とはいえ、わからないでもない

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図書館の書架にぽんと置いてあったのをたまたま見つけ、そういやこれ話題になっていたよなということを思い出し、その安直なタイトルの本を手にとってカウンターにまで持って行った。

まず、この一見ストレートにストレートを上塗りしたようなタイトルがどれほどの意味を持つのか、田中角栄という人間をリアルタイムで知らない僕には最終的に判断できないかもしれない、というおそれはあったが、しかしまた慎重に考えてみるに、おそらくこの天才というのは、われわれがその単語について簡単に思い浮かべがちなイメージとはまったく別種の相当なメタファーなりアナロジーなりを内包する言葉であろうから(なんといっても彼は「作家」なんだから!)、読了後にきっと味わえるはずの意外性をたのしみにすることも可能だ、と思い直してページを開くと、その行間のスペースの広さや文字のフォントの大きさに驚かされる羽目になった。

都の百条委員会に呼び出しを食らったときだったか、マスコミの前で威勢のいいことをぶちまけてそれから車に乗り込んでいこうという場面でのその後姿や歩く恰好のあまりにも年老いた様子を、おそらくは彼が若い頃からずっと嘲笑してきたであろう存在に彼自身がなってしまったのだという皮肉な思いで眺めたが、あの印象の強さのためか、これはもしや口述筆記による「角さん」の追憶記かと思って奥付あたりをぱらぱらと調べると、
この作品は現実の人物・事件・団体等を素材にしておりますが、すべては筆者によるフィクションであることをお断りしておきます。
という但し書きがあって、やはり小説なのかと再認識した。
ほんとうは、小説でもエッセイでもドキュメンタリーでもジャンルはなんでもよいのだが、しかし実際の人物を描くというとき、そこに含まれる真実味がどの程度のものなのか、というのはその対象人物をほとんど知らない読者にとってはとても重要な問題なのは間違いない。
小説というのは非常に自由な表現藝術なので、いかように描くこともできる。高橋源一郎はその初期作品において伊藤整や金子光晴という名前のキャラクターを登場させ、(これまた「おそらく」となってしまうのだが)実在の人物がしなかったであろう振る舞いをさせたりした。
また小島信夫は、その小説に「保坂和志という小説家」という人物を登場させ、これはいかにも当人と思えるような言動をさせるのだが、保坂自身によれば「そんなことやっていない/していないのに」みたいなこともあるという。というかそもそも小島信夫の作品には、一人称で書かれ始めたのに「小島信夫という作家」が登場することもあり、三人称に移ったのか、はたまた「わたし」とは別の人物なのか判然としない、と読者が混乱を来すものもあるのだが、石原慎太郎は十中八九そんな「文学的」なことは考えていないだろうから、そうなるとフィクションという言葉を頭の片隅に置きつつ、かの人物のいわば人物伝を、小説の形で読むのだなと自分に言い聞かせた。

しかしそうなると僕としては、ますますどう読み、どう感じてよいのかがわからなくなった。この「小説」に描かれているうち、はじめの五分の一ほどは田中が東京に出てくるまでの話なのだが、面白いのはここだけだった。彼の生い立ちや家族、そして淡い恋愛感情などがたぶん虚実綯い交ぜで書かれているのだろうが、その真偽などはどうでもよく、それなりに面白い。それは、その立志伝の一過程が、現在となってはなかなか想像しにくいことによるものであり、その想像のしづらさは、日本人の生育環境や経済環境というものが表面的にはより画一的になったことに由来するものだろう。

けれどもそのあとの五分の四は政治家になってからの記述が主で、事実が、そのときの田中の感慨(という体)をもって描写されていくのだが、ここに物足りなさを感じた。というより、なにかの弁明のようにも感じられてしまい、それが石原の弁明なのか、あるいは最後のページに三十も挙げられている参考文献に依拠したものなのかはわからないのだが、これまたわかってもわからなくても、そのいづれにしても面白くない。はあ、そういうものなのかなあという感想で終わってしまうのだ。

ある政治的に困難な状況や重要な課題に直面したときだけをピックアップして、そのときの人間模様を大胆に描くというのであれば、これはこれで面白さはあったはずだろう。しかし回顧録みたいな体裁なものだからどうしても記述は淡白なものとなっており、物足りなさだけが残る。
それではドキュメンタリーとしての興味深さはあるのかというと、たぶん事実に即しているのであろうということくらいは判断できるのだが、それにしては記述量が圧倒的に不足しており、やはりこちらでも不足感が残る。結局、どっちつかずなのだ。

200ページの本文に対する15ページのあとがきには、本人もわざわざ「長い後書き」と題しているのだが、このなかに出てくる石原の田中との対話は魅力的だった。石原がまっこうから田中の金権政治批判をしていたとき、テニスのクラブハウスで彼とたまたま出会ってしまうのだが、そのときのやりとりに石原は特に強い印象を持ちつづけているようで、その昂奮を隠していない。
”これは何という人だろうか”と思わぬ訳にはいかなかった。私にとってあれは他人との関わりに関して生まれて初めての、そして恐らくたった一度の経験だったろう。
一礼して別れ、仲間たちと食堂で合流した後も、私はたった今味わった出来事の余韻を何度となく嚙みしめていたものだった。

(214p)
本文にこのような種類のものがまったくないかといえば嘘になる。たとえば毛沢東と対話する場面などにほんのちょっと人間の面白さというものが描かれているようにも感じるのだが、しかしそれにしたって分量がすくなく、あっという間に印象が過ぎ去ってしまう。

文体についてすこし言及すれば、石原節みたいなものは随所に感じられた。
たとえば、「○○についての調査はなかった」というようなことを言う場合、石原は「○○についての調査はありはしなかった」とよく書く。「いなかった」を「いはしなかった」と書くし、「~していて、」というところを「~してい、」と書く。これはたぶん彼のこだわりなんだろう。
余談だが、「味わう」という言葉の使役形を「味わわす」とはっきり表記しているのを見たのは、彼の文章(本書ではないけれど)が初めてだった。これは音だけを聴いていると、「あじわわせる」なのか「あじあわせる」なのかがいまいちわからなく、発話者もそこらへんを曖昧に認識しているということが多いのだが、文章でそのようにはっきりと書いているのを見ることもなかった。おそらくその理由は、「苦労を味わわす」と書いて自分でも不確かな思いをするよりは、「苦労させる」と別の表現を遣ったほうがよいとした文筆家のほうが多いからではないか、と愚察する。
話を戻すと、上記のような石原の文体は読者に引っ掛かりを与えることも少なくないだろう。悪文という人もいるかもしれない。その指摘を間違いとは思わないまでも、しかし僕自身はあまり悪くは受け取らなかった。この直前にライトノベルをたまたま読んでいて、その引っ掛かりのあまりのなさに物足りなさを感じていたということもある。
現在ネットにあふれている文章のほとんどが引っ掛かりのなさに注力されており、僕はそういう文章を好まない。書かれている内容も陳腐なうえにその書かれ方も陳腐であれば、なにも残らない。おそらく数年以内には、AIがそういう文章をわれわれに提供するようになる。なので、わざわざ人間が書く必要がないのだ。

数行で終わらせるつもりだった感想は、結局まとまらない。
しかし、「長い後書き」のなかに、「田中角栄という未曾有の天才」とか「田中角栄という天才の人生」などという箇所を見つけ、「相当なメタファーなりアナロジーなり」はおそらくないということを確認することはできた。
繰り返しになるが、参考文献の量は多いようだ。その「まとめ」を簡単に読めるという点以外でこの本の興味深い箇所を強いて探すとするならば、「三番クン」という名前で登場する女性と青年田中との恋愛未満のようなエピソードに、石原慎太郎という人間がそれなりの重きを置いているというところかもしれない。
あのように無神経で傲慢で、愚かしい言動に事欠かない人物も、わりあい純粋なものを信じているふしが見られるのである。もちろんこれを指差して嘲笑する気はない。ただ、純粋なものを信じる人間が必ずしもやさしく心のこもった行動をするわけではない、という新たな例証――けっして新奇なものではないが――がわれわれの知識にくわわるのみである。

