とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 演劇

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NHK-FMのラジオドラマ『FMシアター』は毎週チェックしている。このひと月半ほどは録音はしたものの未確認という状態なので断言はできないのだが、今年のラジオドラマのベストはすでに決まっている。しかも2作品。
それについては別のところで言及するか、あるいはしないとして、今回は三谷幸喜(東京サンシャインボーイズ)の舞台版『ラヂオの時間』(1993)の感想。
 
映画版は観たことがあったのだが、舞台版ははじめてで、「へー、YouTubeにあるんだあ」となんの気なしに観始めたのだが、面白くて、見終えてからもう一度あたまから観直した。

最初の驚きは、「伊藤俊人!」 だった。調べたら40歳のときに亡くなっていたんだなあ。テレビで観るときにはきまって脇役という印象だったが、舞台だと準主役くらいの位置づけ。あの黒縁メガネはキャラづけのためだったのかも。

僕はそれほど三谷幸喜の良いファンではないので鑑賞体験は少ないのだが、それでもこれは三谷作品っぽいと感じられた。あまりにも興味深かったために、登場人物たち12人を性格でグループわけをしてみると、以下のようになった。
 
『ラジオの時間』の登場人物グループ分け
A: 日和見主義B: 自分本位C: 常識人
プロデューサー(西村雅彦)メアリー(斎藤清子)脚本家(宮地雅子)
ディレクター(甲本雅裕)ドナルド(小林隆)アナウンサー(相島一之)
-
ボブ(伊藤俊人)神父(阿南健治)
-
構成作家(野仲イサオ)AD(西田薫)
-
脚本家の夫(近藤芳正)音響(梶原善)

こう整理してみると、物語はCグループだけでは絶対に動かない。少なくともシチュエーション・コメディである三谷の舞台では。
まとめる前の印象では、ほぼ全員がトラブルメーカーだと思っていたが、実際はそうではない。おそらく半分くらいはまともな人がいないと、話じたいが安定しないのだろう。このバランス感は憶えておくとよいかもしれない。役に立つかどうかは知らんけど。
なので、Cグループの人物たちが物語の基本線を定めているところへ、AグループやBグループの人物たちがズレを起こしそれによって笑いを生じさせる、というのが基本的な構成となっているはずだ。といって、Cグループの人たちは四角四面で面白くないというわけではなく、マルチン神父やアナウンサーのように笑いをとるシーンがいくつもある場合があって、ほんとよくできているなあと思う。

この舞台版を観ていてもうひとつ気になったのは、主役が脚本家ではないということ。あるいは、脚本家だけではない、と言ったほうがより適切か。
映画版では、完全に鈴木京香の視点から描かれていたように記憶しているのだが(けっこう前に観たもので断言はできないのだが) 、舞台版では、西村雅彦扮するプロデューサーが主役のように思えてくる。
いろいろなところで僕は、この物語のなかの西村雅彦(映画版でも同役を演じている)のセリフが大好きだということを吹聴している。彼が役者たちのわがままに応えるため次々と脚本を書き換えさせてしまうので、ついに脚本家に(時間がないのに)「すべて録り直してほしい」とクレームを受けたところ。演劇版のものを引用すると、
ぼくらは遊びでつくっているわけじゃない。自分のやりたいことをやりやすいようにやる、それは趣味の世界の話です。
妥協して妥協して妥協して、自分を殺してまで作品をつくりあげる。われわれはそういうところで仕事をしている。いいものはできませんよ、それは。でもやらなきゃいけないんです。垂れ流しでもいい、不本意でもいい、とにかく放送しなきゃいけないんです。
でもわれわれは信じている。いつかは満足いくものがそれでもできるはずだ。その作品に関わったすべての人が満足できて、そしてそれを聞いたすべての人も満足できる。
でも今回はそうじゃなかった、それだけのことです。
いつも自分の満足いくものが書きたいのなら、あなたこの世界に足を踏み入れるべきじゃない。ご主人相手に自分で読んで聞かせてあげていればいいんです。
となる。
映画版でもここにはやはり主眼が置かれていたような記憶があって、「ああ、これは三谷本人の言葉なんだろうなあ」と感じられた。もしかしたら、これを書いたときの三谷が、若い頃の三谷に送った言葉なのかもしれない。いや、三谷幸喜の若い頃ってどういう人だったか全然知らないんだけど。
で、僕が西村雅彦を主役(のひとり)と感じたことが、「正解」か「不正解」かなどということは実はどうでもいい。そんなものはない、というほうがより「正解」の気がするくらいだ。そんなことより、「主役は脚本家だけじゃないんだなあ」と感じられた理由のひとつに、舞台という空間に登場人物たちが並列に配置されていることがあった、そのことのほうが面白いことのように思える。
厳密にいえば、上掲動画は舞台を撮影しているものであって、しゃべっている役者などにクローズアップなどしてはいるものの、俯瞰して舞台の全景が見渡せるようなシーンが多めに感じられた。これが、実際に舞台を観劇した人たちからすれば、もっと並列に観られたはずで、しゃべっている役者に注目しながらも、なんとなく空間全体を把握していたはずである。これはわれわれの日常生活と一緒で、誰かがしゃべっているとき、その人に視線と耳を傾けるものの、一方では、周りを歩いている人や車などをなんとなく視界に入れ、その音も意識下で捉えているものである。
映画(映像作品)の場合、あたりまえの話だが、観客はカメラの向けられているほうしか観ることができない。そしてそのカメラは、主人公の視点もとるし、他方で第三者(あるいは神)の視点もとる。ある意味で映画は、「観る」というよりは「(監督の意図した形で)見せられている」に近いのかもしれない。自然か不自然かでいえば、圧倒的に不自然だ。
もちろん、舞台に演出意図がないわけではない。スポットは当たるし俳優の立ち位置も変わるし、だいいちセリフに軽重がある。けれどもそれは、(映像作品にくらべれば)あくまでも日常生活の延長線上にあると観客が感じられ、映像作品のような「不自然」な視点は得にくい。
これらのことが理由で僕は、西村雅彦演じるプロデューサーの言動になにかの芯のようなものが感じられ、単なる「クライマックスになったときだけいいことを言う人」ではない、作者が持っている――とこちらが勝手に推測しているだけなのだが――映像世界(ラジオ世界じゃなくて)の「プロ」像を体現した人物のように思えた。

映画版のラストは忘れてしまった。登場人物たちが「いろいろなことがあったけど、まあなんだかんだで、いい仕事したよね。それじゃあバイバイ、またどこかで会えたらいいね」みたいに別れる、なんてまるで『アメリカの夜』のようなエンディングの形で記憶しているんだけど、そもそも『アメリカの夜』も一度観たっきりなので、うろ覚えにうろ覚えを重ねただけ。
それはともかく、舞台版のラストは(もしかしたら映画版と同じかもしれないけれど)いい。「いつか」はいまこの瞬間なのだ、と。 

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午前六時。インターネットの天気予報。奈良市。快晴。一日中、快晴。数時間の軽作業。
観終えていなかったDVD。3/3。準備。宿泊用の下着。予約の確認。地図の印刷。時計。走り書きのチェックリスト。ふたつのカバン。眼鏡。メール。十二時半。出発。
慣れた道。慣れない道。経験。カーナビの指示。じりじりとした陽射し。エアコン。灼けていく右腕。24号線。直進。標識の文字。「奈良」。寝不足。カーステレオ。ヴォリューム。音楽。音楽。音楽。
旧型のナビ。一瞬のずれ。通過。左折。右折。Uターン。混乱。再検索。新たなルート。渋滞。ずれ。また、混乱。時計。予定時刻。混雑している街中。人力車。着物。鹿。観光客。様々な人たち。一方通行。再検索。迂回路。大回り。二回目の「県庁前」。多くの車。右折。狭い道。多くの通行人。興福寺。猿沢池。通行人の視線。右折。右折。右折。
駐車場。自動扉。受付。チェックイン。ふたつの指輪。黒メガネ。黒スーツ。部屋の説明。6つのベッド。電子キー。道案内。地図。タイムリミット。ふたたび猿沢池。目抜き通り。商店街。汗。人混み。観光客。スピードの違う歩み。人の壁。焦燥。汗。
近鉄線。切符。改札機。ホーム。急行。過ぎてしまった予定時刻。窓の外。平城宮跡。鉄骨の設営。小さな歓声。
待ち合わせ。書かれなかった掲示板。つかわれなかった公衆電話。ストール。眼鏡。人見知り。顔合わせ。仮りの名前。


いったいに、芯/真/心のない書き手は物事の核心に迫ることができず、いつもその周辺をぐるぐると巡るだけで終わってしまう。さもなにかがあるような見せかけに苦心したり、韜晦を意図したまわりくどい表現に専心したりするが、実のところそこにはほとんどなにもない。僕もまた、そうだ。

今月の半ばあたりに、維新派の最終公演を観に行った。誘ってくれた方があったからで、チケットはその方が用意してくださった。僕は他人の話を聞かない子だが、その方はきくこさんという。
前回、二年前に維新派を観に行ったときには、その一回性に衝撃を受けたことをよく憶えている。通常の舞台演劇でも、繰り返しのない、という意味で一回性を感じることは多々あるが、野外公演だとそれ以上に「そのときだけ」の特別さが存在する、ということを知った。
だから僕は今回も、前回以上に舞台に辿り着くまでのことをなるべく記憶しておくように意識しておいた。記録ではなく、あくまでも記憶にとどめたが。
まずはくどくどしいエクスキューズを並べ立てることになるのだが、今回の最終公演を観るにあたり、今公演にたいへん関わりの深い作品を含んだ<三部作>のDVDをほぼ一夜漬けの状態で鑑賞した。それぞれ、『nostalgia』『呼吸機械』『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』で、特に最後の『台湾の~』を再構成したものが、今回の『アマハラ』ということになっている。僕が『台湾の~』を観終えたのは、『アマハラ』の始まるたった6時間前だった。
「予習」のための鑑賞だったが、かえってそのせいで記憶が混乱していることは否めない。もともと物覚えのあまりよろしくない僕の脳味噌は、『台湾の~』『アマハラ』だけでなく、『nostalgia』『呼吸機械』をも一緒くたにして小さなスペースに放り込んで保管を試みたために、いまではそれぞれの細部が分かちがたくくっついてしまって、扱いに手を焼いている状態だ。
芝居がはねたのち家に帰って来てからパンフレットを読み、それから、DVD BOXの特別附録である「解説書」に気づいてそれも読むことで、僕が観劇中に覚えた率直な疑問というものは若干ながら解消された部分もあった。
また、観劇後、幸運にも劇団員の方と少しだけお話しする機会があって(きくこさんのお知り合いだった)、そのときに質問していくらか判然とした部分もあった。
しかし、今回の記事において、これらはあえて「知らないこと」とすることにした。前者をあまりにも参考にしてしまうと、ソース至上主義に陥ってしまうというか、僕の主観を枉げてまで公式の記述に沿おうとしてしまうし、後者の場合は、軽く酔った状態(そのときはすでにふたりで一本のワインを空にしていた)で伺った話をもって、賢しらに事情を知っている風を装うのはいかにも野暮天だし、だいいちそのお話はあくまでも相手の厚意があってのものであるからして、吹聴すべきではないと考える。
けっきょく僕は、いくばくかの資料を参照するにとどめて、箸にも棒にも掛からぬような茫とした感想を書き散らすのみだ。


待ち合わせをした近鉄線の大和西大寺駅から歩いて20分ほど。道々に立つガードマンや張り紙が会場の場所を教えてくれる。平城宮跡というのはだだっ広い場所で、感覚で言えば公園みたいなものなのだが、あまりにも大きく立派すぎてかえってちゃちに感じられてしまう大極殿(高野山の大塔にも似たようなものを感じた)以外には、高い建物どころか背の高い木すらもあまりないのでかなり遠くまで見渡せることができた。
がやがやとした音を頼りにして、大極殿を左に少しだけ進めば、たくさんの鉄骨の足場で囲まれた維新派の会場が見えてくる。

会場内は、特設された飲食の屋台が円状に配置されていて、紙芝居をやっているところやバンド演奏用のステージもその並びにあった。そして中央にはサーカス用の高いブランコがあり、異国情調のあふれるこの空間のいい意味でのいかがわしさの印象を決定づけていた。
ishinha02
ishinha03

それぞれに軽くアルコールを口にして円内をぷらぷらと周っているうちに開場時間となり、われわれは早々と席に向かった。
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実際はこれほど暗くないのだが、太陽に露出を合わせるとこんな感じになってしまう。かといって、廃船のステージのほうに露出を合わせると、ちょっとあけすけなくらいに明るくなってしまうので、今回は暗めで。向こう正面に見えるのはたぶん生駒山。
開演時間は日没――太陽がちょうど生駒山にかかって沈んでいく――の時間に設定され、そこから逆算して開場時間が設定されたのだろうと思う。観客は席に着くと同時に「うわあ」と感嘆の声を隠さず、思い思いにカメラやスマートフォンにこの光景をおさめていた。
そして、午後5時15分ちょっとすぎに、なんの合図もなく下手から人物が出てきた。
廃船の骨組み。光線。白塗りの男の子。白の帽子。白の半ズボン。白のスニーカー。沈んでいく太陽。落ちていく光量。誰かの咳払い。山の稜線。深呼吸。物語の始まり。


舞台は廃船のイメージで設計されている、というのは事前に知っていたことだった。
船という言葉はノアの箱舟をすぐさま連想させるし、「アマハラ」というタイトルからは(もしそれが「天の原」という解釈をしてもよいのなら)やはり容易に「遣唐使」を想像させる。
また、『台湾の~』で、それから『アマハラ』でも、「バランガイ」というフィリピンの島々の最小の生活単位をあらわす言葉を説明する場面があった。ダバオ(ドゥテルテのニュースで僕はこの地名を知った)でマニラ麻をつくっている日本人と、その妻(原地出身)は、このバランガイという言葉はもともと「小さな舟」を意味する、と言うのである。
僕の目の前にあった廃船には、これらのイメージの残滓がきっとそこここにあるはずだった。大小にかかわらず、かつては人やモノや、希望を内包していたもの。
骨組みだけとなった船で、(維新派ではある意味「スタンダード」な登場人物ではあるのだろうが)白塗りの子どもたち、あるいは大人たちが縦横に移動していると、どうしても現世に引きずられたままでいる魂たちが戯れている情景のように見えてしまう。この世に念を残している、というほどではない、うつつと幻のあわいにあるものたちの戯れ。
そして、いわば「遊び場」の舞台となっている廃船ですら、いろいろな意味や象徴を担ってきた船そのものの残骸なのかもしれず、場そのものが非現実性を帯びているように感じられた。

帰って来てからはじめて読んだパンフレットには、脚本家でもあり演出家でもある故・松本雄吉(以下、「作者」と表記する)は、今回のコンセプトを廃船にしたその理由をあまり説明していなかった、と書かれていた。ただ、いくつかの証言をもとに、「海のない奈良のど真ん中に大きな船があるという、シュールレアレスティックなビジュアルの面白さ」や、平城京を「海の向こうからやってきた様々なモノが、最後にたどり着く港のような存在の場所」ととらえること、が作者のなかにあったのではないか、と推察されている。
その部分を読んでいて、「海のないところにある船」の超現実性は、実は東日本大震災の大津波のときにもあった、ということが思い出された。
あの陸に乗り上げてしまった大きな船の姿はもちろん、とうてい面白おかしくとらえられるものではなく、その反対に、いままでふつうに存在していたものがあるときを境にまったくその姿を変えてしまうということを、現代に生きるわれわれが戦慄とともにまざまざと見せつけられた瞬間のひとつだった。
それが作者の予期していた舞台のイメージにリンクしているかどうかはわからないのだが、僕の記憶のなかで編集(ある意味において改竄)が起こり、「巨大な変化によって打ち捨てられてしまったもの」の印象も付与されることとなってしまった。

ここで、今回の公演だけでなく、DVDの<三部作>を観ていて感じられた維新派の音楽性について、少し書いておきたい。
これは前回(『透視図』)の観劇の際にはあまり感じられなかったことで、その理由を考えるに、おそらくは初めて観たものについて驚いてしまい、まずは役者の言葉と表情と芝居の構成をとらえるのに必死だったからだと思う。ヒップホップで言うところの、リリックとフロウに気を取られ、トラックにまで意識が向かなかったということになるのだろう。『透視図』の場合でいえば、エンディングのときになってやっと音楽が生演奏されているということに気づいたほどである。
生意気にも上に「音楽性」と書いたのは、実際に背景に流れている音楽そのものだけでなく、役者たちの踏み鳴らすステップや、ダンスの動きなど(今回は役者が木片をリズミカルに叩いて音を出している場面もあった)が重層的に構成されていることに意識的になったからであって、これも<三部作>を観ていて気づいたことなのだが、変拍子同士のぶつかり合いが異化と調和を生み出し、(こういう言葉を専門外のさらに外にある人間が気軽に用いてよいとは思わないのだが)ポリリズムとなって観客に意識下の快感を与えているのだと思う。

さらに管見/独断/決めつけを開陳すれば、維新派の作品を何本かまとめて観て、作者はあまり言葉を信用していなかったのではないか、ということが強く感じられた。より正確に言えば、「言葉を信用していない」というより、「『言葉だけ』という状態を信用していない」というか。
僕のような初心者が一般的な演劇というものを思い浮かべるとき、ある程度のリアリティを備えた舞台の上に立った役者が、表情をともなってセリフを発することによって物語が進んでいく。観客席側からすれば、表現の理解の手がかりとして舞台上にあるのは、だいたいにおいて役者の表情とセリフのみということになり、だからときには、素舞台と呼ばれるような舞台装置のまったくない空間で、役者の演技のみで成り立たしめる演劇も存在するのだろう。つまりそれほど、言葉というかセリフというものは演劇において重要なのである。
しかし、維新派にあるセリフ(?)というのは、単語とかキーワードを羅列/連呼することが多く、「一般的な舞台」に較べれば、いわゆる文章になっているものは比較的少ない(もちろん、ないわけではない)。これはおそらく意味を極限まで剥ぎ取ろうとしているからだろう。
たとえば、「今朝は、えろう冷えたなあ」「ええ、ほんとに」「寒くて起きたわ」「今年いちばんでしたね」という会話がけさ実際にあったのだが、これをふたりの人間が演じると、老人とそれよりは若い人間が、地元の言葉と標準語を介して、おそらくは秋の深まった頃にコミュニケーションしている、という情報が即座に得られる。それからすぐに、なぜふたりの用いている言葉が違うのか、なぜ年齢差がある人間が話しているのか、などの疑問もすぐに増え、十秒にも満たないやりとりが聴き手に与える情報は意外に多い。
これを「寒い朝」「寒い朝」「寒い朝」「寒い朝」と4回連呼すればどうなるのか。できるだけ無機質に、「サムイアサ」「サムイアサ」「サムイアサ」「サムイアサ」と繰り返すだけであれば、聴き手には、「寒い朝」が存在している、ということ以外はなかなか伝わらない。
より多くの情報を与えることこそがいい芝居、という観点に立てば、この「4回連呼ヴァージョン」はよろしくないということになるのだろうが、より多くの情報を与えることだけがいい芝居というわけではない、という観点に立てば、これも「アリ」ということになる。
それでは、なぜ意味を剥ぎ取ってしまおうとするのだろうか。前述したように、作者が「言葉だけ」という状態をそれほど信用していないからではないか。この場合の「言葉だけ」というのは「セリフだけ」というのに近い。セリフの文章を解体し、言葉を最小の単位にまで分解してしまって、単語というよりもっと音に漸近させ、それを発声させる。
ならば、表現は比例して貧弱になるのだろうか。否。役者には動きがある。これは『nostalgia』の最初、グラウンドで少年たちがスポーツをしているらしきダンスを注視するとわかりやすいのだが、われわれが日常生活(この場合はスポーツだが)で行なっている動きをやはり分解し、ときに抽象化、ときに過剰化、ときに戯画化して再構成していた。そして多人数で、異なるリズムによってこの再構成が行われるものだから、あちこちでまた拍子のずれと調和が生じ、観るものを飽きさせないようになっていた。
リズムといえば、『台湾の~』(かあるいは『nostalgia』かもしれない)にはあって、『アマハラ』にもあったと思うのだが、年号を連続して発声していく場合、「1931、1932、1933、1934……」とやっていけば、いちばん観客にわかりやすい。「イチキュウサンイチ、イチキュウサンニィ、イチキュウサンサン、イチキュウサンヨン……」という要領である。
しかしこれを、わざと「01、93、11、93、21、93、31、93、41……」という区切り方で連呼する場面があって、これが聴いていて非常に気持がよかった。「ゼロイチ、キュウサン、イチイチ、キュウサン、ニィイチ、キュウサン、サンイチ、キュウサン、ヨンイチ……」といった按配で、この「キュウサン」へ再帰していくのリズムのよさが快感を生み出すのだろう。
非常に興味深いことだが、いったん意図的に意味を失わされた言葉たちが、役者たちのある意味機械的なダンスとリズムに乗って、無機質に発声され繰り返されていくことによって、当初持っていた意味以上の価値や感覚を観客に与えることになる。何度も繰り返しになるが、作者が「言葉だけを信用しない」と書いたのは、役者の表情とセリフとだけに頼っていないということだ。音楽やダンスは、ときにセリフ以上に雄弁になる。

