とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 冗談

編集
ちいと具合が悪くなって、すわインフルじゃありゃせぬかとかかりつけのようなそうでないような病院に行くことにした。

病院といえば、その数日前にまた別のどでかい病院の整形外科に行ったばかりだった。そこでは学生時代にいかにもスポーツをやっていました、もちろんいまでも現役ですよといった感じの若い医師と、これまたいかにも整形外科の看護師とはかくあるべしといった立ち姿と笑顔の美しい看護師とがいて、日頃からスポーツもやっておらず姿勢も悪く苦笑いしかできない者としてはいささか肩身の狭い思いをしたのだが、当方がそのとき不調だったのは肩ではなく、腰。慢性の腰痛が気になってこりゃほんとうにまずいことになるかもしらんと病院に連絡してからはやひと月。つまり一ヶ月待ちの人気のレストランならぬお医者さんなのであった。
「じゃあこの用紙を持ってこちらでお名前よばれるまで待っていてくださいねー」と案内されソファにすわって本でも読もうかしらと持参していた新書を開いているとやたらとハルマフジハルマフジとうるさい。広い院内にあるいくつかの待ち合わせポイントのすべてにテレビモニタが設置されており、そのスピーカーから流れてくるワイドショウの音がこちらの想定を超えてうるさく、本が読めない。他の待ち人たちは確実に僕より二十は年上の人たちばかりだったが、その人たちは気にしていないどころか画面に釘付けであーだこーだと意見を交わしていてなるほどこういう垂れ流し的な番組に対して垂れ流され的に受容している人たちがいるもんだから需給間に合っているんですねと納得。そのうち、名前が呼ばれる。
先生「どうされました?」「腰が」「どうして?」「たぶん仕事柄」と、あまり意味のない会話が交わされる。なぜかといえば、それは事前に渡した問診書みたいなものにすでに記入済みのことで、彼の手元にそのコピーはあるのだから。彼はそういう会話をこなしながら電子カルテにカチャカチャと入力しており、僕は適当にこたえながらその書かれている文字を眺め、「ああこの人やっぱり理系だからコロンじゃなくてセミコロンつかうんだなあ」なんてことを思っていた。「症状: 腰痛」というのではなく、「症状; 腰痛」というように。
それから、前屈をさせられ、そのあと後屈(というのか知らないけど、後ろに反るやつ)をさせられた。前屈が硬いのは知っていたが後屈が柔らかいと言われたのには驚いた。そんなもんですか。
それからベッドに横になり、片足を垂直に上げさせられた。「これからこの足を身体のほうにゆっくりと倒していくので、ぎりぎりまでがんばって腰をあげないようにしてください」
説明のあったあと、先生が僕の足に触った瞬間「こりゃ硬そうですね」と苦笑したので「そりゃ硬いですよ」と笑って答えようとしたときに足を倒し始めたもんだから、「いたたたたたたた!」と言うべきところを、「かたたたたたたた!」と言ってしまい、恥ずかしい思いをした。
だいじょうぶだと思うけれどレントゲンを撮るかと訊かれて、生来の姿勢の悪さから背骨の湾曲の心配をしていたところもあるので、撮影。その写真を見たうえで、先生から骨に以上はないという太鼓判を押されて一安心。ただ、いまの痛みの原因はわかっているので、腰にベルトを巻いたりストレッチをするようにと勧められた。
いちおう貼り薬も出しておきましょう、などと言いながら隣にすわっていた看護師さんにあーだこーだと指示を出していたが、そのときに先生のほうがなにかの言い間違いをしたらしくふたりで「ふふふふふ」と笑い合っていて、それを聴きながら心のなかで「ああ、おれこういうの知ってるど。こういうの、精神的イチャイチャって言うんだど。ふたりともヤマシイところがないからっつうんで、いまは大きな声で笑い合っちゃったりしてるけど、そういうのは学生のバイト同士くらいまでが関の山で、いい年こいたオトナはあんましやんねーほうがいいんだど。しかも片方が医者とくりゃこりゃめんどーなことになること必至だど。さーてうまいところで互いが身を引けりゃーいいんだがなー、だど。けけけ」とつぶやきながらも、表面上は仏頂面でいた。