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テレビドラマで二宮主演の『坊っちゃん』を観て、こんなはずじゃなかったという思いを持って、関川夏央・谷口ジロー『「坊っちゃん」の時代』を参考書として岩波文庫版『坊っちゃん』を読み直した、という話は以前書いた
実はそのとき同時に、たしか数年前に小林信彦が登場人物のひとり、うらなりを主人公とした続篇を書いていたよな、ということを思い出し、ネット書店(僕はアマゾンではなく、丸善・ジュンク堂を利用している)でその小説『うらなり』を註文しようとすると、「お取り寄せするのに二十日ほどかかります」という趣旨のメッセージが出ていて、少し驚いたということがあった。
この小説は、文芸誌連載時にすでに話題になっていたはずで、文芸誌をそれまで一度も読んだことのない僕(そしてその「未体験」はいまでもつづいているのだが)ですら、「ん? 『坊っちゃん』の続篇?」と一度ならずチェックしていたのだった。チェックをするだけで読まないままであったけれど、それはそれとして、それほどに有名な小説が在庫として常備されていないだなんて。
いま調べてみると、「数年前」の記憶を、「十年前」に訂正しなければならない、ということを知る。きっかり十年も前に、僕はどうやってふだん読みもしない雑誌の内容を知ったのだろうか。そこが不思議なのだが、書店の雑誌売場を通りかかって、おそらくは表紙に書かれていたであろうそのタイトルに惹かれたのかもしれない。うらなり、と書いてあれば、あのうらなり以外に思いつかないのだから(しかし、その「書店で見かける」以外にもどこかで目にしたはずで、そうでなければ、「話題になっていた」というような記憶にはなっていないはず)。

ともかく以上のような経緯で、その『うらなり』がうちに届いたのは、ドラマや小説の余韻をすっかり失ってからだった。単行本化されたのが2006年で、文庫化されたのが2009年。それから一度も版を重ねることなく僕の机の上にやってきた文庫本は、そこからさらにしばらく放置され、猫の毛と涙(よくこれを本になすりつけるのだ)とに少し汚されたままになっていた。

読後の感想を率直に書いてしまえば、まあ作者本人による「創作ノート」の通りだろうね、というもので、ここまであからさまに書かれてしまえば、それ以上に「解説」しようとしたり「解釈」したりするのは野暮だ。けれども「解説してしまおう」とする野暮と、ここまで書いてしまう作者の野暮とはいったいどっちのほうが野暮なんだろうね、とも思ってしまう。
製作動機、作者の『坊っちゃん』との出会いとその当時の感想、資料集め、漱石研究における『坊っちゃん』の位置づけと評価、「うらなりから見た『坊っちゃん』」という仕掛け、うらなりのキャラクター造形に対する苦労、等々。文庫本にして150ページ弱の小説本体に対し、30ページ弱の「創作ノート」は、後世の文学研究者たちにとっては非常にありがたいものとなるのだろうが、同時代に生きている僕にとっては、やはり有用と思われる部分がないではないにせよ、いささか鼻につく蛇足の資料のようにも感じられたのだった。

皮肉のし通しで擱筆するのもなんなので、よかったところを挙げておくと、ひとつはドラマティックなことがほとんど起きないところ。おそらくかなり意図されているのだろうが、ここにはいかにもそれらしいおそるべき退屈さがある。日本文学の特徴(あるいは悪習)とも言うべき、あの「なにも起こらない」感じ。退屈であるにもかかわらず、いや、むしろそれゆえに小説世界が浮かび上がってくるようなあの感じを、僕は好ましく抱きながら読んだ。
また、あの「坊っちゃん」事件から三十年ほどが経ち、東京で再会するうらなりと山嵐が、「坊っちゃん」をわけのわからないやつだった、と回想する面白さ。ここがこの小説のひとつの眼目でもあろう。
これらの総合として、この小説はとても面白く、よくできている。だからこそ、創作ノートなどは書かずに知らんふりをしていればよかったのに、と思ったのだった。
なお、解説の坪内祐三が、作者が「創作ノート」を書いたことを、文芸評論家というものはほとんど馬鹿だから、それでわざわざ作者本人が説明を買って出ている、と擁護していた。うーん、そういう援護射撃は、かえって作者を貶めているのではないだろうか。

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ちょっとしたわけがあって、中隅哲郎『ブラジル学入門』(無明舎出版)という本を古本で購入し、読んでいる。
これが、想像した以上に面白く、文学の分野でラテンアメリカの「マジック・リアリズム」という言葉があるが、あれはラテンアメリカの人たちにとっては、ごく身近な感覚のちょっとした延長にすぎないのではないかという気がしてくる。
ブラジルという国は、なにしろスケールが大きい。土地が広大なのだから当たり前なのかもしれないが、歴史上、先住民のインディオや植民してきたポルトガル人以外に、多くの国から移民や奴隷が入ってきて、非常に多元的な文化をつくっている。
たとえば、1877年~79年の大旱魃で、セルトンというブラジル東北部の奥地の地方では、人口の半分にあたる50万人が死亡したらしい(83p)。
 (※このあとにも、やはり1977年の大旱魃によって、ある町での人口激減の例が挙げられているのだが、この人口の数が、Wikipediaの数字を見てもどう考えても桁がひとつ間違っているようなものになっていて、このこと以外にも、「あれ、ほんとにそうなの? 他の資料に当たるとそんなふうには書いていないけど……」という記述が多いように感じるのだが、これを「感じる」だけで精査をしない、まったくのものぐさ精神のままに読んでいるだけであり、まあ話半分数字半分程度に理解することにした)
この「50万人の死」という記述を即物的に読むような読み方によって、はじめて面白いと思えるような本だった。
反対に言えば、3歳の男の子が虐待死されたという事件を取り上げて、その虐待の様を事細かに報じ、またそれを受け取るほうもそのいちいちについて心を痛め苦しむという現代とはまったく異なる態度を強いられるということだ。
なにも僕は、虐待はつねにあったものだし子どもがひとり殺されたってたいしたことではない、と言うのではない。そういうシニカルな態度というのは、ある意味もっとも臆病な人間のそれであり、そういう人間は、いつまでも己が傷つかない場所に居座りつづけ、いつまでも判断停止をするという選択をしただけなのだ。そういう人間の意見を傾聴する価値はないだろう。
僕はむしろその逆のことをあの虐待死の報道について感じていて、ここ数日、Yahooの「人気記事ランキング(?)」のトップに「いかに○○ちゃんは苦しみ傷めつけられ殺されていったのか」についてのヘッドラインが鎮座しつづけているのを苦々しい思いで確認するたびに、こういう記事を、いったいどういう人間が書き、また、いったいどういう人間が読んでいるのかということに思いを巡らせるだけで、人間の心性というものが、時代がくだるにつれ特段やさしくなったり慈悲深くなったりしているわけでもなく、お上品に振る舞うという新しい文化様式を身につけはしたものの、その中身にあるのは、他人の不幸な状況を確認し翻って自身の相対的幸福な状況を再認識するにとどまるという、ごくごくありふれたもののままであることを、これまた再認識するだけなのだ。
「こういう事件は悲しいよね」とか、「あってはならないことだ」と悲嘆・憤慨することじたいは当然ありうることなのだが、ただ、それをウェブ上で意見表明をすることがいったいどういうことなのか、ということまでが考えられることは少ないという気がしている。
もし「あってはならない」というだけのお気楽なコメントが、虐待者や虐待者予備軍に読まれ、それによって彼らが人生の指針をドラスティックに転換してくれると本気で期待しているのだとしたら相当にお気楽であるのだが、しかし、もしそうでないのだとしたら、そのコメントはいったいなにをあらわしているのだろうか。いったい、なにをあらわそうと意図されたものなのだろうか。
これはまさにこの記事の文章にも関わってくることなのだが、現実に起こったなにかの事件を「材料」として平生の自分の意見や主張をすることは、社会への有意義な提言とならない限りは、相当にエゴイスティックな行為なのである。その「材料」により具体性を持たせるために、日を追うにつれよりつまびらかにされていく残虐残酷な事件を追っかけ読んでいるのだとしたら、そこへの自己批判はまったくないのだろうか、という不審が僕にはある。「真実を知りたい」という言葉はマスコミやその情報の消費者がよく口にすることだが、そこで用いられる「真実」と「野次馬的好奇心」との相違をどうか教えてほしい。