もう少しついでに言うと、すべての登場人物たちに施されている「白塗り」も演者の性・年齢・表情を剥いでいる。だからというわけではないが、『台湾の~』でのM4(シーン4みたいなもの)の「おかえり」の情景には特別な衝撃を受けた。このシーンでは、(僕にとってはということだが)珍しく女性が髪をほどいておろしている人もあったのだ(もともとショートカットの人はそのまま)。はじめは、あれ? こんなところに女性がいっぱい、どこに隠れていたのだろうか、と素直に思ったのだが、観ていくうちに、反対に、いつも「白塗りの少年」を演じているのはこの人たち(の一部)なのかもしれない、ということに気づき、ふだんは鬘をかぶって髪型を隠していることにも気づいた(たぶん)。
しかしこの「おかえり」の衝撃は、その外観のみにとどまらない。ここで11人の女性に唄われる歌詞が非常にすばらしかったのだ。
以下は、『台湾の~』の動画を何度も何度も繰り返して、なんとか聴き取れた部分のみを書き起こしてみたもの。
(前略)
冬よか春、春よか夏、夏よか秋、秋よか冬
椿やよ、桜やよ、菖蒲やよ、紅葉やよ
梅よか桃、桃よか藤、藤よか菊、菊よか萩
水仙よ、躑躅やよ、向日葵よ、楓やよ
芽吹きの春、伸びきる夏、色づく秋、枯れる冬
芽吹いて、芽吹いて(おうよ)、開いて、伸びて(おうさ)、色づき、色褪せ、枯れて、散る(おうさ)
ちょと来い、ちょと来い(ピー、ピー、ピー)
ちょと来い、ちょと来い、ちょと来い、ちょと来い(ピー、ピー、ピー、ピー)
ちょと来い、ちょと来い

緑は、金銀(おうよ)、赤なら、錆色(おうさ)
色づき、色褪せ、枯れて、散る(おうさ)
冬よか春、春よか夏、夏よか秋、秋よか冬
ちょと来い、ちょと来い(ピー、ピー、ピー)
ちょと来い、ちょと来い、ちょと来い、ちょと来い(ピー、ピー、ピー、ピー)
ちょと来い、ちょと来い(ピー、ピー、ピー、ピー)

ちょと来い、ちょと来い(ピー、ピー、ピー、ピー)、ちょと来い、ちょと来い

お・か・え・り、お・か・え・り、お・か・え・り、お・か・え・り
おかえり、おかえり、おかえり、おかえり、おかえり、おかえり、おかえり、おかえり
お・か・え・り、お・か・え・り、お・か・え・り、お・か・え・り

小魚じゃ、小魚じゃ、網もて来い、掬たろかい
うじょうじょおる、うじょうじょおる、掬たろかい、網もて来い
うじょうじょおる、うじょうじょおる、小魚じゃ、小魚じゃ
取て食おか、飼うたろかい、金魚鉢で、飼うたろかい
尾びれ見してみ、背びれ見してみ、銀の鱗や、割れてみせまい
血の管見せいま、血の管見せいま、ぷくぷくしとる、どくどくしとるね
どこまで行たんね、川行てきたんか、川行てきたんか、岬の灯台
地球の裏側、地球の裏側、えらいとこ行たね、地球の裏側
天と地、逆さまや、上と下、逆さまや
右左、あべこべや、昼と夜、逆さまや
桃源郷、桃源郷、銀の川、銀の川
水が銀、黄昏や、白銀や、流れが銀
縁も銀、石も銀、花も銀、埠頭も銀
そら眩しい、白銀や、白銀や、そら眩しい
ラプラタ川、銀の川、ブラジルや、ラプラタ川
楽土やねえ、桃源郷、桃源郷、楽土やねえ
(後略)
少し長めの註記をつけておくと、上の歌詞、いくつかの部分は自分でも全然納得していなくて、「緑は、金銀、赤なら、錆色」なんていうところは、おそらく正しくない。あと、「割れてみせまい」とか「血の管見せいま」の部分もきちんと方言を理解できていないから、これまた全然不正確だろう。意味合いとしては、小魚に対して「血管見せてみい」みたいなことなんだろうと思うが。
劇団の方とお話しする機会があったと先に書いたが、一点だけその内容をここに記しておくと、この「おかえり」の文章は中上健次の『千年の愉楽』からの引用(あるいはそれに依拠している)とのことだった。となると、新宮弁だろうか。

話は逸れるかもしれないが、こういう聞き取り・書き起こしを試みると、人間の認識機能というものが、細部の情報は不正確ながら全体としては大まかにとらえることにいかに長けているかということがよくわかる。僕も意識的に聴いてみるまでは、「なんか『椿やよ~』とか『すくたろかい』とかの方言があって、そのハーモニーがとてもきれいな歌」くらいな説明しか人にできなかったのだが(実際そのように説明していた)、その「方言」なり「ハーモニー」なりがどのように構成されているか、なんてことは一回聴いたのみの時点では、ほとんど把握できていなかった。といって、その素晴らしさとか見事さなんていうものはきちんと認識できていたのである。
『アマハラ』を観終えたとき、近くの人が「すばらしかったねえ! よくわからへんかったけど」みたいな感想を言い合っていたが、たぶんそれは正しい表現なんだとも思う。「よくわからへん」のは細部についてのことであって、全体としては感動したり感激したりしている、という体験はありうるからだ。
細部の記録/記憶に拘泥するより、全体の把握に努めることによってしか見えてこないものがあるし、たぶん多くの人は無意識のうちに後者の行為を選択しているのだと思う(あくまで「直感だけど」の前置きをつけて書けば、性質的に前者のようなタイプ、つまり細部にこだわりつづけてしまうために全体を把握できないという人も少なからずいるだろうとも思う)。
また、維新派の表現も、そういう点を十全に理解したうえで構築されているように感じる。名詞を次々に挙げていくような場面も、その個々にとらわれているうちは単語としての微弱な力しか感じることができないが、流れが見えてくれば、その言葉遊びの遊戯性や詩的飛躍に身を任せることができる。

詩という言葉でさらに脱線をしていくと、およそ舞台というものの優れた部分に、生身の人間が詩的言語を発しているのを聴くことができる、というのがある。歌もまあそうなのだが、あれは音楽というものの上に乗っかっている部分があるから少し別で、もっとシンプルに、朗々と詩を言葉に乗せていくというのを聴ける愉しみというものは、僕にとって小さくない。
『台湾の~』のタイトルにもなっていて、『アマハラ』でも用いられていたこの少し長い文章は、ウルグアイ出身のフランス人、ジュール・シュペルヴィエルの詩に基いている(以下、DVD BOXに附属していた「解説書」に拠る)。
灰色の支那の牛が
家畜小屋に寝ころんで
背のびをする
するとこの同じ瞬間に
ウルグヮイの牛が
誰か動いたかと思って
ふりかえって後ろを見る。
この双方の牛の上を
昼となく夜となく
翔びつづけ
音も立てずに
地球のまわりを廻り
しかもいつになっても
とどまりもしなければ
とまりもしない鳥が飛ぶ。


堀口大學訳
こういう詩が、あるいは詩的な長めの文章が、人の声帯を経て、しかもその波を生で感じられるという体験は、もはや現在ではほとんどなくなっているのではなかろうか。
以前、はてなブログに嫌いな人間がいたのだけれど、そいつがいつか自分のブログの記事に野田秀樹『半神』の一説をそのまま引用していたことがあって、そのときだけは少し嬉しくなってしまったことを思い出す。
補足として、講談や落語の一部にも(一般の人にとっては詩的ではないかもしれないが)朗々と語る部分が見られ、『寿限無』は言うに及ばず、ぱっと思いつく限りでも、志ん朝なら『大工調べ』で因業大家に棟梁(とうりゅう、と読みたい)が啖呵を切るところ、『黄金餅』の所名尽くし、枝雀でいえば『高津の富』で二番籤が当たると信じて疑わない男の「籤が当たったらどうするつもりか」を長々と繰り返し語るところや、『愛宕山』の冒頭、ふたりの幇間(たいこもち、と読みたい)が京都の旦那と女子衆を引き連れて愛宕山にのぼり行くことになった経緯の部分、などが挙げられる。ここらは実に何度聴いても気持がよいが、この快感の裏には、「朗々と語る」という行為のなかに潜む呪術性があるのだと思う。

「おかえり」に話を戻すと、いままではその言葉についてだけ書いてきたが、そのときに掛け合い、ときに重なり合うリズムも絶妙で、発声するときの姿勢もやはり不自然に固定化された独特のポーズであったりして、これはいい意味で言うのだが、「この世のものではない」感じが言葉の意味を二重、三重に増幅させている。

「この世のものではない」で、また寄り道。
『台湾の~』、『アマハラ』でともにM7に位置する「ワタシハ声、ハラマイ、ハラマイ」に出てくる、つばの広い帽子をかぶり、決してその面がこちらに見えない女性たちは、まさにその「この世のものではない」感じがよく出ていて、しかもそのしゃべる言葉のうち、ほとんどというか、まったくわからない部分があるために、ほんとうに呪術をかけられているんじゃないか、と思えるくらいのインパクトがあった。しかしそのインパクトの反面、言葉というか音の柔らかさ・リズムのよさ、奇妙な振り付けの持つある種の宗教的儀礼の要素みたいなものがあるために、総体としてヒーリング・ミュージックを聴いているようで(やはりいい意味で?)眠りそうになってしまったことは正直に書いておく。

寄り道から『アマハラ』公演での「おかえり」に戻る。
開場後、指定の席にすわって観客全員に配られていたA4のプリントに書かれた章タイトルを眺めていたら、その「おかえり」がエンディング(M10)に配置されていたのに気づき、ガーン!と頭を殴られたような気分になった。ほんの数時間前に観たばかりだからこそ、「おお、あれがエンディングにつかわれるのか! どうつかわれるか、めちゃくちゃたのしみ!」と昂奮したのだ。
だが、あっさりとその結果を書いてしまうと、「おかえり」はエンディングではつかわれなかった。あるいは、つかわれていたのかもしれないが、歌詞がだいぶ改変されていたと思う。
期待がものすごく大きかったぶん、実はこのことにかなり驚き、くわえてショックを受けたので、実際のエンディングがどうだったのか、ということをはっきりとは記憶していないのである。
いまとなってみれば最悪の鑑賞の仕方なのだが、そろそろエンディングだということがわかっていたので、「あれ、ここでそろそろ『おかえり』が来るはずなんだけど……ほら、いまのって『おかえり』の最初のほうのフレーズだったと思うんだけど……つづかないなあ」というような、その時点で流れている言葉をそのまま受け止めることをせず、正誤をチェックするようなやり方で観ていたのだ。
そのような最低最悪の態度で『アマハラ』を正確に判断することはできないのだが、ただ最後、みなが集合してそれぞれが発していた言葉は、ごく広い言い方をすれば「挨拶」のようにも聞えていた。別れの挨拶。悼みの挨拶。おはよう、さようなら、などという単純なものではない、もっと多義的で深い意味が込められた心のやりとりとしての、挨拶。

『台湾の~』と『アマハラ』の大きな違いは、1945年の終戦を象徴する原爆投下以後も、前者は南洋に移住していった人たちがどうなったのかを描くのに対して(シーンとしてもM12「1945-2000」というのがきちんと用意されている)、後者はそこを大胆にカットしてスリムになっていた。物語の広がりを最小限におさえることで、イメージが散漫になってしまうことを避けたのかもしれない。ここは好みではあるのだろうが、しかし僕はいささか伏線回収不足の印象を受けてしまった。原爆投下がまるですべてを終わらせてしまったような、そんな唐突な感覚を持ってしまったのである。
けれどもその前の、おそらくM9「しまのかたち……」はものすごい迫力があった。音響が爆音で、それが戦争に突入してしまった物語の最高潮を激しく駆り立てていた。具体的に言えば、ベースの重低音が観客席に波動となって届いていて、比喩ではなく、現実に僕の胸のあたりをドン、ドン、ドン、と撃っていた。これは『台湾の~』でも同様だったのかもしれないが、あらためてDVDなどではなく、ライブを観に来ていてよかった、と痛感したところでもあった。
ほんとうに瑣末な部分を一点。たぶんこれも「しまのかたち……」だったと思うのだが、少年たちが集まってごっこ遊びをするような体でそれぞれがジェスチャーをし、「もみの形」とか「雪の形」とか「星の形」などと言い合っていて、ある少年が何気なくとった「雲の形」のセリフとそのポーズを、違う少年が「きのこの形(のように見える)」と指摘するところがある。その場面ではなにも起こらずそれだけでさっと流されてしまうのだが、その後戦争がどんどんと激化していき、前述したようについには原爆投下にまで至って、この瞬間を目の当たりにしたときにある少年が「きのこの形」と言って、それが先刻のごっこ遊びでの何気ない一言と符合する。これを『台湾の~』ではじめて観たときはとても感銘を受けたもので、無邪気な子どもたちがときおり真理を言い当てたり、未来を予言してしまう怖ろしさを克明に描いているように思えたのだ。
しかし『アマハラ』の僕が観た公演では、この少年が打たれたように「きのこの形」とつぶやく部分が、爆音に隠れてしまっていて、これがほんとうにもったいなかった。違う公演では音響の調整によってうまく声が拾われていればいいな、と思う。

で、最後の「挨拶」のように感じた部分(もちろんそれだけではなかったと思う)についてなのだが、僕にはやや感傷的に響いたというのが正直なところ。これも比較になってしまうのだが(そして比較というのは最悪の手法だとも思っているのだが)、『台湾の~』のエンディング「漁火」の映像があまりにも美しかったために、また、(どうしてもしつこくなってしまうが)「おかえり」への期待が大きすぎたために、ことさらそう感じたのかもしれない。特に「漁火」は、照明は舞台に十本ほど立っているだけの電灯の明かりのみをほぼメインに据えて、ほとんど言葉に頼らず、セリフがあってもかなり感情を排したそれでしかなくて、コミカルにも映ってしまう静謐な振り付けが叙情的な音楽と波の打ち寄せる音のなかで延々とつづくという、この情景全体の美しさは甘やかですらあった。この言葉だけを頼らない表現に、この劇団のユニークさが特にあると感じた。
あるいは、ほとんど「にわか」と言って差し支えない僕は、四十六年という維新派の歴史をほとんど知らないために、挨拶の意味合いを深く受け取れなかったのかもしれない。
しかし全体としてはやはりすばらしい出来であって、公演が終わったいまであればネタバレしても構わないだろうから書くが、たとえば終わり近くで、舞台の奥、つまり廃船の船首側のさらに向こうに見える平城宮跡の茫々たる草地をライトアップし、黄金の波のように見せる演出などは、心に焼きついた。


芝居については、だいたいここらへんまでにしておく。まだまだ思い出すことや、気づいたことがこれからも出てくるであろうが、ひとまずはここまで。しばらくしてから『アマハラ』のDVD(オフィシャルにはまだ出るというアナウンスは出ていないみたいだが、たぶんあるんじゃないか)を観てから、「ああ、すげえ見当違いのことを言って(書いて)いたなあ」とひとり赤面する日が来るのだろうが、それはすぐにというわけじゃない。

上に書いたところまでも余談たっぷりだが、以下には、余談にもならない単なる思いつきや気づきをいくつか。

2016arahara

まず、このタイトルの「アマハラ」という文字は、なんとなくダクソフォンのタングの組み合わせでつくられているのかな、と思った。
ダクソフォンおよびタングの説明は、音楽担当の内橋和久にインタビューしたCINRAの記事(一緒に観劇したきくこさんに教えてもらった)やYouTube上にある動画を参照してほしい。以下は同記事にある「タング」の画像。
tongue
よくよく見るとロゴのものとは違うんだけど、まあ思いつきなんで。

また、僕がまだ維新派という存在を全然知らないとき、『nostalgia』の予告篇らしきものをYouTube上で観て、ショーン・タンの『アライバル』という絵本がすぐに喚起された。
両者とも移民を扱っているし、『nostalgia』では<彼>と呼ばれる4mほどの巨大なスーツ姿の人形が登場し、『アライバル』では、異国の地に移民してきた主人公たちよりずっと大きな存在物がいるということが描かれている。
ちなみに、『nostalgia』の初演は2007年で、『アライバル』の刊行は2011年だが、『アライバル』も掛け値なしに傑作と呼べる絵本である。

近鉄線に乗って大和西大寺駅を目指しているとき、車窓から平城宮跡に維新派の舞台が立っているのが見え、「おお」と思った。と、僕の近くに立っていたおじさんも、離れて席にすわっているとおぼしき連れ合いに、「おい、見てみろ、あそこ」とでも言うかのように少し昂奮気味にジェスチャーしていて、それがちょっと好もしく、なんとなく連帯感を覚えた。


 繰り返しになるが、記事中では推定や疑問にとどまっているところについて、パンフレットやDVD BOXに附属している「解説書」によってすでに僕にとっては明らかになっている部分もある。また、個人的に教えてもらったことも理解の大きな助けとなっている。
しかし全体として記事に書いたのは、あくまでも(連続三本視聴の後の)『アマハラ』公演鑑賞の感想であって、かなり混乱し、しかもごちゃごちゃとしたわりには中身のない、つまりは前回のものと同じように誰の役にも立たない、「感じたこと、思ったこと」という辞書的定義を出ない「感想」という言葉にふさわしい文章でしかない。あるいは、それ以下。

終演。屋台村。テンプラリーニョ。ワインボトル。ふたつの紙コップ。プルーン&クリームチーズ。生ハム&いちじく。唐揚げ(大)。バンド演奏。地獄でダンス。双子。落とし物。車椅子。ホイッスル。投げ銭。鍋。カメラ。紙芝居。子どもたち。眠そうな顔。楽しそうな顔。昂奮している顔。台湾ラーメン。モンゴルパン。ガパオ。アボカドパスタ。タコス。赤ワイン。白ワイン。グラス。空のボトル。空の缶。箸。つまようじ。ゴミ。ゴミ箱。木の机。サーカス。ブランコ。指笛。写真。フラッシュ。
奈良駅。商店街。コンビニ。猿沢池。ホテル。6人部屋。二階のベッド。共用シャワー。二人組の外国人女性。ランニング姿の中年男性。テーブル。ひげそり。歯ブラシ。歯磨き粉。ハサミ。石鹸。シャンプー。鍵。時計。着替え。熱いシャワー。タオル。スリッパ。カーペット。清潔な布団。寝言。文庫本。消灯。浅い夢。そこはどこですか? そこはいつですか?