話は唐突に冒頭に戻る。戻るったって一行しか書いていないんだが、そもそもは風邪の具合を見に上に書いたのとは別の医者に行った。「ちょっとインフルかもしれないと思い……」と来院意図を告げると体温を測られ、それから細身の医師に細長い棒のようなものを右の、ついで左の鼻の穴へとどりゃどりゃと突っ込まれた。これが、痛い。痛いという感覚の前に、非常に気持ちが悪い。来るとはわかっていても、辛い。でも、「すみません、それはナシの方向で」と言えるもんでもないし、そもそもインフル検査ってそれだしって話で、耐える。ただひたすらその数秒を耐える。
その後ろで、医師と比べればちょっぴりふくよかな看護師さんが、「うう、痛い。痛いですよね。痛すぎる……」と言ってくれる。なんだか笑ってしまいもするのだが、これがこの医院のめちゃくちゃいいところ。
腰痛でかかったところは大病院だが、ここはもっと町場というかこぢんまりしている。で、たぶんだけど、医師と看護師さんは夫婦。全然不釣り合いな感じなんだけど、たぶん夫婦。
夫のほうは、話せば優しいんだけれど外見は繊細・神経質そうで細身でおしゃれ。奥さんのほうは、豪放な感じもあるんだけど庶民的ですごく親身で親切で声が大きくて安心させてくれ、なにより、こちらが痛がっているときなんかに「痛いんですよねえ……」と非常に心のこもった調子で言ってくれる。去年のインフルのときに点滴でお世話になったのだが、そのときも「インフルエンザの全身の痛みってひどいものがありますよねえ」と寝台で寝ている僕に向かってわざわざ言って来てくれたりして、医者や看護師にそういうことを言われるとそれだけで気持ちがずいぶんとラクになるってことをもっと全国の医者・看護師は知るべしと強く思ったものだ。
医療関係者と患者の関係というのは、その出会いにおいてだいたいが不平等だ。平生であればノしてやるわいという相手でも、病院内での邂逅ともなれば、多くの場合こちらが体調不良であり、向こうが主導権を握ってる。「で、きょうはどうしました?」好きでもねーてめえの顔を見に来たってわけじゃねえことくらいわかるだろ、くそがと言いたいところをガマンしてああだこうだと窮状を訴えなくてはならない。
もちろんこれらは冗談で、互いが互いに礼儀を尽くせばなんの問題もなく、むしろ患者から医療関係者のほうへは感謝の念しかないという状態になるはずなのだが、そのような好ましい例ばかりではないというのがほんとうのようで、大きな病院に行ったことはあまりないのだが、そのわづかな体験のなかでも、若い医師や看護師なんかが高齢の方に子どもにものを言い聞かせるような口調で話しているのを見聞きして、気の短い家族でもいたらぶん殴っているかもしれないなと思ったものである。でもまあ、たいてい家族がいないときやっているんだよね。
まあ貫禄のあってやさしい看護師のおかげで、半分以上気分がよくなった僕は、薬をもらって家へ帰ってすぐさま横になった。と言ってもずっと寝ていたおかげでなかなか眠ることもかなわずなにか読むものはないかと机のうえを漁ったら椎名誠『わしらは怪しい探険隊』の文庫本が出てきて、おおこれはいいぞと思い、さっそくにページを開く。
この本はそもそもがYouTube上にあったTBSラジオのラジオドラマで知ったものなのだが、現在それを聴こうと思っても著作権の通報があったらしく音声ミュート状態。気の利いた人間ならさっさとDLしてアーカイヴしていたりするんだろうなあ……気の利いた人間ならね。
それはともかく、文章を読んでいくとあのラジオドラマはほぼこの文章を読み上げているだけだったということに気づく。いや、そうだろう。椎名調(シーナ調?)とでも呼ぶべきあの独特の文体を他人がへたにいじくったら台無しだった。
そのなかで、ふと隊長の椎名がテントをつかって野宿をしている最中に体調を崩してしまい、タバコをふかしながら「おれも年かもなあ」となんとなく思うシーンがあるのだが、このセリフと感慨が、いまの僕にぴったりだった。いや、へたしたらこの時期の椎名より年上かもしれん。
身体のなかに鈍い針のついたいがいがの重たい玉をずっと抱えているような気分がつづいて、なんとか寝てやり過ごそうと思っても、夢の中でその痛みをどうしようか大勢と相談している。「やっぱり仰向けだろう?」「いやいや、横向きがいいんだよこういうときは」「いっそうつ伏せは?」侃々諤々とやっているのだが、そのたびに身体を回転させても、痛みの方向性はすこし変えられても質と量は変わらなく、それで目が醒めると痛みは夢からの持ち越し。しかもこっちでは大量の寝汗を掻いているときている。急いで布団のそばに置いておいた着替えで早替えするのだが、そのときに二匹のネコが僕の腕を枕にして寝ていたことに気づく。ネコ族! こんなときにまで暖をとろうとして!
もうひとつの痛みは喉で、唾が飲み込みづらく、ぎりぎりまで唾が溜まってしまい、仕方なくごくりと飲むと、炎症を起こした食道部が擦れる。うえ。このせいで涎まみれで起きたこともあった。そのときもそばにネコ!
三日間でまともに食べられたのはリンゴとミカンくらいだったな。味もよくわからなかったし。けれどもなんとか食べなければとうどんを食べたところあたりから回復が始まった。いつ開けたかわからない天つゆをドバドバ入れたらなんだかその香りで急に食欲が出た。やっぱりあの醤油っぽい匂いは効く。お豆の国の人だもの。
看護師夫人の勧めた漢方のせいかわからないが、腹と喉の痛みが薄れていくにつれ、首と頭の痛さがはっきりしてきて、どうやらこれは別源らしい。熱は治まって風邪の部分はなんだか過ぎ去ったようだが、頭上部の疼痛は気になる。ということで、今度また病院に行ってみる予定。とりあえず年内に不調部分を解消させておいて、おそらく人手が足りなくなる来年のために備える。

なんだか別に書きたかったこともあった気がするが、忘れた。代わりに長いあいだ横になっていたときに天啓のごとく降りてきたいくつかの考えを記して終わりにする。
  1. NHKの番組の程度がほんとうにひどくなっていく気がするのだが、一方で良質な番組づくりがつづけられていることを無視することもできない。よって受信料支払者が、それぞれが納めた受信料を何%ずつどの部門に振り分けられるかが選択できるようになればいい。Nスペとか週末の朝方やっているドキュメンタリーなんかはこれからもつづけてもらいたいし、やっぱりドラマは外せないよなあ。情報番組? ぜんぜんいらねー。え、NW9? あれ桑子になって一度も観てねーわ、ゼロ!とかやりたい。
  2. 田口浩正の仕事が徐々に松尾諭に奪われている、ということをこれまで言ってきたが、これって大森南朋と新井浩文の関係でも同じことが言えるのではないか?
  3. 貴ノ岩の兄という人物が国技館で写った写真を見ると、いつも合成写真なのかなと思ってしまう。
  4. いまのこの日馬富士問題をいつか演劇にしたら面白いのではないかと思う。登場人物を、あえてモンゴル人力士およびモンゴル人関係者たちだけに限定して、しかも一人芝居。

