とはいえ、わからないでもない

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坂本慎太郎のアルバム『できれば愛を』を何度も何度も繰り返し聴いている。そのなかでも『ディスコって』の歌詞に打たれている。


(※坂本慎太郎のVer.はなく、オノシュンスケのカバーVer.しかYouTube上にはない)
今 男が 女に声をかけた
今 不思議な 沈黙が訪れた

ディスコは君を差別しない
ディスコは君を侮辱しない
ディスコは君を区別しない
ディスコは君を拒絶しない

今年も盆には みんな来る
さあ出迎えよう迎え火で

ディスコって 男や 女が 踊るところ
ディスコって 不思議な 音楽かかるところ

ディスコで君は何もしない
ディスコも君に何もしない
ディスコに君は期待しない
ディスコも君に何も求めない

たまらず先祖も 蘇る
まあ次の日の夜中まで

今 女が 男の肩に触れた
今 男が 男と腕をくんだ
今 女が 女とキスをしてた
今 男が 男と外に消えた

ディスコは君を差別しない
ディスコは君を侮辱しない
ディスコは君を区別しない
ディスコは君を拒絶しない
ディスコで君は何もしない
ディスコも君に何もしない
ディスコに君は期待しない
ディスコも君に何も求めない

ディスコって 男や 女が 踊るところ
ディスコって 不思議な 音楽かかるところ
ディスコって 男や 女が 出会うところ
ディスコって いつでも 一人になれるところ
ディスコ
上に掲げた歌詞を読み、あるいは耳にして、そしてこの曲がリリースされたのが2016年ということを考慮すると、どうしても米国フロリダのゲイナイトクラブ銃撃事件が想起してしまう。
何度も繰り返される「ディスコは君を差別しない/侮辱しない/区別しない/拒絶しない」。そして中盤には男と男、あるいは女と女という同性愛の関係性を連想させる歌詞もあり、ディスコというものが、そういう愛の形態をごく自然のものとして受け入れている場所なのだ、という宣言のようにも思えてくる。

この曲が収録されている『できれば愛を』は2016年7月26日にリリースされた。たとえば2016年6月9日CINRAのニュースではその情報が早くも公開されており、そこに掲載されたジャケットの画像にはside Bの4曲目に同曲の名前が印刷されていることがはっきりと確認できる。
しかし、上記のゲイナイトクラブ襲撃事件は、2016年6月12日未明に起きている。つまり、僕がはじめに思った、事件を発端として書かれた曲ではないということだ。
僕はこの事件を、CNNのレポーター(彼自身がゲイということらしい)が、犠牲者の名前とそのプロフィールをつぎつぎと読み上げながら、込み上げてきたために声が震えてしまう動画とともに憶えている。


菊地成孔が、自身のラジオ番組でポピュラーミュージックにはそのような偶然はよくあることだ、と言っていたことがある。
アントニオ・カルロス・ジョビンの『三月の水』について触れ、「三月の水」という言葉が日本人にとって特別な意味を持ってしまった、と。そのあとに、ポピュラーミュージックにはそのようなことはよくある、と継いだ。

それほどシリアスではない例として。
今年の2月26日に、リリカルスクールという5人組のアイドルグループのうち、オリジナルメンバー3人が卒業するということでその最後のライブがあった。
僕はそれをLINE LIVEで観たのだが、出てくる歌詞のいちいちに衝撃を受け、胸が詰まりっぱなしだった。
たとえば、「楽しもう今日は今日だけだから(『ワンダーグラウンド』)」、「1分1秒でも長く!(『マジックアワー』)」、「多分だけど絶対今日のことずっと忘れないと思うんだ(『サマーファンデーション』)」など。
もちろんこれらの曲は「卒業」を意識してつくられたものではなく、そしてつくられた時期もばらばらだ。
しかし、これらの言葉が耳に入ってきたとき、「ああ、これはまさしくきょうのこの瞬間のためにつくられた曲だったんだなあ……」と感慨の深い深いところにひたりきってしまった。


音楽には魔法があると思うことがよくある。僕自身は音楽は詳しいほうではないが、それでもたぶん、力はある。
たしかきのうとかおとといくらいに、東京レインボープライドがあったはずだけど、そのどこかで、『ディスコって』が爆音でかかっていたりしたら、とてもすてきな光景だったろうと思う。

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上場した株式会社はてなが、はてなブログ内で「ブログチャレンジ」ってのを提唱だか提案だかしていた時期があって、あのダサさにはものすごいものがあった。「チャレンジ」という言葉は去年の東芝と今年初めの安倍(こっちは日本語の「挑戦」だったけど)のおかげでもう聞き飽きたっていう気がしていたのだが、さっきまで湯船に入ってウォークマンに詰め込んでいたテデスキ・トラックス・バンドの『Midnight in Harlem』のライヴ版を聴いて、そんな腹立たしい気分もどこかに行ってしまっている。
 
この音楽を知ったのは、二年か三年前のはてなスペースで、誰かがぺたっと貼っていたこのライヴヴァージョンを、なんとなく聴き流していたらやけに耳に残ってしまい、繰り返し繰り返し再生するうちに、地味ではあるのだが音楽そのものが自分の魂に書き込まれていくような、そんな離れがたい感覚に陥ってしまって、どこがどうとうまく言えないけれど大好きな曲になってしまった。
今年の始め、ピーター・バラカンが自分のあるラジオ番組でこの曲をかけて、それがその番組の新年第一回目の放送の第一番目の曲で、もうそれだけで感動してしまった。
この『Midnight in Harlem』ていう曲をはじめて聴いたのは、2010年のフジロックだったんです。まだこの"Revelator"というアルバムも出ていなくて、テデスキ・トラックス・バンドという正式なバンド名すらまだ決まっていない時期だったんですけど、しとしと雨が降る中で、このバンドの生をフィールド・オブ・ヘブンで聴いて、この曲にどれだけ感激したか。一生忘れないと思います。
曲が終わってからのこの言葉も、僕の心に響いた。

「大好きな曲」を聴くたびに忘れがたさが強まっていく。いろいろな言葉や記憶が、それをより強固なものにしていく。多少の健忘や失念のなかに埋もれてしまうこともあるかもしれないけれど、十代の時分ひとりで勝手に傷ついていた思い出や、あるいは十数年経ってやっと気づく誰かの優しさのように、なにかのきっかけでまた僕の心にはっきりと思い出されることだろう。
金髪の若者たちがカップルでふざけてつけた親指傍のタトゥーのように、という形容が似つかわしい、偶然によって生まれた傷のようなものが僕の心にある大切なもののすべてだ。それらは必然性もなく僕のなかに集まってきて、今日ここにある。
僕にとって大切なものを生み出した人たちの多くはもう死んでしまっているか、あるいは死が近い年齢にある。音楽家は音楽を残し、作家は文章を残すけれど、そうではない人たちがいなくなったときはいったいどうなるのだろうか。

先日、ある知り合いの人が突然亡くなった。その三日前に僕はその方と挨拶をして、言葉を交わしていた。近所の人にその人が「亡うなった」と教えられ、驚いて呼吸が止まった。
還暦になったばかりということだった。見た目が若い人だったのでもっと年若く感じていた。外出先で病死したらしい。
仕事から帰ってこないということで幾人かが捜索に出たらしい。僕のところには連絡はなかったのだが、あったとしても珍しくワインを飲んでいたので外に出ることは無理だった。こんなところでも、僕はいつも<死>と縁遠い。
親戚でもないし、仕事でつきあいがあったというわけでもなかったが、いろいろと目と声を掛けてくれた人のひとりだった。僕にはそれが不思議だったのだが、会えばなにかと「だいじょうぶか」と心配してくれて、彼の奥さんともどもよくしてくれた。
涙が出てくるというわけでもない。いつも思うことだが、泣ければどんなにラクだろうか。突然すぎて、実感がともなわない。葬儀やそれにともなう儀礼的なプロセスを経て気持ちを徐々に慣れさせていくのだろうが、それでも、身内ではないし、その不在をつねに意識できるわけではないから、いなくなってしまったことを忘れてしまうかもしれない。

それからちょっとして、車を運転しながら録音したラジオ番組を聴いていた。萩原健太があの気持ちのよい声で、ビーチボーイズの『Wouldn't it be nice』、邦題『素敵じゃないか』のヴォーカルだけを抜き出した音源を紹介していた。
もともと、大好きな曲だった。最高の邦題と言ったっていい。けれども、このコーラスが聞えた瞬間、なぜか涙が溢れ出した。とにかく、美しいハーモニー。特に低音部が出てくるところの美しさ、豊かさ。
ビーチボーイズはサーフ・ロックという印象が強いけれども『ペット・サウンズ』を聴けばわかるように音楽的にうんぬん、という仕方で語られがちだが、サーフ・ロックそのものの、たとえば『I get around』の冒頭、
Round round get around
I get around
Yeah
の、この「Yeah」の直後の、「Get around round round I get around」の低音部なんかもすばらしいのだ。もうこのイントロの数十秒を聴いただけで大昂奮してしまう。初めて聴いたときからたぶん二十年近く経っているけれど、いまだにいまだに。
萩原がこの音源を紹介した意図は、通常だったら演奏で隠れてしまうような部分にまでものすごく丁寧なコーラスを配していたブライアン・ウィルソンってすごい、ということだった。
そのブライアン・ウィルソンは、最近映画にもなったように、音楽作りにのめり込むあまりに精神を病んでしまったらしい。それゆえか、あるいはそれ以前からか、『素敵じゃないか』をリードトラックとするアルバム『ペット・サウンズ』は名盤中の名盤とされていて、日本盤の分厚いライナーノーツは山下達郎が書いていた。そういえば、ビーチボーイズのコーラスワークに山下達郎は絶対影響受けている。

音楽家は音楽を残し、作家は文章を残す。ブライアン・ウィルソンの音楽は、山下達郎の音楽のなかに命脈を保っているし、やはり達郎サウンドも、誰かの音楽のなかに生きつづける。そうやって連鎖はつづいていくのだろう。
「そうではない人」たち、つまり、残すものを持っていない人たち、残すものがないと思い込んでいる人たちは、ほんとうになにも残さないのだろうか。
空虚さを埋めたいがためにスカイプで誰かを呼び出してディスプレイに唾を飛ばして大声を出したり、スマホをタップだかスワイプだかフリックしてマップやスマップやトリックなんかを探して知って暴こうとしたり、あるいは、小洒落たカフェかトラットリアかワインバーでシェリーを頼み、シェリーをシェリー酒と呼んでいた昔、エキストラ・ヴァージン・オリーヴ・オイルなんて呼ばずにオリーブ油と呼んでいた過去、ワインのソムリエと言わずに葡萄酒の給仕係と言っていた往年を思い出し賢しらな風をまとってギャルソンかカメリエーレかオーナーソムリエに絡んだりするのはどうなんだろうか。なにがしかを残していることになるのか。それともならないのか。