編集

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

とうとう始まった。雨はほとんどやんでいた。
劇場、というか舞台は、正方形の木製の小舞台(面積は六畳くらいだろうか)が均等に四×四の計十六台並べられていて、それを、劇場の左右にあるそれぞれ五つの入り口から伸びた通路が区切っている。それが格子の「横」の線だとすると、当然「縦」もあって、僕のすわった席からだと見渡しにくかったのだが、おそらく四本以上、数の理窟からいえばやはりこちらにも通路が五本走っていたんじゃないかと思う。
あとでわかるのだけれど、この木製の小舞台は大阪の川に浮かぶ島がモチーフとなっている(はず)。始まりはどうであったか。
まず音楽があったように思う。大音量のリズムに乗って白い帽子、白い服、白い短パン、白い運動靴を履いた白塗りの子どもたちが、前述の通路を駆ける。
横五列の通路を「白い子どもたち」が全力で走り、そのうち、縦側の通路からも「白い子どもたち」が今度は規則的な踊りをしながら、登場する。視線が定まらない。焦点をどこに置けばよいのか。音楽が鳴る。子どもたちのステップが、リズム・ビートを奏でる。さきほどまで降っていた雨のせいで、通路にわづかに溜まった水たまりが照明の光を反射する。そのうえに子どもたちが走り、水しぶきがあがる。なにかしゃべっている。子どもたちがなにかを唄いだす。正確には聴き取れない。歌というより、言葉だ。単語。文字の羅列だ。意味はなさそうだが、おそらく全体的に並べていけば意味が通じる言葉の群れ。音。ステップのリズム。刻まれるビート。照明の光。
いま、目に見えるもの、耳に聞えるものをすべて記憶したい。ひとりの子どもの動きを追っていけば、当然、他の存在は霞んでしまう。十数人が不規則に動けば、そのなかでも動きの規則性を探そうと俯瞰を心がけてしまい、そのために、個々の動きの把握が曖昧になってしまう。たとえば平田オリザや長谷川孝治の芝居のように、維新派の舞台上でも同時多発的にいろいろなものごとが発生している。平田はこの手法をリアリティのためと書いていた。もうちょっというと、世界ということなんだろう。
目の前にある世界で起こっていることを、すべて知覚することはできない。人間の知覚に限界があるからだ。「複製技術」を用いてストップ・リヴァース・リプレイ、をするのでなければ、目の前に起こりつつあるものは選択して知覚せざるを得ない。音を聴く。言葉を聞き取ろうとする。ステップを眺める。振り付けの意味を読み取ろうとする。そのあいだに時間は流れ、選択されなかったものについては、知覚の機会を永遠に失ってしまう。それにくわえて、記憶の能力にも限界がある。せめて目に映ったものを。せめて耳がとらえたものを。個人差はあるだろうが、僕はどんどんと忘れていってしまう。そしてこちらの忘却など知ったことないと、目の前の踊りや口誦はより複雑になっていく。たとえば、僕は、「誕生日」という言葉をとらえる。いま、そう言ったのか、本当に。誕生日と?
そして、日付が次々と無機質に読み上げられていく。ああ、そうだ。やはり誕生日と言ったのだった、と記憶を新たにする。現状の知覚への意識を弱めて記憶の整理をするあいだもなお、日付は唱えられる。「九月十一日……三月十一日……一月十七日……」、これらは僕が記憶できただけの数字。無機質な、本来、それじたいではなにも意味を持たないはずの数字が、聴いている僕にものすごい意味をもたらせる。それでは、他の日付にもなにか意味があるのでは? 僕の思い出せない、あるいは僕の知らない重要な日付を僕は捉えそこねたのではないか。そんなこととは関係なしに、時間はどんどんと進んでいく。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

聴いているうちに、十六人の床を踏みつけるビートで僕も思考するようになっているのかもしれない。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

次々と左右を駆け抜ける白い子どもたちが、キリコのあの絵(これくらいしか知らないのだが)を思い出させる。

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ジョルジョ・デ・キリコ『街の神秘と憂鬱』

たしかルパン三世の映画(といっても実写ではない)にこのイメージが用いられているシーンがあったと記憶しているのだが、実体を持っていないなにかの象徴として、子どもが物陰から物陰へと走り抜けていくのは、どこか夢のようでもあり、どこか死を匂わせもしている。やがて、「ひつじ」という名の女の子が登場し、「がたろ」という男の子が登場する。
大阪弁で「がたろ」といえば、これはもう枝雀ファンであれば『代書屋』を思い出すことだろう。主人公の松本留五郎の職業が「がたろ」。川底を「ごーそごーそ」漁る仕事。下の動画の20:00あたりで出てくる。


このふたりの登場から物語はゆっくりと始まりを見せるのだが、それでもあからさまな展開はない。
通奏低音としてミニマル・ミュージック風な音楽が流れつづけ、白い子どもたちが左右だけでなく、縦横にも、規則的に踊りながら移動し、あいかわらず視点を定められない。子どもたちの唄う言葉は増えていくので、そのイメージを観客は(たぶん)必死で紡いでいく。ここには、便利な「テロップ」も「まとめサイト」も「yahoo! 知恵袋」もない。わかりやすいガイドには頼れない。思えば、日常で周囲にあるのはわかりやすくパッケージされたものばかりである。斎藤環の解説にも「比較的読みやすい」とされていた中上健次『十九歳のジェイコブ』ですら相当手こずっていた僕は、わかりやすさに浸りすぎていたのかもしれない。自身の知覚を総動員し、しかも瞬間も休むことなく、世界に対峙していかなくてはならない。
もちろん「世界」とは大袈裟だが、眼前にある舞台は、少なくともこれまで僕が体験してこなかった世界であり、僕の予想もしなかった世界である。
僕は『透視図』という舞台を観ながら同時に、藝術というものの本来の性質を痛感していた。つまり、受け取る側の価値観の根底を揺さぶるというあの性質のことである。
ごくごく単純に言うと、僕は目の前で起こっているのがいったいなんなのか、わからなかった。ある知識ひとつをとって、これは知らなかった、ということは日常生活においていくつもある。しかしそれはほんとうの意味での「わからない」ということではない。現時点ではその知識体系についてなにも知らなくても、ひとつひとつの基礎的な知識を積み上げていった先にその解が得られるのなら、それはわからないということにはならないのではないか。
僕の感じた「わからない」というのは、いくら知識を積み上げていっても、現在自分の持ち合わせている価値観をどこかで変容させない限り、理解できない対象についての認識である。
「わからない」場合、「なんだこれは!」という一種の不快感が生じる。理解できないということは不安をもたらすからだ。
いわゆる「ウェルメイド」と呼ばれる作品であれば、こちらが期待してしまう一定の展開や一定の演出に沿うので、場面ごとのサスペンスについては不安にさせられるものの、鑑賞者は無意識に展開や演出の枠組みというものを頭のなかに想定しているので、根本的な不安に陥ることはない。
しかし、維新派の舞台を初めて観た僕は、枠組みを想定することもできないし、目の前にある細部についてさえ不正確に心もとなく把握しているだけである。
腹を立て、「なんだこれ、わかんねーよ!」と投げ出すのは簡単である。また、「わからないことは、わからないままに」と保留するのも簡単である。前者はたいていの場合、努力の放棄であるし(僕もよくやる)、後者はたいていの場合、その「保留」が解除される機会は永遠に来ない(これもよくやる)。僕は上で「世界に対峙していかなくてはならない」と書いた。「直面」ですむようなところだが、あえて「対峙」とした。対決するのである。目の前の表現に対して、立ち向かい、わからなければわからないなりに、理解しようと努力するのである。
いままで蓄積してきたつまらないカテゴリーになんとか当て嵌めるという単純作業を選ぶのではなく、価値観の変容を迫られ不安を感じながらも、新たな枠組みを自分の考えでゼロから構築するのである。五感をフル活用して!目の前にある舞台は、まさしく、きょうここにあるもの、として存在していた。何度も何度も稽古を重ねて「再現率」を高めた演技を見せるべく存在する閉鎖空間としてではなく、もっと開かれた、大仰に言えばたった一回しか存在しない場、固有の力を持った場として、それは僕たちの目の前にあった。
劇中、舞台の向こう側、つまり川の上を大きなカラスが左から右へと横切った。十分ほどして、おそらく同じカラスが右から左へと戻って行った。もちろんこれらは演出などではなく、自然の風景である。
一度だけ上空高くをジェット機が飛んで行った。バイクのけたたましいエンジン音が聞こえたことも二度ほどあった。雨は遅れに遅れた開場時間まで降っていたが、それ以降はほとんど止んでいて、観客の多くは、レインコートのフード部分を途中で脱いでいた。そういう偶然性に満ちた諸々を排除する閉鎖空間ではなく、反対に、偶然のために解放された開放空間のなかにわれわれはいた。演者も観客も。
といって、演技の方はアドリブなどはおそらくなく、完全にコントロールされていた。そういうアンバランスさも、僕たち観客の五感に影響を与えたに違いない。僕は、視覚聴覚のほかに、嗅覚や触覚も意識していた。右隣の女性からはスイカやメロン系統の芳香が、左側の男性からはアルコールの臭いがそれぞれ漂ってきて、僕の前で合わさっていた。もっともそんなことを言っている僕だって、パクチーとナンプラーの薫香を吐き出しているのかもしれなかった。おじさんのアルコール臭さはともかく、女性のつけた香水の香りをまた違う場所で嗅ぐことがあれば、僕はきっとこの公演を思い出すだろう、と思った。
また、何度も書いたが、演者たちの踏み鳴らすビートが、空間を伝わって鼓動として僕の身体に響いていた。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

その場にいること。これが舞台鑑賞では非常に重要なのである。
いままでコンテンポラリーダンスの舞台は、テレビで何度か観たことがある。深夜のBSだかをリアルタイムかあるいは録画で「ああ、なるほどぉ、こんな感じなのねえ」などという感想を漏らしながら、だらだらと集中せずに観ていた。
そんな気の抜けた体験しかできなかったのは、僕の理解がまだ浅く努力を放棄していたということもあったが、それ以上に、その場にいなかったからなのではないか、といまは思う。
僕をふくめた観客全体が、客席の構造上身動ぎすることも難しく、視点を前方にほぼ固定された状態でいたこともまた、鑑賞そのものに深く影響しているようにも思えたし、それにくわえてその日の雨降りや雨降りの予感などは、もしかしたらその回の演劇の成立に関わっているのではないかとさえ思った。音楽がほぼ間断なく流れている、と書いた。僕はそれを聴きながらBrandt Brauer Frickの『Bop』という曲を思い出していた。


僕のミニマル・ミュージックという言葉に対する認識が正確であるかは甚だ不安なのだが、テーマを単調に繰り返しつつも細かな差異をくわえて最終的にはゆるやかに大きく変化していく、というスタイルは、まさに『透視図』そのものだった。
偶然にSteve Reichという人の『Come Out』という動画をYouTube上で見つけたのだが、このダンスの持っているイメージは、維新派のイメージを喚起しやすいと思う。
ふたりのダンサーの動きは、同じようでいて、微妙な差異を生みつづけ、そして位置も少しづつずれつづける。ちょうど、テンポの異なるメトロノームが最小公倍数のタイミングで一致するように、このふたりの動きも、ときおり瞬間的な一致を見せる。


無機質な単語の連なりは、ときおり、ユーモラスな言葉遊びにさえなった。
大阪の町の猥雑な部分を象徴する言葉――ただしこれは都会のどこにでもあるのだが――がリズムに乗って規則的に連呼されていく。「ファッションヘルス」「イメクラ」「ガールズバー」……「幸子」「誰やねん!」「麗華」「誰やねん!」
これらの名前は、スナックの名前としての「幸子」「麗華」なのであるが、名詞を連続させていくだけで、詳しい説明がなくてもその意味が成立していた。
この「誰やねん!」は僕の思ったほどは笑いは起こらなかったが、笑いたくても、笑ってしまえば次の言葉を聞き逃してしまうためだったかもしれない。イメージが拡大し、洗練し、また混乱していく。冗談のような言葉がときおり意味を持つ。眠れない夜、病院で数えていた羊のうちのはぐれ羊(stray sheep)が、女の子の「ひつじ」なのか。たぶん、がたろは本当は病院で寝ている男の子。おそらく重い病気に罹っている。ひつじはがたろの想像の産物に過ぎないのか。いや、そうとも思えない。ひつじには沖縄からやってきた祖母の記憶がある。南の島からやってきて、大阪の島から島へ移り住んだ、ということをがたろに伝える。
何回かテーマが繰り返されていく。唐突に1931年(たしかそのあたり)から年号のカウントアップが始まる。いま調べてみると、満州事変勃発の年。このとき舞台に出てくる紳士・淑女たちは、「どこかで逢いましたね」「いったいどこでしたか?」「またいつかお逢いしましょう」「またいつか」と約束をするだけですれ違ってばかりだ。
ある紳士のひとりが、自分には記憶がはっきりとしない、それは、自分が多くの死者たちの記憶もまた担っているからだ、というようなセリフを吐く。これが、大阪の歴史とどのように関わっているのか知らないが、やはりこちらの理解の追いつかぬまま、一年づつカウントアップを進めていく。重要な年数が近づくと無意識に緊張してしまった。1945年、1970年、1995年、2011年、そして、2014年。それらはただの数字ではなかった。オープニング近くの「誕生日」と一緒だ。記憶に刻まれ、歴史に刻まれた瞬間がある、ということをわれわれは知っている。実際に僕自身が体験している年もある。
となると、何度も何度も言及される川が死の象徴のように思えてくる。そうなれば、島――木製の小舞台――は、生の踏み石である。ひつじは、祖母と一緒に大阪を生き抜いてきた人たちの象徴なんだろうか。川は、浚渫船がなければ泥に埋もれてしまう。昭和初期のことか。たまたま「シュンセツ」という単語を僕は知っていたので、すぐにイメージすることができた。どこで知った言葉だったか。もちろん、記憶を掘り下げていく暇は与えられない。ひつじの祖父はその浚渫船の乗り手だったという。むかしの大阪の流通を支えた人。そして、「がたろ」という職業もまた、川底を浚う人だ。
ここらへんはほとんど説明するようなセリフがないので、なんとか自分のなかで繋げることしかできない。それがあっているのか間違っているのかもわからない。というか、正誤はない。正誤になにかを求めることに意味はないだろう。劇中、ものすごい、と思える演出がいくつもあった。そのなかでも大掛かりな仕掛けについては、ここに記さない。はじめて観る人が万が一これを読んでいたら、驚きがなくなってしまうからだ。
がたろのものと思われる心電図の音と時報の音(これが実際の時刻を告げている)との相似や、手術を受けたがたろ(の精神)が生を象徴する島と島とのあいだを飛び回る場面は、より理解しやすく感動的だった。
何度も変奏されたテーマは収斂され、はじめのフレーズに戻っていく。そのときになると、最初は無意味に聞こえていた言葉が有機的に繋がっていたことが確認できる。そして、文字通り様変わりした舞台のうえで、美しいエンディングへ。演者たちは舞台を去り、しかしなおも音楽は鳴りつづけていた。
雨や、開場前のサーカスのパフォーマンス、屋台村での飲食や、そこに群がる観客たちの雰囲気も含めた舞台だった。
単純に演劇と言ってしまうよりは、音楽とかダンスとか、あるいは建築という概念も含んだ「舞台」という言葉がふさわしいだろう。不安定な言葉に対して、視覚や聴覚や触覚に対して直接訴えるものを持っている「身体」というものをこれほど強く感じたことはなかった。
Eテレ『ニッポン戦後サブカルチャー史』で宮沢章夫がどこだかの年代の解説において「希薄化する身体」というキーワードを紹介していたが、僕自身は(それ以前にも見聞きしたことのある)その言葉に対してつねに胡散臭いものを感じていた。身体器官の機能である知覚に頼っている以上、いくら仮想空間に依存の度合いが高まっていようと、身体が希薄になるはずがない、と。
その流れで「身体」というキーワードじたいにも胡散臭さを感じていた(同時に、「皮膚感覚」とか「肌感覚」みたいな言葉も嫌いだった)のだが、この観劇でいっぺんにその考えが覆された。身体というより、僕の感じたのは「実体」というものに近いのかもしれない。
セリフや歌の言葉が聴き取れなかったり正確に認識できないことがあっても、ときには総勢で五十人近く登場する演者たちの存在は「ないこと」にはならない。実体は、そのものだけで十分な重さを持つものであり、そこに価値が生じてくる。
作者は作品をそんな単純な二元論に還元されるとは想定もしていないだろうし、もし「身体の意味」のようなものを訴える意図があったのだとしても、それはおそらくこの劇団の底にもともとあった思想であり、あえて本作で訴えたというようなものでもないのだろう。
単純に、最大五十人が一斉に動き出し、一斉にしゃべりだすのを見せつけられた僕は、その言葉をはっきりとは受け止められなくても、ただただ圧倒されてしまった。
これは、僕の「個人的な感想」である。多種多様で豊かな鑑賞体験を持った人間の客観的な「批評」ではなく、非常に個人的なフィルターを通して得られた体験をそのままに書いただけの「感想」にすぎない。
僕は一般的なことを書きたいのではなかった。誰が読んでも理解できるような、わかりやすい文章を書くつもりはまったくなかった。この作品が二時間かけて――最終的に観客のまえにあらわれている時間が二時間なだけで、そのまえの稽古や舞台の設置などを含めれば、時間はもっとかかっている――表現しようとしたものを、数分で読めてしまうような文章で「解説」したり「分析」したりできるなんて、そもそも思っていない。そんなことをできると思っている人がいれば、それは冒瀆だ。
だから、誰かが『透視図』のことについて知りたいと思って読んでも、役に立つようなことは書かなったし、書けなかった。また、作品の理解の一助になるようなことなども書かなかったし、そのことについては自信すらある。
たぶん僕は昂奮しているのだ。観たことのないものを観て、聴いたことのないものを聴いて。
知らない世界を見せつけられて不安になり、作品の内容についても、作品の外にあるものについても、その意味を必死で考えてみた。そして、そのうち半分も理解できなかったように思う。
けれども、僕の価値観は揺り動かされた。衝撃を受けた結果、新たな世界を知ることができたという確信だけは、ここにしっかりとある。