話は戻るが、ブラジルでの非常にスケールの大きい各々のエピソードは、野次馬的好奇心というメガネをかけて読めば非常に面白い。げらげら笑えるというのではなく、知らなかったことを知ることができるという意味での面白さだ。
また一例を挙げるが、「奴隷」という単語に脊髄反射をして判断停止をするのではなく、それがいったいどのような歴史を持つのかということに興味を持てば、秀吉の時代、ポルトガルの南蛮船によって日本人奴隷が連れて行かれたという記述に当たることができる。その正確な数字はわからない、としながらもこの本では五十年間で2万人近くになったのではないか、と推定している(165p)。つまり、奴隷というのは商人たちにとっては重要な商品だったのだ。
あるいは、1896年末、アマゾンに作られた豪華なオペラハウスの話などどうだろうか。
Amazon Theatre
見づらいが、場所はこんなところ。当時、アマゾンは空前のゴム・ブームに湧き、それによって大金を得た連中が提案したのが、豪華なオペラハウスを建設すること。この計画が1892年にアマゾナス州議会を通過して定礎式が行われた。ここらへんの描写は面白いので、そのまま引用しよう。
世界で最も富める町にふさわしい劇場をめざして豪華な上にも豪華なものが要求された。金はいくらかかっても構わないのである。劇場の柱、屋根、ドーム、階段、テラスの鉄骨はすべてイギリスで一度組み立てられた後、分解されて船で運ばれた。イタリアからは白大理石が多量に持ち込まれ、ドームの色瓦六万枚は当時ドイツ領だったアルザス地方に特別注文してつくらせた。オペラハウスは六五〇席、舞台は間口三〇m、奥行き一五m、オーケストラ・ボックスは水圧式で三m下がるようになっている。照明は三八〇基。客席の下には水を通し、水冷式の冷房装置を施したのだから驚きである。
(114p)
このアマゾナス劇場が建てられたことにより、オペラ歌手たちだけでなく、フランス、イタリア、スイス、イギリス、ポーランドから娼婦も集まってくる。そしてそのあとにつづく以下の記述がたまらない。
ゴム成金たちはキューバから取り寄せた最高級の葉巻ハバナに五〇〇ミル・レイス紙幣で火をつけた。
(同上) 
これがブラジルの歴史のごく一部なのである。

他にもまだまだある。1899年、ボリビア領事館で働いていたガルベスという男が、当時ボリビア領だったブラジル最西部のアクレという地方に30人の義勇軍(といっても興行に来ていたスペインの喜歌劇団の団員を中心とした男女混成部隊)を引き連れて攻め入った。ガルベスは無血占領に成功したばかりでなく、なんと「アクレ共和国」として独立宣言をし、自身が大統領におさまるも、半年後に辞職し、国は解体した、という嘘みたいな話がある(118p-126p)。
また、第二次世界大戦直後、ブラジル在住の日系人のなかで、敗戦を信じない「勝組」と敗戦を信じる「負組」とが分かれて抗争を起こした。これは、増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』にも書かれていたが、実際に死亡者が23人も出るような大きな事件だったようだ(181p-186p)。現代のような情報化社会では信じられないような出来事だが、当時は情報不足の上の混乱でによって、狂騒状態になってしまったのだろう。

はじめに書いたとおり、こんな話がぽこぽこと出てくる歴史を持つ国々であれば、マジック・リアリズムというのは、大幻想というよりは、現地の人たちにとっては「ちょっとだけ妄想」程度なのかもしれない。
文学者は、想像力によって得たモチーフと作品内でのリアリティとを同時に成立させるために、ときにSFという設定や時代ものという枠組みを必要とする。それらは、小説家にとっては現実よりちょっとだけ向こうにあるのだ。それと同じように、ラテンアメリカの作家たちにとっては、現実のなかに、その「ちょっとだけ向こう」があるのかもしれない。
といったってよく言われる「ラテンアメリカ文学」ってのが流行ったのは1960年代のことだから、すでに半世紀も前の話。現在の南米では、いったいどのような物語が語られているのか、興味深い。

最後に、これはベネズエラになってしまうのだが、Gustavo DudamelとOrquesta de la Juventud Venezolana Simón Bolívarで『Mambo from "West Side Story"』を貼っておく。
音楽も映像もすばらしい。祝祭とはこういうことを言うのだろう。

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大晦日の深夜はテレビもつけずに、ブログを書いたあとは本を読んでいた。スティーヴン・キングの『シャイニング』。そしてたぶん、年明けの瞬間は風呂に入っていたように思う。
『シャイニング』を読み終え、すぐに思いついたのはやはり映画との比較である。実はこの比較についてはWikipediaが詳しく、興味深い記述がいくつか見られるのだが、今回はここから、キング自身はキューブリックの映画作品について批判的だった、という内容だけを引用しておく。

小説は、前半は掛け値なしに素晴しい。主人公の父親、というよりこのジャック自身も僕の考えでは主人公のひとりなのだが、彼が高校教師という職を失い、冬季は閉鎖するホテルの管理人に就職しなければならなかった経緯が遡って語られ、そこではアルコール依存がよりひどくなっていく様子と、そこで起こった警告とも思える不思議なできごとなどが触れられる。その一方で、現在進行形としてジャックはホテルのメンテナンスに携わり、そこでスズメバチの巣と格闘する羽目になるのだが、このスズメバチがジャック家族に襲いかかる災厄のメタファーとして機能している。これらのエピソードのひとつひとつがたいへん映画的であり、これらの描写をもとに映画をつくるのは実に容易いのではないかと思わせてくれるほどだ。
物語は、ジャックだけでなく妻のウェンディの視点でも描かれるし、息子のダニーの視点からも描かれる。面白いのは、彼らは互いを愛すべき対象として認識しているのだが、同時に距離も感じているという点。家族が「絆」を確認するための単純な装置に堕しておらず、それどころか、トラブルの根源のようにも見えるのが非常に現実的に感じられた。
また、ダニーが「かがやき(the shining)」という超能力を持っていることが、この三人の関係をより複雑にしている。ダニーはその「かがやき」によって、子どもながらも両親の思考のぼんやりとした輪郭くらいは把握している。ウェンディはそんなダニーを愛しながらも、その能力の不気味さに少し怯え、またダニーとジャックとの仲の良さに嫉妬している。ジャックといえば、ダニーは寵愛の対象ではあるのだが、自身をアルコールから遠ざけたウェンディに疎ましさを覚えているし、さらに、ジャックはその父親に、ウェンディはその母親に対してトラウマを持っている。この同性の親に対するコンプレックスの図式は後年の『11/22/63』にも見られたので、もしかしたらキング自身の体験に拠るものなのかもしれない。
これらを総じて登場人物の複雑な性格を端的にあらわすことは難しいし、あまり意味はない。大切なのは、キングがそれだけの紙数(文庫本一冊分ほど)を割いてホラー部分ではなく、人物の内面を描いたということなのだ。
ストーリーの後半は、ダニーの予知夢や、ジャックやウェンディの直感が伝えてくれていたように、ホテルのなかに「なにものか」がある/いるということが段々とわかってきて、それが最終的には形をとる。実際に文章中でも、ホテルそのものが幽霊となっているという説明がなされる。ホテルは、ジャックに憑依して最終的には能力者のダニーをその内部に取り込もうという意図を持っているのだ、と。それを知ったジャック・ダニー・ウェンディの運命やいかに、というところなのだが結末までは書かないでおこう(ほとんど書いてしまっているけれど)。

全体の感想を書く前に、キューブリックの『シャイニング』に話題を移す。
十年ほど前に観た映画なので、記憶を頼りに簡単に要約すれば、映画版では、狂ってしまったジャックがダニーとウェンディを襲うという設定になっている。その有名な(と僕が勝手に思っている)シーンが以下だ。アマチュアの物書きでもあるジャックがタイプライターに日がな一日かじりついていったいなにを書いているんだろう、とウェンディが覗いてみると、ある文章だけが延々と打たれただけの紙・紙・紙を見つける。
「All work and no play makes Jack a dull boy.」という文章に対して、「仕事のしすぎでジャックは頭がおかしくなってしまった」というような字幕が出ていたのではないか。
ジャックが狂気に侵蝕されていくために、やはり不気味なホテルの存在は重要で、グロテスクな場面がフラッシュバック的手法によって描かれるシーンはいくつか存在するが、「ホテルそのものが幽霊である」というよりは、「ホテルに幽霊がいる」といったほうが近い描き方であり、それに感化されるような形で、ジャックの頭も文字通り「おかしくなってしまった」ととらえるほうがより自然だ。
その描き方の差異が、まさにキングの批判のポイントだったらしい。原作者の意図がきちんと反映されていない、ということなのだろう。