それはともかく、はてなスペースは今年の二月末に消えることは決定しているらしい。ずっとほったらかしにされていて、世のほとんどの人たちが気にもしていなかったはてなスペースだが、僕にとっては、あれはあれでいい知り合いができたし、いい音楽を知ることができた場所だった。でも、それももうなくなってしまう。
なにかや誰かが終わったり消えたりいなくなったりすることが悲しいのは、それが失われた世界を生きる時間がまだだいぶあると踏んでいるからなんだろうか。
昨年末の野坂昭如の追悼ラジオ番組で、永六輔は亡くなった野坂に対して、「ぼくもすぐそちらに行きます」という趣旨の発言を、パーキンソン病の影響が色濃く感じられる喋りでしていたように記憶している。友人の死をたしかに嘆き、悲しんでいるのだが、その言い方には不思議な爽やかさもあった。寺に生まれたという事実よりも、その年齢から生じた感慨がそう言わせたのだろうか。いづれにせよ、僕のなかにはまだない考え・言葉だった。

この数週間のあいだにもアイドルたちはやめようとするか実際にやめたかして、アイドルやアイドル以外の人たちも謝罪したりスポンサーを失ったり反動で商品が売れたりしていて、そんな世間に対して斜に構えてみたり正面からがっぷり四つを組んでみたり、または逃避してみたりしながら、残っていくものと残らないものとのあわいに喪失感を抱えたまま立ち尽くしそうになるところを、誰宛かはわからない寒中見舞いを書く。この冬一番の、そして近年稀に見るという規模の大寒波の先駆けに触れた朝に。

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ハロー、ハロー? DRTK、DRTK、こちらはムーン放送局です。月面「静かの海」の水面に船を浮かべ海賊放送を実行中。ハロー、ハロー? 聴こえていますか?
こちらは天気晴朗かつ波浪なく嘶く馬を泣く泣く杭に結わいつけ駆けつけた警官たちの執拗な追跡を振り払ったところ、振り逃げ振り飛車振り子時計の文字盤はただいま2015年12月31日の午後11時を指し示しあと一時間もすれば年は百代の過客を伴うて新たな姿へと変容を遂げるところ、心も身もほぐしたついでに煩わしいほつれほころびもこの際ほどいて舫を解き謎を解き卵を溶き時の過ぎ行く方は振り返らず行く末だけをただ見定めているところ、です。ハロー?
この放送は、コマーシャルメッセージも、常連も、過剰なデコレーションも、いいかげんな思いつきもない、ただ一回だけ一夜限りのものです。受信できた人はラッキー。かといって受信できなくてもそれはそれで幸運かも。ここにあるのはただの駄弁りお喋り鳥の囀り、ピーチク・パーチク・トゥイート・トゥイート。トゥイーティー&シルベスターがいつもの追いかけっこをつづけるあいだ、ジルベスター・コンサートもいよいよ大詰めとなり、詰め込みすぎのオーチャードホールも昂奮の頂点へとアタックを掛けはじめ、ついに会場から音楽の漏れだす始末。こちらも遠い月から地球へと音楽を一曲届けてみます。Herbie Hancockで『Maiden Voyage』。
音楽という観点で今年を振り返ればアイドルソングに浸り切っていたのは、特に夏。朝四時半くらいに起きて頭をシャキッとさせるにはBPMのはやい音楽を聴くのが、方法の良し悪しは別としていちばん手っ取り早かったのです。朝ならスロウなリズム&ブルーズがいいという人もいるかもしれないけれど、僕はとにかくアイドルソングでした。ももクロでちょっと盛り上がったけれど、『あまちゃん』のブームやAKBの『恋チュン』の大ヒットによってちょっと醒めてしまったので、さすがにこれからアイドルもないだろう、と高を括っていたのがはるか昔のよう。去年の『くちづけキボンヌ』の発見によって、とりあえずは手探り足探りの状態からでんぱ組.incの探索を始めることにしました。

どこから話し始めればいいのかわからないのですが、アイドルって――少なくともいまは――みんなが理解できるもの、みんなが好きになれるもの、ではないように思っています。国民的、という形容詞をともなったグループもありますが、そういう時代じゃないと思う。善悪の判断は別として個人が幾枚幾十枚もCDを買っているという事実が厳然としてあるのに、全体をまとめた数字だけを見て「国民的」というのには僕は違和感を持っていて、きっとそれだからこそ「総選挙」などというゴールデンの番組が存在したのでしょうが――いまもしているの、かな?――、流行の派生というものが、もはやテレビからお茶の間へという単純なルートだけではなくなった現在、「みんな」という言葉の不確かさをもう少し意識したほうがいいはずです。これはネットだけをウォッチしている人にも言えることでしょうが。
そういう背景を認識すれば、アイドルという言葉じたいも変化しているのかもしれません。「みんなが好きな」とか「大人数が夢中になっている」なんていう形容を、「アイドル」という言葉は簡単に想起させるのかもしれませんが、「各人が個々に想いを寄せている対象」というくらいの認識のほうがより事実に近いのかなと思います。こういう認識が共有されていないがために、現今のアイドルというものに対して「おれが思っているほどには、かわいくない」とか「わたしが期待するほどには、歌がうまくない」という批判が起こりやすいのかもしれません。
そういう批判へは「個人の好みでしょ」とばっさり切り捨て御免としてしまえばいいのですが、もうちょっと批判者へと寄り添う答えがあるとするならば、あなたはまだわからないのかもね、というのがあります。単純な一般論として、好悪に絶対はなく、また優劣もありません。しかし別の角度から見ると、その分野への習熟度の度合いによって理解が変化する場合も少なくありません。フランスの熟成したチーズをただ臭いとしか判断できない人もいれば、涎を垂らして端から端まで美味の極みをしゃぶり尽くす人だってやっぱりいるわけです。「かわいくない」とか「歌が下手」というのはもしかしたらその対象の一部しかとらえられていないのかもしれなくて、もうちょっと目を凝らしてみればその奥にある魅力を見つけることが、ひょっとしたらできるかもしれない。そういう気持ちになってもらえれば、少なくとも頭ごなしの批難は少なくなるんじゃないか、とちょっと楽観的に考えているところです。
あるいは、「臭い」がひとつの魅力ととらえる人だっているわけで、美人じゃなくていいし歌は不安定でもいい、と考えている人だって少なくないはず。実はこれは僕自身のことなんですけど、目の覚めるような美人とか心に響く歌唱力なんてものは端から期待していなくて、むしろ、より素人っぽいほうを応援したいという気持ちが強いのです、人やグループにもよりますが。巷間でよく話される、AKBのメンバー選出は「クラスでいちばん人気の女の子」を目指していない、というのは事実なんじゃないかと思うし、そういうニーズは少なくないんでしょうね。

まあ、そういう面倒な「論」はさておくことにしましょう。ここまでちょっとした時間をかけて大いなる予防線を張ってきたわけですけど、好きなものを好きなだけ話すのがこの放送の本義ですので、ここからは好きなところだけをかいつまんでいけば……さっき言ったみたいに、でんぱ組の『くちづけキボンヌ』の6人バージョンでのPVをYouTubeで見て以来、彼女たちと、彼女たちのファンとの関係性みたいなものにグッと来てしまって――それはもしかしたらいまでも勘違いのままかもしれないんだけど――、そこから「ファン込み」で好きになって、楽曲にハマるようになりました。ここでいちいちの曲名を挙げていくことはしませんが、YouTubeやCDアルバムの視聴だけでは物足りなくなって、ついにはライブのブルーレイディスクまで観るようになってしまったんですけれどもこれが結局は正解で、13年の東西野音や、14年の武道館のライブはアイドルらしさが詰まったかわいらしくとても魅力的なステージでしたが、かなり客観的に見ても、今年2月の代々木第一体育館でのライブはほんとうに素晴らしかったです。楽曲やダンスやメンバー個人個人の一所懸命さは言うまでもありませんが、全体のステージ構成や仕掛けが、僕のようなスーパー素人にとっては衝撃的で、これは完全に舞台芸術といわれる領域にまで入っている、という感覚を持ちました。このようなパフォーマンスを実現させるためには、当人たちの「頑張り」のほかに、お金や才能を持った人たちの助けがまた別に必要なわけで、そういう大規模なお金と人とが動くようになるステージに良くも悪くも彼女たちは突入してしまったという点で、とりあえずここがひとつの頂点なのかもしれない、と生意気ながらに思いました。
彼女たちの『IDOL』のカバーヴァージョンを知って、そこからBiSのオリジナル版を知るという遡行・逆流もありました。はじめはなんだかうるさい品のない子たちだなあと嫌悪感しか浮かびませんでしたし、それ以前に炎上商法そのものというマーケティングの手法を仄聞していたので、彼女たちにはずっと距離を置いていたのです。それが、何度か再生していくうちに次第に耳にすんなりと入るようになって、すんなりどころか、かなり気に入るようになってしまい、これまたその足跡を遅まきながら――なんといったってもう解散しているわけですから――追っていき、解散後の各メンバーの道のりを辿り、柳の下の二匹目のどじょう、つまりBiSHを満を持して注目している、というのが現在のところです。彼女たちにもすぐれた楽曲が多く、やはりいちいちを挙げていくことはできませんね。きょうはさらっと流しますが、ほんと大好きな曲が多いです。
ほかにも、カバーのみというコンセプトのアイドルネッサンスの存在は、僕の「アイドル=高校球児説」を裏付けてくれます。繰り返しになってしまいますが、アイドルにとっては、「顔がかわいい」とか「歌がうまい」とか「ダンスがうまい」とかは瑣末なことに過ぎなくて、「あの子が頑張っているのをただただ応援する」とこのことに尽きるのではないか、と。そのうえで、「かわいい」「歌/ダンスうまい」という要素が加味される、とこう考えたほうがいいと思っています。地元の高校球児が野球大会に出場するってときに、バッティングがどうとか守備がどうとか以前に、一所懸命やっているかどうかで応援を決めている人は少なくないはずです。そりゃうまければうまいほうがいいのはあたりまえですが、その技術が低いからといって応援の熱が冷めるものでもないし、かえって火がつく場合だってあるはずです。判官贔屓であれば、なおさらです。
と、アイドルソングの話はここくらいまでにしておきましょうか。まだまだ言いたいことはあるけれど、とりあえず、ピクソンで『恋なんです』。
小説でいえば、今年もあまり本を読むことができなかったので、トップ3を選ぶのでさえ苦労します。といってもベストはキングの『11/22/63』で、壮大な物語の力強さというものを感じることができました。めちゃくちゃ適当に要約してしまえば、世界とひとりの女性を天秤にかける話で、下手したら冗談にもなりかねないこのスケールの大きさは、アメリカという国の文化や歴史とは無関係ではないはずです。そして、この力強さを後ろから支えているのが、膨大な固有名詞や歴史的事実。小説にリアリティの総体という側面を求めるのであれば、SFという装置があるにもかかわらずこの小説ではリアリティが成立していて、それに圧倒されます。だからこそ、冗談になるどころか感動的な結末を味わうことができます。