編集
わたくし、馬齢を重ねてことし四十になる者ですが、1996年あたり(忘れもしない、大学附近で0円携帯というものが頒布されておりました)から薄ぼんやりとあった「時代」というものから遅れ離れている感覚/実感が、十五年近くを経たあたりからいよいよ目を背けていられない次元に突入し、またそのスピードも等比級数的に速くなっている、という認識をけっして見誤っていないつもりでおりましたが、なんたらという知らない女性芸人さんの名前を、マラソンをしている(していた?)という情報とともにたまたま目にし、自身の旬のお笑い芸人の知識がたぶんスギちゃん(もうちょっといえば、ラッスンゴレライはわかる)あたりで止まっていることに、思わず「思えば遠くに来たもんだ」というフレーズを口ずさんでみたくなり、思わず思えば、って相当な矛盾だなと思いつつも、スギちゃんのギャグでいちばん笑ったのが、彼当人のものではなく、松尾スズキがラジオでやっていた「きれいな顔だろう? 死んでるんだぜ」という『タッチ』に寄せたモノマネヴァージョンだった、ということを書いてもなかなか多くの人には共感してもらえないのは非常に残念なことで、しかし話を本筋に戻してこうなってみると、定年間際の男性が会社でPC操作にまったく慣れることができず他の若い社員たちから「おっさん、少しは順応しろよ」と陰口を叩かれまくる、というあのシチュエーションを想起するとき、叩く方ではなく、もはやとっくのとうに叩かれる側に移行してしまったのだ、ということもじんわりと理解できるようになってきて、あらためて、若いうちに年長者に石を投げるような真似をしてこないでよかったなと思うきょうこの頃、石といえば、「石」という人物が主人公のマンガ『バンデット』が『モーニング』に連載されているのをここ数ヶ月で知り、これがなかなかに面白く、その影響で岩波文庫で『太平記』をゆっくりと読み始めたところ、「悪事千里を走る」というあの俚諺の前に「善事は囲みを越えず」という言葉がくっついているのを知り、なるほどそうなると逆説的に、大々的に行われている善というのには(本来は「囲みを越え」ないわけだから)なにか不自然なところがあるはずだ、という一種の真理にも到達するわけで、「地球を救う」などという気宇壮大な言葉の陰に当然のように隠れてしまうものを(まさか「隠されている」なんてことはないだろうけれど)考えるのに、きょうはぴったりの日なんではないかと愚考する次第です。

編集
たまには速報に乗っかってみる。
パッと見で誰も指摘していないのが不思議なくらいなのだが、当該ポストはやがて「人間革命大臣」と略称され、ゆくゆくは公明党議員のポストになる、っていう筋道が表参道のイルミネーション以上に明らかなんだけど。
しかしまあ、なんでこうも自民党って(政治家って?)頭の悪そうな名前をつぎつぎと思いつくのだろうか。

編集
いろいろな病気や症状というものの名前が、おそらくはいろいろな理由(差別の解消や認識の一新など)から変わっていて、アル中っていう昔はよく聞かれた言葉も、いまはアルコール依存症と呼ぶことによってより病気という認識を強めることとなった……などという話ではない。

人の名前がいよいよ思い出せなくなってきた。
50代、あるいは60代に突入した人たちが、口を揃えて俳優や有名人の名前が思い出せなくなるということを話すが、たぶんそれが僕にも徐々にもやってきている。物忘れとか、シナプスが切れるとか、その現象をどう呼ぶにせよ、特に名前を思い出すのが(以前から得意ではなかったが)さらに苦手になりつつあるというのは事実だ。
このあいだは、香川照之の名前が思い出せなかった。あの顔は思い出す。亀治郎(と書いて、ここでタイプする指が止まる……いまは名前が変わったよなあ。ええとなんだっけ、いまの猿翁がむかし名乗っていたやつで……猿之助か! とGoogle日本語入力の予測変換でその答えを確認←この間、3分はかかった)に似ていてさ、そうそう、いまは中車(これはすぐにパッと浮かんだ)でもあって……だけど肝腎の名前が思い出せない……うーむ。
亀治郎がすぐに出てくるのに「猿之助」が思い出せないっていうのは、三遊亭圓歌を「歌奴」と言ったり、あるいは橘家圓蔵を「円鏡」と言ったり、林家こぶ平を「こぶ平」と言ったりするのとちょっと似ている気がするが、しかし香川そのものが出てこないっていうのは、ちょっと問題。若年性のアルツハイマーが発症したのかと疑ってしまう。

ツールを使えば、たしかにその名前なんていうのは簡単に思い出せる。Wikipediaで出演したドラマなんかから逆に引いたりして。でも、それだからいいって問題でもない気がする。いちばんいいのは、なにも利用せずにパッと思い出せることだからね。
先にちょっと触れたように、予測変換もそうだが、そのようなツールの発達が記憶の機能レベルを低下させているのかもしれないし、あるいは単純に香川照之の作品に最近はそれほど触れていないってだけの話なのかもしれないけれど、ちょっとショックだった。