話はまた変る。
このあいだ弟とスカイプで怖いホラーとそうでないホラーについて、話したことがあった。弟は三津田信三の小説を例に挙げ、きちんとミステリー的結構は満足させつつも、最終的には怪奇現象の存在する余地を残しているところがよい、と指摘。僕も小説『少年十字軍』で、極めて現実的に描写されながら、やはり最終的には「奇蹟」の存在する余地を残した皆川博子の鮮やかな手並みを思い出し、それに同意した。
一般的に、怪談などにおいて動機や理由や結末が不明な話のほうがより記憶に残るし、恐怖心も残ったままになる。おそらく全景が見渡せないことへの不安が恐怖心と直結しているのだろうと思われる。
ホラー映画について考えてみても、主人公たちの恐怖に観客が最高潮に同調するのは、恐怖の対象を完全にとらえることができない時点であろう。反対に言えば、画面内に「なにか」がつねに――しかもはっきりと――映っていれば、それはホラーではなくなってしまう。そこから先はアクションの領域なのだ。真っ暗な部屋と完全に照明の行き届いた部屋とのどちらを怖がるか、ということからもこれらは理解できよう。

なにが言いたいのかというと、キングの『シャイニング』はきちんと伏線が回収され、しっかりと秩序立った物語になっている。それはとても丁寧な仕事と言えるし、クリエーターとしては重要な姿勢だといえよう。しかしその一方で、われわれ読者の感じた恐怖の輪郭線もはっきりととらえられるようになり、当初、測りようもないように思われた不安の形が案外小さいものだったことに気づいてしまう。人間がわからないものに対して抱いてしまう期待・想定・憶測は思いのほか大きく、その実体が明らかになったときには、その反動でどうしても過小評価に落ち着いてしまうのだ。簡単にいえば、「なあんだ」ということ。
具体的にいえば、「ホテルの幽霊」という存在がまだ明らかになっていない時点で、ダニーたちが不気味にも不穏にも感じていたエレベーターや消火ホースなどは、ついにホテルがその正体を隠さないようになってしまえば、ダニーたちの逃亡を妨げる役割を担ったいくつかの装置のひとつに成り下がってしまう。それは、なんだか非常にもったいないことのようにも思えた。
これに反して、キューブリックの『シャイニング』はジャックの狂気にフォーカスしている。この狂気というものは、それ自身は形・姿が見えないものなので、「ジャックが狂ってしまった」とわかったのちも、それがジャックの行動に及ぼす影響・範囲・程度はいったいどれほどのものなのか、ということまではしかとわからない。そのため、視聴者は一定の恐怖心を抱いたままでいられる。そうなれば、ジャックが斧を持って怒鳴り叫んでいるところだけではなく、げらげらと笑っているシーンにも怯えることになる。判然としないがゆえに恐怖を多く見積もってしまうのだ。

ただこれは、あくまでも恐怖にスポットを当てて考えた場合であって、小説『シャイニング』は、特にジャックのホテルにやってくるまでの過去だけをとっても充分に読み応えがある。
また、上にちらと書いたのだが、アルコールの深みに嵌まってしまうというまさにそのときに起こった「不思議なできごと」というのは、物語内では(僕が憶えている限りでは、の話だが)回収されておらず、もし、ホテルの幽霊という存在がなければ、このエピソードはもっと輝き、また重要なものとなったに違いない。そして、キングについて語るときのいつもの繰り返しになってしまうのかもしれないが、相変わらずの固有名詞や事物の描写が徹底していて、われわれの鼻先には冬山に閉ざされた豪奢なホテルが突きつけられることとなる。個人的には、小説では非常に重要な人物となるホテルのコック、ハローランが登場する場面はなぜだかすばらしいことが多かったように感じられた。バカンスをとっていたものの、ダニーの「かがやき」の声を聴いて急遽ホテルに戻ろうとハローランは飛行機に乗るのだが、このとき隣の席にすわった婦人とのやりとりが僕にはものすごく感動的だった。わづか数ページのことで、とりわけびっくりするようなことが描かれているわけでもないのに。

ただ面白い/面白くないというだけでなく(実際に面白かったのだが)、人に恐怖を感じさせるものの正体(のようなもの)について考えるいいきっかけとなった。三十数年ぶりに出版されたという、この続篇『ドクター・スリープ』は当然気になっている。
最後に、深町眞理子の訳は風格があってとてもよかった。金銭登録機(おそらくレジキャッシャーと思われる)という古臭い訳語がいくつか見受けられたものの、1978年翻訳だと思えば仕方のないことだろう。 
なお、文庫の奥付の直前に書かれた以下の文章が気に入った。
*本作には差別的表現ととられかねない箇所があります。これは、作者が描いた人間の心に巣くう悪意や憎悪を、原文のニュアンスに忠実に映し出した訳出の結果であり、もとより差別を助長する意図はありません。読者諸賢が本作を注意深い態度でお読みくださるよう、お願いいたします。
文春文庫編集部 

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山口雅也の『日本殺人事件』を読了。

外国人が抱く誤ったイメージそのままの「ニッポン」を舞台としたミステリ。時代は現代なのだが、帯刀したサムライもいるし、ジンリキシャも走っているし、吉原まがいの公娼街はあるし、とまさに「ハラキリ、ゲイシャ、ニンジャ」の世界なのである。そこへやってきたトウキョー・サムという外国人が私立探偵となっていくつかの事件を解決するという筋なのだが……はじめの「はは、おもしろい」という驚きはすぐに去ってしまい、以降、すべてが予想の範囲を超えることのない展開にいささか退屈を覚えた。
なるほど、誰でも思いつきそうな設定をきちんと細部にわたるまで築き上げるという技倆はなまなかなものではないにせよ、その精巧なミニチュアをすべての人がよろこびたのしむというわけではないだろう。
設定そのものをたのしむ、という読み方ができなかった僕としては、「で?」という言葉が口から漏れ出でてしまうことを幾度封じたことか。「恥」や「わび」や「見立て」など、日本に特有とされる感覚や精神をうまく殺人事件に取り込んでいるのもよくわかる。ましてやこの小説は、著者の山口雅也が雑貨屋で英語で書かれたペーパーバックを見つけそれを翻訳して出版している、という体をとっており、その経緯を冒頭に「覚書」として4ページにわたって記すという凝った構造になっている。まさしく「見立て」の世界だ。
が、それでも「で?」と思ってしまう僕は、読者として贅沢なことを要求しているのだろうか。
麻耶雄嵩の小説のところでも書いたが、箱庭的な世界を呈示されても、どうしてもスケールの小ささというものが気になってしまう。構造が精緻であるからこその嵌め込まれたようなキャラクター描写に不満を感じてしまうし、初期設定以上の奇想天外さのなさ、つまりいわゆる「出落ち感」を払拭できないところに、傑作と呼ぶことをためらわすものがある。
十五年前に読んだ『生ける屍の死』は面白かった記憶がある(といっても、いま読んだらまた違う感想を持つかもしれない)ので、他の作品を読むことはやぶさかではないのだが。

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なんか書名は聞いたことがあるな、くらいの理由で図書館で借りた。三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』のシリーズ一巻目。
なかなか読むのに苦労した。文章も話もストレートでごくごく簡単なのだが、いちいちに腹が立って読み進めるのが大変だったのだ。
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これがヒロインの人。名前忘れた。
主人公の男(これも名前忘れた)が「本が読めない体質」でそれでも本のことがものすごく知りたがっている(意味がわからない)のに対して、古書店店主であるこのヒロインは、極度の人見知りだが、本のことになると一転しておしゃべりになり、また本にまつわることであれば驚異的な推理力を発揮するし、巨乳である(この品のない表現が実際に単語として登場する)……っていう設定なのだが、こういう設定だと知っていたらそもそも読まなかった。
たぶん読者の対象年齢は中高生くらいなんだろう。しかも男子。少年ジャンプとかで、ハーレムもののマンガ読んで温泉シーンとかでにやにやしているくらいの子たち。

極度の本好き(調べたらビブロフィリアって出てきた)とか古書店じたいが萌え属性とか萌え要素と呼ばれるようなものであるというのはわかるんだけど、それ以上の深みはない。総体としてはなんだか薄っぺらい物語だな、という感想を持つばかり。
同じ古書(といっても稀覯本だけど)を扱うのなら、ジョン・ダニングの『死の蔵書』のほうがよっぽど読み応えがあった気がするけど。

逆にいえば、上のイラストにピンとくるひとだったら、じゅうぶんにたのしめるのではないか。四話に分かれている物語も最終的にはきちんとまとまるし、それなりのミステリも提供されるので読めない本ではない。
ただ僕には、読んで価値ある本ではなかった。 