マンガは、小説よりさらに読まなくなりました。偶然知った大庭賢哉の『屋根裏の私の小さな部屋』は嬉しい発見で、オールタイム・ベストにも入れたくなる作品でしたが、それ以外はほとんど手に取ることすらありませんでした。ひとつ、肥谷圭介と鈴木大介の『ギャングース』は、その製作動機からして応援したいマンガだと思いました。特殊詐欺犯たちから強盗を働く若く貧しいギャングたちの話なのですが、かなりノワールな描写が強いのにも関わらず読者を強く惹きつけます。物語に通底しているのは、子どもの貧困。そういう状況で育った子どもたちが、はたして自分たちを虐げるかあるいは無視してきた社会に対してどのような思いを抱くのか。これだけ聴けば、もしかしたら海外の話かと思われるかもしれませんが、日本の話なんです。なにもこれは、ごく一部のものすごく特殊な世界の話ではないと思います。
特殊詐欺犯たちがものすごいトレーニングを積んだうえで振り込め詐欺を働く背景として、「それを奪っても死ぬことがない人間たちから金を奪うことのどこが悪い」という論理がこのマンガでは描かれます。もちろんこれは一般論から言えば盗人の三分の理でしかないはずですが、ただ、生まれた時点で圧倒的な逆境に立たされ放置されてきた人間たちが、一般論に従うべきだというのもどこか理窟に合いません。そしてこのような「悪の論理」は、現在世界中で起こっているテロリズムの一部でも、その行動基準として通用する部分があると思います。虐待、迫害、排除、差別、貧困。それらが生み出す社会的なマイナスは厳然としてあるはずで、物語作者は、欄外スペースを駆使して膨大な事例を示し、問題について熟考することを促しています。1巻にこういうト書きがあります。
この世は金がすべてだ
もしも金もないのに「金なんかいらねえ 愛があれば大丈夫」
とか言ってるヤツがいたら そいつは……
ただのカモか ただのバカだ
容赦なくタタいて全て奪っちまえばいい
と。けれども、100ページほど後にはこういう言葉が出てきます。
この世は金がすべてだ
金がなくても愛さえあればとか言ってる奴はクソだ
だが――
人は金だけでは生きてはいけない
と。作者自身が「救いようのない世界」と書いていますが、けれども、このマンガのなかにはちょっとだけの希望があります。そして、読んでいる人たちへの問いかけがあります。
それではギャングということで、『Lock, Stock & Two Smoking Barrels』のサウンドトラックから、Dusty Springfieldで『Spooky』。
落語のことを話そうとすると、どうしても米朝がことし亡くなったことに触れなきゃいけません。すでに晩年は高座に上がることはありませんでしたが、けれども米朝という噺家は、僕みたいな落語素人にとってもきわめて偉大な存在であって、亡くなったことにとてもショックを受けました。
よく若い落語家の高座へ行くことをやたらと勧める人がいますが、僕にはその心境がわかりません。だって世の中には米朝の音源があるんですよ? 藝術っていう呼び方をしてしまうのは誰にとっても据わりの悪いものになってしまいますが、でも、藝術に劣化したコピーは要らないんです。
落語という世界には米朝という人がいて、ものすごい業績を残している。それはとても大切なことだと思うんです。伝統に固着しろとかそういう話じゃない。米朝がいた、ということをまず諒解して踏まえたうえで、その先の、たとえば枝雀の存在を考えてみる。枝雀が進化系ということでもなくて、米朝を咀嚼したうえでのあの落語だと思うんです。咀嚼しきれたかどうかはわかりませんが――小佐田定雄の『米朝らくごの舞台裏』なんかを読むとそうは思っていなかったように思いますが――とにかくあの先の落語として枝雀落語が存在するはずです。そのうえでさらに落語をやる必要があるのか、という自問がなければとうていスタートすらできないように僕みたいなトウシロウは思ってしまうのですが、さて若い落語家たちはどうなんでしょう? 多様性とかニッチなんていう言い訳めいたフレーズはあくまで商売用のことであって、藝術とはまた別の話。僕が偉そうに言うことじゃありませんが。

今年はふたつの落語会に行きました。四月に談春の独演会。五月に吉弥の独演会。そのどちらも客が最悪でした。前者の会では、携帯電話が一度鳴りました。大ネタ『百年目』の最中に。それもそのはずっていうか、みんな噺と噺のあいだにすぐスマホの電源をつけてSNSやったりメールしたりするんですよね。大阪なのに談春って人気あるんだなあ、と思っていたのですが、やはり小休憩のとき、近くのおばさんたちが集まって「意外に面白いね」と『へっつい幽霊』の感想を言って、「ねえねえ、来週はどこに行く?」と相談していました。そこから想像するに、おそらくご婦人方で集まって週にいっぺんだか二週にいっぺんだかでどこかに行く、ということをやっているのでしょう。その一環で、はじめてだけど落語に来たということのようです。そこは大阪のホールだったので、ふつうに考えれば上方落語を観に行きそうなものなのに、なぜ東京落語の談春なのか。これが、笑点メンバーというのならまだ話もわかるのですが、談春……そこで気づいたのです。談春が『ルーズヴェルト・ゲーム』に出演していたことを。ははん。半沢直樹から池井戸系列でルーズヴェルトへ行って、そこで談春を知り、それなら観に行ってみようか、という流れか。「談春が『百年目』? ちょっと観てみたいな」と思ってやってきた僕とはまた違う動機だったようです。
お客さんの全員がそういうわけではなかったと思います。現に、僕の左隣にすわっていたひとりの女性は、オペラグラスで覗いて、マクラのいちいちの話に頷いたり笑ったりしていい反応をしていましたから。けれども、全体的には、あまり慣れていない人の割合が多いという印象でした。僕の前の老齢の女性は、小休憩のあいだに係員を呼びつけて「声が小さいからマイクの音を上げてもらえない?」と注文をしていました。どうやら、お客が笑っているあいだにも話が進んでしまうからよくわからない、ということらしい。年をとったら耳が悪くなるということはわかるけれど、ちょっとそれは難しい注文かな、と思いました。自分の聞こえなかった部分はなんとか想像して補う、ということは落語に限らず映画でも音楽でもあることなんですが、そういうことにあまり慣れてもいないのかなあ、と。だからといって嚙んで含めるように話すというのは、もはや落語じゃなくなってしまいます。まして談春は、東京の威勢のよい口調がウリのひとつなはず。ここでも、鑑賞の選択ミスという問題が僕の頭をよぎります。
ちなみに、『百年目』はすばらしかったです。談春なりの解釈がきちんとあって、サゲを変更している点にも驚きました。ただ、師匠の談志と同じように、噺の途中に話者がメタ的に介入するという手法をいくつかやっていて、そこに賛否が分かれるだろうとも思いました。米朝は話者の介入をできるだけ排除するという思想で、僕もできるだけそのほうがいいと思っていますが、三十年やっている談春がそういう選択をしているんだからそれでいいじゃねえか、という意見を持ちました。なお、僕は米朝の『百年目』を米朝ベストと思っているんですが、談春ラストもかなりよかったです。完璧にしか思えない『百年目』に手を加えるというその料簡にまずあっぱれと思いました。これこそ、先人たちを踏まえても落語を演る意味というものがあるのではないでしょうか。
なお、余談ですが、小佐田定雄が米朝の『百年目』を落語全体のベストに挙げていて、ものすごく嬉しかったです。なお、枝雀は『たちぎれ線香』ひとつが、ほかのすべての落語の噺の合計と匹敵すると考えていたそうです。それもなんだか枝雀らしくていい話。僕は枝雀だったら『高津の富』がベストです。
ここまでだったらいい話で終わるのですが、そうはいきません。このサゲのちょっと前にいちばんグッとくるセリフがあったのですが、それを言ったときに、僕の近くにすわっていたおばさんが感動しました。感動するのはいいのですが、「あら~」とふつうに声を出してしまったのです。途端に現実に引き戻されたといいますか、家にいるのと勘違いしてねえか?と本気で腹が立ちました。

吉弥の会ですが、ここの客はもっとひどかったです。会場じたいもあまりよくはありませんでした。図書館のなかにあったホールなんですが、等間隔に置かれた椅子はすべてフラットに並べられていたので、前に背の高い人がすわればものすごく見づらいのです。で、僕の前にすわったのがやたらと座高の高い人で、しかも頭をふらふらさせるので、僕もそれに合わせて首を左右に動かしたり片目をつぶったりしなければならず、見ることそのものに苦労しました。
左隣にすわったおっさんは、途中からガムを嚙み始めました。右隣のおっさんは短い足を組んで、ペットボトルのふたを「プシュッ」と音をさせて開けて飲んでいました。そして、当たり前のように携帯電話がどこかで鳴りました。
噺に集中することができなかったので適切な判断はできないのですが、吉弥が最近取り組んでいる新作には、やはり新作の持つ不自然さを感じました。新作はどうしてもくすぐりの連続になってしまいがちなのですが、そういうものって落語っぽくないというか、落語で演る意味をあまり感じないんですよね。だったら漫才やコントでもいいじゃんっていう。このあいだ古本で読んだ宇野信夫の『芸の世界』という文庫にこんなことが書いてありました。
講釈や落語にテーマはありません。描写はあるけれども、主題というものはありません。近来の戯曲小説には、それがいかに駆け出しの作家のものであっても、テーマはあるのですが、その代り描写はないのです。それが、私にはつまらない。テーマと描写と二ツかね備わったものこそ、優秀な戯曲、すぐれた小説といえるのです。
(廣済堂文庫版 38p) 
前半の部分に注目すると、描写がない落語にはいったいなにが残るのかという話になりますね。
とにかく、僕の観劇体験のなかでも、公演中に携帯電話が鳴ったのは初めてのことでした。地域性の問題なのか、客層の問題なのか、はたまた落語の公演というものはこういうものなのか。とにかく、数年は行かなくてもよいと思うようになりました。残念なことですが。
落語の話はこれくらいにしておきましょう。ここで音楽を。この涙よ乾け。Amy Winehouseで『Tears Dry』。オリジナルバージョンです。
あらたまの 年立ち代はり 種々の もの捨つれども 捨て切りしと 思へど見遣れば いかにせむ 残りしものの 其処にあり いつともわかぬ 年次(としなみ)に 抱へわたれる 吾が荷ぞ重き