作品に触れていない、で思い出したのだが、このまえは島崎藤村の名前が思い出せなかった。まあそもそもこの人は名前を知っているというだけで、その作品を読んだことがない。それだからか、「藤村(とうそん)」だけがパッと浮かんで、そのあと必死に名字を思い出すという作業をすることとなった。
で、「あれ……? トウソンの名字って、『ふじむら』だった気がする」と思って、それから頭のなかで漢字変換したら、それって藤村藤村じゃんってことに気づいて、またやり直し。島崎だということに気づいたのは、それから数日後、何気なく『破戒』って……と思い出したらポッと出てきた。
さまぁ~ずがやっているマイナスターズってバンドがあって、そのコミックソングのなかに「斉藤にしお」という名前が出てくるのがあるのだが、それに対して三村が「名字みたいな名前だな!」ってツッコミをするんだけど(←こういうのはやけに憶えている)、この島崎藤村にも同じことを感じる。似たようなところで言うと、三遊亭圓生の本名、山崎松尾ね(←これも憶えていた)。

で、最近もうひとつ「これを忘れるのかよ!」と大ショックを受けた事案があったのだが……いま、それがなんだったのか必死に思い出しているところだ。

編集
feedlyをなんとなく眺めていたら、「米朝サイバー部隊」の文字に目を引かれた。
beicho
これは上方落語をちょっとでも聴いたことのある人間ならほとんどが知っている、というか、米朝本人がネタにしていたギャグで、対北朝鮮について「戦略的忍耐」を選択していたオバマ政権時代にはあまり見られなかったものの、トランプ政権に代わって最近やたらと目にすることが多くなった「米朝」の文字。
当該記事の内容になんて毫も興味はないのだが、それにしても「米朝サイバー部隊」というのは、胸踊る言葉である。きっと指揮官はこいつだ。
beicho
アンドロイド米朝大佐
趣味: 落語鑑賞。趣味が高じて実演することも。

一昨年だかにテレビで観た米團治の『地獄八景亡者戯』のことをちょっと思い出した。たしか「米朝、ついに来演!」というネタで、米朝のモノマネをするんだった。面白かったし、でもちょっとさみしかったんだよな。

編集
『パッチギ』にはきっと呪いがかかっているんじゃあ~。

まずこれまでに、この人たちがなんらかのスキャンダルを起こしたんだけど、これ、Wikipediaに載っているキャストの上から3人そのまんまだからね。
  • 塩谷瞬
  • 高岡蒼佑
  • 沢尻エリカ
この時点ですでに「『パッチギ』には呪いが?」みたいなジョークはたしかにあったのよ。けれどもね、いやいやいや、それでもまだ小出恵介が僕らにはいるよ、と大船に乗ったつもりで安心していたわけだ。
それがなんとまあ……。
(なお、実際になにがあったか知らないが、未成年となんちゃらかんちゃらって、だまくらかしたわけじゃなくて、かつその相手が18、19歳であれば、という場合において、なにが問題なのかって気がする。小出も相手と結婚しちゃえばいいじゃない。「妻っス。ちょっと若いうちからアレしちゃいましたけど、それ、いまの妻っス」とか言っておけばいいのよ。19歳だと活動休止で主演ドラマも全編中止、となって、20歳だと「熱愛!」ってなるの、どう考えてもおかしいよ)

まあいい。問題は呪いの次のターゲットだ。
ざっとキャストを見渡すと、現在『ひよっこ』の三男の兄ちゃん役をやっている尾上寛之と、バンホーソンベこと『火花』の波岡一喜が危ない。おっと、桐谷健太もマークしておこう。彼の名前と顔はこの映画で憶えたのだっけ。

どうでもいい記事は10分で書けるマン。

編集
ちょっと熱が冷めたであろうから触れるのだが、最近は、というかずっとそうなのかもしれないけれど、あの流行語大賞における「流行語」については、「いつもどおりつまらん」とか「聞いたことないんだけど」と批判することじたいが流行っているような気がして、そうすることによって自分の「俯瞰感」(これ、ネット上じゃ重要だそうです)をアピれるいい対象(大賞だけに)になっているようだ。これって、近年のエイプリルフールネタとおんなじ。あれも、「いいかげん飽きた」って主張することそのものが年中行事になりつつある。大人だったらスルーすりゃいいだけのこと。あと、流行語に違和感を覚えることについてSNSをからめて論じる「メディア論」にも飽き飽き! 

まあそんなのはどうでもいいんだよ、と言いたいのだが、「お気持ち」あるいは「生前退位」が入っていないところが、もうなんというか、弱い。少なくともニュースをあれだけ賑わせたキーワードなのに、ノミネートすらしていないってところがしょせん一企業のキャンペーンにすぎないと思わせる(漢検の「今年の漢字」だってそうでしょ)。だから「『日本死ね』をノミネートさせました」って偉そうな顔をしたって、一方で天皇ニュースをまったくスルーしているわけだからなんの説得力もないわけよ。
このあいだラジオ番組で原武史という人が、天皇がいったん発言してしまうと社会全体が「そうだそうだ」となってしまい、有識者会議における保守派の生前退位反対論者を「君側の奸」(まさか「くんそくのかん」という言葉をラジオで聞けるとは思わなかった!)呼ばわりするありさまはどうかと思う、と述べていて実にそのとおりだと思った。
これはおそらく構造的な問題で、マスメディアには菊タブーがあるもんだから、天皇および皇室に対する報道に関しては、批判的な意見がほとんど発信されず(でも雅子さんに対しては一部の女性誌が批判しているらしいんだよなあ)つねに好意的なコメントばかりがあふれてしまう。その結果、視聴者や読者のわれわれの多くは天皇に対して無批判に、初孫を見る好々爺のように純真かつ好意的に受け止めるようになってしまった、ということなのではないか。
ラジオでは、天皇のイメージも結局はメディアの作り出したもの、という点まで言及していて、その部分はほんとうに厳格にとらえたほうがよいと思う。「だって陛下はいい人だもん」みたいな子どもっぽい態度(会ったことあるの?)は、戦時中ならいざしらずいまの時代にはふさわしくない。
他方、リベラル派の多くが天皇の「ご意向」をそのまま受け取ってしまっているという指摘も銘記しておくべきだろう。天皇は、憲法でかなり人権が制限されている人物なのであって、その(ある種の)呪縛から解放するには、天皇制をなくすべきだ、と主張している人はどれくらいいるのだろうか。ごくごく率直な考えとして、天皇ってたいへんそうね、なくしてあげたらいいのに、っていうのが人権を重要視したものだと思うのだが。