編集
前回のつづき。後編じゃなくて中編というのがミソ。
会場に着いた。屋台村があることは知っていた。広場の真ん中に灯油缶になにかを入れて燃やしている。そこを取り囲むように、小さなステージ、そしていくつもの屋台が円形になっていた。
写真を撮ろうと思ったが、前述のとおり雨が降っていたので、バッグから取り出したり濡れないように傘を差したり(前回書き忘れていたが、折り畳み傘まで持っていた!)、また濡れないようにしまい直すという煩雑さを思い浮かべると、とてもじゃないがカメラを取り出す気分にはなれず、とりあえず目に焼きつけようと思った。屋台村の存在を知ったのは、劇団(維新派)のオフィシャルサイトで、そこのブログ部分に屋台村の写真が掲載されていて、そこに「ベトナムフォー」と書いてあるのを抜け目なく見つけていた。
だから僕は、迷わずにその店に行き、フォー(四百円)とおでんの牛すじ一本(百円)を頼んだ。註文を受けてくれたおばさんは、うしろで新聞を読んでいるおじさんに「フォーを一丁」と呼びかけ、顔を上げないのでもう一度、「フォーひとつ!」と言い、それでも聞こえていない様子に「フォーやで。三回頼んだから三杯つくらなあかんで」と声をかけた。こういう冗談は好き。おじさんもおじさんで、「すまんすまん」と小さな雪平鍋をコンロにかけ、そこにフォーを投じて作り出す。「パクチ、入れてだいじょうぶか?」
もちりん。
一分ほどで温まり、プラスチックの器によそってもらう。ナンプラーいっぱいあるから、好みで入れてな。
もちりん。
器を持って、すわれる場所を探す。木のテーブルが出ているが、雨ざらしの状態なので、人はすわっていない。どうでもいいや、とそこに器を置いて食事をし、周りを眺める。屋台にはそれぞれの「看板」になる商品の名前が貼ってある。モンゴルのパン。クスクス。黒毛牛のサーロインステーキ。バジル丼。おばんざい。チキンパン。そんなものが読み取れた。ぱっと見、異国情緒たっぷり。バザール(よくはわからないけれど)というか、いろいろな国の文化のぶつかる中間地という雰囲気だった。薄暗くなったなかを焚き火が燃えていることも、よけいにそのような感慨を増幅させた。ステージでは、ひとりの男がブルースらしい歌を唄っていた。耳を傾けてみる。これはどこぞのラジオ局で放送禁止になった歌、とか、これはどこぞのテレビ局で放送禁止になった歌、とかそういうことを唄う前に告知していた。それがまるで彼の勲章のようだった。つまらない歌が流行っているけれどおれの心には届かない、という旨を唄っていた。歌詞はわざと変えているが、だいたいそんな内容だった。それをいかにもブルースらしく唄うのである。
僕はイヤな気分になっていた。そういう批判こそが歌なんだというのが彼のメッセージなのかもしれないが、僕ら(あえて「僕ら」と書く)は、そういうメッセージをすでに何千回と聞かされてきたのではないだろうか。なにをいまさら、という気持ちは拭えない。
歌い手は僕より年上に見えたからおそらくは四十代だろう。もしかしたらもっと上かもしれない。そのくらいの年齢になって、他人を批判する歌。十代・二十代のラッパーが「腐れMCどもはオレさまの前にひれ伏す!」みたいに叫ぶのと、いったいどんな違いがあるというのか。
肝腎なことに、その彼が唄う歌じたいには言うほどの詩情もないし、声がしゃがれているだけでポエジーが備わっているというのなら、年古い噺家の落語を聴いたほうがよっぽどましだった。この前々日、僕はラジオである歌を聴いて感銘を受けていた。
1973年11月21日、Carmen McRaeという歌手が新宿のDUGに来ていた。日本人に弾き語りでなにか歌ってくれ、と頼まれ、三曲くらいしかできない、と断ったのだが、それでもいいから、といってさらに頼み込んだ。そのときの一曲である。


As Time Goes By - Carmen McRae

ラジオからこういう古いライヴ音源が流れるのは珍しいと思った。何度もグラスのぶつかるような音が聞える。レコードのスクラッチ音はひどいが、曲が終わると、控えめな拍手が聞えてくる。すばらしい歌だと思った。とてもまっとうなやり方で人を感動させることはできるのだ。けれども、それはごく限られた人にしかできない。
才能がないことを自覚し、それでも目立ちたいと願う人間は跡を絶たない。彼らは自分たちをなんとか印象づけるために、正道を外れた方法を選ぶ。たとえば、汚い言葉を汚い風に唄ったりして。かといってそれはけっして本気でもなく、実際は好人物ということの方が多い気もする。つまり汚いポーズを取っているだけなのだ。そういうやり方はたいていの場合、手垢に塗れているし、工夫もない。長くつづけても、本人が思っているほど価値はない。長くつづけて変わるのは、彼らがより意固地になっていくということだけだ。
ミュージシャンの気分にいつまでも浸っていたい人というのは世の中に大勢いる。僕は、どこかで見た安っぽい偽物のコピーのコピーを見せられている気分だった。僕が「偽物のオリジナル」と思っているものが、実は眼前のブルース唄いだった可能性もないわけではない。けれども、そんなことはどっちでもよかった。かつてうちのムラに住んでいたアーティストもどきに、このようなことを聞かされたことがある。
「メジャーなものに価値はありません。価値のあるものは、すべてマイナーなんですよ」
それは惨めな自己肯定の言い換えにしか聞えなかった。彼はなにも創作せず、公的な仕事――それに対して給料が税金で払われていたのだが――としてやらなくてはならないことをこなさず、ほとんどの人に嫌われていた。やっていることは、補助金ゴロそのものだった。その彼がしょっちゅう口にするのが「藝術」であった。
価値のあるものがたまたまマイナーである、ということはあるし、実例を知っている。また、価値のあるものでメジャーなものも知っている。それらは、価値の本質は世間の評価とは別次元にある、ということを伝えている。
しかしアーティストもどきも、ブルースシンガーもどきも、世間の評価を先行させて取り上げる。人気があるからいいだの悪いだの、または人気がないからいいだの悪いだの。
ときどきブルースもどきは、客を煽るように「イエー」と声を上げた。幾人かが「イエー」と片手を上げて応えていた。いやいやいや、(けっして好きではないけれど、でも)もうちょっと反応があってもいいじゃないか。腹を立てたり不快に思っているのは、あんがい僕だけではなかったのかも知れなかった。
歌が終わると、運営の一部っぽい人(劇団とは無関係かも)が駆け寄り彼にハグしていた。失礼だが、「駄サイクル」という感じがした。石黒正数『ネムルバカ』内の造語である。

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まあいいよ。どうでもいいよ。頼むから、いまから観る演劇がしょぼいものではないように。このケチのついた気分をどうにかしてほしかった。ゴミ箱はあったが、スープを棄てることはできなかったので、フォーのスープはすべて飲み干した。いや、おいしかったのだが、おかげで腹が膨れてしまった。いろいろ食べられると期待していたのに、もう食べるというたのしみはなくなっていた。
酒もたくさん売られていたが、地元の最寄り駅(来るまで一時間弱)近くの駐車場に車を駐めているので、僕は飲むことはできなかった。
屋台村のおかげで観客は大勢いた。
みんなおしゃれだった。こういうバザール的な場所に対してひとつもキョロキョロすることなく、ほとんどの人がスマートな振る舞いをしていた。こういうイベントに慣れているのだろう。さっきは反応悪かったけれど、「イエー」とか誰かが言ったら、「イエー」と応えることが簡単にできるような人たち、という印象を受けた。
現に、現地で待ち合わせをしたらしき人たちが、会っていきなり握手をしたり、あるいはハイタッチしたりする場面を何度も目撃した。僕は文字通り、屋台のつくる大きな輪の中にあったが、どうしても馴染めないものを感じていた。さきほどの歌のせいもあった。かといって、隅に行って限りなく身を隠そうとは思わないたちなので、より多くの人を見ることができる場所に立っていた。僕は多くの場合で居心地の悪さを感じてしまうのだが、便所飯をして誰からも隠れようなどという、ああいうしみったれた気分の持ち合わせもないのである。「輪」ということからすぐにトマス・マン『トニオ・クレーゲル』が思い出される。
主人公のトニオは、若い頃、金髪のインゲの象徴する、元気で明るく美しい人々に対してある種の憧憬をもって彼らのダンスを遠巻きに眺めているだけだった。
しかし、年月が経ち、ある程度名声を得た彼は、やはりインゲたちに憧憬を持ちつつも、彼らに心の中で訣別することもできるようになった。結末には、彼らへの「憧れと、憂鬱な羨望と、ほんのすこしの軽蔑」とを記している*1。異国情緒が漂う空間に集まった人たちの多くは、元気で、明るく、そして美しい人々と呼んでも差し支えなかった。インゲ的な人たちだ。もう少し言うと、観劇できるということは生活に余裕があるということだった。その点については僕自身も余裕があるということなのかもしれない。いや、余裕がなくてもたのしみとして年に数回だけ、都会に出張ってくる人間もなかにはいるのだろう。そこは他人がなかなか推測できない領域のことかもしれない。僕が彼らのなかに入っていくことはできないのは、彼らがまぶしいからだろう。いろいろな意味を込めたまぶしさを感じてしまうのだ。
彼らが握手やハイタッチを求めてくれば、僕はエイドリアン・モンクのように、右肘を左手で抑え、それから右手の人差し指をぴんと伸ばして、その指でこめかみを少し掻くような感じで「いや、けっこう」と言うだろう。「わたしのことは、どうか気にせずに」
モンクだって、彼らの存在を盲目的に疎ましく感じているわけではない。ただ、ちょっと接触するのは難しいというだけで。広場の中央でサーカスが始まった。
雨の止み間を狙い、高さ三メートルほど・長さ三十メートルほどのワイヤーの綱渡りをした。BGMはたしか『G線上のアリア』だった。ひとりがそこを命綱なしで渡り、それからふたりで同時に同じ方向へ綱渡りをし、最後に、途中でひとりが綱の上ですわり、もうひとりがそれをまたいで向こう側に渡る、というのをやっていた。
これは、ものすごかった。言葉はもちろんなく、あるのは実技のみ。バランスを取るための長い棒を持ち、一歩一歩ワイヤーの上を進んでいくのを間近で観るのは初めてだった。
こういう大道芸を観るといつも、十年ほど前に横浜はみなとみらいで観たパフォーマーのことを思い出す。その人は高い一輪車に乗ってジャグリングをするというものだったけれど、最後のパフォーマンスの際、「ぼくは十年間、来る日も来る日もこの練習をしてきました。両親は泣いています!」というような内容を言っていた。
それは冗談として大いにウケていたけれど、そこに事実もあるはずだった。陽気に見える芸でも裏には厳しい稽古があって、また、そんなので生活していけるのかという家族の心配も現在進行形でほんとうにあったのだろう。
そういう事実をすべて笑いに変換し、人にとっては取るに足らないことを本気で演じている姿には、胸を熱くするものがあった。
目の前の、というか頭の上で真剣に綱渡りをする彼らも、とても恰好よかった。小雨が降っているということが彼らの演技に少しでも影響があるのではないか、と心配性の僕はハラハラもした。
パフォーマンスが終わり、帽子に投げ銭を、という段になると、これまた客の反応が鈍くて僕は少し驚いた。おいおい、芸を観て感動したからには金を払えよ。少なくともスマホの動画撮影していた人(相当いたはず)はきちんと金を払うべきだと思うけど、はたしてどうだったんだろうか。開場時間は過ぎていた。午後七時の予定だったが、とうに回っている。スタッフの人から、開場が遅れている旨を告げられる。雨がまたすこしだけ強くなってきた。僕はフードをかぶる。スタッフのアナウンスが聞える。観劇中は傘が差せないので、受付けでレインコート(たぶん百円)を買ってください。
だらだらの汗が引き始めていた。寒くなってきた。トイレには一度行っておいた。どこもかしこも濡れているので腰を落ち着けられる場所がなかった。ずっと立ち尽くしているしかなかった。時間はなかなか進まない。傘がいくつも開かれ、視界が塞がりつつあった。本も読めなかった。やっと、開場した。開演時間の午後七時半を回っていた。ゆっくりと客席案内が始まった。二列に列ぶよう指示され、長い列ができた。
スタッフの人は「No Photo」という文字と、カメラに禁止マークのついたプラカードを片手に持ちながら、席の案内を懸命にしていた。おそらく特設の階段を上り、特設の舞台にやっと入れた。木のベンチがテープで区切られていた。そこにひとりひとりもらった防寒シートを敷き、すわる。お世辞にも広い席とは言えなかった。上演時間は二時間という予定だったから、最後のほうは尻が痛くなることは容易に想像できた。バッグの置くところもないので、膝の上。相変わらず重い。バッグのなかにあるのは、僕の無計画さの重みでもあった。でもまあ仕方ない。すべて、仕方ない。雨が降っていることについては一度も不満に思わなかった。そういうものだ、と割り切ることにしていた。むしろ、はじめての野外観劇が雨降りというのは面白いとさえ考えていた。目の前に広がる舞台は、ものすごく広かった。こちら側から見た舞台の奥側には、海辺などに立つ棒杭(?)をイメージした木の柱が等間隔に立てられているが、その向こうには川があり、さらにその向こうに大阪の高層ビルディングが見えるのだった。その夜景に美しいこと。つまり、舞台の背景として本物の大阪の夜景を借景しているのだった。
当然、スマホを持っている人は写真を撮りたくなるだろうが、さきほどスタッフが持っていたカードには「No Photo」とあった。しかし、何人かはやっぱりスマホを美しい舞台に向け始める。いけないと知りつつ、ちょっとぐらいならいいだろう、と撮影をし始めるのだ。
僕の目の前の女も撮影していた。すぐにスタッフが止めに来る。そりゃそうだ。スタッフ側からすれば、こんなすごい風景はチケットを買ってぜひ見に来てほしいのに、それを簡単に「シェア」なんてされたらたまらないよな。
スマホ女は、ちょこっと頭を下げて、それからスマホをいじくり始める。さすがに撮影はしない。けれども、すぐに開演時間が迫っているんだから、電源切れよ、おまえ。SNSだかメールだかなんだか知らないけれど、そんなのいまやらなくていいことなんだから、早く切れよ。李下に冠を正さず・瓜田に履を納れず、の言葉を知らないのだろうか。こういうバカはどこの会場にもひとりかふたりは必ずいる。個人主義を履き違えて、そのくせなにかをするときは集団のなかに隠れてこそこそするような輩。こういうやつとは同じ空間にいるだけで腹が立ってくる。
隣との席が近いので、周りがどうなっているのかを見回すことができなかった。なので、自然とスマホ女の後頭部を凝視するはめになった。せいぜいハゲておけ、と念を込めておいた。
長くつづいた席案内もどうやら終ったようだった。舞台の両裾奥からスモークが焚かれ始めた。客電がゆっくりと消えて行く。いよいよ、舞台が始まる。

*1:河出文庫版『トーニオ・クレーガー』(130p)