明日は正月で新しい年の始まりの日だけど、きょうとの差なんてほとんどない。悲しいことは悲しいままだし、辛いことは辛いまま。24時間営業のコンビニやスーパーは煌々と光っているし、そこで働いている人に15と16の差なんて当面は関係ない。当面のあいだは。
インターネットの海上にも大勢の人間が船を出している。それぞれがそれぞれの海賊放送局となって、見えない方向に向かってなにごとか――言いたくて言いたくて仕方のないこと――を発信している。あともう少ししたら、そこに「おめでとう」というメッセージでできた巨大な光の帯を見ることができる。ちかちかと光るひとつひとつの小さな点である僕たちは、そのメッセージのやりとりで心の拠り所のひとつを確認している。いい悪いは別として。
「今年もいろいろとあった」という感慨はきっと来年に活かされないだろう。去年も同じようなことを言っていた気がするから。それにしたって、いくつかの出来事で僕は心を動かしてもいる。それもたぶん去年と同じなのだ。去年の波は今年の波をつくり、また来年の波のもとともなる。九鬼周造は随筆『青海波』で新春を言祝いでいる。
年の波は同じ波長で無限の岸へ重畳するであろう。私の乗っている小舟がどのあたりで転覆するか。そんなことはどうでもいい。波、波1、波2、波3、波4、波5……波n+1。見渡す限り波また波。無限の重畳そのものがとてもすばらしい。
ハロー、ハロー? DRTK、DRTK、こちらはムーン放送局です。月面「静かの海」の水面に船を浮かべ海賊放送を実行していましたが、もうすぐそれも終わります。ハロー、ハロー?
最後の曲です。Tom Waitsの『New Year's Eve』。それではみなさん、おやすみなさい。よいお年を。

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作詞家の岡本おさみが亡くなった。
この人の名前を知ったのは吉田拓郎の『野の仏』を聴いたときで、この非常にユニークで文学的な歌詞を書いた「岡本おさみ」という人は実にすごいと素直に感心したのだが、寡聞にして氏のそれ以外の作品を知らない。もしかしたら知っているものも多々あるのかもしれないが。
YouTube上にはなかなか音源がなく、拓郎ヴァージョンはライブものでちょっと声が聞えにくいので、こうせつヴァージョンを貼り付けておく。
上掲動画で、国民服を着た北朝鮮の指導者みたいな人が歌詞中に出てくる「高節くん」で、ご存知、南こうせつのこと。余談だが、南こうせつの本名は南高節(読みは「みなみ・こうせつ」)で、なにかのテレビ番組で自分の名前を八木節のような「南高ぶし」とも読めるとふざけて、つづけて「なん~こ~お~」と節をつけて唄っていたことが記憶に強く残っている。
この頃さっぱり釣りはだめです
と高節くんが言う
昔はこんな大物をと 両手をひろげて
野の仏 笑ったような 笑わぬような

ここにはいっぱい野鳥かいますね
と高節くんが言う
そらそら浮子(うき)にあたりがきてるよと 教えてあげたいけど
野の仏 笑ったような 笑わぬような

ぽっかり 浮んだ根なし人生ですよ
と高節くんが言う
彼はずっとしゃべってるんだね ほら魚が逃げちまうよ
野の仏 笑ったような 笑わぬような

鮒の病気が広がりましたね
と高節くんが言う
昔の鮒は健康でしたねと 淋しそうな顔をして
野の仏 笑ったような 笑わぬような

ぼくは野の仏になるんですよ
と高節くんが言う
だけどこんないい男ではと 顎などなでながら
野の仏 こんどはたしかに笑いました
 野の仏 こんどはたしかに笑いました 
(2015.12.18 追記)
岡本おさみのWikipediaを見てみたら『襟裳岬』『落陽』の作詞者でもあるのか。この二曲はさすがに知っていた。

吉田拓郎は、両親が世代のど真ん中なので子どもの頃からその名前と有名な曲を知らないわけではなかったが、アルバムとして聴いたのは二十代後半。たまたま職場の五十代の方がベストアルバム2枚組みを貸してくれて、そこに入った曲が思いのほかよく(完全に「旧世代の音楽」くらいにしか思っていなかったため)、そのことについて、貸してくれたのとは別の女性(たぶん五十代)とずいぶん話が合った。
その会話のなかで「『野の仏』っていいですよね」と言ったら、「あれって岡本おさみの詩よね」と言われて、それで「拓郎作詞じゃないのか」と少し驚いたことを記憶している。
この女性は、僕にとってのボスにあたる人だったが、些細なことで僕が彼女にいちいち反撥するようになってしまい、いまから考えると非常につまらないことをしたと後悔している。おそらく、その職場にいた誰よりも話があっただろうし、仕事を辞めたあとも付きあいをつづけていけるくらいに、趣味の方向性が似ていたようにも思っている。
残念なことにそのアルバムは数年前のHDDクラッシュの際にデータが消えてしまい、『野の仏』を聴くことはなくなってしまったのだが、ただ、そのタイトルを思い出すたびに、自分のつまらない行動についての羞ずかしさと悔恨の念も同時に浮かぶのだ。

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渋谷、というと今ではぴかぴかになってしまって僕のなかではなんだかリアリティというものを急速に失った場所になってしまったものだから、下北沢なんていうそれでもあんまり馴染みのない場所を選んでみる。もしかしたら、いやもしかしなくとも下北沢にはそんな場所やそんな文化はないように思うのだが、しかしそれでも、その駅前にあなたたち、つまりGLIM SPANKYが唄っているところを想像してみる。

年下だからといって「きみ」なんていうふうに軽々しくは呼ばないで、敬意を込めて「あなた」と呼ばせてもらうけれど、あなたたちが全然知られていない人たちだということにして、僕のほかに十数人程度が足を止めてあなたたちの歌を黙って聴いていたとする。
あなたは、『大人になったら』という曲を唄っている。歌詞はこうだ。
煙草の匂いが私の髪にすがる 駅の冷たいホームさ
夢を見るやるせない若者達の瞳は眠らない
そうでしょう?
私たちはやる事があって
ここで唄ってる

始発列車は今スカートを撫でてやってくる 寝惚けた街を抜け
『おはよう』なんて言う気分じゃないのさ 気が滅入る あぁ
ずっと 子供でいたいよ

猫被り 大人は知らない
この輝く世界がだんだん見えなくなっていくけど
いつか昔に強く思った憧れは決して消えない 消えやしない

こんなロックは知らない 要らない 聴かない君が
上手に世間を渡っていくけど
聴こえているかい この世の全ては
大人になったら解るのかい

レイバンとレコードを買ったあの店は消えてしまって
コンビニが眩しく光るだけ
知らないあの子が私の歌をそっと口ずさむ夜明け 優しい朝

こんなロックは知らない 要らない 聴かない君が
上手に世間を渡っていくけど
聴こえているかい この世の全ては
大人になったら解るのかい

こんなロックは知らない 要らない 聴かない君が
上手に世間を渡っていくけど
聴こえているかい この世の全ては
大人になったら解るのかい

大人になったら解るのかい
歌詞を聴きながら、僕は自分が大人であるかどうかを考える。もちろん、僕は大人だ。毎年、成人の日にテレビクルーがインタビューする「あなたは大人ですか?」みたいなバカげた意味ではなく、大人であることの要件を「自分の人生を自分で引き受けていること」としたうえで、僕はその責任を明確に感じながら自分のことを「大人だ」と思う。
それ以上でもそれ以下でもない意味において大人の僕は、あなたの歌に少し苛立ちを覚えることだろう。
あなたは、大人を器用でずるくて唾棄すべき存在としているようだけど、そういうふうに二元化して、自分たち「子ども」をその対立項として置くというのはいかにも単純にすぎるのではないか。そういう単純さを子どもの特権と自覚しつつやっているのであれば、あなたの歌に共感するのはまさしく子どもだけなんじゃないか。
大人はずるくてあんなふうにはなりたくないという主張は、百年も前から言われているごくごくありふれた言い回しで、僕自身、十代の頃は二十歳以上になるなんて想像もできなかったし、二十代のときは三十歳以上の人間の言うことなんて信じる気にもなれなかった。これは、マンガのような話だけれどすべてほんとうのことだ。
「大人だっていいもんだ」なんてことを言いたいわけじゃない。そんなテレビCMのキャッチコピーのようなことを言いたいのではない。若いときは好き勝手言っていたくせに、いざ自分が年をとったらしたり顔でそんなことを言うやつらなんて、ほんとうに最低で恥知らずだ。そんなやつらの懐柔策に乗る必要なんてない。死ぬまで無視しつづけてやればいい。
ただ、すべての大人がそんなに単純なわけでもないということ。「ずっと子どもでいたいよ」と思っていたし、それにロックに限らずどんな種類の音楽を聴いていなくたって「夢を見」て「やる事があっ」た者もいたのだ。それはあなたたちだけの特権ではないのだ。

反論は山ほど僕のなかに浮かんでくる。文句の泡がぽこぽこと浮かび上がってはぱちんと僕の喉のあたりで弾ける。あなたがたは救いようのないほど幼稚で単純だからだ。
それにひきかえ僕は、批判することに馴れきってしまっているので心を痛めずに重箱の隅を突くことができる。言葉は旋律やリズムに乗ってやってきているというのに、そのうわっつらだけを撫でるように詩を吟味し意地悪く調理しようとしているだけだ。
一生懸命唄っているその歌を聴かず別のなにかに向かって嫉妬するように僕は反感を覚え、そういう受け止め方しかできない僕に対して直観的に憎しみを抱いたあなたは、声を張り上げ、怒りをさらに上乗せするだろう。

ふと、あなたたちを囲む輪のなかに十年前の僕の姿を認める。
僕やほかのオーディエンス同様、彼もまたジャンパーのポケットに深く手を突っ込み、身じろぎもせずにいる。まるで動いたらその場に立っている資格がなくなるとでもいうように。
きみは心のなかでどんなふうに感じているのだろうか。きみは自分では大人ではないと思っているのかもしれない。けれども、唄っている彼女たちとまったく一緒だとも感じられないだろう。彼女たちに同意することはなにかに負けることだと思い、きみは意地でもそこに踏ん張って感情を流されないようにしているのではないか。
そこに容赦なく彼女たちの歌が響き、心はぎゅっとつかまれてしまう。きみはそこから逃れる術を知らない。顔はどうにか無表情を装っているけれど、きみはあの歌声と詩と空気とに完全に飲み込まれ、自分のやり場のない怒りを預けてしまおうとすらしているのかもしれない。
あの頃はまだ自分の考えていることをほとんど誰にも告げることができなかった。なにかを訴えられる場所に飢えていたし、かといって訴えることのできる人間の尻馬には絶対に乗らないと決めていたはずだ。
きみは心地よさと恥ずかしさと苦しさと焦りを抱えたまま彼女の歌を聴いている。彼女の声の一音一音が、きみの心を波立たせる。ポケットのなかの拳が堅く握りしめられる。
 