ま、話は変って。
僕の今年の流行語大賞は、ニック・ハノーアーによる以下の言葉だ。
どんな金持ちも、寝るときに使う枕は1個か2個。
以下、詳細。
9月23日(本放送は2月15日だったようだ)に放送されたBS世界のドキュメンタリー選『みんなのための資本論』('13 米 / 原題: Inequality for all)において、年収1,000万ドル~3,000万ドル未満と自ら認めるニック・ハノーアーが発言したもの。
彼は寝具会社のCEOであり、かつ投資家でもあるのだが、富裕層は金をつかわず貯め込むだけで、ほんとうに重要なことは中間層が消費することだと力説する。つまり、トリクルダウンはないということだ。
彼はこう言っていた。
「わたしは一般のアメリカ人の1,000倍も稼いでいますが、かといって枕を1,000個買うわけではありません。どんな金持ちも、寝るときに使う枕は1個か2個です」
なお、このドキュメンタリーは非常に面白かった。一例を挙げれば、フィリップ・ドーマンという大手メディアのCEOがこんな発言をしていた。
「人員削減を検討しなければならなかったのが辛かった。リストラをすれば従業員が苦労するのは目に見えていたから。しかし組織が生き延びるためにそうせざるをえなかった」
彼が深刻そうにそう言う画面の左下に、こんな文字が静かに浮かぶ。「年収8,450万ドル」と。
2013年製作のドキュメンタリーではあったが、ここにはしっかりと「トランプ大統領」を予見させる現象が映されていた。メインに取材された経済学者のロバート・ライシュは、格差の歪みが、他の人種・宗教への非難へと直結し、分断が生まれている、と発言していた。また、ある共和党の元上院議員は、やがて超富裕層が大統領職を買うようになるという皮肉をこぼし深い憂慮を示していた。オークションで政府を買うなんてことがあってならない、と。
いづれにせよ、上の言葉は今後も憶えておいていいと思う。どんな金持ちも、寝るときに使う枕は1個か2個。

ちなみに、ニック・ハノーアーのTED(これ、いまだによくわかっていない)でのスピーチ原稿がウェブ上にあって、そこでも彼は「枕のエピソード」に似たような発言をしている。しかしこの原稿のなかでもっとも重要なことは以下だ。
我々 超富豪は知っています 表立って認めはしませんが 私たちが このアメリカ合衆国という国以外の どこか別の場所で生まれていたら 舗装もされていない道端に裸足で立ち 果物を売る人たちと同じだっただろうと
この理窟に意味がないという人間は、同様に努力至上主義に意味がないということも認めなければならない。努力は、最初に配られたカードがあってはじめて成り立つものであって、はじめからカードの枚数が少ない者、数は足りていてもその一部が破れている者、そもそもカードが配られなかった者たちは、努力を上乗せすることすら難しい。比喩をやめてもっと単純な表現を選ぶのであれば、それは運だということ。運ひとつだということ。


以下は余談。


”表現の自由の擁護者”賞

  • 松井大阪府知事
【受賞理由】
府知事閣下におかれましては、府警の若い巡査が沖縄で「土人」と発言したことについて以下のツイートを発せられ、いかなる表現の自由をも擁護するという強い意志を提示されました。
審査委員会では、鶴保沖縄担当大臣閣下も授賞に値するのではないか、という意見も出ました。大臣閣下は、上記土人発言に対して、「間違っていると言う立場にない」とコメントし、やはり表現の自由に対する擁護の意志を見せたわけですが、府知事閣下の披露した「ご苦労様」のような、より積極的な姿勢までは見られなかった、ということで惜しくも受賞を逃しました。

”誠意の体現者”賞

  • 小泉進次郎衆議院議員
【受賞理由】
9月26日の安倍内閣総理大臣による所信表明演説中、自民党議員の先生方が一斉に立ち上がって拍手したことについて小泉先生は記者団に対して、「あれはないよね。あれは私も含めて、ちょっとおかしいと思いますよ(朝日新聞報道より)」と発言されました。この発言で、全体主義化しつつあるように映る自民党を不安に思う一部の国民の気持を代弁する一方で、その直後に「僕もびっくりして、つい立っちゃったよ(同上)」と付け加えることによって、自民党そのものに対して今後も忠誠心を示し腹蔵のないところを明らかにしています。この一見アンビバレントな言動によって先生は、われわれ凡人の持っている価値観――誠実さや誠意というものは、まったく対立する立場にある集団の双方に対しては発揮することができないという凡庸な価値観――の転換を促してくださいました。
審査委員のうちには、賞の名称を”すぐれたバランス感覚”賞とすべきではないかという意見も見られましたが、「バランス感覚」というのでは小泉先生の振る舞いの大胆さまでは正確にあらわすことができないのではないか、という反対意見によって、中途半端な義理立てには決して陥らない、先生の全方向へ向けたいわば徹底した誠実さがよりはっきりとする当該賞名が定められました。