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ひさしぶりの読書、という感じ。麻耶雄嵩は二冊目。前回は『隻眼の少女』で、今回は『さよなら神様』。
図書館でたまたま見つけたもので、作家についてまったく情報のないまま読み始めたのだが、どうやら事件があって謎があってそれを解く、というようなふつうのミステリ作家ではなさそう。
『隻眼の少女』は、簡単にいえばどんでん返しがやたらと起こるのだが、もともとトリックがどうとかにほとんど興味がない僕は、「どうせこれもひっくり返されんだろう」というようなかなり興醒めなページのめくり方をしていて最終的には「つまんなかったー」という感想しか出てこなかったのだが、ネットで絶讃している人の解説を読むと、ミステリというもののマナーにある程度精通しているとその面白さもわかるとしてあって、なるほどそういうものなのかもとは思ったのだが、そういうマナーとかジャンルの枠破壊などの意図は諒解したうえで、「それでもスケールちっちゃくねえ?」という疑問はついぞ払拭されないまま。
それは、たとえばキングの『11/22/63』を読んだときに物語の大きさに文字通り圧倒されたという経験をしたからで(北方謙三の大水滸伝シリーズでもいいよ)、メタなものや前衛的な表現は決して嫌いではないのだけれど、それとスケールの大きさは両立しうるもの(キングや北方謙三はある種古典的な作家だけど)であるということもやはり知っているので、こせこせした箱庭的実験室のようなものを手放しで賞賛することは、たとえミステリをきちんと順序立てて読んできたとしてもなかったんじゃないか、と思った。

で、あまり期待しないで読み始めた『さよなら神様』なのだが、こちらは案に相違してちょっとよかった。
登場人物たちの小学生が信じられないほど高等な会話をすることには初めからツッコまなかったし、そもそも神様が登場することについても疑問を持たずにいた。そういうものなんだろう、と簡単に受け容れることはできた。
キャラクターがどうのこうのではなく、また、トリックがどうのこうのという作品でもないだろうというのは『隻眼の~』で学んでいたので、どのように描かれるのかということに注目して読んだら、最後まですんなりと読めた。短編集なのでパターンのバリエーションが豊かだったということも読書停滞をしなかった原因のひとつ。
とはいえ、ミステリ通でもないし、たとえ通になっていたとしても、ここをあえて通りたいかと問われれば首を傾げる。こういうのが好きな人もいるだろうけれど、僕はいいかな。思考実験のように――ある意味思考実験なのかもしれないが――近しい人物たちが次々と殺されていくのにそれにほとんどショックを受けないような他のキャラクターたちに、こちらのほうがなんとなく飽いてしまうのだ。もちろんショックを受けているという「設定」にはなっているのだが、その描写に重きが置かれていないので、結果、読者としては「(このキャラクターは)なんとも思っていないんだろうなあ」と感じることになってしまい、それから「そういう感想を持つことじたい読み方を間違っている証拠なんだよ」っていう「ミステリ通」の声が聞えてくるような気がしてしまう。
ただ、エンディングの、それまでの物語をある意味放り捨ててしまうようなオチはけっこう好みで、談志『五貫裁き』を思い出させてくれた。

編集
『夏の花』の感想のところに書いたように、今月の頭あたりでニュースの「ご聖断」の言葉にひどく腹が立ったのだが、さりとてここらへんの事情をまったく知らないので、ちょうど映画もやっていることだし、と半藤一利『日本のいちばん長い日 決定版』(文春文庫)を読んだ。

まず、読みものとして非常に面白く、なかなか読書に時間がとれなかったのにもかかわらずあっという間に読めてしまった。
およそ五十ページのプロローグにおいて、昭和二十年七月二十七日、連合国によって発せられたポツダム宣言が無視され、その結果、翌月六日、九日にそれぞれ広島、長崎に原子爆弾が投下され、十日、御前会議において降伏が決定される経緯が説明される。
本篇は、昭和二十年八月十四日の正午より一時間ごとに章立てされている。つまり全体で二十四章。各章は、それぞれいろいろな人物の視点から描かれるのだが、それが非常に格調高い文章によってなされるために、物語の緊迫感はものすごい。

いや、これは物語ではないのである。


本書は客観的事実にもとづいて構成されているらしく、その描写に偏りはないと(それを精査する知識もないのだが)僕は思っている。となれば、あとは読み方の問題である。
たとえば降伏に反対する青年将校たちのクーデターおよびその結末(自決)を、「美しい」とか「潔い」とか「大和魂ここにあり」と読むのか。あるいは、阿南陸軍大臣の切腹に武士の美学を見出し、「ご聖断」をくだした昭和天皇に慈悲の心を感じるのか。

僕はこういうとき、時代の感覚とか価値観というものを見損なわないように意識している。
同年八月十五日午前七時二十一分に玉音放送の「予告」が放送されたのだが、その内容は秘したままで、「国民はひとりのこらず謹んで玉音を拝しますように」という表現にとどまった。
これを聴いた作家高見順は日記に不審の念を書き込んだのち、妻の話を書いている(313p)。
『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね』
と妻が言った。私もその気持だった。
とにもかくにも、こういう時代だったのである(ただしこの文章だけでは、心底にあるのが忠誠心なのか皮肉なのかまでは読みにくい)。
降伏に断固反対し、国体護持のためには臣民すべてが死ぬことをも厭わずとした青年将校たちの考えも、当時としては、ものすごく奇妙な思想の持ち主というわけではなかったようだ。現に彼らは、東大教授の平泉澄の門下生として「自然発生的な実在としての国体観」を学んでいた(178p)。学問の知識というきちんとした裏付けにもとづいて、現人神の天皇というものを信奉していたのである。

しかしそれでも、僕はこれらを、マゾヒズムに裏打ちされた狂信と見なす。あるいは選民意識に偏った狂信。
北朝鮮では、いまはどうだか知らないが、かつて金正日(もっと前は金日成)に対して「将軍さま~」と神様のように敬っていた時代があったが、あの映像を見たほとんどの日本人は、「あーあ、かわいそうに。洗脳されているんだなあ」と憐憫の心を抱いたことだろう。戦前戦中の日本があれと違うとはまさか思わない。日本のものが「正しく」、北朝鮮のものは「間違っている」などとはとうてい思えないのである。
僕は信仰心や宗教の存在に対してはむしろ積極的に肯定するつもりだが、しかしそれがいったん悪意をもった人心操作に利用されるのであれば、断然反対する。
そして戦後、天皇が戦争責任を(少なくとも形式上は)問われなかったことにより、少なくない国民がその信仰心から完全に覚醒できなかったということが、現在にも禍根を残しているように考えている。

原爆や東京大空襲(その他の大空襲も含む)などで亡くなった一般市民たちは、自分たちの思想や嗜好や信仰心にかかわらず、自らの生き死にを自分たちで決めることもできずに――そして一部の人たちはなにが起こったのかもわからないまま――殺されてしまった。しかも、非常に残虐な殺され方で。
同じ陸軍とはいえ、外地に送られた元一般市民の兵士たちのなかには、行軍に疲れ、飢えと渇きに苦しみ、その結果、餓死し、病死した者たちが大勢いたと聞く。田中小実昌の書いたものには、戦闘の描写があったかどうか、ともかく行軍の苦しさしか書いていなかった。
それとはまた別に、昨年の八月から今年の三月までの約半年間、ラジオ番組で桑原征平の父親が実際に参加した日中戦争の陣中日記の朗読を聴いた。これは他のリスナー同様、いつか出版してほしいということを願っているのだが、とりあえず二十五回にわたる音源はすべて保管してある。この日記からは、実際の兵士の生活・戦闘というものが筆舌に尽くしがたいということを知った。ひとつのサバだかの缶詰を十七人で分けるという描写もあったように記憶している。また、三日間寝食まったくないままの戦闘について描かれている部分もあった。平常心では聴いていられないような内容だった。

戦争に行きたくないという若者たちの主張を利己主義だと批判した愚劣な政治家がいた。おそらくあの政治家以外にも、同様のことを考える頭でっかちのマチズモ信仰者は、現在多いと思われる。いったいこの人たちのどれくらいの割合の人たちが、もし実際に戦争があったときに、銃を持って戦場に赴くつもりなのだろうか。

『夏の花』のところでも書いたように、結局すべてのことが、どちらの側に立つのか、という意識によって変わってくるのである。
自分が指揮を採る立場と見なすのであれば、「若干の犠牲もやむをえまい」などと他人の死を軽々に考えることができるが、自らが一兵卒や一市民であると認識しているのであれば、どんなことになろうとも(自分たちの死ぬ可能性のある)戦争は回避しなければならない、と考えるのではないか。
これはなにも、戦争に限ったことではない。原発の問題だって、米軍基地の問題だって根は同じことなのだ。震災直後にあった冗談だが、閣僚たちはみな、稼働中の原発の敷地内に家族ともども住まなければいけないという法律ができればいいのに、というのがあった。対岸の火事だからこそ、人間は冷酷でいられる。