歌が終わりを迎えつつあった。
歌声が聞えていたあいだに抱いた細々とした感情はちょっとした感動ですぐに吹き飛ばされてしまった。「おや、けっこうよかったんじゃないか」と思い込んでしまいそうなところに、慌てて反感を持っていたことを思い出す。迎合するのはもう少しあとでもよい。
あなたたちの視野の狭さに対して言いたいことはまだまだやっぱりあったけれど、その言いたいことは僕の度量の狭さからやってくるものだということを、僕は薄々と感じている。それくらいのことはわかる程度に僕は年をとっているから。
あなたは、この曲に「大人になったら」というタイトルをつけ、「ずっと子供でいたいよ」と唄っている。ということは、いつかは大人になってしまうという予感をあなた自身も持っているということなのだろう。
けれども、臆せずにそのままその歌を唄いつづけてもらいたい。その歌を本気で五年、十年と唄いつづけていれば僕はきっと勇気づけられる。僕はなんだかんだ言って、あなた方の側に立っているつもりだ。あなたたちとは一緒じゃないかもしれないけれど、あなたたちが憎むものを僕も憎んでいる。
現代ならありふれた感動屋たちがあなたたちをスマホで動画撮影して、それをネットにアップロードするかもしれない。RTや「いいね」が加速度的に増えて、あなたたちの歌は簡単に人口に膾炙するかもしれない。「バズってる」とか「泣けた」とか「神曲」なんていう薄っぺらな言葉があなたたちの周りを浮遊する。多くの人たちはあなたたちが好きなのではない。あなたたちのことを好きな自分が好きなのである。
けれども十年前だったら誰もそんなことはせずに、目の前の歌を純粋に聴き、そしてただ拍手をするだけだった。 それで充分だった。いまでも、それで充分なのである。

歌が終わった。
あなたたちは、ちょっと照れたように、それからちょっと怒ったようにして軽く頭を下げ、「ありがとう」と小さな声で言った。パチ、パチ、パチ、とまばらな拍手が周りから聞えてくる。
きみは、ポケットからついに手を出さずにそのまま回れ右をして帰ろうとするが、思い出したように立ち止まり、彼女たちのほうへずかずかと歩いて近づいて行き、その場を去るため片付けを始めた彼女たちに向かって、「よかったです」と緊張した声で言う。「ありがとう」と彼女たちがもう一度言い、きみももう一度「よかったです」と言い、それ以上言うことがなくなったので頭を下げ、駅のほうへと大股で歩いて帰って行った。
それを見届けた僕も帰ることにした。多くの人たちが行き交うなかをぶつからないように歩いた。警察官がふたり、ストリートライブを演っていたこちらのほうを遠目で伺いながらひそひそと話しているのが視界に入った。ここもすぐにぴかぴかの場所になってしまうのかもしれなかった。
何度も繰り返し聴いた僕の耳には当然あなたたちの声が残っていて、サビが口を衝いて出る。「大人になったら解るのかい」。
もちろんほとんどのことがわからないままだけれど、僕もまた夜明けに向かって歩いているのだった。

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先月はじめに実家に帰ったとき、父と話しながら何気なくテレビを観ているとNHKで『小さな旅』が放映され、大好きなあのテーマ音楽が流れた。
ふんふんと鼻唄まじりにクレジットを眺めていると、なんと「音楽 大野雄二」の文字が!

やっぱり!
ずーーーーーっとルパン三世のエンディングテーマ(『愛のテーマ』) に似ていると思ってたんだよ!
『小さな旅』のほうは、イントロはそんなことはないのだが、サビの導入部のストリングスとかもう大野雄二っぽさ(って今頃気づいたんだけれど)満開。

二十年近い疑問がついに氷解したのだった。 

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これまで何度書いてきたかわからないが、バッハの『ゴールトベルク変奏曲』(グレン・グールド演奏)を使った脚本(私家版)をこっそりと書いたことがある。十年以上前の話。
ある事故を扱ったものなのだが、その事故の瞬間にタイムワープし、そこに巻き込まれたあるひとりの人物を救い出すという場面で、時間が停止していることを表現するために、この『ゴールトベルク』のアリア(以下動画でいうと、6:20~9:14)を流すことを考えていた。
そして時間が動き出し、その人間を連れてその場から逃げ出すきっかけになるのが、アリアから第一変奏に移り変わるところ(9:15)。静から動へ、死から生へ。
ところがだ。
これもまた何回書いてきたかわからないのだが、2005年の全国高校演劇を扱ったNHKの番組で、最優秀作品に選ばれた青森県立青森中央高校の『修学旅行』のエンディングに『ゴールトベルク』が使われているのを観て、「うぎゃー!」となった。使われているのはたしかアリアだけだったように思うが、「ああ、これでもう、演劇でこの音楽使ったらパクリになっちまうんだな」と思い、かなり落胆した。いまであれば、これ以前にも『ゴールトベルク』を使った演劇はきっとあっただろうと思えるのだが、そのときはもうかなりのショックを受けた。まあ、ショックを受けようが受けまいが、私家版なので別にどっちでもいいと言えばどっちでもよかったのだが。
そしてその傷もやっと癒えたかという2006年。アニメ版『時をかける少女』で、この『ゴールトベルク』が、しかもアリアと第一変奏の移り変わりの部分を、タイムワープ(このアニメではタイムリープだが)そのもののシーンに使われているのを観て、再び、しかもさらに大きめの「うぎゃー!」と悲鳴を上げたのは言うまでもない。
まあ、それはそれとして。


がらり話は変わる。
NHK-FMで毎日『夜のプレイリスト』という番組が放送されている。
これがなかなかにいい番組で、ある人物が一週間だけDJとなり、月曜から金曜の五日間で、毎日一枚のアルバムを紹介していく。なかにはもちろんハズレとなる人間もいるのだが、たいていの場合はその人物のことに興味を持つか、あるいは紹介された音楽に興味を持つことができる。
たとえば、これまで(理由は特別ないのだが)かなり嫌いだった長塚圭史を、この番組のトークきっかけで大好きになってしまった。音楽をできるだけ多くかけるような構成になっているのでしゃべる時間はあまりないのだが、それでも、DJに思い入れがあればその気持ちはきちんとリスナーに伝わってくる。反対に、それほど思い入れがなかったり、自分をカッコよく見せたいという思いが先に来ているような人間も、こちらにはたいていわかる。「なにかが好きだ」と話すことは、その話し手の内面を、話し手の思っている以上に曝け出してしまうのかもしれない。

先週は写真家の平間至だった。僕は彼を、2001年のNHK『トップランナー』で見たきりで、その頃の彼は逆算して三十八歳だったことになる。いまの僕とだいたい同い年。その彼が、2011年には出身地の宮城県塩竈の被災を経験し、翌年に病気を得て、その翌年にパニック障害になってほぼ一年間外出できなかった、という経験をされたらしい。そのせい、というわけでもないのだろうが、語り口は静かでありつつも、その内容はかなり内省的で深い思考に裏づけされているという感想を持った。佐藤さとるのところでも書いたのだが、ひとことで言って、信頼できるのである。
彼の第四夜に、グレン・グールド演奏の『ゴールトベルク変奏曲』が紹介された。
グールドが五十歳という若さで死んだということ。それに、同い年の自分(平間)が体調を悪くしたこと。このふたつのいわば符合によって、より死というものが身近に感じられるようになったということを話していた。また、先輩写真家の葬式で、優れた表現者は死んでいるのに近い状態で作品を作っている、という感想を持った、とも。ちょっと奇を衒ったことを言ってやろうというのではなく、心からの感慨を漏らしているようで、僕には非常に興味深い話だった。


上にもちらりと書いたが、僕はこの曲を、特にはじめのアリアから第一変奏への移り変わりの部分に昂奮を感じる。突然、生の躍動感が溢れ出し、目覚めていく感じ。ただ、主題がいくつもの形をとって変奏されていくうちに、だんだんと音楽に対する集中力は切れていく。
僕は、音楽にずっと意識を傾けているということができない。歌詞のある「歌」であればまだ大丈夫なのだが、演奏だけだと、どうしても意識が「思考」のほうへ向かってしまう。
耳から音楽が入ってくると考えに集中できないという人もあるかもしれないが、僕の場合はそれはない。むしろ、外界の余計なノイズを遮音してくれるし、集中力の切れ目をつくる「意識の隙間」を音符の洪水が埋めてくれる感じがする。
音楽好きな父と話していると、対象にもよるだろうが、どうやら意識のほぼすべてを音楽に傾けつづけることができるみたいだ。五十分だったら五十分のあいだ、音楽に身体全体を浸していられるという感じ。
僕の場合はそれが「足湯」みたいなもので、 足は足で暖かいのだが、それ以外の部分では風景を眺めたり、おしゃべりをしたり、違うことを考えているようなもの。音楽は(自分とはまったく別の、という意味における)「環境」の一部であって、そこにすべてを任せることができない。
だから困っているんです、とも思っていないのだが、はたしていづれそれが克服されるときは来るのだろうか。
目を閉じ、音楽に集中し、「音楽に集中する自分」を意識せずに、また、「『音楽に集中しているはずの自分』がどうしても考えてしまうもの」にも意識を向けずに、さらに眠ってしまわずに、時間の流れとともに音が変化していく様子を追っかけていけるのであれば、また新たなたのしみというものが得られるのかもしれない。
しれないが、現時点ではそれは無理な話のようだ。僕はいまこの文章を、『ゴールトベルク変奏曲』をかけながら――ということはグールドの唸り声のような「ハミング」も耳にしながら――書いているのだが、意識はいよいよ自分の書いていることに向かっている。

そしてちょうど、終わりのアリア(53:37~57:15)が流れてきた。
平間至は、この終わりのアリアの演奏中、グレン・グールドも半分以上死んでいる状態でピアノを弾いていたのではないか、と言っていた。
「死んでいる」というのが僕にはまだピンとこないのだが(そこが興味深い部分でもあるが)、意識の世界ではなく、無意識の世界に感覚を浸してしまいながら表現をおこなっている、というのならなんとなく理解できるのかもしれない。技術や論理の、その先。
それについてもう少し考えてみたいのだけれど、これ以上起きていると不眠症のウサギが騒ぎ出すので、電気を消してもう寝ることとする。 
そういえば、『ゴールトベルク変奏曲』には不眠症に悩む人のためにつくられた、という俗説があるらしい。 

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ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