”愛国者”賞

  • 日本国政府閣僚
【受賞理由】
近年、愛国者を自称する国民が増えているのは非常に喜ばしいことなのですが、その価値観や潮流を規定しているという意味において最大に愛国心を顕しているのは、わが日本国政府を措いて他にはありえず、他の追随を許しません。
その実例といえば、軍属による非道な殺人事件、オスプレイ墜落事故、基地移設、等の沖縄における米国間との諸問題について、国益第一の断固たる決意を以て交渉にあたり相手国との摩擦を回避する努力をおこない、かえって国民(特に沖縄県民)からいったいどの方向を向いているのだと批難を浴びたこと、またその延長線上で次期米大統領の就任前に自宅を訪れて今後起こりうるであろう摩擦を回避する努力をおこない、かえって国民(特に野党)から朝貢外交かと批難を浴びたこと、そしてロシアと経済協力をする条件でその一部を取り戻せると信じていた北方領土返還問題が白紙に戻ってしまっても今後起こりうる摩擦を回避する努力をおこない、かえって国民(特に愛国者と自称する人たち)から食い逃げされたと批難を浴びたこと、などこれら自国民の嘲罵嘲笑を誘う行動には枚挙に暇がありません。しかし、現政権はそのたびに耐え忍び、たとえ腹の中で切歯扼腕、血の涙を流していたとしても、外面はどこ吹く風の構えで、国益第一を信じ「粛々と」国政を運営してきました。そのような政府閣僚たちを愛国者と呼ばずして、いったい誰を愛国者と呼べるのでしょうか。
われわれのような単純浅薄な国民などではとうてい思いつきもしないような百年の大計がきっと彼らの頭のなかにはあって、そのマクロな視点に拠ってわれらが愛すべき日本国の舵取りを行なっているのであります。ああ、素晴らしき哉! 愛国者万歳! 安倍内閣万歳!

編集
警察発表だか主催者発表だかわからないけれど、ン十万人、場合によっては百万人単位のデモが起こりつづけているみたいで、でもそんなに人が多くいるのなら、「おれ/わたしは行かなくてもいいかな」と思わないのだろうか。
それ以上に気になったのは、あの大人数のトイレをいったいどのように処理したのか、ということ。北方謙三の水滸伝シリーズを読んでいると、何十万人という陣営が布かれたときにいつも問題になるのは兵士たちの便所で、工兵部隊が溝を掘ったり、衛生的見地から人足を雇って糞尿を外部に運び出したりっていうことが結構書かれている。
その観点に立てば、あのデモ参加者の排泄が、仮設用トイレや、あるいは周辺のビルやコンビニに設えたトイレなんかで賄えたのかどうか、ということが気になった。
あと、ワイドショーでちらとやっていたのが、デモ参加者を見込んで屋台も出ているっていうことで、それはある意味あたりまえのこと。たとえば100万人が参加していたとして、ほんとうに政治的メッセージを主張したいのは1万人もいないのかもしれず、あとは「とりあえず友だちに誘われたから」とか「好きな女の子がいたから(三田誠広『僕って何』ってそんなような内容だったっけ)」とかの他に、「商売を目論んで」なんていう人たちも少なくないとは思う。
タイ人シェフによる「退陣トムヤンクンスープ」を売る屋台や、生鮮野菜コーナーの「辞任人参」、出張簡易床屋の「弾劾絶壁ヘア」とかそういうアイデアもあるかもしれないねというテキトーな駄洒落で締めるのは、書いているうちに飽きたから。

編集
ときどきあることだけど、YouTubeの調子が悪くて、ぐるぐるマークが出ていつまでも待機中になっているものだから、僕のお気に入りのアイドルの動画はいつまでも観られなくて、しょうがないから妄想のなかでそのお気に入りの動画を何度も何度もリプレイして、妄想のグラスに妄想のボージョレ・ヌーヴォーをたっぷりと注いで、妄想のレザンとフィグをつまみに、ドナルド・トランプと森喜朗と石原さとみとで麻雀をやっていたら、森喜朗が牌を捨てながら「なにかと印象の悪くなった東京五輪だけどねえ、」と周りを見渡して、そこで石原「先生、それチーです……。で、オリンピックがどうしましたって?」、森「あれのイメージ回復をだねえ、ここらで図ろうじゃないか、とこのように思っとるんだがねえ?」、トランプ「ファック」、石原「次、先生のツモですよ。で、どうするんですか? イメージ?」、森「そうそう、あのね、うちの孫も観ていたらしいんだけど、ほら、あの『あまさん』(「あま」にアクセント) とかいうドラマ、あったじゃない?」、石原「先生、それチーです……それ、『あまちゃん』ですか?」、森「そうそう、『あまちゃん』。あの東北の海女さんの。あれをやった九官鳥みたいな名前の……」、トランプ「ファック」、石原「クドカンさんですか?」、森「クドカン? そんな名前だったっけ? そのクドカンくんに、大河ドラマでオリンピックをだねえ、」、石原「先生、それポンです……大河でオリンピックですか?」、森「石原くんは、それなにをつくってんの? 鳴きまくるねえ。……でね、大河ドラマで前の東京オリンピックをやればいいんじゃないか、とそういうことを考えたんだよぉ」、トランプ「ファック」、石原「ふーん」、森「いわば国策ドラマだよぉ、籾井くんに言ったら快諾してくれてねえ。いやー、われながらいいアイデアだと思うよ。ハッハッハッ! ……って、西4枚目! クソッ!」、僕「それロンです。国士無双」って森喜朗をトバして、2位だった石原さとみの替りに石原慎太郎が卓に入ってきたんだけど、妄想のなかでも僕は符計算ができなかったので、腹立ちまぎれにドナルド・トランプの髪の毛をくしゃくしゃってやって(「ファック!」って言われた)席を立ったら、ちょうどそこへ酔っ払った米兵のトラックがやってきて、卓にまだ残っていた3人の大きな男たちを次々と撥ねていったのだが、これでも日米地位協定にはなんの影響もないんだってさ。