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今月の某日。午後五時ちょっと過ぎに、千日前線の阿波座という駅に着いた。田舎の山奥から二時間弱をかけて、大阪は中之島GATEサウスピアというところに、芝居を観に来たのである。
自宅でプリントアウトしたアクセスマップにはそこから徒歩十分ということが書かれてあった。地図読みは大の苦手であり、なおかつ「超」のつく方向音痴の僕は、開場時間の約二時間前に最寄り駅に立っていた。これだけ時間に余裕があればいくらなんでも大丈夫だろう。
開催場所では屋台村が出ているということらしく、そこで飲食をする予定だった。腹に余裕があれば興味のあるものを二、三食べ、写真などを撮影して、ゆっくりと時間を過ごせばいい、そんなことを考えながら歩を進めたのだが、気がかりなのは、原作である中上健次『十九歳のジェイコブ』を三十ページほど残してまだ読了していないということだった。
気がかりなことはもうひとつあった。雨が降っていた。その時点で詳しくは知らなかったのだが、開催場所は野外らしく、雨降りであれば、濡れたままの観劇ということになる。天気予報はチェックしていたので、いちおう撥水性のジャケットを着ていたが、できることなら濡れたくはなかった。地下鉄の地上出口から歩いてすぐのところの高層マンションの一階にカラフルなベンチがあったので、そこで読書のつづきをすることにした。
中上の『十九歳のジェイコブ』は、読みづらい小説だ。まず情景がつかみにくい。風景描写と等価値で心象が出てきて、なおかつ登場人物の見分けがつきにくい。しかも、時間軸がかなり不安定。
はじめに出てくる少年時代のシーンはすぐに転換し、次に出てくる頽廃の色に満ちたドラッグとセックスと、ジャズの鳴り響く世界がこの小説の主流らしい。けれども、2014年に生きている僕としては、それらはいささか古臭く見えてしまう装置である。物珍しさを取っ払って読むと、すでに見聞きしたことがあるようなテーマが何度も何度もリフレインされ……たかだか二百数十ページのこの中編を飲み込むのになんと時間のかかることか。集中できないのである。
しかし、やっとのことで読むコツのようなものがわかってくる。振り返ってみると、これは読み手の僕のほうに問題があったのではないかと思う。最近は読みやすい小説に慣れてしまっていて、能動的に読む癖を――いままで能動的に読んでいなかったというわけではなく、より能動的に、という意味である――思い出すのに時間がかかったのである。能動的に、より小説の世界に沈潜し没入していくやり方は、じつはとても贅沢であり、ある程度の余裕を確保しないとできない、ということも思い出した。
残りの三十ページを、小雨を降らせる風の音を聴きながら読んだ。ときどきページが濡れ、栞が飛ばされた。
角川文庫版の斎藤環の解説が面白かった。やはり「読みにくさ」に言及し、「昨今の、異様にリーダビリティの高い小説の文体になじんだ読者にとって、読みにくさはそれだけで越えがたい壁」としている。しかし同時に彼は、中上を激賞している。
中上健次は、最も偉大な作家の一人です。「日本の偉大な作家」でも「近代の偉大な作家」でもありません。単に「偉大な作家」なのです。
(246p)
この一作を読んだだけでは僕にはとうていそうとは思えなかったが、それでも目を惹くところは出てくる。
都会で主人公のジェイコブが他の同世代の仲間や女の子と享楽的な生活を送っている場面より、ときおりフラッシュバックする「路地」の幼少の時代や、自動車工として働いていた時代のほうが、ジェイコブはもちろん、他のキャラクターたちも活き活きとしているように感じられた。
そこで描かれているのは、決して明るい世界ではなく、むしろ絶望に満ちている。そこから抜け出ることじたいが難しく、みなが逼迫した経済に追い立てられるように生活している。なぜか説明が省略されたり、ディテールが曖昧なところも多いのだが、それらがかえってリアリティを増し、世界の奥行きを感じさせる。
それに較べて、都会でのジェイコブの生活は、濃密といえば聞こえはいいのかもしれないが、狭い空間でごちゃごちゃと動いている感じで平面的。登場人物たちも書割的で、模造世界という印象を受けた。読み終えて、いったいこれがどういう舞台になるのだろうか、と少し不安になった。あまり広がりのない小説だし、どうアレンジしてもうまくいかないんじゃないか、と思った。
先に結果から書いておくと、これから観に行こうとする維新派の舞台『透視図』の原作が中上『十九歳のジェイコブ』である、というのは僕のまったくの勘違いだった。なにかで読んだ主宰のインタビューページに、『透視図』の紹介と同時に新国立劇場で『十九歳のジェイコブ』の演出も手がける、という記述があったのを、どうやら読み違えて一緒くたにしてしまったらしい。
僕が半月ほどかけて粘りに粘って小説を読んだことも、作品内に出てくるAlbert Ayler の『Spiritual Unity』(約三十分)、Archie Sheppの『Black Gypsy』(約二十五分)、Miles Davisの『Sketches of Spain』(約四十分*1)をYouTubeで探して聴いたことも、「予習」としては意味がなかった。なんてこった!
さて、そんなことは知らないそのときの僕は立ち上がり、断続的な霧雨の中を、アクセスマップを観ながら進んでいた。五時半を少し回ったところだった。
一度、道を誤る。階段をのぼり高速道路の歩道を行かなければならないのに、行き止まりにぶつかりあたふたした。戻る。ちょっとだけ小走り。
同じ方向に進んでいる人たちは見えなかった。こちら側に向かってくる人たちは、仕事帰りの人たちだろうか。数人が横並びになってぺちゃくちゃとおしゃべりしている。
しばらくはまっすぐらしい、と地図と首っ引き。写真を撮ろうと思っていたが、もうすっかり日は沈みかけている。街灯はあるものの、高感度が苦手な僕のカメラではちょっと厳しい。この時点で、バッグに入れてあるカメラがただの重い塊と化した。
どうにかこうにかで、地図に「目印とせよ」とあった税務署が見えてきた。ああ、ここで右折だなあ、と思った。思った!
が! その税務署のぐるりを囲う柵に、中之島GATEサウスピアへの行き方を描いた簡易地図がかかっていた。その文章を読むと、次の交差点を右折し、そこではじめて見えてくる交差点を左折すれば見つかる、と書いてある。
次?
思うに、方向音痴は、「次」という概念の把握が非常にへたくそなのではないか。
その税務署の目前に交差点はあり、その貼られた地図を読む前まで僕は、そこを単純に右折する予定だった。
しかし、である。わざわざこのような掲示を行った手間を勘案すれば、「次」とは、目の前にある交差点を渡ったあとに出くわすその次の交差点のことを示しているのではないか、と考えを改めざるを得なかった。
そして、方向音痴の選択は、ほとんどの場合において間違う。歩けども歩けども、「次」がなかなか出てこなかった。だいぶ歩いている。もう、だいぶ歩いているよ。いつになったって交差点が出てこない。だいたい、交差点ってなんだ? 十字路になっている場所? 右折する道が出てくれば、それはもう交差点なんだろうか。 信号があれば、それを交差点と呼ぶのか、あるいは呼ばないのか。
小さな信号はいくつか渡った。ひょっとしたらあれは全部交差点だったのかも。アクセスマップを見るとその概要の仕方が大雑把なことに急に気づき、こんなの役に立たねーよ、と絶望的な気持ちになる。
ちょっと、ほんのちょっとだけ幅の広い道路を横断する。これは交差点なのか? いや、これを交差点としないと、おれの心はもう折れてしまいそうだ。心が折れないためにも、この道路を交差点と見做す! わが艦隊はこうして面舵を切った。果てしがなく、だだっ広い直線がつづいていた。これまた交差点がまったく見えない。交差点恐怖症になってしまいそうだ。おいおい、どこで左折すればいいんだ?
とにかく歩いてみる。てくてく。考えてみれば、歩いていて「てくてく」なんて音はしない。でも、てくてく歩いている。暑い。霧雨が少し激しくなっていた。微弱なシャワールームにいるような気分。蒸し暑い。野外の観劇ということだったので、季節外れとも言うべき恰好をしていた。下は、ユニクロのタイツの上にパンツ。上は、Tシャツ二枚に、ウールのセーター、その上にジャケット。ウールのセーターは燃やして捨てたくなった。暑すぎる。
もう少し粘って歩くとバス停があったので、そこの濡れたベンチにバッグを置き、ジャケットを脱ぎ、セーターを脱いだ。ぷひい。セーターは丸めて、思い塊の隣に押し込んだ。これで、役に立たないものがバッグにはふたつ詰まっていた。
いや、バッグのなかにある役立たずはみっつだった。やはり防寒のためにニットキャップを持ってきたのだが、暑すぎるのと、雨が降ったらジャケットのフードをかぶらなければいけないので、自然とキャップは邪魔になる寸法だった。つまり、重石ひとつに、ニット製品ふたつがバッグを占めていた。いや、それと、帰りの電車で読むものがなくなると、難波のジュンク堂で新書二冊と文庫一冊も買ったんだっけか。これまた別種の重石。
だんだんと、なにかのパフォーマンスアートをしているような心持ちになってくる。不必要な荷物を抱え、知らない街の道に迷うという「作品」だ。「現代人の彷徨」なんてタイトルをつければ、いかにもそんなふうに見えるだろう。咆哮したくなる。Tシャツのうえにジャケット。当然、腕がべたべたする。気持ち悪い。うへえ。
まだ交差点は見えない。そろそろ方向転換をしないと、大阪湾に出てしまうおそれが出てきた。いや、大阪湾がいったいどういう場所にあるのかも見当つかないのだが、とりあえず、そこに行きたいわけではない、ということは承知している。
おそらく、さっきの税務署のところで右折しなかったのが最初の過ちだったらしい。ということは、直進をつづけてそこで仕方なしに右折した僕はだいぶ西寄りになってしまっているようなので、どこかで東に戻らなければいけない。
いちばん確実なのはもと来た道をそのまま戻ることだが、それはなんとも度し難い。なので、万が一のショートカットを狙い、適当に右折を試みる。
どうやら近くに川が流れているらしい。もうちょっと東に行きたいと思っても、その川をどうやって渡ればいいのかわからない。目印になる場所を探そうとすると、周りにある建物に、工場(こうば)が多いことに気づいた。ねじや自動車の部品、あるいはなんだかわからないが新築の巨大な倉庫。小さな物流の支店もあった。交番やコンビニがあれば道を尋ねられるのだが、仕事をしている最中の人につまらない用件を訊くのは失礼だと思い、とにかく東へ。
途中、いくつかの住宅群もあり、そこで小学生の女の子を連れた母親が歩いていたが、街灯の少ない薄闇の道を、「すみませーん」と汗だらだらの男がぬぼっと現れたら警戒するに決まっているので、これもまた質問できない。とりあえず、ハイペースで歩く。当然のことだが、もう十分以上は歩いている。……? 音楽が聞えてきた。エコーがかかっていて、いかにもイベントスペースから流れてくる、という感じ。近いか?
音を辿ってみる……が、すぐに行き止まりにぶつかってしまう。反響音があちこちにぶつかり、正確な位置をつかめない。
と、向こう側から、カップルがふたり歩いてくるのが見えた。
ビンゴだ! 近い。女の子がスマホを覗きながら、隣の男に相談している。同じところへ行こうとしているのは確実で、しかも、その向こうに、遅れて僕より年嵩の女性もひとりで歩いている。
しかし、彼らは僕の来た道に向かっている。いっぽう僕は、探索し尽くしたわけではないが、「どうやらこっちではないらしい」と見切りをつけて、彼らがやってくる道のほうへ向っていた。つまり、このまま行けばお互いがすれ違いになり、どちらかがまた道に迷うということだった。
冷静に見れば、文明の利器を手にしているカップルの選択が正しい確率のほうが高いのだが、しかし、僕にはまだ僕の勘のほうが正しいだろうという自信があった。また、途中で方向転換して「あ、こっちだった」とひとりごとでもつぶやきながら、カップルのあとを従いていくことだけは、僕の自尊心が許さなかった。方向音痴は得てして妙なところでプライドが高いのである。
カップルをやり過ごし、そして年上女性もやり過ごした。かわいそうに。あなたたちもせいぜい迷うといいですよ。心の中で哀れな子羊たちにエールを送りつつも、自身の心配を優先させた。会場は絶対に近くにあるはずで、どうにかショートカットができれば、すぐに突き当たるはずだった。
左折すると、今度は若い男ふたり組が、やはりスマホを手にしながら、「お、あっちだあっち」と確信に満ちた足取りですたすたと歩いて行くのが見えた。
彼らは、僕のちょっと前のほうを歩いていた。彼らのあとを従いていくつもりなんて毫もなかったが、あそこらへんで曲がろうと思うところで彼らもちょうど曲がったので、「あ、僕といっしょのところに行くのかな」と思った。偶然ってあるんだね。曲がると、ようやく会場が見えた。
と思ったら、左のほうから先ほど袂を分かった年上女性が歩いてくるのが見えた。どうやらひとつのブロックを片方は左から、片方は右から回った、という形になったようだった。なんだか恥ずかしいような気がして、視線を合わすことができなかった。
腕時計を見ると午後六時十五分。徒歩十分のところを、四十分以上は歩きまわった計算になる。そして、舞台についての話はまだ始まらない。

*1:ただしこれは『アランフエス協奏曲』なので聴きやすい。

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前の記事の補足みたいなもの。

以前、あるところで僕より四歳か五歳くらい年下の、まあ同世代といえる男と話したとき、なんの気なしに、「芝居って、お金のかかっているのを観るほうが勉強になるんですよねえ」と言ったら、相手が、「そうですか?」とあからさまな疑義を呈してきた。
「あれ?」と思ったので向こうに話させると、彼は京都での大学生時代に演劇サークルにいて、年に何回か、チケット500円で公演して、それがものすごくたのしかった、だから、芝居は高いほうが面白いっていうのはちょっと違うと思う。彼の主張はそういうことだった。そして彼自身は、高い金を払って芝居を観たことがないようだった。
「へえ、そうなんですねえ」と僕はそこで話を終わらせたが、心の中では、「ははあ。だからきみのセンスはそんな感じなのね」と決めつけてしまった。

もちろん、芝居は金ではない。しかし、金ではない、というためにはある程度の金を払って芝居を観なくてはならない。これは当たり前のことである。
私は演劇ファンではないが、それでもシアターコクーンでの野田秀樹の芝居を何回も観に行っているし、パルコ劇場や、ちょっと値段は下がるが本多劇場、もうちょっと下がってスズナリにも行った。他にも下北沢の小劇場にも何度も足を運んでいる。コクーン・パルコはだいたい8,000円くらいか。本多劇場はたぶん5,000円。スズナリが3,500円、ほかは2,500円くらいかなあ。平均の話。
僕が「ああ、芝居って実はチケットの値段である程度その質がわかるんだなあ」と思ったのは、新宿のシアタートップスで中島淳彦の『相談にのってる場合か!?』を観たときのこと。調べたら2005年のことだ。
これ、たまたま『シアターガイド』 なんかを読んで、脚本家の中島淳彦と、俳優の井之上隆志の名前だけで観に行ったのだが、たしか(ちょっと記憶がおぼろげ)、5,000円だったと思う。ものすごく感動した。
その翌年の2006年(これも調べた)に、池袋の芸術劇場小ホールで観たる・ぱるの『八百屋のお告げ』は4,500円のチケットだったが、これまたものすごく面白かった。ちなみに、ここではじめて佐藤二朗という役者を知った。
これらを観たとき、2,500円とか3,500円で観ていた「ぽっと出」や「ワナビー」たちの芝居とは雲泥の差がある、と驚いたものだ。脚本と演出がしっかりしているし、そして、舞台や衣装がしっかりしている。
しっかり、というのはつまり、マニアックな演劇ファンや出演者の知り合いでなくてもたのしめるレベルにある、ということだ。上に挙げた二作はぶっ飛んだ設定ではなかったし、「わかる人にだけわかればいい」というようなところはいっさいなかった。最大限多くの人に笑ってもらい、感動してもらえるように丁寧に丁寧につくられているのがはっきりとわかった。つまり、ひとりよがりやノリだけのギャグや、演者ひとりがぎゃーぎゃーと泣きわめくような演出はいっさいなかったということだ。
野田マップや、あるいはもう一方の雄(好みではないけれど)、劇団☆新感線なんかもいいけれど、演劇界の底を支えているのは、中島淳彦の脚本や鈴木裕美の演出だったり、それを観に行っている人たちなんじゃないか、とほんとうにそう思っている。いや、いまは全然観に行けないけれども、東京や横浜に住んでいたら、やっぱり観に行っていただろうなあ。

上にチケット3,500円以下の劇団を「ぽっと出」とか「ワナビー」と書いたが、ほんとうはそうは思っていない。スズナリで猫のホテルを何回か観に行ったし、そのほか関西から来ていた売り込み隊ビームやヨーロッパ企画を観て、そのどれも面白いと感心した。
僕が面白いと思った小さな劇団はたいていプロという感じがした。それを生業にしているということではなく、意識が高いという感じがした。そして、猫ホテ(ベテランすぎて僕がどうこう言えるレベルではない)はわからないが、関西からの劇団の人たちは、もっと売れるようになりたい、というような強い意志を感じた。「わかる人にだけわかればいい」なんて思っていなかったんじゃないかな。

これは強く註記しておくけれど、僕はこれらの感慨を「サブカル」なんていうクソみたいな視点で書いているのではなく、きちんとした演劇の思い出として書いている。僕は「サブ」なんていうつもりで演劇をやっているやつらなんて興味ないし、そういうつもりで演劇を観に行く人たちにも興味ない。
僕がまあまあ熱心に劇場に行っていたときは、演劇こそテレビドラマや映画なんかより百倍面白いと思っていたし、これこそがメインカルチャーだと思っていた。

で、長々と書いてきたのはつまり、500円の芝居を何回か演ってそれで大学生活が終わって「ちゃんちゃん」の人たちは、それは趣味の世界の話であって、その人たちのなかよしサークル活動の延長線上に、いわゆる小劇場系演劇があるとは思わないでほしいということだった。
金がかかっていなくて、衣装を友だちから借りてきてサイズの合わないのを無理やり着たりしているくらいなのに、それなりの業界ツウっぽさをもって演劇を語ったりして……ってそれって僕がいまここに書いている文章と同じくらい恰好の悪いことなんだよ、ほんとに。
もし自分たちのレベルを試したいのなら、1,500円、2,500円って値段を上げればいいのだ。たぶん観客は激減する。アンケートだってクレームが増える。そういうのが怖いから、500円のままで、あしが出たら自分たちで補填して、傷つかないように済ます。
そういうのがわかるから僕は、チケット代がある程度するところは批判される覚悟ももちろんあるし、やっぱり金のかかった舞台はいろいろと見るべきところが多くていい、と言ったつもりだったが、たぶん彼にはずっと伝わらないのだろう。

ドラマ『アオイホノオ』は、古いマンガや雑誌を集めたり、小道具を当時のものを使っているという点では丁寧さが見受けられたが、内容という点ではあまり工夫が見られず、「なんだか自己満足じゃない?」という思いがとうとう払拭できなかった。このドラマを観ていて、上の500円の芝居の話を思い出したので、ここに記したまでである。


余談だが、ブログについても、この「値段」というものについて考えることがある。
ときどき「考察ブログ」とか「書評ブログ」とかいう文字(自称)を見て、こちらが恥ずかしく思ってしまう。そりゃ、ある程度のアクセスがあっていい気持ちになるのはわかるけれど、それって十中八九が無料だから読んでくれているわけで……。そういう自分の文章を、「考察」とか「書評」なんてふつうは書けるわけがないんだけど……まさか、書店の本棚に並んである文章なんかと同列にとらえているわけはないよね……まさか、だけど?
という思いが抑えきれない。もしそんなことを思っていたら、カエル in the 井戸すぎ。

反対に、無料だからこそ、ブログに文句をつけたり、つまらんコメントをしたりするな、とも思っている。
文句を言いたくなるお前に、誰が「金払え」って言ったか? おまえは金を払ってもいないものに対して、文句をつけようとしている。しかもおまえ自身は(たいていの場合)、その文句を言いたくなったブログほどの文章すら書けないというのに。

編集

先週の水曜日だったと思うのだが、その日の朝六時半くらいに、僕は車をぶっ飛ばして人に会っていた。そしてその帰り道、カーステレオで聴いていたFMラジオで、DJが昂奮気味にこの曲を紹介していた。平賀さち枝とホームカミングスの『白い光の朝に』。


白い光の朝に / 平賀さち枝とホームカミングス

平賀さち枝の名前は偶然そのちょっと前に知っていたので、「お」とアンテナが立ち、イントロが流れてきた時点で、スピッツ『ロビンソン』を初めて聴いたときのような懐かしい感じが車内を支配した。
ただ、そのときは歌詞もよくわからなかったし、気持ちのよいメロディーとリズムが心地よく僕の心のなかに入ってきて、「ああ、ふつうにいい曲だなあ」と感じただけだった。

「きょう発売なんですけれど、いいでしょ、これ? きょうみたいな朝にぴったりじゃないですか!」
曲が終わると、DJが絶賛。そう言われてみると、たしかにきょうはよく晴れて光に包まれている朝だと思った。


一日の仕事を終えて帰宅してから、YouTubeで聴き直してみた。
平賀さち枝の声もそうなのだが、ホームカミングスのボーカルの声(なかなか聴き分けづらかったけど)も、ぞくぞくっとしてしまうような、ある種の壊れやすさを抱えていて、じっくり聴いていたら鼻の奥が熱くなった。
そんなことはないのだろうが、これは僕の「いつか通ってきた道」のことを唄っているのではないか、と思った。その時点でも歌詞は完全に把握していなかったが、こういう声とメロディとリズムとで唄われるべき時代を、僕はかつて過ごしたことがあったのではないか、そういう錯覚にとらわれたのである。
それから、何度も何度も聴いた。


二番の歌詞に、

愛しき言葉のメモ 過ぎ去った日に胸を焦がし
微笑んだ今日は美しく 道の先に犬が走る
ドアをいま開く時 今も思い出せる夜空を抱えて

という部分がある。特に、「微笑んだ今日は美しく」というところ。作詞者(平賀)は、どういう思いで書いたのかわからないが、僕はここにいちばん引っかかった。
「微笑む」「今日」「美しい」。いづれも、単純な言葉である。誰かが口にしたって、その場ですぐに消えてしまうような、そんなどこにでもある言葉だ。……けれども本当にそうなのだろうか?