とうとう始まった。雨はほとんどやんでいた。
劇場、というか舞台は、正方形の木製の小舞台(面積は六畳くらいだろうか)が均等に四×四の計十六台並べられていて、それを、劇場の左右にあるそれぞれ五つの入り口から伸びた通路が区切っている。それが格子の「横」の線だとすると、当然「縦」もあって、僕のすわった席からだと見渡しにくかったのだが、おそらく四本以上、数の理窟からいえばやはりこちらにも通路が五本走っていたんじゃないかと思う。
あとでわかるのだけれど、この木製の小舞台は大阪の川に浮かぶ島がモチーフとなっている(はず)。始まりはどうであったか。
まず音楽があったように思う。大音量のリズムに乗って白い帽子、白い服、白い短パン、白い運動靴を履いた白塗りの子どもたちが、前述の通路を駆ける。
横五列の通路を「白い子どもたち」が全力で走り、そのうち、縦側の通路からも「白い子どもたち」が今度は規則的な踊りをしながら、登場する。視線が定まらない。焦点をどこに置けばよいのか。音楽が鳴る。子どもたちのステップが、リズム・ビートを奏でる。さきほどまで降っていた雨のせいで、通路にわづかに溜まった水たまりが照明の光を反射する。そのうえに子どもたちが走り、水しぶきがあがる。なにかしゃべっている。子どもたちがなにかを唄いだす。正確には聴き取れない。歌というより、言葉だ。単語。文字の羅列だ。意味はなさそうだが、おそらく全体的に並べていけば意味が通じる言葉の群れ。音。ステップのリズム。刻まれるビート。照明の光。
いま、目に見えるもの、耳に聞えるものをすべて記憶したい。ひとりの子どもの動きを追っていけば、当然、他の存在は霞んでしまう。十数人が不規則に動けば、そのなかでも動きの規則性を探そうと俯瞰を心がけてしまい、そのために、個々の動きの把握が曖昧になってしまう。たとえば平田オリザや長谷川孝治の芝居のように、維新派の舞台上でも同時多発的にいろいろなものごとが発生している。平田はこの手法をリアリティのためと書いていた。もうちょっというと、世界ということなんだろう。
目の前にある世界で起こっていることを、すべて知覚することはできない。人間の知覚に限界があるからだ。「複製技術」を用いてストップ・リヴァース・リプレイ、をするのでなければ、目の前に起こりつつあるものは選択して知覚せざるを得ない。音を聴く。言葉を聞き取ろうとする。ステップを眺める。振り付けの意味を読み取ろうとする。そのあいだに時間は流れ、選択されなかったものについては、知覚の機会を永遠に失ってしまう。それにくわえて、記憶の能力にも限界がある。せめて目に映ったものを。せめて耳がとらえたものを。個人差はあるだろうが、僕はどんどんと忘れていってしまう。そしてこちらの忘却など知ったことないと、目の前の踊りや口誦はより複雑になっていく。たとえば、僕は、「誕生日」という言葉をとらえる。いま、そう言ったのか、本当に。誕生日と?
そして、日付が次々と無機質に読み上げられていく。ああ、そうだ。やはり誕生日と言ったのだった、と記憶を新たにする。現状の知覚への意識を弱めて記憶の整理をするあいだもなお、日付は唱えられる。「九月十一日……三月十一日……一月十七日……」、これらは僕が記憶できただけの数字。無機質な、本来、それじたいではなにも意味を持たないはずの数字が、聴いている僕にものすごい意味をもたらせる。それでは、他の日付にもなにか意味があるのでは? 僕の思い出せない、あるいは僕の知らない重要な日付を僕は捉えそこねたのではないか。そんなこととは関係なしに、時間はどんどんと進んでいく。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

聴いているうちに、十六人の床を踏みつけるビートで僕も思考するようになっているのかもしれない。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

次々と左右を駆け抜ける白い子どもたちが、キリコのあの絵(これくらいしか知らないのだが)を思い出させる。

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ジョルジョ・デ・キリコ『街の神秘と憂鬱』

たしかルパン三世の映画(といっても実写ではない)にこのイメージが用いられているシーンがあったと記憶しているのだが、実体を持っていないなにかの象徴として、子どもが物陰から物陰へと走り抜けていくのは、どこか夢のようでもあり、どこか死を匂わせもしている。やがて、「ひつじ」という名の女の子が登場し、「がたろ」という男の子が登場する。
大阪弁で「がたろ」といえば、これはもう枝雀ファンであれば『代書屋』を思い出すことだろう。主人公の松本留五郎の職業が「がたろ」。川底を「ごーそごーそ」漁る仕事。下の動画の20:00あたりで出てくる。


このふたりの登場から物語はゆっくりと始まりを見せるのだが、それでもあからさまな展開はない。
通奏低音としてミニマル・ミュージック風な音楽が流れつづけ、白い子どもたちが左右だけでなく、縦横にも、規則的に踊りながら移動し、あいかわらず視点を定められない。子どもたちの唄う言葉は増えていくので、そのイメージを観客は(たぶん)必死で紡いでいく。ここには、便利な「テロップ」も「まとめサイト」も「yahoo! 知恵袋」もない。わかりやすいガイドには頼れない。思えば、日常で周囲にあるのはわかりやすくパッケージされたものばかりである。斎藤環の解説にも「比較的読みやすい」とされていた中上健次『十九歳のジェイコブ』ですら相当手こずっていた僕は、わかりやすさに浸りすぎていたのかもしれない。自身の知覚を総動員し、しかも瞬間も休むことなく、世界に対峙していかなくてはならない。
もちろん「世界」とは大袈裟だが、眼前にある舞台は、少なくともこれまで僕が体験してこなかった世界であり、僕の予想もしなかった世界である。
僕は『透視図』という舞台を観ながら同時に、藝術というものの本来の性質を痛感していた。つまり、受け取る側の価値観の根底を揺さぶるというあの性質のことである。
ごくごく単純に言うと、僕は目の前で起こっているのがいったいなんなのか、わからなかった。ある知識ひとつをとって、これは知らなかった、ということは日常生活においていくつもある。しかしそれはほんとうの意味での「わからない」ということではない。現時点ではその知識体系についてなにも知らなくても、ひとつひとつの基礎的な知識を積み上げていった先にその解が得られるのなら、それはわからないということにはならないのではないか。
僕の感じた「わからない」というのは、いくら知識を積み上げていっても、現在自分の持ち合わせている価値観をどこかで変容させない限り、理解できない対象についての認識である。
「わからない」場合、「なんだこれは!」という一種の不快感が生じる。理解できないということは不安をもたらすからだ。
いわゆる「ウェルメイド」と呼ばれる作品であれば、こちらが期待してしまう一定の展開や一定の演出に沿うので、場面ごとのサスペンスについては不安にさせられるものの、鑑賞者は無意識に展開や演出の枠組みというものを頭のなかに想定しているので、根本的な不安に陥ることはない。
しかし、維新派の舞台を初めて観た僕は、枠組みを想定することもできないし、目の前にある細部についてさえ不正確に心もとなく把握しているだけである。
腹を立て、「なんだこれ、わかんねーよ!」と投げ出すのは簡単である。また、「わからないことは、わからないままに」と保留するのも簡単である。前者はたいていの場合、努力の放棄であるし(僕もよくやる)、後者はたいていの場合、その「保留」が解除される機会は永遠に来ない(これもよくやる)。僕は上で「世界に対峙していかなくてはならない」と書いた。「直面」ですむようなところだが、あえて「対峙」とした。対決するのである。目の前の表現に対して、立ち向かい、わからなければわからないなりに、理解しようと努力するのである。
いままで蓄積してきたつまらないカテゴリーになんとか当て嵌めるという単純作業を選ぶのではなく、価値観の変容を迫られ不安を感じながらも、新たな枠組みを自分の考えでゼロから構築するのである。五感をフル活用して!目の前にある舞台は、まさしく、きょうここにあるもの、として存在していた。何度も何度も稽古を重ねて「再現率」を高めた演技を見せるべく存在する閉鎖空間としてではなく、もっと開かれた、大仰に言えばたった一回しか存在しない場、固有の力を持った場として、それは僕たちの目の前にあった。
劇中、舞台の向こう側、つまり川の上を大きなカラスが左から右へと横切った。十分ほどして、おそらく同じカラスが右から左へと戻って行った。もちろんこれらは演出などではなく、自然の風景である。
一度だけ上空高くをジェット機が飛んで行った。バイクのけたたましいエンジン音が聞こえたことも二度ほどあった。雨は遅れに遅れた開場時間まで降っていたが、それ以降はほとんど止んでいて、観客の多くは、レインコートのフード部分を途中で脱いでいた。そういう偶然性に満ちた諸々を排除する閉鎖空間ではなく、反対に、偶然のために解放された開放空間のなかにわれわれはいた。演者も観客も。
といって、演技の方はアドリブなどはおそらくなく、完全にコントロールされていた。そういうアンバランスさも、僕たち観客の五感に影響を与えたに違いない。僕は、視覚聴覚のほかに、嗅覚や触覚も意識していた。右隣の女性からはスイカやメロン系統の芳香が、左側の男性からはアルコールの臭いがそれぞれ漂ってきて、僕の前で合わさっていた。もっともそんなことを言っている僕だって、パクチーとナンプラーの薫香を吐き出しているのかもしれなかった。おじさんのアルコール臭さはともかく、女性のつけた香水の香りをまた違う場所で嗅ぐことがあれば、僕はきっとこの公演を思い出すだろう、と思った。
また、何度も書いたが、演者たちの踏み鳴らすビートが、空間を伝わって鼓動として僕の身体に響いていた。

ダンッ・ダッ・ダンッ!

ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!
ダンッ・ダッ・ダンッ!

その場にいること。これが舞台鑑賞では非常に重要なのである。
いままでコンテンポラリーダンスの舞台は、テレビで何度か観たことがある。深夜のBSだかをリアルタイムかあるいは録画で「ああ、なるほどぉ、こんな感じなのねえ」などという感想を漏らしながら、だらだらと集中せずに観ていた。
そんな気の抜けた体験しかできなかったのは、僕の理解がまだ浅く努力を放棄していたということもあったが、それ以上に、その場にいなかったからなのではないか、といまは思う。
僕をふくめた観客全体が、客席の構造上身動ぎすることも難しく、視点を前方にほぼ固定された状態でいたこともまた、鑑賞そのものに深く影響しているようにも思えたし、それにくわえてその日の雨降りや雨降りの予感などは、もしかしたらその回の演劇の成立に関わっているのではないかとさえ思った。音楽がほぼ間断なく流れている、と書いた。僕はそれを聴きながらBrandt Brauer Frickの『Bop』という曲を思い出していた。


僕のミニマル・ミュージックという言葉に対する認識が正確であるかは甚だ不安なのだが、テーマを単調に繰り返しつつも細かな差異をくわえて最終的にはゆるやかに大きく変化していく、というスタイルは、まさに『透視図』そのものだった。
偶然にSteve Reichという人の『Come Out』という動画をYouTube上で見つけたのだが、このダンスの持っているイメージは、維新派のイメージを喚起しやすいと思う。
ふたりのダンサーの動きは、同じようでいて、微妙な差異を生みつづけ、そして位置も少しづつずれつづける。ちょうど、テンポの異なるメトロノームが最小公倍数のタイミングで一致するように、このふたりの動きも、ときおり瞬間的な一致を見せる。