編集
なにかの祟りかってくらいに今年は病気がちである。
8月・9月・10月と、それぞれ二週間ほどの悪質な風邪みたいなのをこじらせていたが、ついに11月に入って「解禁!」とばかりにインフルエンザに罹患。おそらく7日の夜くらいに発症したものと思われるが、8日の朝、グレゴール・ザムザのように気がかりな夢から醒めるとまず身体を起こすのが億劫で、それは僕の布団の上で眠る猫2匹(都合7kgほどか)のせいだけでもなくて、全身に固さやだるさというものを感じた。起きて熱を測ってみれば38.2℃。急いで各方面に電話をし、今週中の約束事(業務上のものから、地域イベントごとまで)をすべてキャンセルした。一軒だけふだん電話をしない相手があって、その人に連絡をつけるために軽トラでムラのぐるりを走ったりした(それで見つかったのだから面白いが)。
帰って来て、いよいよ悪寒がしてきて体温計測。38.7℃。ここらへんでもう熱を測るたのしみも失せていた。上るだけで精一杯の登山と似たようなものだ。急いで寝支度をして着替えと水を用意するも、そこらへんから意識がぼんやり。もう一度だけ熱を測ってそれで39.2℃。まだ頂上が見える感じもなかったので、「いま標高なんメートル?」なんて問いも生じなくなってしまっていた。
その夜は気がかりな夢どころか多種多様な夢を見たような気がする。仕事のキャンセルのやり方をミスしていたことに気づき重い身体を動かしてその穴埋めをしているもの。高層タワービル(いま考えればトランプタワーか?)の最上階にあるプールに溺れている女性(これが僕の重い人ということになっている)を助けるためにそのビルに乗り込むとあら不思議、そのビルは100階から成るダンジョンとなっていて、その中層部には町まである始末、というドンキーコングとダンジョン飯とスペランカーを足してぐちゃぐちゃにしたような意味不明なもの。日頃働いてくれているスタッフに感謝の重いをただひたすら述べているという牧歌的なもの。あとは、寝る寸前に目にした「大統領選の開票始まる」の文字になんとなく嫌な予感を覚えたのか、「トランプ大統領」という衝撃を先に夢の中で味わい、げんなりした重いを抱くこととなった。起きてみて真っ先にテレビをつけてみたら9日昼頃で、選挙結果はいまだ出ておらずまだ争っている最中であったが、僕は夢の中で見たことの再放送を見ているような気持ちで、というかまだ目覚めていないような気持で、そのニュースをぼんやりと眺めていた。そう、心も身体もまだ依然として重いままだったのだ……って、重いのはやっぱり猫2匹が布団の上に寝ていたから! よく見たら、上の文章も「想い」や「思い」が全部「重い」になっている!

そこから寝たり起きたりしているうちに「トランプ大統領」が現実世界でも確定して、インフルが確定していた僕は、少し熱も収まっていたので病院に行ってラピアクタという点滴を打ってもらった。それから帰って来てまた寝て……。
起きてテレビをつけるとあの陰気な官房長官のごにょごにょとした話し声がして、画面に目をやるとやけにチカチカする。うん? と目を凝らすと「菅官房長官」っていう字並びは「口」が7個もあるんだな。ふだんは気づかなかったけれど、神経過敏になっているせいかそれが気になった。

5月にラジオ(というかmixcloudだけど)でバーニー・サンダースの「正義とは」の音源を耳にして、それから少し経ってYouTube上でその動画を見て、彼が若者たちに圧倒的な支持を得ているというのが実感できた。文字通りに胸を打つ動画でありスピーチであった。

 

簡単なニュースの利用ながらも大統領選をなんとなく追っかけて来た身としてはドナルド・トランプの当選は「心底驚き!」というものでもなかった。ハフィントンポストに載ったマイケル・ムーアの7月の記事が今頃になって再シェアされている(日本人がいつとらえようと自由だけれど、まあ遅きに失してはいるよな)ようだけれど、その次に寄稿されたか転載された記事はいまだにあまり注目されていないようで、なんかもったいないなあとも思う。それはともかく、前者の記事を事前に読んでいれば、おそらくは反語的な意味あるいは希望を込めて書かれた「トランプの勝つ理由」が文字通りのものとして読めないことはなく、むしろある種の心構えをしておくようにという警告文のようにも読めたはずだ。
僕なんかは単純だからイギリスのEU離脱の問題と単純に絡めてしまうのだが、もし多数決の問題に帰着させてその結果がよりよいものでないのならば、市民が最善の答えを選択できるとは限らない、あるいは、その多数決の方法に問題がある、のいづれか、あるいは両方なんじゃないか、と思うようにした。Brexitの問題も、オアシスのノエル・ギャラガーに言わせれば「民衆はバカなんだから重要なことを選ばせるな(それは政治家たちの仕事)」だったらしい。過激な物言いだが真理の一面をも言い当てているように思う。
今回の大統領選は他国のことであるから一概になんとも言えないのだが、けれども国内を振り返ってみれば、民衆がつねに正しい代表者を選択できているとはとうてい思えない。それはやはり、民衆が愚かか、あるいは選択するシステムそのものがおかしいか、が重要な鍵を握っているように思う。この問題についてはまあここまでにしておく。
とにかくまあ、民主党はヒラリーが候補者だったってことがそもそもの敗因だったのではないか。マイケル・ムーアの記事ではないが、サンダース支持者のうちヒラリーに入れなかった人あるいは投票しなかった人も少なからずいただろう。そのくらい、同じ民主党とはいえ「ヒラリーだとがっかり」という人は多くいたのではないか、と愚察する。