『日本のいちばん長い日』に、八月十四日午後五時から六時のあいだ、終戦の詔書が出るのを待つある朝日新聞記者の独白のような記述がある。
(政府当局に対して)なぜもっと早く戦いをやめることができなかったのか、それは明らかに政府当局や重臣たちの怠慢であり、無責任のためであろう、と思っていた。天佑神助を信じ、偶然を頼み、特攻隊の死力にすべての望みをかけて、誰ひとり敗北の責任をすすんで引きうけようとしなかった。そのため、国民の数十万はいたずらに戦火に死し、住居は灰燼に帰した。そしていま天皇の力によってやっと終戦ときまった。天皇に全責任をかぶせることで彼らは責任を巧みにごま化したのではないか。柴田記者は悲しみの底からはい上り新聞記者の自分に戻ったとき、しきりとなにものかにたいして憤っている自分を発見しておどろいた。
(127p) 
作者は記者当人にインタビューしてこの部分の記述を書き上げたのだろうが、僕はここに皮肉や悪意を読みとってしまう。戦意高揚するような記事ばかりを作成し、大本営発表をそのまま伝えるばかりであった当時の新聞記者である彼自身にはまったく責任がなかった、と自身もジャーナリストである作者が考えたとは思えない。
記者は、自身に責任はないと思っていたからこそこのような「独白」をしたのだろうが、ほんとうに彼にはいささかの責任もなかったのだろうか。
もし彼や彼の所属する新聞社に責任がなかったとでもいうのであれば、彼らは彼らを統制していた当局に責任を求めるであろうし、当局の責任については、上記引用文から察するに誰もそれを引き取る者はいなかったということなのだろう。そして、「(保身のために)天皇に全責任をかぶせる」とこの記者は考え、他の血気盛んなクーデターを目論む若者たちのなかにもそのように考える者たちは多かったようだが、実際には戦後、天皇は引責していない。
形式上、逮捕され裁かれた戦犯にすべての責任があった(だから他のすべての人たちは無辜である)、と見なしているのであろうが、どうも僕はここらへんに曖昧としたものを感じてしまう。


たまたま木戸幸一(当時内大臣で本書にも出てくる)のことをWikipediaで読んでいたら、次のような記述にあたった。
「陛下や私があの原子爆弾に依つて得た感じは、待ちに待つた終戦断行の好機を此処に与へられたと言ふのであつた。それらの心理的衝撃を利用して此の際断行すれば、終戦はどうやら出来るのではないかと考へたのだ。……私ども和平派はあれに拠つて終戦運動を援助して貰つた格好である」
「聖」の側を、日本を和平に導いた歴史的に「正しい」立場と見ることもできるが、一方で、原爆投下を天佑と見なし、降伏への「口実」(鈴木貫太郎)と考えただけの立場と見ることもけっして間違っていない。
『夏の花』の感想のところには書かなかったが、僕はあの小説を読んで、(そういう資格がないのはじゅうぶんにわかってはいるが)自分の心のなかに暗い復讐の炎のようなものを感じた。そしてそれはアメリカに対してのみ向けられているわけではない。
欺瞞というのは、人間の心の底の底に隠れている。正しく・美しく見えるものこそ、その根底に薄汚いものが隠れていることは多い。そういう薄汚いものの上に、僕たちは立っている。

編集
終戦から七十年だからというわけではないが、八月六日だったから原民喜の『夏の花』(岩波文庫)を読んだ。

高校のときに教科書で読んだ記憶があったが、ある部分を除いてほとんど印象を持っていなかった。もしかしたら教科書には、ただでさえ短い小説(二十四ページ)の一部分しか掲載していなかったのかもしれない。
あらかじめ書いておくと、僕の記憶していた部分というのは以下。爆弾が投下され、なにがなにやらわからない状態で主人公が逃げ出したところ、
川岸に出る藪のところで、私は学徒の一塊りと出逢った。工場から逃げ出した彼女たちは一ように軽い負傷をしていたが、いま眼の前に出現した出来事の新鮮さに戦(おのの)きながら、かえって元気そうに喋り合っていた。
(14p)
原爆が投下された直後なのに「元気そうに喋り合っていた」ということに驚いた。それまで僕の知っていた原爆の話といえば『はだしのゲン』しかなく、あの物語ではとてもじゃないがそんな余裕のある登場人物は出てこなかったのだから、それゆえに明瞭に記憶されたのだと思う。

さて、ヘンな言い方になってしまうが、この小説を小説として読むととても奇妙な感覚を味わうと思う。
作者と思われる「私」はいるし、情景描写もあるが、なんとなく(構成という意味での)結構というものがないのである。現実がめちゃくちゃでひどいものだったから起承転結があるわけがない、という理窟はよくわかる。わかるが、それだとしても、ちょっと整っていなさすぎなのである。その証拠にこの「小説」の最後は、それまで一度も登場しなかったNという人物が妻の死体を探しているという描写が一ページとちょっとつづき、そこで唐突に終わる。

(内容に感じたものとは別の)妙に落ち着かない気持ちを感じながら解説を読んでみると、この文章が書かれたのは、1945年の秋だということがわかった。その後いくらかの変遷や修正はあったのだろうが、たぶん基本部分はそのあたりですでに完成していたのだと思う。
その記憶の生々しさが、たぶん未整理な印象を与えるのだろう。被爆時に当然感じたであろう絶望的な苦しみも、読了後の印象としては、はっきりと書かれてはいなかった。どう感じたらいいのか、作者自身が戸惑っているようにも思えた。
作中、次兄がその息子の遺体を見つける場面がある。そこに慟哭は描かれていない。淡々と死体の描写がつづき、ただ、「涙も乾きはてた遭遇であった」と書かれているのみだった。

この作品を読み終えて十日ほど経ったいま思い返してみると、音の印象がない。静寂ということではない。物が燃え崩れ、死に際した人々が泣き叫ぶ場面は出てくる。けれども、それを描いている作者に実際に「音」は聞えていなかったのではないか。もうちょっと正確に言えば、「音」を現実のものとして認識することができなかったのではないか、と思えるのである。
たぶん、目の前で起こっていることのすべてに現実感が追いついていなかったのではないか。


この「体験」を読むことによって、僕はたぶん七十年前のヒロシマに少しは近づくことができたのだと思う。けれども、(いつも書いているように)事実と僕とのあいだには大きな深淵が横たわっている。そこを飛び越えることは一生できない。
だからといって、もう無視はできない。少しのあいだ忘れることはできるかもしれないが、まったく忘れ去ることはできない事実。率直に言ってしまえば、その存在が不快ですらある事実。それを「体験」した人がいる/いたという事実。

8/4にイギリスのBBCが「ヒロシマ原爆投下の『都合のよい物語』」と題して原爆に関するコラムを出した。記事はすべて英文だが、辞書と首っ引きで読んでみると、多くのアメリカ人には、原爆投下は正当なものであり、それによって(戦争をつづけていたら起こったであろう)日米双方の数十万の死者を救ったことになると理解されているらしい。ひどい火傷を負った被爆者のひとりが数十年後、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ号の除幕式を見に行ったとき、多くのアメリカ人に、「おめでとう、あなたは原爆があったから生きてここに来られたんですよ」と言われたという。原爆のおかげで、ハラキリをせずに済んだと。
同記事は、原爆以外の無差別爆撃についても言及している。ナチスのゲルニカ・ロンドンへの爆撃、イギリスのドレスデンへの爆撃、日本の重慶への爆撃。しかしその中でも原爆ほどひどいものはなかった、とBBCは書く。
僕は少し冷静になる。どのような「小規模」の爆撃であっても、そこで傷つき、死に、家族や家を失った人たちにとっては、「これほどひどい行為は世の中にない」と恨むであろうと思った。死者の数の多寡の差は、個人が気にすべき範疇ではない。それは国家であったり歴史家たちが扱えばいい問題であって、個人は、戦争によって生み出されるいちいちの惨禍を忌み嫌わなければいけないのだ。