「美しい」は、僕のなかでは文語である。古い言葉という意味ではなく、書き言葉ということであって、日常生活の会話ではなかなか出てこない単語、と思っている。
世代間の差は多少あろうが、「あの花、きれいだね」とは言っても、「あの花、美しいね」とはあまり言わないと思う。だからこそ、話し言葉の中にあっては特別な意味を持つ。
「微笑んだ今日は美しく」と唄うとき、それは特別な「今日」のことを唄っているのであり、それは間違いなく美しい日なのだ。


「美しい日」という言葉で思い出す曲がひとつある。ハンバートハンバートの『待ち合わせ』。


待ち合わせ / ハンバートハンバート

この歌の後半部の歌詞。

昨日はよく眠れなかった
頭だけがいやに冴えて
明日はきっと美しい日
最初で最後の子どもの恋

この「明日はきっと美しい日」という言葉の重さ。これまた非常に消え去りやすい言葉たちでできているフレーズだが、佐野遊穂の細くも強い声が伝えれば、明日はきっと本当に美しいのだろう、と思わずにいられない。


「美しい」という言葉に意識的になった瞬間を、いまでも憶えている。
十数年前の話だが、あるファミレスでジュースかなにかを飲んでいるとき、後ろの席で四十代くらいの女性がふたりしゃべっているのが聞えた。話題は、片方の女性の知り合いが飼っている犬の話で、詳細を忘れてしまったのだが、主人が病気のところをずっとそばについていて離れない、とかそういう類の忠犬ハチ公的な美談だった。
そのとき、それを聴いていたもうひとりが言ったのが、「美しい! ものすごく美しい話ね、それ!」
背を向けたまま僕は、なんとも言えないイヤな気持ちになった。後にも先にも、これほど気持ちの悪い不快な「美しい」という言葉を聴いたことがなかった。そしてこれを耳にしたときに、「美しい」というのは日常にふさわしくない言葉なのだということに気づかされた。発言した女性は、まさに「美しいエピソード」だと思ってそう言い、そこに羞恥心もなにもなかったのだろうが、それをそのまま発言してしまう安易さが聴いている僕にはとうてい受け容れられなかったし、聴いているこちらが恥ずかしくなった。


最近も、「美しい」と人が(書いているのではなく)話しているところを目撃した。目撃といってもテレビ番組の話である。

NHKEテレで「ニッポン戦後サブカルチャー史」というのがやっていて、それを撮り溜めしていたのをようやく最近になって観始めている。ちょうどきょうあたりに全十回のうちの八回目が放送されるようだが、僕は三回まで視聴した。
そもそも僕は「サブカル」という言葉が嫌いだし、こうやってある時代や文化を一括りにして論じるということもあまり好きではないのだが、マンガや演劇など興味のある部分が取り上げられるようだったのでそれほど期待せずに観始めた。そして、いまのところ意外に面白いと感じている。
が、やはりイヤな部分も感じている。

たとえば第三回において、六十年代を代表するマンガとして僕のバイブル『カムイ伝』(白土三平)と同時に、赤塚不二夫天才バカボン』が取り上げられていたが、それについてのコメントで、三十そこそこの女の子が、「『バカボン』は装置自体が無茶な表現が許されるフォーマット」とか「『バカボン』は(前衛的な表現を)みんなが面白いと思えるコンテンツに落とし込んだからすごい」なんていうことを得々と語っていたのだが、観ていて「クソだな」と思った。
純粋に作品を尊敬すりゃあいいのに、と思った。それを自分の語れるレベルにまで引き下げて批評するなよ、と。「フォーマット」だとか「コンテンツ」だとか、こういういまどきの言葉でもって過去のものを語るという「小賢しさ」はたぶん僕にもあって、上で感じた「クソ」というのは、ともすれば僕自身に対する嫌悪感でもある。
「サブカル」という言葉が出てきてそれを誰かが語るとき、ほとんどの場合でこういう「小賢しい感じ」を味わわなくてはならず、それに対する警戒感から、録画したものの「観ようかなあ、でもやっぱりどうしようかなあ」と逡巡していたという経緯があるのだが、結局は観ている……。

「講義」をする宮沢章夫という人についても、よく知らなかった。その舞台を観たこともないし、著作も読んでいない。話しているのを聴くかぎりは、全体的にクールな感じだったのだが、この第三回のなかで、彼の言っていたことにいい意味で引っかかった。
太田省吾の舞台『水の駅』('81)について彼が語った部分。ここからがまた長い話になってしまうのだが、僕はこの番組以前にその演劇について、扇田昭彦『日本の現代演劇』を読んでいたので少しだけ知識を持っていた。その扇田の文章を引用してみる。

『水の駅』の舞台の中央には、取っ手の壊れた水道があり、蛇口から糸のように細く水が流れつづけている。その水場に上手からさまざまな旅姿の男女が極端にゆっくりした動きと淡々とした表情であらわれ、水を飲み、休息し、ちょっとしたエピソードを残して下手に去っていく。せりふはひとつもない。舞台の奥には、そこを通りすぎて行った人々が残した古靴や自転車などが堆積し、小さな山をなしている。俳優たちの基本的な動きは、「二メートルを五分で歩くほどの」超スローモーションだった。使われる音楽は、時おりごく静かに流れるエリック・サティピアノ曲ジムノペディ」第一番とアルビノーニの「ピッコロ協奏曲」だけという、全体に実に簡素な構成である。


(上掲書 124p)

番組内でも実際の演劇の一部が放送された。少女がゆっくりとコップを持ち出し、公演のはじめからずーっと流れつづけている蛇口からの水を受ける。この瞬間のことを宮沢は語った。ネット上でそのところを書き起こした文章を見つけたので、そのまま引用する。

映像だと分かりづらいけどこうやって差し出した時に水の音がプツッと途切れた瞬間にサティの「ジムノペディ」が流れるんですけど。
僕は今まで89年までに演劇をかなり見てるつもりだけども、その中で一番美しい瞬間をその時見たという気がしたんですよ。

ここで「美しい」という言葉が出てきた。
宮沢はこの言葉を、多少の照れもあったのだろうが早口で言っていた。しかしそこには確実に、ある程度の熱もあった。それを観ていて、少し驚いた。彼はそんな、いわば「キザ」なことを言うようなタイプには見えなかったから。けれどもその言い方や内容を考慮すれば、どうしても「美しい」と言わざるを得ない感動が彼の中にきっとあって、それは「きれい」というような日常語では語りえないことだったのだろうと思う。そして、観ている僕にもその感動がそのまま伝わってきた。
僕たちの遣うであろう「美しい」という言葉も、きっとこのように、幾分かの含羞とともにそれでも情熱をもって語られるべきだ、と感じた。


平賀さち枝ハンバートハンバートの唄っている「美しさ」は、「歌のモード」に乗せて語られることによって成立している。「モード」については以下の記事に書いた。

優れたメロディとリズムのなかで唄われるからこそ、「美しい日」という言葉は立ち上がり、こちらに伝わってくる。
「美しい」という言葉は、鑑賞者のこれまでの人生の中で味わってきた「美しいこと」――それらは、現実のものもあるだろうし、また、フィクションのものもあるだろう――の積み重ねを引き寄せる。ここで仮に、話し言葉を日常語、書き言葉を非日常語と呼ぶことにすると、その引き寄せる力は、日常語より非日常語の方が強い。だから詩は力を持っており、現実では与えてくれない感覚を与えてくれる場合がある。
僕も、朝焼けや夕暮れなどの自然の風景に胸を打たれるとき、その場面をあらわす言葉を探してみたり、またその場にふさわしい音楽のことを考えたり、その情景に似た小説の一シーンなどを思い出してみようとする。たぶん現実そのものより、フィクションの方が好きだから。


野暮な註だが、もちろん、「美しい」を日常語として用いる人もいる。
実際に僕の近所の七十代のおじさんは、「きれいにする(=掃除する)」を「美しゅうする」と言う。
「おお、だいぶ家の窓ら美しゅうしたんやなあ」
僕が引っ越して来てばかりの頃、ガラスサッシを丁寧に拭いたらこのように言われた。なかなかいい言葉だと思っている。

編集

十二月五日(木)、大阪の森ノ宮ピロティホールで宅間孝行の新プロジェクト、タクマフェスティバルジャパンの旗揚げ公演、『晩餐』を観てきた。タイトルは『晩餐』。全席指定、七千五百円也。
チケットの価格を書くのは、当然意味がある。

よくなかったところ

  • プロローグ、中盤、エンディングと、都合三回、舞台上に幕が降りてきて映画の挿入があるのだが、これがややダレる
  • エンディングの映像は意味があるものなので必要であるが、前者ふたつはいらないだろう
  • 映像のおかげで、導入のツカミがいまいち弱く、中央通路から二列目後ろにすわっていた僕でさえ、舞台に距離感を覚えた
  • 導入は田畑智子の関西弁によるひとりノリツッコミだが、これが、特に大阪の観客には辛かったのではないかと感じた
  • (帰宅してから調べると)田畑は京都出身で関西弁はホンモノであるようなのだが、あまりにもステレオタイプな「関西人キャラ」であったためか、いくつかのギャグは局所的にしかウケていなかった
  • ハコの大きさに対して、つまり声の「通り」に対して、会話のテンポが早すぎて、セリフの一割強は聞き取れなかった
  • 宅間演じる主人公のキャラクターが、性格が優しいのか、おふざけ好きなのか、がいまいちわからない
  • もちろんひとりの人間の心にふたつの性格は両立するものであるが、この主人公の場合その振れ幅が大きすぎて、ということはあまりにも進行具合に対して都合がよすぎて、人格的一致を見ることができなかった
  • ということで、主人公に感情移入が難しかった
  • 田畑演じるヒロインが、中盤大泣きをするのだが、泣きすぎで観客の僕はむしろクールになってしまった
  • 終盤では、田畑もそうだが、宅間も泣きすぎ(泣くというよりは嗚咽)で、しかもそのやりとりが長すぎて、ダレにダレた
  • ギャグシーン、アドリブと思われる柴田理恵へのツッコミがくどすぎて、ダレた
  • 柴田理恵の返し(後述)はものすごかったのだが、ああいう舞台でありがちな、その「面白さ」を判定する権利は、演出でもある宅間が支配していて、そのサディスティックな感じが際立っていた(たぶん僕もサディスティックな性格をしているからわかるのだと思う)
  • 自分が「安全」な場所にいて、その場所から他人に面白さを求めるのって非常にラクだし、ずるい(テレビではよく見られる光景だけど)
  • 公演時間が二時間半、と長い
  • しかも、前述したように、くどいアドリブシーン、映像の挿入など、(性格や設定の描写を損なわない程度に)いくらでも時間カットを図れるように感じられた
よくなかったところのまとめ

つまるところ、主演の宅間が演出をやっているという時点で客観的視点を持つことは難しく、どうしても偏った演出になっていた。
観客を感動させたいという意図は充分すぎるほどにわかったが、それならば、あっさりとした表現にとどめておくべきだった。もちろんそれは好みの問題ではあるのだが、さすがに二時間半の芝居ともなると、観客のストレスも考慮したほうがよいだろう。
七千五百円といえば、東京ならコクーン、パルコ劇場の値段であろう。コクーンはもうちょっとするかな。たとえば野田マップを観たときの、あの高揚感、緊張感、圧倒感は、今回は得られなかった。もちろんエンターテインメントにもいろいろな形があるのはわかっているが、ライブ(後述)やサービス(後述)などを考慮しても、やはり「高い」と感じられた。

よかったところ

  • 田畑智子がほっそりとしていて、かわいらしかった(間近には見ていないが、じゅうぶんかわいいと思う)
  • 中村梅雀、柴田理恵は安定の演技
  • 特に柴田理恵はすごい
  • おそらくアドリブだとは思うのだが、柴田の返しの「ボケ感」が絶妙で、いかにも「苦し紛れ」という感じでネタを言うのだが、そのいちいちが「大正解」と思わせるクオリティ
  • (遣いたくはない言葉だが)どんな「無茶ブリ」でも、絶対に「ムリ-!」などと投げ出さず、迅速に正解を見つける努力を怠らなかった
  • 結局、柴田の反応には、ワハハ本舗で立った舞台の数が見えた(おそらく、その部分を承知・信用して、宅間は柴田を追い込むようなフリを連発したのだろうが)
  • 舞台終了後の「ライブ」が面白かった
  • 簡単な振付を教えてもらい、観客もスタンドして、拍手、タオル振り、ダンスを行なった*1
  • 中村梅雀はベースをプレイ*2、恰好よかった
  • このライブ、アンコールで計二回やったので、少し元を取れた気分になった
  • 公演前に、劇場内を売り子(劇団員)が歩き、公演終了後のダンスに用いるタオルを販売していた
  • 本業以外で稼ぐなんて……と批判する向きもあるかもしれないが、僕は大賛成、大いに稼ぐべきである
  • 開演前には、役者とツーショットの写真が撮れたり、購入したパンフレットやグッズにサインをする、というサービスをしていた
よかったところのまとめ

公演終了後、宅間がその挨拶で放った「わたしたちは、皆様が忙しい中、こうして足をお運びくださっているので、こうやって舞台をやっていくことができます。われわれはみなさまに生かされています」という言葉には感動した。二時間半の芝居以上に感動した。
以前、東京セレソンデラックスの公演を観たときに、劇団員が「われわれはちっぽけな劇団で、皆様が観てくださらないとやっていけません!」と言っていたのだが、そのときから同じ思いを宅間は持ちつづけているのだろう。
「客」の立場ではなく、演劇の一ファン(というより賛同者という感じかな)として本当にそう思う。僕はもうあまり情熱を持たなくなってしまったけれど、それでも演劇という表現は今でも大好きで、そりゃあもう、テレビドラマの何千倍も好き。大当たりの舞台に出会ったときなどは、嬉しくて嬉しくて涙が出てきたものだ。
テレビドラマのスポンサーは企業だけれども、演劇のスポンサーは観客ひとりひとり。だから、好きな劇団や好きな役者がある人は、一所懸命応援してほしいなあ。

*1:ケツメイシじゃないけれど、「壁に凭れて腕組み」はつまらないので、こういうのはなるべく積極的に実践するようにしている。演劇だけでなく、レストランでもそうだけど、金を払っているから客でござい、じゃ愉しめない、と考えているため。

*2:ただ、せっかくやっているのだから、ソロプレイがあってもよかったと思う。ダンス曲の音量がものすごいので、梅雀のベース音はあまり聞えなかった、というのが本当のところ。

編集
書いていたら、ものすごく長くなった。だいたい9秒で嫌気が差すと思いますよ!
途中、自分用のメモとして記したネタバレもあるので、そういうのが嫌な人は読まないことをお勧めします。

青森中央高校演劇部の『修学旅行』

8/7の水曜日。大阪で、あの青森中央高校演劇部の『もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら』を観てきた。
「あの」をつけるのは、2005年の全国高校演劇発表大会において最優秀賞(優勝)を受賞した『修学旅行』がいまだに私の中では忘れられないからだ。私の家では、NHK で放送された上記の高校演劇大会を毎年録画して観る、という習慣があったのだが、私はそれほど熱心ではなく、弟たちが「これ、よかったよ」と勧めるものを観て、「ふうん」と思うくらいだった。
その中で、青森中央高校演劇部による『修学旅行』だけは群を抜いていた。それまで同大会を何年間も観ていたけれど(だからといって何十校も観たわけじゃないけれど)、高校演劇でここまでできるのかという驚きがあった。
NHK の番組では、賞を受賞した生徒たちをスタジオに呼んで、受賞作品をひとつづつ放送し、放送後にその生徒たちに感想を尋ねたり、あるいはゲストのプロの演劇関係者が感想を述べる、というスタイルだったと思うのだが、『修学旅行』の放送後は、『法王庁の避妊法』(と言ってもこれしか知らないのだが)の演出家、鈴木裕美が「ふつうのお金をもらっている演劇でも、これほどのレベルのものは少ない」という主旨の発言をしていた。比較的クールな言い方をしていたものの大絶讃をしているのだということはすぐにわかった。もう、次元が全然違うのである。こりゃ、指導者が尋常じゃないな、と思い、脚本・演出の名前をネットで検索すると、畑澤聖悟さん(敬称をつけている理由は後述)の名前を知り、現役の高校の先生で演劇部顧問であるけれど、同時に劇団を主宰しているということを知る。そのついでに彼が以前に所属していた弘前劇場の名前を知り、それから何回かは、弘前劇場の東京公演を観に行った。
余談だが、去年、小島信夫の『残光』を読んでいたら、弘前劇場の長谷川孝治の名前が出てきて、たぶん保坂和志つながりだったと思うのだけれど、ああなるほど、ああいう演劇を好きだというのはよくわかるなあとひどく納得した思いをした。そういう前知識があったから、これはもう観に行かなくてはならん、とこの『もしイタ』の公演をたのしみにしていた。で、先日行ってきた。