さて、そんなふうに考えられるくらいにはやっと恢復したわけだが、ラピアクタは劇的に効いたわけではなく、結局きょう(11日)になってようやくこうやってきちんとPCに起きて向かえるようになったほど。インフルの前に咳がまたひどくなっていたので、その咳止めも含め、なんだか薬を飲むために生きているくらいだ。一日3回飲まなくちゃならないのが、なんたらが1包、なんたらが1包、なんたらが2錠、なんたらが1錠。そして一日1回飲まなくちゃならないのが、なんたらが1錠となんたらが1錠……って、夕食後にはこれらが全員集合するわけだから、5錠と2包をテーブルの上に並べると、自然あたまの中に「終末期」という言葉が浮かんでしまう。おれはこんなに身体が悪いのか、と。いやいや、そんなたいしたことないよ、ただのインフルと、もうひとつは医者に「アレルギー性気管支喘息になってなければいいですね」と言われただけじゃないか(「なった」とは言われていない)と理性ではわかっているのだが、やはりげんなりしてしまう。
そんなとき、テレビではこんな番組をやっていた。
60歳をちょっと超えたきれいめな女性がカメラに向かって語っている。
「母がね……とっても元気なんですけど。89です。周りにくらべて元気すぎる。……なんかあるでしょ、って訊いたら『実は、』って教えてくれたのが……○○酵素

となって、ガーン! だ。これはあれだ、笑福亭福笑のネタそのものじゃないか。福笑のネタは以前書いたが、もう一回書く。
このあいだテレビを観ていたら、こんな話があったんですわ。
高齢の方なんだけれど、テニスをやったりジョギングをしたり、とたいそう健康的で、周りからも「お元気ねえ」と羨ましがられていた。
ところが人というものはわからないもので、三年前、原因不明の病気でばたんと倒れた。それから動くこともできない。
医者に見せてもどこが悪いのか要領を得ない。食も細くなってどんどん痩せていく。
「ああ、これが寿命というものか」と途方に暮れていた、そんなときに出会ったのが……このしじみエキス
なめとんのか。真剣に見とった自分が悔しいわ。
いやでも、途中から観ていると、「うん? なんだろう?」と思わず気になっちゃうんだよな。しかもこういう身体の不調を痛感しているときは。
そのときに、フラッグと気づいた。いや、はたと気づいた(これは鶴光の芸風)。ああそうか、昼間に宣伝やってるの、あれはぜーんぶ、病人のため。と思わず三十一文字。味噌ひと舐めして頭をしゃっきりして考えを進めるに、 僕みたいな一時的な病人ではなく、慢性的な病気を患っている人や、もしくは大病を抱えたことがある人は、ああいうCMにかなりの確率で飛びついてしまうのではないか。別にくだんの健康食品を怪しいとかいうつもりもないが、まあでも……お安くないんでしょ? そういうものを、ふだんの健康状態であれば見向きもしないのが、緊急時に見ると「ああこれ!」となってしまう気持ちがやっとわかった。一日ちょっと前まで高熱で身体が動かなくて、うぇ~、苦しい~、そして重いよ~と唸っていた身としてはたいへんよくわかる。具合が悪いと、味がほとんどわからない。そうなってしまうと、自分に食欲というものがあったということじたいが信じられなくなる。毎日毎日なにかを口に入れてもぐもぐとやっていたなんて。味わいどころか食感まで失ってしまう(実際に2日ほど失っていた)と食べることじたいが辛いことのように思えてくる。そんなときに、「高級ステーキ!」とか「日本海で海の幸づくし!」とか言われてもピンとこない。
そうなるとやはり、健康なんだよな。おいしいものを食べられるのも、というか、おいしいものをおいしいと感じられるのも、元気にどこかへ出かけられるのも、テレビで好きなドラマを観られるのも、映画館へ行って話題の映画を観られるのも、カフェに入って友だちと語らえるのも、音楽を聴けるのも、音楽を聴いてダンスを踊れるのも、美術館に行って美術鑑賞に浸れるのも、読書に耽溺できるのも、パチンコを打ったり競馬場へ行ったりできるのも、お酒を飲めるのも、お酒を浴びるほど飲んで他人に嫌われるのも、お酒に溺れて家族や友人や金や仕事のすべてを失えるのも、クスリをやれるのも、クスリの売人をやれるのも、全部健康のおかげなんだよなあ。人って、生きているんだなあ。みつを。って感じに冗談を言えるのも、健康のおかげ。健康って、ほんと失ったときにわかる。ありがたい。健康様々で、健康のためなら僕は命も惜しくないです。僕の家族も、みな同じ気持ちだと思います。
そんな健康志向のわが家で愛用しているのが、牡蠣のエキスなんです。ほんと、オススメですよ。

っていうのが、例の手法。いつのまにか大きなロジックのなかに搦め捕られてしまうからお気をつけあれ。きゅいじーぬ。 

このページのトップヘ