しかしそれでもなお、原爆は許されざる兵器である。8/6のニュースで取材を受けていた九十代の被爆者は、「まだあの日のまま」ということを訴えていた。別のニュースでは、生前の被爆者をインタビューした映像が流されていた。その人は涙を浮かべながら、「あのときの広島は、原爆資料館にあるような生やさしいものではなかった」と言っていた。
同日、朝のラジオ番組では張本勲のインタビューが流されていた(この音源はABCラジオで期間限定で公開されていたが、現在は削除されてしまっている)。 
僕はこの放送があるまで、張本のおっさんというのは頭の硬い守旧派のクソオヤジという印象しか持っておらず、被爆体験者であることはまったく知らなかった。
自慢のお姉さんを被爆で亡くし、差別を怖れたために自身の体験をそれまでいっさい秘していたという。現役時代も、健康診断でいつ「原爆病」に認定されるかと怯え、誰にも相談できなかった、と。
晩年になってその考えが少し変わり手記を書いて、そのなかに「8月6日と9日はカレンダーのなかから消えてほしい」と書いた。それを読んだ小学6年生の女の子から手紙が届いた。その子は原爆資料館を訪れており、「忘れないためにも、6日と9日は必要だと思います」と訴えた。張本はそれまで資料館の前にまで二回行ったことがあるのだが、怒りと悔しさに震えて二回とも中に入れなかった。けれども、その女の子からの手紙を読んで勇気づけられてもう一度だけ訪れてみて、今度は中に入ってすべてを見学することができたという。
それ以降、自分たちの世代が原爆の悲惨さを直接伝えられる最後のメッセンジャーだということを意識して発言をつづけている。

彼のなかではアメリカに対して恨みもあるのだろうけれど、けれどもこのインタビューのなかでは、戦争や核は人間の所業ではないとはっきりと強く主張していた。どんなに話し合いが長引いてもいいんだ、戦争はしてはいけない、と。
こういうインタビューを聴くと、つくづく人間というのは外から見える部分だけではほんとうになにもわからないものだと、自分を羞じた。ある人が、張本はメジャーリーグを日本のプロ野球より低く見ているけれどそれはおかしいと批判していたが、そう思うのは仕方ないと思う。そう思いたくなって当然だと思う。スポーツの優劣を競争できるという幸福を彼以上に知っている人間は、少なくとも彼より若い世代にはいないと思う。

NHKの原爆についての世論調査で、原爆が投下された日付を答えられない日本人が全国で75%近くがいたということが報告されている。また、それ以上に気になったのは、アメリカの原爆投下を現在の日本ではどうとらえられているか、ということをあらわす数字。
原爆投下についての世論調査
上掲画像のとおり、「やむを得なかった」と答えた人が四割近くいたということで、しかも被爆地でも同程度の数字だったいうことに少なくない衝撃を受けた。
僕は報復に意味があるとは思えないけれど(というより、際限がなくなってしまうことを怖れる、といったほうが実感に近い)、それでも、許せるような問題なのだろうか、と思う。
これよりあとの質問で、「自分も身近な人も被爆していない」と答えた人が、広島市で42.4%、長崎市で32.8%、全国では83.7%もいるということだから、被爆地であるか否かに関わらず、「体験」が遠ければ実感も湧かないという「人のものごとへの感じ方」をこの調査は伝えている。

ここで僕の個人的体験を書いておくと、四歳くらいのときに、はじめて母に映画に連れて行ってくれると約束されて喜んで観に行ったのが『はだしのゲン』のアニメで、上映中に怖くて泣きだして映画館を出たことを憶えている。
以来、原爆の怖ろしさというのは過剰なまでに記憶に刻み込まれてしまい、中学生くらいまでは夜寝るときなど、いつか世界が簡単に吹き飛ばされてしまう日が来るだろうという恐怖にとらわれ、なかなか眠ることができない日などもあった。

原民喜の小説を読んでも、この小説をどういう視点で読むかによって意味合いがまったく変わってくる。核兵器とか原爆とか戦争という単語を、ある種の観念的な用語として扱えてしまうような人間は、読もうが読むまいが感じることはあまりないのではないか。
ちょうどこの小説を読んでいたあたりで、終戦の「聖断」がくだされた非常に重要な場所としての皇居内の御文庫付属室が公開された、というニュースを見て、「聖断」の「聖」の文字に対して怒りが湧いた。もちろんこれは、現在においては「竜顔を拝する」といった類の過去の表現の一種でしかないわけだが、過去の戦争を、その「聖」の側に立って見るのか、あるいは、わけもわからずある日一瞬にしてすべてを焼きつくされた人たちの側に立ってみるのか、で得られるリアリティはまったく異なってくる。
たとえば兵站を論じるときも、兵站線を描く指揮官の立場でそれをとらえるのか、あるいは、汗水流して身の危険に怯えながら実際に物資や食糧を移動させる一兵卒の立場でそれをとらえるのか、と問えば、世の中のたいていの「語りたがり屋」たちは、前者のつもりで口角泡を飛ばすのであろう。
上に書いた、「観念的な用語として扱えてしまうような人間」とは、そういう人たちのことを指しているつもりだ。

張本勲のインタビューで、以下の言葉がとても印象に残ったので引用しておく。広島で被爆し亡くなった人たちについて。
あの人たちは犠牲じゃないんですよ。身代わりだから。他人じゃないの。どっかで繋がっているんだ。親族じゃなくても、友だち、友人、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、どこかで繋がっているんだ。別な県の人でも、(別な)市の人でも、どこかで繋がっているんですよ。わたくしどもの身代わりだから。ひょっとしたらわたしたちがその方たちになったんじゃないかと思うとね……
犠牲じゃなくて身代わり、という彼の発言には、「誰でもありえたのだ」という実感が込められているのだろう。すべてを他人事のようにとらえ考えれば、世の中で怖いものなどなにもなくなる。自身が不測の事態に巻き込まれてしまう直前までは。

戦争への抑止力はなによりも恐怖であると思う。嫌悪感よりも、恐怖。それが自分の身に起こる可能性があれば、人間は回避する策を講じようとするはずだ。しかしいまの日本では、その恐怖をバカにする傾向が見られる。
知識を得る段でも、つねに支配者・指導者の視点に立とうとするものだから、殴られ、蹴られ、犯され、殺された側の人間の気持ちを測ることができない。測ろうともしない。ゲーム的感覚のもたらす万能感の弊害だとも思う。
戦争で犠牲になるのはつねに弱者からであって、僕は自分が間違いなくそちら側にいると思っているので、当然戦争には反対する。バカな政治家がそういう若い人たちの態度を自己中心的だと批判したそうだが、そう言っているやつらこそが、大好きなニッポンの危急存亡のときでさえ1ミリたりとも腰を上げるつもりがないであろう、ということについては批難する余地があるはずだ。


最後に。
解説で知ったのだが、原民喜は1951年(昭和二十六年)に自死している。もともとその妻が原爆投下以前に亡くなっており、その頃から、死別後、一年だけは生きるという考えだったようで、反対にいえば、一年後には自殺するつもりだったのだろう。
原爆の体験は、「このことを書き残さなければいけない」と彼をして思わしめたようで、一連の作品を書き上げたのち、自身の仕事に一段落を認めて死んだのかもしれない。
『夏の花』では、負傷した兵士に肩を貸してお湯を飲ませてやろうとする場面が出てくる。
苦しげに、彼はよろよろと砂の上を進んでいたが、ふと、「死んだほうがましさ」と吐き棄てるように呟いた。私も暗然として肯き、言葉は出なかった。愚劣なものに対する、やりきれない憤りが、この時我々を無言で結びつけているようであった。
(19p) 
原民喜はおそらく自ら命を断つ日まで、この「やりきれない憤り」を抱きつづけたのだろうし、また、他のすべての被爆者たちも、やはりあの日からずっと抱えつづけているのだと思う。

編集
カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)を読んだ。
イシグロの作品を読んだのは『日の名残り』『遠い山なみの光』につづいて三作目。『遠い~』はほとんど印象に残っていないのだが、『日の名残り』については、(少いながらも)僕の読書体験のなかで最上に属するものだったと記憶している。
ついでに書いておけば、『日の名残り』は土屋政雄による翻訳が非常にすばらしかった。 
ここ数日来、頭から離れなかった旅行の件が、どうやら、しだいに現実のものとなっていくようです。ファラディ様のあの立派なフォードをお借りして、私が一人旅をする――もし実現すれば、私はイギリスで最もすばらしい田園風景の中を西へ向 かい、ひょっとしたら五、六日も、ダーリントン・ホールを離れることになるかもしれません。
(ハヤカワeip文庫 9p) 
上記は『日の名残り』の冒頭部分だが、ここから始まる主人公の執事スティーブンスの思い出ばなしは、(翻訳物に対して少し身構えてしまう僕にしては珍しく)非常にすらすらと入ってきて、自然な日本語としてまったくつかえることなく読み終えることができた。これは僕だけの体験かと思ったのだが、母や、僕などよりもっと翻訳ものに接しているはずの弟に尋ねても同じ感想を抱いたらしく、これと指摘することはできなかったのだが「やはりすばらしい翻訳である」と決め込んでいた。
今回、『わたしを離さないで』を読んでいる途中たまたま調べることがあってあるサイトに行き着いた。
このなかにある、「翻訳というより、土屋政雄が日本語で書いた小説なのではないか」というセンテンスに共感を抱いたと同時に、同批評のいちいちにより、なるほど土屋政雄の翻訳は「圧倒的な日本語力」によって成り立っているということを知ることができた。
その土屋政雄が、『わたしを離さないで』を翻訳している。