演劇という観点からとらえた『もしイタ』

まず、この演劇は、ものすごく面白い。これはもう、声を大大大大にして言いたい。面白い!
いきなり、開演15分ほど前からなにやらラップ調のウォーミングアップが始まる。年号と「できごと」をどうやらラップしているらしい。たとえば「1953(いちきゅうごーさん)、ワトソン・クリック、二重螺旋!」みたいな。いや、こんな文句が実際にあったかどうかはわからないけれど。
それを、高校生の演劇部員たちが、お客さんへのパフォーマンスの一環として、ダンスしながら歌っていく。プロの役者にありがちな「ほら、どうです?」というような調子はなく、20人ほどいるそれぞれの生徒たちは、その豊かな表情をあくまでもお客さんに向けて発していた。そのくせ、自分たちでもたのしんでいるというのがよくわかった。
会場に集まった客の半数(もしかしたらそれ以上かも)は中高生たちで、おそらくそのほとんどが演劇部だと思ったが、たぶん圧倒されたのではないか。「ええ! なにこれ?」ってなもんである。
今まで、開演前に舞台セット上で役者が演技の一環としてずっとテレビゲームをやっているというパターンを観たことがあるし、あるいは、客入れ中にフォークギターを鳴らして昔懐かしのフォークソングを唄っているというのもあった(後者は中島淳彦)。けれどもラップは初めてだったし、しかも高校生だからなあ。度肝を抜かれてしまった。で、開演時間になり、挨拶をし、劇が始まる。
彼らは、照明、音響、その他いっさいの舞台装置なしで演劇を行う。いわゆる「素舞台(すぶたい)」というやつで、しかも、衣装もない。みんなばらばらの黒のT シャツに、下はジャージ、スニーカー(体育館履き)だけ。
素舞台は難しいが、うまく演じられれば、観客の想像力を非常に刺戟するため、どんな舞台でも作ることができる……なんて素人の私は簡単に書いてしまうけれど、実際は本当に難しいと思う。
たとえば、物語開始後すぐに、放課後の情景となり、3羽連れのカラスが飛ぶ。カラスといったって、生徒たちが手をぱたぱたと振り、「クァークァークァー」と鳴きながら、下手から上手をよぎるだけだ。
これがもういきなり笑えてしまうのである。しかし笑える反面、「あ、カラスだ」ということも理解できてしまう。
その数分のちに、やはりカラスが登場するのだが、今度は5羽連れくらい。他の4羽はふつうに「クァークァークァー」と鳴いてよぎるだけなのだが、最後尾の1羽が妙に身体を上下させるので、「あ、ヘンなカラスがいる」と観客はまた笑ってしまう。これがもうすごい演出なのだが、手をぱたぱたさせて口で鳴いているカラスがおかしくないわけがない。だから観客は1度目に噴きだしてしまうのである。けれどもそれと同時に、1度登場させることによって、観客に「あ、あれがカラスということで諒解せよということなんだな」と理解させてしまう。「ヘンといえばヘンなんだけど、あれがカラスなんだ」と観客は「異化」を受け容れてしまうのだ。そしてそののちに、今度はさらに異化させたカラスを一緒に登場させることで、観客に「うわ、もっとおかしいやつがいるぞ!」と笑わせるのだ。上の文章で太字強調したが、そのときの観客の心理としてはその前にあらわれたカラスを「ふつう」のものとしているはずだ。
こういう仕掛けが、舞台の端でいろいろとあらわれては消える。「端」ということは、中央ではメインストーリーが進行している、ということだ。
弘前劇場、あるいは、青年団の芝居を観た人ならわかると思うのだが、(私も多くを知っているわけではないので偉そうなことを言えないのだが)いわゆる「静かな演劇」の中では、ストーリーや台詞が舞台上で同時進行したりすることが、ときどきある。
少なくとも、弘前劇場の長谷川孝治、あるいは青年団の平田オリザなどは、そういう演出を積極的に行う(はず)。上手では、親戚の家族会議が行われていて、下手では、その家への訪問者ふたりが相談している、というような。
青森中央高校演劇部は、少なくともこの『もしイタ』では、主軸となるストーリーの台詞は1本しかないが、その場面場面を構成する「装置」(これをすべて生徒たちが演じている)は、同時に演技を行うので、観客の視点は、(いい意味で)かなり振り回される。
もう感動的としか言いようがなかったのが、「時計」。『もしイタ』を観た人なら「ああ! あれね!」と絶対同意してもらえると思うのだが、あれは本当にすごかった。
野球の地方大会決勝の前夜、合宿先(?)の部屋の時計を、3人の生徒たちが表現する。ひとりが長針、ひとりが短針、ひとりが秒針。「秒針」が「カッ」「チッ」「カッ」「チッ」と交互に、しかも目を大きく開け閉めして言いながら、上半身を360度ゆっくりと回転させる。「秒針」が1周すると、「長針」がひとつだけ動く。そしてまた「秒針」が「カッ」「チッ」「カッ」「チッ」……。
もうね、この演出の破壊力といったらなかった。私はすぐに気づいた方だが、「あれなに?」みたいなざわざわ感が少し広がって、やがて「ああ! そうか!」みたいな驚きとともに笑いがじわじわと広がっていって……しかもそのあいだにも、メインの会話は進んでいくんだぜ!
もうね、笑いをこらえるのが必死。既述したようにマイクはないもんだから、台詞にはなるべく耳をすませていなければならない。しかしその一方で、舞台の端々ではいろいろな仕掛けがお客さんを笑わせにかかる。役者たちも、最低限の「笑い待ち」はするものの、基本的には話を進めて行ってしまうので、私なんかは心の中で、「おいおい、ちょっと待ったちょっと待った。会話が再開されたぜ。おれも笑うのを我慢しているんだから、みんなも我慢してくれ。頼む。ぷぷ。面白いけど、みんな、ここは我慢だ!」ってぼやいていたんだけど、これってすごい贅沢なことだよなあ。
観ていて、げらげらと笑っている一方で、その贅沢さに感激して感激して震えてくる。心中では、すげーすげーすげーの連呼。これぞ、舞台演劇の「一回性」というやつだ。いや、そんな用語があるのかは知らないけれど、私はずっとそう主張している。映像は、撮影中に何度も何度もカットがかかる。いわばその不連続を、連続するものとして視聴者は観ている。しかも再生装置によっては、ときにそれを停止させ、巻き戻しさせることができる。
しかし生の舞台というのは、そうはいかない。ちょっと目を離せば、役者の呼吸すらも見逃してしまう。集中して観劇してやっとひとつの会話が聞き取れるというのに、なぜ複数の会話もしくは複数のアクションが行われるのだろうか。
私は、それをリアリティを追求した結果だと思っている。リアリティに忠実であればあるほど、つまり現実世界を模倣しようとすればするほど、会話や行動が直列的に進むということはまずない、ということに気づく。われわれは、眼前ですべてが並列進行していく中を、自動的に、あるいは意識的に取捨選択している。
それでは、自分が見ようとしなかったもの、聴こうとしなかったものはまったくなにも残らないのかというと、実はそうでもない。目の前の母親と話しながら、隣の部屋から漏れ聞えてくる弟たちの会話をなんとなく聴いていることもあるし、あるいはラップトップ上にある文字列を眺めながらなんとなくつけているテレビドラマの流れを押さえている、ということもある。
それが世界の複層性とか豊かさということなのだと思う。その世界の豊穣さの一部が、舞台上でも再現されているのだ。いろいろなものが同時に流れていって、そのすべてをリアルタイムで把握することはできない。逆説的だが、なんて贅沢なんだ!他にも素晴らしい演出はいくらもあったけれども、それをいちいち挙げて書いていったらキリがないのでやめにしておく。
しかしやっぱり特筆すべきは、演じている演劇部員たちみんながたのしそうだったってことだよなあ。配役上、主人公や脇役というのは、いちおう分けられるとは思うんだけど、モブ(その他大勢役)にはモブなりの面白い表現があったりするし、木の役とか犬の役にもきちんと「見せ場」があって……それを演じている生徒たちみんながたのしそうに演じているわけだから、観ている方がたのしすぎるのは当たり前。あ、そうそう。私が冒頭で触れた『修学旅行』では、バッハ『ゴールトベルク変奏曲』の「アリア」がラストで使われていた。グレン・グールドが演奏のもの。


2:53あたりまで

私はこの部分を観ていたとき、「うわー!」と声を出して悔しがったのだけれど、それは、そのちょっと前に私が書いた脚本に、同曲の同じ部分を使うという指定を入れていたシーンがあったからで、いやいや、その当時の私はいまと同様、別に演劇をしていたわけではないし、どこかの劇団に所属していたわけではなく、ただ野田秀樹の芝居に影響をモロ受けしてその熱にアテられた状態のまま書き上げたたったひとつの脚本があっただけなのだけれど、その悔しさを弟に伝えると、「いや、そんなもんでしょ。誰だってあの曲は使いたくなるって」と言われてしょぼんとした、という経緯がある。その後、アニメ『時をかける少女』では、私の思い描いた演出がもっと直接的に用いられていて、徹底的に頭をハンマーで殴られたような気分になり、以後、絶対に脚本なんか書くまいぞと思ったのである。余談。で、話を戻すと、『修学旅行』は音楽の使い方がうまかったよなーという半ば自画自讃的な思いも込めて思い出されたので、もしやこの『もしイタ』でもうまい音楽使いが観られるんじゃないのか、と半分期待半分びくびくしながら観ていたら、やっぱりやられた。劇中でも唄われていたけれども、エンディングで唄われていたのがこの曲。


『栄冠は君に輝く』

これを生徒たちが、合唱風ではなく、あくまで演劇風に唄っていたのがよかったなあ。しかしまあ、高校野球にあまり興味を持たない私でさえ、この選曲にはぐっと胸を詰まらせるものがある。いわんや高校野球ファンをや。はっきりいってズルいよ! いい意味で。こんな感じで60分はあっという間に過ぎた。本当に、夢のような60分間だった。私はあれから何度も何度もいくつかの場面を頭の中で再現し、あそこはどうだったのかなあ、などと考えている。何度も、何度も。
もし、来年もこの『もしイタ』が大阪で公演されるのなら絶対に行くだろうなあ。何度も何度も観たい。演劇ってやっぱりいいなあ、このたのしさって他に代替するものがないよなあ、と強く強く痛感せられたのである。
観客は中高生が多かった、と書いた。私の前の座席一列がみな知り合いのようで、そこから察するに大阪のどこかの高校の演劇部員たちだったと思うのだが、10人もしくはそれ以上いるであろう演劇部というのは、私からすると結構大きな演劇部というイメージで、そのような「大きなところ」の部員のひとりが、この舞台の鑑賞を終えたときに隣の人間につぶやいた一言が耳に残っている。
「なんか、うますぎてムカツいたんだけど」
わかる! 私は高校生じゃないし、演劇部員じゃなかったけれど、これはきっとものすごい褒め言葉だと彼の後ろで聴いていて思った(ごめんよ、少年)。
彼の気持ちは、嫉妬とかじゃないんだ。同じ高校生で、同じ演劇部員で、それなのに、完全にエンターテインメントを実現し、なおかつ内容がとても重要な問題提起(後述)を行なっているのを目の当たりにしたら、他になんと言っていいのかわからなかっただろうと思う。
彼らの立場に立ってみれば、「いやー、ほんと面白かった。よかった!」とは到底言えないのである。そんなことを言うのは、ものすごい鈍感人間か、あるいは、はじめから諦めている人間なはずだ。
彼の言葉を聴いたであろう友だち連中は、それに即答することはなかった。「周りに人がいるんだからやめろよ」みたいな思いも当然あったとは思うのだが、それに同意することも悔しいだろうし、かといって否定もできないだろうし、言葉に詰まってしまったのではないか。
この作品を中高生演劇部員たちが見ると、とても強い刺戟をもらえるという意味ではよいのだが、「はたして自分はあの地点にまで行けるのだろうか」という非常に強い問いが芽生えてしまうという短所もあるだろう。
学校や組織などが演劇を教えるとき、必ずそのメソッドというものが存在するはずだが、そのメソッドが眼前の劇団(青森中央高校)と自分の劇団(自分の所属する高校演劇部)とでは大きく異るのではないか、そしてその差異に気づけたとして、それを修正する指導者はいるのかなど、もし私が18歳の当事者だったら、泣きたい気持ちになったろうと思う。
それでも、彼らがこの芝居を観たというのは、のちのち大きな財産になると思う。それは、やはりこの芝居じたいが特殊だからだ。

トークショーでの質問

『もしイタ』の背景に触れるその前に、ちょっとだけ「トークショー」について言及しておく。
芝居が終わったあと、20分弱のトークショーがあった。顧問の畑澤さんが、過去の『もしイタ』公演の画像をスライドショーにして観客に見せながら、そもそもの動機、そして公演先での思い出などを語った。瓦礫(と言ってしまうと語弊があるのだろうけれど)の中なんとかして持ち堪えた体育館施設等を借り受けそこで芝居をする、というと簡単に聞えてしまうが、写真を見るだけで、津波が及ぼした甚大な被害の一部が感じられ、また、演劇部生徒さんの言った、「ある高校のグラウンドには野球のボールが転がっていた」という発言も、ものすごく胸に突き刺さった。
上で「世界」という言葉を何度か用いたが、あの日を境に、世界というものが一変してしまったというのがいわゆる被災地で、そのスライドショーを見ているわれわれは、まだ変わらない世界を生きている、という感じがした。いや、被災地だけでなく日本全体が変わってしまった、と言う人もいるのかもしれないが、それはものすごく失礼な考えだと思う。なにもかもが流されてしまい、その代わりに自動車や農機具そして鉄骨の資材などが積み上がってしまっているような状況を、体験した人間と体験したことがない人間が同じ境遇を生きているとは、どうしても思えなかった。一連の説明を終え、畑澤さんは客電を点けるようにスタッフにお願いし、「なにか質問はありませんか?」と言った。
誰も手を挙げない。ここで私は、古泉智浩のブログエントリを思い出した。 マンガ家の古泉智浩は、新潟にある朱鷺メッセという場所で行われた井筒和幸監督の講演会に行ったのだが、そこでの話。
それで質問コーナーが終わりの方にあって、会場には千人近いお客様がいるのに誰も手を挙げる人がいないんですよ。これはいかん、新潟に来てくださっているのに質問がないなんて井筒監督をガッカリさせてしまう、オレのイベントなんかでは新潟に限らず東京でもどこでもマンガ教室でも質問がないなんて当たり前にあるので別に気にしないんですが、日本を代表する映画監督が新潟で質問がゼロなんてことがあっちゃいけないと思って、以前から聞いてみたかった質問をしてみました。
(太字強調は引用者)
ちなみに、このときの質問も、そして井筒監督の回答もとても素晴らしいのでぜひ当該記事を当たってもらいたいのだが、ここではそれは割愛。
私も古泉と同じことを考えた。わざわざ青森から来てもらったのに、質問ゼロは悲しいし、失礼だ。なにかみんなの心に残っているはずだし、それをどうにかこうにか畑澤さんに伝えたい。
そういうふうに思ったものの、作品について感想を述べたりすれば長くなるし、冗長だ。うむむ、と迷いながらも私は手を挙げた。
会場がバッとこちらに注目したが、あまり気にはならなかった。生徒さんのひとりが客席までマイクを持ってきてくれ、私はマイクを通して質問した。
「ありがとうございます。たいへん面白く拝見させていただきました」
この「ありがとうございます」を自分で聴いたとき、「え、誰の声?」と思った。甲高ぇー。なにこいつ、ヘンな声? 誰? まさかおれ? みたいな感情が頭の中でぐるんぐるんした。次に、「なんで『ありがとうございます』なんだよー。挨拶としてはおかしいだろー」みたいなツッコミが頭の中で聞えてくる。それを抑えての質問。
「本篇とは関係ないのですが、最初にやったウォーミングアップで、なにを言っていたのか教えてもらえますか? 年号を言っていることまではなんとか聞えたのですが……」
畑澤さんは、「ああ、それのことか」みたいにちょっと肩透かしを食らった感じだったのかもしれないが、それでも丁寧に答えてくださった。トークショーをしてまで震災について話したのに演劇のディテールについて質問するというのは、なんとなくマナー違反のような気もしたのだが、かといっていい加減なことも言えなかったし、それに私は、この『もしイタ』を、たとえ震災のことを扱っていなかったとしても、私はものすごく感激したんですよ!ということを間接的に伝えたかった。「震災もの」というパッケージにして、それで感動しただなんて言いたくなかった。
冒頭のウォーミングアップは、柴幸男さんという人の『ハイパーリンくん』というもので、やはり年号と「できごと」をラップしていたらしい。周りからは平然としているように見えたかもしれないが、しゃべっているうちに「アガリ」がやってきたのと、自分の中でのツッコミに対する反論に躍起になっていたので、畑澤さんの説明をきっちりと聞える状態にはなかったが、1年生のときから憶えさせられるので、演劇部員は全員これを暗誦できる、ということをおっしゃっていたと思う。また、いったん挨拶を挟んだあとに、またもラップ調のパフォーマンスを行ったのだが、あれは例の「外郎売」のラップバージョンだということをおっしゃっていた。普通に「外郎売」を見せても面白くないでしょ、ということを付け加えていたと思う。
丁寧な回答にお礼を言い、しかも舞い上がっていたせいで、「参考になりました」なんて付け加えてしまったのだが、その言葉にもセルフツッコミが口うるさく「『参考』ってなんの参考にするんだよー。おまえ演劇指導員やってるつもりかよー」と罵ってきて、全体的にあまりよくない質問だったなあ、とちょっと後悔もした。今度からは、もっと考えておくことにしよう。ちなみに、普段は敬称略で記述している私なのだが、畑澤さんとは、ものすごい空間的距離を置きながらも直接話した「間柄」なので、「さん」づけをしている、とこういうわけ。
それでは、『もしイタ』の背景について触れることにする。

『もしイタ』の背景

たぶんここらへんが一番重要なことなので、ちょっと丁寧に、しかも私個人の責任で書くけれど、この演劇は東日本大震災を扱っている。
先にも少しだけ触れたが、あの震災を強烈なモチーフとして、作者(畑澤さん)は2011年の9月頃にこの脚本を作り、11月あたりから演劇部の生徒たちを連れて被災地に行き、無料公演を行い始めたという。その2011年11月から始まった、いわば「『もしイタ』ツアー」は、主に被災地を中心に公演を重ねた。
そして、私の行った大阪富田林の公演で通算38ステージ目になるという。ふつうの高校演劇部だったら、まず考えられない行動力であり、またその回数である。
なお、2012年8月には全国高校演劇大会において、この作品によって優勝しているのだが、その「高校で全国No. 1」ということじたいが霞むくらいの、このツアー。しかも、このそれぞれの公演はすべて入場無料のため、基本的には観客の寄付によって、部員たちの宿泊費・移動費をまかなっているということに驚いてしまう。青森県青森市にあるこの学校は、直接的には被災していない(はず)。脚本・演出であり顧問の畑澤さんは、公演後のトークショーで、「東北だからといって僕らが被災者ヅラをしてはいけない」ということは何度もおっしゃっていた。そしてまたそこに出席した演劇部の生徒さんも「公演のたびに、被災者の方から怒られるのではないだろうか、また、不愉快な思いをさせるのではないか、ととても怖かった」と言っていた。
この演劇の目指すところは、まず、被災者の方々に元気になってもらえれば、ということのようだ。ここらへんの表現についてはやっぱり非常にナーヴァスになってしまうのだが、もし「ん?」と思わせる部分があったとしたら、それは私の書き方がおかしいのだと思ってもらいたい。
畑澤さんや生徒さんのおっしゃったことを、私の曖昧な記憶のままで書いたりして当人たちに迷惑がかかっても嫌だし、あるいは、実際の言葉どおりに書いたとしてもそれが、しゃべり言葉特有の、その場にいる人間たちには簡単に諒解されていることが、文字をただ読んだだけの人にはなかなか伝わりにくいという現象を引き起こして、これもまた不要な誤解を生じさせてしまうかもしれないので、私なりに感じたことを書く。もう数年前の話になってしまうのかもしれないけれど、海洋冒険家(ヨット)の白石康次郎がNHK の『トップランナー』という番組に出演したときのこと。
彼がやっぱりものすごい記録(あやふや)にチャレンジしているとき、衛星電話だかなにかで、日本のどこかの小学校のクラスとコミュニケーションをとる、という試みをしたらしく、そこの小学生たちが、その前日に、「白石さんになんて言えばいいのだろうか」ということを学級会で議論したという。
「既に頑張っている白石さんに、『頑張ってください』と言うのはヘンではないか」ということに議論が落ち着きそうになったのだが、けれども、「それでも、やっぱり『頑張ってください』と言うべきなんじゃないか、(消極的な意味ではなく)それくらいしか言えないんじゃないか」ということになり、結局、白石に「頑張ってください」と伝えた。彼は、そのメッセージおよびそのメッセージが生まれた経緯も知り、やはりとても嬉しかった、とその番組で語っていた。震災に限らず、不幸な目に遭った人たちになんという言葉をかければよいのか、というのは非常に重要な問題だと思う。そもそも、言葉をかけるべきではない、という考えも含めて。
たとえば私は、阪神・淡路大震災も、東日本大震災も体験していない。そういう人間が震災についてなにかを言うことができるのだろうか、という問いを私はつねに抱えていて、だからこそ地震関連の話題には、とても慎重になってしまう。
だからといって、被災していない人間が被災した人間にかけられる言葉なんてあるわけがない、ましてやなにかの助けになることなんてできるわけがないと決め込み、まるっきりそっぽを向いてしまうというのもどこか違うと考えている。「助けてあげましょう」とか「みんなで一緒に頑張りましょう」などという不遜な言葉を注意深く回避しつつ、「それでもやっぱり『頑張ってください』」に近い言葉を、言うべきときには言うべきなんじゃないかということを考えはするものの、しかしそれをなかなか口にできないでいるし、なにもアクションを起こせないでいる。それが私の現状だ。青森中央高校演劇部のやっていることは、「それでもやっぱり『頑張ってください』」と言っているのと同じだと思う。被災した人たち全員がその演劇を見て元気になるとは限らないけれど、より多くの人たちにたのしんでもらえるのであれば、と多少の批判・批難を覚悟して被災地での公演に踏み切ったのだと思う。
なお、彼らの公演場所は、避難所の近くにある体育館などの施設が多いらしく、そこへ入るとまずは掃除をしてから地域の人を集め、それから演劇を行ったのだという。そのスタイルは、上述したように完全な素舞台。
私には、彼らの行動が善であるようにしか映らないが、世の中にはいろいろな意見があって彼らを快く思わない人間もいるかもしれない。被災者の中にも。
けれども私は、そういう批判的な「論」を述べる前に、彼らの芝居を観るべきだと思っている。善意に基づく行動がすべて善の結果を引き起こすとは限らないのだが、そういう理窟を超越して彼らが行動しているということが大切で、それを批判したいのなら、批判者もまず鑑賞をすべきだ。彼ら青森中央高校演劇部の行動は、ごく安っぽい薄っぺらな言い方をすれば、「美談」だ。その「美談」という言葉がうまく利用されて、支持者が増えればいいと本気で思っている。
けれども本心では、「美談」なんて安易な言葉で片付けないでほしいと思っている。
畑澤さんは、「これまで30年間演劇をやってきたのは、この『もしイタ』を被災地で公演するためだったのかもしれない、とまで思える」というようなことをおっしゃっていた。それは心の底からの言葉なのだろう。
あの震災が起こって、多くの人たちが亡くなり、生き残った人たちは傷つき、失い、そして現在も失いつづけているという中で、被災しなかった人間たちの比較的賢い振る舞いは「黙っていること」だったように私は思っている。
ある人たちは、原発批判を選択し、またある人たちは、あろうことか、原発批判者たちを批判することを選択した。しかしそれは、あの震災が引き起こした痛みや悲しみの本質的なところからあえて視線を外した行為だ。あのときから今まで議論百出ではあるが、そのような議論によって救われた被災者は、おそらくひとりもいないだろうと思う。あなたが辛いのは誰かのせいだ、だからその誰かに対して怒りを持て、というのは救いを生み出さないと思うし、しかもそこにはどこか卑怯な匂いもする(その卑怯さが必要な場合もある、という議論もあるかもしれないが)。
畑澤さんだけではない、彼が率いる演劇部の生徒たち、それから彼らを支援した人たちの行いが、はたして救いをもたらすのかどうか。それは被災者ではない私にはわからない。けれども、彼らの踏み出した一歩は、その踏み出した時期も含めて、非常に人間的な振舞いだったと思う。「人間的」というのはどういうことかと考えると、たとえば以下の記事で言及したシンディ・ローパーの発言を思い出す。
私は音楽には癒しの力があると思っています。もしかしたら、その(震災の)ことを少し忘れられるかも知れない。ほんの少しの時間だけれど。そして気分が少し晴れるかも知れない。そしてまた現実に戻るわけですが、以前ほど辛くないかもしれない。私はいつも音楽に助けられてきました。なので単に私はそれを他の人にも伝えていきたいだけなのかも知れません。
(シンディー・ローパーのインタビューより)
または、
歩いていて、前の人が転んで倒れたとき、どうするか?ということです。
立ち止まって、立ち上がるのを手を貸すか、
それともその人を踏んで歩くのか、ということです。
私は転んだ人に手をさしのべるような人間になるように育てられました。