無機質な単語の連なりは、ときおり、ユーモラスな言葉遊びにさえなった。
大阪の町の猥雑な部分を象徴する言葉――ただしこれは都会のどこにでもあるのだが――がリズムに乗って規則的に連呼されていく。「ファッションヘルス」「イメクラ」「ガールズバー」……「幸子」「誰やねん!」「麗華」「誰やねん!」
これらの名前は、スナックの名前としての「幸子」「麗華」なのであるが、名詞を連続させていくだけで、詳しい説明がなくてもその意味が成立していた。
この「誰やねん!」は僕の思ったほどは笑いは起こらなかったが、笑いたくても、笑ってしまえば次の言葉を聞き逃してしまうためだったかもしれない。イメージが拡大し、洗練し、また混乱していく。冗談のような言葉がときおり意味を持つ。眠れない夜、病院で数えていた羊のうちのはぐれ羊(stray sheep)が、女の子の「ひつじ」なのか。たぶん、がたろは本当は病院で寝ている男の子。おそらく重い病気に罹っている。ひつじはがたろの想像の産物に過ぎないのか。いや、そうとも思えない。ひつじには沖縄からやってきた祖母の記憶がある。南の島からやってきて、大阪の島から島へ移り住んだ、ということをがたろに伝える。
何回かテーマが繰り返されていく。唐突に1931年(たしかそのあたり)から年号のカウントアップが始まる。いま調べてみると、満州事変勃発の年。このとき舞台に出てくる紳士・淑女たちは、「どこかで逢いましたね」「いったいどこでしたか?」「またいつかお逢いしましょう」「またいつか」と約束をするだけですれ違ってばかりだ。
ある紳士のひとりが、自分には記憶がはっきりとしない、それは、自分が多くの死者たちの記憶もまた担っているからだ、というようなセリフを吐く。これが、大阪の歴史とどのように関わっているのか知らないが、やはりこちらの理解の追いつかぬまま、一年づつカウントアップを進めていく。重要な年数が近づくと無意識に緊張してしまった。1945年、1970年、1995年、2011年、そして、2014年。それらはただの数字ではなかった。オープニング近くの「誕生日」と一緒だ。記憶に刻まれ、歴史に刻まれた瞬間がある、ということをわれわれは知っている。実際に僕自身が体験している年もある。
となると、何度も何度も言及される川が死の象徴のように思えてくる。そうなれば、島――木製の小舞台――は、生の踏み石である。ひつじは、祖母と一緒に大阪を生き抜いてきた人たちの象徴なんだろうか。川は、浚渫船がなければ泥に埋もれてしまう。昭和初期のことか。たまたま「シュンセツ」という単語を僕は知っていたので、すぐにイメージすることができた。どこで知った言葉だったか。もちろん、記憶を掘り下げていく暇は与えられない。ひつじの祖父はその浚渫船の乗り手だったという。むかしの大阪の流通を支えた人。そして、「がたろ」という職業もまた、川底を浚う人だ。
ここらへんはほとんど説明するようなセリフがないので、なんとか自分のなかで繋げることしかできない。それがあっているのか間違っているのかもわからない。というか、正誤はない。正誤になにかを求めることに意味はないだろう。劇中、ものすごい、と思える演出がいくつもあった。そのなかでも大掛かりな仕掛けについては、ここに記さない。はじめて観る人が万が一これを読んでいたら、驚きがなくなってしまうからだ。
がたろのものと思われる心電図の音と時報の音(これが実際の時刻を告げている)との相似や、手術を受けたがたろ(の精神)が生を象徴する島と島とのあいだを飛び回る場面は、より理解しやすく感動的だった。
何度も変奏されたテーマは収斂され、はじめのフレーズに戻っていく。そのときになると、最初は無意味に聞こえていた言葉が有機的に繋がっていたことが確認できる。そして、文字通り様変わりした舞台のうえで、美しいエンディングへ。演者たちは舞台を去り、しかしなおも音楽は鳴りつづけていた。
雨や、開場前のサーカスのパフォーマンス、屋台村での飲食や、そこに群がる観客たちの雰囲気も含めた舞台だった。
単純に演劇と言ってしまうよりは、音楽とかダンスとか、あるいは建築という概念も含んだ「舞台」という言葉がふさわしいだろう。不安定な言葉に対して、視覚や聴覚や触覚に対して直接訴えるものを持っている「身体」というものをこれほど強く感じたことはなかった。
Eテレ『ニッポン戦後サブカルチャー史』で宮沢章夫がどこだかの年代の解説において「希薄化する身体」というキーワードを紹介していたが、僕自身は(それ以前にも見聞きしたことのある)その言葉に対してつねに胡散臭いものを感じていた。身体器官の機能である知覚に頼っている以上、いくら仮想空間に依存の度合いが高まっていようと、身体が希薄になるはずがない、と。
その流れで「身体」というキーワードじたいにも胡散臭さを感じていた(同時に、「皮膚感覚」とか「肌感覚」みたいな言葉も嫌いだった)のだが、この観劇でいっぺんにその考えが覆された。身体というより、僕の感じたのは「実体」というものに近いのかもしれない。
セリフや歌の言葉が聴き取れなかったり正確に認識できないことがあっても、ときには総勢で五十人近く登場する演者たちの存在は「ないこと」にはならない。実体は、そのものだけで十分な重さを持つものであり、そこに価値が生じてくる。
作者は作品をそんな単純な二元論に還元されるとは想定もしていないだろうし、もし「身体の意味」のようなものを訴える意図があったのだとしても、それはおそらくこの劇団の底にもともとあった思想であり、あえて本作で訴えたというようなものでもないのだろう。
単純に、最大五十人が一斉に動き出し、一斉にしゃべりだすのを見せつけられた僕は、その言葉をはっきりとは受け止められなくても、ただただ圧倒されてしまった。
これは、僕の「個人的な感想」である。多種多様で豊かな鑑賞体験を持った人間の客観的な「批評」ではなく、非常に個人的なフィルターを通して得られた体験をそのままに書いただけの「感想」にすぎない。
僕は一般的なことを書きたいのではなかった。誰が読んでも理解できるような、わかりやすい文章を書くつもりはまったくなかった。この作品が二時間かけて――最終的に観客のまえにあらわれている時間が二時間なだけで、そのまえの稽古や舞台の設置などを含めれば、時間はもっとかかっている――表現しようとしたものを、数分で読めてしまうような文章で「解説」したり「分析」したりできるなんて、そもそも思っていない。そんなことをできると思っている人がいれば、それは冒瀆だ。
だから、誰かが『透視図』のことについて知りたいと思って読んでも、役に立つようなことは書かなったし、書けなかった。また、作品の理解の一助になるようなことなども書かなかったし、そのことについては自信すらある。
たぶん僕は昂奮しているのだ。観たことのないものを観て、聴いたことのないものを聴いて。
知らない世界を見せつけられて不安になり、作品の内容についても、作品の外にあるものについても、その意味を必死で考えてみた。そして、そのうち半分も理解できなかったように思う。
けれども、僕の価値観は揺り動かされた。衝撃を受けた結果、新たな世界を知ることができたという確信だけは、ここにしっかりとある。

編集
前回のつづき。後編じゃなくて中編というのがミソ。
会場に着いた。屋台村があることは知っていた。広場の真ん中に灯油缶になにかを入れて燃やしている。そこを取り囲むように、小さなステージ、そしていくつもの屋台が円形になっていた。
写真を撮ろうと思ったが、前述のとおり雨が降っていたので、バッグから取り出したり濡れないように傘を差したり(前回書き忘れていたが、折り畳み傘まで持っていた!)、また濡れないようにしまい直すという煩雑さを思い浮かべると、とてもじゃないがカメラを取り出す気分にはなれず、とりあえず目に焼きつけようと思った。屋台村の存在を知ったのは、劇団(維新派)のオフィシャルサイトで、そこのブログ部分に屋台村の写真が掲載されていて、そこに「ベトナムフォー」と書いてあるのを抜け目なく見つけていた。
だから僕は、迷わずにその店に行き、フォー(四百円)とおでんの牛すじ一本(百円)を頼んだ。註文を受けてくれたおばさんは、うしろで新聞を読んでいるおじさんに「フォーを一丁」と呼びかけ、顔を上げないのでもう一度、「フォーひとつ!」と言い、それでも聞こえていない様子に「フォーやで。三回頼んだから三杯つくらなあかんで」と声をかけた。こういう冗談は好き。おじさんもおじさんで、「すまんすまん」と小さな雪平鍋をコンロにかけ、そこにフォーを投じて作り出す。「パクチ、入れてだいじょうぶか?」
もちりん。
一分ほどで温まり、プラスチックの器によそってもらう。ナンプラーいっぱいあるから、好みで入れてな。
もちりん。
器を持って、すわれる場所を探す。木のテーブルが出ているが、雨ざらしの状態なので、人はすわっていない。どうでもいいや、とそこに器を置いて食事をし、周りを眺める。屋台にはそれぞれの「看板」になる商品の名前が貼ってある。モンゴルのパン。クスクス。黒毛牛のサーロインステーキ。バジル丼。おばんざい。チキンパン。そんなものが読み取れた。ぱっと見、異国情緒たっぷり。バザール(よくはわからないけれど)というか、いろいろな国の文化のぶつかる中間地という雰囲気だった。薄暗くなったなかを焚き火が燃えていることも、よけいにそのような感慨を増幅させた。ステージでは、ひとりの男がブルースらしい歌を唄っていた。耳を傾けてみる。これはどこぞのラジオ局で放送禁止になった歌、とか、これはどこぞのテレビ局で放送禁止になった歌、とかそういうことを唄う前に告知していた。それがまるで彼の勲章のようだった。つまらない歌が流行っているけれどおれの心には届かない、という旨を唄っていた。歌詞はわざと変えているが、だいたいそんな内容だった。それをいかにもブルースらしく唄うのである。
僕はイヤな気分になっていた。そういう批判こそが歌なんだというのが彼のメッセージなのかもしれないが、僕ら(あえて「僕ら」と書く)は、そういうメッセージをすでに何千回と聞かされてきたのではないだろうか。なにをいまさら、という気持ちは拭えない。
歌い手は僕より年上に見えたからおそらくは四十代だろう。もしかしたらもっと上かもしれない。そのくらいの年齢になって、他人を批判する歌。十代・二十代のラッパーが「腐れMCどもはオレさまの前にひれ伏す!」みたいに叫ぶのと、いったいどんな違いがあるというのか。
肝腎なことに、その彼が唄う歌じたいには言うほどの詩情もないし、声がしゃがれているだけでポエジーが備わっているというのなら、年古い噺家の落語を聴いたほうがよっぽどましだった。この前々日、僕はラジオである歌を聴いて感銘を受けていた。
1973年11月21日、Carmen McRaeという歌手が新宿のDUGに来ていた。日本人に弾き語りでなにか歌ってくれ、と頼まれ、三曲くらいしかできない、と断ったのだが、それでもいいから、といってさらに頼み込んだ。そのときの一曲である。


