い殻のポイ捨てなど、すぐに連想されるものだけでも多くの問題を含んでいて、「いまどき、」と多くの進歩的な人々からすれば苦言を呈したくなってしまうのだろう。「いまどき、タバコを吸っているというだけで、時代を逆行する精神の持ち主というのは明らかだ」と。
そこに価格の上昇と来ている。軽減税率の適用拡大のときに財源確保のためにタバコ税を上げるという話がちらと出た気がしたがあれはどうなったのだろうか。そうでなくても、いまやタバコは高級品だ。毎年八月の頭には地域の一斉草刈りがあって、そこでの世間話でたいてい「タバコはいま一箱いくらくらいするのか」という話が出る。主に健康に係る問題から老人連中の喫煙率も年々低くなっていき、喫煙者はマイノリティもいいところだ。
僕だってタバコの煙はずっと嫌いで、男女関わらず喫煙直後の人間には近づきたくない。遠くからタバコの香りがするくらいならそれほど気にならないのだが、いったん人の口の中に入ったり衣服に染み付いたりすると僕にとっては悪臭に感じられるのだ。そういう意見の人は僕以外にもきっと多いだろうと思う。
で、いつのまにか嫌煙傾向が一般的になっていって、公共の場所でタバコを吸えるところは少なくなって、飲食スペースでも分煙は多く見られる。

でもまあ、ここらへんくらいまでにしておかないとな、という気も一方でしている。
「喫煙」というのは、自分の嗜好にまったく合わず、理解し難い行為だと思っている。けれども、それを嗜む人たちのスペースや機会というのをこれ以上奪うというのは、非常に危ない方法だとも思っているのだ。
喫煙を「野蛮な行為」と見なすだけならともかく、それを排除しようとしてしまえば、いつか自分が排除される側に立つ危険性がある。たとえば飲酒について、それを「野蛮だ」と思う人のほうがマジョリティになってしまったら?

飲酒することによって、傷害、セクハラ、パワハラ、飲酒運転、不慮の事故の加害/被害、その他膨大なトラブル等が生じる蓋然性を高めているのだとすれば、世の中からアルコールというものをなくしてしまえばどんなにいいだろうか、と下戸の人なら一度くらいは思うかもしれない。
実は僕も、世の中からアルコールがなくなってもあまり困らない人種なので(おいしいワインをもう飲めなくなるというのはちょっと寂しいけれど、死ぬほど困るというほどでもない)、いつか下戸の価値観が支配する世の中になったとしても結構うまくやっていけると思っている。
が、それでもやっぱり、禁酒時代への突入には反対だ。コミュニケーションの潤滑油とか百薬の長などとはまったく思ったこともないが、嗜好の自由を阻害する社会の動きはたいへん危険で、それが非の打ち所のないような正論で武装されている場合はなおさらのこと。自己肯定感にあふれる「正しさ」ほど怖いものはない。


で、話はがらりと変わるのだが、僕にだって嗜みというか個人的に愉しみとしているものがあるのだが、こういうものというのはえてして(他人からすれば)変ったもの・眉を顰めるものになるので、あまりおおっぴらにはできない。
そのなかでもブログに書いても大丈夫な程度のものが三つほどあって、ひとつはタバスコの蓋の内側の掃除。
むかし暇で暇で気が狂うくらいのレストランのバイトがあって、そこで暇なときに(ということは、いつも)各テーブルに置いてあるタバスコの瓶を集め、その蓋の内側の溝に溜まった滓を爪楊枝でほじくり、取り除くという作業があった。古くなって固形化したタバスコ汁の塊をちょこちょこと爪楊枝でつつき、ゴソッとこそげ落とすというこの単純作業は、涎がでるほどに気持ちがよかった。暇にも関わらずそこには他にバイトが数人いて(いい時代だったんだろう)、みなで手分けしてその作業をやったのだが、本心では「ああ、ひとりでやらせてくれたらどんなにいいだろうか」と思っていた。
(※潔癖症でも掃除好きでもないけれど、このような「溜まった汚れが一気に落ちる」というのはやると本当に気持ちがいい。上記とは違う飲食店のバイトで、厨房の下水溝にあるオイルトラップという場所の掃除をしたことがあって、他の女の子のバイトたちが「え~、だいじょうぶ~?」みたいに心配してくれていたが、僕のほうはこれまた内心よだれを垂らしていて、ものすごい悪臭の溜まった升になにかの洗剤を入れてそこを思いっきり撹拌して油分を分解し、ちょっと待ってから水をまた流すときなんか「ぐふふふふふふ」という気持ちだった。もちろん顔は無表情にしていたが)
ふたつめは、耳にわざと水を入れてそれを出すこと。風呂に入ると意味もなくときどき浴槽で潜るのだが、 そのとき、耳に水が入ると嬉しくなる。頭を傾けて水がどろー・じゅわー(冷たい水を入れてもなぜか温かくなって出てくるのがふしぎ)と出てくればいいのだが、もし出てこなかったらその耳の中にさらに水を入れて(呼び水)、それを出すことによって先に奥に入っていた水も一緒に出す。すべて出たかどうかを頭をぽんぽんと叩いて確認して、まだ入っていたらもう一度呼び水をして……とこれはいつまでも遊んでいられる。うまく出てしまったら、もう一度入れればいいだけのこと。あのどろー・じゅわーが出るときはほんとうに気持ちいい。気を抜いている(そしてひとりで風呂に入っているから気を抜いているわけだが)と、口が開いてしまうほどだ。
そして最後は、霜焼けの足先に熱湯を当てること。年によっても異なるのだが、霜焼けの多い年というのがあって、今年もエルニーニョで暖冬だなんて騒いでいる割には足先はすでに霜焼けになっているのだが、風呂に入って追い焚きボタンを押すと、追い焚き口から熱湯がもわもわと出てきて、そこに赤くなっている足の小指(小指がいちばん霜焼けになりやすい)を近づけておくと、熱ッ、痛ッ、(でも)気持ち良いッ!の三拍子に見舞われ、痛気持ちよさの至福へ。

もちろんこれらだって、やめろと言われればやめられる程度のものではあるけれど、それでも日々の生活をいくらかなりとも豊かにするものであって(タバスコや下水溝の場合は毎日というわけにはいかないが)、依存に至らなければ嗜好というものはなかなか好ましいものである、もちろん他人に迷惑を掛けない範囲で……というどうでもいい結論でお茶を濁しておく。
ところでこれを書いているときに、痒みは痛みのちょっと手前、と書こうとして、「痒みは新伊丹」というフレーズを思いついた。これはこのあいだはじめて阪急伊丹線に乗ったからなのだが、これから風呂に入って浴槽に潜らなければならないので、その経緯を書いている時間はないのだった。 

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