といっても、この小説の感想を書くのは難しい。
基本的に僕は、ブログで感想を書く際にいわゆる「ネタバレ」を避けるようにしている。それは、たまたまなにも知らないで読んだ人が知らないですませたかった結末や重要なプロットなどを知ってしまうことを避けるためである。
そういう意味で『わたしを~』の感想は書くことが難しいのだが、核心に触れないようにやんわりとぼやけさせながら書いてみることにする。

まず、この小説は軽度の仮想世界が舞台となっている。この世界の社会構造は、物語の背景として非常に重要な設定となっているのだが、便宜上、本記事ではこれを括弧つきの<システム>と呼ぶこととする(小説内ではこのような呼び方はいっさいなされない)。また、主人公のキャシー・Hたちはこの<システム>のなかでこれまた非常に重要な役割を担わされているのだが、これを括弧つきの<ロール>と呼ぶこととする。もちろんこの<システム>と<ロール>の詳細についてはここでは記さないでおく。
この<システム>と<ロール>は、はじめから明かされているわけではない。物語の四分の一ほど進んではじめて明瞭になってくるのだが、それより以前からも、ヒントのようなものが少しづつちらつかされ、なんとなくは予測がつくようになっている。つまり、この<システム>や<ロール>の実態が判明していくことそのものがこの小説の主眼ではないということなのだが、それについては、後述する。

物語は、ヒロインのキャシーの一人称によって、ヘールシャムという施設での幼年時代から語られていくのだが、この「語り方」が非常にうまくできている。というのもその語りは、おおまかにいえば過去から未来に直線的に進むものの、ときおり想起された記憶を挿入するべく「現在」あるいは「近過去」に戻ってくる、という形をとる。そのために読み手も、あるひとつの物語の筋を単調に追っていくというよりは、キャシーの記憶に一緒に沿うような形で過去と現在を行き来するような体験をすることになり、結果、時間的な重層感を得ている。
そしてまたその語りは、いわば霧の向こうにある<システム>や<ロール>の輪郭が明らかになるのを少しでも遅らせるよう、焦らしに焦らす役割も果たしている。

<システム>や<ロール>に関わりのないところでいえば――前述したとおり、それはあらかじめこの世界に組み込まれてしまっているものなので「関わりのない」ところなどあるわけがないのだが――、キャシーは、幼年時代あるいは青年時代にありがちな人と人とのコミュニケーションの様々な場面を語る。たとえば幼年時代のはじめには、キャシーは親友のルースという女の子と一緒に、トミーという男の子が他の男子連中にいじめられ・からかわれるのを遠くから眺めている情景が描かれる。トミーの癇性を知りつつも、そのきれいなポロシャツが泥で汚れることを気にするキャシー。または、いじめられることに同情はしつつもトミーにも原因があると判断するルース。そして、怒りっぽく幼稚だがある意味純真なトミー。けれども、ここから子どもによるいじめの悲惨さ・残酷さが滔々と語られていくわけではない。これらはある意味において、ただの一場面でしかないのである。

はじめは、ふつうの学校であるかのように見えたヘールシャムが、やがてその真の姿をあらわしていく。読者は霧が徐々に晴れていくにしたがって、その奥にあるものをもっとしっかりと見いだせるよう、ページをめくる。
だから、この小説のいちばん表面にあるのはミステリーの形式である。ヒントを手繰り寄せながらもっと奥へと進んでいき、ついには謎の真相を突き止めたいという読者の欲求を、この小説は煽り、そして満足させる。
だからといって、この小説においていちばん重要なのは、キャシーらの負っている<ロール>の残酷さではなく、また、<ロール>を存立せしめる<システム>のあり方について倫理的な判断を問うことではない。これらSF的設定の仮想部分に対する思考実験が最も重要なことであると読むのは、いささか単純すぎるように思う。
もう少し大きくとらえると、この<システム>と<ロール>はひとつの象徴である。それは、よりよい世界と、よりよい世界にするために犠牲になる人々・生きものの暗喩であると僕は思った。
たとえば、医学の進歩には、実験動物の存在が不可欠である。よく大学の研究室が実験動物の慰霊をおこなうなどということを聞いて、「そりゃそうだよねえ」とほっとしてしまうが、ほっとしておそらく想像を止めてしまっている。慰霊してしまえば実験動物は、医療技術の発達に寄与するためだけに産まれ(産まれさせられ)、当事者の望まぬ形で実験されて、やがて死ぬことまで納得するとでもいうかのように。
あるいは、兵器の輸出という問題がある。経済のために国外に兵器を売るという選択をする国民があって、彼らは自国ひいては自身の繁栄のためには仕方がないと考えるが、その兵器の行く末までは考えない。抑止力という考え方を除外すれば、兵器の輸出は「誰かの死」を意味するはずだが、軍需産業の成長を、どこかで誰かの墓標が絶え間なく増えていっていることだと認識する人間は少ないのだろう。
しかしこのように一方的で暴力的で無慈悲な世界においてキャシーたちは、この世界にあらかじめ組み込まれて存在しているためか、その不条理さに傷つくことはあっても、激烈に怒ったり、その仕組みに反抗したり逃げ出すことはなく、淡々と「使命」を果たそうとする。残酷さと純真さとの対照が読んでいるものの心を打ち、震わすことはたしかだ。

しかし同時に僕はこの小説を、もっと単純でもっと普遍的な、人間同士の理解と誤解、別の言い方をするのであれば愛憎についての物語だともとらえている。
この小説に登場する人物のほとんどが、心の底では他人を傷つけることを好んでいないように見える。それは、不条理で厳しい世界だからこそ身につけてしまう優しさなのだろう。けれども読者は、人間の心の底にもうひとつある残酷さもまた見せつけられることにもなる。物語の最後のほうでキャシーを救う側に立っていた人物たちの話す言葉には、本心からの思いやりがあるのも事実だが、しかしその思いやりのちょっと先にある酷薄さといったら!
タイトルに関係のある「わたしを離さないで」という歌と、それにまつわるキャシーの思い出と振る舞いとが、別の人物からはまったく異なるものとして受け止められていたということがわかるとき、人間同士の理解と誤解の対照がひとつの頂点を迎える。
そしてもうひとつのピークが、愛憎のもっとも烈しい人物であるキャシーの親友のルースとのあるシーンに見える(書かないが)。僕は上に「ただの一場面」と書いたが、幼年時代からのその積み重ねによって、ルースの子どもっぽさから来る意地悪さ、辛辣さ、陰湿さ、執着心などが徐々に浮かび上がってくるのを読者は体験する。そしてそれは、キャシーからルースへの、あるいはルースからキャシーへの愛情があるからこそ、余計に複雑な重さをもってキャシーにつきまとうことになる。そしてもちろん、その複雑さはトミーとの関係性にも付随している。
もう一度、「普遍的」という言葉を遣おう。キャシーとルース、それにトミーとの関係は、特殊な世界における特殊なできごとではなく、普遍的なものであり、あまりにも人間的であるがゆえに、いとおしくさえあるのだ。

虐げる者/虐げられる者。強い者/弱い者。愛する者/憎む者。知りたがる者/信じたがる者。そして、新しい世界/古い世界。
この小説のなかには多くの対立構造が出てくるがその描写のやり方はかなり抑制されており、一見、地味である。しかしその静かな手法の奥底には周到に準備された構成が存在しており、その構成はおそらく、二度目以降の読書によって、より豊かに体験できるだろう。
というのも、さきほどぱらぱらとはじめのあたりのページを流し読みした際に、キャシーの人生を追体験≒記憶した僕は文字通りの追憶に浸ることができるのを確認したのだった。この小説をほんとうにたのしむことができるのは、むしろ二度目以降かもしれないとも思った。

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