(同インタビューより)

ここで作品の内容についてほんの少しだけ触れる。
主人公の男の子は高校生。あの震災で野球部の友だち、監督、そして母親を失っている。その彼が劇の最後のあたりで、もう一度その死んだ人たちと出会う。「どうやって?」と思った人は、この劇のタイトルを見直してください。だいたいわかったでしょ?
そのとき、彼は「ごめん」と大きな声で死者たちに泣いて謝る。「ごめん。みんなのこと絶対に忘れないって言ったけど、おれ、野球するのがたのしくて、忘れてた! ごめん!」
私には、この台詞が一番響いた。生きている者、生き残った者へのゆるしの言葉に聞こえた。それ以上は、書かないでおく。あとは実際に(そのチャンスがあったなら)観てください。
トークショーが終わり、私の質問が終わったのち、観客のひとりが手を挙げた。年配の女性だった。
私はほっとした。私がくだらない質問をしたので、それによって心的障碍が少しでも低くなったのだったら幸いだった。
以下はまったく不正確なのだが、その主な発言内容。
「わたしは、気仙沼から避難してきた被災者です。ほんとうにすばらしい内容でした。ほんとうに。そして、久しぶりにクニの言葉を聴くことができました。ありがとう」
会場は拍手に包まれ、畑澤さんの目が潤むのが、遠目からでもわかった。

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演劇部5分前 1巻 (BEAM COMIX)

演劇部5分前 1巻 (BEAM COMIX)




百名哲の『演劇部5分前』を読み終えて、あることを思い出していた。

数年前、宅間孝行(当時はまだ、脚本はサタケミキオ名義だった*1)をテレビで見かけるようになった頃、その主宰する劇団、東京セレソンデラックスを観に行った。知り合いの知り合いが客演しているということで連れて行ってもらった。

だいたい小劇場系の演劇のお客さんというのは、有名なところでなければ、20代~30代のやはり役者志望者みたいなのが多いのだが、そこは、いわゆるギャル系のチャラチャラした女の子たちがたくさんいた。おそらく主宰が人気のあるテレビドラマに出ているということで、こういうお客さんも来るんだな、とちょっと遠巻きに彼女たちを眺めながらそんなことを考えていた。

いい舞台だった。脚本がよく練られ、笑いと感動のバランスが取れていた。いじられやすいタイプの俳優を徹底的にいじるという、今であれば新喜劇系とわかる笑いを私は好ましく思わなかったけれども、他のお客さんたちにはよくウケていた。

芝居が終わり、客電が点くと、Primal Scream の"Rocks" が大音量でかかり、出演者全員がモンキーダンスを踊って出てきた。「うわっ」 と思った。カッコイイ。圧倒されてしまった。

劇中、ずっといじられていた俳優が挨拶としてこういうことを言った。

「ぼくたちは、まだちっぽけな劇団です。千秋楽は明日です。きょうの芝居がよかったというのであれば、みなさんのお知り合いに教えてあげてください。応援、よろしくお願いいたします!」

聞いていて、よく言うぜと思った。こんな洗練されたところが、まだ「ちっぽけな劇団」と名乗るのか。ずるいくらいの低姿勢で、そんなこと言われれば応援したくなるじゃないか。



さて、話は『演劇部5分前』に戻る。

この漫画、とある方のブログ記事で知ったのだが、実は私、その記事にほとんど目を通さなかった。おそらくよいことが書かれてあるということはわかるのだが、たぶん内容が少しわかってしまうような書かれ方であったので、(比喩ではなく文字通り)焦点を少しずらすような読み方で、さっと目を通し、「高校演劇部マンガ・オールタイムベスト」の言葉を信じて、とにかく買ってみることにした。

※読後に、当該記事を読んでみたら、やはりいい記事でした。



ネタバレ(そんなにひどいものではないけど)があっても問題ないよ、という人だけ読んでみてください。



私もネタバレを回避するつもりなので、あらすじも詳細には触れない。

ごくごく少人数の女の子たちで構成される高校演劇部の話。あとはもう読んでください、としか言えない(ストーリーは複雑なわけではない)。

絵はあまり上手ではないと思う。古い絵柄で、デフォルメされたときのキャラたちは、コロコロの『つるピカハゲ丸』とか、初期のにわのまこととか、初期のつの丸を思わせる。

コマ割りも見にくい部分がある。「あれ? この人、この場にいたの?」みたいな箇所もある。

けれども、これらは強いて挙げた短所であって、それ以外のすべては、すばらしいとしか言いようがない。



最初は、アッコ、ワシさん、トモの3人がドタバタを繰り広げるのだが、この描写に「つまんねー」と思う人は少なくないのではないか。意味もない、というか、本当に無目的な感じのドタバタ。

けれども、ここでまず私は引きずり込まれてしまった。私の高校時代のごくごく個人的な体験を思い出してしまったのである。

高校2年になって、はじめて演劇部があることを知った。部員は女子2名。ふたりとも同学年だという。「どういう子?」と部長の子と同じクラスの人間に訊くと、「うーん。かわいくていい人なんだけど、ちょっと変わってるよ」

ん? 「変わってる」の意味がよくわからなかった。

とある放課後、私が校内をうろちょろしていると、演劇部のふたりが空いている教室を使って大声でおしゃべりをしていた。

もちろん立ち聞きするわけにもいかないので、通り過ぎながら、ふたりの話している感じなんかをつかもうとしたのだけれど、その雰囲気がこの漫画の3人、正確には、ワシさんとアッコのやりとりにすごく似ていた。同じ人間をモデルにしてるのかなっていうくらい。

笑うときは「ぎゃはははは」という感じで、話せば「マジで? うわー、ひでー」などという、私の学校では珍しい男言葉遣い*2、なおかつ、部長ももうひとりも、一人称が「おれ」。おれッ娘だったのである。ちなみに、漫画内では、ワシさんの一人称は「ワシ」。

1年生のときはどうだったか知らないけれど、2年のときはすでに2人で、3年になっても、1年生は入らないままで、ふたりっきりのままだったようだ。くわえて、うちの学校は学園祭時にはクラスごとに演劇をやるのが盛んで、演劇部がどこでどう発表していたのかは、ついにわからずじまいだった。もし学園祭当日にやっていたとしても、おそらく観客はほとんどいなかったろうと思う。各クラスの前評判とプログラムとを突き合わせて、どれだけ多くの(演劇部ではない)クラス芝居を観られるのかに、生徒みんなが夢中だったから。

初めて練習風景を見たその後も、ふたりがどこかの教室で練習らしきことをしているのを何度か見かけた。失礼ながら私は、たったふたりで芝居したって、いったいなんの意味があるのだろうと思っていた。

卒業するまでに、この部長の女の子と、2度ほど声を交わしたことがあって、たぶん伝言程度の内容だったと思うのだけれど、そのとき彼女は普通に「わたし」と言っていたような気がする。話すと、ちょっと顔を赤らめるような、照れ屋だった*3

いま考えると、ふたりにはふたりだけの世界があって、それを3年間ずっとたのしんでいたんだと思う。彼女たちは、いじめられるということはまったくなかったが、「変わっている」というのが多くの人間の共通認識になっていて、周りとは少しだけ距離が置いてあった。体育なんかで一緒になると、みんなが彼女たちのことを苗字に「さん」づけしているのを知った。誰も名前で呼びはしていなかったし、渾名もなかった。私は遠くから、「かわいいんだけどなあ。けれど、きっと話が通じないんだろうなあ」といつも思っていた*4

実は、この漫画内にも、似たような描写が出てきて私はドキッとした。

主人公(のひとり)であるアッコのことを、かわいいと認識しているフツーの男の子がいて、「あいつ(アッコ)は周りからは『バグっている』という評価だけど、単に子どもなだけで、おれが変えてみせる」みたいなことを遠くから見て思っているのである。

その後、彼はアッコにアプローチするのだが、そこのやりとりも、ぜひ見てほしい。アッコの気持ちが、今の私には痛いほど感じられた。

演劇部というのは、野球部とかサッカー部、バスケ部なんかに較べたら、もしかしたら花形の部活ではないのかもしれない。

全国大会に出場するレベルならいざしらず、全国にある高校演劇部のほとんどは、規模が小さいと思う。そして、規模が小さいものを、特に10代の思春期にある若い人間たちはバカにしがちだ。

「話が通じない」と思っている底には、「自分の話が通じないのだろう」というおこがましさがあるのだが、相手からすれば、「わたしの話が、この男には通じない」であるはずなのだ。その部分を客観的に見られないからバカにするのである。「変わっている」と思うのである。

周囲からは理解されないけれども、独自の世界がきちんとあって、その中の価値観で充分にたのしんでいる。そういう描写が、『演劇部5分前』冒頭におけるドタバタなのではないか。

私は、この冒頭の騒がしさに、なんとなく懐かしさと苦しさを感じた。



3人しかいない、という危機的状況は、ある事件を境に加速していく。廃部の危険に陥るのだ(結局、あらすじに触れ始めている)。

そこで、教師連中の廃部検討を撤回させるべく、中部大会出場を目標とし、本格的な練習を始めるようになる。やがて、役者を目指している女の子(これがもうひとりの主人公みたいなもの)が登場し、そのほかにも何人か登場し、場が盛り上がり始める。

こういう徐々に登場人物が増えて物語が複層的になっていく感じも、舞台っぽい。人物が動き、ストーリーの歯車が回り始めるのである。

ストーリーには、意外に伏線が張られていて、それらは丁寧に回収されていく。

しかし、登場人物たちひとりひとりにあるらしい独特の背景については、それほど深くは掘り下げられない。なぜなら、彼女たちの生きている場は、演劇部であるからだ。

この構図は、演劇そのものにも似通っている。

役者たちは、個々に人生を抱えてはいるものの、舞台の上では、ひとつの「役」を演じ、その「役」が集まって大きな芝居を成立させる。そこでは、役者A が最近離婚したんだ、とか、役者B の健康診断の結果が思わしくない、とかはいっさい関係ないのだ。

これ以上書くとネタバレになってしまいそうなので、あとふたつだけ、心が震えたシーンを。

ひとつは、アッコが東京で有名とされている劇団のDVD を演劇部のみんなと一緒に観て、その帰り道になって、突然ぼろっと泣くシーン。はじめて彼女が演劇を観て感動して泣くのだが、そこがちっともいやらしい涙じゃない。「あれ? なんで涙がでてくるんだろう」という感じで、みんなに泣いていることを隠すためにその場で別れ、ひとり、歩いて帰るのである。

ここを読んでいて、私がはじめて演劇に感動した日のことを思い出した。

私はそれまで、弟が買ってきたキャラメルボックスのビデオとか、あるいは高校演劇の全国大会のビデオ*5などを観てきたが、どれも魂を揺さぶられるような感動をしたことがなかった。私と演劇の相性はきっとよくないんだろうな、と思っていた。今のところは感動できたことはないが、いつか理窟で理解することができるかもしれない、とも思っていた。教養とかその類での理解の仕方をするのではないか、と漠然と考えていた。

ある日、深夜番組で、相島一之渡辺いっけいが出演する『LOVER SOUL』という作品を観た。

テレビをザッピングしていたところなので、「あ、演劇か」という感じで、つまらなかったらすぐに観るのをやめるつもりで眺めた。

すぐに引き込まれた。「眺める」が「食い入る」になり、あっという間に時間は過ぎた。エンディングになり、気づくと私は泣いていた。嗚咽しつつ、自分で驚いていた。なんなんだ、これは。

いい芝居に反応したのは、頭ではなく、どちらかといえば身体だった。あまり馴染めなかった劇団では、没頭できなかったスタイル ――日常的感覚からすると大きな声*6、大仰な動作、爆発させる感情など―― が、自然と諒解できたのだ。舞台上にある空間がリアリティそのものになっていた。

それから、演劇が一気に好きになった。自分にとって、いいものと悪いものがわかるようになった。それから何年か経ち、野田秀樹の4人芝居『赤鬼』をシアターコクーンで観たとき、あのコクーンの会場*7に鳴り響いた拍手をたった4人で受けている、という事実に気づき、驚愕し、そして憧れた。

『演劇部5分前』のアッコは、ひとりで帰ったその日が、はじめて憧れを抱いた日だった。

私は、彼女の気持ちが、なんとなくであるがわかる。きっと、演劇が好きな人だったら、共感できるだろう。ああ、そうそう。わたし/おれもそんなだった。初めて体験した感動を、ひとりでじっくりと、いつまでもいつまでも噛み締めていたなあ。それから何日か経っても、ふとしたときに思い出して、じいんと胸に熱いものを感じていたよ、と。

もうひとつだけ。

アッコたちが練習のために合宿をするのだが、その夜のシーン。

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彼女たちの見ていたのは、実はなんということのない光景なのである。しかし、アッコは「一生忘れない気がする」と思った。そして、この場面を読んでいた私も「あ、ヤバイ」と思った。

周りに誰もいなくて、よかった。



ネタバレをしないようにしたために、なんだか自分語りになってしまったが、とにかくすばらしい漫画。

この漫画の中でも語られているが、演劇とは、一回性の表現藝術であって、一回きりであるからこそ価値がある。ということで、この漫画はまだ一回きりしか読んでいない*8。その状態で、この感想を書きたかったからである。おそらく読み込みも甘く、中途半端にしか理解できていないのだろうけれども、その「生(なま)っぽさ」が演劇と少しリンクしているようにも思うのだ。

少しでも興味を持った人、演劇をやっていた人、漫画が好きな人なら、おすすめします。明日にでも、書店に行って「『演劇部5分前』って本、ありますか? なければ注文します」と言おう。エンターブレインを驚かせて、増刷させようぜ。

さて。実際に買って来た人は、ここまで書いてあったことを全部忘れよう。そして、静かにページを開き、彼女たちの舞台の幕を開けよう。



東京セレソンデラックスの話に戻る。

終演後、知り合いは、その知り合いに挨拶をしてくると楽屋に行き、しばらく戻って来なかった。なにをしているんだろう遅いな、と思いつつ、私は外に出たところで自販機で買ったジュースを飲みながら、仕方なしに、劇場から出てくる人たちをなんとなく眺めていた。

ギャル系の女の子たちが集団になって、わいわいと騒いでいた。もう周りはすっかり暗くなっていたけれども、ちょっと興味があったので、怪しまれない程度に一歩だけ踏み出して彼女たちの話に耳を澄ませた。

「ヤバイ! ちょー感動したんだけど」

「わたしもー」

「わたし、○○に連絡するわ。明日来いって!」

「あ、わたしもー」

「ほんと、すごいよかったんだけど!」

「わかるわかる。最後のところでしょ?」

「そう!」

「あの最後のところ、わたし泣いたわー」

「わかるわかる! わたしも泣いていたし!」

「あ、ヤバイ。話してたらいま涙でてきたんだけど!」

このやりとりを聞いていたら、不意に、胸を衝かれる思いがした。

まずい。私は一歩下がり、自販機の明かりの届かないところに立った。そして、誰にも見つからないように、息を潜めた。

女の子たちは、泣き笑いだか笑い泣きをしながら、その場を去って行った。やがてひと気がなくなっても、私はしばらくその場を動かなかった。まだ、私の中にこみ上げるものがあったのだ。あともう少しだけ、知り合いが戻って来るのが遅れてくれればいいな、と思った。鼻をすする音が、やけに大きく響いた気がした。



*1:サタケミキオは宅間の脚本時の名義。


*2:今となれば、女の子の汚い言葉というのは珍しくないが、当時は一部に限られていた気がする。特におとなしいタイプの女の子たちの言葉には、たとえ汚くても上限があったような気がする。「うめー」とか「ひでー」とかは、絶対に遣わなかったのではないか。


*3:と書いている私だって、当時は女の子としゃべることなんてほとんどなかったので、こういうのはほぼ「イベント」みたいなものだった。だから、私も彼女に負けず劣らず、ものすごく緊張して話していたと思う。


*4:といっても、私の心の中でそういう「かわいい」フォルダに入っている同学年の女の子は、たっぷり1ダースはいた。


*5:わが家では、毎年NHK で放送されるこの全国大会の番組を録画し、愉しむという慣習があった。


*6:キャラメルは特に声がデカイが。


*7:そのときの舞台は、会場の中央に舞台が設置され、四方からお客さんが囲むようになっていた。いまこれを書いていても昂奮してくるような舞台だ。出演者は、野田、大倉孝二小西真奈美、外人さん。


*8:厳密にいえば、上掲画像をスキャンするときに、一回だけ当該部分を開いたが。



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