As Time Goes By - Carmen McRae

ラジオからこういう古いライヴ音源が流れるのは珍しいと思った。何度もグラスのぶつかるような音が聞える。レコードのスクラッチ音はひどいが、曲が終わると、控えめな拍手が聞えてくる。すばらしい歌だと思った。とてもまっとうなやり方で人を感動させることはできるのだ。けれども、それはごく限られた人にしかできない。
才能がないことを自覚し、それでも目立ちたいと願う人間は跡を絶たない。彼らは自分たちをなんとか印象づけるために、正道を外れた方法を選ぶ。たとえば、汚い言葉を汚い風に唄ったりして。かといってそれはけっして本気でもなく、実際は好人物ということの方が多い気もする。つまり汚いポーズを取っているだけなのだ。そういうやり方はたいていの場合、手垢に塗れているし、工夫もない。長くつづけても、本人が思っているほど価値はない。長くつづけて変わるのは、彼らがより意固地になっていくということだけだ。
ミュージシャンの気分にいつまでも浸っていたい人というのは世の中に大勢いる。僕は、どこかで見た安っぽい偽物のコピーのコピーを見せられている気分だった。僕が「偽物のオリジナル」と思っているものが、実は眼前のブルース唄いだった可能性もないわけではない。けれども、そんなことはどっちでもよかった。かつてうちのムラに住んでいたアーティストもどきに、このようなことを聞かされたことがある。
「メジャーなものに価値はありません。価値のあるものは、すべてマイナーなんですよ」
それは惨めな自己肯定の言い換えにしか聞えなかった。彼はなにも創作せず、公的な仕事――それに対して給料が税金で払われていたのだが――としてやらなくてはならないことをこなさず、ほとんどの人に嫌われていた。やっていることは、補助金ゴロそのものだった。その彼がしょっちゅう口にするのが「藝術」であった。
価値のあるものがたまたまマイナーである、ということはあるし、実例を知っている。また、価値のあるものでメジャーなものも知っている。それらは、価値の本質は世間の評価とは別次元にある、ということを伝えている。
しかしアーティストもどきも、ブルースシンガーもどきも、世間の評価を先行させて取り上げる。人気があるからいいだの悪いだの、または人気がないからいいだの悪いだの。
ときどきブルースもどきは、客を煽るように「イエー」と声を上げた。幾人かが「イエー」と片手を上げて応えていた。いやいやいや、(けっして好きではないけれど、でも)もうちょっと反応があってもいいじゃないか。腹を立てたり不快に思っているのは、あんがい僕だけではなかったのかも知れなかった。
歌が終わると、運営の一部っぽい人(劇団とは無関係かも)が駆け寄り彼にハグしていた。失礼だが、「駄サイクル」という感じがした。石黒正数『ネムルバカ』内の造語である。

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まあいいよ。どうでもいいよ。頼むから、いまから観る演劇がしょぼいものではないように。このケチのついた気分をどうにかしてほしかった。ゴミ箱はあったが、スープを棄てることはできなかったので、フォーのスープはすべて飲み干した。いや、おいしかったのだが、おかげで腹が膨れてしまった。いろいろ食べられると期待していたのに、もう食べるというたのしみはなくなっていた。
酒もたくさん売られていたが、地元の最寄り駅(来るまで一時間弱)近くの駐車場に車を駐めているので、僕は飲むことはできなかった。
屋台村のおかげで観客は大勢いた。
みんなおしゃれだった。こういうバザール的な場所に対してひとつもキョロキョロすることなく、ほとんどの人がスマートな振る舞いをしていた。こういうイベントに慣れているのだろう。さっきは反応悪かったけれど、「イエー」とか誰かが言ったら、「イエー」と応えることが簡単にできるような人たち、という印象を受けた。
現に、現地で待ち合わせをしたらしき人たちが、会っていきなり握手をしたり、あるいはハイタッチしたりする場面を何度も目撃した。僕は文字通り、屋台のつくる大きな輪の中にあったが、どうしても馴染めないものを感じていた。さきほどの歌のせいもあった。かといって、隅に行って限りなく身を隠そうとは思わないたちなので、より多くの人を見ることができる場所に立っていた。僕は多くの場合で居心地の悪さを感じてしまうのだが、便所飯をして誰からも隠れようなどという、ああいうしみったれた気分の持ち合わせもないのである。「輪」ということからすぐにトマス・マン『トニオ・クレーゲル』が思い出される。
主人公のトニオは、若い頃、金髪のインゲの象徴する、元気で明るく美しい人々に対してある種の憧憬をもって彼らのダンスを遠巻きに眺めているだけだった。
しかし、年月が経ち、ある程度名声を得た彼は、やはりインゲたちに憧憬を持ちつつも、彼らに心の中で訣別することもできるようになった。結末には、彼らへの「憧れと、憂鬱な羨望と、ほんのすこしの軽蔑」とを記している*1。異国情緒が漂う空間に集まった人たちの多くは、元気で、明るく、そして美しい人々と呼んでも差し支えなかった。インゲ的な人たちだ。もう少し言うと、観劇できるということは生活に余裕があるということだった。その点については僕自身も余裕があるということなのかもしれない。いや、余裕がなくてもたのしみとして年に数回だけ、都会に出張ってくる人間もなかにはいるのだろう。そこは他人がなかなか推測できない領域のことかもしれない。僕が彼らのなかに入っていくことはできないのは、彼らがまぶしいからだろう。いろいろな意味を込めたまぶしさを感じてしまうのだ。
彼らが握手やハイタッチを求めてくれば、僕はエイドリアン・モンクのように、右肘を左手で抑え、それから右手の人差し指をぴんと伸ばして、その指でこめかみを少し掻くような感じで「いや、けっこう」と言うだろう。「わたしのことは、どうか気にせずに」
モンクだって、彼らの存在を盲目的に疎ましく感じているわけではない。ただ、ちょっと接触するのは難しいというだけで。広場の中央でサーカスが始まった。
雨の止み間を狙い、高さ三メートルほど・長さ三十メートルほどのワイヤーの綱渡りをした。BGMはたしか『G線上のアリア』だった。ひとりがそこを命綱なしで渡り、それからふたりで同時に同じ方向へ綱渡りをし、最後に、途中でひとりが綱の上ですわり、もうひとりがそれをまたいで向こう側に渡る、というのをやっていた。
これは、ものすごかった。言葉はもちろんなく、あるのは実技のみ。バランスを取るための長い棒を持ち、一歩一歩ワイヤーの上を進んでいくのを間近で観るのは初めてだった。
こういう大道芸を観るといつも、十年ほど前に横浜はみなとみらいで観たパフォーマーのことを思い出す。その人は高い一輪車に乗ってジャグリングをするというものだったけれど、最後のパフォーマンスの際、「ぼくは十年間、来る日も来る日もこの練習をしてきました。両親は泣いています!」というような内容を言っていた。
それは冗談として大いにウケていたけれど、そこに事実もあるはずだった。陽気に見える芸でも裏には厳しい稽古があって、また、そんなので生活していけるのかという家族の心配も現在進行形でほんとうにあったのだろう。
そういう事実をすべて笑いに変換し、人にとっては取るに足らないことを本気で演じている姿には、胸を熱くするものがあった。
目の前の、というか頭の上で真剣に綱渡りをする彼らも、とても恰好よかった。小雨が降っているということが彼らの演技に少しでも影響があるのではないか、と心配性の僕はハラハラもした。
パフォーマンスが終わり、帽子に投げ銭を、という段になると、これまた客の反応が鈍くて僕は少し驚いた。おいおい、芸を観て感動したからには金を払えよ。少なくともスマホの動画撮影していた人(相当いたはず)はきちんと金を払うべきだと思うけど、はたしてどうだったんだろうか。開場時間は過ぎていた。午後七時の予定だったが、とうに回っている。スタッフの人から、開場が遅れている旨を告げられる。雨がまたすこしだけ強くなってきた。僕はフードをかぶる。スタッフのアナウンスが聞える。観劇中は傘が差せないので、受付けでレインコート(たぶん百円)を買ってください。
だらだらの汗が引き始めていた。寒くなってきた。トイレには一度行っておいた。どこもかしこも濡れているので腰を落ち着けられる場所がなかった。ずっと立ち尽くしているしかなかった。時間はなかなか進まない。傘がいくつも開かれ、視界が塞がりつつあった。本も読めなかった。やっと、開場した。開演時間の午後七時半を回っていた。ゆっくりと客席案内が始まった。二列に列ぶよう指示され、長い列ができた。
スタッフの人は「No Photo」という文字と、カメラに禁止マークのついたプラカードを片手に持ちながら、席の案内を懸命にしていた。おそらく特設の階段を上り、特設の舞台にやっと入れた。木のベンチがテープで区切られていた。そこにひとりひとりもらった防寒シートを敷き、すわる。お世辞にも広い席とは言えなかった。上演時間は二時間という予定だったから、最後のほうは尻が痛くなることは容易に想像できた。バッグの置くところもないので、膝の上。相変わらず重い。バッグのなかにあるのは、僕の無計画さの重みでもあった。でもまあ仕方ない。すべて、仕方ない。雨が降っていることについては一度も不満に思わなかった。そういうものだ、と割り切ることにしていた。むしろ、はじめての野外観劇が雨降りというのは面白いとさえ考えていた。目の前に広がる舞台は、ものすごく広かった。こちら側から見た舞台の奥側には、海辺などに立つ棒杭(?)をイメージした木の柱が等間隔に立てられているが、その向こうには川があり、さらにその向こうに大阪の高層ビルディングが見えるのだった。その夜景に美しいこと。つまり、舞台の背景として本物の大阪の夜景を借景しているのだった。
当然、スマホを持っている人は写真を撮りたくなるだろうが、さきほどスタッフが持っていたカードには「No Photo」とあった。しかし、何人かはやっぱりスマホを美しい舞台に向け始める。いけないと知りつつ、ちょっとぐらいならいいだろう、と撮影をし始めるのだ。
僕の目の前の女も撮影していた。すぐにスタッフが止めに来る。そりゃそうだ。スタッフ側からすれば、こんなすごい風景はチケットを買ってぜひ見に来てほしいのに、それを簡単に「シェア」なんてされたらたまらないよな。
スマホ女は、ちょこっと頭を下げて、それからスマホをいじくり始める。さすがに撮影はしない。けれども、すぐに開演時間が迫っているんだから、電源切れよ、おまえ。SNSだかメールだかなんだか知らないけれど、そんなのいまやらなくていいことなんだから、早く切れよ。李下に冠を正さず・瓜田に履を納れず、の言葉を知らないのだろうか。こういうバカはどこの会場にもひとりかふたりは必ずいる。個人主義を履き違えて、そのくせなにかをするときは集団のなかに隠れてこそこそするような輩。こういうやつとは同じ空間にいるだけで腹が立ってくる。
隣との席が近いので、周りがどうなっているのかを見回すことができなかった。なので、自然とスマホ女の後頭部を凝視するはめになった。せいぜいハゲておけ、と念を込めておいた。
長くつづいた席案内もどうやら終ったようだった。舞台の両裾奥からスモークが焚かれ始めた。客電がゆっくりと消えて行く。いよいよ、舞台が始まる。

*1:河出文庫版『トーニオ・クレーガー』(130p)

編集

きのう、台風が去ってすっかり気温が下がった。こたつを出したらそのまま眠ってしまった。
今朝も最低気温は8℃らしい。


スカート(というバンド名)の『すみか』という曲をふとしたことで知った。

それはいいんだけれど、彼らのことをちょっとアマゾンで調べようとしたら、『ひみつ』というアルバムを出していて、そのジャケットが森雅之だった!

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いやあ、やっぱりいいなあ。この人のマンガはぜんぶ宝物。少年少女の世界を描いているんだけれども、それがまったく子どもだましじゃない。

キミのこと短歌に詠んだこともある それを言うのは「好き」より照れる

「きみ」だけで、「きみ/キミ/君」といろいろと表記の仕方はあるが、森雅之の世界なら、やっぱり「キミ」だと思った。

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